はてなキーワード: 不景気とは
90年代前半は円高方向に進んでて、失業率以外は不景気感はそれほどなかった覚えがある
土地再開発案件もあったし、流行り歌も小室哲哉、安室奈美恵、スピード、TRFとかアップ系
95年に阪神地震やオウムがあり、そこから3年で50円ぐらい円安、国外工場がヤバいとかで暗くなったね
97年の消費増税や銀行の自己資本比率規制が最悪の相乗効果をもたらして大手金融機関の破綻を招いて、生き残った金融機関も一気に貸し渋りと転じて急激な不景気を招いたのが大きいのであって、こういう薄っぺらいストーリーに沿ってじわじわと崩壊したわけではないよ。
定義上のバブル崩壊は91年から93年ですが、現実に社会情勢として大きな景気後退を招いたのは97年から98年にかけての大手金融機関の経営破綻です。バブル崩壊が現実に不景気として大衆に押し寄せたタイミングと言ってもいいでしょう。就職氷河期が深刻化するのもこの辺りからです。
はっきり言って阪神大震災とオウム真理教事件が立て続けに起こる95年までは景気のピークは過ぎつつも社会情勢は全く暗くないですし、後追いで教科書的な定義だけ見ても当時の情勢は理解できないと思いますよ。97年に書籍、雑誌、CD等の売上のピークがあったことを他の人が言及していますが、言い換えれば97年からピークアウトしているという意味で、完全に上向きのベクトルを失ったタイミングがここなわけです。
1990年代→新興宗教が毒ガスを地下鉄の駅に撒く。中学生が小学生を殺して生首を学校に置く。金融機関がバタバタと潰れて自殺者が年間3万人を超える。不景気が終わらない。これからどうなるのか。徐々に窒息していくような不安。躁鬱的な雰囲気。病的なヤバさ。
2000年代→アメリカ同時多発テロ事件。イラク戦争。リーマンショック。冷戦が終わったはずの世界がどこかおかしくなっていく。インターネットの普及が融和よりもむしろ分断を招く。小泉構造改革。民主党政権。なんとかしようとして余計に悪化した。永遠に続く不景気。
2010年代→東日本大震災。反原発。安倍政権。フェミニズム。インターネットが「ファクト」を分裂させ、いずれを信じるかで社会の分断が決定的なものになる。アラブの春。イスラム国。ロシアのクリミア占領。トランプ旋風。ブレグジット。世界が壊れてしまった感覚。
1980年代前半生まれなんだけど、小学校中学年の頃にバブル崩壊して、そこからやたら世の中やれ不景気だ、やれ不良債権だ、やれ就職氷河期だって言い出すようになって、山一も潰れて、銀行もどんどん統廃合していって、なんかもうその頃からずっと今もずっと日本って不景気なんだなって思ってる。
大学に進学した頃には「失われた10年」って言われるようになって、気づいたらそれが20年になり、30年になり、どこまで続くんだろうって眺めてる。
途中ITバブルとかあったらしいけど、全然実感ない。アベノミクスとかも自分の周囲で実感のあるやつは皆無だったろう。
今後も少子高齢社会で日本はどんどん元気なくなっていくんだろうなって思ってる。
違うな、元気がいい日本を想像できない、と言った方が正しいな。
ただ、ゲームの進化と共に成長できたのはいい時代に生まれたと思ってる。ファミコンからスーファミ、ゲームボーイ、プレステ、Wii、DSとかメジャーなハードは一通り触った。今はPS5をしてるけど、映像の進化や操作性の向上、物語の作り込み具合の進歩は凄まじいものがある。
工場の国内回帰云々とか言っていて電力料金高騰に文句言っている奴への怒りがある。
光じゃねーよ、怒りだよ。
なんでお前ら不景気止めてくれとか言って工場の国内回帰を要求して電気代高騰などで割を食うとコロッと変わる?
日本で必要な電気量増やすようなことに賛成しておいていて自分がわり食ったら寝返るとかダサすぎ……
チッ!、大体な、どの生き物も転生するときとかに生まれてくる時代や場所なんて選べねーんだよ。
オイラのような日本人よりも可哀想な人間はたくさんいるんだよ。外国に行けば馬車馬のような人間もいる。
金持ちの家の子供に生まれれば頑固な両親にいじめられながら育っていかなければならない。
アアン!?工場回帰賛成政党に入れなかった人間より入れた奴への怒りがあるよ
なんでお前らが投票して割を食ったら「早く俺らを助けろよ!」とか叫んでいるの
じゃあそんな政権への支持を撤回しろよ。国産品食材使う麺類の商品見たら心の中でもいいから舌打ちしてから食え。
都合良すぎだろ
コロナ以降の全部の選挙の時点でサプライチェーンの国内回帰にふざけるな!と言っていたそのような心が腐っていない人にしか公共料金高騰に怒る権利なんてないと思っている。
自分が公害被害の遺族だったらそん奴を考えたら顔を殴りたくなる
有権者が責められないからって舐めすぎ。安易に投票率上げるな。有権者はいつまでも開き直りできる社会が嫌い
票を投じて採用が言い渡される結果になった以上、選挙で暴君が当選したらその選挙でそこに票を入れた人も加害者。現政権支持者に現政権に舌打ちする資格ないよな……
生活や故郷を壊してでも豊かにしろっつて票を入れて生まれた現実なんだから初めから入れていないからしたら票を投じた人全員殺してやりたい気持ちになるよな
国防費増強に賛成している人が自分がワリを食う立場になると嫌だと言うような偽善者大嫌いだろ?
現在の日本は底を打った状態であり、年収で言えば平均年収443万円と非常に低いです。この平均年収には、10代から定年間近の人もすべて含まれます。現在の日本の富裕層には、昔、中流階級と言われていたクラスの人達が含まれています。世界と大きな差をつけられました。研究室なども、風前の灯火です。
また、近年までDXも一向に進んでおらず、今まで相当に非効率なまま働いていました。政府官僚たちがChatGPTを採用したのにも、仕事の効率化が念頭にあるものと思われます。
ただコロナ禍以後、急速にDXが進みました。街を歩いているといくらでも感じ取れるでしょう。また新人類世代・バブル世代が引退しはじめました。一方で就職氷河期世代とミレニアル世代が台頭してきました。そして人手不足が続いています。
給与の上昇は急激に進みました。多くの企業が一斉に動きました。そこでみな薄々感じたと思います。「なんだ、やればできるじゃないか」と。給与が上がっていない職場もあると思いますが、それも時間の問題であると思われます。
「上がった」ということが重要です。失われた30年でした。「物価というのは上がるのか」「株価というのは上がるのか」という、今まで世界だと思っていたものが実は象の上だったという感覚をみな持っていると思います。
伸びしろしかありません。今までやってこなかったのです。どうせ何をやったって無駄だという無力感。どうあがいてもどん詰まりという閉塞感。そういうものが少しずつ取り払われてきていると思います。
1日2時間やれば、平均的な人たちの20倍の学習量になります。2時間です。2時間というと大変ですが、20倍というのは20人分学習するということです。そんな人にはかんたんには勝てません。
企業のポストはガラ空きのことが多いです。「やってくれる人がいない」「できる人がいない」「そもそも人がいない」「やろうとする人がいない」というような状態です。急に人がいません。見渡してみると、上から下までいません。つまり、能力さえあれば出すよということです。稼ごうと思えば稼げるような状態です。能力の割には合わないのかもしれませんが、少なくとも「やってもやってもダメ」という穴を掘っても掘ってもゴールが見えないという時代では無くなってきました。
政府を当てにすることはできなくなりました。自分たちで稼がなければならないという意識が浸透してきたと思います。日本人は、システムを盲信しすぎてきたと思います。政府に文句を言うくせに、その政府を頼ってしまうという自己矛盾を抱えていたと思います。でももううっすら、政府なんかにまかせていられるかという状態になってきてはいませんか。自分たちでなんとかしないと死ぬんじゃないかと。
それから若者世代の学習能力は非常に高いです。今後、よくわからない時代になります。今まで通りのやり方じゃダメなんだと気付いて、どんどん変革を起こしていけるような人材が必要となります。下剋上の世の中になってきました。知識量の高低で争う世の中ではなくなりました。毅然と、正直さと誠実さを持ち情熱を持った人たちが正当に評価される世の中になってきていると思います。
日経平均株価が3万円に上げ戻りましたが、これはおかしなことです。なぜ海外の機関投資家は日経平均を買うのでしょうか。世界情勢がよくわからない中「やっぱり日本か?」という再評価の流れなのではないでしょうか。真相はわかりませんが、特段大きな材料は無かったと思います。思い出してほしいのは、3万円を上回ったのは、ついこの間を除けばバブル時代のころまでさかのぼるということです。
日本が貧しくなったことで、自分が稼ぎたい人たちは外に行ってしまいました。今現在日本にいるのは、敢えて残った人や帰ってきた人、それから単に外に出なかった人です。「海外ではうんたら」という人々は価値を生み出さなくなりました。ホームグロウンテロが出てきて、自分の身が可愛い人は息を潜めなければならなくなりました。
日本が安いということは、それだけ日本人が働けば働くほど稼げるということです。ハングリー精神が得られると思います。
景気というのは所詮、水物です。「なんだあ? 好景気にならねーじゃん」と思っているのではなく、「好景気になる」「好景気にする」と思っていれば、その様子は他の人にも感染します。あまりに感染しすぎて極端に楽観的になるのは勘弁ですが、良くなっていくと思います。
自己成就的予言という言葉があります。「うまくいくと思っていればうまくいく」というスピリチュアルめいた話です。しかし「うまくいかんと思っていたけどうまくいった」よりは、可能性がある話ではないでしょうか。
とくに日本人は「みんな頑張ってますよ」と言えば、がんばります。「みんながやってない」と勝手にみんなで思っていたから不景気だったのではないでしょうか。「やってるふうに見せかけていただけのやってない人」に目が行って、釣られていたのではないでしょうか。頑張りだけではありませんが、やればやっただけ返ってきやすいです。そして、海外が引いてくれたベストプラクティスにも乗れます。リープフロッグ現象が各地で見られるかもしれません。
もしかしたら全然好景気にならないかもしれません。でもそれで「ほーら、好景気にならなかったじゃないか」と当たったところで、意味はありません。
少なくとも、こういう「日本は好景気になります」などということが書かれたしっちゃかめっちゃかな記事がここに誕生しているということが、1つの事実として存在します。
日本の社会人の平均学習時間は1日6分、そのうちの95%の人の学習時間は0分。
これが日本社会の現実である。つまり何もスキルを身に着けようともせず、自分が学校を卒業したころ、自分が最初に就職したころと似通ったスキルで世の中を渡りきろうとしている人々がいる。あなたはどれほど学習しているか。
ほとんどの人は『努力』と『苦行』とを同一視している。これは教育の失敗によるのであろう。努力は苦しみを伴うことも多いが、苦しめばすなわち努力となるのではない。耐え忍べばいつかは救済が来るわけではない。苦行は意味がない。苦行ばかりしている人が多い。『わたしたちはいっぱい苦行をしている』と言い張っている。それは正しい。しかし努力をしなければならない。自分の意を通すために必要なことをすべてやる能力を努力という。
他責ばかりする者が多く見られる。『他責にするな』というのではない。どうして自分の人生のすべての責任を、完全に他人のせいにしてそれを受け入れていられるのか。人生の主導権を手放して、それで満足か。痛めつけられてきて、自らの未熟さを世間から突きつけられ続けたからかもしれない。蔑まれ、馬鹿にされ、からかわれ、侮辱される。どうせやっても無駄だと感じているか。無論、社会というものがクズに見えるのは仕方がない。クズな人間は目につきやすい。ノイジーマイノリティである。悪事千里を走るとも言う。ふざけたどうしようもない人物も実際に多くいる。そういうふうに社会を見れば、社会は「クズ」の総体でできたもののように見えるのも無理はない。「ああ、社会というものはどうしようもないんだね」と思うのだろう。違う。
いつまでも自分がモラトリアム期間の中にいて、いつまでも人生が猶予されているように振る舞っている輩が目につく。年齢を重ねれば自然と大人になるわけではない。大人になろうとしなければ大人になることはできない。知識を重ねさえすれば大人になるわけではない。それはアダルトチルドレンという。どれだけの人々が、愚痴も言わず、他人の人生を助け、人々を愛しているかをしっかり見ようとしない。気付いてしまえば、己こそが真のクズだとわかってしまうからだろう。社会とは、自分の身の回りだけではない。自分の身の回りは世界ではない。世界のごく一部である。
どれほど自分が未熟で、愚かで、他罰的で、人に迷惑をかけ続け、どうしようもない、本気を出せない、信頼を容易く裏切る、クソガキ的存在なのか、そういうことに思い至りたくないのだ。このように言うと、実際反発する人が多いものだ。自分がいかに素晴らしく、いかに努力をしており、それに比べて他人はどうしようもなくダメで、他人は楽々生きているように見えて、恵まれているくせに、厚かましい無神経なやつばかりなのだと思っている。
「ああ、これは自分のことを言っているのだ」と振り返ることができない。どこかずっと他人事である。そういうことは、自分ではない他人がやるべきなのだと思っている。しかし他人も人生は1つしかない。どうしてあなたのために、他人は他人の人生を犠牲にしなければならないのか。他人にどうにかしてくれという発言は、ドラえもんを求めるのび太の声である。誰かスーパーヒーローがやってきて、自分を救ってくれはしないかと思っている。自分がドラえもんになろうとはしない。
ヒーローはいる。ヒーローは、人知れず人を助けている。感謝など誰からもされない。それこそが大人である。少し探せばいくらでも見つかるものだ。探そうともせず、目が曇っているから見つけられないのだ。自分はやっている、十分やっていると思っている。いいや、全然、やっていないのだ。耐えるだけなのは、怠けているのだ。耐えるだけなら楽だろう。耐えている自分は善で、耐えさせる他人が悪なのだ。そして、素晴らしい人々は、自分とは違う世界の住人だと思っているか。そうではない。身の回りの調度品を注意深く見よ。それはどう作られているか。あなたに作れるか。何故それがそこに存在できるのか、安全に暮らしていけるのか、思いを馳せない。それが当然のことだと思っているからだ。当然ではない。先人たちの血と努力の奇跡的結晶を「それが自然の摂理だ」と、誤って学習してしまったのだ。
努力や忍耐など他国の人々もやっている。とてつもなく多くやっている。他国の人は決して無知の民ではない。同じ人間であり、ホモ=サピエンス(知恵のある人)である。野蛮人だと思っていたか。自分だけだと思っていたか。それだから追い抜かれたのだ。時代のせいにするな。甘えるな。依存するな。もうとっくに、昭和ではないのだ。今の社会人は全員が不景気しか経験していない。得など誰もしていない。「他国のもっと苦しんでいる人だって頑張っているのに」という言葉を軽く見ている。心が鎖国しているのだ。目を向けなければいけない。自分が、自分が虐げられていることだけが重要だと感じているのだろう。あくまで自己が優先。他人など蹴落としてしまえ、他人を虐げてしまってもよいという精神が、他人を容易く批判させる。
大人とは、「あなたは悪くない、あなたは少しも悪くない、悪いのはあなたではないよ、あなたは頑張っているよ、あなたは虐げられているよ、あなたは大変だったね」という悪魔を求めるべきときではない。そんなことは、ほとんどの場合、言われないものだ。当然の如くやるものだとみなされている。褒められもしない。愛されもしない。やるのが常識だと思われる。報われることもない。それでも頑張れるのは、わかってくれる人がいるからだ。自分のことだ。自分が、どれほど懸命にやっているかわかっていれば、それで良いのだ。
社会には大人が少ない。いないわけではないが、割合少ない。見えにくいというのもある。だから大人を求めている。全く割に合わず、非合理であっても、それをやろうとする人間を求めている。自分の任務をわきまえて、それを果たせる大人を求めている。年齢的な意味での大人は、見限られていることも少なくない。どうせ言っても無駄なのだ。固定観念に縛られて、他者に損害を与え自己利益だけを徹底的に追求する邪悪だと思われている。そのわりに、自分は正義だと思っている。だから子どもに教えているのだ。大人は、子どもに救いを求めている。「未来の大人たちよ、私達を助けたまえ」と言っている。
俺たちは、もはや助けられる方ではない。助ける方なのだ。誰か助けてくれると思っても仕方がない。なぜなら助けてくれる人が全くいないのだ。日本は王国でも帝国でもない。早々に自分の人生は解決して、他人を助ける側に回らなければならないのだ。進まなければならないし、進もうとしているのだ。耐える必要はない。ただ努力せよ。
もしもそれができないなら、指をくわえてみていれば良い。救ってやろう。守ってやろう。俺たちは大人だから、そうしたいのだ。
俺は、この文章の意味が、ただ1人にだけ伝わればそれでいい。俺はただ、社会がクズなものだと思いたくないのだ。世界は素晴らしいのだ。
政府が非効率だから、政府が何もせずに市場に任せればうまくいくというのが自由主義。
1930年の世界恐慌で一度放逐された。金融危機を迎えると、金をため込み、設備投資・技術開発投資をしなくなり、永久に不景気と産業劣化を続けるんだ。代わりに政府が金融・財政・税制で調整するケインズ主義と、政府がすべて生産調整するマルクス主義に移った。
しかしマルクス主義国は失敗し、1970年代のオイルショック、ベトナム戦争支出によるアメリカの経常赤字化、途上国の腐敗などのスタグフレーションでケインズ主義がケチがついた。
ケインズ主義だとマイルドインフレになるように調整すればよいと考えたんだけど、インフレでも自分たちが合致する供給を作れなければ、物価高だが収入所得が上がらないスタグフレーションになってしまうんだ。
そこで、金利操作だけを加えて、政府の財政均衡、フラット税制志向、規制緩和、構造改革という名の費用対効果への回帰を叫んで自由主義の復活が起きた。この自由主義の復活が新自由主義。
しかし1990年バブル崩壊に対して解を持たず、失われた30年を作った。財政均衡志向はデフレでも財政出動をしないのが正しいということでデフレを温存した。
フラット税制志向は、消費税増税とし、累進所得税や法人税減税をねらったが、消費税増税が景気を叩き落し、累進所得税や法人税減税はため込まれて貨幣の流通速度を落とした。
構造改革という名の費用対効果への回帰を基に、基礎研究・応用研究・教育が破壊された。ゆえに新しい産業が生まれなかった。しかし、どこかにすぐ確実に儲かる産業の種があると考え、産業の種を叫ぶ弱い人形を引っ掻き回し、つぶす悪趣味な人形遊びを続けて、新しい人形を来たれと叫ぶのみ。
金融緩和という新しい手法も生まれ、そもそも現代において通貨自体が政府の負債、自国通貨建て国債では政府は破綻しないと自国通貨建て国債と外貨借金の峻別がついてきた。スタグフレーションも合致する供給の増産が解だと気づいてきた。
基軸通貨国か経常黒字国となるような努力は必要だけど、基軸通貨国か経常黒字国である間は、インフレに合致する供給を作れる技術力を持って、マイルドインフレにする調整が正しいということになる。
本来右翼左翼というのは、フランス議会の右翼に王権保守、左翼に革新が陣取ったことが始まる。右翼が強者より、左翼が弱者よりでもある。
と同時に、政府の関与を減らすことが望ましいという自由主義へと移っていった。
しかし1930年世界恐慌で自由主義が否定された。金融危機が起きると、企業が金をため込み、設備投資・技術開発投資をしなくなり、永久に不景気と産業劣化を続けるのだ。
世界中の諸国は政府が金融・財政・税制で調整するケインズ主義と、政府がすべて調整するマルクス主義に移った。
ここで、ケインズ主義が右翼保守、マルクス主義が左翼革新となった。冷戦体制ともなった。
マルクス主義国はうまくいかなかったけども、ケインズ主義も1970年代のオイルショックやベトナム戦争戦費によるアメリカの経常赤字化、途上国の腐敗によるスタグフレーションでケチがついている。
そこで、自由主義が金利政策だけを加えて新自由主義として復活した。特に途上国の腐敗や、戦争戦費による、政府の肥大化と無駄な支出が多かったこともスタグフレーションの原因で、ある程度費用対効果に戻ることも必要だからだ。
途上国の腐敗も、産業育成より前に弱者救済をしてしまうと、経常赤字となり外貨借金が増え、外貨借金からは財政破綻するという側面もあっただろう。
しかし、新自由主義の立ち位置はケインズ主義よりも強者寄りで右翼なのだ。
ケインズ主義が右翼保守だったのを新自由主義がのっとって、左翼が寄るべき理論が無くなり、ケインズ主義を持つ党派もなくなり、惰性で経済理論から離れて右翼左翼だといっており、経済理論は実は右翼左翼とも新自由主義となってしまっていた。
しかし、1990年バブル崩壊という金融危機が起きた。新自由主義に移っていた日本は金融危機が起きると、企業が金をため込み、設備投資・技術開発投資をしなくなり、永久に不景気と産業劣化を続ける問題を解決できずにいた。
さらに、基礎研究・応用研究・教育は一部大きな産業に繋がり、長期的な費用対効果はある。しかし、近視眼的な費用対効果はない。困窮者救済も近視眼的な費用対効果はない。新自由主義は基礎研究・応用研究・教育・困窮者救済を破壊し、産業の劣化も招いた。
どこかに新しい産業の種を起こす人形がいるはずだ!探せ!探して引っ掻き回せ!と、イノベーションやベンチャー育成という名の悪趣味な人形遊びに使える人形を探してつぶすだけ。
2008年リーマンショックでも金融危機が起き、金融緩和という新しい手法が生まれた。MMTで自国通貨建て国債と外貨借金の峻別がついた。
さらに、コロナショックが起きたけども、財政出動と金融緩和で早期の回復を見せている。ウクライナ戦争でもオイルショックとなりかねなかったけども、太陽光発電・風力発電の低価格化もあり、1年程度でインフレも落ち着くようになってきている。
新自由主義も放逐されつつあり、ケインズ主義が復活しつつある。しかし、ケインズ主義も大きな政府にするのだが、何に使うのか?はまだ課題が残っている。産業育成が中心ではあろうとも、弱者救済も政府しか担える主体はいない。
しかし、「あいつらが悪いから叩けばうまくいく」と無駄を叩こうとする新自由主義は残っている。その無駄たたきで基礎研究・応用研究・教育を破壊してきたというのに。
無駄を叩こうという党派は維新や立憲民主党。維新が新自由主義はもちろんだけど、立憲民主党もよるべき理論がないまま維新に流されて、無知故の新自由主義となっている。
さらに、金持ちにとってはフラット税制志向の新自由主義が望ましい。おそらく金持ちが金を出して新自由主義を叫ばせてるのもあるんじゃないかと思う。
強者より、弱者よりの右翼左翼の分類でいえば、維新・立憲民主党が右翼で、自民党はむしろ左翼となる。
裏の理論がしっかりしてない立憲民主党は放逐されて、新自由主義維新VS産業育成ケインズ主義自民の対立になりそうな気がする。
しかし、自民党も意識して産業育成ケインズ主義になったわけではない。自民党内でも新自由主義の無駄たたきの緊縮派はいる。
すると、また新自由主義に流される懸念はある。さらに、2大政党制だと弱者救済のスタンスを取る勢力がいなくなる。弱者救済ケインズ主義はれいわが可能性があるけど。
やはり2大政党制狙いの小選挙区制をやめて中選挙区制に戻すべきじゃないかと。産業育成ケインズ主義政党が中心となり、強者寄りの新自由主義政党と、弱者寄りの弱者救済ケインズ主義政党が両側から引っ張る構造の方が良いのではないかと思う。
氷河期世代のオタク。男。新卒の就活に失敗してブラック企業に入ってしまい精神を病んだ。
地下鉄の駅ホームに立っていたとき、無性に線路に飛び込みたい衝動に気づいて、1年で辞めた。
オタ活が楽しかったし、世の中は厳しいし、やりたい仕事なんてなかったし、それでいい、というかそれとしかないと思っていた。
いつか野垂れ死だけれども、仕方ないよね。と。
35歳になった。オタ活がまったく楽しく感じない自分に気づいた。アニメも漫画もゲームも音楽もいつもと変わらず、すばらしい。
けれども、何故かそれを楽しいと感じる自分がいなくなってしまった。
あんなに情熱を傾けていた、ライフワークかもと思っていた同人活動も、なんだかどうでも良くなっていた。
オタクでなくなった自分は巨大な虚のようだと思った。自分の人生、終わったと思った。
自分の人生は終わったのに、命は続いている、おかしい。でもこれを受け入れなくてはならない。なら受け入れよう。
私は転職エージェントに登録した。しかも4社。同日に。2ヶ月以内に就職する。心に決めて就活に入った。
転職エージェントはおそろしい。登録した翌日からケータイに電話連絡が来る。面談しましょう。会社に行く。
「ひとまずこのなかで気になったところにエントリシートを送付してみましょうか。」
こんなに就職先はあるものなのか。これが4社立て続けにあった。
合計100社近くにエントリーシートを一気に送付してもらうことにした。
すると送付して3日と経たずに連絡してきたところがあった。
しかし、運否天賦というものか、わたしはそこに就職することになった。
おそらくの決め手は、面接の場に持参した自分の同人誌だったと思う。
やることがないのだから仕事をすればいいのだ。ただ淡々と仕事をした。
ホワイト企業は仕事がスムーズだ。周りがみんな頭が良く、ロジックが正義なので理不尽なことは言わない。
言われたことを、言われたことのほん少し上のレベルでこなすだけで、どんどん実績と評価はあがる。
就職して2年ほど経過した頃に、気まぐれで埼玉に中古戸建も購入した。ローンは6年で返済した。
気まぐれで外貨預金やNISAもはじめた。これも今のところうまくいっている。
そして、4月末、預金通帳の残高が1,000万円を超えていることに気づいた。
しかし、巨大な虚のような自分というのは、10年前のあの頃と何も変わらない。
ただこのまま無限に与えられ続ける仕事をこなし、通帳の残高が増え続けるだけの日々を送るのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
ぼんやりとした虚しさをずっと抱えて、このまま生きていくのだろうか。
外貨借金は確かに危険だけど、自国通貨建て国債とは別物だから。それがMMT。
そして、外貨借金を作らないためには輸出を増やして輸入を減らして経常黒字を維持すること。混同されがちだし、混同されたがゆえにおかしなことになってる。
経常黒字を維持するためには設備投資や、技術開発投資が必要。法人税減税や金融所得課税設定、累進所得税減税は設備投資、技術開発投資に繋がると考えられたけど、貯めこまれた。税制で動かし、動かないなら増税とメリハリをつける必要はある。
ほかにも資金供給の金融投資を、資金需要で、資金調達しての支出である経済理論上の投資と混同した考えも問題だな。金融投資ばかり増やして金融市場で滞ったが故の不景気と産業劣化でもある。
チャットGPT、日本進出検討 開発企業トップが岸田首相と面会
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.reuters.com/article/altman-idJPKBN2W703H
これに喜んではしゃいでる連中
こいつらは企業にこれだけ搾取され、何十年も不景気になっていながら、まだ企業と日本政府が手を組んだ時に良い事が起きると思っているらしい
労働者の権利を守る規制が次々と緩和され、日本で労働者の待遇が悪化していった過去を知らんのか?
そんな政府と人の仕事を減らすAI、しかも個人情報の収集に関する問題があると海外で言われている企業が組んでどうなるか
ここに危機感を覚えないのは無邪気を通り越してアホ過ぎるだろ
日本はAIの力で勝つんだー日本はAIを受け入れる風土があるんだーとか言ってる連中もいるが
そのAIの力とやらを持ってるのは海外の企業で日本人じゃなく、そいつらは労働者の権利が先進国の中でカスい日本を都合の良いモルモットに使おうとしてるってだけだ
海外は労働者や個人情報の権利をしっかり守る風土があるからあれだけ成長してるし、こういう連中を許さないんだ
これを許せば日本人はまた奪われるだけだぞ
日本は衰退している←うん
こんな日本を作ったのは今の大人たちだ、許せない←まあそうだね
なんか「日本はオワコンだから何しても無駄」みたいなのが分からない
こんな日本を作った大人を恨んでるのに、これから自分たちがその恨まれる存在に自らなろうとするのはなぜ
どうせ衰退するにしろ「衰退を食い止められるよう頑張った」と「前世代のせいにして全て諦めた」なら前者の方がいいし
ただ死を待つより希望を求めてあがくほうが自分にとってもいいと思うんだけど
今27歳だけど、このままだと産まれた時から不景気な上それを改善しようともしなかったクソ世代として語り継がれるし、そんなのを次世代に見せるのは嫌だなと思ってしまう