はてなキーワード: がっかりとは
いやそれは言われて当然でしょ
カンフー映画もダメな役者が演じてる時はカメラ凝りまくるわけよ
まあこれ凝るっていうか誤魔化すためにそういうことをするわけ
ダメな動きははっきり見せない
逆にすげえ動き出来る人なら全身の動きがわかるように撮らなきゃダメ
変なアップとか奇をてらった角度とかアップとか要らない
極端に言えばヒキで全身写してりゃそれでいいとすら言える
先日ニコ動で某MMD動画投稿者が「完成度の高いダンスモーションを借りてカメラを暴れさせるのはモーションへの冒涜」とコメントされまくって新規投稿をやめると言い出した時も思ったけど
こんなん言われて当然だろ
カメラを暴れさせるのなんて誰にでも出来る
神戸牛にヘタクソコックが癖の強い余計な加工したらみんな怒るだろ?
その場その場で誰が1番偉いのか考えろってことなんだよ
一人で作ってるんじゃない時は常にさ
最高の和牛が主役の時は余計なことをせずに素直に焼くの
ダンスと言う素材が1番えらいならそれを生かす、邪魔にならない画面加工だけをするの
自分が1番偉いんじゃない時、
自分が1番に求められてるんじゃない時、
そういう時に主張を強くするなっていうの
そんんぐらい当たり前だろ?
そんなんものによるだろ
ダンスが売りなら正面固定的成分が強まっていくし
そうでなければカメラで凝ることが主役に近くなることもありうる
たとえばBABYMETALだってダンス見せるバンドだから正面固定的だよな
たまにアップとかカットとかするけど動きがわからなくならず途切れないように編集してる
あれダンスの動きがわからない撮りかたされたらみんながっかりするし怒っちゃうよ
そういうこと何も考えず1人よがりに
「この技術すごいっしょ?」だの「俺のことを見て!」だのの了見で
余計なことをするカメラはそれは失格でしょ
かつて、Second Lifeでクーロンズ・ゲートの世界観を再構築した『KOWLOON』SIMがあった。
オリジナル版でアートディレクションやキャラクターデザインを手がけた方々が作ったものなので、準公式とも言えよう。
当時、期待いっぱいで遊びに行ったのだが、そこはオリジナル版を遊んでいた時の緊張して怯えながら散策する楽しみを味わう空間ではなく、良くも悪くも「クーロンズ・ゲートの世界観を模したテーマパーク」だった。
オリジナル版で表現されていたあの怖くて魅力的な世界は、表層だけ真似ても再現できないのを知った。
クーロンズ・ゲートの魅力はグラフィックや音楽だけにあるのではなく、小道具や地名の名付け方、脚本のセリフ回し、物語の展開、そういったものすべてが組み合わさって存在している。
それらを構築した人物抜きでオリジナル版を愛したファンを満足させるコンテンツを作れるのか?
今回の「クーロンズゲートVR」はSecond Life版と同じ方々が主軸になって作っているそうで、個人的にはまた「似て非なるクーロンズ・ゲート」になるのではないかと不安に思う。
クラウドファンディングのページには
を作ると書いてある。
今回作るのは「クーロンズ・ゲート」なのか、「クーロンズゲート」なのか、「クーロンゲート」なのか?
間違えないでほしい。
ナカグロ(・)が抜けてしまうのは百歩譲るとして「クーロンゲート」は看過できない。
オリジナル版のタイトルの誤記を見過ごすようなプロジェクトは、一体どんな成果を出すのだろう。
臨時講師とは教員採用試験に受かっていない人達で、教員採用試験に受かった人達と仕事はほぼ同じだ。
この時点で私に与えられた仕事は生徒達からしたら正規の教員と同じだ。
しかし、講師なので教員とは違い、学校内で教員組織としての仕事は軽い。
因みに私は夢や熱意を持って講師になったわけではない。
ただなんとなく就職したくなったので、教員免許を活かしてみただけ。
なので学校の仕組みも何も知らない。
今もよくわかっていないことばかり。
正直、この自分の決断は軽率で、許されるものではなかったと思う。
私の場合、履歴書を教育委員会に提出し、赴任校が決まったので挨拶に行き、数日後には新任式で挨拶をしていた。
臨時講師の研修は、もう様々なミスをして疲弊しきった頃に行われた。
生徒や保護者にとって、臨時講師だから、教員採用試験に受かっていないからということは関係ない。
校舎の配置も、学校の仕組みも、授業の作り方もわからない、本当に右も左もわからない私への反応は幸いにも優しかった。
保護者や生徒はそう言ってくれた。
そう私は責められた。
当然だと思う。
だが言い訳をするなら、研修を受けていない状態で専門用語を使われてもわからなかった。
大学で教わってきた授業の作り方は現場ではあまり役に立たなかった。
ここでは私が今まで学んできたことは通用しなかった。
私にできることは生徒に対して真摯な対応をすることだけだった。
何もわからない手探り状態のまま、生徒の話に耳を傾け、どうやったら生徒の成績が上がるか、どうやったら生徒が良い人間関係を築けるのかを考えて行動した。
結果、私は生徒から好かれた。
保護者の反応も悪くなかった。
職員室に行くといつも注意を受けた。
気が狂いそうだった。
いつしか、土日の朝になると涙が止まらなくなるので、土日に部活に行く回数が減ってしまった。
そんな日は片付けることもできない汚い部屋の中で、ベッドに腰掛け、学校からこっそり借りてきた正規教員向けのマニュアルを泣きながら読んで過ごした。
教員採用試験に受かったものだけに与えられる権利が十分な研修。
講師なんて雇うべきではないのだ。
自分の子供が十分な研修も受けていない人間に無責任に委ねられる。
こんなことがあっていいのだろうか。
どちらかというと熱血で夢を持った人達が多いように思う。
熱意もあり、教師になりたいと心から願う人達が、こんなにも教育について知らないものかとがっかりした。
四月から成り行きで勉強を始めた私より、教師になりたいと思う人達の方がすかすかなことに絶望した。
部活を休むクズとは違い、熱血できちんとしていればしている人達ほど時間がないことを表しているのだ。
講師でありながら、まるで闖入者のような存在の私から見て、学校という組織は異常だ。
研修も受けない、何も知らない人が教師の皮を被って生徒の前に立つ。
そしてその教員モドキが大きなミスをしたとき、世間はそれを許さない。
ミスなんて許されてはならない。
私達は使い捨てだ。
教師になんてならなければよかった。
明日もまた私は教壇に立つ。
生徒のことを考えるからこそ、生徒への申し訳なさで押し潰されそうになる。
何も知らない私を先生と慕う生徒達。
申し訳ない。
本当に申し訳ない。
こないだTVであったやつ録画してたのを見た
(1週めはオブリビオン。)
もともと原作知っててハリウッド映画化ってきいてうおおおおおって思ってた
うおおおおおおってなってハリウッドやればできるやん!って思ってた
リタとはじめて通じるカタルシスもまったくなかったし
リタの描写うすすぎて全然強く見えないし(むしろ毎回シンでるから弱く見える
ボス倒したら終わりっていうふうにめちゃくちゃ安っぽく改変されてて
(原作は最後リタとバトるとこまで含めて絶望的で、ほろ苦い(コーヒーだけに)EDになってたのに)、
あークソハリウッドのアメリカハッピーエンド至上主義改変だわーってめっちゃ興ざめした
最後血浴びて生き返ったのも、オブリビオンのラスト並の盛大な蛇足だし
ついでに言えばTVってことでいろいろカットされてるっぽいのも結構あったし(ラストの尻切れトンボっぷりパない
日本のラノベ原作!!!ってことで結構でっかく宣伝されてたけど結局ヒットしたうわさをきかなかったのはこの出来だったからだったんだなあ・・
せっかく早く寝たのに、へんな夢をみてびっくりして起きてしまった。
ところで「夢をみる」ってみんなどの字を使う? オーソドックスに「見る」? それとも「観る」? 私は「視る」っていう字を使います。幻覚を「視る」。白昼夢を「視る」。透視の視の字ですね。現実世界とはちがう、脳が作り出したものとか、視覚とは別の感覚を使って「みる」ときは「見る」じゃなくて「視る」って感じがする。
漢字の使い分け方ってその人の人柄や性格が出てておもしろいよね。私の尊敬するライターの男性は「聞く」と「聴く」の使い分けについて、「真剣に『きく』ときは『聴く』を使う」というふうに話していた。電話のあと「増田ちゃんの話を聴いて思ったことがある」って連絡をくれて、その「聴いて」っていう文字がやけに嬉しくて思わず画面に見入ってしまったこと覚えています。
さっき視た夢はなにか漢字に関係したもので、上述のライターさんにもかかわる内容だったと思うんだけど、ここまであれこれ書き並べているうちにすっかり頭から抜けてしまった。ところで「じょうじゅつ」ってすごく言いにくいね、どうしてもうまく言えずに「じょーじゅちゅ」ってなってしまう。若干滑舌が悪いのがコンプレックスで、まあ安倍総理よりは明晰に日本語を喋っているという自負はあるんだけど、あの、安倍総理ヤバいね。たぶん特定の子音について舌の動かし方が間違ってるだけだから、毎日ちょっと練習すればもっときれいに喋れるだろうにと思う。もったいない。安倍さんはネクタイの色とか細かいところまで第一印象に気を遣ってるらしいけど、滑舌も案外大事ですよって教えてあげたい。とにかく電話で聞き取りにくかったら困るので、もっとはきはき喋れるようになりたいです。私が視たへんな夢に興味を持ってここまで読んでくれた人は「夢の内容を忘れてしまった」という記述を見てさぞがっかりしたことでしょう。私がいちばんがっかりしているのであまり責めないでください。
さあ、週のはじまりです。こんな早朝から増田なんて眺めてる場合じゃないよ! もうすこし二度寝して体力をたくわえましょう。さっきの夢の続きが視られますように。みんなもいい夢を。おやすみなさい!
昨今SNSを重視するために公式ツイッターが重要視されるようになりました。
公式アカウントがNHKくらいしか無かった時代からツイッターをやっていると、結構不思議な感覚です。
それが自分の好きな映画・ドラマアカウントだった場合のがっかり感&RTしたくない感はたまらないものがあります。
是非とも今後のアカウントつくりに活かしてもらいたい。
この内容があのアカウントとか、このアカウントに伝わりますように。
1.絵文字を使わない
なによりチカチカしてうざいです。
2.謎のキャラ設定をしない
その作品のマスコットキャラになりきっての公式アカウントはかなり「痛い」です。脚本家でない限り、あなたのその文章は二次創作です。
もし「公式宣伝アカウント」と「公式キャラアカウント」を分けるなら話は別です。面白いと思います。
ただし宣伝アカウントで謎のキャラや、謎の語尾、痛い雰囲気を出さないでください。
そのキャラが本編に居る場合でも、見る方は馴染むまで時間がかかります。
本当に、うざい。そう感じさせる可能性は95%です。
例外5%はTEDです。ああいうキャラだと分かっているから使えたアカウントです。認知度がTEDレベルじゃないならやめたほうがいい。
ため口もやめてください。友達じゃ無いんで。
タグは本来便利なものです。作品タグは使い勝手が良いかと思います。
しかし #まじでおもしろい とか #明日のお楽しみ! とかタグの意味無いです。
意味が無い=謎です。謎の行為をしないでください。インスタではありません。
タイムラインで無駄にタグリンクを踏んでしまって、普通に邪魔。
出演者、著名人、関係者。ここのRTは許しましょう。するべきでしょう。
しかし一般人の感想をRTする行為は、感想泥棒です。あなたがエゴサして見つけてきた感想をフォロワーに押し付ける行為です。
作品の感想を知りたければ、自分で検索します。みんながつぶやきたいと思うような映画を是非作ってくださいね。
いくら著名人でもネタバレをRTしないでください。最悪公式のレッテルが貼られます。
そしてフォローしているのはその作品について色々知りたいと思う「ファン」が多いのです。
見てる人も見てない人も、その作品に関連する情報が欲しくてフォローしているのです。
7.できれば適度に画像をください
画像編集できるように撮影期間中にオフショット撮り溜めといて、放送日とか公開日までに公開していくスタンスはどうでしょうか?
8.顔文字を頻繁に使わないでください
センス合わないとうざい。
9.裏話をください
ツイッターの醍醐味です。裏アカウントでこっそりキャストの情報を流すクズスタッフだけにはならないでください。
堂々と表で。
10.裏話を流しすぎないでください
塩梅が大切です。
作品の根幹にかかわることとか、イメージを損ないたくない場合は、無理して情報を出さないでください。
11.楽しんでしようと思わないでください
中の人がやっているツイッター、それは仕事なのです。くだけないでください。
やりすぎも、やらなさすぎもダメです。
あれはツイッター廃人の熟練スタッフの技です。中の人は変わりましたがノウハウがあると思われます。
あと自分はツイッター廃人だ!!と調子に乗らないでください。大抵調子に乗った人はつまらないものです。
とにかくまじめに、真面目が大切です。
くだけたアカウントが時折話題になることがあります。しかしその砕け方にセンスがある場合です。
今までくだけたアカウントで、話題にならずに、ひっそりと終わって行ったアカウントを知っています。目もあてられません。
自分にセンスがあると思わないでください。真面目にして真面目にファンサービスをしていたら、好感度はあがりRT数は増えます。
シン・ゴジラの北米版の公開が決まった。しかし、これは失敗することが確実だ。
なぜか? すでにシンガポールと台湾で大失敗しているからだ。客はほとんどいない。閑古鳥が鳴いている。始まってすぐに、打ち切りが決まった。
→ シン・ゴジラ、台湾興行収入1600万円で終了ww 2ch.net
→ シンガポールでもシン・ゴジラ公開。しかし観客の反応はいまいち。私もがっかり。
その理由は以下の通り。
・ 大量の字幕が読みにくくて大変
これらの点は、私が前に指摘したとおりだ。
はてなーは、「英語が下手でも石原さとみがいい」と言っていたが、私は「外国人女優を採用するべきだった」と言って、「海外では石原さとみの英語は致命的だ」と言っていた。そして、その懸念が、まさしくシンガポール版で証明された。
同じことは、北米版でも成立する。とすれば、ゴジラの北米版は大失敗すると予想しておこう。この予想はまず確実に当たるだろう。
※ ただし、字幕版のあとで吹替え版が公開されれば、そこそこ客は来るかもしれない。
吹替えならば、石原さとみのひどい英語も、まともな英語に置き換えられる。
※ 私は次のページも書いた。
この方針に従っていれば、かくもひどい大惨敗はしなかったはずだ。
人と妖怪(作中では「闇」と書いて「かたわら」と読む。はっ!傍らにいるものという意味があったのか!今更知った)が手を取り合ったり殺しあったりする時代の話
具体的には室町
一言では語りきれない
最初:人間が好きな妖狐ロリと人間嫌いで闇になりたいと考えてる男+αで世直し旅
序盤:人間を妖怪に改造したりするわるいところをぶっつぶしにいった
中盤:でも主人公の人間嫌いの男が内なる妖怪に飲み込まれてしまって退場。1部完
後半:わるいところにいた妖怪改造人間の子どもに主人公をバトンタッチ。
妖怪を体にうめこまれてるのがいやで人間になりたい・戦いは嫌だというタイプが旅をして1部の主人公倒したりとかいろいろ目標にしてがんばる
14,5巻くらいまで読んだ気がする
惑星のさみだれはいまいちだったって人もこれならそこそこ面白く読めるんじゃないかなって感じ
あれはやたら絶賛されてるけど合わない人には合わないし
でもしんすけっていう1部ではへっぽこだったのが後半ではめちゃくちゃすごいやつになってたのに嫉妬っつうかあーあってがっかりした
成長するのはいいと思うんだけど結局オマエも超人の部類だったのかって
いやまあいろいろあったよ?確かに。成長のきっかけになる出来事はさ。
それでもなあ・・・
うひひ
でもムドのキャラは惑星のさみだれの三日月まんまだよなあ・・・
もう終わりも近いのがひしひしと伝わってきてさびしいなあ
東日本の時とか、遠いし仕事休めないし、募金しかできなかった。
今回は近い、すぐに行ける。
もっとも初期に必要だと思われるもの(ボランティアが利用するマスクとかタオルとか軍手とか)や日持ちする食料なんかを持って行った。
会社はそもそも仕事としての災害対応でいっぱいいっぱいだから、休みの日に個人としてボランティアに行った。
できること、自分なりに精一杯考えたことを実行できて、少しホッとできた。
かっこつけるなと。
最初は激怒したけど、時間が経つにつれてがっかりというか情けないというか、、、
もうボランティアには行けない。
災害のことは忘れることにする。
互助会だらけのブログにブクマつけるのも癪に触るから増田に書捨てる。
ふざけんなよと、ネット見てみろよと。
別に勧めてもないのにワンピの話するだけで何巻で読むのやめたわ〜wとか
文字多すぎwとかルフィの目が死んでるwサイコパスwとか絵がごちゃごちゃしてるwとか
聞いてもねーのにイチャモンつけてくるやつワラワラ湧くネットの風潮もやめてみろばかやろー
なんで毎回ワンピの話題の度に同じような悪口みなきゃいけないんだよ
そんなに嫌いならほっとけよ
何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよとルフィもいってませんけど。
ワンピ好きだと漫画好きじゃないみたいなこと言われるのもやだなー
もうやだなー
いろいろ読んでいろいろ好きでそれと同じようにワンピも好きなだけなんだけどなー
我慢してきたんだよー今まですごい我慢して黙って聞いてたんだよー
売れてる漫画だもん、目につくよね鼻につくよねそれが嫌いなら尚更だよね
でもワンピの記事だ!ってみにいくと同じように何回も悪く言われるの疲れる
数件の良意見のために毎回がっかりしにいく自分にもがっかりする
アドバイス罪みたいに何編でやめた罪を制定したい
そうか、わたしははてぶや2ちゃんでワンピの話をするみんなが見たいのに
毎回同じ悪口に終始するのが嫌だったのかもなー
書いたらスッキリした
一切合切世も末だ
メルトダウンと聞いて反射的にキノコガウンを想像してしまった。
森の中、木々の切れ間。苔の生えた丸石に囲まれた小さな広場で長老ドワーフが「ぬしこそまさに森の王者よ」と告げると、
そばに控えたドワーフの少女が色とりどりのキノコがびっしりと生えたガウンをしずしずと運んでくる。
少女に上目遣いでガウンの着用をすすめられたヒト種の青年は、彼にとってガウンというよりチョッキのようなサイズに戸惑いながら、キノコの毒の有無をしきりに気にしているようだ。
というシーンまで一気に意識が飛んで行って、フフっと口角が上がったところで、「何がおかしいの!?」と強い反原発思想を持った母親にキレられて現実に引き戻された。
頭の中で自動生成される景色はあんなに穏やかで素敵なのに、何かの形で出力するには自分がポンコツすぎてがっかりだ。
あーもーさっさと寝て夢の中に行きたい。今日は海かな、森かな、山かな、空かな。
ようやくアメリカ人に一泡吹かせることができる
キリスト教圏のやつらがてめーの常識で作ってる宗教色がおもくそはいった、無宗教の日本人には映画の面白さが100%伝わらない映画で、映画をしゃぶり尽くす楽しみ方ができなかった日本人の苦しみを、味わうがいい
仮にシンゴジラの中で出てくる日本の文化を後から知識として学んだとしても、それは実感として根を下ろすことはほぼ不可能
それは日本人がキリスト教敵思考を後から理屈で身につけようと思っても無理なのと同じ
シンガポールではさんざんな評価だったらしいが、鼻で笑ってやる
面白さを楽しめる土壌がなかっただけのことを、映画自体の評価につなげてる浅い考えのやつらでしかないんだなってな
そもそも日本向けに作ったものを見てわざわざ自分らに合わなかったっつってこき下ろすのは筋違いだ
万人受けするもんなんかねーんだよ
まあ俺はシンゴジラみてねーんだけどな
副業として始めた個人事業が軌道に乗ってきたので、調子に乗ってビジネスカード(クレジットカード)を作ってみた。
んが、まさかのネット未対応で、ご利用明細は紙(郵送)のみでオンラインで見れないわ、本人認証サービスも使えないのでオンライン決済できないわ、なんだかがっかりでした。
以下、顛末。
いままでも個人事業に使うものを個人のクレジットカードで買ったりしていたけど、
だんだん管理がめんどくさくなってきたので、事業用のクレジットカードを作った。
作ったのはポケットカードの「P-one Business MasterCard」
決してステータスの高いカードではないが、年会費が実質無料だし、どうせネット決済ばっかりで人前で見せびらかすわけでもないしと思って、申し込み。
申し込みの翌日には仮審査に通ったと電話があり、そのまま電話で事業内容や利用希望額を聞かれ、本審査に回す旨を伝えられる。
本人確認書類や確定申告書、青色申告決算書などを郵送して、2週間後ぐらいにはカードが簡易書留で到着。
さっそくオンラインで明細を見られるように登録をしようとしたけど、カード番号を何度入れてもエラー。
イヤな予感。
コールセンターに文句言れる前に、ちょっと冷静になってwebページを見なおしてみる。
んで見つけた。
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※7 ネットカウンターのご登録・ご利用は、法人代表者様のみ可能です。
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むむ。。。
このビジネスカード、実は「法人代表者用」「法人従業員用」「個人事業主用」の3種類があって、俺が申し込んだのは「個人事業主用」。
んで、ネットカウンターというカード会社のオンラインサービスが使えるのは、「法人代表者用」だけだという。。。
こんな注意書き、今更気づいても遅いわ。
クレジットカードの明細をオンラインで参照して、そのまま会計ソフトのMFクラウド会計にデータ取り込んで経費精算&記帳まで一気通貫でやろうとしたのに。。。
うへぇ。。。紙の明細見ながら内容を手で打ち込むのかよ。いつの時代だよ。非人道的な作業だ。
コールセンターにもダメモトで聞いてみたが、やっぱり個人事業主用カードはネット未対応とのこと。
今後の予定も未定とのことなので、「ぜひ対応するよう上の方にも伝えて下さい」と丁重に言って電話を切った。
カードの利用明細の手入力ぐらいなら我慢できるけど(それすらも、カード利用明細をスキャナで読み込んでOCRかければなんとかなるか?)、
痛いのはオンラインでの本人認証サービスにも対応していないこと。
近頃はクレジットカード決済のセキュリティ強化のため、カード番号や有効期限に加えて、カード会社に登録したパスワードが必要なオンラインショップ・決済会社も多い。
だけどそれも使えないってさ〜。ほんとがっかり。
まぁAmazonとかPaypalは本人認証サービス使ってないから大丈夫そうだけど、今後「いざっ」ってときに本人認証サービスが使えなくて悲しい思いをするんだろうなぁ。
俺は読んでないんだけど、『編集会議』 2016年春号 現代ビジネスCTO Tehu インタビュー によると、
・2016/5公開予定
・THE NEW YORKER, TIMES, NEW YORK TIMES のような「高級誌」を目指す
・ニュースサイトにありがちな作りではなく、"表紙"でワクワクさせて引き込む
・UXデザイン、プログラミングの役割をTehuたった一人で担う
だそうだ。
ユーザーが目にするWebサイト(クライアントサイド)だけなく、裏側で統計データの収集(サーバーサイド)や、編集者が記事を作るためのツール(クライアントアプリ)という3つの分野を一人で担うというのはかなり野心的だ。TehuがCTOになってからサイトがリニューアルされるまで1年半かかったが、「一人で」、しかも「4社掛け持ち」だとしたらがんばったのではないかと思う。
どれほど野心的なプロジェクトなのかはわからないが、見た感じ、だいたい3ヶ月、500万円ぐらいのプロジェクトじゃないかなぁと思う。
内容を見ていこうと思ったが・・・ やめた。
俺のタブレットだと画面に記事が収まらなくて1行読むたびにスクロールが必要だったり、画像が切れてたり、画像に文字がかぶったり・・ これ最低限の品質に達してないよ?
正常系だけならバカでも作れるんだよなぁ。正常系だけなら作るのは簡単なのよ。異常系を意識しだすと途端に難度が上がるんだけど、Tehuくんはまだそのレベルには達していないようだ。本当にがっかりだ。
大学生(留年中)のアマチュアたった一人にサイトのリニューアルを任せて、現状のクオリティにOKを出した講談社 現代ビジネス・・・ 俺はとてもじゃないが高級紙とは思えないぜ?
若い頃のネガティブな自分に会ったら、思わずそう言ってしまうと思う。
大人になると、個人の力の限界や、他の人との差はそのなに大きなものではないと知る。
世間でいいとされているものは必ずしもそうではなく、感じ方もひとそれぞれで自分に合ったものを選択すればいい。
”今の記憶を持ったまま”若いころに戻れたら、どんなに素敵なことかと夢想する。
しかし、よく思い返したら、若いころはいっぱいいっぱいだった。
優劣の差が明確につけられるし、自己肯定感なんて無かった。
弱いと切り捨てられるから堪えるしか無かったし、外の世界も同じようなものだと思っていた。
自分が好きなものは好きだと思ってはいけないものだと思っていた。
感情を偽らなくちゃいけないから、道理で動かない人間に対して攻撃になってしまっていた。
今でこそ、外の世界に出たからこそ、子供時代が狭い世界であり、特殊な世界だと理解できている。
だが、狭い世界で生きている人間にそのことを理解させるのは難しい。
仮に、ある人物がいきなり現れ、
「この世界は実は仮想世界なんだ。今すぐ死ねば現実世界に戻れて、もっと生きやすいし楽しいよ」
そう言われて信じられるだろうか。
いじめに遭ったことどもに対して、「狭い世界だからもったいない」、「逃げればいい」、そうアドバイスする気持ちもわかる。
それも彼らにとっては信ぴょう性のない言説に過ぎないのだ。
自己肯定感の低い者に対して、可能性なんてものは自分をがっかりさせる得るギャンブルに過ぎないのだろう。
結局のところ、若いからなんでもできるかどうか、それを理解するには時間がかかってしまうのだ。
もちろん個人差はあるだろう。
しかし、落ち込んでいる若者に、「若いからなんでもできる」と言うのは戯言でしかなく、
彼らを励ますという目的を達成するのであれば、それは説得力はなんたるかを考える必要があるのだ。
たけを
私は被災者でも関東住民でもないからこの増田と同じようには感じられないが、あの熱線シーンは本当にすごかった。
観客を映像と音で黙らせる、あれこそまさに映画の力だと思った。
官邸内の政治家や官僚がリアルだなんだと言われているが、そんなものは枝葉末節であり私は楽しめなかった。
制作に際して行われる取材の当然の結果が映像になったに過ぎないのではないか。
「覚醒する政治家と役人」みたいな言い方があるが、どこで覚醒していた?と聞きたくなる。
矢口やスタッフの内面は満足に描かれず、主要キャストがストーリーに都合よく有能なだけという印象だった。
「みんな泊まり込んでよくやっている」みたいなセリフを安易に言わせてしまうところにもがっかりした。
ちなみに石原さとみは問題外だが、きれいだからいいんじゃないですかねくらいの感想だった。
しかしながら会議室の描写は必要であり、それはいいんだ。でも描き方が幼稚だと感じた。
あの一連の人間パートがもっとよくできていれば、私はこの映画を手放しに賞賛する。
何が言いたいかと言うと、人間が出てくるシーンがダメ。少なくとも私は不満足だった。
増田が書いていた被災した少女の笑顔も、全体の流れの中では洗練されたものではないと感じる。
なければならないシーンではないからだ。
ただ、増田の背景を考えるとあそこで感情を刺激されることはよく理解できる。
何が言いたいかと言うと、『シン・ゴジラ』は人間が出てくるシーンはダメダメ。
それ以外は素晴らしい。
ふまけんが好きだからこそ、全力パフォーマンスで魅せに来てくれるふまけんが好きだからこそ、あのビリビリDANCEにはショックを受けたオタクは多く、例に漏れず私もそのうちのひとりだった。
そんな何ヶ月か前の事を今さらになって思い出すのは、風磨くんの某雑誌においての例の発言のせいである。
それは、「中島と絡めば喜ばれるだろうけど、そこは裏切った方が面白いと思って」(ニュアンス)みたいな事を言っていた一節だ。
なるほどね、だからあのビリビリDANCEね。って納得するとでも思ったか?まずあの少クラ春休みスペシャルの企画を、彼はどう捉えて居たのだろうか。ふまけん好きなオタクを裏切ってさぁ面白がってくれと捉えての、あの態度だったのだろうか。
ねぇ風磨くん、そうじゃないでしょう。
私はあの企画を、「さぁよってらっしやい見てらっしゃいのシンメとしての商品力アピールの市場」のようなものであったと考える。
どのグループにも一定はシンメ需要はあって、そこに惹かれるオタクは少なくないからこそシンメは商品として、グループの武器として、魅力として成り立つ。
「ねぇお姉さん、シンメをお求めですか?ちょっと僕らのパフォーマンスを見ていってよ、ちょっとでも魅力を感じたら是非とも応援してってよ」と全力アピールする場所であり、1人でも多くのシンメ萌えオタクを墜す最強シンメは一体どのシンメだろうかとシンメ力を競い合ってファンを奪い合う、そういう熱いステージなんだよ。
お前が「面白い」と思って裏切ってジュニアと一緒にうぇーいwwwする様な、そんなステージじゃないんだよ。
ふまけんがしっかりと固まればそれはSexy Zoneの武器になる。そんなことは既に皆が知っている事だし、斯く言う私もふまけんの魅力からSexy Zoneのファンになったひとりである。
しかしながら風磨くんは、先述したような熱いステージで手を抜いて、生ぬるいパフォーマンスを提供し、新たなシンメオタク、新規ファン獲得の絶好の機会を、愚かにもみすみす逃したのである。
私は一気に気持ちが萎んでいくのを感じた。
ああ、がっかりだ。と思った。
ふまけんを応援するのは辞めようと思った。
「どうにかしてファンのみんなを喜ばせたい」と考えてくれるのが、私の好きなアイドルだ。「裏切ってやったぜどうだ面白がってくれ」なんて、なんにも面白くないよ。
さよなら、ふまけん。
最後になったが健人くんはなんにも悪くない。健人くんの事だけは、これからもずっと応援していくつもりだ。
ただ、彼の居るグループを愛する事は、私にはまだ難しそうだ。