はてなキーワード: ましたとは
その彼との出会いはある日突然の出来事でした。
当時、わたしはジョギングを日課としており、毎晩仕事が終わってから寝るまでの間に1時間ほど走っていました。来る日も来る日も、例え雨の日でも、大体同じようなコースを飽きることなく走り続けていたのですが、こうも日々走り続けていると体がどんどん走ることに慣れてきてしまい、いつもと同じ距離では疲れないし、走り終えた時の達成感が得られなくなっていました。
そんなある日。
いつものようにジョギングをしていたわたしは、ちょっとだけ冒険をしてみることにしました。それは本当に小さな冒険でした。
ふだんであればその場所でUターンをして帰途につく場所を、その日はもう少しまっすぐ進んでみることにしました。そしてその先にある右に入る小道に入り、大回りをして復路とすることにしました。大回りとは言っても距離にすると2km分いつもよりも多くは知ることになる程度のわずかな距離ではありましたが、それでもいつもと違うコースを走っているということにとても興奮しました。
小道に入り、しばらく進むと視線の先に不思議な光景が目に飛び込んできました。
それは小学校の校庭を掃除するときによく使っていたあの大きな竹ぼうきで歩道を熱心に掃いている男性の姿。それだけでは決して不思議でも何でもないのですが、この時すでに24時20分。真夜中誰もいない歩道、そしてそこは家の前やお店の前などではなく、大きな道と道を結ぶためだけにある細い細い歩道を熱心に掃き掃除し続けている男性の姿はとても異様で、わたしはきょうに限ってこの道を選んでしまったことをひどく後悔しました。
とても怖かったわたしは彼の後ろを急いで通り過ぎようとしたのですが、彼はいくらわたしがそばに寄っていってもわたしという存在にまったく気付かず、それは熱心に掃除を続けていました。それは、まるでわたしがゆうれいか何かになってしまい、彼には本当に見えていないのではないかと不安を感じるほどでした。先ほどの彼を見たときに感じた恐怖心とはまた別の恐怖がわたしの心に芽生えました。
とても細い道なので、彼には少し道を譲ってもらわなければわたしは前に進めません。わたしは思い切って彼に声をかけることにしました。
すいません。お忙しいところ申し訳ないのですが通していただけますか。
それまでほうきを動かし続けた彼の手がはたと止まり、そしてその顔をわたしの方へと向けました。年はわたしよりも少し上かという印象を受けたのですが、それほど離れている感じはしませんでした。一生懸命にそうじをしていたせいか、どこかこわばった表情でしたがその顔はすぐに笑顔へと変わり、そしてこう言いました。
あぁ、ごめんなさい。ぜんぜん気付きませんでした。
そういうとほうきを手に道端へと移動し、わたし一人が通り抜けられるほどのスペースをあけてくれました。わたしはありがとうと礼を述べてまた走りだしました。大きな道路へと抜ける直前にふと後ろを見てみると、彼はわたしとは逆の方向へ歩いていました。それを見て何だかとてもほっとしました。
翌日。
その日のランニングコースはどうしようか悩みました。ちょっと怖い思いをしたけれど、わたしは昨日と同じ道を走りたいと思っていました。前日よりはいく分早い時間だったのでもしかしたらその人はいない可能性だって考えられるし、そもそも毎日いるわけではないかも知れない。それにこのコースは走っていて気持ちがいいし、そして何よりもあのコース自体をわたしはとても気に入ってしまったのです。悩んだ挙句、わたしは前日と同じコースを走ることにしました。
走り始めて30分。またもその場所に差し掛かったとき、わたしは思わず「あっ」と声を出してしまいました。同じ人がまた同じ場所を熱心に掃除をしているのです。前日ここを通ったのは24:20だったのですが、今日は22:00ジャスト。2時間以上も早い時間にも関わらず彼は同じ場所に現れました。
驚きを感じる一方で、わたしは何となくこの事態を理解していました。理解というのは少し違うかも知れませんが、このコースをとおると決めた時点で何時であろうと彼がここにいるのではないかということは薄々感じていたのです。昨日の時点で彼からはこの場所に対する執着のようなつよい熱意を感じていまし、そしてわたしの直観どおりに彼に再び会うことが出来たことで気をよくしたわたしは、今日は思い切って彼にあいさつをしてみることにしました。
こんばんは。
彼は静かにわたしの方へと顔を向け、その真剣な顔を笑顔に変えながらこんばんはと返してくれました。そして彼は静かに道をあけてくれました。わたしは彼にありがとうと言い残してジョギングを続けました。すがすがしい夜でした。
その次の日も、そのまた次の日もわたしは同じ道を走り、そして彼に声をかけて道を譲ってもらいました。日に日に彼に対する警戒心がなくなってきていたわたしは、徐々に彼がなぜその場所を毎日掃除しているのか気になってきました。雨の日も風が強い日もいつもいつも彼は道を掃き続けていましたが、いったいそれがどういった動機で行われているのかわたしにはまったく理解出来ずにいました。
もう少し顔見知りになったらそれとなく話しかけて聞いてみよう。そんなふうに考え出したある日、その事件は起こりました。
その夜もいつもどおりのコースを走り、そしていつも彼が掃除をしている場所を遠目に眺められる場所までたどり着いたときにいつも様子が違うことに気付きました。彼はいつもどおり同じ場所を掃除していたのですが、彼を挟んで向こう側にこちら側へ向かって歩いてくる人が目に入りました。年は10代後半から20代前半の男性でしたが、その人は音楽を聴きながら歩いており、そして掃除している彼の後ろを邪魔そうに通り抜けようとしました。
おい!!
それまで掃除に夢中だった彼が突然大声を上げました。その声はまだ2人の表情が確認できないほど遠くにいたわたしにも十分届くほどの大きな大きな声でした。わたしは驚いて思わずその場に立ち止まりました。
音楽を聴いていた彼はその声に反応するように一瞬立ち止まり、わずかに振り向き、そしてなんと全力でこちらに向かって走ってきました。さらに掃除をしていた彼は持っていた竹ぼうきを投げつけ、彼もまた全力で逃げる獲物を追いかけ始めました。
つまり、2人の男性がわたしに向かってすごいスピードで向かってきたわけですが、わたしはひどく動揺しました。事情はよく分かりませんが、この2人が本気であることはその様子から伺えました。見る見るうちに近づいてくる2人。両者の表情が見えるようになると、今度はその異常とも言えるほど真剣な表情にわたしの体は固まって動けなくなりました。はたしてわたしがいままで生きてきた中で、これほどの形相は見たことがないと断言できるほど2人の表情はそれはそれは恐ろしいものでした。わたしはいまこの場にいることを心底後悔しました。今日は走らなければよかったと泣きたい気持ちでした。
あっという間にわたしの前まで来た2人を前に、わたしは道の端に体を寄せて2人が走り去るのを待つことしか出来ませんでした。もう早く行ってくれと思いながら2人が過ぎていくのを待ちました。そして2人は風のようにわたしの横を走り去っていきました。わずか1分たらずの出来事でした。
2人が横を通り抜ける瞬間。とりわけ、掃除をしていた彼の顔を見たのですが、いつも見せる笑顔とはあまりにかけ離れた形相はいったいどれほどの怒りを抱えたらそれほどの表情になるのか想像も出来ないほど怖い顔でした。もしこの世で一番恐ろしいものは何かと聞かれたらきっと彼の顔が思い浮かんでしまうのではないかと思うほど、それはそれは恐ろしい表情でした。
2人が走り去ったのを見届けて、わたしは彼らが走ってきた方向へと走り出しました。いつものジョギングペースではなく、わたしの持てるすべての力を出し切り、全力で家まで走りかえりました。距離にして約4km。家にたどり着いたときには疲労と恐怖で足がガクガクと震えて立ち上がることすら出来なくなりました。
翌日以降、しばらくは恐怖と筋肉痛で走ることが出来ませんでした。
もう夜にあの場所へ行きたくない。わたしはそれから2週間、走ることをやめました。あの出来事を忘れようと、毎日毎日他の事を考えながら過ごしました。筋肉痛が治り、日が経つにつれて、徐々にわたしはあの日のことを忘れていきました。
心の傷が癒えるに従い、その後のことがどうしても知りたくなり、いつも彼が掃除をしていた場所を訪れました。けれどあの日以降、何時に行っても彼があの場で掃除をしている姿は見かけなくなりました。
いつも穏やかだった彼が、なぜあの日に限ってあれほどの怒りを表明しなければならなかったのか、あの音楽を聴いていた彼を追わなければいけなかったのか、そもそも彼はなぜあの時間、あの場所で掃除をしていたのかまったく分からないことだらけなのですが、彼に会えなくなった以上、もうそれがなぜなのかは知る由もありません。
けれど当時の様子を思い浮かべたときに、わたしの中にひとつのおそろしい仮定が浮かび上がってきたのです。それは音楽を聴いていた彼は掃除をしていた彼の後ろを通り抜けようとしたのですが、もしかしたらそのことが何かトリガーになったのではないかと。もしわたしが、掃除をしている彼に声をかけずに後ろを通り抜けようとしたとしたら、もしかしたらあの追いかけられていたのはわたしかも知れないのです。そう思うと、わたしはとてもいたたまれない気持ちになり、追いかけられていた彼の行く末を案じずにはいられなくなります。
社外の講習会に出席して、そのまま直帰した日。
いつもは乗らない地下鉄の線に乗って帰った。
車両はあんまり混んでいなくて、座席はだいたい埋まってるけど立ってる人はほとんどいないという状況。自分はあんまり体力ないので、空いている席に座らせてもらった。
で、僕の座ったところの左隣には、若干汚らしい服装で日に焼けた肌の老人がいて、体を斜めに傾けてだらしない座り方をしていた。
ちなみに右隣に座っていたのは髪を染めた若者だった。
電車内でただ座っているのも時間がもったいないと感じるので、自分はいつも通りiPhoneを取り出してウェブを見始めた。と言っても地下鉄で通信が効かないのでキャッシュを読んでいた。
それで何分かiPhoneを眺めていると、本当はそのちょっと前からなんとなく視線は感じてはいたのだけれど、急に老人が話しかけてきた。
「おう」と突然言われたのでちょっとびっくりして反応できずにいると、「おめえちょっとは考えれや」と続けられた。
えーちょっと待ってちょっと待って急にそんなこと言われても何を考えればいいのか全然わかりません……と思って、ここで何も考えずに言い返しても事を荒立てるよな……と視線を動かさずにちょっと様子を窺っていると、またすぐ老人が口を開く。
え? そうですか? 周り見てもみんな使ってますけど?(?_?)
学校? 今日スーツ着てるんですけど学生服に見えるのかな?(?_?)
「おい学校はどうした?」
こうやって聞かれると、無視するのもどうかと思われたので、老人の方を向いて「××大学を出ましたよ」と答えた。
すると老人は恥ずかしがるような馬鹿にするような顔で「へへっ」と小さく笑い、「そういうこと聞いてんじゃねえよ。おめえ学校で何教えてもらってたんだって」と言った。
こういう書き方をしていると、もしかするとこの老人がなんかちょっと普通に恐ろしい威嚇的な雰囲気の人に見えるかもしれない。でも実際はそうではなくて、悪い言い方だが、道端にいる浮浪者のような風体で、始終にやにやしているちょっと変わった人だった。今思い返すと、まるで酩酊していたかのようだと感じる。本当に酒を飲んでいたのかもしれない。それはわからない。
その彼の表情というのも、表現が難しいのだがばつが悪そうな感じのもので、『カイジ』で限定ジャンケンに早々に負けて退場する人々の表情が自分には思い出された。
「おめえ電車で携帯使ったら迷惑だって学校で習わなかったんか?」と老人は言う。
僕は正直困ってしまって、じっとその老人の目を見ていた。僕は苦笑いをしていたはずだ。
老人の方もその反応に困ってしまったようで次第にどもりはじめて、「へっ、おめ、おめえ口だけじゃねえか」というようなことを言った。僕もこれにはさすがに「何も言ってませんよ」と優しい口調を心がけて応えた。老人は変わらず例のにやにや顔で「そういうことじゃねえよ」と返した。
とここで、急に僕の右隣、老人とは反対の側から、「おっさんうっせーよ。黙れ」と怒り気味の声が上がった。髪を染めた若者だ。僕はちょっとびっくりした。
でまあここから先は特に重要でもないので簡潔に書くと、自分を挟んで左と右で老人と若者の言い合いが始まり、なんだかんだでそのまま収束し、全員無言になって、僕はiPhoneの使用を再開し、結局老人は自分の降りる駅に着いて、降り際に若者の方をくるっと振り返って「ぼけなす! ぼけなすー!」と罵って去っていった。若者は「んだコラかかってこいや!」と言ったがそれまでだった。
で、この経験を通じて感じたことを書くというのがこの文章の本題なのだけれど、これに関連してそのとき思い出した別の出来事があったので、そちらについてもちょっと書く。
それはこの電車でiPhone使ってたら老人に怒られた件より一年くらい前の話で、東京で友人たちと一緒に電車に乗っていたときのことだ。また電車なのだ。
そのときの僕らは四人組で、車両の中で立ったまま話をしていた。友人たちと四人で電車に乗っていて黙って立ったままでいるということはあまりない。何かくだらない話をしていたはずだ。ゲームの話とか。
でそこへ急に学生服の少年が歩いてきて、不思議な手振りをしながら「ンーッ!」と言った。本当に急なことで、正直我々は面食らった。
少年はそのまま続けてまた奇妙なジェスチャーをしつつ「ジェッ! ンーッ!」と言った。言ってから何か得意げな表情を浮かべていた。
僕らは本当に面食らっていてなにがなんだかよくわからなかったのだが、たぶん電車内で喋っているのを注意されているのだなということはわかった。ので、「ごめんね、静かにするよ。ありがとう」とひとりが答えた。
でそうしたら少年は気を良くしたのか、なぜか満足げな表情で腕を組みながら僕らの輪に入ってきて、まるで我々にとって人気者のリーダーみたいな感じでコミュニケーションを取り始めた。肩をぽんぽんと叩いてうんうんと頷いたり、ひとりを指さしてみんなに嘲笑の同意を求めたり、親指を立てて何かをアピールしたりした。また、耳打ちをするような仕草で「ウニョウニョウニウニ」というような不思議な音を発した。
しばらくそうしていたのだが、少年は延々コミュニケーションのようなものを続けるばかりで、僕らはやはり困ってしまった。向こうの行っていることは全く分からないし、こちらの言葉も通じないようだったので、ひとりが携帯の画面で「向こう行ってね」と文字を見せてみたのだが、それも意味がないようだった。
結局僕らは、いったん電車を降りる振りをして別の車両に移動した。少年は車両間の窓の向こうからこちらを見つけてまるで旧友を発見したかのように大喜びで近づいてきたが、もう一回同じ手で移動してみたらそれ以降は追ってこなかった。
で、本題。
これら二つは恥ずかしいことに両方とも僕が怒られ注意された話なんだけれど、僕が感じた共通点はそこではなく、どちらも誤った模倣がなされているということだ。
老人は、iPhoneを使っている僕に注意を行った。電車内で通話していて迷惑がられる話はよくある。でも僕はiPhoneを手に持って画面を眺めていただけだ(これって実は悪いことなんでしょうか?)。彼は「電車内での通話はよくない」という意識を誤って模倣したのではないか。
少年は、意味をなさない音の塊で僕らに話しかけていた。実際にはそれでコミュニケーションは成立していないが、彼は自分のしたことに満足していた。彼は会話という行為を誤って模倣していたのではないか。
いずれの場合も、誤った模倣によって行為の意味は失われている。携帯電話の画面を見るのをやめさせることに何の得があり、会話のような体裁で奇妙な音を発するのになんの効果があるだろうか。
この模倣が行われるのは、彼らが形式だけを見てそれらを学んでいるからで、本来の目的の存在を考えていないからだろう。母親のやることをそのまま受け入れ模倣する子供のように、彼らは一般の行為をその形式だけを見て模倣しているのだ。と思う。実際にそれは何の意味もなさない。しかし彼らにとってそれはよいことで、正しいことなのだ。
もちろん我々だって、ときには図らずときには仕方なく、形骸化した模倣をしている。
ぼくは学校がすきです。ともだちがいるし給食もおいしいのでたのしいです。でもひとつだけいやなことがあります。それはいじめです。
ぼくはいじめられたことはありませんが、3年生のとき、ともだちのたかはしくんがいじめられました。たかはしくんは学校に来なくなりました。ぼくはいまでも遊ぶけど、たかはしくんはがっこうの話をするとかなしそうな顔をします。だからぼくはいじめがきらいです。
4年生のとき、クラスメイトのおかだくんがいじめられていました。ぼくはいじめをやめさせようとしました。でもどうすることもできませんでした。いじめっ子のいわたくんに話しかけても話を聞いてもらえません。おまえもいじめてやるぞと言われるだけです。いじめを知っているクラスメイトに話しかけても同じでした。自分もいじめは好きじゃないんだけど、つぎに自分がいじめられるのが怖いから知らんぷりしなきゃいけないんだと言われました。
おかだくんも学校にこなくなりました。いじめがはじまってから止めるのはむずかしいとぼくはわかったので、つぎのいじめられっ子が決まるまえになんとかしなくちゃと思いました。そんなとき社会の授業で国連のことを習いました。これだ!と思ったぼくはさっそくクラスメイトを説得しにまわりました。
クラスメイトを説得してまわってから1ヶ月後。いじめっ子のいわたくんはまた誰かをいじめようとして、ターゲットをさがしはじめました。そしていわたくんは、ながたくんをいじめはじめました。でも今度はいままでとちがっていました。いわたくんがながたくんをいじめると、いわたくんの教科書やランドセルがかくされたり、いわたくんのつくえに落書きされるようになりました。やったやつだれだよ。おまえか。おまえか。いわたくんはまわりのクラスメイトにどなりました。でもみんな知らんぷりです。みんなもだれがやったのかなんて知らないんですから。
ぼくがみんなに説得したのはこういう内容です。みんなもいじめがきらいなら誰かがいじめられたらいじめっ子に仕返しをしようよ。それにこれに入れば自分がいじめられたとき、みんながきみを助けてくれるんだよ。やることはかんたん。ぼくが今度、いじめ同盟に入ってるクラスメイトのリストを持ってくるから、その子がいじめられたらいじめっ子に仕返しをするだけ。仕返しといっても本人にちょくせつやるわけじゃないから大丈夫だよ。本人がいないときにこっそりひとりでやるんだ。あとぼくに何か相談があるときもひとりっきりできてね。
みんな半信半ぎだったし、なかには同盟に入らないでようすを見るだけのクラスメイトもいたけど、いじめっ子のいわたくんがいじめられるようすを見てからは、じぶんも同盟にいれてもらおうといそいでやってきました。同盟に入っていればみんながまもってくれるけど、同盟に入ってなければだれもまもってくれないのが、よくわかってたからです。
いわたくんは学校にこなくなりました。まずはじめに教科書をかくしたのはぼくだけど、それ以外のことは知りません。半信半ぎだった同盟が本当に実行されているのをみて、みんなすすんでいじめるようになりました。ランドセルをカッターでぼろぼろにしたり、机にマジックでわるぐち書いたり、体操服をトイレのべんきにつけこんだり。あのつよいいじめっ子を自分の手でいじめることができるのがみんな楽しいようでした。
それからはいじめはありません。いじめっ子もいなくなりました。いたのは、こんなすばらしい同盟のわるぐちをいったわるいクラスメイトだけです。いじめかどうかを決めるのは同盟をつくったぼくです。みんなぼくにいじめかどうかを聞いてきます。最初にきめたように相談するときもみんなひとりです。だから他のクラスメイトと一緒にぼくのわるぐちをいってたわるいクラスメイトもすぐにわかりました。そしてわるいクラスメイトは学校にこなくなりました。いじめっ子も、わるいクラスメイトもいなくなって、クラスは平和になりました。これがぼくの小学校の思い出です。
世間的には、ルンペンとかダンボーラーとか乞食とか言われてて、
最近ではアンダーザブリッジなんていうふうにも言われてますね。
親と仲が悪く、金がなく、
風呂トイレ共同で家賃2万円の所に住みだしたらしいんですけど、
まあ東京行くかという風になったらしく、
池袋にあるゲストハウスみたいな敷礼0家賃3万円のところに住んでおったみたいなんですが、
家賃を払うことが3週間で不可能になったらしく、
その後は、いわいる物乞いをしてたらしいです。
ある時、新宿のサブナードという地下街の階段で寝てるときに金をすられ、
そこで次の日の朝、寝過ごし。
新宿の漫画喫茶から電話があり、お金を払えずに出れなくなったので
代わりにお金を出して「俺」を出してくれのとのこと。
その後は高田馬場にある僕の自宅に連れてかえって、
風呂を貸して、酒を出して、帰るときに煙草を買ってあげました。
どうやら明日かあさってには妹から1万円が振り込まれるようなので、
これは3週間前の話。
どうやら3週間前に妹から振り込んでもらった1万円を気付かぬうちに使ってしまったらしい。
新宿で知らない男に仕事を紹介してもらい、連れて行かれたのが、
山梨のタコ部屋であったこと。
日給8000円で家賃が1日2500円、食事代や休日のことを考えると、殆ど残らない今流行のあれです。
お金がないときの生活。
なに食べてるのか、どこで寝てるのか。
いや、何が、何なら食べやすく、どこで、どこでなら寝やすいのか。
などなど。
彼は寝ても食っても音楽野郎なので、ロック・パンクについても長々と話しました。
ドラゴンズのANARCHY IN THE UK のカバーが最高に本当の意味でパンクだなって。
そんな話しをしながら、うまそうにエコーを吸う。
どうもこんばんは。読ませて頂きました。勝手ながら私見を述べさせて頂ければ、あなたがおっしゃるように、あなたと私では、やはり少し違うかなあというところでした。もちろん、違うからどうっていうことではありません。そりゃあ人それぞれでしょう。私にも以前はそういう感覚があったかもしれません。そういう感覚とは、「恋愛してみたい」という感覚ではなく、誰かを好きであった感覚です。私は恋愛については関心がないため、恋愛をするために何かをしてみたということは生涯一度もありませんが、服に興味があったり旅行に興味があったり(すぐ飽きるんですけど)、というのはありますので、違う側面から同じような経験はしているのかもしれません。人と話すのも嫌いではないので、相手の様子を伺いながら長々と話すことは今でもよくあります。今では覚えていませんが、人を好きであったことも何度かありますし、付き合ったこともあります。どちらかと言うと重い恋愛をしています。おそらくこの、人を好きだという感覚は、私はその時にしかわからないようです。ですから、今誰かを好きになりたいとか、恋愛をしたいというような願望も全くありません。そして、今ではない付き合っていた当時でも、好きという感覚を理解はしても、恋愛については関心がありませんでした。おそらく、私はあなたと似たような経験はしています。何度か。しかしながら、私はこうでした。というお話。
http://anond.hatelabo.jp/20101118210742の元増田です。
トラバやブクマでたくさんのコメントをありがとうございました。
多くのコメントに励まされ、また、自らの至らない部分にも気付かされました。
特に「注意力の欠如」との言葉が胸に食い込むほどに残りました。正に私に欠けているものです。
一応、前記事の補足を書きますが、自己を擁護するような内容になることをお許しください。
・メモは取っていました。ただ、上司の説明は早くそして長く、説明が全て終わった後、メモ帳を見れば
断片的な言葉だけが連なったよく分からないものが出来ておりました。
(隣近所の派遣社員に聞いても同じような状況)
その場の記憶とメモ帳を元にどういう手順で仕事を進めるかを書き起こし、聞きそびれ、そして書きそびれた内容を
上司に訊ねてみましたが、そこで返ってきたのは「さっき言ったじゃん」の一言でした。
これほどICレコーダーが欲しいと思ったことはありません。
ちなみに、動作しないサンプルを用いての実践をしながらの説明でしたが、実際の仕事を始めるまで、まるで感覚が掴めませんでした。
(これは普通のことか)
派遣の身で恐縮ではありますが、最初にゴールやガイドラインを示して頂ければ、また違ったのではないかと思います。
ひとつひとつの作業を細かく説明してから先に進んでいく説明の手法を採ったようです。
(これも説明を受ける人によりけりでしょうが)
毎週1人のペースで辞めていくようになり、派遣元の会社も焦りを感じたのか、金曜日に営業の方から電話が掛かってきました。
仕事の調子はどうか、何か困ったことがあったら言って欲しい、との月並みなことを仰っておりました。
それでも何も言わないよりはずっといいだろうと思い、自分の現状をやんわりと伝えました。
「やっぱりそうなんですか」「皆さんそう仰るんですよ」「凄く聞きづらい雰囲気なんだと」「仕事も複雑で」
同僚の派遣社員とはあまり会話をする機会はありませんが、ほとんど同じことを思っているようです。
その日の仕事も終わりかけの頃、例の上司の引きつった声が隣の島から聞こえてきました。
どうやら案件の処理が間違って行なわれていたのを、上司が見つけたようでした。
「何でこういう処理をしたんですか」「ごめんなさい」「理由を聞いているんだけど」
「すみません、以後気をつけます」「そうじゃなくて、どうしてこういう処理をしたのか聞いてるんだって」
「どうして分からなかったらすぐに聞かないの?」
新たな週が始まった今日は、また2人、派遣社員が辞めてしまったようです。
私は峠は越したようなので、もう少し働いてみようかと思います。
時間はそれほど長くはないので、勉強をしながら働けます。派遣にしては時給がとっても高いということは魅力です。
何にもないまま学生を終え、就職活動も失敗した私には、この仕事が身の丈に合っているような気がするのです。
上司としては、一発で仕事を理解する素晴らしい人材が欲しいのでしょうけれど、そんな人がいたら今頃どこか立派な企業の正社員になっていますって。
発言した本人が不適切だと認めちゃった。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101122-OYT1T00661.htm
仙谷長官は自らの発言について、「適切を欠くものとして謝罪し、撤回したことを改めて申し上げたい。現代的には、自衛隊は実力組織あるいは実力部隊と言うべきところの言い間違いだった」と改めて発言を撤回し、謝罪した。
これでもう、日本の政治家は「暴力装置」という言葉を使えなくなりました。
政治的に正しい表現は「実力組織」あるいは「実力部隊」となります。
「暴力装置」は自衛官・警察官に対する偏見に満ちた表現なので、公の場で使うと糾弾されます。
http://anond.hatelabo.jp/20080506041614
誰かやってそうなものなのに誰もやってないので書いてみる。
はてブ界隈に姿を見せる著名人たちを新旧拘らず、割と独断で書いていってみる。
(追記 2010-11-22)見直してみたら、GIGAZINE とかもろまとめ下と被ってて残念な感じだった。まあいいや。
(追記 2010-11-23)たくさんのはてブありがとうございます。はてな村というかホッテントリじゃんという意見があったのでタイトル変更しました。あとコメントの意見や思い出した分を下にぼちぼち追加していきます。政治家とか全然入ってなかったわ。
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サービスの規模を再検討して、VC は投資額を 3 ドルに引き下げたそうだ。
アップデート2:
後ろで爆発音がしたので振り返ってみたら。
(YouTube)
↑こんなことになっていたとは・・・。
普段から後ろにも注意が必要ですな。
いっそ振り返って爆発を浴びればいいんじゃないか。
爆発音がしたので振り返ってみたところに自分の携帯電話の契約者固有IDを、HTTPリクエストのヘッダとして、telnet で手作業で送信した。すると、思ったとおり、突破できてしまった。
「後ろで大きな爆発があったようです。もう iPhone もガラケーと同じようなものと思われつつあるのかもしれませんね!」
(訳:湯木進悟)
糸井「それで、爆発音がしたんですよ。」
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岩田「ええ。」
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糸井「そしたら、振り向かないわけにはいかない。」
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糸井「いかないでしょう。でも考えたらこれってすごいバクチ。だって爆発してるに決まってるんだもの。」
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岩田「バクチですね。でも分かるなぁ。わたしもそれとまったくおんなじなんです。」
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糸井「うん、うん。」
実際に爆発する音ってのを聞いてみると、マンガで書かれるような音。あのドカーンって幼女の近くで爆発が起きて思わずおしっこをパンツからじわり、ポタポタと漏らしてしまうような音じゃなくてバンって乾いた音が一瞬大きく鳴るだけなんですね、実際は。それで振り返りました。
「振り返れ…早く振り返るんだ…」
目が濁った、死んだメザシのような声が後ろから聞こえてきた。
爆発したような音がしたので振り返ると、月がいた。「このマンガは何ネ!?」
嫁バレしました。
後ろで爆発音がしたので、もちろんちきりんはすぐに振り返っちゃいました。
未来を潰されてもう詰んでいる若者たちもどうせ暇なんだし、振り返ってみたらいいんじゃないかな!混乱ラヴァーズですから。
そんじゃーね!
まぁ後ろで爆発音がしたというのは大変物々しい話ではありますけれども、GREE や mixi を巻き込んで爆発などして共倒れを希望してやみません。
後ろで爆発して、何か問題があるの?
「後ろで爆発音がした」何だと騒いでいるようだが、770~806MHz帯FPU(時価4700億円)を開放すればそうした騒ぎも収まるだろう。
爆発じゃ〜〜〜!800MHz帯が解放されないなら爆発じゃ〜〜〜!
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やってみて分かったことは。文章の癖が強く出る小説家とは違い時事ネタを盛り込まねばならないので比較的書きにくい。ということ。
本家と比べて分量が全然足りないが疲れてしまったのでもうポスト。
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ただ振り向いただけなんですけど、ジョニー・デップに激似ですよねって言われてしまうんです
ほんとただ振り向いただけなんですけど
「何 今の音?!どうしたの?
とってもチキンとした響きだと思います。アッハッハッハ!」
後ろで爆発音がした際に失敗せずに振り向ける10の方法
はてなユーザーが陥りがちな爆発音関連問題
爆発音がした時の振り向き方10選
爆発音が悲惨すぎる件について
爆発音で覚える英単語
爆発音を使いこなせる上司になろう
爆発音がこの先生きのこるためには
後ろの爆発音を知らない子供たち
爆発音がもっと評価されるべき10の理由
「だるい」「疲れた」そんな人のための爆発音
後ろの爆発音にまつわる噂を検証してみた
全盛期の爆発音伝説50
日本から「爆発音」が消える日
日本を蝕む爆発音
なぜ後ろで爆発音が楽しくなくなったのか
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 19:39:35 ID:BWbXGtNs0
けっこう大きい音したらしいぞ
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39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 19:45:03 ID:rwPu6I2u0
http://livedoor.blogimg.jp/insidears/imgs/e/e/ee82931b.jpg
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48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 23:41:26 ID:JcyyOxvZ0
>>39
あずにゃんペロペロ(^ω^)
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55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/09(水) 23:39:14 ID:2yEVuc7f0
>>39
ペロペロ(^ω^)
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( ゚毒 ゚)<廃村で何か爆発してた。
爆発音に振り向くというモノがなんだか良く分からないのです
(直筆メモ)
今回のビデオは、爆発音に振り返らなかった様子がありありと記録されていた。
【小泉】私は今回の、この件を考えるにつけて、なぜ、もっと早く振り向かなかったのか、そもそもはそこなんです。総理大臣にお伺いをします。
今回の、今日、爆発が起きたという一報を受けて、もっと早く振り向けばよかった、こう思いませんか?
【管】私は、あのー、何度も、おー、ま、あのー、おー、お聞きになっていたと思いますが、今回の一連の経緯の中で、えー、一般の行政情報、
おー、も、扱い、例えば大臣が自分の判断で表に出してもいい、やめとこうという事ができるものと、今回のように捜査がからんで、捜査上の資料という位置づけになったものをどう扱うのか、えー、
私も、総理という立場ではありますけれども、やはり、捜査に関連するものについて、個別案件に、どこまでですね、
えー、こうしろああしろと言えるのかというのは、第一義的には、えー、やはり捜査担当の、捜査当局が判断すべきものだと思っております。
ま、そういう意味で、今回の、おー、振り向くことについては、一定の手続きのもとに、えー、地検が例外的な措置を認める形で、
えー、この、おー、委員会に、出したわけで、あります。ですから私は、あー、そういった手続きの下でやられたことでありますから、
あーっす、必ずしも、おー、そういう手続きを無視する形で、えー、振り向くべきだったとは思っておりません。
お股に手を置くとぺたんと何も無いのが面白かった。
あーこれで中指動かすのかーって。
舐められながら「今朝Yahoo!でやりかた調べてきたんです」って
言われてとてもエロかったです(もちろんそれなりに経験はあって)。
本当にせくーすしてもいいのか、もしかしてあんまりしたくないんじゃないか、
僕はこのままでも全然いいんだけどな、とか考え過ぎてしまって、
シャワーを浴びた二人ベッドで5時間おしゃべり。
いままでにいちばん自然にそうゆうことができたときのことを思い出して、
やっと体が触れ合えました。女の子からはやっぱり言い出しにくいんだということを学習。
悩むのは最初だけでくっついちゃえば何をして何をしちゃダメなのか、
チラ裏っす。
相手はなんでもしてくる奴らなんだから、侮るな!
と言った方が伝わりやすいかもしれませんね。
他の増田へも書きましたけど、良くも悪くも真似るというのは成長への近道です。侮ってはいけないと思います。
この元エントリで言いたいのは、他人を蔑んだり、認めないままでいて、気がついたら追い抜かれてたなんてのはイヤだなってこと。
だから、見習えばよいといいたいわけでもないのです。
相手の劣っている部分ばかりを見るより、相手が有利な部分を認め、それを克服することが大切だとおもうのです。
あと、中国人だからと十把一絡げなのもいけない、と自分に言い聞かせていたりもします。
比率はどうあれ、よい人もいる。それも認める必要があると思います。
なんとなくその原因もわかる気がして、それは綱渡りの競争で勝者にならなければならない義務感が全面化していることなのではないかということだ。
職場はもちろん、親、兄弟姉妹、配偶者、恋人、友人、あらゆる人間関係で安心できる場所が少ない。
もちろん、子供でもない限り「無条件に自分自身を受け入れてくれる場所」なんていうものが誰にでも用意されているわけではないのは当り前だけど、
今の日本の社会って「失敗できない」という感覚が強過ぎやしないだろうか?
「あいつは使えない。使えないやつとはつるまない方がいい。いつ自分の評判に響くかわからない」。
実際、中学生あたりの年頃に、いじめる側にまわるかいじめられる側になるのか戦々恐々とする構造とあまり変わらない。
裏で働いているのは利害関係の論理で、この利害の理屈があらゆるところに顔を出している。
でも、個人的な関係まで悪化するかはともかくとして、ビジネスの場ではある程度それは仕方の無いのことだ。
しかし、恋愛関係が損得勘定なのは珍しくないとしても、親兄弟や利害が無いはずの友人関係までもが損得で勘定されかねない今の状況はどうなんだろうか。
いけてるやつとつき合いのあるいけてる自分、いけてないやつとつき合っているいけてない自分。
そして、自分は自分の友人や親兄弟や恋人から見て、いけてるのかいけてないのか?
あるいは実際はそういうわけでもないのかもしれない。
親兄弟・友人同士の関係における損得勘定感覚、利害の論理はもしかするとそれほど前面化しているわけではないのかもしれない。
だけど、ここで重要なのは「そう感じられる」ということだ。不信の種にはそれだけで十分だ。
社会生活を送るにあたって「失敗できない」という緊張を延々と強いられたらどうなるだろう?
誰に対しても「へまをすれば自分は徹底的に見捨てられる。だから決してミスをしてはいけない。この綱を踏み外してはいけない」
という強迫観念を持って日々を生きなければならないとしたらどうなるだろう?
そして、失敗してしまった人間が「自分はへまをしてしまった。綱から落ちてしまった。だから自分は見捨てられても仕方ない存在だ」
と感じているとしたらしたらどうだろうか?
恐れる人間は当然のようにその恐れの原因である自分の物差しを、そのまま他人を評価する物差しとして使う。
この場合「へまをしないようにそこに精力を傾けて努力している私は、へまをした人間を切り捨ててもいいのだ」という感覚だ。
こうして実感された全方向における関係性の「綱渡り感」は社会的現実になり、再生産され、綱から落ちた者への容赦ない冷笑・蔑視・罵倒は正当化される。
とにかく明るく元気で前向きにいることが義務づけられているこの空気の中、
少しでも気鬱な表情を見せれば途端に敗者の匂いが漂い、それだけであらゆる場面で敬遠の対象になってしまう。
今までの日本社会ならば、失敗したとしても、明るく元気で前向きにいることが可能だった。
社会全体が経済的な繁栄を享受する中で一度二度つまづいたとしても、もう一度立ち上がってライフコースを再構築するくらい日本社会の路は太く安定していたからだ。
「なあになんとかなるさ。死ぬわけじゃあるまい。人が人でなくなるわけがあるまい」が現実だったのだ。
だけど、今や日本社会の路は一本の綱になってしまった。誰かがどこかで失敗することは避けられない。
そんな社会で私たちは「一度躓いたら徹底的に孤立する」という「綱渡り感」から逃げられない。
「みんながやっている綱渡りなんだ。敗者が孤立するのは当然だ」という声があらゆるところから聞こえる。
でも果たして本当にそうなんだろうか?本当に失敗した人間は孤立しなければならないんだろうか?
目の前の路は、落ちたらまっさかさまに孤立へと落ちる、一本の綱なんだろうか?
実は、目の前の路を「綱渡り」にしているのは僕たち自身なのではないだろうか?
僕の弟は今大学4年生で、本命ではないけれども、某企業から内定を頂いている。だけど本人はひどく落ち込んでいるようだ。
大企業へ就職する者が多いという周りの友人に比べた時、弟は、既に失敗している、綱から落ちてしまった、という思いがするのだそうだ。
驚いたことに、留年してもう一度本命の企業(某広告代理店)に挑戦したいと言い出す始末。正気の沙汰とは思えない。
挙句の果てに、弟は僕に対しても卑屈な態度をとるようになってしまった。
僕の会社は弟の内定先よりもはるかに知名度の低い会社だというのに、だ。そんな弟を見るのは軽くショックだった。
だけど、自分の周りを見てみても、もしかしたらそういう感覚は、この日本社会ではもう当り前なのかもしれないと思うようになった。
共に氷河期の就職戦線を生き残った大学時代の友人が、弟とまったく同じ卑屈な態度をしていたからだ。
失業をきっかけに鬱になってしまった彼の元を彼の妻は去っていった。幸か不幸か彼らには子供はいなかった。
そして友人は変わった。ひどく自分を卑下し、まるで「まともな人達」と同じ場所で生きていること自体が申し訳ないことかのように振る舞うようになった。
彼の失業や離婚に心を痛める人間は世界で彼ひとりしかおらず、他の誰一人として彼の心痛を共有できるものはいないかのような物言いをするようになってしまった。
氷河期世代の割に比較的のんきに生きてきた僕は、今とても恐ろしくなっている。
今まで考えたこともなかったけれども、もし僕が会社から解雇を告げられたら、あの卑屈な表情を僕に向けてきた弟や友人は僕を嘲るだろうか。
僕の恋人は負け犬を見る様な目で僕を見て、そして僕から離れていくだろうか。何より僕はそんな態度をとり始めた周りの人間を恨まずにいられるだろうか。
人生の苦しい状況で、支え合うことよりも、蜘蛛の糸を奪い合った亡者達と同じように蹴落とし合うことを選び、
ひたすら損得と利害だけで行動するような餓鬼の如きなにかに成り果ててしまうのだろうか。
綱の下に広がる網は、綱の上を歩いている時にははっきりと見えるけれど、一度綱から足を踏み外した瞬間に消えてしまうのかもしれない。
なんという恐ろしさ。徹底的に孤立するから綱から足を踏み外せない、でも誰かは足を踏み外さなければならない。
ならば蹴落とす、自分が落ちない為に。落ちたやつには目もくれない。
こんな緊張があらゆる人間関係で全面化してしまったら、そりゃ狂うわ。
綱をうまく渡れている時でも生きている心地がしないもの。
「もし、お前の一番の希望が通らなかったとしても、その時は僕がどこかにコネをつけてやるから。そのくらいはなんとかなるから。だから後悔の無い様に思いっきって挑戦してください」と。
そして、友人にはこうメールする。「元気?お前が暇なうちに久しぶりにまたオールナイトでも見に行こうぜ」。
彼女にもメールを送る。「お仕事おつかれさん。今度、温泉でも行っておいしいごはんでも食べて一日中ぼーっとしてゆっくりしよう」。
多分、会社の同僚にも送るだろう。今はもうあんまり顔を合わせなくなった大学時代の友人や高校時代の友人にも。父と母にも送ろう。
少なくとも、僕にできる部分だけでも常に網を張っておこうと思う。
きっと今は、そういうひとりを思いつめさせないように気遣う努力がひとりひとりにとって必要な時代なんだと思う。
そうじゃなきゃ、みんな悲惨な気分を内に秘めて、そして隠しきれずに卑屈な顔をしながら生きていかなければならなくなってしまう。
いいことがあれば共に喜び、わるいことがあったら共に悲しみ、そしてまた再スタートを切ることをお互いに後押しし合わなければダメなんだと思う。
これだけ厳しい時代なんだから、経済的な意味でも、人間的な意味でも、そのくらいのことができなければ、僕たちは人間でなくなってしまう。
タイトルをつけてみました。本当に世知辛い世の中ですよね。義理人情、僕は余り義理というやつが好きではないのですが、人情が廃ればこの世は終りだ、と実感するようになりました。
子供の自殺と、親の抗議について
ここのところ、子供の自殺が相次いでいますが、何れの場合も原因は学校だけが悪いかのような報道となっています。が、原因は本当に学校だけでしょうか。
子供の最大の味方は親だと思います。子供が危機に直面している時に味方になってやれなかった、やらなかった親の責任は学校よりも大きいと思います。
そう思うと、自殺した子供の親が被害者ヅラをして学校に原因究明など抗議している姿を報道などで見ると、自分の責任を他人に転嫁している、責任のなすりつけをしているように見えてしょうがありません。
これでは死んだ子供も浮かばれないと思うのですが、皆さんはどう思われますか?
* はてなブックマーク - 誠 Biz.ID:「新・ぶら下がり社員」症候群:辞めません、でも頑張りません――「新・ぶら下がり社員」現る (1/2)
だから付け加えとかなきゃなんなかったんだって。「そのくせ文句だけはいっちょまえ」
って。
* Twitterに有名人の来店情報を店員が投稿 ウェスティンホテルが謝罪 - ITmedia News
いや、単純に一般人のマスゴミ化ってだけの話でしょ?日頃さんざん批判してる根性が自分らの側にもあったと。そんだけのことじゃん。れでネット住民様が相手のこと暴き返してんだから同じことなんすよね。
* 「何が必要か、事前に施設に問い合わせを」 “タイガーマスク運動”受け、児童養護施設協議会が「お礼とお願い」 - ITmedia News
あ、偽善者たちが一気にシラけたようです。なぜなら客と店員の関係が逆転したから。しかしあれだね。
言い難いことをよく言った、すごい。これで少しは押し付けがましい偽善者(含むスレとか立てるバカ)が手を引くといいなぁと思います。あとほんとに「何が必要か?」と問い合わせを受けた児童福祉施設の職員さんは、身代金まがいの要求をしてやればいいと思います。
「ネットブックを2台贈ろうと思うのですが」
いちいち傷ついてのたうちまわるナイーヴさんたち
あぁそうか、お前が大切にしてるプライベートってあれか。「うすらぼんやりインターネッチョ見てる」
それのことか。
ものの価値が安定してないオタク業界のほうがこえぇっすよ。
つまり、かような少女が実在していたとするならば、懸念される不健全性は存在したということになり、規制を推進している側の読み大当たりってこと。一見に「都が、オトナが自殺に追い込んだ」ような演出だけど、根幹に「自殺の肯定」という意識があるわけです。かつ猪瀬直樹おじさんの「マンガの関係が好きな人は人生行き止まり説」も実証しちゃうという。
* はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):「保護者の苦情で不眠症」教諭提訴 保護者「娘に差別」 - 社会
「●●は文化だ」ってほんっと思考停止キーワードだよなぁ、不倫とか。
ほら、「アニメは世界に誇る日本の文化だ」とか喚いてるバカもいっぱいいんじゃん。基本的に「価値を否定されそうになると出てくる断末魔」と考えたほうがいいかもしれない、「文化」ってのは。
で、都条例改正での「アニメは世界に誇る日本の文化」と、阿久根の壁画の「パロディ、パクリは文化」、報道陣に取り囲まれた石田純一は「不倫は文化だ」と。
やはり無力を痛感した人間が嘔吐しちゃうのが「文化」という単語のようだ。なんつぅか「権威権力は文化を理解できていない、俺にはよく判ってる」的なみかん箱の上からの抵抗。
* wikipedia:文化
ただそもそも定義を統一することが困難な概念で、ヒトの歴史の割には意味が曖昧な言葉でもある。よって先に言ったもん勝ちみたいな。ところが「文化が」と言い出したらだいたい負けるパターン。上がったみかん箱ごと片付けられちゃうという。
* はてなブックマーク - 自分のふがいなさに腹立て新幹線で全裸 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
なんとなく「やっちまった」気持ちは解らなくはないんだけど、公共の場所で「鬱憤晴らし」はやめようね・・・。(;・∀・)
それ、はてなブックマークとか使ってる人は言えた義理じゃないんじゃないかな?すごいな、自分がやってることには自覚が無いのか…。
* アルコール依存症「否認語録」
なんかここまで来ると「萌えキャラ描けば話題になる」感が否めなくなる
今頃気づいた?「話題になる」というか「話題にさせられている」んだと思うけど。広告の制作サイドはそこまで見越してるわけですよ。そっちの筋の人らって異常なほど単純だからいちいち「始まったおほっ!おほこれ始まったおっほ!おっほ!」とかなってくれるじゃん。ほんっとバカかと思うくらい単純じゃん。そっちの筋向けのマーケティングって鼻くそほじりながらでも出来るんだろうなぁって。例の神戸新聞のアレもひどかったじゃん?ただの広告なのに本気で「いけてない理由」をブックマークコメントとかで挙げてたバカがいっぱいいたし。キミらの昆虫並みに悲哀に満ちた習性ってほんっとに利用しやすいんですな。
自分の問題と他人の問題が切り分けられなくなってきたら要注意だよなぁと思う。
でもやっぱアレなんですな。世の中にはちゃんと「克服したい」と思っている人がいるわけですな。そういう人がいる一方で「誰にも迷惑かけてない」とかチンポ勃てながら喚いてるバカがいるかと思うと。
レイデン博士によると、コカインは体外に排出できるが、ポルノ画像は永遠に記憶に残るので、ポルノ依存症はコカイン依存症よりも回復が難しいという。
すごい理屈だ。
* 国民生活センター、“ペニーオークション”のトラブル急増で注意喚起 | RBB TODAY (ブロードバンド、セキュリティのニュース)
これに対して国民生活センターでは、消費者へのアドバイスとして「参加するなら、冷静な判断力を失わないこと」「一度“通貨”を購入すると返金されない」「不審なサイトは利用しない」といった注意を呼びかけている。
あー…呼びかけを足した方がいいんじゃない?「ブログやブックマークコメントで喚いても無駄」
って。そうしないと「喚いてなんかやり遂げた気分に浸るバカが一向に減らない」という問題が何時まで経っても片付かない。もうほんっと勘違いした自警団気取りがどんどん増えてんじゃん。直接何かができるわけでもねぇのに喚くのだけはいっちょまえな。
* 1位 世の中は自分に対して母親のように接してくれるものだと思っていた。
* 2位 すぐ「俺は異端だから」とか言っていた。
* 3位 自分と他人の境界がわからなかった。
* 4位 生産性がほぼゼロに近いことに気づいた。
* 5位 根拠はないけど自信はあった。
* 6位 くさかった。
* 7位 ネットは自分の居場所だと思っていた。
* 9位 すぐ「文化」とか言っていた、よく知らないのに。
* 10位 間違っているのは世の中のほうだと思っていた。
まだいっぱいあるけど?
いやほんと、漫画の話で盛り上がってるだけなら、誰もキミらになんか言おうとも思わんだろうね。それ以外の部分に全く自覚がないという辺りに、なんか気づいてみて欲しいものです。
しっかしほんと。ネットに書いてあることにいちいち傷つく人って大変だよなぁと。
あー
お怒りごもっとも。
でもtwitterでゴネてるだけじゃ何も変わらないのでやはりどっちもどっち。
* はてなブックマーク - Togetter - 「町山さんとサウジと〇〇」
そう?おれはどっちかにならねばならない的な思考の方が恐ろしいなと思った。あとなにより
当事者を交えずしてよく「結論を出そう」という気になるなというのが。何の思い上がりだろう。とまたゲイが「極論の人質」になってた。
つーかさ?
その筋に分かりやすく言うと、ネットの議論というのはしばしば「マリオカート化」するよなぁ。
あれほら、対戦相手をスリップさせたりするアイテムが使えるじゃん?ところが社会的に通用するレース、まぁF1でも競馬でもなんでもいいけど、そういうのにはそんなアイテム絶対出てこないわけじゃん。そのうち走るのが速いとかじゃなくてアイテムを使うのがすごくうまい人みたいなのが出てくる。それがネット議論巧者だったりするわけですよね。
議論とは相手を説得することより、見ている人に共感を生むほうが大事。
とか言っちゃうわけじゃん?そりゃもう「コイン全部集めるのに躍起になる人」ですよ、レースそっちのけだという。
彼らがYoutubeからFacebookまで幅広くネットのサービスを禁止・抑制しているのは、まさにこういったネットワークにそういう力が備わっていることを理解しているからです。
アラブの政変で負けようとしているのは誰なのか? - Chikirinの日記
「そういう力」ってのが「どさくさ紛れの暴動」のことだったらそりゃネットのサービスを禁止・抑制する意味もあるよなぁ。あと彼らがそうやって「ネット上で議論しても何にもならない」のを実証してくれたということでもありますな。
はてなブックマークがTwitterと連携できるようになってからこっち、歪な自己愛に満ちたコメントがかなり増えてて非常に興味深いです。
華麗なる最先端野郎。
shields-pikes 仕事 万人が旧態依然とした「対面コミュニケーション至上主義」組織に入る必要は無い。ネットの力を借りれば、非コミュが成功する道もたくさんある。自分に合ったアウトプット手段を見つけて自発的に動き続ければいい。
* Translators United for Peace - 速報874号 エジプトの若者からのメッセージ
親愛なる世界の皆さんへ、
気持ち悪いなぁ。関係ない人間の良心まで人質にとるなんて卑劣きわまりない。
o no title
そしてばっちり良心を人質にとられたバカかバカ以下の生ゴミの出来そこないどもが大興奮。
うん。
なるほど。西武が何のためにそういう催事に場所を貸すか?ってぇと、来客数の増加を見込んでということになると思うんですよ。それすなわち売上の増加ですよ。催事そのもので収益は上げられないわけじゃん?収益の種としてどっちか強いか?ったら客じゃん?自称サブカル作家は客でもなんでもねぇわけじゃん?そこ天秤にかけてみりゃ自ずと答えが。で、この催事を見に行きたかった人ってのもいるじゃん?「気になる作家がなんか出してる」とかいう理由で。その人らってのは、催事を見たいだけであって百貨店の客じゃない。言うたらパチンコ屋にトイレ借りに来る人と同様。あれは客じゃねぇんですよ。そりゃキミらがその展覧会見に行ってついでに百貨店の上から下までびっちり巡って7~8万くらい使ってくれるんだったら展覧会に充分な効果は認められようが。ところがそんなことはねぇわけですよ。そんなもん自称サブカル浸りなんてのは強烈な貧乏人なんですから。クソの役にも立たない分際風情でしかないっていう自覚くらい持ってみちゃどうだろうか。
このヘンなイベントってそもそも展示期間ってものがあったわけですよね。場所借りてる以上はそうなるんですけども。人様の力借りてる以上、その人様の都合も影響して当然である。ってより、場所借りてなんかやろうって人は足場が固まってないっつーことじゃん。
ったらその程度の分際風情でしかないんですよ。
しっかしなぁ。
大いなる勘違いなのではないか?と。というかその息苦しさの原因は社会にあるのか?という。己の身の丈見誤ってるだけなんじゃないか?と。いやおれは身の丈見誤ってるからいきなり社会が対戦相手になってんじゃねぇの?とか思うんだけど。いやほんと、こういう「己の側にある原因」を疑わないのって、基本的におかしな自己愛に塗れてるからなんでしょうな。
事の善悪よりも、デブがうつむいてフランクフルトみてぇな指で携帯電話のボタンカチカチやって完成させたメールであるというのがまず面白い。しかも全員頭にムック(ポンキッキ)みたいなプロペラついてんですよ。そんな珍奇な生物が器用にメールを。なんかもぅ戦車でいちごのショートケーキを運ぶくらいアンバランス。
だとか。
* http://twitter.com/#!/SeiichiMizuno/status/32704710267899905
「健全な社会」にすべくべくホコリを排除しようと動いた
だとか。
なんか異様に自己肯定感が低いよなぁと。自らが好むものを「不潔」や「ホコリ」サイドにおいて開き直ってる様ってのは。じゃあですよ?そういう展覧会に行って作品見ながら「わーなにこれ汚い」
いうて作家は喜ぶの?
だったら「不快」も褒め言葉になりゃしねぇか?と思うんだけど。んで。いっとくけど汚いものはただ汚いだけですよ。あれじゃん?こないだnoiehoieおじさんが「駅が汚い、どうなってるんだ!」みたいなってたじゃん?あれ?ホコリは排除してしかるべきなんじゃねぇの?じゃあなに?駅員が「アートです」って言い張ったらオッケーなの?
現実に災害で苦しんでる国民がいるのに、それを食べ物を粗末にしたから神様のバチがあたったなんて風にツイートする政治家に怒りを感じてるだけだと思うけど。右も左も関係ない。人間の感覚としてね。
はてなブックマーク - 河上みつえ氏のツイートで炎上。当たり前のことを言ったまでで、謝罪する必要は全くない!?|? 日々坦々
って、沸点低いよなぁと。なんつぅか「とかく世の中息苦しい」みたいなのってその沸点の低さに由来するもんじゃないだろうか?と思える。
処分を決定した人や殺処分した人が、どんな気持ちを抱いて執行したのか想像することすらできない人もいるんだね。悲しいもんだ。
勝手に想像してるだけだしなぁ。それは「山の神様の怒り」を想像してるのと全く同じレベル。この人まさか「おれの想像のほうが現実的」みたいな気分でいるんだろうか。で、「独善的」という批判をしてる声が結構あるんだけど。畜産家という赤の他人様の気持ちを誰も頼んでないのに代弁して他者批判の材料とするのもまた独善的だよな。
自分の欲求を満たすため、他の人々の良心、礼儀、常識、責任感、寛容、ヒューマニズム等、道徳的な信条をとことん利用する。
2:マニピュレーターの特徴
というのがあります。
まぁツイッターに向いている人ってのは社会不適合者ですからね。むしろ「ツイッター向きじゃなくてよかった」と喜ぶのが筋。世の中はツイッターだけで構成されてるわけじゃないんで。ネットで相手してもらったらバンザイ!みたいなチンケな思考を恥じてみるのもまたよしってなもんですよ。
* Togetter - 「【これはひどい】堀江貴文・東浩紀【平和ボケ無知左翼思想お花畑】」
「国防の素人」という批判の声が。
…しかしそれはほぼ全員ではないだろうか。なんでキミたちプロ気取りでいるのかね?まさか日の丸アイコンつけて毎日うすらぼんやりTwitterを眺めているのが「国防のための巡視」かなんかだと?おっとこまぇやなぁ。
結局日本人に使わせると何であろうとすぐ晒しツール化しちゃうんですね。
* はてなブックマーク - 90日以上更新のないはてなダイアリーに、広告を掲載します - はてなダイアリー日記
なんかすーごい嫌がってる人がそれなりに。でもお前の書くエントリなんて広告以下じゃん。アニメの感想とかしか書いてねぇんだから。
エジプトでなんかあるまで出番がなかったこの人のことを思うと泣けてくるんだ。この人のムダ知識がやっと陽の目を見た。家でも学校でも会社でも飲み屋でも今までエジプトの話なんかする機会がなかった。それがやっと。この人は圧政にも反政府デモにも感謝しなきゃならないという。圧政の下、数多くの人々が苦労したり死んじゃってたり。そんな人々の不幸・災難の上にあぐらをかいて、バカが小偉そうにムダ知識を披露して大層ご満悦。
* はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):日本郵便、大量雇い止めへ 非正規数千人規模か - ビジネス・経済
またバカが揃いも揃って何もしやしねぇくせにえっらそーなクチ叩いてんな。ゆうパックいいのにねぇ。ヤマトや佐川が翌々日着の地域でも翌日着だし。だけどおれはそうやって首切られちゃう人になんにもしてあげられないや。だから「それ見たことか」みたいなことを言って何様根性全開になってる↑の連中みたいになれないや。
ちょっと考えてみたいのは
* 2ちゃんねるに執拗な「殺傷予告」 新宿「通り魔事件」は起きなかった (1/2) : J-CASTニュース
これに対し、「2ちゃんねる」には「どうせ釣りだろ?」と疑うものから、「行っても何も出来ずに取り押さえられるだけ」「お前も後悔するがやられた家族と本人と気持ち考えてみろ」「やめておけ ご両親が可哀想だろ」「他人を不幸にまきこむな」などと諭す声も寄せられていた。
というのがどの年代から発せられたのか?はどこも報じないし誰も気にしないよなぁと。
悪いことやってとっつかまって、さておいくつでしたみたいなのが明らかになったのを「これだから●●歳は~」とか言い出すのってなぁ…おれはそういうのって教育科目レベルうんぬんではないと思うんだがね。もっと根幹の授業では習わない部分にあると思うんだがね。いやほんと
「授業で教えればいい」
* NHKスペシャル『無縁社会』に出たニコニコ生放送ユーザーが語る“演出への違和感” - ガジェット通信
なるほどなぁと思った。
あくまでも「遠くにいる友だちとチャットで連絡を取り合える」ことや「見知らぬ人とでもニコニコ生放送を通してコミュニケーションできる」という新しい「ネット縁」がこれまでにない新しい「縁」を生み出しているという点を知ってもらう一助となればということで取材を受けたつもりでした。
<<
そんなものが「新しい縁」だと思い込んでる珍奇な脳みそがまずおかしいよね。NHKとしては"珍奇な見本"として最適のチョイスだったんでしょうな。
私自身、番組のナレーションのトーンや内容がとてもとても暗い感じであることに、たいへん違和感を覚えました。少なくとも私はそこまで悲壮感を抱いて『ニコニコ生放送』で放送はしていないかな、と思います。
逆に悲壮感を抱けないところに問題がある。己の悲愴っぷりに自覚がないというのはかなりのレベルに来てるんじゃないだろうか。ひょっとしたら「自分より下」が存在しているのかと思ってるのかもしれない。残念ながらニコニコ動画のアカウントを取得した時点でもう悲愴まっしぐらである。この時点でもう「それより下はない」と思えなかったそのオツムのつるつる加減。ではその自称新しい縁とやらを取り上げてみよう、お前に何が残る?ってなもんだ。
<<
「ネットで大盛り上がり=実社会からの隔絶」なんでその自覚がないのです?よしわかった。お前ちょっと交番に押し入ってはしゃいでこい。とっつかまって「仕事は?」って聞かれるや否や「ニコ生主です」って言え。「元増田です」でもいいぞ。まず間違いなく尿検査来るから。
変な夢を見た。
気付くと、来年の春になっていて、
出席番号が後ろから4番目の私はずっと待たされて、
ようやく卒業証書を受け取る順番になったところで、
体がふらふらした。
気付くと地面が揺れていて、
大きな地震だった。
集団下校になった。
震源は秋田県、
でもあまりにひどいゆれだったから
チェルノブイリみたくなって
もう世は終わったなと思った。
それが一昨日の夢。
で、今朝その続きを見てしまった。
電車が2日間動かなくて、
私はベッドに腰掛けながら、
なんか切ない気持ちになった。
すごく変な夢を見て
なんか気持ち悪くなった。
酒田に住む祖母と叔母のことが心配になった。
ここのところそういう内容の章節を3、4冊読んだのと
夏休みにチェルノブイリについての作文を書いたせいかもしれないけど、
そんなこと、実際にあったら怖いよね。
向こうは活火山がたくさんあるからそれを想定した訓練が学校であったみたい。
いろいろ訓練とかしないといけないはずだけど、
でも、あんまりできてないよね、きっと。
春にペルーかどこかで地震があって津波警報が出たときも、ほとんどの人が避難しなかったみたいだし。
関東大震災とかあったらほんとに終わるよね。
まあ、そんな話はいいんだけど、
いい夢を見るには、いろいろ自己暗示かけたほうがいいみたいだから、
アロマの香りに包まれながら寝てみます。
このごろ、暑さもあって疲れてるみたい。
でも、買いに行くのもめんどいし、
すべてに疲れました。
目当ての一つは東2ホールO39aの「西理件」。私の愛読している「唐沢俊一検証blog」のサークルである。
スペースの近くまで行くと、男性が三人立っており、真ん中の人が大声で呼び込みをしていた。
「本物はあちら!」「連載は終了、雑誌は休刊、(以下よく思い出せず)」「書店で買うと送料がかかります!」一字一句覚えているわけではないがこんな内容のことを叫んでいた。
私はこういう呼び込みは大嫌いだし(以前これで嫌な思いをしたことがある)、その内容もちょっとまずいんじゃないかと思った。隣の島とはいえ唐沢本人のスペースも近くにあるのである。
本を手にとってちょっと中を見てみる。内容はブログとほぼ同じである。紙媒体でいつでも見られるのは捨てがたい……でも四冊全部買うと四千円で、ちょっと財布が厳しいなぁ……そんなことを考えつつ本をめくっていると、と書きたいところだが、耳元で呼び込みの人が叫び続けているので気が散る。「ちょっと静かにしてもらえますか」と言いたくなったがぐっとこらえ、vol.2とvol.0を買ってスペースを後にした。
24日、検証ブログに待ちに待った夏コミレポートがアップされた。
それによると、例の呼び込みをしていたのは「猫遊軒猫八」という人で、kensyouhan氏もその行為に驚きつつも止めなかったようである。
これは責められないことだと思う。今回の夏コミで氏は「高森圭」という人物から「トラップを仕掛けました」という脅迫メールを送られており、自分の身のみならず周囲に気を配らねばならない状況だったのだ。まして売り子もいない一人参加なら手伝ってくれる人がいるのはありがたい。
さて、その猫八氏の行為について、コメントで触れた方がいた。
>まりお 2010/08/25 15:43
>いつも楽しく読ませていただいております。
>
>大声で呼びこみをするタイプのサークルさんは迷惑と感じます。
>ちゃんと注意して止めるべきではなかったのでしょうか?
>お疲れ様でした。
>お役に立てたようでなによりです。
>
>>まりおさん
>10:30~14:00まで私が売っておりました。
>コミケットのスタッフさんや近在のサークルさんに何度も確かめたのですがなんとも言われませんでしたが……。
>何分、私が独断でやっていた事なのでご容赦ください。
>
>あと、面倒でなければ私のほうのブログにもコメントしておいて下さい。
>売っていたの私なので。
>http://d.hatena.ne.jp/london2008/
コメント歓迎のようだったので、猫八氏のブログに「るりるり」の名でコメントした。
>るりるり 2010/08/25 19:55
>
>コミケで検証ブログの呼び込みをなさっていたのが主様とのこと。
>申し訳ありませんが、正直「うるさいなぁ・・・」と思っていました。
>周囲のサークルさんも「やめてもらえます?」とは言いづらいと思います。
>(私はサークルでの参加経験があります。ただしこれは私個人の意見であり
>ジャンルによって呼び込みが普通であるところもあると聞きます)
ただ「うるさかったよ」と書くのはちょっとキツいかと思ったので、「個人の意見ですが」「それが普通なジャンルもあるらしい」と添えておいた。
「うるさい思いをさせてゴメンね」みたいなコメントが返されるのだろうと予想していたら……
>>るりるりさん
ハァ?
「 で は 普 通 で す 」?
「耳元で叫ばれてうるさかった」と言われて謝罪も無し?
こいつ(もうこいつ呼ばわりする)、私が「呼び込みは非常識です」と書いたら何て答えてたんだろう?
なんだか「斜め上を行く」とはこういうことか、とか、どこから突っ込んでいいのかわからない。
反論しようかと思ったが、脱力しすぎたのでやめておいた。
書いている途中で思い出したが、本を買うとき、「2000円です」と言われお金を猫八に渡したら「お金はそっちです」とkensyouhan氏のほうを指された(本をどちらから渡されたのかは記憶にない)。
猫八は「売っていたのは私」と言っていたが、金の受け渡しをしていなくても売っていたことになるのだろうか?
26日、検証ブログにコミケで隣のスペースだった「綾波書店」の代表者からコメントが書き込まれた。
内容は「呼び込みは迷惑だった」「確認はされていない」「コミケスタッフにも苦情を入れた」というもの。
それに対してkensyouhan氏はコメントと記事で謝罪した。
謝罪内容はまっとうなもので、氏はこれによってサークル代表者としての責任は果たしたと思う。
が、その後事態は混迷する。
「綾波書店」氏の過去の発言から、以前から検証サイドの人々を批判しており、唐沢俊一ファンであることが判明したのである。
で、唐沢スレにはこんな書き込みが……
>510 :無名草子さん:2010/08/27(金) 11:20:46
>コメ欄で猫八を嗜めていた「るりるり」とか「まりお」も綾波の配下のモノだろ
>532 :無名草子さん:2010/08/27(金) 11:45:00
>今となってはあやしいものだしね
>先に「まりお」や「るりるり」にコメさせ
>553 :無名草子さん:2010/08/27(金) 12:06:08
>ブログのコメ欄で苦情を言っているのは「まりお」と「るりるり」だけだしね
>こいつらも綾波の配下かもしれないし
私が誰かの配下だなど、馬鹿にするにもほどがある。こういうのを表現するために「下種の勘繰り」という日本語があるのだ。
だいたい、私のコメントに猫八がああいうコメントをするなんて誰が予想できたというのか?
「大変申し訳ございませんでした」とコメントしたらどうなっていたのだろう?
検証サイドに関係のある人に少しでも批判的なことを言うと「擁護派」とレッテルを貼る人がいる状況、何なんだ。
(綾波書店氏の正体が判明する以前だが、「穏やかに窘めていた」と言って下さった方もいた。ありがとうございます)
なんだかダラダラ書いてしまったが、私のことはどうでもいい。
猫八はmixiではなく自分のブログか検証ブログのコメントで謝罪なり釈明なりをすべきである。
※8/31追記
猫八は一旦ブログを閉鎖し、その後再開して「お詫び」を掲載した(閉鎖と再開の正確な日時はわからないが、お詫びの日付は8/27)。
>私はコミケについては経験が浅く、当日販売のお手伝いのつもりでやっていた呼び込み
>は、私の職業上の経験からすればそれほど五月蠅くはないという認識でした。
・周囲がやっていない呼び込み
・ある人物を揶揄するような内容
・客の耳元で叫び続ける
これらが「では普通です」な職業というのが何なのかわからないが(殺伐とした商店街の魚屋とか?)、世の中は広いから多分そういう職業も存在しているのだろう。
>>るりるりさん
>申し訳ありません。
(今更だが、「悪しからず」というのは「相手の意に添えず申し訳なく思う」という意味である)
>謝るのは大事だけど、
>自分の発言を削除して無かった事にするのは
>よろしくないのではないでしょうか。
それに対する猫八の回答は、
>>areさん
>以後、注意します。
わかるのは、削除した理由は、考えが変わったからでも、反省したからでもないということくらいである。
唐沢スレによると、一時閉鎖の前にコメントが承認制になり、ブログだかツイッターだかに「自らに厳しい罰を課す」という一文があったらしいが、私は見ていないので何とも言えない。
<追記ここまで>
<以下は私の思い出話的なもの>
綾波書店氏の発言内容には疑問もないわけではないし、「何で今頃言うのか」というのももっともだ。
コメントでもちょっと書いたことだが、隣のサークルへの苦情というのは言いづらいものである。
私は昔、とある小さいジャンルでサークル参加をしていた。ジャンル内は知り合いでなくとも名前を言えば「ああ、あの人」とわかるくらい狭い世界だった。
あるコミケでのスペース配置で、ジャンル内でやや大手と言えるサークルの隣になった。サークル代表者とは個人的にメール交換したり、コミケ後に飲みに行ったりして親しかったので、隣になれて嬉しかった。
が、そこの売り子がちょっとアレだった。そこのサークルのメンバーではなく、私も名前だけは知っているとある人なのだが、この人が私のスペースにはみ出して本を置く、この人を訪ねてきた人が私のスペースの前に居座って延々話し続ける、私のスペースの椅子(参加経験のある方はご存知だと思うが、コミケでは1スペースにつき2つ椅子が提供される。私は一人参加だったので椅子が一つ余っている状態だった)にものを置く、等色々やらかしてくれた。
私はそれに対して注意できなかった。それどころか「あ、いいですよ~」と愛想笑いした。狭い世界で揉め事を起こしたくなかったし、友人とはいえこちらは超弱小、あちらはやや大手である。
その友人も、自分が頼んで手伝ってもらった人に注意しにくかったと思う。
だから今回のことも「まあ、言えないよね」「もし『うるさいですか?』と聞かれたとしても、『いえいえ、大丈夫ですよ』と答えちゃうだろうなぁ」と思うのである。
ボスの言われるままに進学したが、僕のレベルは周りよりはるかに下だった。
まず英語ができない。まわり頭いい。英語の論文の訳なんてできるわけがない。
課題もできない。なんでこんなの理解できるんだ。
やる気もない。そんな熱心にやらなくったって、もう実験の細かいところにこだわったって結果が極端によくなるわけないから適当でいいだろが。
「死にたい」とか「ワシ病んでるねん」などは思わないが、本当に修士に進むべきでなかったと思う。
私立の不人気学科ならなおさらだ。
すぐには働かなくていいし卒業後にもしも働けたときは学部卒より給料もいいだろうけど、よっぽど勉強が好きでないかぎり進学は禁止。おじさんとの約束だ。
さて、リクナビでも見るか。
7/19追記ー。
キュアサンシャインとけいおん!!のおかげで生きながらえてます。
研究と勉強の違いくらい理解してるよ!って言い訳しようかと思ったけど、また今度暇があるときに。
2/23追記。
内定とって修論発表も無事終えました。当時は精神的にかなり辛かったけど、とにかく胸をはってやることをやればなんとかなった。
就職できない人、修了できそうにない人の事を思うと胸が痛む。
昔の自分にアドヴァイスをするとしたら、とにかく前向きに自分より下と比べて自信を持って、元気よく出来うる限り最善を尽くして内定を取りにいってください、とエールを贈る。
僕は生まれつき髪の毛が茶色がかっています。別に西洋系の血が混じっているわけではなく、正真正銘、生粋の日本人です。
日本人であっても、髪の毛が茶色がかっている人など別に珍しくもなんともないと思います。学校や職場に行けば、だいたい同じクラスもしくは部署に1人2人くらいはいませんか。そもそも髪の色なんて程度の問題で、加齢などによる白髪は除けば、むしろ茶色気のない人の方が珍しいのではないでしょうか。
しかし、それでもこの日本という国は茶髪の人間にはなかなか生きずらい面が色濃く残っており、いまだ茶髪について多くの人から異端の目で見られ、何らかの言及を受けることになります。
僕もそんなこんなで20余年この色で生きてきた一人であるわけなのですが、そうした中で大いに思うところがあるので、ここに書き記しておくことにした次第です。
それは、以下のようなことを言われることが、かなり多いということです。
「・・・」に入る文言は「黒く染めろ/染めた方がいい」だとか「大変だね」とかです。
問題なのは、実際の社会ではこの手の人が圧倒的大多数を占めているということです。「別に気にしない」人が大多数なのに、なぜ茶髪に対する偏見がなくならないのでしょうか。おかしいと思いませんか。実は、こういった人たちこそ、最もたちの悪いタイプの一つ、すなわち無自覚に差別を助長するタイプなのです。このタイプが多い社会では差別をなくすことなんて不可能に近く、その社会そのものも硬直的で変化に弱く構築されます。
僕の経験から見て、実際には、彼らの言う「口うるさい人」なんて本当に僅か一握りしかいません。むしろ彼らは、変わり者とか頑固者といったカテゴリーに属する人たちです。むしろ、一番やっかいなのは、数の多い普通の人なのです。
例えば100人の社会を考えてみてください。(a)口うるさい人が2人、(b)生まれつき茶髪が5人、(c)「俺は気にしないけど〜」の人が93人とします。(c)の人が本当に本人たちの自称するように、純粋な無党派層であれば、(a)よりも(b)の方が社会的意見として力を持つはずです。しかし実際はそうはなりません。理由は簡単、(c)の人が足を引っ張るからです。
僕がこれまで見てきた限り、(c)タイプの人の主張はかなりワンパターンです。曰く、
驚くべきは、本人たちは正論を言っているつもりというところです。彼らは自分たちでは他者性を重んじているつもりなのです。社会人(笑)。スイーツなんかよりよっぽどたちが悪いです。われわれ茶髪は、こんな説教は聞き飽き飽きしています。こちらはそれを踏まえて議論しようとしているのですが、思い込みの激し人が多くてなかなか通じません。
彼らが所与に「仕方がない」とみなす常識や慣習を構築しているのは、いったい誰だと思っているのでしょうか。自分たちマジョリティなのに。まるで「社会」というものが他人事のようです。「社会」なんて人が作り出した単なる概念です。社会は人間で構成されていて、実際にあるのは人と人との相互作用です。おかしいのは、彼らの言う「社会人」の自覚に、社会の構成員としての当事者意識は含まれないところです。
実際に僕らを困らせているのは誰でしょうか?「口うるさい人」なんて滅多にいません。むしろ僕たちからすれば、この「なにかあったときに困るのはお前だ」というお説教こそ、最も遭遇する確率が高い「困ったこと」です。
幸いにも、これまで僕が茶髪によって受けてきた扱いなんて本当に些細なものばかりでしたが、茶髪仲間の中には、肉体的・精神的苦痛を伴う、本格的な差別を受ける人も少なからずいます。最近はさすがに髪を剃られて坊主にされたなんて話は聞かなくなってきましたが、黒く染めるのを強制されることは今でもザラにあります。
日本の社会には未だマイノリティにたいする非寛容が残っています。その非寛容さが根絶されない最たる原因は、以上に見たような「社会人」の、社会構成員としての自覚のなさのように思います。彼らが多数を占める社会は変化に乏しく硬直的になるのです。(a)タイプの人が一人でもいる限り、(c)の論法はある種の妥当性を持つからです。しかし、そんな近視眼的な妥当性でいつまでも攻撃されるのは我慢なりません。
そういえば、よく、日本では真の意味での市民社会は根付かないという議論を耳にします。社会にいる「口うるさい人」という架空の他者のせいにする思考パターンは、まさに市民社会の思想とは相容れないものではないでしょうか。
話が拡散して結局何がいいたいのかわかりにくくなってしまいましたね。要するに、「空気読むな、空気はつくれ」ということです。
ここまで読んでくださった方はありがとうございました。長文での乱筆、失礼いたしました。
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追記 6/26 2:23
http://anond.hatelabo.jp/20100626022244
増田に書くのは初めてです。これ本当に匿名で表示されるんだよな・・・と不安になるUIですね。
以下はある夫婦の朝のやり取り(実話)です。私は夫です。いつも良くある夫婦喧嘩なのですが、本気で妻の怒るタイミングとその思考ロジックと対処方法が分かりません。
妻の悪い点はいらないので、私の悪かった点、妻の気持ち、どうすればうまくいきそうかなどアドバイスをもらいたいです。特に既婚女性の意見が聞きたいです。(はてなにはあまりいない気もしますが)
1.朝食中に娘が咳をして喉が痛いと泣き出す(咳は1~2週前から少しだけしている、熱はない)
2.私が病院にいくか?と娘に聞いたら娘は「うん」と言う
3.私が病院に電話する。(残念ながらすでに予約はできなかったのだけれども。)
4.妻が怒って「そんなに喉が痛いんだったら幼稚園休むか?」と娘にきつく言う。
5.私が娘をかばって、病院にいってから決めれば良いと妻に言う
6.俺が病院に連れていくと言う
7.「そうしたらいいよ、どうせあんたは自分のしたいようにしないと納得しないんだから」と妻が怒って言う
8.じゃあどうしたいんだ、と聞くと、「病院にいくくらいなら幼稚園をやすませる、そうでなければ幼稚園にいかせる」と妻が言う
9.娘に聞くと、「幼稚園にいく」というので幼稚園にいかせる事にする
10.着替えなどできる範囲の準備をしたあといつもどおりに出社しようとすると妻が「自分で連れて行くんじゃなかったのか」と怒る
11.「時間がない」と妻が言うので、準備だけしてくれたら俺が幼稚園まで送っていくよというと「ああ、そうしたら優しいお父さんだねって言われていいでしょうよ」と妻が言う
おおよそこんなやり取りでした。ここまで細かく書くと妻が見ると完全に特定できてしまうのですが、まぁ、それはいいことにします。でも、人間の記憶はあいまいなものですね、かなり正確性が失われている気がします。6で私が病院に連れて行く、と言ったのも、妻がなにか喧嘩口調で言ってきたのでそれに対する反応だったのですが、どういう会話をしたのか忘れてしまいました。
ほかにも色々話はしましたが、妻としては「勝手に物事を決めて進めるのが気に食わない」という事を言っていました。3の部分の行動をする前に相談するべきだろうと。でも、同じ食卓についていたのであり、普通に話は聞こえているし、診察券は妻のかばんから出してもらったし、その場で言えば良いわけで私としては「え!そんなことで怒ってたの!」という感じです。
根本的には、このようなことがおきるような夫婦間の人間関係、下地があるから・・・という事だとは思います。ですが、毎日機嫌を損ねないように本気で気をつけていても予期せぬタイミングで怒り出してしまうので本当に悩んでたりします。本気でどこに地雷があるのかわからないんです。日々の生活を普通に送るのがちょっとした恐怖です。
「妻がなぜ怒るのか理解できない夫」に対して何か夫婦関係改善のためのアドバイスなどあればください。
(追記)
色々とコメント、アドバイス等ありがとうございます。普段はあまり反応をもらえない日記、ブログ等を書いているので、反応を沢山もらえて嬉しいです。勉強になります。
より適切なアドバイスがもらえるように、不足していた(かもしれない)情報を付け加えておきます。
「仕事よりも何よりも自分の人生にとって大事なのは家庭、そのなかでも育児というのは人生の中でももっとも大事な仕事」そういう風に思って日々頑張っています(いるつもりです)。でも妻はそういう私を否定します。「自分がなんでもできるとおもってるんじゃないのか、そういうのが傲慢なんだ」「自分がやりたくてやってるならそのことで偉そうな態度をするな」と。
もらったコメントに関してそれぞれ追加で聞きたい事があったり感謝の言葉を述べたりしたいのですが、今は時間がないので、今夜にでも時間があるときにさせてもらおうと思います。
引き続きアドバイスあればお願いします。可能であれば自分の状況(既婚女性であるとか、独身男性であるとか)をコメントに書いてもらえると参考になりうれしいです。
(さらに追記)
「妻に病院に行くことについて相談すべきだった」という意見が多く、私も思い返せば全くその通りだと思います。それに関しては完全に私が悪いと思います。妻にはこの点は非を認めて謝りました。でも、今回の件は分かりやすいのですが、他の件ではもっと微妙なこともありますし、そもそも私がその時にそれに対して思い当れないのです。この点についての改善方法、あるいはそれをしてしまった時の対処方法、アプローチの仕方などについてアドバイスがあればほしいです。
全く悪意なく、思いもつかず、妻にとってひどいことをしてしまうのです。それはたいていの場合私が逆の立場なら全く問題にしないことなのです。今回の件でも「普通にそう言えばいいじゃん?悪気はないんだから、それを指摘してあげればいいじゃん?」と思ってしまうのです。だから気が付けないのだと思います。これはどうしたらいいんでしょうか…。
(もうひとつ追記)
先ほどまで妻と話をしていました。今回の件については私から謝り、妻もちょっと落ち着いて話をしてくれて妻の気持ちをもうちょっと聞くことができました。おおよそ以下のような感じでした。
娘、息子が早く寝てくれて、家事もひと段落ついていたので気持ちに余裕があったから話ができたと言ってました。
数人から指摘をしてもらった「妻に確認せずに病院に行くことに決めて手続きを始めたこと」自体に関してはそれほど怒りを感じなかったそうです。私の経緯の書き方がそういう意見に行きやすいような書き方になっていたのだと思います・・・。
妻の今日の話を聞くと「たしかになるほど」と思いました。私が考えていなかった発想もあります。私の理想としては喧嘩するのではなく、このように思うんだけど・・・ということをお互いに話し合って物事を平和に進めていけたらと思います。「怒らないでそういってもらえたら良いのに」というように今でも思いますが、怒ってくれるだけ幸せなのだと思わないといけないのかな・・・と思います。
妻としては気持ち、直感、感情はあっても、それを言語化することができないことが多々あり、言語レベルでの話では私のいうことの方が説得力があって筋も通っていて、話してもわかってもらえないと思うからそもそも話さないのだそうです。
自分が怒り出したときに無視されるのはしてほしくない悪い対応だそうです。でも、だからといって、怒っているときに「どうして?」「理由を教えて」と聞き出して理解しようとすることも、してほしくない悪い対応だそうです。その間のどこかに適当な対応があるはずですが、それがどういったレベルなのかは自分でもわからないそうです。
このような話を妻と落ち着いてできると、一時解決したように思います。ここまで読むと「解決してよかったですね。」と思う人もいるかもしれません。でも、間違いなくまた同じように喧嘩、あるいは妻が一人で怒ってしまい(自分の何かがいけないのだとは思いますが)、「なぜなんだろう?」と苦悩することになります。これはもう7,8年繰り返されてきました。本気で事前に、あるいは渦中に気づけないのです。
もしもあれば、引き続きアドバイスいただければと・・・。
(さらにもうひとつ追記)
皆さん色々沢山のコメントを頂き本当にありがとうございます。あんまり沢山反応をいただいているので、返事がまったくできておらずすみません。
トラックバックツリーを上から眺めて、いただいた回答や自分がした返信を何度もできるだけ客観的に読み返したり、妻のつもりになって読み直して見たりをくりかえしています。ツリーを見てもらえばわかると思うのですが、返信は上から順番にしています。でも、せっかくいただいたコメントにずっと返信できていないものが多くなってしまったので、ツリーが深くなってしまったところは後に回すこともしようと思います。時間はかかると思いますが全部に返信します。今後の夫婦生活で何度も同じことがあると思うので、そのときに読み返しては反省できるように、今回は徹底的にやろうと思っています。(非常にうざいと感じる方も多いと思いますが、増田ですので、増田くらいでしかこのようなことはできませんので、どうか本気で悩んでるんだな、と思って許してやってください。すいません。)
「アスペルガー症候群ではないか、病院にいったほうが良いのではないか」というアドバイスもいただいておりますが、すでにマルチに対して思い悩んだ時に精神科に一度行っています(人生初)。マルチの問題に焦点を当てて話をしたからということもあるかもしれませんが、「それはもう周りの環境の問題だから、それを取り除かなければ精神科でどうこうできる問題ではない」と言われただけでした。カウンセリングも希望したのですが、「必要ないだろう」ということでした。よくない医者だったのでしょうか?そうではないと思っていますが・・・。ただ、自分自身も「こういった部分はアスペルガー症候群っぽいよな」と思うところは昔からあります。だれでも多かれ少なかれそういった面があるのでは?と思ったりしますが、皆さんそうでもないんでしょうかね・・・。
現在の状況も報告しておきます。幸い一度仲直りしてからは妻を怒らせることなくすごしています。ここ数日はかなり平和です。これは皆さんからいただいたアドバイスのおかげだと感謝しています。本当にありがとうございます。
娘はまだ毎日咳をしています。1日中ずっとではないですが、朝、夜はそれなりに(1分~2分くらい連続で)。嫁はやはり病院にいく必要性を認めていないようなので、私からは言わないように今はしています。「こう思うんだけど、どう思う?」と聞きたいのですが我慢しています。本心では「病院に連れて行って医者に見てもらって、なんでもないならなんでもないと言ってほしい」と思っています。夜娘が寝ているときに咳き込んだりしているのを聞くと心苦しいですが・・・。明日土曜日なので、寝室の掃除をがんばってして、それでも改善なければ、嫁の機嫌がいいときに相談しようと思っています。
嫁はちょっと前から幼稚園のイベントのために手作りの品を作っており、その作成が前から気にかかっていたようなのですが、先日完成し、ほっと一息ついているところのようです。毎日の朝の「おはよう」の声が元気です。機嫌が悪い日は朝起きたら挨拶もまともにしてくれない日もあるので凄く嬉しいです。
(10月19日追記)
また今日の朝も妻を怒らせてしまいました。これだけ毎日夫婦のことについて考えて、関係を改善しようとしているのに、です。想いばかりでまだまだ行動が伴っていません。悔しいですが、またがんばります。仕事から帰ってきたら機嫌が直っていたのが救いです。
先日妻から、「ここまで咳が継続しているから私もこの新型インフルエンザの状況じゃなければ病院に連れて行きたいんだけど・・・」という話がありました。ただ近所のいきつけの小児科が今新型インフルエンザの影響で患者があふれているらしく、素人判断ながら「今はやめておこう」という話になりました。娘の咳はちょっとよくなったようです。気合を入れて掃除したのがよかったのか、以前に比べれば夫婦喧嘩の頻度が少なくなったのがよかったのか。
(2011/04/06追記)
ものすごく久しぶりに更新します。ここの事は妻を怒らせるたびに思い出して自分の未熟さを再認識するために、数か月に一度程度読み返してました。色々トラックバックをいただいた皆様、本当にありがとうございました。きちんとお礼も言わずすいませんでした。おかげさまで家族一緒に山あり谷ありながら楽しく毎日暮らしています。そして、妻のお腹の中には3人目の子供がいます。あいかわらず妻が怒り出すことはよくあるのですが、この日記を書いたときよりも、妻の気持ちがわかるようになっていると思います。
震災があって、原発の問題があって。あまりの惨状にまだ日常生活を取り戻し切れていません。被害に合われた方に心からお見舞い申し上げます。
我が家は原発から200Kmほどのところに住んでいます。一連の流れを読んだ方なら想像に難くないと思いますが、私は放射能の影響をすごく心配しています。本当は妻と子供には親戚のところに疎開してほしいです。一方、嫁は楽天的で意見が合わないです。そしてやっぱり喧嘩にもなりました。妻は「乳児は飲んではいけない」という水道水ですら妊婦の自分ものみ、2歳と5歳の子供にも飲ませ、最悪子供が癌になっても構わないと言います。やはり私はまったく理解できず戸惑う日々です。が、なんとかお互いの許容できる範囲で行動のすり合わせを行っているところです。
一人でも読んでくれれば幸いです。
ブクマを期待してるわけではありません。
こちらに書かせて頂きます。
誰も問題に対処しない…長年。
問題あったらすみません。
相手は早大生だったので、何度も断りましたが、弱い立場の予備校生、
信用したというか。押し切られた感じですね。田舎出身の未成年なので、人間的にも未熟でした。
信仰をしてる人で悪い人はいないだろうみたいな。警察の前で堂々と悪いことしないだろうみたいな。
その後、入るのになんだかんだとお金が20万くらい、かかりました。
などども言われましたが。
「布教しなさい」とかいわれ、学校に行かない決意、仕事しない決意
何かしら悩みを持ってると、さらにつけいられます。
最後に一人立ってたら、「なんでこいつ立ってんの?」
とか、いわれましたね。
その後、なんだかんだとつきまとわれ、
逃げ切れないのは、なんでか?いろいろ手法・理由はありますが…。
ここでは割愛します。
借金献金でも有名な団体です。この団体は。それで建った美術館が滋賀にありますよ。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20071016.html
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2010/0117/index.html
ドロップアウトした状態のまま、ワープアになるか破産しますよ。
(ちなみに、そういう宗教にかかわったとなると
もうやめにしませんか?
こういったことが、白昼堂々、交番のいる前で、
思います。
そして、長年裁かれることなく、今年、学校建設の許可が先日おりたそうです。
政治家に献金して集票マシーンになってるから変わるはずもないですが。
http://zara1.seesaa.net/article/114267878.html
なんで滋賀県に行ったのかって?
芸能人、お偉いさんが来てたり。
最近では、美術館がありますよね。ルーブル作った人みたいです。
そこも東大名誉教授が館長で、NHKの爆笑学問にも出てましたよ。
ミシュラン日本ガイドにも出てます。フランスではカルト指定されてるのに?
白洲正子展とかもしてましたね。元首相の細川氏来訪などもあった
梅原猛。
ここまで有名人とお友達ということは裏で何か
あるのかもしれませんね。
暮らせるもんだと思ってましたけど。
気をつけてください。若い人たちは。
偉い方々には丁重に謝ったという話は聞きます。
本気で世の中よくしたいと
思ってるなら。
わけないですけど。
もう少し、普通の若者が普通に生きていける国になればいいですね。
◎借金を繰り返して経済的な余裕がないことを知りながら献金させたのは不当として、川崎市の40代の女性が宗教法人「神慈秀明会」(本部・滋賀県甲賀市信楽町)と代表者らに約2000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、京都地裁であった。中村哲裁判長は「(献金の)勧誘行為は社会的に相当な範囲を超えて違法」として660万円の支払いを命じた。
http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2008/01/post_e65d.html
「お気に入り」に入れるよりこっちでまとめたものをブックマークしておいた方が何かと使い勝手が良いので置かせて頂きますね。
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http://www.yorku.ca/earmstro/index.html
Science of Babies
http://www.youtube.com/watch?v=lkL7Un0t9Nw
http://www.youtube.com/t/captions_about?gl=JP&hl=ja
YouTube Japan Blog: キャプション機能が追加。YouTube 動画に字幕を表示できるようになりました!
http://youtubejpblog.blogspot.com/2008/08/youtube_29.html
YouTubeに自動キャプション機能が開発された : ライフハッカー[日本版], 仕事も生活も上手くこなすライフハック情報満載のブログ・メディア
http://www.lifehacker.jp/2009/11/091121youtube_6.html
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