はてなキーワード: 不景気とは
「負担率」を問題にしている連中はそうだな。だから待ってるのは法人税下げとか累進所得税下げと、乱暴な無駄削減という名の医療・年金・基礎研究・応用研究・教育・困窮者救済破壊だと思う。ついでにデフレ不景気。
2009年卒の就活は氷河期どころか思いっきりバブルだったぞ。07年卒、08年卒はもっとザルだった。
ちなみにこの時期は、マーチ内ですら
「みずほ銀行とりそな銀行は無対策で応募してもかなりの高確率で内々定までいっちゃうから行く気ないなら受けないほうがいい」
みたいに囁かれてた。学内で親しい先輩のうち、この年度にみずほ銀行を受けた人は5人いたけど5人全員内定してた。
早慶なんかだと
というのが常識だったようだ。今の時代の就活生や20世紀の就活を知っている人からしたら衝撃的だろう。
リーマンショック由来の就職氷河期が始まったのは2010年卒の人間の就活から。
この就職氷河期は、不景気突入の嚆矢となる象徴的事件(リーマン破綻)から新卒採用抑制の時間差が全然ない珍しいものだった。本当に突然バブルから氷河期に突入したのだ。
秋頃にメガバンクの採用予定計画が発表されてどこも軒並み半減してて「あーこれはヤバいわ」とNHKのニュースを見ながら血の気が引いたのを覚えている。結果、やはり前年までの就活が嘘のような超買い手市場と相成った。圧迫面接が大流行した。
「マスコミとかパイロットとかじゃない限り大手企業の最終面接は儀式だから落ちない」
という新卒就活の常識が全く通用しなくなったのもこの年度からで、大企業の最終面接落ちも大流行した(増田の友達は東大法学部でしかもコミュ強で容姿も別に悪くなかったのだが、のべ7社の大企業で最終面接まで進んだのにも関わらず全て落とされ無い内定のまま就職留年した)。
そして、このリーマンショック起因の就職氷河期は11年卒、12年卒と年度を重ねるごとに地獄絵図になっていった。
さすがに13年卒の親しい人間は自分にはいなかったので、この年度以降の就活戦線がどういうふうになっていたのかは全くわからない。
誰か教えてほしい。
とりあえず2009年卒はバブル、2010年卒から突然氷河期突入っていうのは強く言っておきたい。
【追記】
メガバンク内定が学友から「うん、まあ良かったね……」程度の反応されるような微妙な位置づけだったのには理由がある。
当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、
したがって、「大手・低倍率・給料と福利厚生以外が非ホワイト」なメガバンク内定は大して凄いと思われなかった。
この価値観がよく表れていたのは2ch就職板の『就職偏差値ランキング』なる有志が独断と偏見で作成したもので、
記憶が確かならそこではメガバンクよりも食品メーカーとか素材メーカーとかのほうが上に据えられていた。
実際、三菱東京UFJを蹴ってサッポロビール、三井住友銀行を蹴って中央発條に入社を決めた人間が友達にいた(生涯賃金で5000万円以上差があると思うのだがそれでも激務は何より恐れられていた。ドラマ半沢直樹が放送されるずっと以前だったが、もうメガバンクが健康に人間らしく働くにはあまりに苛烈でエグい職場環境であることはネットのせいでバレバレだった)。
ちなみに日興コーディアル証券なんか日大や専修あたりの大学からでも内定バンバン出てた。
このように大手金融の採用は(基本的に)ザルだったのだがこれにも例外があって、
東京海上と日本生命(営業幹部採用じゃないほう)の総合職はマーチ男子程度だとほぼノーチャンスだった。
いずれも体育会系有利と言われる会社ではあるが、マーチに関しては体育会系とかどうとかもはや関係なく、各大学0~3人程度の内定にとどまった。
身分違いだったのだろうか。
さて、
当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、
「無い内定にならないため、万一入社しても高給が保証されているから、戦略として仕方なく受ける企業」
でしかなく、基本的に不人気だったのだが、これにも例外があった。
みずほ証券については「ホールセールばかりでリテール全然やらなくていいから」、
信託銀行については「メガバンクと違い、残業全くしないで30歳1000万円まで一律昇給できる地上の楽園だから」
という大間違いでしかないイメージが当時の就活生のあいだで広まりに広まっており、
学歴とコミュ力とルックスとスクールカーストに自信のある就活生が猫も杓子も信託銀行を希望するという謎のブームが生まれていた。
ノー残業・ノーパワハラ・ノー怒声なんていかにも嘘くさいっていうか100%ありえないと確信していたし、
完全に諦められた窓際社員でも自動的に到達できる年収は30歳700~800万円・40歳1000~1100万円くらいがせいぜいなのではという見立てだったからだ。
書いてる途中に思い出したけど、当時は楽天もソフトバンクも本体内定者の学歴ボリュームゾーンは日大って感じの会社だった。
大事なのは大学名、その場でいかに「論理的に落ち着いて会話できるか」、本人の雰囲気であり、超人エピソードを作りに動く就活生は嗤われていた。
バイトかサークルのどれか一つやっていれば充分であり、インターンに応募しようとするやつはそれがたとえ1dayであっても周りから「凄まじく就活に気合を入れている」という見方をされていた。
これはつまり、あっと驚くような体験や活動のおかげで就活結果が大きく変わることがないというシビアな現実を意味しており(テレビ局とかの採用は違うんだろうけど)、
裏を返せば課外活動をせずともコンビニバイトでも適当にやって面接の場をどうにか凌げば大手から内定が出るような時代だった。
筆者には法政大学に通う仲の良い友だちがいたのだが、
彼は今で言うチー牛で(当時は非リアといった)、サークルには所属せずボランティアなどの課外活動のエピソードもなく、
週3のコンビニバイトと1日2度のオナニーをするのみであったが某中堅損保に内定した。
ちなみに体育会野球部であろうが同大学の一般学生と比較してさして就活で有利にならない時代でもあった。
チー牛友人は内定者懇親会に参加したとき、同じ大学の野球部の有名選手がいたことに
と大変なショックを受けたと言っていた。
実際、筆者は野球が好きなので六大学や東都大学の4年制進路を毎年チェックしていたが野球部ブーストが全然効いてなくて毎年苦笑したものだ。
東大や早慶でも一般学生と期待値は大して変わらず、マーチや日東駒専にいたっては一般学生より下手すりゃちょい悪いのではというほどだった。
マーチ野球部から全国紙とかサントリーとかADKとかにいけるのは直系附属出身者や県立トップ校から一般入部してきた選手とかで、野球名門校出身者は主力選手であろうとも野球継続しないのなら大手百貨店が関の山だった。◯◯自動車”販売”とかもお馴染みの進路だった。
そして日東駒専大東亜帝国あたりの野球部の進路はこんなもんじゃなかった。
当時の就活も嘘つき合戦ではあったが、今の就活はインターン当たり前、エピソード作るために大胆に動くの当たり前だと聞いて本当に大変だと思う。
就職氷河期なんて命名するから「不景気のせいで就職難の時期があった」というフレームで捉えがちだけど、
あの時代はもっと根本的な価値観・世界観の変化に直面してたような気がする。
まず、70年代末までに明治以来ずっとやってきた西洋キャッチアップ型の近代化=工業化が完了して、
(最後の人口ボーナスの波である団塊ジュニア世代が成人するまでに労働集約型の工業社会を卒業して)
これからは前人未踏の領域で、あたらしい生き方を模索しなきゃならなかった…んだけど、
バブル景気がやってきて、「深刻な話」はふっとび、お祭り騒ぎになっちゃった。
でも流石に、激動の昭和も終わり、冷戦も終わって大きな地政学的な変化が起こり、
経済はグローバル化が進み、モノづくりニッポンの終わりが予測され、世界の工場の地位もアジアの新興国に移っていくようなって、
もう(経済だけでなく生き方全般の)根本的な改革は避けられないかな?と思っていたところで
本質的な改革どころか、生活を「元に戻す」ので一杯いっぱいの状態…
そんな調子で、本来なら80年代初頭から10~20年かけてやるべきだった本質的なライフスタイルの変革(経済含む)を
ズルズルと先延ばししていたが、いよいよ誤魔化し切れなくなったのが90年代の後半で、
(というか、団塊ジュニアが金を払って学校に行く側から「稼ぎ手」なるのが人口ボーナスの最後の波で、
その波がおさまっていくのが90年代後半だとすると、重なるのは必然か?)
オウム真理教が終末思想にもとづいてイロイロ事件を起こしたり、
旧エヴァンゲリオンが社会現象となるほど大ヒットするのも、偶然じゃないでしょ?
いままで怖くて直視することすらできなかった存在論的不安に対応せざるを得ない時代の空気を反映してる…
本来なら、働き方改革だの、ジョブ型 vs メンバーシップ型だの、春の新卒一斉採用の是非だの、
標準家庭だの、第3号被保険者だの(働くお父さんを支える専業主婦)といった問題は、
80年代に本気出して考えておくべきだった。
IT化、情報化、グローバル化に乗り遅れたのも、明治以来の(自分たちの骨身にしみた)工業化社会の延長で
生きていこうとしたせい…。本質的には昭和サラリーマンのまま、マイナーチェンジで乗り切れると思ってたからじゃないの?
よく氷河期世代の不遇が世間の話題に上がるので、生き残れた氷河期である俺と会社の同期について語る。
俺が今のポジションに納まったのは、まず運が良かった。人生は運で決まる。
あとは図太かった。どんなに優秀でも、最初の数年で労働量やパワハラに潰される。
子供が成人する頃はもう少しマシな世の中になってることを祈る。
それがいつまで経っても春が来ないから誰かが「氷河期」と言い出した。
大学生の内定取り消しのニュースが出た時は、まだ高3くらいだったと思う。私が就活する時じゃなくてよかったなと思った。お花畑だったから、これは一時的な不景気で、すぐにまた(バブル期の)好景気…当時は平成景気と言う人もいた、に戻ると思い込んでいた。
Z世代はこれ突っ込んでいいよ。
で、97年に山一の自主廃業のニュースがあって、その頃は公務員試験や教員採用試験の勉強をしている学生も多かった。
家に送られて来るマイナビの厚みが男子学生と女子学生で全然違ってた。当時京都に住んでて、住所がすごく長かったので、資料請求葉書を書くのが辛かった。
Z世代だけど、氷河期世代って「自分は不幸なんだー時代のせいだー」って言い訳しているけど本当に醜いよね
不景気しか知らないしネットで格差を見せつけられ続けているZ世代はそんなの小学生の時から理解しているよ
それを受け入れて非合法なことをしてでも歯を食いしばって自力で上がっていくしかねぇってのが人生だろ
氷河期世代は他責思考の精神年齢が低い赤ちゃんが多すぎ。気持ち悪いよ
氷河期世代だろうとビジネスチャンスなんて幾らでもあったんだし、詐欺でも何でもやって稼いでその金で起業すればよかったじゃん
調べたけど、当時は闇金ビジネスが流行ってたんだろ?闇金業者になって稼げばよかったじゃん
ワイは30代やけど上の世代が文字どおり「死ぬ」ほど苦労してるのを見てきたで。
氷河期世代ってのはつまり団塊ジュニアなんで数だけは多いんや。
それやのにバブル崩壊が直撃して有効求人倍率は0.5やってんで。
240万人が120万件の求人を奪い合ってたんや。
大卒ですら求人倍率が1を切っとったって言うんやからエグすぎるわ。
ガチのマジで「新卒全員を無理やり全ての求人に振り分けても就職できない奴がいる」時代やったんや。
しかも、当たり前やけど団塊ジュニアの親は、あの「団塊世代」なんや。
誰でも就職できるのが当たり前。誰でも結婚できるのが当たり前。
無理して働けばそのぶん成果が返ってくるっちゅうことを体験してきた人たちや。
でも氷河期世代は違う。
話が噛み合うわけないやろ。地獄やで。
あの時代に生きてた人らは非正規KKOと自己責任おじさんに二極化してもうた。
無理してブラック企業に入って心を壊して非正規で細々と暮らすオッサンと、
生存競争を勝ち残って「弱者は死ね」と言い放つようになったオッサンや。
前者が結婚なんかできるわけないわな。
ほんまに氷河期世代はかわいそうやと思う。
マスク着用を求める基礎疾患持ちやコロナ後遺症患者は、政府にとって都合が悪い存在になってしまった。コロナ禍から経済復興しようとしているのに、存在自体が健常者に不安感を与える、生まれながらにして悪い存在、それが基礎疾患持ちやコロナ後遺症患者、という事になると思う。事実上、基礎疾患持ちやコロナ後遺症患者に対する配慮など必要ないかのようにふるまっている千葉県知事みたいに、基礎疾患持ちやコロナ後遺症患者は邪険にされて、経済の敵、存在自体が不景気の元凶で、こういう人間がいるから社会が悪くなるんだと言われるようになると思う。
歴史上、権力者が、反抗されないように民を支配したいときに時に使う手は、国を問わず大体決まっている。民をいがみ合わせることだ。日本は士農工商の下に「えた・ひにん」の身分を作って、抑圧された平民の怒りが、支配階級に向かってこないようにした。現代では、1994年のルワンダ虐殺がそれだ。もともと、ほとんど差がなかった民族を、宗主国だったベルギーがツチ族とフツ族の2つに分け、互いにいがみ合わせて、民の怒りがベルギーにあがってこないようにした。
ついこないだ、G7が行われた。G7の日本以外の国ではLGBTの結婚の権利が、ここ数十年ぐらいで認められるようになった。女性に選挙権が認められるようになった時代と同じような変化が先進国で起きている。
が、日本では、超高齢化と結婚する人自体が減少していることから、票にならないので政治的な優先度は低く、LGBTの結婚が許されるのは数十年後になるのではないか。一方、機械翻訳と国際化により、LGBTであることを理由に差別する言説は、だんだん許されなくなっていき、企業にはコメントなどに含まれるLGBTへの差別的発言を自動発見して削除するAIなどを導入する事が普通になるだろう。
するとどうなるか?要するに、日本は政治的にはLGBTが認めるような権利を長期に認められない中、企業の方が先にLGBTの権利を強く認める方向に転向していくだろう。当然、LGBT層にはフラストレーションがたまり、政治的にもちゃんとした権利をLGBTによこせ、と主張するようになる。
フラストレーションのたまったLGBT層の怒りが政府に向かわないようにするため、政府は何を考えるか…LGBT層と非LGBT層の間に共通する事は何かを考えれば、それは大多数が身体的には健常であることだ。基礎疾患持ちやコロナ後遺症患者は、今後、社会が徐々に感染対策を緩めるのに反対し、健常者にとってマスク着用を強制する厄介な存在になるだろう。
そこで、LGBT層の怒りをしずめ、非LGBTである人間はLGBTの仲間であることを強調するために、政府は基礎疾患持ちやコロナ後遺症患者を目の敵にして、彼らがいかに厄介な社会の敵であるかをメディアを使って喧伝するようにするだろう。LGBTでも健常な人間は誠実に働き、社会に迷惑をかけずにマスクを外して気持ちよく働いている。一方、基礎疾患持ちやコロナ後遺症患者は、政府から医療費をぶんどり、経済を悪化させる社会の敵であるように喧伝される。特に、高齢者ではない基礎疾患持ちやコロナ後遺症患者は、コロナ禍前の生活保護受給者のような扱いをメディアで受け、恥ずかしい人間であると攻撃されるようになるだろう。
そうやって、LGBT層に対する怒りを、よりマイノリティである基礎疾患持ちやコロナ後遺症患者に向かうように仕向けて民をいがみ合わせ、根本的なLGBTの結婚の問題は一切進まない・進めないようにハンドリングされるのではないか…自分はそう思っている。
詰まる所、いつの時代も、政府が民を統治する簡単な方法は、民をいがみ合わせて怒りが政府に向かわないようにする事だから、今回も同じようになると思う。