はてなキーワード: 損得勘定とは
実際は、報酬系動かないって認知とか自我とかそういう精神的な作用ほぼ全て阻害されるようなもんだぞ
反省、分析、思索、後悔、計画、自責、記憶、こういう心的機能が起こらなくなる
当然、納得も満足も経験されなくなる(それを体験する心が希薄になるから)
そうなると人生スパンで達成する目標とかに基づいて行動出来なくなるし
損得勘定も出来なくなる 世界ランクとかマウンティングやレスバに興味がなくなる
向上心・自尊心・射幸心・グリッド・レジリエンスなどのいわゆる非認知能力も全てオミット
社会性も無くなり他人と形成可能な関係がほぼ0になるか幼稚で非建設的で相互被害的でそういう悪い関係性しか実現できなくなる
自分を許したり許さなかったり、他人の落ち度を探したり自分の落ち度を探したり、こういう批判的な思考も起こらなくなる
R.I.P. 迎田良子さん
「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb2d6cf595ffedc5bfdf45ad29546aca08b0474
というニュースが話題になっている。 迎田良子さんというパーキンソン病の人が、スイスで積極的安楽死したという話だ。
迎田良子さんは暴力家庭に生まれ、 高卒とともに家を出て、 日本語講師として海外で仕事をしていた有能な女性だ。 ヨーロッパ各地を渡り歩いたという。 しかし50代でパーキンソン病を発症し、 婚約していたフランス人男性にも捨てられた。 そして日本に戻り一人過ごしていたが、パーキンソン病からくる長年の苦しみから解放されるために 安楽死を決意。スイスに渡って安らかに死んだ。 婚約していた男性に看取ってくれるように連絡をつけていたらしいが、 直前になって拒否され、一人で死んだ。
遺骨はレマン湖に撒かれた。 レマン湖は男性とデートした思い出の場所だったらしい。
おれはどうも、この社会で生きていくことが難しいようだ。 この社会で生きていくのはどうしても辛いから、 今ある少ない貯金が尽きたら自殺しようと思っている。 実家に帰ってきたのは、心の整理をつけるためである。 親もおれがいきなり死んだら、心の整理がつかないだろう。 だからすでに、お金が尽きたら自殺するということは伝えてある。
しかしおれはこの社会で生きるのが辛くてそれから逃げたいだけであり、 自殺の苦しみを味わいたいわけではない。 楽になるために苦しむということは嫌だ。 でも安楽死ならどうだろうか。 楽に死ねるだろう。 それがおれの望みだ。
費用は200万円程度らしい。 あとは、英語でコミュニケーションがとれること。 幸い、今ならば200万円は工面出来る。 英語も問題ないだろう。 安楽死するために英語を勉強したわけではないが。
この人生は最悪だった。 思うに、おれは劣った人間との相性が最悪だ。 相手がコンプレックスを抱えていると、衝突することが多い。
ご存知のとおり、 おれの人生は最後の最後、高専とかいう知的障害学歴のクズに破壊された。 結果、おれはもうこの社会で生きていくことが不可能になり、 金が尽きたら自殺するほかなくなった。 この詳細は、おれが死ぬ前にでも書き残そうと思う。
結局このクズも、学歴コンプレックスの塊なのだ。 優秀なおれに出会ってしまったことでそのコンプレックスはより強くなり、 おれに対して粘着し、人生を破壊してやろうと思うようになった。 そしてそれは成就された。おめでとう。
京大でもそのようなことがあった。 こいつは学歴コンプレックスではないが、 自分の容姿や能力にコンプレックスを抱えていた。 それ故に、そのどちらも優れていて、 必死に努力しているようには見えない おれが憎かったようだ。
おれは劣ってる人間に対しては無関心だ。 関わっても得がないとか、損得勘定の問題ですらなく、 ひたすら興味がない。死んでほしいとも消えてほしいとも思わず、 ただ、見えなくなる。 しかしこの無関心が、相手にとってはひどく傷つくらしい。 そして、それが相手の中の敵対心に火をつけるという仕組みのようだ。 めんどくさすぎる。 それは、そちらのせいでしょう。おれのせいではない。 あなたが劣ってるから悪いんです。 ギフテッドに生まれなかったあなたが悪いんです。 いちいち絡まないでほしい。
今後も、こういうことがいちいち起こるんだろうかと思うと もう耐えられない。 おれはもうこの社会で生きていく気を失ったと思う。
おれの夢は、知床で熊と一緒にコーヒーを飲みながら 世間話をするような生活だ。 人間から離れ、山の中でひっそりを暮らす。 そういう生活が叶わないならば、もう、生きる気はない。 ベーカムにも期待しているが、おそらく実現は遠く、間に合わないだろう。 自然の中で熊と囲碁をしたかった。
おれのように社会適合出来ない人間が安楽死出来るような社会になれば 多くの人が救われることは間違いない。 しかし、安楽死には当然、慎重な議論が必要である。 ある難病患者の女性は、積極的安楽死が認められてしまうと その楽な死を選ばないことを自己責任に転嫁されてしまうことを恐れている。 これは例えばだが、用意された楽な死を選ばないのだから生命維持装置の費用は自費にしろとか、 そういう論調が生まれることもあり得るだろう。 確かに、それは恐ろしいことだ。 難病になることは不運であるから、これは国が救うべきだ。
だから、必要なのは積極的安楽死を飛び越えた「超」積極的安楽死である。 超積極的というのは、難病であるとかそういう理由は必要なく、 単に生きるのが辛いことを理由にして安楽死するということだ。 ようするに、今自殺によって実現されている死を薬による安楽死に置き換えるというものだ。 試験での失敗を苦にして自殺するのもいいだろう。 恋人に捨てられたから自殺もいい。 整形手術に失敗したから自殺もいい。 おれのように、社会に適合出来ないから自殺しますも当然許されるべきだ。 生と死には対称性がなければいけない。
大人は、「まだ若いから」とか「これからきっと良いことがあるから」とか言って あなたを生かそうとするだろうけど、それは あなたを自分の老後を支える駒として見ているからだ。
この国の現状は、今は辛くても頑張って生きていればいつかきっと良いことがあると 思えるような状況ではない。 だから、うまく行かなかったら即死ぬという選択肢がないと不公平だ。 また、失敗したら気軽に死ぬことが出来るからこそ、 人間は現世において挑戦することが出来る。 日本人のチャンレンジ精神が低いのは、高齢化社会による社会保険料の問題と、 拳銃の所持が許されていないために自殺が簡単でないことのせいだと思う。 そういう意味では、日本こそ、積極的安楽死が必要な国だといえる。
超積極的安楽死は犯罪も減らすだろう。 貧困になった人が誰しも強盗や窃盗をしたいわけではない。 生きるために仕方なくやっている人もいるだろう。 でも超積極的安楽死があればそういう人たちも、 他人に迷惑をかけるより 死を選ぶのではないだろうか。
死ぬ前に小説書いてさ、それで全然伸びないの見てから「よっしゃ!人生使い切った!」で死ぬ予定だった。
なんならそっから突然成功した矢先に末期癌が見つかって伊藤計劃コースみたいのもありかなって。
いざ金が貯まってみると、3年ニートした所で別に対して面白くないだろうなと感じたわけだよ。
なんつうのかな……1日で味わえる楽しいの上限みたいのがあって、ソレを考えるとひたすらダラダラしてもそこまで楽しくなさそうなわけ。
そしてなんだかんだ世の中って毎日色々面白いニュースが入ってきて、最近もカルトの教祖が連続して死んでいって「おっと面白くなってきたじゃないの」なんて状態なわけじゃないの。
自分の人生がクソだとしても、世の中が面白いならまあ別に生きててもそこそこ楽しいんだが、そのためには世の中に動いて貰う必要がある。
つまり、時間が経って貰う必要があるわけで、自分一人が生き急いで引きこもりながらひたすらゲームやネットに浸っても案外そこまで楽しさは変わらなそうなんだな。
そうして、俺の人生の損切り計画はその始まりであった損得勘定に再度かけた結果中止、少なくとも延期を続けているわけだ。
それでもまあそこそこ金はあるわけだし、どうせ死ぬわけだし、頑張って働かないで良い程度の生活をするのに貯金を使うのはどうかと考えたわけだ。
つまり、仕事の量や質を減らして見ようかな、と思ったんだが、仕事の量減らすとどうも付き合う相手の質が大きく下がるっぽいんだよね。
質を減らしたら底辺や人格破綻者と関わる機会が増えるのは分かるんだが、どうも量を減らすだけでも人間性が腐った連中と関わる機会が増えるっぽい。
なんつうのかな……社会適応に対しての耐性が低い人間が死なないギリギリまで労働時間を減らしているのと鉢合わせることになる感じ?
まあ自分で試したってよりも知り合いやネットから集めた情報の統計でしか無いんだけど。
仕事や人間をやたらと嫌う人間ってなんていうか社会と噛み合うのがすげー苦手だったり、尋常でなく独善的で自分の理想通りに行かないことに対してのストレス耐性がカスすぎたりするわけだよ。
とにかく自分の思い通りに行かないと悲劇のヒロインぶって叫びだすしょーもないオッサンが色んな職場にいるでしょ?
業務時間の少なさを基準に仕事を選んでいくと、それが大量に詰め込まれた地獄に放り込まれるみたいなんだな。
「地獄」って表現したけど、まさに仏教世界における地獄って概念は「クソみたいな生き方をすると同じようなクソが詰め込まれた場所に行くことになるよ」っていう教えだと思うわけよ。
度を超えたクズさってのは同類だから大丈夫なんてことは全く無くて、お互いがお互いを憎しみ合う万人闘争の究極なんだと思うんだよ。
自分こそが最前列でカメラを構える権利があるのだと盲信する鉄道オタクを100人集めたら100人全員が最前列を目指して押し合いへし合い晒し合いそのくせ全員が被害者面して加害者意識ゼロっていう感じの地獄。
仕事を減らすにしても貯蓄を直に切り崩すレベルで減らすのではなく、毎年の貯蓄額が減るぐらいのレベルで留めるべきで、労働強度はそれ相応のものにしておいた方がいい。
労働強度がある程度強ければ、その労働強度に耐えられない強烈なエゴの持ち主が振り落とされた場所で過ごすことが出来る。
もちろん、労働強度を強くしすぎるとそれに耐えられるレベルの狂人しか生き残れなくなり周囲を狂人に囲まれることになるから、強くしすぎない方がいい。
ほどほどがいいんだろうな。
自分を押し殺すことが一切できない人間が足切りされる環境ってのは、自分を押し殺すこと抜きには生き延びられない空間ってことだからな。
つまり、ちょっと金が溜まったからって人生楽できるかというと別にそうでもないっぽい。
本当にFIRE出来るほど金を貯めて完全に社会から足を洗うか、それともそこそこに金が貯まる環境でダラダラと歳を重ねるかしかない。
まあでも金なんて半端にあっても特にこれといった趣味もないならい、ざなんかあったときに高額医療費制度を使えないような新薬を使うことが出来る程度なんよな。
半端な金の使い道に迷って変な散財の仕方を覚える連中があとを立たんのも分かるね。
飽きたツムツムのスタミナとか、一通り読み飽きたマンガアプリのチケットとか、旅館で貰った地元応援クーポンとか、そういう「使っちまわないともったいないけど、でも無理して使おうとすること自体が地獄への入口になりかねない鶏肋」なんだな。
いやいや金さえそれなりに貯めたら仕事思いっきり休めるなんて期待してたけど、意外とそうでもねえなあ。
こりゃ本当に「ある日と突然働けなくなった時、生活保護を受けるまでのカウントダウンを引き伸ばすだけの保険」ぐらいの意味しかなくなってきたぞ。
・論理的思考が一切できない。
正義や人権や大人の振る舞いなどのことを、ロジカルに考える能力が一切ない。個人の感想と区別できないほどに、ロジカルシンキングができない。現代人なら子供でもできるが、日本人は大人でもできない。
・上記のことは、昔の賢い人々が徹底的に細かく理詰めで徹底的に論理的に組み立てている。数学のようなもの。普通の現代人はそれを理論として学んでいるわけなので、普通はロジカルシンキングができる。
・現代人にとって、上の正義、道徳(宗教観の一つ)、人権、コミュニケーション、政治、などなどは「極めてロジカルなこと」である。
・日本人は、そのような一般的教養が一切ないため、感想や思想が土人レベル。現代人とはまともに話すことすら困難。上に挙げた分野の教養レベルが土人なので、「意見を交わす」のは無理。
アニメとゲームとエロと趣味とか、そういう与太話しかできない。
・メンタリティのほぼ全て
・道徳を無駄に信仰してるが道徳がどんな位置付けにあるのかを全く理解してない
・正義が何かをわかっていない
・人権が何かをわかってない
・法律が何かをわかってない
・政治が何かをわかってない
・民主主義をわかってない
・市民社会をわかってない
・全体主義や権威主義など自らの従う規範のイデオロギーを客観視できない
・大人の振る舞いとは何かをわかってない
・コイツらの言ってる「大人の振る舞い」は、たとえば「嘘も方便」「相手に耳心地のいいことを言って気づかせずに状況を転がす」といったような、宗教観とか文化的感情だけで形式的に決まっているだけのもの。所作として綺麗と考える宗教観はあるかもしれないが合理性が一切ない
お金は要らない、餓死してもいい、貧しい生活でもいい、それでもいいから貧乏人のお金を集めてお金持ちをもっと大金持ちにしよう!という政策を貧乏人が自身の権力によって実現している。
お金持ちのお願いは、どんなものであっても(もっとお金を稼いで豪邸を建てたい、とかね)快く大金を渡してくれる、気前のいい人。
関わらなくても大金をジャブジャブくれる。
エロだらけで土人で人を人と思っておらず、論理性がなく、感情的で、慈愛のない人々で、会話は成り立たないので、あまり関わりたくはない。
霊山「妙見山」にあるしおき場(処刑場)は、大阪では有名な心霊スポットだ。
しおき場のすぐ手前には、これまた心霊スポットである「野間トンネル」がある。
一気に2つも心霊スポットを巡れるのだからお得だ、という妙な損得勘定を持ちながら、車を進めていった。
野間トンネルは長さ10mもない、トンネルとも言えない規模だった。
車のヘッドライトが照らすコンクリートの白さが不気味で、穴の先はライトで照らしても真っ暗だった。
時速20kmで、のろのろと入っていく。
入った先は、雰囲気が全く違っていた。
ここに入るまででも、狭い山道、街頭がほとんどない暗さ、廃墟のような家が不気味で、雰囲気は十二分にあった。
特に「しおき場」に入るために「わざわざ」入った妙見山からは特に暗く、これから心霊スポットに入るんだ、という気持ちを高めてくれていた。
トンネルの先は、真っ暗だった。
風に吹かれ、杉だろうか、月明かりに照らされた木々の葉が揺れている。
それだけだが、その静けさ、雰囲気はまるで時間が止まったようだった。
まだ夜の7時なのに、深夜の2時を過ぎているとしか思えなかった。
野間トンネルに入って、20~30mほど進んだだろうか、「目的地へ到着しました」とナビが教えてくれた。
だが周囲には何もなかった。
その先の道は狭く、お寺に続いているようだ。
お寺に用はない。引き返してみることにした。
もっと注意深く、何があるかを観察せねばならなかった。
隣の妻から、息を吞む声が聞こえた。
「違う違う、たぶんここじゃない」
妻の声は上ずっていた。
「この先?」
「うん」
少し進むと、脇道が見えた。
「ここや」
俺がそれだけ言うと、2人とも黙ってしまった。
ここに到着する前は、外に出て探検しようと思っていた。
だが、とてもできなかった。
しおき場は、戦国時代、2つの家の諍いを収めるために、豊臣秀吉の名で「両家から農民を10名差し出して、斬首する」ことから始まった場所だ。
そんな場所に、面白半分で車を停めて中に入ることは、その霊を冒涜しているような気になったのだ。
今更な話だった。
だが今なら、たまたま通りがかった、道に迷った体で帰れるのではないかと思った。
ようやく窓を開けたのは、山を降り、コンビニが見えた時だ。
緊張が抜けたせいか、頭が痛かった。
妻と2人、車の中で寝た。
これは先週の出来事だ。
あれからずっと、しおき場のことを考えている。
その真っ白な威容、ぽっかりと空いた真っ黒な穴。
その先は異世界のようだった。
今でも鳥肌がたつ。
妻もあの光景が忘れられないのだという。
妻は「しおき場の中を調べなかったから、よけいに怖いのかもしれない」と言う。
それもあると思う。
だが、それだけでもないような気がした。
こうした心霊スポットに耐性がないせいだろうか、非日常に浮かれているのだろうか。
この客の中には、また同じ山に、同じ企業のツアーで参加した者がいたらしい。
それに比べるとお子様もいいところだが。
また行こうと思う。
電動キックスケーターで衝突か、60代女性が重傷 立ち去ろうとした疑いで23歳女を逮捕 東京・池袋: https://news.yahoo.co.jp/articles/55d1f29f23ddecf95ebbfdd5bdf1c46257a83d59
「酒を飲んだら乗るな」「これから乗るのに酒を飲む決断をしたのはシラフの時だけ」みたいな予防の言説は多く見るし、実際正しいと思うんだけど、事後の啓蒙は多くない気がする。
「原発は事故を起こしません」「避難訓練とかしたら事故が起こるかもしれないということになるのでしません」みたいな倒錯があるのでは。
事故を起こしたら、罪の重さなどによるプレッシャーでパニックになるのは想像に難くないので、「加害者の立場になったら、何も考えないでまずこれをしろ」という啓蒙にも力を入れるべきでは。
人道的には、即座に救急に連絡できれば後遺症や死亡を防げるかもしれないし、個人の損得勘定としても、最悪亡くなっても逃げたら罪が重くなるだけなので良いことないし。
「自分のせいで誰を死に至らしめようがどうとも思わないし、自分が終身刑になろうが死刑になろうがどーでもいい」って人ばかりじゃないでしょうから。(「人一人過失で殺して逃げても終身刑にも死刑にもならん」て判断して逃げてる人の方がより少ないだろうし)