はてなキーワード: 多種多様とは
「福田パンが好きです」という人が苦手だ。
福田パン自体は好き。菓子パン系、調理パン系問わずに、人と対面で注文することは非常に楽しいと感じる。
福田パンが好きな人に共通しているのは、知らない人に自分が知っているメニューを教えて一緒に食べるのが好きということ。
そういう連中が集まると、まずその場にある福田パン全種類を確認。
そして嗜好が許す範囲で「一番誰も食べたことのないモノ」を選ぶ。
君はまだ知らないけれど、僕はこんなに面白いものを食べてるんだよ。共有してあげるよ!さぁ!
売り物である以上、値段がつく。調理パンであれば菓子パンのだいたい倍になる。
ただ、なぜかその値段には強くこだわらない人が多い。
値段にこだわる人は「福田パンが好き」とは言わない。上の例なら「あんバターが好き」となる。
僕の知っているこんなに面白いものを君に教えてあげられたことがプライスレスなんだ。
人に教えるのも好きだが、自分も、少しでも知らない味があれば頼みたがる。
自分が知らない味があると事前に調査して、財布が許せば購入なりして試食をする。カウンター向こう中の味を知りたいんだ!
もちろん購入していればみんなで集まる場所に持っていくよ!
あと、君も知らない新製品を知りたいでしょう?僕は君の知らないこんなものを買ってるんだぜ?
たくさん購入したあと次に考えるのは「ぼくのかんがえたさいきょうのふくだぱん」だ。
「あのクリームのあの要素と、このクリームのこの要素があれば」
「その調理パンはここだけが悪いんだよね、ここを外してそれに対応する調味料をちょっと追加して」
「中身はそのままでいいんだけど、オリジナルでパンを食パンに変えたの作ってみよう」
完全にオリジナルのものをイチから作り上げる人はまずいない。いつも何かの劣化コピー。極々極々希に良いものが出来ることもあるが本当に希。
http://anond.hatelabo.jp/20140108170658 のコピペ改変だから、似てるのは当たり前。
わたしがボードゲームを好む人を嫌う人を嫌いな理由
ボードゲーム自体は好き。完全情報、不完全情報問わずに、人と頭脳で対戦することは非常に楽しいと感じる人でもだ。
またその説明書がものによってはかなりいい加減だったりもする。
そしてデジタルゲームと違ってそれらがきちんと頭に入ってないとゲーム進行が止まったりする。
説明書のコピーだけ与えられて突き放されるのと、経験者がどのようなゲームか説明するのと、どちらのほうが安心感があるだろうか?
大多数が勝ち負けにこだわらない人だろう。
その人たちはゲームの雰囲気や駆け引きを重視している人だろう。
ゲーム内の事故に対して何か言い合うというのも決してつまらなくはない。
一人だけ逃げ遅れて「あいつ、無茶しやがって。」と言ったりとかね。
また、ボードゲームはそのほとんどが運ゲーの要素が高めである。
そして、これまた大多数が運の制御や把握(いかさまと言う意味ではなく確率の戦略的変動や確率を分析した上での状況判断)ができない。
ゆえに運ゲーだから必死になって勝ちを目指すのは・・・という思考に走りがちなのだろう。
私はガチよりなので一応勝ち負けにはこだわる。
ただ、極端なプレイング(特に3人以上の対戦において戦略の研究目的でもなく最初から勝ちを放棄し妨害のみに徹する)は許容できない。
PCゲームならAmazonやらSteamなどで何回かクリックすればほぼ確実に買える。
ボードゲームを遊ぶ人口は本を手に取る人口より少ないが、数万と言う数は決して多くはない。
賞は取れなかったが隠れた名作なようだから買ってみよう・・・と思っても、もうすでにお店に並んでいないことなどざらな世界なのだ。
そのような買う人を批判するのは遠まわしで無意味で無知な業界批判だろう。
おそらくそれは『駄作が比較的多い日本のボードゲーム同人界隈が嫌い』というべきなのに『自分で作るようになる人が嫌い』と勘違いしているのではなかろうか?
残念ながら日本製は商業・同人・オリジナル・コピー問わず、駄作が多いと思う。
(正しくは海外製の翻訳版は、翻訳担当が利益出ると踏んだというお墨付き&先述の買いまくる人が人柱になってくれたりもするため安心)
ノウハウが足りない、テストプレイが煮詰まっていなかった、製作者の誰かが○○○というカードを愛しすぎてしまった、とかいろいろ原因があると思われる。
(というか同人はゴロサークルまである、というか私自身がゴロサークルとは知らずに在籍していた事実がある)
で話は変わるが、たいていのゲーム(それがオリジナルのものであっても)はゲームバランスがあんまりだったりする。
ゆえにドラフトして運を丸くしようという試みが普通に行われる。
ローカルルール・調整が簡単に行えるところがボードゲームのいいところだと思う。
そういう面はゲームが悪いのであって人は悪くないので、批判しないでいただきたい。
「人に教えたい」「自分もなんでも知りたい」「所持したい」「自分も作りたい」
そういう『毎日毎日インターネットにかじりつく知識欲に駆られた人』を批判するだけの人
この増田を読んでる君みたいな『文は読むけど考えない』人が僕は嫌いだよ。
外に出なよ。
ボードゲーム自体は好き。完全情報、不完全情報問わずに、人と頭脳で対戦することは非常に楽しいと感じる。
趣味がボードゲームの人に共通しているのは、知らない人に自分が知っているゲームを教えて一緒に遊ぶのが好きということ。
そういう連中が集まると、まずその場にあるボードゲーム全種類を確認。
そして時間が許す範囲で「一番誰もやったことのないモノ」を選ぶ。
君はまだ知らないけれど、僕はこんなに面白いものを知ってるんだよ。共有してあげるよ!さぁ!
ゲームというものである以上、勝敗がつく。人狼であれば村人か狼のどちらかが勝つ。
ただ、なぜかその勝ち負けには強くこだわらない人が多い。
勝ち負けにこだわる人は「ボードゲームが趣味」とは言わない。上の例なら「人狼が趣味」となる。
僕の知っているこんなに面白いものを君に教えてあげられたことがプライスレスなんだ。
人に教えるのも好きだが、自分も、少しでも知らないゲームがあればやりたがる。
自分が知らないゲームがあると事前に調査して、財布が許せば購入なりして所持をする。世界中のゲームを知りたいんだ!
もちろん所持していればみんなで集まる場所に持っていくよ!
あと、君も知らないゲームを知りたいでしょう?僕は君の知らないこんなものを持ってるんだぜ?
たくさん所持したあと次に考えるのは「ぼくのかんがえたさいきょうのぼーどげーむ」だ。
「そのゲームはここだけが悪いんだよね、ここを外してそれに対応するルールをちょっと追加して」
「ゲームはそのままでいいんだけど、オリジナルでデザインだけ変えたの作ってみよう」
完全にオリジナルのものをイチから作り上げる人はまずいない。いつも何かの劣化コピー。極々極々希に良いものが出来ることもあるが本当に希。
「人に教えたい」「自分もなんでも知りたい」「所持したい」「自分も作りたい」
この増田を読んでる君みたいな人が僕は嫌いだよ。
外に出なよ。
938 ソーゾー君 [] 2013/12/17(火) 22:10:06 ID:Kp/JVPJo Be:
福島の子供達は既に被爆している・・とんでもない量だ・・既に未来は奪われている。
放射能の影響でDNA自体が破壊され遺伝子情報が変異破壊されている。
だから子供を作れば見てわかる奇形児が生まれる確率が羽上がる。
姿形は問題なく知能も機能障害も無い子供が生まれても破壊されたDNA情報は遺伝子体ので
世代を重ねる後とに発生率が上がる・・
既に未来は奪われている・・そして多種多様なガンを発病して苦しみ抜いて死ぬ。
これを隠したいから脱原発を騒いで「早く救おう」と嘘を吐く・・
もう救えないの・・残念ながらね・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
941 :ソーゾー君:2013/12/17(火) 22:37:34 ID:Kp/JVPJo
昔からだアホ・・今に始まった事じゃねーよ・・
欧米日は昔から垂れ流しだ・・だから若年性の多種多様な癌が発生してるんだろ?
高校生が急性白血球病?どう考えても原発が垂れ流す放射能のの影響だ。
脱原発派も原発推進派も普通に稼働したら放射能汚染はないと言うけど大嘘だアホ。
普通に垂れ流しなんだよ・・だから若年性の多種多様なガンで若者が死ぬんだよアホ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
938 ソーゾー君 [] 2013/12/17(火) 22:10:06 ID:Kp/JVPJo Be:
福島の子供達は既に被爆している・・とんでもない量だ・・既に未来は奪われている。
放射能の影響でDNA自体が破壊され遺伝子情報が変異破壊されている。
だから子供を作れば見てわかる奇形児が生まれる確率が羽上がる。
姿形は問題なく知能も機能障害も無い子供が生まれても破壊されたDNA情報は遺伝子体ので
世代を重ねる後とに発生率が上がる・・
既に未来は奪われている・・そして多種多様なガンを発病して苦しみ抜いて死ぬ。
これを隠したいから脱原発を騒いで「早く救おう」と嘘を吐く・・
もう救えないの・・残念ながらね・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
938 ソーゾー君 [] 2013/12/17(火) 22:10:06 ID:Kp/JVPJo Be:
福島の子供達は既に被爆している・・とんでもない量だ・・既に未来は奪われている。
放射能の影響でDNA自体が破壊され遺伝子情報が変異破壊されている。
だから子供を作れば見てわかる奇形児が生まれる確率が羽上がる。
姿形は問題なく知能も機能障害も無い子供が生まれても破壊されたDNA情報は遺伝子体ので
世代を重ねる後とに発生率が上がる・・
既に未来は奪われている・・そして多種多様なガンを発病して苦しみ抜いて死ぬ。
これを隠したいから脱原発を騒いで「早く救おう」と嘘を吐く・・
もう救えないの・・残念ながらね・・
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
以前、ブログ飯(2013/6/21発売)という本を買って読んでみた。
読んだ感想としては、至極まっとうなことが書かれているなと思ったと同時に
なんかどっかでみたことがある内容というか既視感というのを感じた。
んで、今日たまたま昔読んでいたブログ記事をもう一度読み返していたんだけど
ブログ飯の2章から3章に書かれていることと、内容というか切り口がほとんど一緒だったのよ。
その記事がこれ
アクセスがたくさん集まるブログを作るための12の心得(とりあえず) | WP-D
http://wp-d.org/2012/12/03/1382/
今回気づいたのを例に挙げるとこんな感じ。
http://books.google.co.jp/books?id=y4idKC8DLqcC&hl=ja&source=gbs_navlinks_s
WP-D
言葉は悪いですが「馬鹿になれるくらい好きなこと」をやり続けることが大切です。AKBでもガンダムでもゲームでもなんでもいいんです。時間を忘れて没頭できるぐらいのモノをテーマにすることで、あなたの情熱や躍動感が感じられる文章になります。そんなブログには自然と人が集まってくるもんです。
ブログ飯
言葉は悪いですが「馬鹿になれるくらい好きなこと」をやり続けることが大切です。AKB48でも、ガンダムでも、ゲームでも、対象はなんでもいいのです。時間を忘れて没頭できるぐらい“好きなもの”をテーマにすることで、あなたのブログは唯一無二の情報がたくさん詰まった、「お客を呼べる」ブログになります。
WP-D
誰に何をどうやって伝えるか
「なぜそのブログをあなたが始める必要があるのか」「誰にあなたのメッセージを伝えたいのか」「どのような表現手法であなたのメッセージを分かりやすく伝えるのか」ということを考えてみましょう
ブログ飯
誰に何をどうやって伝えるか
●「なぜそのブログをあなたが始める必要があるのか」 ●「誰にあなたのメッセージを伝えたいのか」 ●「どのような表現手法であなたのメッセージを分かりやすく伝えるのか」
WP-D
ブログを始める理由なんてなんでも構いません。備忘録として記録に残しておきたい、美味しいランチを食べたので紹介したい、自分の持っている知識・経験をシェアしたい、同じ趣味の仲間と交流したい、お金を稼ぎたい、自分の思想を広めていきたい。最初はこのような理由で充分です。ブログを更新し続けていくと、次第にあなたの考え方やキャラクターが文章ににじみ出てきます。それがあなたの個性ですし、その個性を受け入れてくれた人がブログのファンになってくれます。
ブログ飯
ブログを始める理由自体は、さほど重要ではありません。備忘録として記録に残しておきたい、美味しいランチを食べたので紹介したい、自分の持っている知識・経験をシェアしたい、同じ趣味の仲間と交流したい、お金を稼ぎたい、自分の思想を広めていきたい。最初はこのような理由で十分です。
ブログを更新し続けていくと、次第にあなたの考え方やキャラクターが文章ににじみ出てきます。それがあなたの個性ですし、その個性を受け入れてくれた人がブログのファンになってくれます。
WP-D
例えば「銀座に勤務していてランチの場所を探している会社員」や「勤務時間外でいかに自分の時間を上手に創りだすか悩んでいる会社員」、「新しい技術の実装をしたいと考えているプログラマー」、「アクセスアップの方法を探しているブロガー」、「アフィリエイトで稼いで会社を辞めたいと思っている人」等々、世の中には多種多様の考えを持っている人が存在します。こちらもターゲット層向けに書こうと意識しておくだけで、表現方法が変わってきます。
ブログ飯
例えば「銀座に勤務していてランチの場所を探している会社員」や「勤務時間外でいかに自分の時間を上手に作りだすか悩んでいる会社員」、「新しい技術の実装をしたいと考えているプログラマー」、「沖縄旅行を予定していてオススメの観光スポットを探している夫婦」、「アクセスアップの方法を探しているブロガー」、「アフィリエイトで稼いで会社を辞めたいと思っている人」等々、世の中には多種多様の考えを持っている人が存在します。こちらもターゲット層向けに書こうと意識しておくだけで、表現方法が変わってきます。
WP-D
いきなり全く正反対のカテゴリに入ってみろとは言いませんが、週刊少年ジャンプが好きな人だったらマガジンを読んでみる。マクドナルドが好きだったらバーガーキングに行ってみる。このように隣合うようなカテゴリを覗いてみる事で、全く違う体験や共通するポイント、両者の違いなどを感じることができます。もう少し枠を広げて、ハンバーガー業界の店を全て回ってみてもいいでしょう。この比較自体もネタになりますし、成功している店舗の共通点を見つけることもできるでしょう。自分の居心地の良い小さなコミュニティに閉じこもっているだけでは決して得ることができない体験を、カテゴリの壁を越えることで学び取ることができるのです。
ブログ飯
例えば、「週刊少年ジャンプ」が好きな人だったら「週刊少年マガジン」も読んでみる。「マクドナルド」ばかりだったら、時には「バーガーキング」に行ってみる。このように、隣り合うカテゴリを覗いてみることで、全く違う体験ができるかもしれません。逆に同じ体験であれば、共通するのはどこかを考えると、そのジャンル全体の特性をより深く理解することにつながるでしょう。逆に同じ体験であれば、共通するのはどこかを考えると、そのジャンル全体の特性をより深く理解することにつながるでしょう。「バーガーキング」だけに満足せず、もう少し活動範囲を広げて、ハンバーガーをメインにしたファストフード店全てを回ってみてもいいでしょう。ここまでやれば、この行為自体がすでにブログのネタになります。
WP-D
ブログにアクセスが集まらないと悩んでいる人は、他の人と同じような内容を載せていたりしませんか?一つの事象を大多数の人と同じ視点で見て、そのまま記事にしていませんか?そのような一般的な内容のブログをわざわざ読みに行きたいと思いますか?他人との違いを恐れずに、むしろ他人との差こそが価値になるということを認識し、あなた独自の見解を交えた記事を書いていきましょう。
ブログ飯
ブログにアクセスが集まらないと悩んでいる人は、他の人と同じような内容を載せていたりしませんか? 一つの事象を大多数の人と同じ視点で見て、そのまま記事にしていませんか? そのような一般的な内容のブログをわざわざ読みに行きたいと思いますか? 他人との違いを恐れずに、むしろ他人との差こそが価値になるということを認識し、あなた独自の見解を交えた記事を書いていきましょう。
他にもいっぱいあったのだが、余りにも多すぎて書ききれない。
もちろん、本に書いてあるのはすべて同じというわけではないのだけど
個人的にはこの法律が成立することに賛成の立場だけれども、今回法案が提出されてから成立までの間の反対派の発言や主張を見るにつけ、非常に残念な気持ちになったのでここで意見したい。というのは、この国の少なくないメディアはこの法律が成立することに反対の立場だったようだけれども、意見の述べ方や反対活動のやり方が非常に感情的で、そして稚拙だったからだ。仮に自分が反対の立場だったとすると、「おまえら本気でやる気があるのか」と言いたくなるような、只々感情的に、非論理的な恐怖を煽るだけで、実効性や有効性をまるで度外視しているようなやり方だったからだ。
連立与党は衆議院と参議院で過半数を占めており、小学生程度の頭があれば数の論理で法案は成立してしまう。本当に国民のためにこの法案を法律として成立させてしまってはならないと思うならば、法案の内容をよく吟味して、法案を提出した側も耳を傾けざるを得ないような、踏みとどまらざるを得ないような急所を突くような意見を述べたり代替案を示すことで、本国会での成立を延期させるという方法を取るのではないか?
それを「知る権利が不当に侵害される」とか「そもそも日本に特定秘密にあたるような情報はない」とか「国家による言論統制の始まりだ」とかいうようなこの法案の本質からずれたような意見を、「ノーベル賞学者が反対を表明」とか「著名な芸術家・俳優が強く反対」とか声高に主張して、挙句に「国会に入ることを阻止する」とか、そんなやり方で何かが変わると本気で考えていたんだろうか。もしそうだとすると、反対意見を強く主張し報道していたメディアや論客の方々は、自分たちと同じ意見の国民に対して非常に不誠実だと言わざるを得ない。なぜならば、いくら感情的な意見や主張を繰り返したとしても、法案の中身の議論につながらないから。
同じことが野党、特に民主党に言えて、内閣不信任決議案なんて出して時間稼ぎしたって、結局数の論理で押し通されるのは当たり前で、もはや自己満足でやっているとしか思えない。「僕らは反対という姿勢を実効性を持って示しましたよ」というようなパフォーマンスにしか思えない。そんなことのために貴重な国会会期期間を浪費して、それにかかる費用を浪費して、何がしたいんだろうと思ってしまう。もしこの国の人々が政治に無関心で、そしてその傾向が諸外国に比べて強いという傾向があるなら、それはこういったくだらない茶番ばかりが繰り返されるからではないだろうか。
政府与党らがこの法案を提出したことにはどんな意味があるのだろう?ここ最近の中国、韓国、北朝鮮の国内事情・国際事情はどういった状況で、それが日本にどういった影響を与えているのか?アメリカの国内事情や対アジア外交の状況は?なんで機密情報に関する話が今出てきているのか?スパイ防止法が日本になく、日本は「スパイ天国」と言われていることに関連があるのか?スパイ活動ってそもそも何なんだ?それは例えば北朝鮮による拉致事件と関係があるのか?機密情報の管理、国益を損なうようなスパイ活動に対する罰というものは世界各国でどうなっているのか?そういった情報をフェアに提示して、新ためて今回の法案に対して賛成、反対の意見ふまえて報道を行うというのが、成熟した国家の報道なのではないのか?
今回の一件に関して、著名人や知識人を錦の御旗のように掲げて恐怖を煽るようなやり方で大衆を扇動するメディアや、意味のない時間稼ぎをするだけの一部の野党の姿をみて、まだまだ日本は成熟した国にはなれていないんだな、と感じ入った次第です。ただその残念な状況において、ネットの存在感と力はとても大きく感じられました。ネットに広がっている多種多様な意見を許容する空間が、今後確実にこの国において重要な価値を持って、希望にもなりえるということもまた見えた気もします。
『馬鹿と言う人が馬鹿』 これはもう疑いようのない事だと思う。
これについてこれから度々考察し、匿名ダイアリーに書くことにしようと決めた。自分の考えをまとめて整理する為だ。
この『バカとゆう人がバカ』といった言葉に、最初に出会ったのはいつであったであろうか。
過去を遡れば小学生の頃であろうか。・・いや、もの心がついて間もない時まで遡るかもしれない。
その時は自分も含め、親兄弟そして友達クラスメイト、はたまた恩師にいたるまで『馬鹿』とゆう言葉を多用していたように思われる。
「この馬鹿っ」「いやーぃバーカばーか」「うるせーよバカってゆうおまえが馬鹿だよ」「カーバ」「ばっかじゃねーの」
「馬鹿なんだからやめろよ」「んもう・・バカなんだから❤」・・・など多種多様な使われ方、使い方をしてきた。
この『馬鹿』という言葉について違和感や嫌悪感を感じたのはいつであっただろうか・・・
この疑問もきっと幼少時まで遡ることになるのだろう。
それほど馬鹿と言われるような行為をしてきたし、また短絡的に『馬鹿』と言ってしまう人物に囲まれた環境であったようにも思う。
ここで『馬鹿』と『馬鹿といわれるような行為』は分けて考えるべきだと提案したい。
理由は後で上手く説明できれば良いと思っている。
それで、馬鹿という言葉に対しての違和感や嫌悪感なのだが・・・
こんなもん言われたら嫌に決っているからだ。
なぜならば他者を『馬鹿』と断罪する人間は、決まってその対象者を見下し侮蔑しているフシがある。
この点については、異論など様々状況によって変わってくるであろうが、総じて『馬鹿』と他者対して言う人間は自分のほうが優秀だと思っている。
そして『馬鹿』と言ってしまう人間は言った相手に対して、考える事をやめてしまっている。
短絡的に『馬鹿』と断定し断罪し、慮ったり思いやったり、なぜ相手がそうなのかについて思考することをやめてしまう。
思考を停止して決めつけてしまう・・・。これはとても『愚かな』行為なのではないのだろうか。
まして『馬鹿』とゆう言葉を受け取った側の人間からすると不愉快極まりない。
その言われた瞬間に、相手から見下されてしまっているからだ。ここで怒らない人間はよっぽど出来た人ではないと無理だと思われる。
くだらないプライドを捨て、謙虚に真摯に『馬鹿』という言葉を受け止める。そういった人だ。
あほか!無理や!
日々そうゆう人間になりたいと努力は続けているが無理や!短絡的に『馬鹿』っていってくるような人間に謙虚などなれるかいっ!ぼけぇ
・・・少々取り乱してしまったが、本人が故意に間違いを犯したり、性根が曲がっていてワザと『馬鹿な行為』をしている場合ではないのに対し、
『馬鹿』だろ?「おまえバカだろ」などと言ってくる人間を、私は軽蔑するであろう。
なぜなら【人にされて嫌なことはすべきではない】と思っているからだ。
これは年を重ねていくうちに経験として、また他者から教えられて実感し学び身につけて来たことだと思う。
この点についてだけでも、他者に対し『馬鹿』などと言うことは良くないことだと明らかだと思われるのだが。
だって嫌な事されたり言われたりしたら不愉快じゃん。ムカムカイライラするじゃん。嫌われるじゃん。
別に嫌われてもしかたない場合もあるけれど安易に嫌われる必要ないじゃん。好きな子にフラれちゃうじゃん。
あと自分自身が『馬鹿』と言われる対象者ではなく、第三者の立場であった場合においても不愉快である場合が多い。
誰かが誰かに『馬鹿』と言われているのを聞いてしまったりする場合だ。陰口であったりした場合などは、なおさら最悪である。
まあ例外もあって、自ら『馬鹿と言われるような行為』を理解したうえで行った場合は別である。
「うわーい今日は白ーしーろしーろ白パーンツー」「ばっっかじゃないのっ!」
とかいった場合は『馬鹿』と言われても仕方がない。自ら解っていてやっているのだ。
しかしこれについてもスカートめくりをした本人が『馬鹿』なのではなく、スカートめくりという『行為』が『馬鹿』なのだ。
なぜなら・・・なぜならスカートをめくった本人は相手の女の子を好きであったりするかもry)
その人自身が『馬鹿』なのではなく『馬鹿』といわれる行為があるだけだ。
『馬鹿』と言われる『人間』があたかも存在し、またそれが当たり前かのように思われているかもしれないが、
それは『馬鹿』と他者に対して言ってしまっている人間が創り出し、短絡的に決定付けてしまっているにすぎない。
この言葉を意識し、本当に考え始めたのはいつだったろうか・・・
やはりトム・ハンクス主演の映画[フォレスト・ガンプ]を見てからだったように思う。
あの映画の主人公は、自分の話し方や行動行為で、他者から絶えず『馬鹿』(gump)と言われていたはずだ。
そして言われるたびに主人公は言い返すのだ。『馬鹿と言う人が馬鹿』であると。
映画を観た方ならわかると思うが、はたして主人公は『馬鹿』であっただろうか。
決してそうではなかったはずである。
昨今インターネットを閲覧していて、とてもよく見かけるのだ・・・短絡的に他者を馬鹿よばわりする人を。
安易にそういった言葉で他者を避難したり卑下したり揶揄したり見下したりする人たちは、自分がされる場合になったら嫌ではないのだろうか。
果たしてその対象者は『馬鹿』と断ずるに値するのであろうか。ただ単に経験が足りなかったり、知識がなかったり、知らないだけだったり、はたまた勘違いをしていたり。
そういった事なだけではないのだろうか。
上記のような状況を私はインターネットや私生活で見聞きしたりする度に、悲しくなったり深く考えたり、気分が悪くなったりするのだ。
そして
嘆かわしいとゆうか悲しいとゆうか驚くのだが、「知識人」と呼ばれている方などに特に多く見うけられる気がする。
ある程度の地位などに就いている方なども、そういった傾向がある気がする。
そしてだ。こういった方々は必ずといっていいほどブーメラン現象をみせてくれたりする。
自分が行っていた行為や言説で、自ら墓穴を掘ったりしてしまうのだ。
はたから見ていて目も当てられない。
最悪な事に、自分が間違ったとしても認めなかったりもする。間違っているのにもかかわらず、自らを省みずに他者を攻撃し続けたりもするのだ。
恥ずかしくはないのだろうか・・・もはやそうゆう感覚もないのだろうか。
それとも自分だけが正しく、まわりは間違っているに決まっていると思い込んでしまっているのだろうか。
他者をすぐ『馬鹿』だと断定してしまう人に、こういった事例が多い傾向があるように思われる。
こういった事こそが愚かで『馬鹿』な行為なのではないのだろうか。
確かに解らなくもないのだ。
知識がある方からすれば、知識がない人は愚かに見えることもあるだろう。
経験を積んだ年長者から見れば、若い人々の行為が愚かに見えることもあるだろう。
知っていて当然だと思う事を知らなければ「え?」っとなる気持ちもわかる。
出来て当然だと思える事ができなければ「なんで?」となる気持ちもわかる。
しかし気をつけて欲しい。果たしてそれは知っていて当然なのだろうか。出来て当然なのだろうか。
知らない事に対して理由があるのではないのだろうか。
出来ない事に対して理由があるのではないのだろうか。
出来る人はできない人の気持ちはわからないのだ。
目が見える人に目が見えない人の気持ちはわからないのだ。
歩ける人に歩けない人の気持ちはわからないのだ。
若い人に年老いてしまって体が不自由な人の気持ちはわからないのだ。
高等数学を苦もなく解ける人に算数でつまずく人の気持ちはわからないのだ。
語学が堪能な人に国語の勉強でつまずく人の気持ちはわからないのだ。
会話が得意な人に吃音で悩んでいる人の気持ちはわからないのだ。
赤ちゃんが何故なくのか日々生活に追われる大人や子育てをしたことのない人にはわからないのだ。
または忘れてしまっているのだ。
まだまだたくさんあるだろうけど、今挙げた例は逆もまた然りなのだ。
経験していない事、出来ない事や立場については理解することは難しい。
きっと何かについて苦もなく出来てしまう人は、出来ないという経験を積む事がないから
悩んだり苦しんだりする気持ちがわからないのだ。
悩んだり苦しんだりという感情を経験してないから、そういった感情自体を知らないかもしれない。
あまりにも出来てしまう人はきっと悩んだり苦しんだりする経験が薄すぎるから、感情が希薄になってしまう事もあるのかもしれない。
怖い事なんだけど、有能だと言われている人にはこうゆう傾向があるように思える。
・・・これはまた別の問題かな。今回の『馬鹿とゆう人が馬鹿』といった問題とは別かもしれない。
さて・・・
しかし、だ。
それら理解できない状況や立場、行動行為、人などを『馬鹿』と断定してしまって良いのだろうか。
切って捨ててしまっていいのだろうか。
理解しようとせずにいていいのだろうか。
それではあまりにも短絡的すぎるのではないだろうか。
思考停止と言えるのではないだろうか。
短絡的にすぐ断定したり、思考を停止させてしまう行為こそが愚かなのではないだろうか。
決め付けや憶測での価値判断こそ『馬鹿』な行為ではないだろうか。
高度な事を教えるのなら段階的に教えればいい。
基礎の事から学ぶように導けばいいだけの話だ。
なぜそうなるのかわからない場合、局所的な事実では見えない事もあるのだから、大局的な捉え方に目をうながすのも良い。
ちょっと立ち止まって思いやったり想像したり、相手の立場になって考えたりしてもいいのではないだろうか。
自分が上手く説明できたりするようになればいいのではないだろうか。努力してみたらいいのではないだろうか。
そういった姿勢や考えこそが賢く、【利口】と言えるのではないだろうか。
ふぅ~・・・ここまで書いてきて今気づいたのだが・・・あまりにもまとまりが無い。
文体、文脈、論理展開など滅茶苦茶じゃないだろうかこれは・・・。
このテーマについてはまたこれからも考察したりしていこうと思っている。
自分が他者にたいして短絡的に『馬鹿』などと言わない人になるために。
だが人に言われるのは好きじゃない。
じゃあ、広告代理店との違いは何でしょう?
多種多様なユーザーがGoogleのサービスを使うことでその行動パターンをGoogleが収集し、
収拾したデータを分析して顧客が打ちたい広告が最も効果を発揮できるポイントを提示することが出来るからです。
広告の肥やしを提供してくれるユーザー数が多ければ多いほどその分析データの信頼性が増します。
なので数はとても重要です。
第二に「ユーザーの性質が偏っていないこと」です。
データ取得する対象の性質に偏りがあると、顧客によって広告効果にバラつきが出てしまうため
ユーザーの性質(貧富、知能、性格、性別、年齢、嗜好、その他諸々)は万遍なく取り揃える事が肝要です。
それにより、偏ったデータを求める顧客には偏ったサンプルを分析すればいいし、
普遍的なデータを求める顧客には多種多様なサンプルを分析すればいい、という
以上の事から結論付けられるGoogleがすべき最善のユーザー獲得方法とは「手当たり次第にユーザーを囲う」です。
だから無償で検索エンジンを提供するし、無償でメールサービスを提供するし、無償でオフィスソフトを提供するし
無償でビデオ配信サービスを立ち上げるし、無償でオンラインストレージを提供するし、無償でOSをばら撒くわけです。
それが自社の最大の柱である「広告事業」をより強靭にする補強策だからです。
ここでたまに「単独企業に個人情報を握られるのは危険だ」と主張する人もいますが、それは正しくもあり間違ってもいます。
ただ、むしろGoogleにとって個人を特定可能な情報はノイズです。
データ分析の邪魔です。無駄にテーブルのカラムを消費する「危険物」です。
万が一漏れたら自社に莫大な損害をもたらすのに、それを収益改善に役立てる方法など持ち合わせてないからです。
そういうデータだと自覚しているからこそ、儲かった金をふんだんに使ってシステム組んでるわけですね。
顧客囲い込みの為にGoogleが足を踏み入れた業界は悲惨な目に遭います。
そりゃ、競合相手が独立採算を無視した廉価戦略(廉価どころかゼロですがw)で攻めてくるので
体力があっても「ただ客を囲えばいい」というとてもシンプルな戦術を
莫大な資金力でゴリ押ししてくる敵に攻め込まれてパニックを起こさない企業はほとんどありません。
結果、安易に相手の土俵に上がって無償サービス化して自滅するケースが非常に多い。
当初から無償で戦術考えてるGoogleと、当初有償で付け焼刃的な無償化に走る企業では勝負になりません。
しかし、かといって己を信じて有償を貫くのも厳しい戦いです。Google以上に資金力が必要になるわけですから。
Googleさんが攻めてきそうにない土建屋あたりは安泰かな?
こういう人が新興宗教にハマりやすい、というサンプルケースか?w
まぁ、毎日多種多様な人と接してるとケーススタディが蓄積されて、パっと見でその人がどんなタイプかって当てやすくなるんだよね。占い師しかり、マッサージ師しかり。
「人を見る目」と言い換えてもいい。魔法でも才能でもなんでもない、例えば膨大なデータベースを持つGoogleの検索が他より優れているってのと同じ話だ。
その「目」を、人を騙したり抱き込んだりする目的で使ってるのがこれだな。その手口に、世間知らずで素直な人、性善説だけをベースに思考してる人ほどコロっといっちゃう。世知辛い話だけど。
そうやって色々と言い当てられたことは「おーよく見抜くなー、さすが接客業」と感心するだけで済ませればいいのに、加えてその相手が言うことは全て正しいみたいな錯覚に陥る人があぶない。あげく勝手に自己啓発しちゃったりその相手を無条件に信用あるいは崇拝しちゃう人が危ない。優れたGoogleで検索したサイトはぜんぶ善良で安全なサイトだと思い込むのと同じ話だ。
人を見る目があることと、その人のアドバイスが的確かどうかは全く別問題なのにね。
つ 裁判官
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98
日本の下級裁判所の裁判官は旧司法試験に合格した者か、もしくは法科大学院課程を修了し新司法試験に合格した者で、司法研修所における司法修習を終え法曹資格を得た者の中からすぐに判事補として任命される者が多い。そして、10年の実務経験を経て再任時に判事になり、そのまま裁判官としての経験を重ねていく、いわゆるキャリア・システムによって運営されている。この点、アメリカなどで行われている法曹一元制とは異なる.
(略)
キャリア裁判官(職業裁判官)はさまざまな立場を実体験として経験する人生経験に乏しいことから、「裁判官は世間知らず」であると揶揄され[3]、裁判官の判断が世間一般の常識と乖離し、恣意的であるとの批判がある。心神喪失などの概念を容易に使用して加害者を処断しない事例や、性犯罪についても常識から離れた判決が散見されるとの意見も出ている[4][5][要検証 – ノート]。また、弁護士側からも、直接当事者と接する機会がなく、他人からの批判を受ける機会に乏しい裁判官は「世間知らず」と指摘する意見がある。これに対して、裁判官側からは、多種多様な事件を扱うことや、地方勤務によって弁護士とは質的に異なる経験を積むことができるなどとする反論もある[3]。
まず、ググれ。
日本の下級裁判所の裁判官は旧司法試験に合格した者か、もしくは法科大学院課程を修了し新司法試験に合格した者で、司法研修所における司法修習を終え法曹資格を得た者の中からすぐに判事補として任命される者が多い。そして、10年の実務経験を経て再任時に判事になり、そのまま裁判官としての経験を重ねていく、いわゆるキャリア・システムによって運営されている。この点、アメリカなどで行われている法曹一元制とは異なる。日本の憲法上、下級裁判所の裁判官は10年の任期制になっているが、再任が原則で、宮本康昭(宮本判事補再任拒否事件)や井上薫など再任拒否されるのはごく一部となっている。
なお、裁判所と検察庁では判検交流と呼ばれる人事交流制度があり、検察官から裁判官になる者がいる。また、弁護士任官制度が導入されており、数は少ないが弁護士から裁判官になる者もいる。逆に、裁判官を辞めて弁護士になる者も少なくないが、これらの元裁判官弁護士は、俗に「ヤメ判」弁護士と呼ばれる。
キャリア裁判官(職業裁判官)はさまざまな立場を実体験として経験する人生経験に乏しいことから、「裁判官は世間知らず」であると揶揄され[3]、裁判官の判断が世間一般の常識と乖離し、恣意的であるとの批判がある。心神喪失などの概念を容易に使用して加害者を処断しない事例や、性犯罪についても常識から離れた判決が散見されるとの意見も出ている[4][5][要検証 – ノート]。また、弁護士側からも、直接当事者と接する機会がなく、他人からの批判を受ける機会に乏しい裁判官は「世間知らず」と指摘する意見がある。これに対して、裁判官側からは、多種多様な事件を扱うことや、地方勤務によって弁護士とは質的に異なる経験を積むことができるなどとする反論もある[3]。
民事再生手続開始の申立てに関するお知らせ
そもそもこれだけしっかりしたプレスリリースを用意していたということは、民事再生を申し立てることについては随分以前から検討していたことが推測できる。
そのような状況下、金融機関様やお取引先様等からのご不安を招き、資金繰りが逼迫する状態となりました。そのため、今般、自主再建は極めて困難であるとの判断に至り、民事再生手続きによる再建に踏み切る選択をした次第です。
約245億円
スポンサーがつくのであれば通常民事再生は申請しない。オリンパスがいい例。ソニー含めて国内外の企業が食指を動かしていた。しかし、インデックスに対しては、会社に金を入れたいという企業はどこもなかった。負債が重すぎるという発想。ただ、事業としては価値があるものがあるから、民事再生を申請。当然、タカラトミーには事前に打診しただろうが、あっちはあっちでRC2の立て直しが上手く行っていないので、どうにも手を出しようがなかったのだろう。
3. 今後の見通し
今後は、裁判所及び監督委員の監督のもと、事業を継続し、再建を図る所存です。デジタルゲーム事業をはじめとする弊社の事業自体は順調に推移し、また、スマートフォンに代表される多種多様な機能を持つ携帯電話端末の普及により、ソーシャルゲームをはじめとして提供可能なサービス領域の拡大を加速させており、今後も成長が見込まれます。そこで、当社は、当社事業の事業価値を毀損させることなく再建を実現させるため、迅速にスポンサーを募集・選定の上、事業譲渡を実施することを検討しております。
ということで事業譲渡を検討を示唆。ただ、通常民事再生申請前にはスポンサーを募っているはずで、それがまだ開示されていないということは、資金繰りがショートするタイミングまでにスポンサーを見つけることができなかったということ。循環取引が発生している事業群を何の調査もなしに買うことはできないから、これは致し方ない所。
なお、当社取締役会長である落合正美と代表取締役社長である落合善美は、本件に至った事態を極めて重大に捉えており、民事再生手続について一定の目途が立った段階で辞任する意思であります。また、落合正美と落合善美は、事業譲渡が実施された場合でも、事業の譲受先の経営に関与する意思は有しておりません。
民事再生を申請した企業でここまで踏み込んだ経営責任についての言及は普通はない。銀行、取引先に対して再生に対して強くメッセージを発したいという意志が見て取れる。
また、当社が平成25年5月15日付「調査委員会の設置に関するお知らせ」にて発表しましたとおり、修正を要する会計処理に関する事実関係等の詳細を把握するため、法律・会計分野の専門家を交えた調査委員会を設置しておりますが、当該調査については、継続いたします。かつ、当社が平成25年6月12日付「金融商品取引法違反容疑による証券取引等監視委員会の調査について」にて発表しましたとおり、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の容疑で、証券取引等監視委員会の調査を受けておりますが、当社といたしましては、引き続き当該調査に対して全面的に協力して参る所存でございます。これらの調査につきましては、進展があり次第、速やかにご報告申し上げます。
これがはっきりしないと買ってくれる会社はないと分かっているので、ちゃんとアピール。
5.本件に関するお問合せ先
関わっている弁護士事務所が多い。恐らく、各所に点在するインデックスの子会社群を捌ききるためにチームビルディングをしたと推測。これから、この弁護士事務所経由で、バラ売りセールが始まる。
去年くらいから、仕事柄、お金を持っている人たちと仕事をすることが多くなった。
お金を持っているの基準としては、一生食べるには困らなそうな人たち。具体的には、3億以上の資産を持っている人たち、といえばいいだろうか。もちろん飛び抜けてお金を持っている人もいれば、数億の人もいるのだけど、だいたい3億以上あれば毎日働かないで暮らせるので、私からしてみれば同じだ。
そして、お金持ちと友達になることで、気づいたことがいろいろある。こういってしまっては何なのだが、お金持ちたちは非常にワンパターンなのだ。
貧乏な人たちは多種多様である。すごくおもしろいやつ、変わったやつがいたり、最高にいいやつから、最低に悪いやつまでいろいろいるが、お金持ちはほとんどパターンがない。もちろんこれは絶対的に貧乏の数のほうが多いわけで、数が多いから多種多様であるだけなのかもしれないが、それにしても、である。
おそらく、お金持ちの行動や考え方のパターンが似通っているのは、それなりの合理性があってのことなのだろう。逆に、そのワンパターンの行動を真似すれが、お金持ちになれる可能性があがるのかもしれない。
そこで、私が知ったお金持ちたちの共通点をまとめてみた。何かの参考になればと思う
お金持ちはとにかく親切である。異常と思える親切なことをしてくれる。金銭的な面だけじゃなくて、「こんな大物がこんな手間をかけてくれるなんて」と驚くようなことまでしてくれたりする。
これはおそらく、親切にして得られる信用は費用対効果がいい、とわかってやっているのだと思う。とある社長がやってくれたこと(だいたい社長個人の作業として30分くらいかかりそうなこと)で、私は感激し、数百万円くらいの仕事を紹介したことがある。数百万円は大きな会社にしてはたいしたことがない数字かもしれないが、それでも30分くらいの手間で、数百万円の売上が立つなら、悪くない投資である。
お金持ちはとにかく無駄遣いをしない。100円で買えるものが150円で売っていたら、滅多なことでは払わない。お金持ってるからいいじゃないか、と私が思うようなことでも、無駄なものには一切お金を払わない
うまくいえないが、お金を流すということを意識しているのではないか。自分のところに貯めておかずに、流れをよくすることで、より自分にお金がはいるようにしているのだと思う。
いわゆる投資もそうだが、若い人やこれからの人を支援したりすることには時間とお金を惜しまない。そのことでよりお金が回ることを知っているからだ。
お金持ちは周りを大切にする。無駄遣いは一切しない代わりに、友人に贈り物をしたり、私のような一般人に高級なディナーをおごったりする。
これは、その行為を投資だと思ってるのかな、と思ってたのだけど、そこまで合理的ではない。ただ周りの好きな人間を大切にしたいという気持ちのようだ。
お金持ちは勉強をする。とにかく本を読む。講演を聴く。人から教えてもらう。
勉強したことが無駄にならないことをわかっているからかもしれない。
お金持ちは語るより聴く。人にたいして自慢話をしたりはあまりしない。むしろ人から話を聞こうとする。
考えてみれば当たり前で、自分の話をするメリットより、人の話を聴くメリットのほうがでかいわけだ。ペラペラ自分の話ばっかりするお金持ちはあまりいない。
お金持ちは挑戦をする。やったことないことや、苦手なことをやってみようとする。たとえば、ゲームセンターなんかにいかない人たちだが、たまたまいったら流行っているゲームをやってみようとする。普通の人は面倒になって見てるだけだったりするのだが、積極的に挑戦をしようとすることが多い。
失敗するリスクの低さと、経験のリターンの大きさを知っているのだろうか。
お金持ちは短期的にネガティブ、長期的にポジティブである。よくお金持ちはポジティブな人が多いと言われるが、実際には、そうでもない。短期的には悲観的だったり不安に思ってたりすることが多い。避けられる失敗はなるべく避けようとする。
一方で、将来的に自分がどうなるか、などに関しては驚くほどポジティブである。長期的に悲観になっても無駄だということを知っている。逆に、短期的に「まあいいか」と楽観的になると、のちのち悪いことが起きるのを知っているので、目の前のことに対しては真剣に考える。
私が知っていることをまとめてみたが、実際にまとめてみると驚くほどシンプルである。だがこれを全部できてる人はなかなかいない。
お金持ちになりたいと思っている人は、マネしてみるといいことがあるかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20130406194343
あのな。一番上の親記事をよく読め。
誰も電子書籍の話なんてしてねえんだよ。
お前が話逸らすから本題に戻したんじゃねえか。客観性がないのはどいつだよ。
だいたいな、紙媒体と比較したら電子書籍化で出版までの手順は減らせるだろうが、それでも作者が本当に一人きりで作った物語なんざたかが知れてるんだよ。
何しろそこには、出版前に改めて原稿を傍から見直してくれる、他者の目という客観性が欠けているからな。
そう、人に「客観性が欠けている」とか言っちゃってるお前自身にこそ欠けている“客観性”だよ。
まあ一応電子書籍の話にも付き合ってやるけど、
電子書籍になろうが紙媒体のままであろうが、なるべく大勢の客に対して受ける物語を書かなきゃいけないのは変わらないんだよ。
お前の言い分はこうだ。物語の媒体が紙から情報端末へとシフトする事によって客層が変化し、顧客はより細分化された好みにのっとった物語を求めるようになる。ラノベテンプレは今より多種多様なものとなり、大きく変わってゆく。
より個々人の好みに沿った物語をお届けする事が電子書籍のニーズとして求められている、ってお前は言うんだろ。
だがな、電子書籍の各種サービスも始まってしばらく経つが、売り上げの上位がそんなマニアックな嗜好を満たす物語であった事があったか?
大体みんな話題作とか大きな賞の受賞作とか、そのとき旬を迎えてる作品ばっかりだったろ?
全盛期に比べればだいぶ出る数が落ちてます。
しかも今後持ち直す気配が全く無いですし。
5がいまいちインパクトが無かった機種で、さらに次は5Sですから売る方としても難しい日々が当分続きそうです。
最近iPhoneを契約してくださるお客様を見てるとスマホデビューの人がかなり多いんですね。
いわゆるガジェット好きっぽい男性は液晶サイズ5インチ級のハイエンドスマホを指名買いする傾向にあります。
従来のメイン層だったそういう人達に本当にiPhoneが売れなくなってる。
なぜiPhoneの売れ行きに陰りが見えて来たのか。現場で毎日お客様と話しているうちになんとなく自分なりに立てた仮説を書いてみます。
iPhoneで同時に売られているラインナップは最新機種とその前の機種の二つしかありません。今だとiPhone5と4Sですね。ここに大きな落とし穴があると思います。つまり、その端末は「自分で選んだもの」ではなく「appleから強制的に与えられたもの」なんです。
人間は他人から与えられたモノよりも、自分自身で選択して手にしたモノに愛着が湧く傾向にあります。
また、多くの選択肢から自分に最適なモノを一つ選ぶ行為に快感を覚えるとも言われています。皆さんもそういう経験あるのではないでしょうか。
アンドロイドは常時10機種以上のラインナップを揃えており、その中から好きなデザイン・欲しい機能・価格などを総合的に判断して自分の相棒となるスマホを選べます。この一連の流れを最近スマホを契約されるお客様は楽しんでらっしゃる気がします。
先日XperiaZという今のDocomoの売れ筋筆頭格を買われた男性は、一週間ぐらい毎日店頭に通われて端末を触りながら「やっぱりデカすぎるかなあ」「イヤホンのカバー開け閉め面倒かなあ」「S4待つべきかなあ(GALAXYの最新機種)」「風呂場で使えるのはいいなあ」「どうしよう どうしよう」と悩みに悩んだ末に契約してくださいました。その顔たるやもう晴れ晴れとした感じで、こちらとしても本当に嬉しいご契約だったんですが、そのお客様は色んな機種の中から迷いに迷って決めるという行為を楽しんでおられました。
そういう楽しみが今のiPhoneには無いんですね。もし5がそんなに気に入らなくても他に選択肢が無いので5にせざるを得ない。あるいは次の機種を半年や一年スパンで待つしか無い。ガジェットに詳しい人ほどそういう選択肢の狭さを嫌っているようです。
もちろんそういう状況でも4Sまでは本当に売れていましたがその頃は他に魅力のあるアンドロイド端末が少なかったからでしょう。ハード・ソフトの両面でiPhone4までは群を抜いていましたが、今はハードスペック的にはiPhone5を完全に凌駕したアンドロイド端末がいくつもありますし、お財布ケータイ・お風呂でも使える防水機能・ワンセグなど日本人に嬉しい機能もてんこもりです。4の頃とはiPhoneを取り巻く状況が大きく変わっています。
搾取か。いいキーワードだなあ。ごちゃごちゃ考えてた間は思い浮かばなかったよ。
確かに気軽に捉えて問題ないことなのかもしれない。問題視しないで、グレーゾーンのまま受け入れてしまえば無駄に悩むこともないのかもしれない。
でも同時に考えてしまえるからこその業だし、人間らしさなんだとも思うわけで。
実際人間以外にも似たような蛮行をやってる生命はいるんだけど、考えられるからこそ捕らえられてしまうというか、何だかんだ言って見えるものはみんな見てしまうものじゃない。
大仰に捉える必要なんてないっていう考えを撥ね付けたいわけじゃないけど、多種多様な在り方を受け入れるから混沌としていて趣きがあるんだなって感じてしまうんだよね。
清濁込みで生命万歳、人間万歳って感じ。要はごちゃごちゃしてるだけなんだけどもさ。
本筋とは離れるけど、相手がいるっていいもんだね。壁に向かって発信するよりずっと自然だ。