はてなキーワード: 補填とは
実際はそれで足りない分の収入の補填も、家事育児介護も、それ以外の家庭運営に関わる雑事の処理も、ぜーんぶ女にやらせる気満々なのに
これを藁人形といいます。誰も言っていない身勝手な前提を相手が提示したことにするわけですね。
コレができてる非KKOがどれだけいるのかな?
東大祝辞を読んで、どう受け止めたらいいのか考えている兼業主婦です。
いや、東大祝辞はあまり関係ないのかも…ずっと感じていたことのメモ。
まだまだ、男尊女卑があって、女性が評価されない社会なんだろうなと思っています。
その一方で、私のような「学歴」や「仕事」をそもそも選択しなかった「母親」という女は、どこの数にも入れて貰えていないなぁ…といつも感じています。
夫はとてもよく(時に私より)家事をしますし、育児などは子供かわいさで率先してやっています。
兄も、弟も、結婚して子供が産まれて、驚くほど家庭に関わっています。
きっと、昔よりずっと主婦や妻や母は、家事育児を自分だけでやらなきゃいけない、という思い込みを無くせてきているのでは。
それでも、
それでも、やっぱり産むのは母親です。
10ヶ月の妊娠期間、自分の身体は自分のものでないような状態になります。
つわりはじめマイナートラブル、切迫流産、心理的なプレッシャー…、これは産む性として仕方のないことです。
そして産んでから1ヶ月はまともに動けず、そして一年かけて身体を正常な状態に戻していきます。
そしてこの期間、仕事に専念できなかったり、仕事をやめたり、休んだり、重要な立場から遠ざかったり…キャリアは止まります。
夫は育休を取ってくれました。
しかし、産んだ本人の私も身体のために一年半仕事から離れました。
私はまたつわりで休み、産休をとり、育休をとり、キャリアは止まります。
どちらか、を選ばなければいけないと思ったからです。
両方選ぶことももちろん可能でした。しかし以下のことを考えた結果でした。
大学…大学院への希望もありました、研究がしたい、でも卒業して就職して、あっという間に高齢出産の35歳。
きっとその頃には仕事が楽しく忙しい、いや、仕事で苦しんで他のなにも手につかないかも。
10ヶ月妊娠しさらに1年休む…復職してしばらく働きまた妊娠…
これを三回繰り返すことを思うと、院まで進めば高齢出産リスクになるだろうことや、休みながらの専門的な職業は難しいのではと思い、決断したことです。
現在の職業も、妊娠トラブルでも休めるような、辞めるとしても誰でも代わりがいそうな事務を選びました。役職もありません。
多くのフェミニストたちは、進学率や、就職率、管理職比率の男女比を5:5にしたいと思っているのかもしれません。
でもそれは、私のような産む選択をした母親たちにも「進学するべき」「働くべき」「昇進するべき」と言っているようで、時々苦しくなります。
産むという女特有の選択をしたばっかりに、男女平等の足を引っ張っていると言われているようで。
産んでから夫婦の役割として話し合い、納得して専業主婦になる人もいます。
産んでから復職したくて、夫が家事育児をして母親がキャリアを積んでいく人もいます。
でもやっぱり、産む人には妊娠期間と産後は×子供の数だけ、必ず年単位であります。
でも、できればその産む選択をした母親が出産に専念し、身体を休めている間のことを、「女性差別されて進学や会社の中に入れなかった被差別者」としてカウントして欲しくないんです。
その学校のなか、その会社のなか、その職業のなかで男女比が偏っていたとして、女性が少ないことをみんな差別だと感じるのはごく自然だと思います。
でも、社会の構成員として、私たち母親も数えて入れてほしい。働いてないけど、進学してないけど、ここにいます。
女性の半分が産まない選択をして進学やキャリアの道を突き進んで行っても、残りの半分の女性が産む選択をして、そこから自分で下りることを許してほしい。
5:2.5:2.5であることも許してほしい。
祝辞で語られたような女性差別や、男女どちらでも性別による差別は本当になくなればいいと思っています。
その人個人が望む道へ、選択へ進むことに、障害が少なくなればいい。
子供たちが育ったあと、私もまた学問や、専門的な仕事へ挑戦するかもしれません。
あるいは、三人目を産み、専業主婦になるかもしれません。
あるいは、体力がもうなくなりこのまま事務を続けて趣味などで余生を過ごすかもしれない。
ただ、いまは、子供たちを安全に産むことが望みです。その間も、「社会の構成員としての数」に数えてもらえたら嬉しい。
勝手に子供産んだくせにと言われる昨今、それでも私は産む選択をしました。
重大な仕事だと、信じて選びました。
それでも、私という女を、進学させ働かせ昇進させなければ男女5:5を達成できないと言うなら、あんまりにもしんどいです。
しんどいです。
疲れちゃいます。
走り書きでごめんなさい。
※※※※※※🙋
4/14
色々なコメントありがとうございます。
勘違い…気のせい…そうなのかも知れませんね。私の気持ちのなかだけの問題なのかもしれません。
専業主婦と勘違いされている方もいらっしゃいますが、兼業主婦です。
フルタイムで残業なし定時勤務。負担少なめな毎日同じ書類事務。
第一子は女の子ですが、三人産んでもみんな大学へ行きたいと言っても叶えてあげられるように共働きです。
夫は家事も育児もよくします(手伝ってくれる、ではなく自身の責任のように)。
そういう意味で、夫は兼業主夫ですね。話し合い、経済的にも夫は管理職を目指すということで、今後は私が主に家事を担うでしょう。
女性だけが育児や家事を選択できる、または押し付けられる、とは微塵も思いませんし、夫婦間でその割合は働き方や経済力を考えて家族ごと、自由に取り決めたら良いものだと思っています。
なので、「家事育児を私(母親)」という話は記事でもしませんでした、あくまでも産前産後の肉体的な、男性に半分分けられない部分の負担のことです。
育児のこと?と思われた方も多いかも知れませんが、もちろん夫婦二人で分けあっても育児は大変なものでしたが、産前から切迫流産で入院、産後も輸血、子宮復古不全などという肉体的な休息や回復期間のままならない身体…、その間仕事のことを気にしなくていいのは気が少し楽でした。
ご指摘の通り、夫や家族、職場にも幸運にも恵まれて、私の望む選択の結果としてとてもよい環境だと思います。
なので、進学や仕事に関する選択に恨みがあるとか、後悔があるということでは全くないのです。
ただ、もっと大変で不幸で、選択が上手くいかなかった人も、選べなかった人もいるのだから、好運なあなたは黙っていなさい、と口を塞がないで欲しい。
この世で最も不幸なただ一人だけが、望み求めることを許されるのでしょうか。
産んでもキャリアに戻れるような制度、とても大切だと思います。
産みたい、それが仕事でも進みたい気持ちを妨げるものにならないように。
産んだあとに挑戦できる、学び直せる、専門的に働ける、そんな社会がいいなと思いますし、私の周囲にもそんな選択をした人もいます。
休んで止まっている空白のキャリアに、産む選択をせず休まなかった人に劣らない「補填」を求めているわけではいんです。
(もちろん、その補填を必要とする方もいます、出産がリスクだけ、損だけだと思われるのはおかしい)
私の選択は、肉体的、精神的、時間的な負担を仕事に大きく割かない、10年かけて子どもを三人産み、その子供たちが進学の選択をしたいときに選ばせてあげられるだけ夫婦で働く、という選択でした。
この選択と、いまだ試行錯誤している家庭生活、バランスとれてるぞ!とホッとしている産後の自分、これが弱い弱い女性被害者の姿だと数えられたらとても、かなしい。
ちょっと前の話題になるが、テクテクなるゲームに社運かけてみごとに転んだことを考えて見ると、バカだなーと思う反面で
案外「多分これしかなかったんだろうな」ってのも少しわかる気がした。
ネットの批判だとニコニコ動画の使い勝手や、画質の向上がおろそかだから悪いのだって意見が多いが、
たぶんこういった着実な改善を仮に積み重ねたところでニコニコは近いうちに沈むだろう。
いろいろな理由があるが、YouTubeに勝てない最大の理由の一つは機能や規模の問題以上に、
ニコニコはグレーなMAD文化に依存しすぎていたことがあると思う。
YouTubeで人気のある動画投稿者のかなりの割合が収益化前提で活動しているので、必然的に権利的な問題が
ニコニコも収益化をある程度の時期からはじめてはいたが、依然としてかなりのコンテンツが権利的にグレーな内容のものが
かなり多く、ましてや例のアレ系統にいたっては権利がクリアであることに反発するような根強い勢力が要る。
そういう状況でYouTubeのような文化が勢力を強めれば、当然みんな金をくれる方に移動する。
彼らはお金を集めやすい動画作りに最適な行動を働くので、動画投稿の頻度が高くなり、投稿者のファンの
滞在時間も長くなっていく。
それに対してMAD系の動画は編集作業が高い労力が必要になり、毎日に近い投稿というスタイルは不可能に近い。
その上ニコニコは、当のグレーなMAD文化自体が一部の世代のものでしかないことが露わになってきて、今や淫夢も風前の灯火だ。
だからニコニコ自体を伸ばすというのはもはやムリな路線だと考えても、おかしくはない。
今後の伸びる見込みがなければどう改善したところで先は絶望しかない。
実際、AbemaTVは赤字を垂れ流しつづけているがサイバーエージェント自体は利益を上げ続けていて、
セグメント別業績を見る限り、広告事業以上にゲーム分野の利益が200億円後半から300億と
全業績の中で圧倒的に高い利益率で、メディア事業の赤字を補填している。
おそらくだが、川上量生はニコニコをサイバーエージェントのような形でニコニコを延命させるしかないと
考えたのではないかと思う。
従来型のガチャRPGではなくポケモンGO型を選んだのも、良くも悪くも川上量生自体が古いインターネット型の
この推測が正しいのか正しくないのかは外野にはわからないが、テクテクの失敗でほぼニコニコの未来は決まったんじゃないかと思う。
一行要約:人の気持ちを汲み取ろうともせずに家業の仕事を一方的に息子(おれ)に押し付ける父親に心底辟易しているが,母親はどちらかと言えばいい人サイドなので両親もろとも縁を切ると母親に辛い思いをさせそうでつらい
・登場人物
母親:専業主婦.(おれ目線では)父親と比較すると人格は非常にまとも
思えばおれは昔から父親のことが嫌いだったが,そのことをはっきりと自覚したのは家業を継ぐ/継がないで親と喧嘩になったときのことだ.父親は少しマイルドな昭和の堅物,といった感じの人間で,常に自分のことを正しいと信じて疑わないところがあるとおれは感じている.彼は身内の人間と対立したときに,相手の気持ちを理解しようという努力を一切しない.おれは彼が身内の人間に対して「ごめん」などの謝罪の言葉を発した場面を一度も見たことがない.おれのことは「当然家業を継ぐべきである」という前提のもとで育ててきただろうから,おれが「家業を継ぎたくない」と伝えたときも一体このバカは何を言っているんだというような反応だったし,おれが「先祖代々うんぬん以外におれが継ぐことを納得できるような合理的な理由はねえのか」と訴えたときも,生まれてこの方息子を説得する必要があるとは考えたこともなかったというような顔をしていた.しょせん家業なんて「昔からやってきたから」以外に継ぐまともな理由は存在しないので,おれも無い物ねだりをしていた側面はあるのかもしれない.だが,幼少期から家業の手伝いをする中でこの仕事は絶望的なまでにおれに合わないなと感じていた上に,そんなに嫌いな仕事を嫌いな親と一つ屋根の下営むメリットなど微塵も感じられなかったので,このまま無理にでも家業を継がせるつもりなら縁を切るぞとほとんど脅しめいた交渉をして家業を継がないことにした.おれはこのゴタゴタでだいぶメンタルがやられ,今でもそれを引きずっている.
これで晴れておれの人生の操縦桿はおれの手に,というハッピーエンドなら良かったのだが,ことはそう上手くは進まなかった.父親はその後も折に触れて家業の手伝いを要求してきた.おれは美しい国ニッポンの高雅な儒教精神とやらを少しは持っていたので,親の期待を裏切ったことに対する罪悪感からこの手伝いには応じることにした.結果として,夏休みの三分の二程度が家業の手伝いに消えた.おれは学生の本分であるところの勉学もやらねばならなかったので,夏休みは友人からの遊びの誘いは全て断り,土日も休みなしの六時間睡眠で毎日家と大学を往復する日々だった(ショートスリーパーの人間には分からないかもしれないが,ロングスリーパーのおれにとって六時間睡眠はつらい).親から労いの言葉は一切なかった.遅刻をすればきちんと説教をされた.
さすがにやってられんわ,とおれが思ったのは言うまでもない.
おれは家業を継がないことにすれば親の支配下から逃れられる,と思っていたが,それは間違いだった.おれは罪悪感と「家族の絆」いう名の鎖で結局親の元に繋がれている.家業を将来的には継がないとはいえ,結局家業の手伝いに従事させられているのでは,生き急いでいる若者のおれにとっては事態は大して変わっていない.おれは別に女遊びやパチスロのためではなく,それなりの大志を持って家業を放棄したのだ.おれは意を決して「家業の手伝いとしては度が超している.お前はおれが家業の仕事を覚える必要があるとか言うが継がないおれがそれをやる必要がなぜある.バイトで補填できない部分の仕事を息子の責任にして息子に押し付けるな」と訴えたが,父親は依然として「家」がどうこうというおれには理解できない向こうのロジックで反論してきた.おれは何より,おれのこの不満に理解を示そうともしない父親の態度に心底腹が立った.継がないことにすれば事態が好転すると思っていたおれがバカだった.おれが本当に逃げるべきだったのは,家業からではなく父親からだったのだ.おそらく.
おれは今後の人生をかけて養育費を親に返済してやってもいいくらいの勢いで親と縁を切りたいと思っている(結局のところ罪悪感はまだ残っているのだ).それで一人で苦労して野垂れ死んだとしても,家業を無理にでも継ぐくらいなら自殺してやると思っていた昔と比べれば大きな前進だ.おれはいつまでたってもおれ自身の人生を歩めないことに,流石に苛立ちを隠せなくなってきた.
おれが親と縁を切る決断をできないでいるのには,ひとえに母親の存在がある.母親は父親とおれの間を取り持って,どうにか事態をうまく収められるよう色々と配慮をしてくれた.父親とは異なり,母親はおれの人生についておれ目線から考え気遣ってくれた.母親がいなかったら,おれと父親はすでに一生顔を合わせることのない仲になっていたと思う.母親が家に嫁いできた当初の辛苦を祖母から聞いていることもあり,そうまでして頑張って育てた息子が家出,となるととてもつらい思いをするだろう.そうなってしまってはおれとしてもとても心苦しい.
インターネッツで観測できるいわゆる「毒親」案件は,清々しいほどまでに両親がクズであることが多く,その点はある意味羨ましいなと思う.おれは母親のことをクズだと思うことはできない.おれが母親まで嫌いになることができたなら,ゴミをゴミ箱に捨てるのと同じ感覚で躊躇なく親と縁を切れたのになと思う.おれが縁を切ったことで母親が苦しめば,おれも儒教精神やら罪悪感やらを抜きにして,心底悲しむ.
おれは,父親のことが嫌いである以上に,この家族は不運だな,と感じている.父親は堅物なところがある以外は目立った問題はなく,この家に家業なるものが存在しなければこんなに面倒な沙汰にはならなかっただろう.だからおれは職業選択の自由とは相容れない「家業」という概念自体がこの世から消えてしまえばいいのに,と思っているが,それはまた別の話.
前向きに考えることに抵抗がある。
4月からうちの部署が人員削減される。たぶん補充がなく、業務量が概算1.5倍になる。周りは「成長できる機会だと、前向きに考えよう」とか言う。
でも私は、前向きに考えることに抵抗がある。無理や残業をして人員削減を補填する姿勢を求められ、しかもそれが「成長」と呼ばれるのは、ものすごく都合よく使われているという感じがする。
前向きに考えることに抵抗がある、というよりは、「成長」という言葉が気にくわないといったほうが正しいかもしれない。
あの言葉は、「純粋にできることが増える」ことを指してない。「組織にとって都合のいい考え方に変化する」という思想的な側面をも孕んでいるように感じてしまう。
かといって前向きに捉えないと、業務量1.5倍給料据え置き、お前の代わりはいくらでもいると言われながら、お客様のため同僚のため頑張っちゃうけなげな私…みたいな「悲劇のヒロイン」的心性に陥ってしまう。それはそれであまりメンタルにはよろしくない。
お金のためと割り切るとすると、やはり業務量1.5倍給料据え置きの部分が納得できずこれもメンタルによくない。
結局この状況では、精神安定のためには「成長」神話を疑いなく受け入れるのが一番いいようにも思う。
でも私は前向きに考えることに抵抗がある。
成長って何なんだろうね。
Twitterで炎上だとかブロックだとかもう色々あると、次の何かに移動すればいいやって感じで気楽だった。
閉塞感が結構ある。Twitterで炎上し始めたらメディアの人がワーッと寄ってきて、今これが炎上してると拡散器で広めて、広告費で稼いでさ。
問題を何も解決してないし。次もアクセス数稼げれば儲かるから、どこかのバカがやってくれないかなという感じではないのか。
Airbnbは資産持ってる人が更に資産集める仕組み。Web2.0辺りだと、既存権力を拡大するよりかは色んな人にチャンスを、というのでもっと反対されていたと思うのね。
Uberはシェアリングエコノミーで新しい経済だとかいうけど、個人が所有する車活用で地球にやさしいとかいうけど、
車買うのにローン払うのが必要な人がやってるじゃん。車の保険も所有者が払ってさ。
で、アメリカだとチップ上乗せして払っても、本人にはいかなくて最低賃金補填するだけになってさ。
食っていけないから仕事掛け持ちとか、なんでそんなに称賛されるんだ。
何か作品を作ったら人気が出るように代わりにシステムが宣伝してくれるとかだったらいいけど、
作品作ったら色んなところで宣伝まで個人でやって、そしたらアクセス数見て、売れてるからウチでも掲載してって連絡くるでしょ。
私の場合はwifiがあればどこでも働けるので、大概、マックかスタバ、ファミレスか最近はコンビニのイートインにも出没。
ほとんどの人が兼業でやるコーチ職を私は本業にしたので、面談相手との時間との時間調節も苦ではない。
(暇なくせに、時間はきっちり指定。でないと時間がバラバラになって大変)
給与は地方で実家暮らしするには十分な金額。一応、家庭教師のバイトもしてるし。
贅沢はしないけど、古着屋で服買ったり、たまに旅行したりと身の丈な生活。
どの職場でも人間関係に悩んできた。ブラックあり、いじめ、パワハラなど、人間不信で鬱になりかけた私に今の人に会わずに出来る仕事は本当に天職!
(ずっと接客業だったんだけどね)
ストレスが無く時間もたっぷりあって、でも友達も彼氏もいないのが無念。
でもお陰で、ダイエットが出来た。
ずっと太ってて気にしてたけど、ストレスで過食に走り続けた私が、三食栄養バランスを考えた食事をとり、毎日一万歩歩いてエクササイズも取り入れる健康的な生活を始めて4ヶ月で7キロ減。
顔の輪郭と、眼の大きさが明らかに違うし、デニムも10CM位細くなった☆
それでも一人ライフは快適。
実家暮らしだけど、事情あって家では存在が抹消されてるので(苦笑)下宿人か座敷わらし状態。
ストレスだったけど、割り切ったら楽になった。
最近、弟の18年ものの中古車を5万円で譲り受けて、うれしくて乗り回す日々。
丘の上のカフェや海にいって読書したり、ものを書き散らしたり。暖かい季節は浜辺で仕事することも。
後は図書館で本借りたり、本屋で立ち読みしたり、モールで服みたり、古着屋で服買ったり、菜の花見に行ったり、新しいカフェを探したり、今度百均素材でイヤリング作ろうと思ってる。買うと高いし。
一番の楽しみは、古着とユニクロでそろえた服で毎日のコーデを作ること。流行を追うより、定番服を着回しながら、小物で自分の個性を加えるスタイルが好き。
誰にも見せるわけじゃないので、本当の意味で自由に好きな服をきている。
かわいい小物を持つようになったのもフリーになってから。職場でなめられないようにシンプルなものしか持たなかったけど、今は猫柄やらカラフルな文具やら、自分の好み爆発。クリアのPVCバックの中に入れてわざわざ見せびらかしながら持つのも楽しい(笑)
冬にバケツ型かごバックを持つのも新鮮。質のいいファーがついていて、大人が持っても上品。でも、コンサバな地方都市では目立つんだよな。みんなすごいカゴ見てた(笑)ショップの店員さんも凝視してたし。
ほぼ100%毎日、一人だし。
家庭教師で中高生やその親と話すのが数少ないコミュニケーションの場というね。
糞親に「ひきこもり」呼ばわりされたけど、一理あるかもなぁ。
コーチ職で食べていけるし、新しい生徒と関係を作るのが面倒で。。
ホント今までのフリーになるまでの生活が地獄だったから。二度と戻りたくない。コーチ職はだから真面目に取り組んでる。
37歳独身。
婚活始めるには遅いけど、時間に余裕もあるし多少は痩せたから、するべきなんだろうが。。。
やばいと思いつつ、今が本当に幸せで、これがずっと続くことはないと知ってるから今はこの状況を楽しみたいというか。
結婚線ないみたいだしね(苦笑)
老後の積み立てと年金はしっかり払っておこうと思ってる次第。
…そんな毎日を過ごしてるんです、はるねえさん。私が平日昼間からマックに入り浸ってるの、カウンターから心配げに見てるのは気づいてますが、大丈夫ですから!
※はるねえ:大学時代マックバイトでお世話になった女性。大人になって古巣のマックでまだ勤務していた彼女に再会。挨拶を交わすくらいの関係。
きっと施設長を刺殺した男性は「施設に裏切られた」という絶望に近い憎しみを抱いていたんだろうな。
仕事がうまく続かず、自宅では孤独と不安に襲われて、助けて欲しかったのに寒い街中に放り出された。
彼にとって3年間を過ごした施設は家であり、職員は両親以上の存在だったのかもしれない。
でも、結果として助けてくれなかった。
自分が向けていた愛は一方通行だったことに気付くと、その愛は憎しみに変わるから。
愛が深ければ深いほど、憎しみも深くなる。
施設の職員全員を殺したくなるほどの憎しみは、それほどの愛の裏返しだったりする。
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増田は児童ではないけど、生活の自立を目指す支援を仕事にしている。
支援対象者には定職を見つけて自立していく人もいるけど、自ら支援を拒否して去っていく人も少なくない。
自立しても失敗して着の身着のままで戻ってくる人もいる。
そのようなケースの中で一定数の人が「自分は悪くない。支援側が悪い」と主張してくる。
お金がないことが不安の真因なので生活保護などに繋げば溜飲が下がる。
上述のように信頼や愛が憎しみに変わってしまったパターンは特に大変だ。
日中に殺害予告のような電話を5分おきにかけてくることさえある。
でも、一度、謝罪をするとクセになって職員に対して威圧的な態度を取るようになってしまう(もちろん当方に落ち度があるときには謝る)。
どんなに脅されても警察は役に立たない。まるで「じゃ、刺されてから110番をしてください」みたいなことを平気で言ってくる。
相手が障がいを持っている場合は下手にこちらからプレッシャーをかけると虐待となってしまう。
結果として、職員は刺される覚悟でマイナスの状態から信頼関係を構築するために話し合うしかない。
元増田はドナーで儲けたいわけではなく、ドナーとなったことで稼げなかったマイナス分を補填してほしいと言っているのでは
そしてその金額は、たとえば前年の税務申告をもとに所得を365で割って×日分、みたいにすれば少なすぎず多すぎなくていいかもとか思った
今日はまともにご飯を食べていなかったので、ほとんど初めての食事だった。
チーズトマトバーグディッシュ弁当を頼んだのだけれど、チーズが乗っていないということに、家について気づいた。
お腹が空いていたのでどうしようかなあ、と迷ったのだけれど、なんだかモヤモヤするので一応お店に電話した。
電話したら、向こうも間違いに気づいていたようですぐに応対してくれた。
「今から新しいものをお作りして、家までお持ちするので、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか。その際に、お持ち帰りになられたお弁当と交換いたします。」
ということ。
正直なところお腹が空いていた。
食べた後にチーズがないと気づいたことにして、ちょっと食べちゃおうかな、なんて思ったのだけれど、そんな小さなことのために自分にうそをつくのもバカバカしい気がしてやめた。
仮に30分で持ってくるとして、今、ここにある弁当を目の前にして、待つのはキツイなあ、なんて考えていると、ほんの少しイライラが湧いてきた。
けれど、そこにエネルギーを使うのはもったいないし、この気持ちをどこかにぶつけるとイライラが増幅してしまいそうな気がしたので気持ちを鎮める。
まあ、注文を間違えるくらいのミスは誰にでもあるだろうしね。
待ちぼうける時間はなかなかに長くて、無心ではてブのホッテントリを読んでいた。
結局、おそらくお店の責任者である人が30分後くらいに家まで届けに来た。
相手から手渡されるチーズトマトバーグディッシュ弁当と引き換えに、注文間違いの弁当を渡す。
僕は、なんて言ったらいいかわからなかったので、軽く会釈だけする。
と言い残して、オリジン弁当の人は帰っていった。
何となくモヤモヤした気持ちで、チーズトマトバーグディッシュ弁当を食べる。
それなりに美味しかったと思うけど、チーズの味はもうよく覚えていない。
こういうモヤモヤした気持ちを補填する何かがあったらいいのにな、と思う。
今回は無理に届けてくれず、後日返金対応でもよかったのかな、と後で気づく。
仮にも、最初に受け取ったトマトバーグディッシュをこちらで処分してくださいと言ってくれれば、少なくとも30分待つことはなかった。
向こうもお店の都合で、それはできないのかもしれないけど。
まあ、中途半端なクーポンとかもらって、これで許して、みたいな対応の方がムカついてしまうので、何もないのも悪くないかもしれない。
結果として、僕が失ったのは待ち時間の30分と、電話する手間だけだったので、大した損失はない。
でもやっぱり僕が一方的に損したというのは、間違いないのだ。
あちゃー、あんた、だいぶ思い切った見切り発車したね。
もうそうなってくると、その言葉はとにかく「金がなくてつらい」という状態があんたの口をそう動かしちゃってるだけだろうし、そもそも婚前の貯金は法律上実際あんたの金だし、まぁ、あんた………がんばってるよ。
頑張ってるけど、たぶん嫁さんもその貧困に耐えるのがいっぱいいっぱいで、貧困耐性は個人のキャパだから嫁さんに我慢しろと言ってもしゃーなしだし。
もう生活してるだけで血が流れていく状態なら、ともかく金がないことにはどうしようもないわ。貧困が悪い。
働きながらでも、結婚してても、足りない分の補填という形で保護を受けることはたぶん可能だから、役所に相談行ってみたら?行けるだけの余力すらないと詰みに近いけど。