はてなキーワード: 弁当とは
自分はちくわの穴にきゅうりを挿し込んだのを酒のつまみにするのが好きなのでちくわを冷蔵庫に常備している
そして先日のお昼のこと、会社で嫁がもたせてくれた弁当を食べようとして愕然とした
卵焼きのよこに切っただけのちくわが3切れ詰め込まれていたのだ
普段ならソーセージが居る場所になんとちくわが!しかも堂々と!更に3切れも!
穴にチーズが入れてあるかもという淡い期待を抱いて穴を除くも当然のように何も入っていない
何の味付けも工夫もされていないちくわを食べながら「ひょっとしたら何かのメッセージが込められているのかも」と思い
帰宅後嫁にそれとなく「そういえば今日弁当にちくわが入ってたけど…」と尋ねてみたところ
「ソーセージもベーコンも切らしちゃってたんで代わりにちくわを入れたの」と返されて唖然とした
Youtubeにはサンドウィッチマンの伊達みきおさんが御飯を食べるところを撮影した公式動画があるのね
その動画で毎回、弁当の蓋を開ける前に割り箸を割っているのが気になるんだ
驚愕の理屈で 全員いる だが、お弁当はあまっている。ならば大丈夫。
若干 数を間違えた という誤報が流れましたが、お弁当はあまっている。から大丈夫。撮影優先。って 高橋みなみさんがいってたって白石麻衣さんが言ってたそうです
って小説かサスペンス番組かでやったらそこそこ人気が出そうな気がします。
なんかどっかで見た、
『今夜新大喰い女王誕生!温泉若女将・豪華客船消えた4000食の崎陽軒シュウマイ弁当ミステリー24時!池の水全部抜きました!』ってあったら私見るわ!
ってテレ東風味が多目な気がするけど、
あ、
『池上彰の今夜新大喰い女王誕生!温泉若女将・豪華客船消えた4000食の0円崎陽軒シュウマイ弁当ミステリー24時!池の水全部抜きました!』
無造作に何でも書いていいところだと思ってたけど違うのね。
消えた4000食のシュウマイ弁当の犯人はそこでもうバレているという、
突拍子も無いことに気付いたわ。
よくよく考えてみたら、
それ意外とタイトルで全部起承転結全部盛り込んだタイトルも逆に新しくない?
そんでそのプロセスを楽しむみたいな。
サスペンスとも言えるし、
24時で激録感もあると言えるし、
池の水を抜くとも言えるわね。
あ!でもいいこと思い付いたわ。
みんなで集まってせーので出して面白いタイトルにした人が優勝ってカードゲームにしたら
人気出ると思うわー。
でもこういう安直に考え得る、
やってやれないことを誰もやってないってことは、
ミステリーだけに
あーあ、
私もミステリーハンターになりたいなー。
うふふ。
待ってましたとやっとありつけた、
これがなきゃ朝が始まらないお味噌汁のあさげを彷彿とさせるサンドイッチよ。
これが陳列棚にあった日はきっと良い1日になるわ!
夏場白菜を部屋の中で放置しておくと1日にして溶けて水になってしまう恐怖を覚えてから、
怖くて白菜買えなくなった夏場の時期ね。
くわばらくわばら!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
珍しいなと思って出てみたら「機材故障のため予定時間が1時間ほど遅れる」とのこと。
飢餓状態というわけもないので1時間程度ならどうとでもなるが、なにかおまけの一つくらい欲しいところではある。
君ならどうする?
名古屋もちょっと前からゴミ袋全指定化(=有料化)、その後スーパーはレジ袋有料化してる
レジ袋有料化してないスーパーもあるが、そこはレジ袋に「燃えるごみ袋」の指定印が印刷してあるのでみんな大事にとっておいてゴミの日に使っているので散乱ゴミにはなりにくいようだ
あとドラッグストアは無料。これは生理用品やコンドームをはこぶマナーとして不透明袋が必要だから。不透明なのでゴミ袋指定印刷もできない。マイバッグ持ち込みで2円引きとかやってほしい。
関係ないけどこのあいだその配布ゴミ袋にいれてある弁当2人前がいかにも自転車の荷台からそのまま落ちたふうに交差点の横に落ちていた
40過ぎると脂っこいもの食べられなくなるよと言われたりしたが、40過ぎても私の食欲は衰えることがなかった
毎晩の晩酌はスーパーで購入した幕の内弁当とからあげ棒とポテトサラダ
からあげ棒とポテサラを食べ、弁当を半分食べ終わる頃には500MLの缶ビール2本を飲み終える
つまみが足りなくなるので、フライパンに火を入れベーコンエッグをつくる
弁当の残りとベーコンエッグをつまみにハイボールを2本ほど飲む
〆はやはり麺類が食べたくなるのでカップ塩焼きそばをつくり、それをちびちび食べながらビールをのんで寝る
これが毎日の流れだったのだが、最近は500の缶ビール1本あけたあたりで酷い膨満感に襲われるようになった
休憩しながら食べてもまったく箸が進まない こうやってどんどん食欲がなくなっていくのだろうかと不安になった
深夜に変なスピリチュアルの広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。
乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。
これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレートで大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。
私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。
そこで思うことがあった。宗教・信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分の気持ちに整理をつけることができた。
この記事はそんな私の20年ちょっとの人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。
私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園が教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。
家からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。
朝幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関のマリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。
ああそう、あとメダイもちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会の神父だ。園長って呼んでいたけど)から、新年度になるたびに名札につけてもらっていた。
そんな幼稚園でキリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスはクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラスだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。
卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書の物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。
既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。
当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵のインパクトは強烈だった。
洪水に翻弄されるノアの方舟、モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。
それから数年経って、小学校を卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。
西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。
そこでもう一度聖書のストーリーを絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味は理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。
この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃんと勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。
こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西で仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。
父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるときは仏壇の前に座ることがある。
お盆やお彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派の本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。
だから私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的な日本人の宗教観なのだけど、困ったことに、私はとある宗教の3世にあたる血筋でもある。
名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗。
ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。
この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。
だから、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏の著作が置いてあった。
母自身は学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。
だから3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。
実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。
祖父が亡くなった後、葬儀や四十九日の法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。
違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族と祖母が参加した七回忌の法要だ。
いわゆる法事だから、自分の認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族で食事をする」というものだった。事実父方の祖父の法事はお坊さんを呼んでいる。
まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。
いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。
「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。
どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員が法要の読経をするということを知ったのは、さらにそれから2年ほど経った頃だ。
ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。
母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。
昔はよく祖母の家にお盆や正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事の関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父の葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。
同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由、祖母の家にあった新聞や書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。
祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。
別にこの記事で批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。
「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。
いま色々な宗教の事を学び、宗教が社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉に同意したい。
信仰は自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんなジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。
そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。
母方の祖母と我が家の仲はいい。祖母はいま一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。
けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。
少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。
大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルやエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。
大学の最寄駅前には某証人の人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘がそもそも来たりした。迷惑だから帰れ、と総スルーをかましたが。
去年なんか、右翼のおっさんが一般人に絡んで暴行しかけた事件の証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。
彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。
スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートがTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。
思ってしまうだけで、それを思いっきりネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。
何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。
ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章だから、大した感想も求めていないのだ。
対価を払うどころか貰うべきものか。
そういう現実があるのは知っている。B型作業所なんかは工賃から弁当代を引くと赤字で、逆に金を払うことになる所もある。
その現状を追認するのか。
俺みたいに怒れとまでは言わんが、間違っているとは思って欲しかった。
沖縄県では、2008年にレジ袋を有料化した。一つの都道府県で一斉にやろう、という場合、県境で有料と無料が分かれて客が取られる、と言う問題があるが、陸で県境がない県だからスムーズだったんだろう。
対象は主要なスーパー・ドラッグストアで、小規模なスーパーや個人商店やコンビニや服屋やディスカウントストアは対象外だった。
自分は、このときに有料化を体験した。そのとき何が起こったかを、覚えている限りで書く。
「実際、始まっても3円ぽっちだったら、毎回買うんじゃないの?」とか思っていたが、レジに並んだみんなが律儀にマイバックを持ってきた。
https://www.pref.okinawa.jp/site/kankyo/seibi/ippan/documents/r2_rejibukuro_jitai.pdf ここの資料によると、マイバッグ持参率が2割から8割になってる。そして、微減ながら現在でも相当高率を保っている。
自分も、カバンに小さめのを一枚、クルマには4~5枚常時乗っけるようになった。
有料化直後は、銀行も保険会社も旅行会社も、何かあるとマイバッグを記念品に付けてきた。あのころ、買ったマイバッグ持ってた奴なんていないんじゃないか。
ところが、大体1年くらいすると、そういう風潮は段々となくなってくる。みんな持ってるからもらっても邪魔になるし、数年単位で使えるし。ということで、いつでももらえるからいいや、と思っているとそのうち買う羽目になる。
コンビニではどうなるかわからないが、スーパーの話。肉とか魚とか、豆腐とかをくるむ薄っぺらいビニール袋。2~3個の買い物だと、「透明ビニールに入れますか?」とレジの人が聞いてきて、はい、とか言うと手際よく入れてくれるようになった。今回の有料化でも、持ち手がない袋は有料化の対象外になっている。 https://www.meti.go.jp/policy/recycle/plasticbag/plasticbag_top.html
おそらく、柄の悪いあんちゃんとかに「3円になりますが」「あぁ!?」みたいなやりとりが、初期に相当あったと思われる。
「レジ袋なんか大してゴミ減量にならない」とうそぶく人もいるが、主な目的はマイクロプラスチックの削減だと思う。砂浜に打ち上げられるゴミの中に、レジ袋は確実に減った。それでもペットボトルや弁当のケースや外国の洗剤なんかはいまだにあるんだけど。でも、レジ袋は減った。
以上。
「せっかく金払うんだから」と、大きいサイズをみんなが求めるんだろう。500mLペットボトルとお菓子1個が入るような小さな袋は使われなくなり、レジ袋は週末の買い出しに使うような「大」と、それよりもっと大きい「特大」くらいしか選択肢がなくなる。「俺は毎回金払うぜ!」とか言ってても、ペットボトル1個に大きな袋を出してくるのが馬鹿馬鹿しくなって、結局マイバッグを持つか、前述の透明ビニール袋で妥協することになる。
リアルなのでマウントする意図は全くない。というか読んでもらえれば分かるが、自慢にはならない。
52才男。京大卒。
年収は1100万円、会社から900万円とそれ以外のブログ収入等で200万円。
家族は、妻、高校生の男子、女子の4人。子供は2人とも偏差値70台のトップ高校。
中学まではクラスで3番目ぐらいの成績、まぁ「頭いい子だね」ぐらい。
大学4年時に大学院に行く人も多い中、怠惰な大学生活を終えようと思い、誰でも知ってそうな外資系のIT企業に内定。
就活は苦労しなかった。行きたいと言えば内定がもらえた。学部卒でそのまま就職。
最初に入った外資系のIT企業は12年で退職した。最後の方の年収は34才で800万円ぐらいかな。
辞めてから、知人数名と会社を興すがあまりうまくいかなかった。
8年ほどもがいたけど、結局辞めた。
3年ぐらいたって転職した外資系企業が日本から撤退することになって、行くところが無くなった。
この頃が一番きつかったか。
何しろ45才で京大卒、IT知識やマネジャー経験はあるとは言え、変にプライド高そうなおっさんが行くところはあまりない。
LinkedIn経由で外資系のプロジェクトマネージャーには誘われるけど、面接行っても連敗した。
そうこうしているうちに、先輩の会社のところに引き取ってもらった。
年収は減ったが、あまり変な人間関係に悩まされずに、のんびりと仕事をしたかった。
管理業務が主体だけど、プログラミング自体もすることあるし、小さな会社なので基本、なんでもやる。
年齢と立場もあって、誰かから怒られることはないし、プレッシャーとかストレスはあまり感じない。
そういった奴は部長か子会社の社長とかになっている。年収も多分1500万円から2000万円ぐらいはあるだろう。
住んでいる3LDKのマンションは4000万円で買って、ローンの残りは1500万円ほど。貯金は800万円ほど。
貯金から借金を引いたら借金の方が多いが、毎年200万円ぐらい減っている。
多分、借金が120万円ぐらい減って、貯金が80万円ぐらい貯まっているんだろう。
お小遣い制とかではないので、毎日に食べたいものに好きなだけ買っている。
朝はコンビニのパン、昼もお惣菜屋さんのお弁当が多い。夜は家で食べる。
スタバとかも毎日行く。ほとんど気にしたことないが、平日は毎日平均2000円は使っているか。
酒やたばこ、ギャンブル、風俗には興味がないのでそういったところでお金は使わない。
車は普通の国産乗用車250万円で買って8年になる。駐車場、保険、車検とかで年間40万円ぐらいか。
旅行は夏にキャンプ、冬はスキー。家族で年間15万円ぐらい使っているか。
5万円ぐらいなら欲しいと思った物は普通に買う。
高級レストランとか高級ホテルには行ってみたいけれど、それほど興味がある訳でもない。
総じて貧乏性なので、お金を使うのは食べたいものを食べることぐらいか。
何かの機会でどこの大学を出ていますか?という話をしたときに「京大です」と言えることぐらいか。
それで「ええー。すごい。頭いいんですね。」となるけど、それ以上の話にはならない。
たまに新卒の面接をすることあるけど、自分よりはレベル低いんだろうなと思ってしまう。
それでどんな風に主語がデカいのかなと思って見てみると、例えば
「手で握ったおにぎりなんか食いたくないよね~」←主語でかすぎ。お母さんのお弁当を楽しみにしてる子供を何だと思ってるんだ
「佐々木希みたいな美人と結婚しても満足できないのか…」←主語でかすぎ。結婚が全人類の幸せだと決めつけるな
「空の下で食べるご飯は最高だね」←主語でかすぎ。プロが厨房で作った料理をナメるな
こんな感じで、主語ってほどの主語もないというか、その人はそう思ったんでしょうねって話を
「私はそう思いましたって書け!誰もがそう思ってると決めつけるな!主語を勝手にでかくするな!」
ということらしい。
これ例えば三島由紀夫が「恋をした少年は憶病になり少女は大胆になる」みたいなことを書いてた(うろ覚え)けど
いちいち「※個人の感想です」って入れなきゃダメ?通販番組みたいに。なんかバカっぽくない?
思うんだけど主語を勝手にでかくしてるのって受け取った側じゃない?
「そういうケースも多々あると私は思います。」
僕は普通の家庭に生まれた。虐待やら育児放棄やらとは無縁で、お金持ちでも貧乏でもない、本当に普通の家庭で、何不自由なく育った。
小学校の放課後は毎日サッカーをし、中学校で部活に勤しみ、高校ではサルみたいに騒いだ。何一つ変わったことのない普通の子供だった。
勉強も結構頑張った。志望校には合格出来なかったけど、滑り止めのMARCHに合格して、今年で3年生になる。
高校は勉強に集中するからとバイトはしてなかったけど、大学に入ってからは毎日のように働いた。それこそ社員さんと同じくらい。
そうでもしないと必要なお金が稼げなかったから。学費を稼ぐだけなら月4万円くらい稼げばよかった。奨学金もあるし、少しだけ親にもお金を払ってもらっているから。
でも僕だって遊びたい。サークルにもやたら金がかかる。通学定期代や飯代、生活費も必要だ。多い時では、月に16万稼いだこともあった。
ところで、MARCHなんてのは、まあまあの名門大学だと思う。そりゃあ難関国立や早慶に比べたら大したことないけど、バイトの面接で大学名言うと「すごいね」なんて言ってもらえる。そんな大学だろう。
ベンツを乗り回す人、常に有名ブランドアイテムを身につける人、老舗和菓子屋の息子、田舎に土地持ってる家の人、錦糸町のタワマンに住んでる人、付属高校からエスカレーターで進学してきた人。みんな僕の大学仲間。
大学の講義で先生が言っていた。金持ちの子供は良い教育(というよりも進学に直結する教育)を受けられるので高学歴になり、いい仕事に就けるため、その結果金持ちになれる。それが繰り返される。逆もまた然り。
なるほどそれなら合点がいく。そこそこの名門大学に来るような学生の家庭はそこそこの金持ちってわけだ。
親の金で大学に行き、親の金で教科書を買い、親の金で通学定期を買い、親の金で飯を食い、親の金で携帯代を払い、親の金でサークル活動し、生活費も払わない。それがみんなの当たり前だった。
違う。全てが僕と違う。僕が必死こいてバイトして、バイトして、バイトして稼いだ金を、ねだるだけで手に入れられる人たちばっかだった。
多分、みんなは僕がどれくらい必死になって金を稼いでいるのか知らない。
7日間連続でフルタイムのシフトなんて出したことないに決まってる。
フルタイム連勤が続いた日の休憩時間で、店長の悪気ない些細な無駄話がきっかけで心が壊れた経験なんてあるはずがない。ましてやそのあと疲労とストレスで高熱出してぶっ倒れるなんて経験も。
昼飯代節約のために早起きして弁当作ったり、スマホの通信量の契約は一番安いやつにしたり、めちゃめちゃ楽しそうな飲み会を鋼の意思で断ったり、そんな経験はないんだろう。
僕は気がつけば、大好きなはずの大学仲間を嫉妬の目で見ていた。
大した苦労もしないでバラ色学生生活を送っているみんなが憎らしくなっていた。
人生イージーモードのくせに、ノーマルモードの僕と同じステージにいるのが許せなくなっていた。もし僕がイージーモードだったら、第一志望のあの大学に行けたかもしれない、なんて妄想もした。
でも、みんなのことを嫌いにはなれなかった。みんな愉快で、優しくて、こんな俺でも仲間と認めてくれたから。
だから、こんなことを喚き散らかしてはいけないと思った。表に出してしまえば、きっとみんな僕を軽蔑するに決まっている。黒い感情は箱にしまって、押し入れに隠したはずだった。
バイト先が閉店。収入は月3万の奨学金のみ。新しいバイトを探し、面接を受けては人手足りてるからと落とされる日々。
これでは学費が払えない。こんなご時世だし、生活費は親に頼み込めば融通してくれるだろうけど、サークルが活動再開できる状態になったとしてもその時僕は無一文だ。
そんな時に、みんなが色んなものを買っている。ニンテンドースイッチ、歌手のライブDVD。動画配信のサブスクに加入したりもしている。
僕が学費やサークルの出費に怯えてここ数ヶ月1銭たりとも使ってないのに、みんなはそんな心配しないでドカドカと金を使っている。
ステイホームでやることがない僕は、暇つぶしに掃除をしていると、二度と取り出せないように奥の方にしまったはずの玉手箱を見つけてしまった。
このままでは多分、僕はそのうち箱を開けてしまうと思う。その時は、僕が大学での居場所を失う時だ。
この文章を書いたのは、箱の中身は何なのか、開けたらどうなるのかを確認して、気持ちを整理するため。要は、放っておくと到達してしまうタイムリミットまでのただの時間稼ぎ。
よく行くスーパーに買い物に行った。お会計のときにレジにスキャンされた商品は、マイバッグかマイかごを利用する場合のみ、店員さんがバッグなりかごなりに詰めてくれる。
担当の店員さんは若いが半年以上はいる人で、私はこれまでに何度もこの人のレジで会計をしているのだが、今日は様子が違った。いつも明るい店員さんなのに何だかおどおどしていた。
飲み物のボトルとか、普段ならこの店員さんも他の店員さんも、「お飲み物ねかせてよろしいですか?」って聞いてくるかあるいは無言でボトルを横にして詰めてくれる。だが今日は、無言でマイバッグの端の方に立てて置き、空いているスペースにパンの袋とか肉の入ったトレイとかを詰め詰めしていた。
ちょっと手が当たると、ペットボトルはぐらりと傾きそうになり、その度に店員さんはびくびくしながら倒れないようにそっとボトルを押さえるのだ。
なんか大変そうなので、「飲み物横にしていいですよ」って言おうかと思ったけど、余計に慌てさせちゃいそうなので黙っていた。「お飲み物ねかせてよろしいですか?」って言ったら客に怒られたのかなあ?
袋詰めはお客様の方にこだわりがあったりしてなかなか難しいことがある、とコンビニでバイトしていて思う。飲み物を寝かせて袋詰めするかどうかというのは、私のバイト先ではお客様に確認するようには指導されていないのだが、コンビニのお客様は飲み物は1リットルのパックのものでも店を出たらすぐ飲みたいという人が結構いて、黙って横に詰めてその上に色々詰めると怒られてしまうことがあるのだ。かといって、一々聞けばまた、聞く項目が多くなるので(お弁当温めますか? お箸はご入り用ですか? 袋はお分けしますか? などとコンビニではやたら店員がお客様に聞く項目が多いのはご存知だろう)お客様を怒らせることに繋がるので、私はお客様にあえて聞かずに、商品の品目とか量を見て、飲み物を横に倒しても大丈夫か見極めて入れることがある。
お客様の言った通りに袋詰めしても、思ったのとは違う結果になってしまってお客様が怒ることがある。よくあるのは、タマゴのパックを袋の中の一番上にしてくれっていうやつだ。そうした結果、袋の中でパックが底の方に真横から転落して、タマゴが割れてしまう。タマゴのパックは上からの重さには強いが横からの衝撃には弱いということが、あまり知られていないので、そうなる。
けどまあ袋の底にパックを詰めたって、袋を乱暴にドスンと床やテーブルに置けばさすがにタマゴは割れるんだけど、そういうのはお客様の粗相ではなく店員のせいにされてしまう。
私は最近までタマゴは袋を分けるか一々聞いていたのだけど、お客様が大体一緒で良いと言って、一緒にした結果不幸なことが起きるので、最近は無言でタマゴだけ袋を別にしている。お客様は黙って別の袋に詰めたタマゴのパックを他の商品の袋の一番上に入れるんだけど、そうするとパックが袋の口からごろりと転げ落ちて、お客様はしばらく考えたあと、他の商品の袋とタマゴパックだけが入った袋を持って帰って行かれる。