はてなキーワード: ベテランとは
広告のコピーライティング(いわゆるキャッチコピー)がすごいと思えない。
私は新卒から現在に至るまで広告業界(大手代理店→事業会社)に身を置いているが、
広告業界特有の「賞」によってクライアントではない人々(主に代理店)がもてはやされていることに対する違和感がいつになっても払拭されない。
学生の頃、音楽制作や映像制作をやっていた私は、華やかなCMを作ってみたい!というミーハーな気持ちを抱き、運良く大手広告代理店に就職した。
研修後のOJTで莫大な予算の企画会議に参加した時のことを今でも覚えている。
その時はコピーの案出しだったが、ベテランといわれるコピーライターの方々がコピーひとつひとつに対しA4用紙一枚を使い、
衝撃的だった。
詳細なことはここでは述べないが、こんな仕事でクライアントからお金をもらって罪悪感を覚えないのだろうかという感覚だった。
たしかにクライアントの持つ課題や、当該商品の特徴など最低限のことは理解してるとはいえ、
クリエイティブと呼ばれている人々の「単純にやりたい」、「前例を作りたい」、「賞を狙いたい」等の動機が圧倒的に優先しており、
純粋だった私は、そのようなことをOJTの感想として述べたところ、ほぼ内定していた希望部署から外されてしまった。
その後、個人的に制作活動は続けながら、仕事としては制作とは直接的に関わらない部署で数年を過ごした。
その後事業会社(いわゆるクライアント側)に移り代理店に発注する側になった。
たしかに、代理店の持ってくるコピーは、きれいなフォントできれいな体裁に整えられたスライド上ではなんだかすごそうに見える。
でも、いつみてもほんとに誰でも書けるとしか思えないようなものばかりだ。(クリエイティブの皆様は死ぬほどキレるかも…)
学生の頃になんとなく通った宣伝会議のコピーライター養成講座でなんとなくテキトーに出したコピーで
その回の最も良い賞(なんかいいえんぴつだった気がする)をもらってしまったり、
新人の頃にみんなでテキトーに出したブレーンのC1グランプリに一発目で掲載されてしまったという体験もあるのかもしれない。
正直、コピーライティングといわれているスキルは他の技術職と比べるとスキルが不明確すぎるし、
「言葉」という普遍的なものの中で勝手に特権意識を感じているだけではないだろうか。
コピーライティングというのも自体は、社会的意義を持つものだと思う。
現に社会に強いメッセージを残しているコピーはいくつもあるし、私自身も好きなコピーはいくつもある。
しかし、広告業界では、コピー(言葉)が属人的になりすぎている。
どうせ賞をとっても業界内の評価しかもらえないのであるから(広告業界的にはそれが名誉とされているのだが)、
人のふんどしで取った手柄で「すごいでしょ?」的な発信することはやめるべきではないだろうか。
そうすれば、業界以外の人々はいちいち広告業界の人々(特に制作の人々)の「すごいでしょ?」アピールに反応しなくてもよくなるし、
キャッチコピー等の広告物もいちいち「作品」とか言われずに、ひとびとの生活の一部となれるかもしれない。
そこそこ有名なコピーライターとなった友人がtwitterで一般人が書いたキャッチコピーに対して
「広告業界のお作法も知らず書いたコピーだからダメ」と苦言を呈していて、いてもたってもいられずに書いてしまった。
ちなみに私は、一般人が書いたキャッチコピーと代理店の持ってくるコピーは大差なく感じることが多い。
たしかに一般人が書くコピーは大半がアレなことが多いが、一日訓練すれば最低限のお作法は身につくと思う。
たしかに思考訓練にはなると思うが、主観的な成長を感じたとしても、客観的な成長を当事者周辺しか感じられない点で意味ないと思う。
と思う。
もっと書かなければならないけどzoom会議の時間が来てしまいました。
乱文ごめんなさい。
推理小説に関して、「後期クイーン的問題」とかいう問題がある。
ざっくり言ったら、推理小説が「完璧な論理的推理」をひたすら求めていくと、結局そんなものありえなくなるんじゃない? って話だ。
起点になるのはエラリー・クイーンって作家の、初期の何作かに限定したすごく狭い話だった。
でも話の発端を作った法月綸太郎と笠井潔って二人の作家が煽りまくったせいで、推理小説の前提が崩壊するのでは? 根本的な問題なのでは? って話にもなった。
でも推理小説は一応続いてる。結果的には、「後期クイーン的問題」は(法月・笠井をうまく無視しながら)推理小説の可能性を広げる原動力の一つになった。
きちんと知りたい場合は、諸岡卓真『現代本格ミステリの研究』が視野の広さも議論の説得力もピカイチだと思う。この問題について真面目に考えたかったら必読。
一方、きちんとしてない言及の一つに、「第一の問題」と「第二の問題」っていう問題の分類がある。
「第一の問題」はさっき言ったような、完璧な推理って無理なんじゃない? って話。「第二の問題」は、(完璧な推理なんかないんだから)そもそもただの人間の探偵に謎解きとかする資格あるのって話……らしい。
でもこれ、法月・笠井の二人は前者の話しかしてない。第一と第二なんて分類もしてない。誰が言い始めたか、出所がよくわからない。
自分が知る限り、「第一」「第二」の一番古い言及がWikipedia日本語版の「後期クイーン的問題」だ。
これを書いてる時点の最新のバージョンを貼っておく(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=77682984)。
2009年10月27日に「Corwin」というアカウントが「後期クイーン問題」の項目を作成した(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=28693991)。
この時点ですでに、後期クイーン的問題が「二つの問題の総称」であり、「第一の問題」と「第二の問題」があるというふうに書かれている。
(ちなみに諸岡卓真の本は2007年度の博士論文を2010年3月に本にしたものだからWikipediaには触れていない)
でもよく見ると、「第一の問題」は今でいう第二の問題(倫理的な話)、「第二の問題」が今でいう第一の問題(解決の不可能性)だ。
これが入れ替わったのは11月4日(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28825317)。
だから「第一」と「第二」の順番(もしくは「第一」と「第二」)に根拠はなくて、Corwinが適当に付けてただけとも考えられる。
もちろん、そうでない可能性もある。11月2日にはCorwinが項目名を、俗によく使われる「後期クイーン問題」から専門的な「後期クイーン的問題」に変えている(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28790012)。これと同様に、根拠になる文献を改めて読んで、「第一」と「第二」を入れ替えたとも考えられるわけだ。
そうは言っても、個人的な心証では「第一」「第二」っていうのは書いた人の勝手な考えだろうと思ってる。
ちなみに「Corwin」は日本語版Wikpedia黎明期の2003年から編集に参加して、推理小説とSFを中心に現在も活動しているベテラン。
めちゃくちゃなことを書いて怒られたような経歴はないみたい(「後期クイーン問題」も、「第一」「第二」以外はそんなに変なことは書いてない)だが、立ち上げた項目には内容が薄いのとか、出典が少ないのとかが多い。
一応、「第二の問題」がいつの間にか湧いてきたのは相応の理由があると思う。
後期のエラリー・クイーンが書いた『十日間の不思議』『九尾の狐』とかの作品で、名探偵は推理そのものというより自分の存在について悩む。それはもう悩む。
そして、この時期の作品は初期に比べて「完璧な論理的推理」という点ではゆるいというのが一般的な評価になっている。
だからこの作品群では、笠井潔たちが考えたような、「完璧な論理的推理」を求めると究極的には無理が出てくる、っていう問題よりも、
推理に失敗して、倫理的な立場に悩む名探偵のほうが読者の印象に残るはずだ。
発端になった法月の作品だってそうだ。「初期クイーン論」が出たのは1995年だけど、1990年の『頼子のために』と1992年の『ふたたび赤い悪夢』では、精神的に追いつめられる名探偵の姿を描いている。
だから、法月の文章の以前から、作家や読者からすれば「完璧な推理の不可能性」よりも「自分の立場に悩む名探偵」というのが後期クイーンのテーマ、っていうふうに理解されていて、「初期クイーン論」以降も、現在も、塗り替わりきらずに続いてる、っていうのが実情なんだと思う。
だからいつの間にか「後期クイーン問題」っていうタームにもふわっとそっちの意味がくっついていった結果、「第一」「第二」っていう区分が誕生したんじゃないだろうか。
那須川天心の反応の良さとトップスピードが皇治を全く寄せ付けてなかった。
ただ、あんだけまともに膝食らって倒れない皇治も武尊戦並の耐久力を見せた。
正直どっちも普通じゃないなこれという。
内容的に言って皇治のCMがうまくいって、多分今後も那須川天心にフルラウンド耐えた男という箔がついて行くことだろう。逆に天心はKOできなかったこともあって以前から言われたとおりまるでメリットのない戦いになってしまった。性格的に煽られて引き下がる人でもないし、まあうまくのせられたなと。やっぱ売り込みのうまさって人気商売では大事。
下手。そりゃ何もやってない一般人より強いけど、打撃の技術レベルが二人とも1~2年程度の動き。非常に緩慢で、回り込んでフットワークを使うこともない。スダリオは本来十字、肩固めに移行するポジションでパウンドにこだわったが、普通の選手にはあの古いファイトスタイルでは通じない。真面目に試合のレベルが低くて、20年前の総合レベル。
ぶっちゃけ矢地選手はジークンドーではなく普通に教わったボクシングテクニックを使ったほうがいいと思う。体型が黒人選手のようなしなやかな筋肉のつき方で、武術系のカチカチした動きをするのに向いてない。部分的にジークンドー的なテクニックが見られたものの、違う意味で硬くて、こなれていない感じがした。むしろ変わった格闘技ならカポエイラとかそういうバネを生かした技が使える方にいったほうがマシになるかと。大原選手あまり試合見てないけど、DEEPトップとは言えムラっけがあってすごい強い選手でもないし、このへんで苦戦するようだと厳しいなあと。矢地さんチャンネルは面白いんだけど。
昇侍はDEEPの試合見てもそんなに上手い選手じゃない。コンビネーションもそれほどでもなく反応も悪く、足も使えてない。まあこりゃカマセでしょう。始まる前から朝倉海の勝ちが決まってた試合。
ロープ際で北岡がギロチンチョークにこだわりすぎてるせいで対応されてしまい、延々と塩試合。そもそもギロチンって体の自由を奪ってから締めるバックチョークなんかと違って、上手い人は割と簡単に外しにゆく。実際久米選手はリング際でローリングして二度ギロチンを外していた。打撃は久米のほうがうまいのは明らかだったし、結果的にポイント優勢は目に見えた試合だった。かつての盟友青木真也ならこういう不完全な技は他の保険を考えながら使うと思う。
ほんといい闘い。フロントスープレックスの豪快な投げが決まってホイホイ転がされるかと思っていた試合だったけど、蓋を開けてみると川名選手の体重移動の巧さが光って終始武田に投げを決めさせない。そればかりかリング際でちゃっかり休みながらグラップリングするというベテランぶり。対して武田は若さあふれるゴリゴリのファイトで無尽蔵のスタミナを見せつけた。破れたとは言え修斗王者すげえレベル高いと思った一戦。地味で華はないけど川名選手本当にいい選手。
なかなか思いつかないことも多けどたまに本当に、核心というかコアを芯を寸分の狂いなく叩き切った感触を感じることがある。
このお題に対して、これ以上の回答はないだろうといったボケを出せると、爽快感があります。
自分の知能がいいと言うわけでも無い、将棋とかチェスとかオセロみたいに閉じた系の中の計算力の戦いじゃない、完全にぶっ飛んだ次元を超越した思考が必要になる。思考というよりは直感かもしれない。
大喜利の答えは考えるって方法もあるけど多くの場合、直感的に降りてくる。知能と知能のぶつかり合い、脳みその計算能力で戦うゲームって思われてるかもしれないけど、実質はカードゲームに似てて、
上手い人はそれなりにあるなるネタとか、いろんなものに組み合わせることで面白くなる固有名詞とかをストックしてて、その組み合わせで戦うみたいな戦略もあるにはあるけど、知識だけではどうしもて超えられない、発想が降りてくる、そういった引きの強さみたいなところが必要で、そこらへんがカードゲームとかUNOとかポーカーや麻雀に似ている。
あとネット大喜利のときは投票する人の心も関係していて、誰が見に来ているかで成績が変わります。
同じボケも今日出すのと一年前に出すのと一年後に出すのとで、全然評価が変わるし、何なら午前午後でも評価が変わる。
ラッキーパンチがあるので、初心者がホールインワンすることもあるし、かといってベテランがそう簡単に負けるかというとそういうこともなく、じっくり手堅いおもしろボケを繰り出したりする。
なので、一般の人が大喜利のことをどう思ってるのかよくわかんねーけど、カードゲームとか麻雀とか好きな人は楽しめるよ。
何が引けるのかは自分の脳みそ次第だけど、これ面白いのか?と思いながら投稿しても、謎に高得点入ったりするし、面白いってなんだろうね。
どちらもかっこいい、王道って感じ
御嶽海・大栄翔はベテラン感あるけど正代のほうが年齢は上なんだな
隠岐の海は地名が入っているのがいい、いかにも島根出身って感じ
どちらも正統派かっこいいけど隆の勝はなんか字面と音のイメージが若干違う
隆の勝は「の」がひらがななんだな
多いので好きなやつだけ
碧山は本人込み、欧米風の顔立ちに反して純和風な名前が相乗効果を生んでかっこいい
炎鵬は炎と鵬の字の相性が良くてかっこいい、もはや火の鳥
琴奨菊は縁起が良さそうで華やかでいい、なんとなく金色のイメージ
翔猿は猿の字が目を引いて良い、申年だし猿好きだからっていう理由も若さと勢いを感じる
俺も四股名ほしいなあ
ソープに行ってきた。7月にも行ったからこれで2回目だ。それまで童貞だった。自分の心に変化があったので書いていこうと思う。
まずは「色々な見方が変わった」事。大きく分けて2つ。
①男は女とヤルするためなら割と全てがどうでも良い
そもそもソープに初めて行ったのはソープがコロナで安かったしコロナでお上から金貰ったのが切っ掛けだった。
この時点で自分の考えはおかしかった。なんせ普段2000円くらいのSteamゲームを買うか迷っているのだ。10万あれば高いの買っても1年くらい持つ。
普段吝嗇家(これはケチを格好良くした言い方だ。りんしょくかと読む)の自分がそうだ!ソープに行こう!と考えるのがまずおかしい。
ジム行って筋トレして富士山登るとかだって実行可能だった。童貞だし一回くらいと思っていたが今日二回目に行っている。行って来たのは7万の高級である。3万+7万で見事に給付金は消滅している。しかも今現在次行くことを考えている。
本当におかしなことに、全くソープに金を突っ込んだ事に後悔が湧いてこない。強いて言えば何も考えてない。気持ちよかったかと聞かれれば玉を下からペ---ロってやられるのは電流が流れるようでとても気持ち良かったしマンに射精するのもなかなか良かった。正直今までで3番目くらいに出た。
が、東方紅魔郷ノーマルをクリアした方が圧倒的に脳汁出たし河原で恋人に抱き着いた時の方がドキドキしたし皆で貧乏旅行に行った時の方が思い出としては上である。
正直快感自体にとても3万使う価値があったかと言われればそこまでではない...と理性は思っている。
とはいえ初めての時は1回出した時点で舐められながら次はもっと良いとこ行こって思ってたし、もっとお金出せばもっと凄いのかなって感じだったので7万の所に今日行った。ベテランでマットと接客に自信がある人だったっぽいけど実際とても良かった。3万と比べれば2倍以上は良かったのは間違いない。
でも7万の価値があるかと言えばやっぱりなかった。思い出、体験としての価値すべてを合わせても7万の価値はソープそれ自体にはない。少なくとも理性はそう言ってる。
しかし大金に値する価値を理性が感じてないのにワイは買ったことを後悔していない。絶対に何かおかしい。
A. ない
どう考えてもソープに7万は間違ってる。そんだけの価値絶対ない。気持ちよかったけどそこまでじゃなかった。
そして7万なにも考えずに突っ込んだのは憂慮するべきだ。だって7万もあればそれなりの勉強できるしジム一年も余裕で可能。友人に旅行をおごることすらできる。正直割と何でもできる。金の使い道として少なくとも初回はともかく今日のソープは絶対におかしい。
ソープ未経験の自分が1回目の後の自分を見たら間違いなく、次はもっと金稼げるようになってから行けというはずだ。これは間違いない。
しかし1回目2回目を通してソープに行ったのに何の後悔も反省の念も浮かんで来ない。むしろもっと生きたいとすら思ってる。今のワイは何かおかしい。今日消えた7万で色々なことが出来るはずなのに...
あるのはただ疑問のみである。理性は7万使用をおかしいと考えおり、無意識は7万使用を肯定している。明らかな矛盾である。
とりあえずわかったのはソープに行くためなら7万なんてどうでも良いという気持ちが無意識のうちに発生しているということ。
そんで7万という大金すら(実家が貧乏だったせいで7万を大金と感じている説もある)ソープ嬢のような発展性が何もない女性とヤル事の前にはどうでも良いのだから、男は女とヤル為なら本当にすべてがどうでも良くて安いものなのだろうなと思った。
喜助はことばをついだ。「お恥ずかしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文というお足を、こうしてふところに入れて持っていたことはございませぬ。...
とは鴎外の高瀬舟である。ワイ金なし。でも実際のところ金はあったようだ。結論ソープ前のワイはケチだった。とにかくケチだったようだ。
初めてソープ行くまでのワイ、今考えるとどう考えてもちょっと金使わな過ぎである。ソープにすら7万払う。いわんや生活投資をや。ワイは今かなり生活に投資している。
ソープのお値段7万をワイの無意識、脳みその動物的な部分は安いと感じているようだ。7万の無ですら安いのだから千円万円の利器を高いと感じる心が薄まった。
ソープ初回に3万使った時点でケチさがかなり薄まった。ゲームを買う金を惜しまず、衣服を買う金を惜しまず、部屋を片付ける時間を惜しまなくなっている。
というか考え方が完全に逆になっている。せっかくソープ行くんだからソープ嬢さんに失礼ないように髪切りにいくか!で4000円飛ばしている。1000円カットで十分、できれば髪切るのに金なんて使いたくないとソープ前は思ってたが今はそんなこと何も考えず金使ってる。
無の価値を多めにとる。多分そんな考え方を今してる。これからは価値がなんだかよく分からないブランド品とか、服とか、センスだけは良い何かとかも買えると思う。だって今日7万の無を買ったんだし楽勝楽勝!ソープ嬢との記憶よりは実用性がある何かを買うのにためらいはもはやない。
高い値段はそれだけで他人に財力や見る目があるみたいなのを示せるのでそれだけで価値があるし、実際高いものは質もおおむね良いものだ。理性が価値を理解できなくても、価値は存在し金は使えるし皆使っているのだ。
他人の金の使い方が少しわかった気がする。7万で無を買える無意識様にかかれば有を買うなど楽勝だ。
無の価値は多分人気投票とかブランディングとかで増えるんだろうけどここでは割愛
という訳で自分が価値を見出せるオタグッズとか実用品以外の、理性基準の価値がないものを買えるようになった。
③すべての女にはマンが付いてるし男はがっつく
ワイはいわゆるモテない男で、昔一瞬だけ居た恋人一人を除いて女性とセックスしたいとも思ってなかった(嘘である。消極的だが機会があればやる気はあった。正確にはその恋人以外のマンにがっつく程の価値を感じていなかった。その恋人のマンにはがっつきたくなかったので結果的にがっついたことがないだけである。その恋人は見るたび惚れ直すし今でも見るたび惚れ直すので正直面倒がられている。たまに会うたびに発作でデートに誘うのも断られるのも恒例と化しており、ワイも自分で面倒だと思っている。なんというかコレと決めた女だった。また会ったらそう思うと思う。他に恋人作っても視界に入れたらまた惚れるだろうから困る。)
この考え方は今日までなかったのだが、全ての女にはマンが付いている。そのパワーで7万使った事実すら無に帰すあのマン、実際気持ちいいが7万の価値は感じなかったが無意識の方はとにかくそれをもっと寄越せと叫んでいるっぽいあのマン。なんと女性には標準装備であり世界に30億程度存在する。
隙あらばワンチャン狙ったり、良い服装良い髪形にしてみたり、格好つけたりデートの度にバイト代を貢いだり相手が喜ぶような言葉をかけ続けたりして皆アレ好きねぇと思っていた。ソープ行って分かったが実際それだけの価値があると無意識の方は叫んでいるようだ
で問題はこっからなんだが、これ価値の割に世界にあふれすぎじゃないか?
その気になればレイすれば手に入るし、レイも日本じゃ少ない。実際買えるしレイする必要すらないほど世界にあふれてる。人間と付き合う動機はその頭にあると思っていたが、女と付き合う動機はマンで十分すぎるほどあるようだ。
どう考えても隙あらばワンチャン狙ったり、良い服装良い髪形にしてみたり、格好つけたりデートの度にバイト代を貢いだり、相手が喜ぶような言葉をかけ続けるだけで手に入るのは安すぎ。
7万じゃ理性君は高いと叫ぶけど無意識君の方は7万程度ならそれを問答無用で0で認識させる。
最低7万円の投資までなら0円、しかも服装とか話術とかは多数のマンに使いまわしが効く。そりゃみんな欲しがるわ。
色々な場所で女にモテる為に人間性まで捧げてる報告見るけどそれも納得。どんな事してでも手に入れようとしてる当たりに一貫性の美すら感じる。
ワイが気付いてなかっただけだが男はもっと色々なものをマンのために使えるようだし使っている。進化心理学によると人間のほとんどすべての行動は生存と生殖にかけられているらしい。予想以上にマンの価値は高い。
④思い出
一人は例の恋人、もう一人は別の高校の課外活動で同じになった子だった。ワイに好意があったらしいその子とはデートに誘われて出かけたりしたんだがワイは例の恋人と上手くいった段階でデートすることはなくなった。(先輩には別れ方?に苦言を呈された)
例の恋人とは結局川で並んで無理やりキスまでで終わってしまった。
今思い返すなら好意があったらしい子とは絶対セックスするべきだった
何というか自由な子だったので普通にやらせてくれたと思うし、当時もそう思ってた。童貞なDKなワイはそういうのは良くないなと思っていた。
例の恋人は真面目であろうとするが真面目ではいられないタイプだった。河原で無理やりキスした時は割とうれしそうだったがダメだと言われそれ以上しなかった。今だったら絶対もっとしたし彼女の真面目であろうとする性格を無視してでも彼女を喜ばせるだろう。
結論チョロいタイプだったから他の誰かに食われてると考えると腸が煮えくり返る。昨日までは彼女にダメ言われたことはしなかっただろうからこれは間違いなく大きな変化だ。今だったら彼女の持つ貞潔さへのプライドより自分の欲望を優先するし、そちらの方が良い結果になっただろう。卒業した後みんなで飲んだ時は彼女はあまりにも無防備でその時襲えばよかった。
男視点だととにかくヤレば勝ちみたいな考え方があるが口座から消えた7万を全く考慮させようとしないワイの無意識を考えるとそれはかなり正解のようだ。少なくとも世の男はそうしてるようだし、今のワイの理性の方もそれにかなり同意している。
ZOOM婚活パーティーに参加したところ、自分が一番かわいいなあと思っていた女性とカップルが成立してしまった
カップル成立後、個室で1対1の会話をする中で「休みの日って何してるんですか」と聞くと「増田さんははてな匿名ダイアリーってご存じですか」と驚愕の回答が返ってきた
彼女「私は最近はじめたばかりなんですけど増田さんは以前から増田なんですか」
自分「まあかなりのベテランですね。ホッテントリ入りとかザラで1000ブクマ超えたもの結構あるなあ」
彼女「すごいじゃないですか」
自分「ここだけの話、クソデカ羅生門って僕が書いたんですよ。あと最近だとケンタッキー初心者指南とか。三国志増田も自分の作品っすね」
彼女「すごいすごい。今度目の前で見せてくださいよ。ブクマ伸びていくところとか見てみたい」
希望の職種に就いて入社3年間一生懸命やってきましたが、人員整理で消去法で異動を告げられました。泣きながら断りましたが、結局留まり続けても仕事がないので異動せざるを得ませんでした。それは仕方のない事なので誰も恨んでいませんが。
異動先を極端に例えるとこれまではビール作っていたけど発泡酒を作る感じでした。
その異動先でもお前は仕事を向いてない、トイレ掃除の方が向いていると言われて(職業に貴賎はありませんが)ほぼ背水の陣で週一くらいで泣きながら仕事をしていました。それでもあの時に志した仕事を絶対手放したくないという気持ちから徹夜上等、休日出勤上等で身体を壊しながらなんとかギリギリのところで踏ん張っていました。
とにかく誰からも認められていませんでした。それだけ成果が人から見えにくくベテランの評価1つで全て成果が固定される立場でした。そして出来る人達のように自信満々に振る舞う事が心底苦手でした。
異動して4年目に奇跡的に良い結果が出ました。そこから徐々に仕事の手応えを感じるようになりました。大学から数えるとその時がちょうどこの分野を志して10年くらいでした。ジョブスほどじゃないけど、点として散らばっていた事が線で繋がり始めるように、当時はわからなかった事がどんどん謎が解けるようになりました。あえてキャッチーな表現をするとこの時エンジニアとして覚醒したのかもしれません。その次の年に誰も期待していない無理難題をひっくり返して解決してしまった時に、裏方の隅っこで仕事をしていた自分のことを周りの人も認めてくれた感覚がありました。
人生が仕事一色で自分は成功パターンじゃないなと思うけど、それでも人生の唯一の宝物がついに手に入った事はかけがえの無い事だと思っています。
今自分の好きな仕事を泣きながらしている人がいたら2つのことを伝えたいです。1つは毎年出来ることを増やすために、自分の出来る範囲以上のことにちょっと無理しても挑戦すること。もう1つは、まずは3年とよく言うけど、技術職が本当に身につくのはもっと時間がかかるので、根気よく続けることだと思います。
(ここから自慢)覚醒後の仕事は楽しいです。周りの人が悩んでる事は秒で解決出来るし、誰も今まで出来なかった事も手順を踏めば出来てしまいます。なろう系の主人公の気分です。自分の好きな事が一番得意な事なので飽きません(自慢終わり)そしてこれからはこの技術を使って沢山周りに恩返しをしたいと思います。
キョンキョンが共産党から出馬の記事は内調の工作だと主張する記事が
今回の一件は、小泉が政治や社会問題について発言してきたために狙い撃ちされたということは間違いない。
その根拠が
この小泉の企画が「取締役案件」だったらしいことだ。新潮関係者が語る。
内調がその言動をずっと監視しているといわれているからだ。内調の動きに詳しいベテラン週刊誌記者が語る。
「…らしいことだ。」「…といわれているからだ。」そのネタ元も存在するかもわからんそれっぽい存在。
結局テメーら(LITERAも含めたマスゴミ)がやってるのは、願望と憶測と不確かな情報(中にはでっち上げられた情報源)を吐き出してるだけ
自分は実は、ニコニコ動画が衰退したとはそこまで思っていない。
瞬間爆速的に100万再生まで上り詰め、最終的に400万再生とか平気で回るようになるのは、以前ではとても考えられなかった。
では所謂初期だの、ニコニコ最盛期だの言われていた時期が今と何が違うかっていうと、素人の動画が劇的に伸びないということ。
有名Pの動画が伸びるようになった一方、知名度のない投稿者はほとんど評価が付かない。
クオリティが低いかと言ったら実はそうでもない。黎明期に殿堂入りしたくだらないネタ動画よりよっぽどハイクオリティな動画が、マイリス2とかで終わっている。
そしてくだらないネタ動画の方は本当に減った。スベるからな。(代わりにVOICEROID周辺で増えた)
上位は10年以上前から活躍する有名Pがほとんどだ。全部で11ページあるはずだが、2ページ目で早速マイリスト値が10を割り始める。
本当によっぽどでない限り、新人は目を向けられることもない。こんなに夢のないこともない。
誰でもできるのが初音ミクじゃなかったのか。
当たり前のことだが、公式が関与して曲を依頼したりイベントに呼んだりするのも有名Pだけだ。
初音ミクの公式にあたるクリプトンという会社は、ピアプロコラボという公募イベントを行う。大体常に何かしら募集中といってもいい。
しかしながらそこで採用されるのも既に公式に近い所で活躍している人が多く、シンデレラが生まれることは稀だ。
そもそも初音ミクという文明が進行すればするほど、これは困難になる。
初音ミクの発売当時、黎明期から活躍するボカロPはもう活動歴13年とかになる。それ以前からバンドマンやプロの作曲家だった人もいる。
そんなベテランたちを、この前始めたばかりの人が倒せるはずがないからだ。どんどんハードルが高くなる。
それでもいいじゃんと思うかもしれない。むしろ短期的にはそっちの方がいいかもしれない。
でも人は辞める。蜂屋ななし氏が先日引退を発表したように。
人はどこかへ消える。米津玄師氏が身一つでどこかへいってしまったように。
ちゃんとバトンが渡ればいい。幸いここまでは誰かしらがバトンを拾ってきた。では10年後は?
俺はボカロPだ。上に挙げたような超有名どころではないものの、ある程度知名度はあって投稿すれば「〇〇Pの新作だ!」「流石の〇〇Pクオリティ!」と言ってもらえる。
でも後から始めた人はそれすらない。名前を覚えてすらもらえない。居場所を見つけられずに去っていく。そういう人たちを大勢見てきた。
リスナーが知名度やクオリティに惹かれて動くのは当たり前なので、ここはもう「頼むぜ公式」以外に言いようがない。
実際誰でもできる感が強いVOICEROIDの結月ゆかり※の方が、今動画数やアクティブな投稿者・リスナー数で抜かれている。(※ボイロ版の話)
誰でもできるのが初音ミクだということを、もう一度思い出させてくれ。
これ「売れる」ってスキルが最上位に来てるから若林の言葉に違和感がないけど、売れるスキルと売りたい技能が別の場合そうでもないよなあ。こいつなんでトップにいんの? みたいなケースがたくさんあるし。
格闘家の那須川天心が先日YouTubeで朝倉未来と対談してて、那須川が言うには、最近実力がないのに目立つことができる人が出てきて、それは違うなと思う、と語っていた。対する朝倉は強いだけで売ること考えないやつにも問題ありますけどね、と釘を刺した。
これ、スタンスの違いなんだけど、那須川は実力主義でストイシズムを全面に出した解答をしている。一方朝倉は自己プロデュース含めて総合力で勝つ話をしている。限定された世界での勝ちの話をしてない。売れるってことを是非で考えた場合、自分は天心派なので、売れるだけ売れて大したことないやつは嫌いだ(※朝倉の揶揄しての文言ではない)。
でも他方、かつての番組で拝見した、芸人のホリが言うところの「本家よりうまいものまね芸人とかまあ売れないですね」というセリフもわかる。コメディアンは本物になりすぎると世界観がマジになりすぎて笑えなくなる。真の笑い、笑いのレベル、という単語が周囲に飛び交う松本人志も心底笑えないマジな時代があった。お笑い芸人に関しては未完成な方が笑える。明石家さんまは面白い上に完璧だけど、その隙きのなさ故に流行になるような爆発力がすでにない。当たり前だ、ベテランってそういうもんだ。
納得はできるが華がない世界と、華はあるが実力のない世界なら、大半の人は後者を選んでしまう。
考えながらしたためていたけど、悲しいかな現実はこんな結論が妥当だと思う。
コロナ前に結婚式を挙げたんだが、夫婦で招待した友人Aのご祝儀が3万だった。
そこから、友人Aの粗が目に付くようになった。
まず、SNS。
挙式の何日前からか「スーツ新調。嫁とお揃い」とか、ブランド物のスーツを買ってたり、
挙式が終われば「うちの嫁が一番綺麗だった」と、式場でいちゃついてる写真をアップしたり。
嘘でも「花嫁さん綺麗だった」とか「いい式だったとか」書けよ。
「A様から挙式後『最後に食べようと取っておいた肉を、トイレに立ってる間に勝手に下げられた。サービス業としていかがなものか。また、全体的に味付けが濃く、口にあわなかった。』と"非常に強い苦情"を受け、謝罪いたしました。A様には、苦情を入れたことを新郎新婦に伝えないよう申し付けられましたが、誠に勝手ながらわたくし個人の判断でお伝えします」
わざわざ伝えるなんてリスクしかないのに、我々がおかしな人と縁切りできるよう信頼して教えてくれたのだ。(たぶん)
中盤に出てくる肉を残してたらそのうち下げられるだろ。それに、普通はクレームなんて入れない。
(式場の名誉のために言うと、食事は最高に豪華でおいしかったし、サービスも行き届いていた。)
そんなわけで、Aと縁を切ることにした。
思い返せば、あいつ、「今まで結婚式呼ばれたことない。友達いないから……」って言ってたな。
カフェマシンの部品を洗ったあと、マシンの表面をアルコール消毒していたらお客様に話しかけられた。
アドリブに激弱い私は、
「何回とは決まっていないですが、気がついたときにやっています」
と答えてドン引きされてしまった。実際この通りなんだが、たぶん「気が付かなければやらない」ということだと思われたんだろう。
「実際、大変そうな仕事だもんね」
とお客様は仰って、帰っていった。
以前、Twitterに「近所のコンビニはカフェマシンの掃除を全然やってないらしく、そこのコーヒーを飲んだ人みんなお腹を壊してる」と呟いている人がいた。へぇ、掃除を怠ったカフェマシンで淹れたコーヒー飲むとお腹をこわすのかぁ……と、カフェマシンの掃除を怠らない私は余裕綽々の気分で思った。そしてバイト仲間のAさんにそのことを話したら、
「それはそうですよ!」
とAさんは言った。それはそうだと思いながら、Aさんはベテランパートの人が辞めてから1ヶ月以上、カフェマシンの豆の入っている容器の部分を取り外して洗う作業を「オーナーがやれって言わないから」という理由でやらずに放置していたのか……。(その仕事は、誰もやってないことにある日気付いた私が引き継いだ)
ストーカー客はいつものように、私が一人で店番をしている時間を見計らって来店。ただひたすらこっちをじろじろ見てくることと「タバコください」の一言でいつもの銘柄を二箱出させるという地味な行動を相変わらず続けてくる。私は「この人はコンビニ店員に嫌われに来ているのだ」と思うことにした。
今日は調子がいいぞと思って仕事をしていたら、普段の私には信じられないタイプの失敗をしてしまう。どういう失敗なのかというと、ややこしくて説明するのが面倒臭いので書かない。らしくない失敗というのは謎に複雑系になる傾向があるような。少なくとも私の人生ではいつもそう。失敗の経緯を説明するのが面倒で、オーナー宛にただ損失額と謝罪文だけを書いたメモを事務所に残して帰ったけど、今のところ別にオーナーからどうしてそんな失敗をしたの? という電話はかかって来ない。