「震災」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 震災とは

2017-10-16

学会員立憲民主党に入れよう

学会員だけどちょっと一言いかな。

https://www.facebook.com/tetsunari.iida/posts/10214860353881637

震災ときのエダのんは立派だったよ。#枝野寝ろツイートはいまでも語り草です。

決して失政なんかじゃありません。

民衆の中に一人立ち、下から政治理念を訴える枝野さんに対して、自分たち理念を語らず、口を開けば他党の悪口をいう山口さん、あなたは恥ずかしくないのですか?

私はエダのんの演説を聞いて、魂を揺さぶられましたよ。

立憲民主党がやっていることは、本来公明党がやることじゃないのですか?

秘密保護法安保法制共謀罪

いったい何をやっているのですか?あなたたちは。

山口さん、あなた立憲主義について、どれだけ真剣に考えていますか?

安倍さんに、これだけ権力の乱用をやらせておいて、罪の意識はないのですか?

一人立ち上がった枝野さんの姿を見て、何も感じるものはないのですか?

逆に悪口をいうのは、天に唾しているとは思わないのですか? あなた信心しています

池田先生も、公明党を作られたときは、今の枝野さんたちのように、民衆の中で堂々と理念を語る政治家を輩出することを目指したんだと思いますよ。

今の公明党は何をやっているんですか?

あなたは恥ずかしくないかもしれませんが、私は学会員として恥ずかしいです。

私は30年間、公明党以外には入れたことはありませんが、今回は立憲民主党に入れようと思います

それは、立憲民主党の方が学会人間主義平和主義に近いと思うからです。

池田先生政治監視しろと口を酸っぱく指導されました。

公明党であったとしても民衆を裏切る時が来るかもしれない、それは例外ではない。

権力とはそういうものから、しっかり学会員が見定めろと。

今がそのときだと思います

今の公明党投票することは信心ではありません。福運を積む行為ではありません。

与党が勝ってしまったら、改憲まっしぐらでしょう。

公明党も賛成するでしょう。

そうしたら、平和憲法理念はどうなるのですか?

公明党平和を追求するための党じゃなかったのですか?

戦前戦争に反対して牧口先生獄死され、戸田先生が何のために立ち上がられたのか。

そのことを全く忘れている公明党に、言論の自由蔑ろにする秘密保護法共謀罪積極的に賛成する今の公明党に、何を期待してもまったく無駄です。

いま、北朝鮮の緊張もあって、戦前の状況に似てきたといわれています

戦前国民全体が戦争に賛成しました。今も同じような雰囲気になってきました。

私は、国民の99%が戦争賛成といっても、反対を貫くのが公明党だと信じてきました。

かつての牧口先生戸田先生のように。

集団的自衛権を許す安保法制意味不明解釈を追加して賛成する公明党平和の党ではありません。

次は9条改憲するでしょう。

いまの公明党は「改憲国民議論が熟していない」といいますが、だったら「熟したら」改憲するつもりでしょうか。

国民が許したらするというスタンス、ずるすぎませんか。

じゃあ、国民戦争しろといったらするのですか?

そうじゃないでしょう。

平和理念を訴えるのがまず先でしょう。

どうして自分たち平和を追求する党ですと堂々と国民に訴えないのですか?

人の悪口ではなく、平和を追求するために考え抜かれた魂の言葉はないのですか?

あなたたちに、枝野さんの悪口をいう資格はないですよ。

2017-10-13

anond:20171013091751

自民党が作った、漫画で描かれた憲法改正についてのパンフレット

http://constitution.jimin.jp/pamphlet/

建前としては「みんなで考えていかなきゃ」という表現がよく出てきてるけど

GHQに押しつけられた憲法を使っているままでは日本敗戦国のままだとか、

個人自由が強調されすぎだとか言ってるし、

戦争震災犯罪などで危機感を煽ってくるような表現もちょいちょいあるし、

どうにもプロパガンダじみてて、こういうパンフレットを堂々と出しちゃうところに憲法議論を引っ張られるのはかなり不安

2017-10-12

anond:20171012230008

10年くらい前から人口減ってるけどリーマン震災消費税の年抜いたら大体1%程度プラス成長してるだろ

第一就職氷河期世代 vs 第二次就職氷河期世代

https://www.businessinsider.jp/post-105617


バブル崩壊後の自民党による第一就職氷河期世代 vs リーマン&大震災後の民主党による第二次就職氷河期世代

ファイ!!!!!!

ゆとり世代のほうが年が近いから今の若者は影響うけるのかもしれん。

少なくともはてブコメント見てるようだと、敵意むき出しでなので絶対共感されないと思う

※ま、まぁはてブユーザー第一就職氷河期世代が多い前提だけど

急に3.11記憶が蘇った

記憶を蘇らせるきっかけは、RADWIMPSの「狭心症」という曲だ。

この眼が二つだけでよかったなぁ

世界の悲しみがすべて見えてしまったら

僕は到底生きていけはしいないか

当時、僕は静岡に住んでいた。その時間部活練習中で、人生でほぼ経験たことのない長い揺れを感じ、部員みんなで身を守る体制になっていた。震度こそ震度4だったが、異常なことがよく分かった。

練習の合間にガラケーを開く度、「M7.9」「大津波警報」「既に津波は到達している」「原発電源損失」という文面が流れてくる。

その後の余震静岡も頻繁に揺れていたこともあり、部活は中止になり、家で様子を見ることになった。

テレビを傍らに、まだ登録して一年足らずのTwitterに張り付いていた。まだ会ったことのない東京友達の安否を確認していた。

人生で全く経験たことのない非常事態に終始緊張をしていた。いまこの瞬間に多くの人が死んでいっているという事実が信じられなかった。

そのような状況で、急に聴きたくなったのがRADWIMPSの「狭心症」だった。震災のおよそ一ヶ月前に公開され、なんて暗い曲なんだと思って聴いていた。

世界から見れば今のあなた

どれだけ かくかくしかじかと言われましても

下には下がいるって喜びゃいいの?

僕は僕の悲しみも憂いちゃいかんとさ

3月11日の、深すぎる絶望のなかで、糸を垂らしてきたのがこの曲だった。

余震こそ来るけど普通に暮らせる場所にいた僕に届いた。捉えきれない絶望を、この曲がフィルターとなって受け止める役割、やるべきこと(やってはいけないこと)を示してくれた。

とは言っても、様子を見守ること、変なチェンメは流さない、ツイッターデマには気を付ける、このぐらいしか出来ることはなかった。

原子力緊急事態宣言」「名取で数百名の遺体発見

良い知らせなんてもう二度と入ってこないような世界になったと思った。

深い悲しみで数日間は動けなくなったが、月の後半には普通に近い生活を送っていた。

雨風は凌げ、計画停電もなく、食料も普通に手に入った。全然過酷な思いをしていたわけではないが、「狭心症」を聴く度に、あの日のことを鮮明に思い出す。

2017-10-10

震災写真死体が写ってるやつ

グチャグチャの顔とかならグロくてダメなんだろうけど、瓦礫の中から手が出てるのだとふつうに見れる

瓦礫どかしたらグチャグチャなんだろうけど

2017-10-09

anond:20171009234542

聞いてみたところでは、東日本大震災の時の民主党のぐだぐだっぷりがトラウマのようだった

北朝鮮からミサイル飛んできたときに、現民進党などが政権を取っていたらまた震災の時のぐだぐだが起こるであろうということのようですね

あとは、長年の安定政権で、アメリカロシアなどの首脳とも一定のつきあいができているために、向こうからもそこそこ信用されているであろうことな

民主党政権取ったとき震災が来たのは不運だったなと思う

2017-10-05

18歳なんだけど

全然政治とかわかんねーけど今回の衆議院選挙を機会に勉強したいんだわ

つーことでどこで何を読めば以下の疑問が晴れるのか教えてください

・なんで衆議院解散したのか

・なんかいっぱい党があるけど公約ってやつは守るのか

衆議院選挙HP小選挙区候補者立憲民主党の人がいないのはなぜ?

ごめん知識なさすぎて3つしかでてこなかった

そもそも小選挙区とか比例代表説明もできないか高校とき教科書さなきゃな

立憲民主党が気になったのははてなで評判良さげなのと震災とき(当時小6)枝野さん頑張ってたっぽいからなんとなく

選挙に興味もったのは若者向けの政策してほしいのと理系選択した身なのでもっと科学研究かに金使ってほしいと思うから(後者は無理そう)

政策ってなんだよって聞かれたら答えられないけど…

https://anond.hatelabo.jp/20171004210419

革マル出身ってことが引っかかって未だに信用し切れない。

震災の時は確かに株を上げたけど。

anond:20171004210419

ぶっちゃけ震災がなかったら枝野にここまでの好感度ないよね。

寝ないでがんばってる人大好きな日本人

2017-10-03

結婚当初、姑と上手く噛み合わなくて、会うと気疲れしていた。

意地悪されたりはしなかったけど、気さくで良く大声で笑う実母に比べ

足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は、喜怒哀楽を直接表現せず

シャキシャキ・パキパキ黙々って感じで、ついこっちも身構えてしまっていた。

何となく「私、あまり好かれてないな」と思う時も有って、当たり障りなくつき合っていた。

 

その年は、私が秋に二人目を出産した事もあり、混雑を避けて一月中旬帰省する事になった。

そして早朝、今まで感じたことの無い揺れと衝撃を感じた。阪神淡路大震災だった。

釣りに行くという夫達の為に、お弁当と朝食を作っていた私と姑は立っていること出来ずに座り込んだ。

食器棚が空いて、次々と皿やグラスが降ってきた。

名前を呼ばれた気がして目を開けると、姑が私に覆い被さっていた。

私を抱きしめる腕も肩も頭もちが出ていた。

 

夫と舅が子供達を抱いて台所に飛び込んできて、私達を廊下に連れだしてくれた。

歪んでなかなか開かない玄関ドアを開けると、街の景色は一変していた。

義実家マンションの高層階だったが、エレベーターは止まり階段にはヒビが入っていた。

呆然とする間にも、大きな余震が襲ってきた。

廊下の壁にも大きな亀裂が入り、揺れが襲う度に何かガラガラと大きな物が落ちていく音がした。

姑が「あなた達は早く逃げなさい!」と部屋に戻り皆の上着やマフラーを持ってきた。

泣きながら「あなた達って・・・義母さんは?」と聞くと「後で逃げるから、良いから早く!」と恐い顔で言われた。

足が悪くて階段では逃げられない自分は、足手まといになると思っているんだと分かった。

夫が「母親を見捨てて逃げたら、俺はもう子供達に顔向けできない」と姑を背負おうとしたら

姑が夫をひっぱたいた「あんたの守るのは子供と嫁!産後で完全じゃない嫁を幼子二人を守ることだけ考えなさい!」

そしてちだらけの手で、私の髪を撫でて「ごめんね。帰省させなきゃ良かったね。ゴメンね」と笑った。

 

結局舅が姑を連れて、後から逃げると説得され、私達夫婦子供二人と先に階段下りました。

避難所で無事に再会出来たときは、安堵のあまり「おうおうおう」と言葉にならない声で抱きついて泣いた。

マンションは数日後に全壊した。

避難所で再会して気が付いたが、姑は家族の上着を持って来てくれたが自分はセーターにエプロンという服装だった。

初めから、皆だけ逃がすつもりだったんだと思ったら、また泣いた。

未曾有の事態母乳が出なくなったり、出ても詰まったり色が変だったりで

痛くて脂汗を流しながら、マッサージをしていると、産婦人科にいた事もある姑が

「熱を持ってるね。痛いね。でも出さないともっといから。代わってあげられなくてゴメンね」と泣きながらマッサージを手伝ってくれた。

避難所では「ブランクがあって、知識が古いけど」と看護士として働いて、まわりを元気づけていた。

 

あの時、赤ん坊だった下の子はもう高校生で、舅は既に他界した。

福島震災をみていると、どうしても阪神地震を思い出してしまう。

同居の姑は、今も喜怒哀楽をあまりさないけど、今では何を考えているかちゃんと分かる。

ありがとう、おかあさん。あの時のちだらけの貴方を忘れません。

-

増田警察

2017-09-27

まあ年齢考えてみりゃ

あの人怖がりだったし

震災の時にそばに居てやれたヤツががっちり心を掴み取ったんだろうな

俺のことなんか思い出すことはない

2017-09-22

日本学術会議声明新潟県への宣戦布告である

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1153261

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20170921/ddm/016/070/003000c

あとシノドスフリーライターレポートもあったが、どれも「医術と呪術混同する両論併記をやめよ」という趣旨確認できる。

林智裕についてもそうだが、「これ以上福島県の健康被害について口をはさんではならない。それは差別だ」という論旨であり、

林氏は心無い中傷県民が傷ついているという批判の中で「呪い」という言葉を使っていた。

本来は全文を読むべきだろうがまず書いておく。

壊滅的な被災のなか、復興への向けて頑張っている人が悲観的な話を聴くのがつらく、実際に精神を病むこともあるだろう。

そうした福島県民を始めとする東日本大震災被災者の皆様の気持ち自然であることは認める。

しかし、隣県の新潟県では原発事故についての検証委員会始動しだしたところである

本職が医師である米山隆一牽制する文章と言ってよい。

私自身、なぜ「子供たちの未来」云々が危険視しようが安全視しようが登場してきており、政治的支配欲が出ているようで非常に不快だし、

泥流による放射線健康被害から本来定住すべきではない場所だと言われてむっとしたこともあるが、

新潟県知事選当時、県内在住の反原発から「お前は本当に福島県民か?」というような差別発言は聞かれなかった。

インターネット上で選挙運動訴訟活動を行っていることを明記した人物限定した話ではある)

現在在日コリアン念頭外国ルーツある人物へのヘイトスピーチ違法化された。

この前例に則り、学術会議への異論福島県へのヘイトスピーチとして違法化され、

最終的には検証委員が全員逮捕されることになるだろう。

事実在日朝鮮人沖縄人への民族差別アナロジーとして、福島県民への差別説明するレトリック存在している。

このような議論被差別民族への想像力の欠如と思われるかも知れないが、対策法で最も懸念されていた問題点である

いじめ偏見等の被災者への差別は続くだろう。

しかポストコロニアル当事者性を強調することで国や東電構造責任が看過されてしまうことはないのか。

実際に被災した地域を二度と同じことを繰り返さないよう防災観点から引用検討することすら差別呪術であり、

野蛮な攻撃とすることは学問権威化であり、自由を害することである

こうした声明が突き付けられた以上、このような論理は粗雑過ぎると一県民として明白に考えざるを得ない。

過激発言を繰り返したとされる泉田裕彦知事も、

2007年中越沖地震での放射能漏れ原体験として上げられている。岩手県震災瓦礫の件はここを改めて意識してほしい。

チェルノブイリ福島第一よりも安全という発言海外への県の農産物輸出戦略の一環である

国際的観点から見て廃炉出来ていない原発チェルノブイリに比して安全だと言えるのか。

ショッキング発言だったかとは思うが、公人として県政運営のなかで必要見解だったのであり、

過激さをもって差別発言と断じることは不公平であり、思いとどまってほしかった。

(不幸にも彼は権力基盤上、排外主義扇動している自民党からしか国政候補立候補できなかった。これは彼を被災者レイシストと断ずる根拠になりうる)

私の知る限り、泉田知事被爆が疑われる人物意識的差別的な県政を行ったという情報はない。

四期目を断念した後自ら原発屋根を作った云々という恩着せがましい発言をしているが、

撤退理由であるフェリー問題は船を売りつけた韓国企業東京電力からの度重なる広告出稿を受けた新潟日報と結託しており、

県は二度と船が取引できないと脅迫していた点もある。

そのような形で追い込まれ撤退した人物が、悪いことばかりしたわけではないという弁明はある程度必要なはずだ。

このような極めて強引なかたちで引きずり降ろされた人物に、撤退後まで完全に無難言動を求めるのは酷すぎる。

県民代表が、極めて不自然に引きずり降ろされたなか、このような声明を出すこと意味想像していただきたい。

民主政治自由言論に対する脅迫であり、圧力のものである

学会権威を持って検証委は怖気づいてはならない。

6年間の学術会議議論を覆すなら、検証委員会も相応の規模の時間人員を掛けて検証を延長すれば良い。

福島風評悪化させているのはマスコミでもデマでもなく廃炉問題

坂村健の目:被ばく影響、科学界の結論」という記事はてブでは人気のようだがこれはそんなに良い記事だろうか?

福島について人々が不安を口にするのは「一部の専門家といわれる人」や「マスコミ」に責任があるというきわめて乱暴な論であり、「ネットでは、この報道の少なさに違和感を覚えるという多くの書き込みがされている」という詭弁テンプレのような表現まで使われている。

震災から6年半を経てなお福島に対する悪印象が消えないのは、廃炉問題が定期的に悪いニュース提供し続けているからだろう。

期間は何十年、費用は何十兆円かかるかもはっきりせず、震災当日はおろか現在の炉の内部の状況すら完全には把握されていない。メルトダウンした核燃料の取り出しはおろか、凍土壁による汚染水の閉じ込めすらうまくいっているか不明という状況だ。

防護服を来た作業員映像を見るたびに、我々は今現在自分たち国土には汚染された部分があるのだということをはっきり自覚させられるし、数々の報道は現地の労働環境下請け構造が決して健全ものではないことを物語っている。

日本の誇りであるとされたロボット技術も炉内の過酷環境下では通用せず、投入されたロボットたちは次々と倒れていった。

アンダーコントロール」や「東北でよかった」といった政治家たちの失言も、福島に残された廃炉という課題日本指導層がいかに軽視しているか強烈に印象づけた。

こうした福島に関する報道を目にするたびに、私たちは自らの恥部を大写しにして見せつけられているような気分になるのだ。安全対策提言企業組織無視しなければ防げた事故、二転三転する廃炉プロジェクト管理汚染された国土労働の不健全な受注構造科学技術大国日本凋落言葉の重みを理解しない政治家、こういった日本という国の恥部の数々を凝縮して次々と我々の前に突き出してくるのが福島廃炉問題なのだ

フクシマ」というカタカナ表記が気に入らない人々が多いようだが、英語で fukushima と検索すればトップに出てくるのは街についてではなく事故についてだ。日本国外では福島はもはや地名としてではなく、チェルノブイリスリマイルと並んで原子力事故を表す固有名詞としての意味合いの方が強くなっているのである日本語での表記を行う場合に、通常の意味での「福島」と、特に汚染された地域を表す「フクシマ」を使い分ける意味があるのかは書き手読み手感覚問題として残るが、後者の方がより意味が絞られ情報量の多い単語であるということもまた事実である

どれだけデマが流れ、マスコミ誤報を流そうが、仮に現在福島に何も問題が残っていなかったとすればそれは時間解決する問題である。どれだけ時間がかかろうが事故歴史の一部となり、人々は福島についていたずらに不安を口にすることもなくなるだろう。

しか現在も我々の国土には回収不能な核燃料の塊を内部に抱えた福島第一原発が依然として存在している。福島について人々が口にする不安は、6年前の記憶に基づいたものではない。それは今起こっている出来事についての不安なのである

2017-09-16

戦前まれの人の文章なかには、儚さとか優しさがにじみ出てくるところがある。

特に戦時中思春期だった世代文章なかには深い絶望と、その絶望を飲み込んだ先にある現実が見える。

僕たちの世代は儚さとか絶望を感じることができない。大きな震災津波はあったけれど、その後にそれは絆だとか復興だとかいった希望すり替えられてしまう。

日常が崩れたあとの絶望のあとにすぐさま希望が用意されていたのだ。

苦しい日常なかにあったすがりつくような希望が消え去ったあとの絶望私たちは感じることはできないのだ。そのさきに自ら、生活というかたちで希望を紡いでいくことも。

これが単なる機会がないというだけの問題であれば、それは私たち幸福であると言うだけの話であるしか最近、我々の世代がどうも単純な希望を語る能力しかないのではないかと感じている。

絶望を受けたら希望を語る。それが我々の世代である。実際は、絶望したらまず日常を作ることから始まるのである。その実感から絶望を知る前の希望とは別種と希望を語ることができるようになるのだが、今は絶望を知る前と同じ種類の希望を語ることで絶望を乗り越えようとしているように思える。

私にはその事がとても危ういことのように思えるのである

2017-09-10

復興は悪い事なのか

NHKニュース編集が気に入らない。東北震災で「復興が進むとともに震災が風化」とか「震災体験云々に訪れる人が減っている」とか言っている。

復興している事をまず喜べよ。震災なんて無くせないんだから、教訓にする以外は無いと思うんだよね。

大体そんなにずっと引きずらなきゃならないの?第一当時に物心ついていた連中は忘れたくても忘れられないんだよ。

教訓は別として覚えている事がそんなに正しい事で、忘れる事は悪なのか

2017-09-03

https://anond.hatelabo.jp/20170903235344

アニメオリジナル作品から一週間ごとに出てくる新情報であれこれ考察するのがオタク心をくすぐった

エヴァから伝統

(そう言えばけもフレアニメオリジナル作品

震災放送がごたごたしたのも効果あったと思う

2017-09-02

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

記事

東京都小池百合子知事が、都立横網町(よこあみちょう)公園墨田区)で九月一日に営まれ関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断ったことが分かった。例年、市民団体構成する主催者実行委員会要請し、歴代知事は応じてきた。小池氏も昨年は送付していたが方針転換した。団体側は「震災時に朝鮮人虐殺された史実否定もつながりかねない判断」と、近く抗議する。 (辻渕智之、榊原智康)

こんなの関係ないんだよ。現知事が追悼文を送ろうと送らまないと、朝鮮人虐殺された史実と言われるもの真正性にまったく影響しないんだから。追悼文を送らないことで、虐殺された史実否定につながるなんてこと、一瞬でも思ってしまったら危険だだと感じないといけないし、それを強化しかねない言明もやめたほうがいいと思う。

未来地震が起きたときに、朝鮮人虐殺されるかもしれないから、こわい。。。なら理解できる。理解できるけど、そこまで心配する必要はない。今同じ理由10人でも虐殺されたとしたら、それだけで世界中からバッシングだ(一人ぐらいなら、可視化されない、かもしれないけどね)。今の日本人感覚でそれはない。そんなわけで、知事が追悼文を送らないことを批判する必要は、1ミリもない。「へーそなんですねー」っていって、粛々と追悼するなり、より正確な犠牲者数を推定してみたり、したほうがいい。歴史修正主義者の土俵にはあがるな。

https://anond.hatelabo.jp/20170902034014

とりあえず

> 震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

> から大正12年の数字引用して、古賀議員発言形式に合わせると、以下のようになる。

山田昭次氏がこの数字をどこから持ってきたのか、具体的なデータが見れなかったんだけど、この人はどっから持ってきたの?

これがはっきりしないと、「当時の帝国の発表が、当時の人口からみて矛盾がある」という論点が覆らない

大正12年の朝鮮人人口調査結果ではなく推定値なのでは?

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

の表を朝鮮人人口の主なソースとして使っているが、WEBページにはデータの出典がない。

どういった調査なのか不明である

あと表2 関東地方の府県別朝鮮人人口1922年の合計が100362人となっており、10362人の間違いかと思われる。が信憑性が疑われる。

この表によると、1920年在日朝鮮人人口は40,775人、1930年は419,009人となっており、

wikipedia 在日韓国朝鮮人 戦前在日韓国朝鮮人移入の背景 における出典ありの記述では、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA

大正9年1920年)および昭和5年1930年)の国勢調査(民籍別)」を記載した1938年昭和13年)発行の年鑑[33] によれば朝鮮人の民籍は、大正9年1920年)で40,755人、昭和5年1930年)で419,009人との記載がある。(中略) 33. 社団法人同盟通信社『時事年鑑・昭和14年版』,82頁

とあり、この表記を信じるならば、大正9年1920年)と昭和5年1930年)の国勢調査の結果が一致する。

元増田文脈から国勢調査がなかった期間の数値は内務省警保局統計の数値を使っていると推測したが、それも一致しない。

おそらく、この表の人口は、実際に調べた数値ではなく、国勢調査の空いた10年の補間した数値、推計だと考えられる。

総務省統計局 人口推計について http://www.stat.go.jp/data/jinsui/1.htm

人口推計は国勢調査による人口を基に推計したものですが,5年後の人口は,最新の国勢調査人口とは必ずしも一致しませんので,5年ごとに,国勢調査間の各月1日現在人口推計について補間補正を行い,公表しています

から大正12年の関東朝鮮人人口12,840人というのも、あくまで補間による推測値で、

きちんと議論するためには、1920-1930年補正補間の方法および精度について検証しないといけない。

ここまで根拠wikipediaとかしかないので、この主張も正しいかどうか検証しないといけない。

まずはこの表の出典を元の出版物を当たるなりして明らかにしないと、根拠として微妙だと思うのだが、どうだろうか?

https://anond.hatelabo.jp/20170902034014

## 追記

ってか「表1 在日朝鮮人人口(推計)と渡航数・帰国数」ってちゃんと推計って書いてあったわ

問題は、表2のソース内務省警保局統計のものなのか、どんな調査なのか。推計なのか。

歴史勉強をしはじめた時、ベルリンの壁崩壊ソ連崩壊自分の生まれる少し前に起こったことだと知った時に不思議気持ちになった。こんなに大事件が最近のことだったのかと衝撃を受けた。第二次世界大戦は遠い昔な気がするけど、第二次世界大戦から続いた冷戦自分が生まれる少し前に終わったんだということが不思議だった。

今の40歳の人たちとかならもう中学生くらいで当時のニュースとか世間雰囲気を覚えてる人も多いのではないだろうか。歴史教科書に載るようなことをテレビニュースで見ていた人たちはどんな気持ちで見ていたかとても気になる。親に聞けと思うかもしれないけど親とは連絡が取れなくなっているので聞くことができない。

しか自分記憶がある2000年代以降に起こった世界史に残りそうなことをWikipediaで見ていだけど特に記憶がない。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2000%E5%B9%B4%E4%BB%A3

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2010%E5%B9%B4%E4%BB%A3

日本で起こった震災記憶はあれど、イラク戦争オバマ大統領誕生した時やアラブの春などのニュース雰囲気とかぜんぜん思い出せない。今振り返れば大きなニュースだったと思うし世界史に残る出来事だと思うけれど、その時はただ日々の生活をしていただけだった気がする。

もしかしてベルリンの壁崩壊ソ連崩壊という大ニュースだったとしてもその時に物心が付いていた人でもあまり覚えていない人もいるのかな。

6000人虐殺論を採用すると

4県合計の12,840人の6000人が1923年9月以降に虐殺されて次の年の調査までに14000人も流入する計算になるわけで

半数近くを虐殺しながら次の年には3倍に増えるのを受け入れるってのはありえないように思える

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス-

http://synodos.jp/society/14990

ここから次の年の人数まで引用

     1923年  1924年

東京府  8,567人  13385人

埼玉県  311人   787人

千葉県  317人   707人

神奈川県 3,645人  5678人

4県計  12,840人 21,213人

https://anond.hatelabo.jp/20170902034014

大正9年→大正12年で朝鮮人超増えてる

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

もしこの古賀議員の指摘や前提自体瑕疵があれば、

私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と

嬉々としてソースを突きつけ本筋の反論をするはず。

が、それをせずに迂回した。

これはたしかにダセエ。ダセエのでブコメで端的に指摘しておいた(b:id:ss-vt)。で、ここでも書いてみる。

すでにBuzzfeedでも報じられているように、古賀議員都議会において、大正9年国勢調査をひいて関東地方朝鮮人人口の少なさを指摘している。

が、この当時朝鮮人内地への渡航は急増していたのである大正9年国勢調査では、内地朝鮮人の総人口は40,755人。いっぽう同年12月現在内務省警保局による調査統計では30,189人となっているが(多くの要因で数字に大きな差がある)、内務省統計を年次ごとに追うと大正10年38,651人、11年59,722人、震災の起きた大正12年末には80,415人に至っている。これには朝鮮植民地化に伴う小作農の貧窮化や、第一次世界大戦後の好況に伴う内地工業化都市化の進展、また大正11年末の渡航自由化大正8年以降、三・一独立運動の影響で朝鮮人内地渡航制限されていたが、企業日本人よりも安価労働力として朝鮮人を求めた)など、複数の要因が影響している。

さて古賀議員の挙げた大正9年国勢調査に立ち戻ろう。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  2,485人、

埼玉県  78人、

千葉県  40人、

神奈川県 782人、

合計3,385人。

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

から大正12年の数字引用して、古賀議員発言形式に合わせると、以下のようになる。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  8,567人、

埼玉県  311人、

千葉県  317人、

神奈川県 3,645人、

合計12,840人。

工業化都市化の進展」に伴って多くの朝鮮人労働力としてやってきたため、東京神奈川といった都市部工業地帯に集中しているわけだが(横浜での虐殺目撃証言の多さにも反映している)、少なくともこの時点で、

6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい

とは言えなくなる。

また自分が直接参照した一次資料として、国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されている『在京朝鮮人労働者の現状』(東京府学務部社会課、1929年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445292 には、大正12年の「在京朝鮮人労働者」は5,347人と記されており(警視庁調べ)、アジア歴史資料センター所蔵の『在京朝鮮人状況』(朝鮮総督府警務局東京出張員、1924年5月http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041602800 によれば、「八月末震災直前の見込綜数は八千人を超へ」ていたという。

繰り返しになるが、とりあえずこのあたりで「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えないことをご理解いただけるだろうか?

ちなみに6,000という数字の具体的な出所は、震災直後に在京朝鮮人迫害事実調査会が独自調査を行い、上海大韓民国臨時政府機関誌独立新聞』に12月5日付けで発表された数字6,661人。この調査10月末までの中間報告では2,613人という数字が出ていて(当時東京で催された経過報告会でも発表された)、その後さら神奈川県遺体発見できなかったおよそ1,800人などが追加されている。シノドス山田名誉教授は「追加合計数根拠今日解明することはできない」としていて、その点ではたしかに6,000人という数字根拠は薄いのだが、同時に帝国政府がマトモな調査を行わなかったことにより、これをデタラメであると断ずる根拠もまた乏しい(はからずも、秦郁彦が『当時ロクに調査せず公文書終戦時に焼きまくった以上、30万人に代わる数字日本から出すのは無理』と嘆いた南京事件と似ている)。少なくとも犠牲者数のもっとも大きな数として採用せざるを得ないわけである

内閣府ホームページで公開されている、災害教訓の継承に関する専門調査会による報告書 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。

という書き方になっているのは、そうした事情によるだろう。

追記

b:id:y-wood 8500人のうち6000人殺せるのか、すげー。『「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えない』

揶揄のたぐいだとは思うけど念のため。

「6000人」というのは虐殺犠牲者の総数である東京府朝鮮人人口比較するのは不当。ついでに、古賀議員が何故か東京神奈川千葉埼玉限定しているのもいささか不当で(たとえば群馬でも、自警団警察署を襲撃して朝鮮人17人を殺害した藤岡事件などが起きている)、山田名誉教授シノドス記事によれば茨城群馬栃木を加えた関東地方1府6県の大正12朝鮮人人口は14,144人となっている。

また、山田名誉教授の著書内容の、内閣府報告書コラム殺害事件検証http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf から孫引きになるが、例の「6,661人」のベースとなった在京朝鮮人側の調査では、東京府犠牲者数はおよそ1,000〜1,400人。最終的に『独立新聞』に掲載された数は1,781人となっている。

y-wood氏の言葉を借りるなら

「8500人のうち1800人殺せるのか、すげー」

となるが、現実味は如何?

b:id:fu-wa 戦争知らないんだろうなあ。戦車でダーってやっても6000人殺すのってものすごく大変なんだよ。

ルワンダではそれこそカマとか棍棒とかのたぐいで、およそ100日で50万〜100万人が殺害されている。こうした事態と「戦争」を比較するのは不当。まして、繰り返しになるが「6000人」は関東地方1府6県の総数である。「戦争」を持ち出すなら、せめて戦域や作戦継続期間が同程度に及んだ戦闘でなければならない(それでも戦闘員vs戦闘員では不当だが)。

2017-09-01

震災時に朝鮮人はどのくらいいたのか?

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

追悼文の問題とか、ややこしすぎてあんまり言及する気にはならないのだけれど、上記トラバ先の増田がたった一点「震災当時の東京に6000人の朝鮮人はいなかった」という点にこだわってるみたいなんで、それが妥当なのかどうかを考えてみた。

まず、根拠国勢調査ということだけど、これは大正9年震災が起こったのは大正12年。そして、震災が起こる前年、朝鮮半島から渡航規制が緩和され、一気に朝鮮から労働者が増えた。

この資料ね。

http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/42108/20160528051714670665/oer_016_4_107_145.pdf

上記資料によれば東京には1920年時点で2053人の朝鮮人が在住していたが、5年後の1925年には10818人に増加している。

さらに、こっち

http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/12347/1/003809.pdf

によれば、もともと学生が多かった東京朝鮮人だが、この増加時期にはスラム居住肉体労働者が増加しているらしい。スラム統計の把握がむずかしい地域で、他地域流入していた労働者就労場所を求めて統計外に流入していた可能性はけっこう高い(そうだという証拠まではない)。

こちらの資料によれば

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshhe1931/37/4/37_4_131/_pdf

関東大震災発生の1923年在日朝鮮人の総数は80415人。で、東京の占める割合はその数年後には13%程度というわけだから比率が大きく変化しなかったとしたら(仮に10%と低めに見積もっても)震災発生時には統計上だけでも8千人程度がいたと推定できる。

どの程度の割合殺人が行われたのかわからないけど、在住者の過半数ぐらいにも上るような大殺戮なら、非公式在住者まで含めれば6000人はあり得ないことでもないように思う。だから「ある」という話ではないよ。けど、国勢調査数字だけで「ない」というのも、けっこう根拠が薄いんじゃないの、っていうこと。要は、確実な証拠はない、ということだろうと思う。その中で関係者が「ま、このぐらいかな」と大雑把に推計した数字なんだろう。それが正確でないということは、いまさらあげつらっても仕方ないのじゃないの?

朝鮮人をめぐるデマは、どうも、この震災の数年前から労働者として朝鮮人が急増していたということが背景にあるんじゃなかろうか。「見かけない連中が増えてきた」という心理が、デマ拡散下地にあったのではないかと。このあたりは教訓にすべきかもしれないよな。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん