はてなキーワード: 厨二病とは
知り合いの高校生が、
「朝日新聞社が高校の「学習指導要領の改訂案」の「尖閣諸島は我が国の固有の領土であり・・・」に反対し、批判」
いくら朝日新聞でもさすがにこんなこと言わんやろーと思って調べてみると、どうやら社説のこの部分が元ネタらしい。
「 領土問題に関する書きぶりを見ても、たとえば「尖閣諸島は我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しないことも扱うこと」などとなっている。
政府見解を知識として生徒に伝えることは大切だ。だが「これを正解として教え込め」という趣旨なら賛成できない。相手の主張やその根拠を知らなければ、対話も論争も成り立たない。他者と対話・協働して課題を解決する。それが新指導要領の理念ではなかったか。」
誤答その1:政府見解。
誤答その2:政府見解を教えること。
正解:政府見解を正解として教え込むこと。
そういうデマに釣られるの良くないと思うよ。
と指摘してみた。
ところが、である。
指摘してみたが、彼としては、上記社説は朝日新聞が「尖閣諸島は我が国の固有の領土であり・・・」に反対し、批判」しているものと読めるらしい。
仮に、暗に政府見解を批判していたとしても、どうして、批判の対象が「領土問題は存在しないこと」ではなく「尖閣諸島は我が国の固有の領土であ」ることだと言えるのか。
私にはさっぱり分からない。
1.ショッキング
高校生の彼は、ガセネタを見抜くことができないまま、やっぱり朝日新聞はクソだなーとの思いをますます強めていくことだろう。
2.勉強になった
上記社説の読解は、国語の問題として出されたらごく簡単なものだ。
でも、常日頃から朝日新聞に憎しみを覚えていると、このレベルの文章でも読み違えてしまうらしい。
洗脳って怖い。
朝日新聞を批判?おーけーおーけーどんどんやろう。問題もいろいろとあるし。
そうしないと、説得力を失うよ(あるいは、朝日新聞と同レベルまで落ちるよ、とでも言えばいいのだろうか?)
ちなみに最初のツイートは2000リツイート以上されている(同趣旨の他のツイートも含めると1万を超えるだろう)。
えぇー…情弱が多過ぎませんかね……
痛いとかオタクとか厨二病とか言われてて実際その通りだと思うけど、頑なに否定して叩いてるのを見るとそれはそれでモヤモヤする。
割と活発な子だったような気がする。
あまり親しい子じゃなかったので関わりは薄かった。ちょっと痛いなーと思いながら特別気にしてもなかった。
ある日塾の先生がみんなの前で「女が俺と言うのはおかしい」と言った。
それを聞いた私はなんだかモヤモヤしてうーんと思ったのを覚えてる。
女だから、男だから、こうするべきという型に嵌った考え方を強要されたことが古く感じたのかもしれない。
当事者からしたら(無自覚ながら)自分が女であることの反発というか、思春期で身体が女性になっていくことを受け入れたくないとか、そういう複雑な心理があったのだと思う。
だからそういうものを頭から全部否定してしまうような先生の発言はショックだった。
なんでこの人はこんなことを言うのだろう?と思った。
俺女、というものは社会に出る上で矯正されてしまうケースが殆どだと思う。
それでも別にわざわざ周囲がおかしいと指摘したりアイデンティティを傷つけたりしなくてもいいはずなのに。
男だろうが女だろうがそれ以外だろうが
俺には親友がいる。中学生当時SNSで知り合い、厨二病真っ盛りなハンドルネームを呼び、それがいつの間にかお互い落ち着いた名前になって、本名で呼びあうようになり、結局10年の付き合いになった。
住んでいた場所は近くなく、共通の趣味のイベントの際に会っては安い飲み屋でだらだらと喋り、酒の飲める俺と、全く飲めない友人で、何故か友人のほうがテンション高く盛り上がって10本以上の煙草を吸い、煙草を全くやらない俺は煙に咳をしながら笑ったり、なんだりした。
喧嘩をしたこともないわけではない。でもいつも俺が先に折れて謝って、二人で海を見ながらこれからも仲良くやってこうなだとか臭い台詞を言ったりもした。友人が落ち込んでいたら真剣に話を聞いたし、友人の喜ばしい話は本人以上に俺も喜んだ。まさに「気の置けない友人」で、こいつ以上に波長の合う人間も、こいつ以上になんでも話せる相手も、もう出会えないと思った。なんなら自分の彼女よりよほど気が合った。
数週間前、その親友から某メッセージアプリで朝早く不在着信が来ていた。仕事の都合上、朝に起きていることなど滅多にない相手だから何があったのかと思い、30分ほど経っていたが「今なら出られるけど何かあった?」と返す。数分して相手からの着信があり「ごめん寝てた。なんかあった?大丈夫か」といつも通り話した。けれど相手からはいつも通りの返事がなかった。はっきりと覚えていないけど「○○さんですか?こちら××警察署の△△です」みたいなことを言われた。その時点で俺はもう、察してしまった。親友がすでにこの世にいないのを。
親友はわりとハードな人生を送ってきた人だった。基本的にはやかましく、元気で、偉い人にはへこへこして、元気で、多くの知り合いからそう思われるタイプで、でも中身は本当に暗かった。だからいつかこいつは死んでしまうんじゃないか、と思っていた。「俺とお前が友達じゃなくなるとしたら、お前が俺にブチ切れるか、俺が死ぬかだな」と笑って言ったのもよくおぼえている。だから、親友のツイッターがどのアカウントも数日更新されていないのと、警察からの電話という二つの事実が重なって、俺は逆に冷静になってしまって、取り乱すこともなく1時間近い聴取を受けた。遺されたメモ書きに俺の名前が記されていたことを聞かされた。
これから仕事があることを伝えて、一度警察からの電話は切れた。切って、一度「□□が死んだのか」と声に出して、俺はやっと事実を飲み込んで、泣いた。職場に知人の不幸による休みの連絡を入れた。色々な感情が湧いて、それをとてつもなく大きな虚無感が覆っていて、耳が常に遠い。
警察から電話が来る数日前、親友本人からの電話を俺は受けていた。明らかに声に元気がなかったのも出てすぐに気づいたし、何かあったなら話は聞く、と言ったけれど本人は何も答えなかった。いつもなら短くても1時間以上は続く通話も、ほんの10分たらずで終わった。もうすぐ猫を飼おうと思っていること、名前と白い猫にすることだけは決めていること、来月俺と会うときに行く飯屋の話、好きなバンドのライブに行った話、今度は一緒に行きたいということ、そんな未来と良きことばかり話して、電話は切れた。今思うにあれは、助けてと言うつもりすらなく、別れの電話だったのかもしれない。あいつはそういう性格だからだ。
親友が死んだからといって忌引き休暇になるわけでもなく、SNSでの関係が主だったから親友の家族から通夜の連絡が来るわけでもなく、俺は翌日には仕事に出た。突然お休みをいただいてしまい申し訳ありませんでした、と謝って、なるべく忙しくなるように業務を探した。いつもなら引き受けないものも引き受けて、とにかく空白の時間を作らないようにした。メッセージアプリもツイッターもあまり見ないようにしていた。10年分の付き合いはあまりにも感情の作動するセンサーを各所に張り巡らしていて、油断するとすぐに友人の顔が浮かんできてただひたすらつらくなった。
俺はこれから、嬉しいことも、悲しいことも、親友とお互い好きだったコンテンツの新情報も、どこに言えばいいのかわからない。お互い好きだったコンテンツのイベントに今後も足を運べるかわからない。
薄情だと言われるかもしれないが「あのとき助けてやれなかった、俺の所為だ」という気持ちは湧いてこなかった。頑固で決めたら譲らない、意地っ張りで強気で弱いところを見せるくらいなら全部捨ててやる、とでもいった親友の性格を鑑みて、本当にその時点で決めていたのであればもう何もできなかったと思う。というか、そうであってくれ、と願ってしまうし、本人も「俺の所為だ」と俺が思うことを望んではいないと思う。そういうやつだからだ。
だけど俺は本当に、寂しい。あいつがいて当たり前にやってきたことを、もう二度と全てできない、と色んなことをしていていつも考える。今後の人生においても、ずっと思う。親友のいた未来を想像してしまう。つらいことが起きたとき、まず話して愚痴を言っていた相手がもういない。人生で初めて増田に書いてしまうくらい、俺のコミュニケーションの大部分が亡くなってしまった。それでもメシは食べなきゃ腹が減るし、仕事には行かなきゃいけないし、客相手には笑って返事をしなきゃいけない。生きることがせめてもの…だとかあいつの分まで…だとかいうつもりはないが、俺は生きなければいけない。
だけれど、親友には言っておきたい。お前が死んだら親友じゃなくなると言ったが、お前が死んでも親友だよ。それだけはあの世にも伝わってくれ。
絵が描けると言っても、絵描きとか絵師とか、そういうのを名乗るほどでもない。個人的に絵師って表現自体が好きじゃないが、それを差し引いても、だ。
と言うのも私はもともと文章を書く方が好きで、書いた話やキャラクターの補足として絵を描くようになった。たぶん割と物書きにも多いんじゃないだろうか。それでそこそこに描けたのでだらだらとこの歳まで描き続けてきたに過ぎない。
だから絵を描くことがめちゃくちゃ好きとか、私には他者に己の世界観を示すにはこれしかないとか、そういうわけではない。
そんな私は十代の頃からネットをやっていて、まあまあ若気の至りで痛々しい言動をやらかしてしまったりしたこともあった。今思えば恥ずかしいまでの厨二病だった。
そのあと、HNは単なる気まぐれで数回変えたが、自分がいたジャンルも使っていたHNも全部つまびらかにして今の今までやってきている。
去年に、以前いたジャンルにちょっと戻った。ジャンル、と言うと語弊があるのだけれど、詳しく言うと身バレして面倒なので省かせてほしい。
そのとき、全くの初対面(本当に会ったわけじゃなくネット上での初対面)で恐らく私よりずっと若いだろう人にやたらとキツくあたられた。私の書いたものに対して物凄く否定的なものをぶつけられた。古巣で「久しぶりだね」と再会したり一緒に古巣へ戻ったりした友人たちからも「あれはひどい」と言われた。私は単に「この人の地雷か何かを踏んだのかしら」程度に思っていた。まあそれでもそのあとしばらく恐怖を抱いて、同じジャンル内の人に自分から話を振るのは控えるようになったりはした。
そのあと、その人とTwitterで話をする機会があって、「思ってたよりずっとずっと優しくていい人だった、ごめんなさい」と謝られて(実際私は優しくも何ともないのだけれど)、「私も傷付いたけど、他の人には同じことを絶対にしちゃいけないよ」とだけ言い含めて、終わった。
完全な初対面だったはずだ。歳も恐らく離れていたし、私が以前このジャンルにいたとき、この人はいなかったはずだ。
そのあともおかしいなと思うことが何度か続いて、私はネット検索をかけた。
私が以前に陰湿なメッセージを個人に送り付けてジャンルから追い出しただの何だの。
挙句の果てには家族構成から今までの学歴、身体的特徴に対する嘘八百。
「これかー!!!」ってなりました。
すごくない?以前このジャンルにいたの10年前だよ?最初から数えたらもう20年近くだよ?意味分からなくない?
私は割とTwitterで私生活をだらだら明かしてしまうのだけど、どうもそれにめちゃくちゃな曲解を加えて悪意に満ち満ちた改変をしているらしくて、ここまで来ると逆に凄いな、なんだその執念は、という感じで。
私の私生活や経歴くらいは私の本名明かされてるわけでもないからどうでもいいし至って無傷なんだけれども、まあ、お察しの通り、絵が下手だとか絵柄がババアだとかも書かれているわけだ。
それから私は何気に絵を頑張って描いた。黙らせてやろうと思った。上手かったら、絵柄が今風だったら、こいつら悔しがってくれるんじゃないかなって思った。
でも違うわけですよ。仮に私の絵が上手くなろうが流行をとらえようが、何をしたってそいつらは悪く言うわけだ。
道行く人に道案内を頼まれてやったと言えば「いい人アピールw」と笑われるだろう。それと同じで、たとえば流行の絵柄になれたって「ババアが無理して流行追ってて痛々しい」とか言われるわけだ。
じゃあなんだろう、なんで私は頑張って絵の練習なんかしちゃってるんだろう。こいつらに笑われるために絵を上げたりしてるんだろうか。私が描いた、私が大好きなキャラもこいつらに笑われるんだろうか。私が描かなかったら笑われなかったんだろうか。
このジャンルからは出たあともそれは続いて、申し訳なくなって、別ジャンルの方ももう描かなくなった。
まあ今はちょっと持ち直したんだけれど、それでももう昔みたいなモチベーションはなくなってしまった。絵を描かないのが1ヶ月続くこともざらになってきた。
「自分のために描いてるからそれでいいの」と突っ撥ねる強さは私にはなかった。
「私の絵を好きだと言ってくれる人がいればそれでいいの」と笑える余裕もなかった。
いくら私に向けられていたからと言って、それを私が気にしなければいくら心無い言葉でも「ない」のと同じだったのに、それもできなかった。
もうなんかよくわかんねえなという気持ちで、でもたぶん、私自身が思ってたよりは多少なりとも絵を描くことが好きだったのか、未練がましくもペンタブを捨てられないでいる今日この頃です。
別に教訓とかない話でした。
全く共感できなくて笑った。
元増田は何かと理由付けてFate/stay nightが好きだと言ってるけどzeroもcccも楽しめてないしApocryphaなんて影も出てこないし、普通にFateを楽しめてないだけだと思う。
個人的にFateの好きなところを挙げるとすると、その設定の奥深さと、英霊や魔術師の厨二病をくすぐる華々しい生き様であって、どろどろとした人間性の部分ではない。
例えばstay nightなら初っ端からイレギュラー過ぎる聖杯戦争にビビるし、真名当てや名だたる英霊のラインナップに妄想が膨らむ。厨二病をくすぐるエミヤの存在は最高だし最も好きなシーンを挙げるとするとギルと対面して固有結界発動させるあたりだったりする。
hollowは聖杯戦争とアヴェンジャーという存在の解説として面白いし、extraは霊子虚構世界という奥行きを拡げた良作である。
Zeroは英霊の生き様が最高にクールだし、駆け引き要素が盛り込まれていて聖杯戦争の主役があくまでマスターであることを思い知らされる。ApocryphaやFakeのド派手だって歓迎だ。
その流れでGrand orderは控えめに言っても最高。どのFate作品よりも世界観は広く、カルデアやシバ、レイシフトといった設定は完成度が高い。ビーストとか、いやそれ無理だろといった絶望的な局面がどんどん上乗せされてくるし、それを乗り越えた時の爽快感は半端ない。これから始まる二章とか、バビロニアや時間神殿ほどでないにしても初っ端から絶望的過ぎるでしょ。どうすんのよこれ。
はあちゅうが炎上するのは、なぜか? それは、彼女の釈明を読めばわかる。彼女があえて炎上する発言をする理由は、ここに書いてある。
もちろん、「童貞」という言葉に拒否感を感じる人もいるので、それ自体は受け止めますが、差別用語で、話題にするのが一切NGとは思えません。そういうものも全部ダメだったら、ブスとか美人とか貧乳とか巨乳とか、人の容姿に関わることやコンプレックスに関わることは、すべて話しちゃいけないことになります。
私はフラットに話せることは健全だと思います。下ネタが全部なくなって欲しくはない。
( http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/25/ha-chu-metoo_a_23316425/ )
批判者は別に、「下ネタがいけない」とは言っていない。また、「ブスとか美人とか貧乳とか巨乳とか、人の容姿に関わることやコンプレックスに関わることは、すべて話しちゃいけない」とも言っていない。酒を飲みながらクダを巻いて、仲間内で放言することぐらいは、よくあることだし、いちいちめくじらを立てるほどのこともあるまい。
問題は、「私的に内輪話をすること」ではなく、「ネット上という公の場で広く公言することだ」。それが問題となっている。
比喩的に言えば、仲間しかいない室内で裸踊りしても構わないが、公衆のいる屋外で裸踊りをしては駄目だということだ。
これと似たことは、 twitter ではしばしば起こる。仲間内を対象にと思って本音を漏らしたら、それが公衆の目に触れて大炎上する。そういうことは、しばしばある。
要するに、 twitter を私的な発言の場だと思っている人もいるが、現実には twitter は公衆の目に触れるので、その勘違いゆえに炎上することがある、ということだ。ネット・リテラシーの低い人は、こういう勘違いをして、炎上騒動を巻き起こす。
はあちゅうもまた同様だ。 twitter を私的な発言の場だと思っているので、下ネタを語ってもいいと思っている。しかし twitter は私的な発言の場ではないのだ。下ネタを語ってもいけないし、肉体的な差別発言を語ってもいけない。(特に、フォロワーがたくさんいるような人では、なおさらそうだ。)
はあちゅうの炎上騒動は、結局、「ネット・リテラシーの低い中学生と同様の精神性を持っていたこと」に尽きる。彼女の発言が特別に悪質だというわけではない。彼女と同じようなことを思っている女性はいっぱいいる。女性は聖女ばかりではないし、魔女みたいな人もいっぱいいる。ただし、たいていの女性は、公の場ではそんな発言はしない。しかるに、はあちゅうだけは、公の場で下品な言葉を吐く。それは、彼女が特別に悪質だからではなく、彼女が特別に幼稚だからだ。精神が邪悪だからではなく、精神が特別に幼稚なのだ。(厨二病なのだ。)
類似性でいうなら、彼女はアニメの悪役になるような悪女ではない。むしろ、食堂で鼻にソースを突っ込んだ写真を twitter で公開した高校生みたいなものだ。これに類似した馬鹿はたくさんいる。
→ [炎上]ツィッターで炎上騒ぎになった人々の悲惨な末路まとめ
はあちゅうは、こういう幼稚なガキと同様なのだ。話題になればいいと思って、わざとバカげたことをやっているわけなのだが、その善悪の判断ができない。精神性があまりにも幼稚なのだ。
16日に鑑賞してからモヤモヤが止まらないから整理するために感想を書いてみる。
・冒頭のXウィングがゴリゴリ動くところ
なんでYウィングでなくて、動く棺桶爆撃機なのは謎だけどポーとXウィングが格好良かったからいいや
・カイロレン
ラスボスとして見ると正直役不足感あるけど、キャラが立ってて良かったと思う。
・BB-8の可愛さ
・ルークがR2-D2、レイア、C-3POといった旧キャラと再会するところ
特にR2-D2がレイアのホログラムを見せるシーンは特に良かった!
・初めて戦うところが見れたインペリアルガード
皇帝の横に立つのが仕事なのかと思ってたけど、謎武器でちゃんと仕事してた。
・上映時間が長い
今回は派手なシーン(宇宙戦闘だったりライトセーバーバトル)が少ない割に上映時間長すぎる。
・レイが強すぎる
強さに説得力がない。最強のアナキンですら若い時代は負けたりしてたし、ルークもヨーダとの修行でフォースを扱えるようになったのに修行もしてないのに強すぎ。
・アクバー提督の雑な扱い
キャラを扱えないから処理しました、って感じで殺されて最悪だった。
しかも代わりに出てくる新キャラが部下に作戦伝えずに反乱起こされる無能
なんか無理やり女性キャラねじ込まれたみたいで不自然さがすごかった。
EP6で父親を信じて皇帝の前でライトセーバーを投げ捨てたルークと、ビビって甥を殺そうとするルークが私の中では消化できなかった。
あれいる?
・スノークの扱い
この辺はEP9でやってくれると期待していいのかな?
シーン単位でみるといいのはあったけど1つの映画として見るとつまらなかったというのが私の感想です。
書いた文章見直すと(小学生並の感想)って感じになっちゃった。
id:kazoo_keeper「レイの出生の秘密とは?スノークとは何者なのか?ジェダイはなぜ滅びなくてはならないのか?という2年間楽しみにしてた謎があっさり処理されて、平凡な整備士の平凡な冒険が映画の半分を占める構成はないわー」
あとは個人的な願望をいうと緑のライトセーバーで戦うルークが見たかったです。幻ではなく
P.S
ランド・カルリジアンは何処行ったの?
こう言ういい加減な解釈を見てしまったのでイラッとした。なので書いとく
ユニゾン「fake town baby」の歌詞の意味は?解釈と考察!
「溢れんばかりの厨二病ワードが飛び交うこの作品がどうにも肌に合わない僕は、このアニメの視聴を諦めてしまった。」
つーことでやってみた。
かつてニューヨークと言われた街は、異界と人界とが交差して一晩で変わり果て、これにより異界ならではの超常日常・超常犯罪が飛び交う「地球上で最も剣呑な緊張地帯」となった街、「ヘルサレムズ・ロット」が構築される。この街は深い霧と超常現象により外界と隔離されているとはいえ、一歩間違えば人界は不可逆の混沌に飲み込まれてしまう。
そんな中、この街のいつ破れるとも知れぬ均衡を守るために秘密裏に活動する者たちがいた。クラウス・V・ラインヘルツ率いる「秘密結社ライブラ」である。彼らはさまざまな能力を駆使し、「血界の眷属(ブラッドブリード)」を筆頭とする異界の住人と日夜戦っていた。
半年前の事件で異界のものに遭遇し、妹が自ら差し出した彼女の視力によって救われた少年、レオナルド・ウォッチ。妹を救うすべを求めてヘルサレムズ・ロットを再訪した彼は、「ライブラ」の新人と間違われたことをきっかけとして、魔神による無差別襲撃事件に巻き込まれる。異界のものから与えられた「神々の義眼」の力で事件を解決し、正式に「ライブラ」の一員に迎えられた彼は、クラウスらとともに様々な事件(あるいは異界ならではの日常)へと挑んでいくのだった。
I’m sane, but it’s trick or treat?
I’m right, but it’s truth certainly.
Well then “awesome!” welcome to tragedy.
Fake town, Fake town, baby?
直訳すると「おいらは正気だが、そりゃまるで「トリックオアトリート」だ。おいらは正しい、でもそれは確かに真実だ。"まあすげえんだよ" 悲劇へようこそ。ここはフェイクタウンだぜフェイクタウン、ベイベー?」
つまりこれはレオナルドの視点から見た「ヘルサレムズ・ロット」の描写でこの街を訪れた第三者(おそらく視聴者)に向けて話している「ようこそ、この街に来るなんてマジ悲劇だねぇ、『マジすげぇよ』ここは。だって毎日ハロウィーン(悪霊と人間が同じ世界にいる様子)だぜ、気ぃ狂ったと思うっしょ。こっちはマジで正気。だってここは『ヘルサレムズ・ロット』なんだぜ。」
(1番)
情に伏すなんて到底無駄
束の間の安堵は当面邪魔
Hello me, Hello you, 「待った」は効かない
Fake town, Fake town
せっかく勝てる準備してたのに 残念だな 騒々しくて
(2番)
Hello me, Hello you, time to Rock ‘n’ Roll
Fake town, Fake town
前途多難なぐらいがおあつらえだね
始まるぞ 揺さぶられたら
レオナルドは強力な特殊能力持ちだが、いかんせん戦闘に向かない。ヘルサレムズ・ロットでは否応なくラブルに巻きこまれる。
「ヘルサレムズ・ロット」では予想以上に外界の常識が通じないので、外界で有効だった成功法が通じない。だから、これまでの経験値からはどうすればいいか計算が立たない。
という旨をレオナルドから第三者に説明しているというのが「血界戦線」のOPとしてのこの歌詞の内容(以下「」内はレオナルドによる「ヘルサレムズ・ロット」説明)
(1番)
ここは誰の現在地だ?
「嫌いなもんは嫌い うるせえ 黙れ」
それじゃ 多分とうに立ち行かない
ぐだぐだ言ってるだけじゃ 見向きされないのが この街のルール
またとない このcall or dropに乗るだけ
悪鬼羅刹さえも手を叩く さあ喝采万来、お待たせ
(2番)
期待斜め45度
前提享受して 走れ 進め
それで もしも叶っちゃうのならば
「外界の常識が通じないので、神頼みも通じない(神クラスの魔物結構住んでる)。もうわけがわからない。外界じゃ多少腕に自身があってツッパったところで立ち向かえるほど甘く無い上に、立ち止まってる暇すら与えてくれない。」
「眼前の出来事に対して「伸るか反るか」を決めてかないといけない。その厳しさは悪鬼羅刹が喜んじゃうくらい。とにかく頑張れ、うまくいくかどうかは君次第だから。」
どこまでが本当で どこからが嘘なのか
愛してる この街を 愛してる それでも
ああ 生きるsession もう当分は 飽きる気配がない
「こんな街なんで何がホントもう確かめるのも馬鹿らしいくらいなんだけど、この街が大好き。ほんと生きるだけで精一杯なんだけど、飽きないよねぇ。」
「嫌いなもんは嫌い うるせえ 黙れ」
それじゃ 多分 ぶっ飛ばされちゃうぜ
苦言雑言言ってるだけじゃ 見向きさえされないから
生命session 全部巻き込んで 楽しむのが この街のルール
ああ またとない このcall or dropに乗るだけ
もう驚天動地 バカ騒ぎ 後悔するぐらいで just just
ああ またとない このcall or dropに乗るだけ
悪鬼羅刹さえも手を叩く さあ喝采万来、お待たせ
「つーことこう言うルールの街なんで、全ては君次第。まあ頑張れ。」
さあ勝算万全、お待たせ
「てな訳で説明終わり、さあ行こっか」
文章の長さをなるべく短くさせることで意思の疎通を容易にする試み、または運動のこと。
根底にはTwitterの140文字制限があるとされる。(短い文章で伝える必要があるため。また全員が承前ツイートを読むとは限らない)
また、ニコニコ動画のコメント欄にも原因があるとも言われる。(一行で書き込む必要があるため長文が書きにくい、かつ長いコメントは高速で流れるため可読性に乏しい)
例: 長文に対する他者の反応として
a) 長い3行で
かつて別の意味で用いられていた言葉(単語)を、文字と表音を保ちながらも、また別の意味を与えること。
単語という「肉体」に、新たな意味としての「魂」を吹き込むこととも理解される。
乗っ取りを計画する集団は、単語に新たな意味を浸透させるための努力が必要だが、新しい単語を創り出すよりも、既存の単語の知名度にタダ乗り(寄生)できる分だけコストを削減できるとされる。
なお寄生先の宿主の単語が、未だに現役で「働いている」間は乗っ取りが成功しない。
例: 壁ドン
もとの意味→薄壁の集合住宅で隣室の騒音が漏れているとき、自室と隣室の間の壁を叩くことで自分の不快感を示す行為。
新たな意味→主に男性が、壁に背を向けて立っている女性の顔面の近くの壁に手のひらを叩きつけて、迫る行為。
かつてある単語に与えられていた意味を、また別の単語に与えること。
REUSEとは逆に、「魂」を別の「肉体」へと吹き込むことでもある。(必ずしも前の「肉体」から「魂」が抜けている必要はない)
自然発生することが多い。
例: イキリオタク
簡潔に言えば、図に乗っている、オタク(オタクの定義はここでは行わない)であることを自慢する者の総称だが、「現実の自分に抱く劣等感を払拭するために背伸びをする」という意味として中二病に酷似している。
(「邪気眼」に代表される、いわゆる「厨二病」とは異なる。ここでは「昨日寝てない」などの中二病的自慢への類似点を指摘している)
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痛い恰好、痛い言動、痛い行動、痛い仕草。俗に痛々しいと言われる類のものは大抵年齢に伴って痛い判別されているんじゃなかろうかと思ってしまう。
もちろん犯罪行為や法に触れてしまう行動はその限りではない。殺人はいくつの人間がやっても許されない。
小さい子供が所謂ロリータと呼ばれる服を着ていたり、ぬいぐるみを抱きながら外出することは、ままあってもおかしくはない。
ホスト崩れの全身黒に包まれた格好や、眼帯やチェーンなどの装飾品は厨二病という言葉で済むものもある。
公共の場で彼氏彼女に甘える姿、キスする姿。駄々をこねる、漫画のようなふくれっ面の仕草。大抵若いカップルにはあってもおかしくない。
このすべてを40過ぎたおばさん、50を超えたおっさんがやっているとなると話は全然違う、と思わないか?
ぬいぐるみを抱く姿が世間的に許されているのは小さな子供までなのではないかと、30超えたように見える女性がウサギのぬいぐるみを旦那か彼に押し付けながらイチャつく姿を見て思っていた。
バレーボール部だった中学時代、私は初心者でヒーヒー言いながら練習していたけど、あとから入ってきた後輩があろうことか全員小学生時代からやっていた経験者で、あっという間に、というかとっくに実力で抜かされていた。屈辱感はなかった。結局私は最上級生になっても玉拾いに勤しんでいたのだった。
玉拾いだからもちろんレギュラーメンバーになることはなく、練習試合でもウォーミングアップ以外は参加させてもらえなかった。ずっと立って見学をしているだけだった。また、審判をやるときも主審と副審は経験不足のため仕事を与えられず、永遠にラインズマンだった。練習試合中にすることといえば、ラインズマンか得点付けか見学くらいのものだった。見学するときは顧問の横に一列に並んで立ったままだが、私はいつも友達とたわいもないおしゃべりをして叱られていた。叱られてもしゃべっていた。たまに「ナイスキー」とか言うくらいで、それ以外にすることがなかった。
練習中の唯一の楽しみが、仲のいい友人や後輩とのおしゃべりだった。ほとんどがくだらないテレビやゲームの話だったが、たった一人不思議な後輩がいた。仮に杉浦としよう。杉浦は私とよく話をしていた。知識が豊富でどこか達観していた奴だった。今思えばただのRADWIMPS好きの厨二病なのだが。杉浦は私を「先輩」と呼ぶ以外には、私にだけ敬語を使わなかった。どこか私を下に見ていたようだった。ちなみにバレーボールに関しては奴も例に漏れず経験者で、私より実力は上であった。そのためか、私に対して啓蒙的な口調で話しかけていた。しかし、その話が私はとても好きだった。
私はとにかく練習が嫌いだった。毎日の部活動が憂鬱だった。たった1時間や2時間がとても厭だった。動きたくもなかった。準備運動をしてサーブ練習だかレシーブ練習だかやって、そのあとは玉拾いする毎日だった。とても退屈だった。今思えば大した運動もしていないが、それでもつらかった。ある時杉浦は私に言った。「君は一つの視点から物事を捉えすぎているんだ。もっと客観的に、多角的に物事を見られるようになれ。」正確には思い出せないが、その言葉を私は忘れることができない。なぜなら、それが私が体感した「啓蒙」の瞬間だったからだ。あの言葉にハッとさせられたのだ。
またある時言われた。「『万物の集約に返り咲きしは王の影』この言葉の意味がわかるかい?」私は練習中にぼーっと考えていた。考えども考えども答えは出なかった。それを見かねて杉浦は答えを私に教えてくれた。しかし私はその答えを覚えていない。その答えを理解することができなかったからだろう。「何かを忘れたとき いつも君がそばにいたけど 今回ばかりはそうじゃない これってまだ忘れてないってことなのかな 今、僕が覚えている全てのことと 僕と君にまつわる全てのこととの差は ゼロにはならないのかな」これもアイツが言ったことだが、これが自作なのか、引用なのかがわからない……
「生きていくことが罪になるなら、死んでいくことが罰になる。死んでいくことが罪になるなら、生きていくことが罰になる。さて、僕の罪名と刑法はどうなることやら。」これも。出典がどこなのかわからない。
まあそういう後輩がいて、今でも私の心に残っているということだ。ちょうど中2という多感な時期の出来事であったから、印象が強いのだろう。今どこで何をしているのかが気になるな。会って話でもしてみたい。
さて、中学時代の部活に話を戻そう。後輩よりも下手で要領の悪い私でも、一度だけ本番の試合に出させてもらったことがあった。それは、私のところに比べてとても弱いチームだったので、私のような2軍補欠を出させても勝てると監督が考えたのだった。
それは中3の夏、要するに最後の夏で、監督は記念のために私をコートに立たせてくれたのだ。試合の途中で交代して、サーブを数本打って、それで終わった。私が中学3年間嫌々バレーボールをやってきたすべてが、それだけだった。それを考えると、私が必死に耐えてきた3年間ってなんだったんだろうな。
数ある運動部の中でもなぜ私がバレーボール部を選んだかって、ただ仲の良かった友達が1人そこに行ったから。私はホイホイついていっただけ。あと、なんとなくラクそうだと思っていた。それだけだ。まあ中学卒業後にその友達はウェイになって地元のヤンキーとつるむようになったのだが。私と正反対で。
安易な気持ちで部活を選んでしまって、とても後悔した。実は、私は小1からずっといじめられていて、そんな私が中学の運動部に行くもんだからいじめの標的になるのは当然だった。いじめを受けて部活をやめようとは思ったことはあったが、踏ん切りがつかずそのままズルズルと最後まで続けてしまった。なんの成果も残せずに部活を引退した私を、両親は「部活は続けることに意義がある」と慰めてくれた。それはうれしかった。自分でもよく耐えたなと思う。私の我慢強さってここにも表れているのかもしれない。ただ、それ以上のものは得られなかった。
率直言うと面白くなかったです。
・第一話冒頭、索敵のシーンから「キツイ…」と思ってしまいました。
魔法陣?やら「レディ…」というセリフやら発想が厨二病すぎます。
・爆竹の意味が良くわかりませんでした。敵の注意を引くためだったのかもですが、既に敵は十分に警戒しているように見えます。
・なので、爆竹全カットでミユキの覚醒シーンにページを割くべきだと思いました。
・その後のミユキの格闘シーンですが、動きも迫力も感じられませんでした。
・でもバックドロップは良かったです。
・せめて「躱す」というシーンがあればよかったと思いました。それ自体がカッコいいし、攻撃してくることで敵がその役目を果たします。
…といった具合に魅せ場が盛りだくさんであるはずの一話で、
既に自分には辛かったので2話以降読む気が起きなかったのが正直なところです(でも読みました)
2話以降、というか全体を通して
・世界観が良くわかりませんでした。イキナリ高層ビルが出てくるような世界観ではなかったのが自分の印象です。
今年の4月に京都へ転勤してきた。
いけずの人ばかりと身構えていたわりに、みなさん親切で優しい。
ところで先週のはじめ、サイバーメガネみたいなメガネをかけている女性が
社内を歩いていることに気がついて、びっくりした。
年齢はメガネのせいでよくわからないけど30歳ぐらいだろうか。
残念ながら、ここは日本の中小企業、しかもnot IT企業だ。
スーツ着用というのは決まっている。
しかし、よくよく考えてみればメガネコードなるものはないので、
セーフといえば、セーフなのかもしれない。
というか、あのメガネに普通のスーツを着ていることがむしろ気になった。
その日、同僚を担々麺を食べに誘い、サイバーメガネ女子について聞いてみたら、
すぐに誰かわかってくれた。
「あぁ、増田子さんのことだね。え、初めてみたの?むしろそのほうが驚きやねんけど。」
「まぁ、彼女のことは表で話にしないように。それだけは忠告しておくわ。」
わたしが部署とか、入社何年とか、京都勤務の人?などど細かく聞き出したので、同僚も鬱陶しくなったのか、
すぱっっと話を切られて、担々麺を黙々とすすりだしたので、これ以上は聞き出せなくなった。