一行要約:人の気持ちを汲み取ろうともせずに家業の仕事を一方的に息子(おれ)に押し付ける父親に心底辟易しているが,母親はどちらかと言えばいい人サイドなので両親もろとも縁を切ると母親に辛い思いをさせそうでつらい
・登場人物
母親:専業主婦.(おれ目線では)父親と比較すると人格は非常にまとも
思えばおれは昔から父親のことが嫌いだったが,そのことをはっきりと自覚したのは家業を継ぐ/継がないで親と喧嘩になったときのことだ.父親は少しマイルドな昭和の堅物,といった感じの人間で,常に自分のことを正しいと信じて疑わないところがあるとおれは感じている.彼は身内の人間と対立したときに,相手の気持ちを理解しようという努力を一切しない.おれは彼が身内の人間に対して「ごめん」などの謝罪の言葉を発した場面を一度も見たことがない.おれのことは「当然家業を継ぐべきである」という前提のもとで育ててきただろうから,おれが「家業を継ぎたくない」と伝えたときも一体このバカは何を言っているんだというような反応だったし,おれが「先祖代々うんぬん以外におれが継ぐことを納得できるような合理的な理由はねえのか」と訴えたときも,生まれてこの方息子を説得する必要があるとは考えたこともなかったというような顔をしていた.しょせん家業なんて「昔からやってきたから」以外に継ぐまともな理由は存在しないので,おれも無い物ねだりをしていた側面はあるのかもしれない.だが,幼少期から家業の手伝いをする中でこの仕事は絶望的なまでにおれに合わないなと感じていた上に,そんなに嫌いな仕事を嫌いな親と一つ屋根の下営むメリットなど微塵も感じられなかったので,このまま無理にでも家業を継がせるつもりなら縁を切るぞとほとんど脅しめいた交渉をして家業を継がないことにした.おれはこのゴタゴタでだいぶメンタルがやられ,今でもそれを引きずっている.
これで晴れておれの人生の操縦桿はおれの手に,というハッピーエンドなら良かったのだが,ことはそう上手くは進まなかった.父親はその後も折に触れて家業の手伝いを要求してきた.おれは美しい国ニッポンの高雅な儒教精神とやらを少しは持っていたので,親の期待を裏切ったことに対する罪悪感からこの手伝いには応じることにした.結果として,夏休みの三分の二程度が家業の手伝いに消えた.おれは学生の本分であるところの勉学もやらねばならなかったので,夏休みは友人からの遊びの誘いは全て断り,土日も休みなしの六時間睡眠で毎日家と大学を往復する日々だった(ショートスリーパーの人間には分からないかもしれないが,ロングスリーパーのおれにとって六時間睡眠はつらい).親から労いの言葉は一切なかった.遅刻をすればきちんと説教をされた.
さすがにやってられんわ,とおれが思ったのは言うまでもない.
おれは家業を継がないことにすれば親の支配下から逃れられる,と思っていたが,それは間違いだった.おれは罪悪感と「家族の絆」いう名の鎖で結局親の元に繋がれている.家業を将来的には継がないとはいえ,結局家業の手伝いに従事させられているのでは,生き急いでいる若者のおれにとっては事態は大して変わっていない.おれは別に女遊びやパチスロのためではなく,それなりの大志を持って家業を放棄したのだ.おれは意を決して「家業の手伝いとしては度が超している.お前はおれが家業の仕事を覚える必要があるとか言うが継がないおれがそれをやる必要がなぜある.バイトで補填できない部分の仕事を息子の責任にして息子に押し付けるな」と訴えたが,父親は依然として「家」がどうこうというおれには理解できない向こうのロジックで反論してきた.おれは何より,おれのこの不満に理解を示そうともしない父親の態度に心底腹が立った.継がないことにすれば事態が好転すると思っていたおれがバカだった.おれが本当に逃げるべきだったのは,家業からではなく父親からだったのだ.おそらく.
おれは今後の人生をかけて養育費を親に返済してやってもいいくらいの勢いで親と縁を切りたいと思っている(結局のところ罪悪感はまだ残っているのだ).それで一人で苦労して野垂れ死んだとしても,家業を無理にでも継ぐくらいなら自殺してやると思っていた昔と比べれば大きな前進だ.おれはいつまでたってもおれ自身の人生を歩めないことに,流石に苛立ちを隠せなくなってきた.
おれが親と縁を切る決断をできないでいるのには,ひとえに母親の存在がある.母親は父親とおれの間を取り持って,どうにか事態をうまく収められるよう色々と配慮をしてくれた.父親とは異なり,母親はおれの人生についておれ目線から考え気遣ってくれた.母親がいなかったら,おれと父親はすでに一生顔を合わせることのない仲になっていたと思う.母親が家に嫁いできた当初の辛苦を祖母から聞いていることもあり,そうまでして頑張って育てた息子が家出,となるととてもつらい思いをするだろう.そうなってしまってはおれとしてもとても心苦しい.
インターネッツで観測できるいわゆる「毒親」案件は,清々しいほどまでに両親がクズであることが多く,その点はある意味羨ましいなと思う.おれは母親のことをクズだと思うことはできない.おれが母親まで嫌いになることができたなら,ゴミをゴミ箱に捨てるのと同じ感覚で躊躇なく親と縁を切れたのになと思う.おれが縁を切ったことで母親が苦しめば,おれも儒教精神やら罪悪感やらを抜きにして,心底悲しむ.
おれは,父親のことが嫌いである以上に,この家族は不運だな,と感じている.父親は堅物なところがある以外は目立った問題はなく,この家に家業なるものが存在しなければこんなに面倒な沙汰にはならなかっただろう.だからおれは職業選択の自由とは相容れない「家業」という概念自体がこの世から消えてしまえばいいのに,と思っているが,それはまた別の話.
どうせポシャったら頼るくせに
あなたの人生だから嫌なら一度はなれるのを勧める。 ただし、研究職は見てのとおり、蟲毒に近く一部生き残る奴がいるが大半は死んで不安定低賃金労働になる。 まだ見ぬものに突撃す...