2017-10-12

急に3.11記憶が蘇った

記憶を蘇らせるきっかけは、RADWIMPSの「狭心症」という曲だ。

この眼が二つだけでよかったなぁ

世界の悲しみがすべて見えてしまったら

僕は到底生きていけはしいないか

当時、僕は静岡に住んでいた。その時間部活練習中で、人生でほぼ経験たことのない長い揺れを感じ、部員みんなで身を守る体制になっていた。震度こそ震度4だったが、異常なことがよく分かった。

練習の合間にガラケーを開く度、「M7.9」「大津波警報」「既に津波は到達している」「原発電源損失」という文面が流れてくる。

その後の余震静岡も頻繁に揺れていたこともあり、部活は中止になり、家で様子を見ることになった。

テレビを傍らに、まだ登録して一年足らずのTwitterに張り付いていた。まだ会ったことのない東京友達の安否を確認していた。

人生で全く経験たことのない非常事態に終始緊張をしていた。いまこの瞬間に多くの人が死んでいっているという事実が信じられなかった。

そのような状況で、急に聴きたくなったのがRADWIMPSの「狭心症」だった。震災のおよそ一ヶ月前に公開され、なんて暗い曲なんだと思って聴いていた。

世界から見れば今のあなた

どれだけ かくかくしかじかと言われましても

下には下がいるって喜びゃいいの?

僕は僕の悲しみも憂いちゃいかんとさ

3月11日の、深すぎる絶望のなかで、糸を垂らしてきたのがこの曲だった。

余震こそ来るけど普通に暮らせる場所にいた僕に届いた。捉えきれない絶望を、この曲がフィルターとなって受け止める役割、やるべきこと(やってはいけないこと)を示してくれた。

とは言っても、様子を見守ること、変なチェンメは流さない、ツイッターデマには気を付ける、このぐらいしか出来ることはなかった。

原子力緊急事態宣言」「名取で数百名の遺体発見

良い知らせなんてもう二度と入ってこないような世界になったと思った。

深い悲しみで数日間は動けなくなったが、月の後半には普通に近い生活を送っていた。

雨風は凌げ、計画停電もなく、食料も普通に手に入った。全然過酷な思いをしていたわけではないが、「狭心症」を聴く度に、あの日のことを鮮明に思い出す。

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