はてなキーワード: 灰色とは
ミーハーというか、俗な欲だとはわかってんだけど、俺は七里ヶ浜高校に通いたかったんだ
校舎から海が見えるようなところに通って、でもその景色の美しさをちゃんとアプリシエイトすることはせず、「こんな景色のどこがいいんだか!」みたいなナメた口をききながら灰色の青春を送ってさ
でもその後の人生で高校時代を思い出すとき、そこには必ず青い海があるんですよ 懐かしいものとして、海と青春が結びついている
実際に俺の行ってた高校のヘボさといったらないですよ
ビジュアル的な思い出、マジでなんもねー 台風の日に、教室から見えるところに植えられたヤシの木がすっげえしなってて、アレ折れるんじゃねえか?と思って注視していた その程度の思い出しか出てこないんだ
海からは遠く離れていたが、かといって山奥にあったわけでもなく、じゃあ都市部で便利かというとそんなことは全然ない 地方都市とすら呼べない規模の、「街」と「町」の間みたいな、なんとも言えない、イメージカラーとしては灰色みたいな、地味〜なところにあったんだ 俺の高校
灰色の場所で灰色の高校生活、ということになってくると、本当に全部灰色で、ダメなんすよ
そんなにいい色じゃないんだ本当は 茶色 厚揚げみたいな茶色ですよ
厚揚げみたいな色なんだ 俺の青春はよ 目に楽しい要素が一切ねえの だから、具体的に思い出すことが何もねえ
ネットでちょいちょい盛り上がってる、いわゆる「感傷マゾ」 あんなのも全然響かねー
足掛かりになるものが何もなく、ほんの少しの共感すらできないってワケです 入道雲すらパッとしない、本当につまらない街だった 町というべきか?
そういえば、くるりの『街』って歌を高校生のとき初めて聴いて、"この街は僕のもの"っていう感情入りまくった歌い出しに感銘を受けたことがあったな
その次の日の朝、登校するときに、駅の歩道橋から"街"を見渡してみたんだけど、見えたものはといえば、どこからどこが街なのかわかんねえ感じの、ただ道路沿いに民家がへばりついてるだけで、まとまりもなにもない、惨めな場所だけだった
街、ないやんけ〜ッ!と思いながら歩道橋を降りた思い出がありますね これはもしかすると比較的思い出らしい思い出かもしれない
七里ヶ浜高校の存在を知ったのが遅かったし、そもそも神奈川とは死ぬほど離れてて、どう考えても下宿なんかをしてまで七里ヶ浜まで行く理由はなかった
でも悔しい!悔しくないですか?
なぜ俺は、高校時代の思い出の景色として「踏切の向こうの海」とか「窓から見える水平線」、あるいは「冬のしけた海」みたいなのを持ってられないんだ
思い出の持ち駒がマジでなにもない 帰り道、通学路にあったGEOに入っては、「○○さん(好きだった人)が入ってきて、一緒にCD選ぶみたいな展開にならねえかな!」と思ってた というような、カスの思い出はある でも違うんだ
もうちょっとこう、ローカルで、固有な感じのある、原風景的なものが欲しいんだよなあ
何もねえ 何もねえよ
まあいいのかそれで いいのかもしれないが
増田を見てるときは精神的ダメージが大きいと感じていたがそれは錯覚かもしれないと考えた
私は5chでそこまでダメージを負ったことはないのだが、それは5chみたいな灰色の背景といういかにもアングラな感じの見た目ゆえの真正面からレスの内容を受け取ったりしないからだと思う。
もっと顕著なのはニコニコ大百科の掲示板で、あのガキっぽいデザインによりハナから馬鹿にしてかかってるから、内容的には増田と同程度に辛辣なことが書いてあったとしても素知らぬ感じで過ごせてしまうのだと思う。
最近オミトロンとかいうサイトのデザインを変えられるソフトを知ったので、それで増田のデザインを5chみたいに灰色基調に変えようと思う。
ワクチンが調達できたことで、一応出口が見えてきた。ワクチン接種が進めばある程度は落ち着くだろう。
政府は、ワクチンで事態が収束できる目処が立ったので、五輪開催により「多少の犠牲」を払うのは仕方ないと思っている。
変異株の脅威を軽く見ていて、ワクチン接種完了までは五輪で感染拡大しても今と同じ対策で十分持ち堪えられると見ている。
専門家として、「多少の犠牲」を容認することはできないし、変異株によって予期せぬ事態になる可能性も排除できない。
ワクチン接種が進む中、五輪に向けて為政者の空気が緩んでいることに耐えられなくなったのだろう。
また、ワクチン接種が進んで事態が収束に向かえば、扱いにくくなった尾身先生は放逐されるだろう。ご本人も、その気配は感じてるはずだ。
これまでは黒いものを灰色と言ってでも政権の側に居続ける必要があったが、ゴールが見えてきた今、いずれにせよ放逐されるのだから、その必要は無くなった。
こうした背景があって、かなり大きな賭けに出たのだと思う。
五輪を中止にできるとはさすがに思ってないだろうが、専門家のお墨付きを取り上げることで、感染拡大に対しての政府の責任を重くすることができた。
これによって、政府が軽く見ていた「多少の犠牲」を食い止めること、これが今回の尾身発言の狙いだろう。
それなら最後に勝ち取るべきは何か?
政府が容認しようとした「多少の犠牲」により失われる国民の生命だ。
今回の五輪にかかる異例の言及は、追い詰められた挙句の暴走ではない。
あくまで冷静に、自分自身も駒と割り切った上で、被害を最小に抑えるための現実的な手として考えられたものだ。
この結果、五輪に厳しい目が向けられて、開催されたとしても感染拡大が防げたとしたら、意義は大きい。
感染拡大せず静かに五輪が終わり、円滑にワクチン接種が進んで、尾身先生は大して賞賛されることもなく一部の人々からは石を投げられつつひっそりと去っていく。
今、そういう賭けをされているのだと思う。
日常系のサブジャンルとして最も注目されているのが女子高生が男の趣味をやるタイプ――『けいおん!』や『ゆるキャン△』、今季だと『スーパーカブ』がある。
女子高生が鉄道ファンをやる漫画がまんがタイムきららMAXに掲載されている。
その名も『初恋*れ~るとりっぷ』。作者は永山ゆうのん。作者の名前なら『Summer Pockets』で知った人もいるはず。
タイトルが示す通り、仙台を舞台に鉄道と旅行をテーマにした4コマ漫画。仙台にある駅や観光スポットから踏切まで出てくる。
現在は、きららアニメと深いつながりのある叡山電鉄とのコラボで描き下ろし小冊子が配布されており、ヨドバシカメラマルチメディア仙台では壁面がれ~るとりっぷ仕様になっている。
単行本の20ページまで電子書籍サイトで公開されているが、ニコニコ漫画では1巻の1話から8話まで公開されている。
初恋*れ〜るとりっぷ / 永山ゆうのん おすすめ無料漫画 - ニコニコ漫画
天満そらは、小さい頃に電車の中で面倒を見てくれた「お姉さん」を追って鐘ノ台高校に入学。しかし、その「お姉さん」はすでに高校を卒業していることに気づき落胆していたところでまひろ先生に出会う。そして、まひろ先生が「小さい女の子と切符の思い出話」を聞いて、鉄道部に入部する。
鉄道は苦手だが、なんだかんだで部活を楽しんで克服してきている。
ピンクの髪を水色のリボンでくくったツインテール。いつも、ニーハイソックスを履いている。
小さい頃、電車の中で泣いていた自分の面倒を見てくれた「お姉さん」を探すために、とわちゃんとともに鐘ノ台高校に入学。「お姉さん」からもらった切符を大切にしている。
しかし、この「お姉さん」の話は8年前で、すでに高校を卒業していた。そのことに気づき落胆しているところでまひろ先生と出会う。そして、まひろ先生が「小さい女の子と思い出の切符の思い出話」を聞いて、鉄道部に入部する。
最初は、まひろ先生のために頑張る健気な女の子という印象だったが、話が進むうちに「オタサーの姫」、いや「オタサーの百合姫」と呼ばれそうな気がしてきた。
女子高生が特定の趣味をやる作品は、おっさんの美少女化もとい、鉄オタの美少女化と言われる風潮があるけど、そらちゃんに限っては正真正銘の女の子に違いない。
鐘ノ台高校の教師。担当教科は美術。鉄道部と美術部の顧問を掛け持ちしている。
廃部寸前の鉄道部の部員探しに奔走していたところ、そらととわに出会う。
筋金入りの鉄道ファンで、部室にはまひろ先生のコレクションがいっぱいある。
校内の服装は不思議な国のアリスを彷彿させる。金髪碧眼に青いカチューシャ、青いワンピースに白いエプロン、そして、黒い車掌かばん。
そらちゃんが探していた「お姉さん」の正体。しかし、正体が分かったときの出落ち感が半端ない。なぜなら、見た目があまりにも幼いから。そらちゃんと同い年に見える。
作中でもその見た目の幼さが言及されて高校の制服を着るネタがあるけど、高校生どころか、小学生に見える。
だから、まひろ先生の初登場シーンでは、ツッコミのコメントが殺到するに違いない。こんな感じで。
「合法」
「お姉さんとは何なのか」
「とわちゃんのほうがよっぽどお姉さんだろ」「いや、あれはママだろ」
『テニスの王子様』や『スラムダンク』とコラボしたら大変なことになりそう。おっさんたちが多人数で一人の幼女を囲む構図が見えて色々と危ない。
おそらく、作者の性癖が最も現れているキャラ。前作にも見た目の幼い教師が出てきたし、作者の看板娘には飛び級した教師もいる。
まず、きららでは女子学生の部活や日常を描く作品で、メインキャラの教師はまず見かけない。
また、見た目の幼い女子学生がそのまま教師になったキャラは、きららでも非常に珍しい。少なくともアニメ化したきらら作品ではまずいない。
きららには、たいてい年不相応に見た目が幼いキャラが必ずと言っていいほど出てくる。しかし、教師になると、年相応の見た目でどころか、メインの女子学生よりも大きめの体型になる。
したがって、まひろ先生は、きららでは割と斬新なキャラだと言える。
見た目が幼く、性格も子どもっぽいが、面倒見が良いため、そこに母性を感じるかもしれない。
黒髪ロングのおっとりお姉さんだが、別に鬼畜要素があるわけではない。
料理を食べることも作ることも好きな健啖家。それが高じて、入部後には駅弁に詳しい駅弁鉄になる。
恋愛感情に敏感で、百合ップルを見るのが好き。そらちゃんを応援している。
ゆるキャンだと、各務原なでしこと犬山あおいを足して割ったような感じ。
まひろ先生の妹。
姉とは対照的に年相応の見た目で、長い金髪を赤いリボンでくくってポニーテールにしている。
最初は、鉄道の知識が豊富でないと鉄道部に入れないと勘違いしていたが、そらちゃんととわちゃんに説得され、鉄道部に入部する。
時刻表が大好きな時刻表鉄。部活では時刻表を読んで暗記している。
強気な性格で、作中のツッコミ役。ただし、本人も少し抜けているところもある。
姉のまひろ先生に憧れているが素直になれず、ツンツンしている。
地下鉄でそらちゃんと乗っているとき、まひろ先生への好意をそらちゃんとの秘密にするために「おねえちゃんだいすき同盟」を組む。
おとなしい性格で、語尾に「~だよ」と付けるのが口癖。
発車メロディや電車のモーター音に詳しい音鉄。その他、鉄道知識にも詳しい。鉄道の話になると、まれにオタク特有の早口になる。
最初は、鉄道趣味は一人で楽しむものだと考えていて鉄道部から距離をとっていたが、鉄道が苦手なのに入部したそらちゃんに興味を示し入部。廃部寸前の鉄道部を救った。
普段の表情と感情を露わになったときの表情のギャップが魅力。それが最も現れた1巻の温泉回や2巻の横浜回は必見。
ごちうさやきんモザにも言えるけど、かわいい女の子がかわいい事をする漫画を読むと、読んでいるだけで幸せになれる。
まひろ先生が出てきたとき「幼すぎんだろ…」と突っ込んだけど、この子がそらちゃんが憧れている「お姉さん」の正体だと分かると「お姉さんとは何なのか」と言いたくなった。
そらちゃんは、恋と鉄道を頑張る健気な女の子という印象だったけど、2巻で人間関係が進んでいくにつれて、ある意味ヤバいと感じた。
琥珀ちゃんは、普段の表情と感情を露わにしたときの表情のギャップがたまらない。1巻の温泉回と2巻の横浜回は必見。
「鉄道と旅行というテーマ」と「かわいい女の子がかわいい事をする」という塩梅がちゃんとできている。
きららの部活ものは後者に傾倒してテーマがおろそかになりがちだと言われるけど、だからといって前者に傾倒すると「オタクの早口言葉」や「学校の居眠り授業」のようになってしまう。
この漫画は読んでいるだけで幸福感が得られると前述したけど、鉄道ファンからの評価も高い。連載開始時点で聖地巡礼する人が出てくるレベル。
ちなみに、いまのところ撮り鉄は出ていない。
どちらかというと鉄道よりも旅行の要素のほうが大きいかな。まさに『かわいい世界の車窓から』。
鉄道をテーマにしていると、どうしても鉄道界隈の人間が読む漫画だと思われがちだ。
しかし、鉄道界隈にいない人でも十分に楽しめる作品だ。癒やされる。かわいい女の子たちのかわいいやり取りを見るのが好きな人は、ぜひ読んでもらいたいところだ。
10年くらい前だと思う。
増田で「風俗で最高の美女とセックスをした。そこらの街ゆく女性より美人を抱いているので、そこらの女性への劣等感が消えた。」という趣旨だった。
私はこの増田以外にも、いくつか増田を眺めたが、確かにそのような趣旨の、「風俗でいい女が抱けるぞ」エピソードが広がっていた。
最初は2万円くらいのソープとか行っていたが、8万円代のソープにも複数回行った。
しかし、「そこらの街行く女性より美人」というのは、渋谷の3万円デリヘルや、吉原の格安くらいのソープに多かった。
伝えたいのは、「風俗に私は行くべきでなかった」ということ。
「女性に金払って嫌なことをさせている」、「HPVなどで将来素人女性とセックスするときに子宮頸癌のリスクを負わせる事になる」、「お金に困っている人に金を払って嫌なことをさせる嫌な奴」、「金が貯まらない」
まあ、ありきたりかもしれないが、こういう部分ですごく嫌だった。
その結果だが、自分は、30代半ばにして、彼女がいたことがない。
女性へのセクハラをすることが怖く、自分の性欲は素人では絶対満たさないようにしている。女性と2人っきりで食事など怖くてできない。合コンも誘われても行かない。
風俗で満たせる性欲は、今では、DMMの同人誌やら「キモ男男優を相手するAV」で発散できている。
女性に相手されないことから、女性を支配する暗い欲求があるのではないかと自己分析している。
そもそも恋愛に興味があるのではなく、惨めな自分の人生の溜飲を下げるために、他人を支配したいだけだったようだ。
それも最低な人間だが。
行くべきでないと書いたが、やはり、「行くしかなかった」とも言える。
何もセックスをしたことがない20代という灰色は私には受け入れられなかっただろう。
私のような、「当たり前の感覚がない発達障害」には、「風俗で発散して理性を保つ」しかなかったんだろう。さもなくば、自殺するか逮捕されるかだったような気がする。
「そういえばそろそろ夏だった」と思い出したかのように急に気温が上がった5月、今日の天気は快晴でまさに五月晴れで―これは旧暦の5月(6月)を指す言葉なので誤用だが―ともかく気持ちのいい朝だ。
世間はゴールデンウィークだが今日は出勤日。残念ながらこんな情勢でも月初というのは何かと外せない用事があるものだ。
平日と同じ時間に起きて朝食を摂り、いつもの時間で家を出て通勤電車へ向かう。祝日の朝は電車も人が少ない。恐らく緊急事態宣言というのも影響しているのだろう。その上自分の通勤電車は私鉄の普通列車で普段からさほど人が多くない。
夏の気配を感じる陽気を車窓ごしに浴びながら電車に揺られているとふと違和感に気付く。いつもの通勤電車なのに妙に景色が色鮮やかに見える。日光の加減か?いや普段から天気のいい日はたくさんある。では自分の機嫌?今現在休日出勤している自分に世の中が輝いて見えるほど個人的に嬉しい事があった覚えはない。
しかし一点だけ普段の灰色のような出勤風景とは明確に違うものがある。人だ。普段からそこそこ余裕のある路線だが今日は一段と人が少ないし、座っている人たちも私服の比率が多くて暗い色のスーツ一色ではない。それにどことなく「明日も明後日も休み」という余裕が感じられる(これは私の勝手な思い込みだが)。パーソナルスペースが十二分に確保された明るい空間がこんなに快適だとは、そして仕事に疲れた人間だけで埋められた日頃の通勤電車が無意識のうちに暗いイメージを自分に抱かせていたとは思わなかった。嫌なイベントであるはずの休日出勤にも関わらず気持ちは思った以上に前向きで、自分が働いていても周囲に余裕のある空気が流れていると案外いい気分になるのかもしれないと思った。自分と同じように出勤であろうスーツ姿の人たちも心なしかリラックスしているように見える。
これから旅行にでも出かけるかのような気分だが、今日は仕事だ。どうせオフィスも人は少ないし、ゆっくり余裕をもって休日出勤に励もうと思う。
元鬱病者です。
鬱病になったきっかけは、親のDVと小中で虐められてきた事が始まり。
幼児の頃から殴られて、学校から帰ったら酒浸りの父親がいて気に入らないことがあれば、いきなり「しつけだ」といって殴る。
しつけも何もただ勉強しているだけで殴られました
学校へ行けば、お前の親父はヤクザと言われ馬鹿にされ暴力こそないけれども、村八分状態。
父親はヤクザでもなくて、ただのチンピラみたいなものだったのに。それでもイジメられる原因にはなるんですけれど。
なにか物が無くなれば、私のせいにされ学校では教師も混じって集団リンチ。
小学校のときは校長先生だけが味方でした。私は挨拶を欠かさなかったのと校長先生の菜園を見ているのが好きで、よく遊びに行っていたから優しかった。
中学に入り、小学校の時よりも親に殴られ体中傷が付いて学校へ行って、今度は暴力が始まりました。
教師に伝えても、教師は何もしてくれない。「気のせいだよ」と言ってくるだけ。
何度かイジメの現場を目撃しているのに「遊んでいないで早く下校するように」と言われたときにはショックでした。
家に帰って、それを伝えると父親にまた殴られる。殺してこいみたいな事を言って、虐められた方が悪いと言ってきました。
家では相変わらず殴られ、時には血を吐いたり。学校ではモップなどで殴られ、金具で肌を切ったりで血が出て。
体中傷だらけだから、学校で虐められてもわからないんですね。誰に言っても聞いてくれない。
周りはどんどん灰色になっていく日々。動くのも辛い日々です。でも、家にいればもっと辛い。
まだ今みたいに鬱病という病名が世間で有名になっていない時代だったので、鬱というものがわかってなかったのですが、
後々に精神科医に確認したら、それは鬱病だったんだと言われました。
朝起きたら『生きてるんだ』と思い、夜になると『明日は死ねるかな』と思って毎日続けてきました。
本来選んでいた学校は中学3年の時の担任に願書を握りつぶされてしまい間に合わず、残った底辺高に嫌々入る事になりました。
握りつぶされた理由は『体中に傷がある』という理由だけでした。
イジメの関係で学校の名前に傷がつくというのを避けたかったみたいな事を濁しながら言われたときは信じられなかったです。
底辺高校に入り、当然イジメられるんだろうな…と思ったのですが、不良というのは生意気な奴ほどイジメの対象にするみたいですね。
入ったときから何に対しても無関心で、明日は生きているかなと思うだけの毎日だったので覚悟はしていたのですが
家で殴られるくらいなら高校で殴られていた方が気分的には楽でしたから、拍子抜けです。
むしろ彼らは私を守ってくれる側に立ってくれました。良いように聞こえますが、不良は不良です。当然悪事も働いていましたし、私はそれを見てきました。
後で聞いたのですが、私がイジメられなかったのは、もう何をしても死にそうだったからだそうです。
彼らは、なんとなく始めた私の身の上話を聞いてくれて「よく生きてんな」「すげーじゃん」「マジぶっ殺してやりてえな」と褒めてくれたり、同情してくれました。
世間から見れば、彼らは悪い子供たちですが、私にとってはカウンセラーでした。
彼らは大人には反抗するけど、私みたいなのには優しくて身を守る術などを教えてくれました。
毎日死ぬのかなと思っていた時間が嘘のように変わり、毎日が楽しくなったんです。
もともと会話をすることはキライではなかったので、接客業は私にとって天職とまではいかないにしても好きな仕事です。
あらゆる接客業に携わりたくて、高校卒業後から20代前半まではコンビニ・ファミレス・電気店・水商売・娯楽で働きました。
ちなみに親はしばらくして身体を壊してあっけなく終わりました。
これまで生きるのが辛いほどの暴力とイジメと大人の汚い所を経験してきました。
結果として鬱病になりましたが、高校で出会った人たちのおかげで元に戻ってこれた。
私の場合は家に籠もることも出来ず、外で暴力を受けていた方が楽と感じました。
辛い日々でしたが、外に出ていたおかげで治すきっかけも得られました。
今の人たちは内に籠もってしまうので、治すきっかけが少ないかなと感じます。
私にとっては、たまたま不良の彼らが居てくれたから元に戻れたのだと思います。
時代的に人情などは古い骨董品のような扱いになってきていますので、なかなか出会いはないかもしれません。
が、どんなに辛くても立ち上がるという行動はしてほしいと思います。
こんな事を匿名はてなで書いても嘘話と笑われてしまうかもしれません。
しかし、実際に経験してきた私としては鬱に苦しんでいる人には立ち直ってほしいと思います。
きっと増田の中にもきっとそういう人はいるんじゃないかなと思います。
負けないでほしいと。
※ネタバレ注意※
今年のコナン映画を早速見てきたので、備忘録も兼ねて感想を書くことにした。
ちなみに、増田はコナン映画の中では「時計じかけの摩天楼」と「ゼロの執行人」、「紺青の拳」が好きな一般人だ(つまるところ、その映画のカラーがはっきり打ち出された作品が好みである)。
◎良かったところ
・灰原が終始可愛い
この映画最大にして最高のセールスポイント。「緋色の弾丸」は灰原の可愛さを堪能するための映画と言っても過言ではない。今回の映画は最初から最後まで灰原がコナンの相棒でヒロイン。途中で襲撃された際もコナンの安否を真っ先に気遣い、随所で相棒らしいサポートを見せている。特にクライマックスで何度も「江戸川くん!江戸川くん!!」と叫ぶのはクールな彼女の可愛さや健気さが珍しく露わになり、普段とのギャップに悶えた。
将棋で鍛えた頭脳で犯人を追い込むシーンはまさに圧巻の一言。最後にジョディのもとに犯人の車が辿り着いたときには鳥肌が立った。犯人の車が横転して爆発したのには本当にそうなるかなあと唖然としたが、フィクションなので良しとしましょう。
◎いいところでもあり悪いところでもある点
秀吉と由美がラブラブしているシーンは単純に可愛くて良いし、見ていて癒やされる。紺青の拳で園子と京極さんのラブラブシーンを上手に描いていた永岡監督らしく、純粋に微笑ましく楽しめた。
が、二人のラブシーンが事件の解決につながることはなく、どうしても無理くり入れたシーンのようにしか見えなかった。櫻井さんはラブ要素の薄い作品では非常に面白い話を書かれる方(ゼロの執行人や純黒の悪夢は面白かったと思う)なので、ラブを描きたい(?)永岡監督とはうまく噛み合わなかったのだろうか?
題名からして秀一が主役なのかと思っていたが、蓋を開けてみると赤井家フォーカスの映画ということだった。そこまではまあそうか、勝手に期待したこっちが悪かったなと思えるが、秀一の目立った活躍がリニアを銀の弾丸で狙撃するだけというのはいかがなものか。
タイトルを「緋色の弾丸」と秀一を彷彿とさせるものにするのならば、秀吉のラブコメシーンを削って秀一の出番に当てた方が良かったのではないか?これならばまだ純黒の悪夢の方が安室との直接対決があった分格好良く見える。
世良に対しても不遇な印象が否めなかった。秀一とジークンドーで対決したシーンは沖矢昴=赤井秀一という気付きを彼女が得るのではないかと期待したが、そのシーンは単純なアクションシーン以上の意味を持たされないまま、世良がコナンと連れ去られた被害者を見つけるまでの繋ぎとして終わってしまい、肩透かしを食らったような気持ちになった。
特にクライマックスにおいては彼女はコナンの助手程度の役目しか果たしておらず、リニアに一緒に乗っている必然性を感じない。リニアを止める方法に関しては彼女の得意なジークンドーは何一つ生かされておらず、この映画における世良の役目はバイクに乗れる者であるなら誰でも代替できる(仮に彼女のポジションを服部平次が担ったとしても物語の進行には何ら支障を生じない)のが非常に残念だった。
・犯人の動機が犯人の目線からしたら真っ当に思えるものだが、映画の視点がFBI側にフォーカスしているせいで犯人がかなり自分勝手に見えてしまう
今回の犯人は男女二組のぺアだが、どちらも偏った情報でFBIを恨んで犯行に及んだ。話を聞いていると、「そりゃそれだけの情報しか与えられていなければ恨んで当然だろうな」という気持ちにさせられる背景事情だが、視点が終始FBI側に寄っている為「逆恨みしたお前らが悪い」といった印象にさせられてしまったように感じ、釈然としない部分があった。
・主題歌と内容が合っていない
主題歌を担当したアーティストが東京事変でハード系の歌詞だったため、純黒の悪夢やゼロの執行人のようなかなり殺伐とした内容を期待していたが、実際見てみると少年探偵団が活躍するシーンや秀吉と彼女のラブシーンがこまごまと挟まれており、主題歌と内容の雰囲気が合っていないように感じた。
一言で言うと「永岡監督と櫻井さんの良さが上手く噛み合わなかった映画」といった印象。リアル・ハード志向を得意とする櫻井さんを脚本に起用するなら、ラブは削って事件のみに集中させてあげた方が面白かっただろうし、永岡監督に任せるならラブに振り切れる脚本家さんを呼んであげた方が「から紅の恋歌」や「紺青の拳」のような女子ウケする作品になったように思う。
キャラ的には秀一ファンが行くと肩透かしを食らうだろうが、秀吉、灰原ファンは一見の価値あり。というか灰原ファンは全員行け。とにかく灰原の出番がてんこ盛りで、ツンとおすまししたシーンからコナンの相棒としてクールに決めるシーン、犯人に襲われても健気に頑張るシーンまで全部詰まっていて最高に可愛い。灰原の可愛さに心臓を撃ち抜かれる。「灰色の弾丸」に改称した方が良い。それぐらい灰原の出番が多い。灰原ファンは今すぐ劇場にレッツゴーだ!
小学生の頃、皆放課後になるとその辺で1番でかいk公園に集まって遊んでいた
そこで持参したお菓子を友達とシェアしていると毎度決まって現れるのが「カシクレ」だった
近所に住んでる60か70代の灰色の髪のちいさいじいさんだ。
カシクレはお菓子の袋を開けると出現し、「それおいしいか?おいしいか?」と言いながら私たちに絡んでくる
ここで一つ差し出せばすぐ去っていくので、「なぜ知らんじいさんに菓子を分けてやらにゃならんのだ?」と疑問に思いつつもカシクレに絡まれたらとりあえず袋から一つ与えていた。(都市伝説に出てくるお化けの対処法でありそう)
本当か知らんがただ菓子を乞うだけではなく、「入れ歯を見せてきた」「みかんを食ってそこら辺に皮を捨てていた」「チャリを取って持ち上げられた←?」など奇行の噂もあった
何度か菓子を取られる経験をした私たちは呑気にそこらで菓子を食ってる場合ではない。カシクレの気配を察知してチャリで逃げたり、近くに居ないのを確認してお菓子を分け合って食ったりするようになった
何かに追われている感が非日常的でわくわくした私たちはカシクレが居た痕跡を探して探偵ごっこのような事もした(ここにみかんの皮があるぞ...まさかカシクレか...?!)
それからカシクレの噂はどんどん広がり、とうとう学校の先生のところまで到達した。私たちは校長室に呼ばれ、カシクレという不審者について事情聴取されたりもした
そんなこんなで一、二年後、私は小6になった
同じマンションの子とk公園で2人で遊んでいると、気づいた頃には既にカシクレがそこに居た
しばらく彼を見ていなかったため油断していた
「飴あげる」
カシクレはなんと「カシヤル」に 変貌していた。
「あ、ありがとうございます.........」
困惑する私たち2人、ポッケにさっと入れてやり過ごそうとした。
「食べて」
怖っ、今までクレクレ爺だったくせに
言われるがまま口に入れる
「どう?」
「お、おいしいです............」
満足したのか去っていった
ここまで「頭のおかしい爺さんがいた思い出」みたいに書いたけど、このじいさんは頭のおかしな不審者ではなかったのでは?と私は思う。絡み方が奇妙なだけで、多分。
昔は近所の付き合いが今よりずっと濃くて、近所に住んでいる人々はみんな知り合いで、老若男女絡む機会があって、皆で助け合って生きていた所謂「古き良き時代」というやつだったのでは...?などと当時子供なりに考えた
平成の私たちに通じないその古き良き時代を不器用なりに現代に持ってこようとしたじいさんは完全に不審者扱いだった
7年たった今、カシクレを見かけることは無い
労働が嫌い。
まず朝起きる時間が決まってるのが嫌だし、仕事を始める時間が決まっているのも嫌。
行かないと怒られるっていうのが一番無理。
怒られるのが何よりも嫌いだから、土日友達と楽しく過ごしてても「月曜の朝は仕事がある、遅刻すると怒られる」って事実が脳の半分くらいを占めてて、心の底から楽しみきれない。
会社はホワイトだし、周囲の人との関係は悪くないけど、働くことに喜びを見出せない。
生きていくためにやってるだけ。
基本お客さんの問い合わせに電話で答えたりしてる。
サポート系の仕事は基本的にやること一緒で楽なんだけど、たまにシステム導入のプロジェクト突っ込まれるのが嫌すぎる。
毎回違うシステムの勉強しなきゃだし、お客さんも一緒にやるメンバーも何もかも違う。
この違うっていうのが私にとっては大きなストレスになるのだと気づいた。
周りには結構ずっと会社いられない、同じ仕事してられないって人いるけど、私はずっと同じことしていたい。
そういえばわりと近い親戚に自閉症の子がいるけれど、私にもその傾向があるんだろうか。
毎日同じメンバーと顔合わせて、毎日とは言わないから1ヶ月周期で同じようなことして、ノンストレスで労働をやり過ごしたいなあ。
女子高生バイトさんと久し振りに一緒に仕事した。ちょっと客足が途切れた時に、何気に
って聞いたら、
「辞めましたw」
って女子高生バイトさんは言った。おいぃぃーーー!? お前さん、これから先どうやって生きていくつもりなんだよぉ!!! はぁ、眩暈眩暈。高校で習ったことなんか卒業式の翌日に綺麗サッパリ忘れて良いんだから、高校の卒業証明だけは獲得して欲しかった。
そんなフリーダムな生き方をしていて、親御さんは何も言わないのかと聞いたら、お母さんも中卒で娘二人育て上げたから大丈夫、だという。いやいやいやいや、時代が違うんだから、だいじょばないです。お母さんの世代では、ノープランで中卒で子供二人産んだ身寄りのない女なんているいる過ぎて、パートに雇ってくれる会社なんかはもはやそんな経歴全然気にしないんだろうけど、今現在18歳の女の子がそんなノリで生きて就活なんかしてたら、こいつやべぇ奴だとしか思われないだろう。
とか言ってももはや後の祭りなんで、「おぉ、そうなんだ……」しか言わなかったけれども。18歳でまた高校一年からやり直すなんて、夜間でも通信でも中々容易じゃあないので、たぶん無理だろうな……。二十歳くらいになってからようやくロクな働き口がないという現実を知って、やっぱり高校行こ! ってなればいいのだが。
女子高生バイトさんの生い立ちをチラッと聞いたぶん、私も家庭の事情を話した。といっても、子供何歳で産んだんですか? って聞かれたので「一人目が29歳のときで、二人目は32歳のときだよ」って答えたくらい。そしたら女子高生バイトさんが「それ私の理想です!」というので、
「いや29歳で第一子はギリ育てられるけど、32歳で第二子はきっついよ。一人目の時は授乳の為に夜通し起きていられたけど、二人目の時は授乳しながら居眠りしちゃって、気づいたら子供畳に転がってびゃんびゃん泣いてたよ」
だから子供何人か欲しいなら、もう少し早めに一人目産みなって。というと、女子高生バイトさんは、20代前半はきっと遊びたくてしょうがないから子育てとか無理だと思うと言った。
それって、誰からの入れ知恵なんだろう。既に出産経験のある友達でもいるのか、それともお母さんがそんな風に言ったのか。まあ、若いうちに子供産んだ人って大体そういうことを言うけれども、出産してないならないで、その時期はやることが色々ありすぎて、体力お化けでもない限りは、好き放題に遊ぶなんて出来ないんじゃないだろうか。
若いから遊ぶチャンスはいつでもあるとちらつかされたり焚き付けられたりするけど、何となく空想上の存在「好き放題に遊んで青春を謳歌している同世代」を横目で見ている気になって、いいないいなといじけながらしょっぱい日々を暮らすというのが、若者のリアルな日常なのでは? 休日には確かに集まれる所に若者が沢山集っているのかもしれないが、それは楽しい毎日の中の一日というよりは、灰色の日々のうちのとっておきの一日なんじゃないだろうか。
なんてことを18歳に言っても分かんないかなぁと思い、「あーね。」とだけ答えた。
夕方、義母が公共料金を支払いに来た。わりと近場に住んでるのに、会うのは二年半ぶりくらいだ。払込用紙の名義は義弟だった。義弟は最近身体を壊して働けなくなったと、風の噂で聞いたけど、本当だったのだろうか。