はてなキーワード: 博士とは
中卒にはまともな雇い口が用意されてないっていうのがむしろ真正面の意味で「学歴」フィルターだよね??
何々大卒とかいう大学名で区別されるような学歴はないのに対して、中卒、高卒、大卒、修士、博士、というのはまぎれもない学歴なんだからな
んで中卒という時点で採用条件から除外するってまさにフィルターだよね
ある研究室が博士課程入学希望者の受け入れに年齢制限をかけていることがX(旧Twitter)上で話題になっている。賛否両論あるが、ここではタイトルの通り「研究室が博士進学希望者と適切にマッチングするにはどうすればよいか」について考察する。
PIになるためには他のPI候補者に勝る業績が必要である(注1)。業績とは、具体的には論文であり、論文の数と質が共に重要で、それらが多く、また高いほど競争で有利になる。
当然のことながら、論文を発表するには研究をする必要があり、研究をするには資源(ヒト・モノ・カネ・情報)が必要である。ひとたび論文を発表できれば、その論文を元本にさらなる研究費を調達でき、研究に必要なヒト・モノを揃えることができる。また他の研究機関との共同研究を通じて情報を得、さらに質の高い研究を行いやすくもなる。すなわち過去の業績は複利的に作用し、今後の業績にも影響を与える。
これは資本主義の挙動に似ており、業績を複利的に増やしたい場合は投資期間を長くできた方が有利である。すなわち、若年のうちからアカデミア業界に身を置いて、早期に論文を発表できたほうがPIになるには有利である。
年齢制限を設ける理由について、その研究室のWebサイト上に詳しく記載されているが、まとめると以下4点に集約される。
1.過去の経験で、高齢の志望者に本気でPIを目指そうとする気概が感じられなかったから
4.最短で博士号を取得できる年齢(27-8才)から遠ざかるほど、今後のPIとしてのキャリア形成に不利だから
1.についてはあくまで経験論であり、一般化には議論の余地がある(注2)。
しかし2-4については第一章で述べたことも含めて、若年の方が有利であることは一般論としてある程度許容できる。こうしたアカデミア業界の背景から、研究室が受け入れ学生の年齢制限を設けることには一定の合理性が認められる。
大企業であれば、仮に採用者が企業側の求める能力とミスマッチしていることが入社後に判明しても、採用者の配置を転換したり、自社の研修プログラムを通じて長期的に教育を施すことはできる。一方で規模の小さい中小企業やベンチャー企業はそうした余力が大企業ほどはない。研究室の所属人数も多くて数十人程度の小規模組織であり、かつ毎年のように研究費の調達や論文発表が求められる。そのため教育やマネジメントにはあまり余力がなく、学生の受け入れに関しては受け入れ時点でいかにミスマッチを防ぐかがポイントとなる。
しかし非研究職の就職をしてから博士課程に進学を志望する者と研究室のマッチングは難しい。彼・彼女らは研究歴がないため、アカデミア業界の文化や、PIになるためのキャリアパスへの知識が乏しい。そのため行き当たりばったりな研究室選択になるリスクが、ストレートに博士課程に進学した者よりも高い(注3)。また研究室側も、研究歴のない候補者の受け入れはそもそもリスクが高いし、候補者は全国各地の、様々なバックグラウンドの人であるため自分の研究室を広告するにもターゲットが絞りにくい。またアカデミア業界内の知人を介した採用も難しい(注4)。そこでマッチングの成功率を上げるためにも、年齢制限を設けることは有効なように思えてしまう。
PIになるには博士号を所持していることがほぼ必須条件であることから、アカデミア業界では博士号を研究者になるための免許ととらえる文脈がある。かつ博士号は基本的に大学院でのみ取得できることから、大学院がPI養成所としての役割を一部担っている構造もある。そうであれば、大学院がPIの素養の高い候補者を選抜することは自然なことのように思われる。
しかしながら、大学院は本来学問を行う場であり、学問は自由に開かれるべきである。仮に若年であることがPIの素養の高さに繋がるとしても、それを理由に年齢制限を設けることには議論の余地がある(注5)。
タイトルに戻る。第一章・第二章では研究室側の都合を、第三章では博士課程進学希望者の置かれている環境と、マッチングすることの難しさを述べた。この現状でマッチングするには、研究室が年齢制限という方法を、Webサイト上で告知せざるを得ないことはある程度理解できる。そこで議論すべき点は第四章で指摘した。
ではどうすればよいのか。残念ながら明確な答えは導出できなかったが、いくつかの考えを列挙する。研究室側はもう少しマイルドな表現を心がける(注6)。候補者の面談から受け入れまでのプロセスを最適化させる(注7)。候補者を研究員として採用し、雇用契約を結んだうえで給与を支払う(注8)。候補者側は、なるべく事前にアカデミア業界に触れておく(注9)。また両者のマッチングを支援する第三者機関の設立も望まれる(注10)。これらの解決策は、少なくとも部分的には、研究室と博士課程進学希望者のマッチングに貢献するかもしれない。
研究室と博士課程進学希望者のミスマッチ問題は根深く、今回インターネットやSNSによって表面化したものと思われる。同様の経験をもつ者としては、この問題の解決を願ってやまない。
(注1)
業績以外にも本人の将来性や同業者からの評判も採用に影響するが、ここでは割愛する。将来性や同業者からの評判についても若年の方が有利であることはほぼ自明である。
(注2)
例えば高齢の方が職歴があるため、「本気で(ここでの本気というのは長時間研究するだけでなく、他のキャリアの選択肢を捨てた状態も指すと思われる)」研究に取り組まず、研究が失敗すれば前職に復帰するという選択を取れることがネガティブな印象を与えている可能性はある。
一方で博士課程にストレートで進学する学生の数は減ってきている。彼・彼女ら若年者は、博士課程進学と、就職を天秤にかけて就職した可能性もあり、必ずしも高齢であることだけが本気でPIを目指さなくなる原因ではない。また、そもそも博士課程はPIを養成することだけが目的なのかについても議論が必要である。
(注3)
Podcast「いんよう!」でも指摘されている通り、医者はそれ以外の理系学生に比べて、研究に関する知識が乏しいまま研究室や研究内容を選ぶ傾向が強い。それ以外の理系学生は、学部の卒業研究や修士を通じて研究業界のノウハウやキャリアパスを学ぶようであるが、医者は卒業研究もなければ修士もないため学ぶ機会に乏しい。
(注4)
例えば同じ大学の学部生や修士であれば、あらかじめ彼・彼女らを卒業研究や修士で受け入れて、研究活動を共に行うことで博士受け入れ前の摺り合わせが可能である。また候補者も卒業研究や修士で活動していれば、自分に合った研究室の情報が周囲から入ってきやすい。医者(あるいは非研究職)として働いている限りは、そうした情報は入ってこない。
またポスドクや助教以上の採用であれば前所属の教授から推薦書や意見をもらえるが、医者(あるいは非研究職)は業界が異なるため前所属からの推薦書や意見は少なくとも同業者のものよりは効用が乏しい。
(注5)
同様の問題は、医学部入試の女性・浪人生差別が記憶に新しい。医学部は医者を養成する場である一方で、医学を修める場でもある。当時は若年男性の方が医者としての素養が高いと考えられていたため、女性や浪人生の点数を不当に下げていた。秘密裡に点数を操作していたことに加え、学問の自由という観点でも批判が集まった。
(注6)
研究者の研究以外の発言が話題になることは、国内外でしばしば観測される。
(注7)
組織における採用については、Podcast「経営中毒~だれにも言えない社長の孤独~」に詳しい。
(注8)
給与を支払う一般企業やポスドク以上の採用においては、採用にあたって年齢制限を設けることは比較的受け入れられている。また大学においても、特殊事例ではあるが防衛医大は大学でありながら学生に給与を支払うシステムであり、応募資格に年齢制限を設けている。
(注9)
医学部には卒業研究がないが、自主的に研究室に通うことは可能である。またいくつかの医学部は学生を研究室に一定期間配属する実習をカリキュラムに組み込んでいる。
(注10)
一般企業であれば転職支援サイトやリクルーターが仲介してくれて、候補者と採用側のミスマッチのリスクを下げることができる。大学院進学において同様のサービスは存在しない。
「国家や社会の存続ガー」とか「お前の年金や介護ガー」とか、いちいち押し付けがましい輩だ
だってそんな利他的な動機でガキこさえる女なんか今時いねえわけじゃん
まして介護士なんかにならなくて済むように、あるいはこんな国にしがみついてたらそのうち破滅だからって、せっせとガキに教育仕込んでるわけでしょ
それで言ったら無償化やら補助やらで文系博士がいくら増えたって意味ないし、とっとと社会に出てもらった方がいいぐらいだ
俺は医師会や旅行業界みたいに、子持ちが子持ちのエゴ丸出しでいったい何が悪いんだとは思うが
語られる教訓はアイドルに限らず、普遍的な、いまの自分と未来の自分をどう捉えるかという内容である。
プリンセスプリキュアの「プリンセス」があえて曖昧な概念で、子どもが持つそれぞれの夢や目標と重ねやすいようにしているのと同じだと考えるとわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
ともかく、アイカツ!にどういう教えがあるかというと、
未来の自分が振り返ったときに、自慢できるような過去の自分でいよう。だから、今を精一杯生きよう。
この一貫性が見事で、初期EDのカレンダーガールの歌詞から、10年後を描いた劇場版まで全くブレない。
それがぶっ刺さってしまって、人生が大きく変わった。きっとそういう人は他にもいると思う。
卒業も決まり、暇になって夕方テレビをつけるとアイカツ!というアニメがやっていた。
第121話「未来に約束!」だった。ちなみに、アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い。
留学生が帰るタイミングの話のようだった。自分から見る自分と他人から見る自分の折り合いをつけるような話だった。
1話見た瞬間ピンと来た。これはすごいアニメなんじゃないかと。人生で最も正しい判断であった。
はてなー一同ご存知の通り、ほとんどなにもしないのと同義のような仕事をしていた。
もちろん定時で帰れていたので、1話からアイカツを追いかけた。
仕事にも慣れてきたころ、125話に到達した。(アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い)
125話は初代主人公のいちごから、2代目主人公のあかりに、話のバトンを完全に渡すという話だった。
そして、ライブパートでの、Good morning my dream。。。
(簡単に説明すると、私がもっている大切な「夢」、私のことを選んでくれてありがとう。きっと叶えるからね。という歌)
そしてそして、OPがLovely Party Collectionに変わった。
(簡単に説明すると、今日の自分にリボンをかけて(未来の自分にとっての)宝物にしよう。という歌)
これが決定打となった。
あの時の自分、あの時の毎日、振り返ったら宝物にできるだろうか。
できないと思った。
こうして会社をやめて、違う道に進むことにした。
具体的には、博士課程に進学した。
3代目主人公も登場し、トークショーなどイベントも盛り上がり、まだまだアイカツ!は終わらない。
そう思っていたら、翌年突然アイカツ!は終わった。
しかし、アイカツ!を全話視聴した者にとっては、この別れが新たな始まりであると立ち直ることができる。
アイカツ!がなくても、アイカツ!を好きになった自分が、アイカツ!のことを考える自分がある限り、その自分を拠り所にして立つことができるのである。
仏教でいう自灯明法灯明の教えだと思えばわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
こうして、アイカツ!のない期間も、未来の自分に恥じないように毎日をがんばって過ごしてきた。
アイカツ!の展開としては、新シリーズの次のシリーズの次のシリーズまでやったあと、
アイカツオンパレードという、まあPIXARの映画のEDで流れるNG集みたいな感じのファンサービスがあった。
ただ、アイカツ!の本質というべき思想はどれにもなかったかな。
アイカツ10周年ということで、突然完全新作の劇場版が製作された。
それも、同窓会的映画ではなく、完全にTV版が終わった直後からそのまま続くストーリーである。
しかも、新シリーズを経るごとに変わっていったキャラクターデザインや3DCGのクセもガラッと戻し、
「あのときからのアイカツの10年」を完全に捉えた映画であった。
アバンでのいちごの「ただいま!」から始まり、終盤での観客への語りかけ。
「アイカツがなくても、アイカツを好きな自分を信じて」と考えていたのが、自分の暴走的妄想ではなかったと、今までの期間のがんばりが正しかったんだと認められたようで、本当に嬉しかった。
これからまたアイカツ!のない世界が続いても、振り返れば、がんばってきた過去の自分がいるじゃないかと、送り出されるような映画だった。
こうして、突然打ち切りにあったようなTVシリーズも7年越しに卒業式を迎えることができ、我々もアイカツ!から卒業したのである。
アイカツ!で進んだ博士課程、そこから続くアカデミアの道。(簡単に言うと、ポスドクから大学教授まで進むルート)
あるいは、企業に進むAcadexitの道。(Brexitのようにアカデミー+EXITを組み合わせた造語)
アイカツ!がなかったら今の自分はなかっただろうなと本気で思う。
自分が風俗に求めていたのは、「オタクに優しいギャル」なんだなあと思った。
世間的には馬鹿にされる、「青春取り戻したいオジサン」ってやつかなあ。
現在は風俗とは縁遠いド田舎で祖母の介護しながら、自営業の両親の会社の役員という名のニートになっている。
自分は、東大に博士までいたので、約10年東京にいた。30歳くらいまで居たのは、留年とかしまくったから。
そんで、大学学部時代(18-26の8年間)は兎に角オタクで二次元ばかり見ていた。
しかし、23歳の時、「それまで一度もオナニーで射精したことない(夢精のみ)」というのにビビった。
というのも、どこかに泊まった時や実家に帰った時に、夢精したらどうしようというのが怖すぎたから。
それで、ヤバいと思って、TENGAを買ったら、あっさり射精できた。
しばらくはTENGAで1日10回くらいオナニーしまくっていた、1日の大半をオナニーしていたこともある。
しかし、「はてな匿名ダイアリー」に出会ってしまった。
そこでは、童貞が風俗で美少女を抱いて、「俺はそこらの、街にいる程度の女の最高レベルでもかなわない美女を抱いたんだ」と豪語して自信を取り戻す様子が描かれていた。
リアル女性に興味を持つために、AVから入って、風俗にも行き始めた。
初めての風俗は散々だった。
そもそも、相手はおそらく40前後のおばさん、小綺麗にしてたけど。
童貞特有のビビりまくりで、風俗嬢から「私のこと汚いと思ってるんだろ!」と怒鳴られてエッチはなし。
しかし、めげずに、風俗行き始めてからは、週3くらいで風俗行きまくった。
ソープは、高級ソープも10回くらいは行ったけど、いわばキャバクラの女性をやる程度の感覚で、そんなに美少女は出てこない。乃木坂なんて入れないような30歳くらいのおばさんの必死の整形版が出てくるだけ。何が悲しくて、整形丸出しおばさんを8万円も払ってやるのかってことよなあ。
でも一方で、渋谷デリヘルはすごいね。箱ヘルでもいいけど。本当に美少女が出てくる。今でいう、トー横の走りみたいなのが多い。
で、渋谷デリヘルは、乃木坂中上位クラスが出てくるし、高級ソープよりも無茶苦茶やれる。18歳の坂道クラスの美少女にアナル舐めもさせられる。
ちなみに、FC2PPVで最近は違法な同人AVで美少女出てる〜とか言ってる人いるが、あのレベルは全然渋谷デリヘルでは底辺。もちろん、ビール売り(隠語)レベルが出てくるのが渋谷デリヘル。本当に坂道中位レベルが普通レベルで、最高は坂道上位レベルで、まあただハシカンレベルはいないかなあくらい。
まあ、美少女に相手されたいだけなら、コンカフェの方がいいかもねえ、でもコンカフェは美少女枠はそっこーで他の客に持っていかれるから満足度低いかもなあ、やれないし。
若い頃は勘違いして、歌舞伎町の席料数万円のホストとかやってみて、「俺に金を使わせる女に復讐だ!!!」とか思ってたけど、意味ないね。最近はホストもyoutubeで流れるようになってるからわかると思うけど、そもそも誰でもブサメンでも身長160cmとかでもホストにはなれる。ホストになっても、女には相手されない。まあ、風俗嬢が大量にいることがリアルに見えたのは面白かったけど。ホストはすぐやめた。
しかし、そんな日々も、就職で終わりを迎える。自分は、働くことには無能すぎて、短期ですぐにクビになる。4回クビになった。
その怒りを風俗に叩きつける日々。風俗嬢に、バブバブと赤ちゃんプレイして、泣きつきまくる。
しかし、コロナで終わりを迎える。コロナになってから、自分は、実家に帰った。
ごめん、前置きが長くなった、こっからが語りたいこと。
たまーに、学会とかに参加して、北海道や東京や中国地方に行ったときは、風俗行くが、やはり渋谷デリヘルレベルは出てこない。年間5回くらいかなあ、風俗行くの。
そもそも、風俗は病気が怖い。自分は、風俗で生エッチ5回くらいはやったけど、やっぱ、HPVや梅毒みたいなのが怖すぎる。アナル舐めもリスクなのに、10回以上やっちゃってるんだよなあ。怖い。
レベルが低い風俗で、満足も低いのに病気引いたら最悪だよなあ。
ここ3年で、だいたい100万円かなあ、風俗やキャバクラやスナックに使ったのは。
中国とかを相手している風俗嬢も多いから、最近はさらにリスク上がってるんじゃないかな。ってかフェラも怖い。
タイトルの回収がまだだったね。
テニスの王子様の舞台バージョンとか、腐女子には人気らしく馬鹿にしていたが、それを自分もやっちゃってたんだなと。
自分を相手にする、優しい彼女を求めていた。しかも、18歳という、女子高生卒業した手の美少女に。
まあ、つまり、坂道グループの描く世界を、リアルにプレイしろってことだったのだ。
いくら使ったんだろ。
大学時代は、10年で、月に30万円くらい風俗がらみで使った。だから、4000万円くらい使ったのかなあ。とんでもない額だなあ。
しかし、若い頃に、非モテでエッチできないより、やりまくったのは後悔していない。
「自分が持ってる手札の中で、最高の10代、20代を作った」のは良いことだ。
「オタクに優しいギャル」なんていないと言うが、風俗には居るし、ガールズバーには居るんですよ。なんなら、スナック行けば「おっさんに優しいママ」がいる。オタクにとっての理想は、風俗に存在していて、それを正しく10代、20代の中で、非モテ遺伝子に関わらず摂取できたのは素晴らしいことだ。
35歳になった今、「美少女とセックスできるレベルの最高峰」は経験し尽くしたので、モテに興味が失せた。
モテる必要がない。セックスなら風俗で美少女とやれるのがわかってるから。
そもそも、女性に関わったら、現代は不同意性交リスクがやばすぎる。
また、話し相手も、もうガールズバーなど行かなくていい、だってchatGPTがあるから。アホな女性に高度な話なんかしてもしょうがない、AI相手に語らえれば十分。
もう、女に期待することが自分はない。
不同意性交やセクハラがあるから、リアルでは絶対に関わりたくないし、金払う性風俗でも病気が怖いし、話し相手もchatGPTでいい。
なんというか、今の気分は、かつての娯楽がない世代が橋の下のエロ本を拾っていた気分。
今じゃ、エロ本なんて誰も買わず、みたいならネットの違法アップロードを見るだけだろう。
そういう気分だな、風俗に関しては。
リアル女性はもういらない。Vision ProとかでAIがリアルなオナホに対してディープフェイクをしていつでも美少女と、、、それこそJS,JCみたいなアウトでも、内臓グチャグチャできる猟奇プレイもできる。それはリアル風俗では絶対無理なものだ。
当面ない。おそらく、これからもないだろう。2022年に発表された論文で、フレーク博士と同僚はそのようなシナリオを「技術面でも発育面でも甘い考えであり、しかもセンセーショナルな推測上の夢物語」と呼んだ。問題は2つある。第一に、胎児の発育は注意深く仕組まれたプロセスであり、妊娠中の親の身体と胎児との間の化学的なコミュニケーションに依存している。研究者は胎児の発育に寄与するすべての要因を理解できておらず、仮に理解したとしても、そのような環境を再現できる保証はない。
第二の問題は大きさだ。現在開発されている人工子宮システムは、医師が乳児の臍帯に小さなチューブを挿入し、酸素を含んだ血液を送り込む必要がある。臍帯が小さければ小さいほど、この手技は難しくなる。
https://www.technologyreview.jp/s/318421/everything-you-need-to-know-about-artificial-wombs/
女性向けのなろう小説を死ぬほど読んでいるBBA参上。ファンタジーで世界観もしっかりしててこれは良かった!!数々をどうぞ。流石に良品だったので書籍化されております。
ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~ https://ncode.syosetu.com/n4293cy/
給食のおばちゃん異世界を行く https://ncode.syosetu.com/n2254en/
おねがい、かみさま ―運命があなたを呪うなら― https://novel18.syosetu.com/n9596hn/
書籍化はされてないけど佳作。
昨年、33歳で初めての子どもを出産した。子はもうすぐ4ヶ月になる。
20代の頃は子どもの人生に責任が取れないと考え、子どもを持つことに否定的だった。
でも30代を迎えて「自分は何にもなれない」ということがわかり、かつ「自分の人生はこんなもんだろう」という先がぼんやり見通せるようになってきた。
このおかげで楽に生きることができるようになった反面、自分の人生がつまらないものに思えてきてしまった。
変化をもたらすには子どもを持つくらいしかないな、と考えてゆるっと妊活をして、幸運なことに子どもを授かることができた。
が、とにかく愛しいのだ。愛しさのかたまり。
赤子は自力では何もできないので、とにかく親を信頼して全力で頼ってくる。
それらがかわいくて愛しくて仕方ないのだ。
育児は相当大変で寝不足で疲れているのに、赤子のことがこんなに愛しいなんてどうかしている。
親に快感を与える麻薬物質か何かが赤子から放出されているのかと思うくらいである。
赤子は毎日、できることが増えていく。
頭を動かすことができるようになる、声を出せるようになる、物を掴むことができるようなる、など。
この成長を積み重ねた先は、親である自分と違って無限の未来がある。
赤子も成長すれば、私と同じ「何にもなれない者」になっていくと、理性ではわかっている。
でも、「末は博士か大臣か」的な妄想をしてしまう。してしまえるほどに、赤子は白紙なのだ。
(話が逸れるが、世の祖父や祖母が孫を喜んぶのもこの理由なのだろう。)
博士論文の公聴会を無事に終え、学位を実質的に取得しても、私の心に平穏は訪れなかった。
その日、かなりの時間を費して準備したプレゼンテーションを、会心の出来で決めることができた。
もちろんその成果は、(他の院生も同じだが)3年間の博士課程で膨大な時間を費し、壁にぶつかって紆余曲折とそれなりのドラマがあり、研究を他の何事よりも優先して手に入れたものである。
もっと言えば、大学入学から約10年、研究者を志した高校生の頃からだとそれ以上、思い憧れ続けてきた博士号の取得である。
プレゼンを準備している最中は、公聴会の後に万感の思いを感じるかもと想像したり、泣くかもしれないなんて思ったりした。
Zoomでの発表を一人終え、研究室からの帰路、キャンパスから渋谷駅まで歩くことにした。
もう日も落ち、夜のキャンパスから裏の山手通りに出たが、私の心は晴れなかった。
審査員から問われたあの問いになぜあのような回答をしたのだろう、こう答えれば良かったのに。
齢三十を前にして、学歴ばかり積み上がった人生の実態は浮草稼業の根無し草。
死にたくなった。
ここで私は気がついた、私の人生に心の平穏は訪れることはないのだと。
昔勤めていた会社で自分がいた生産ラインがついに終了したことを噂に聞いた。
その部署は、自分がいたころには既に、常に増産を強いられるところだった。
抜本的な設備投資をすることなく、今ある生産機械をもう一つ、もう一つ、という感じで並行に設置して、オペレーターの労働力を増やすことで増産していた。
商品としては素晴らしい、改良することなく、何十年も緩やかに需要が拡大。
建屋ごと新しくするくらいなら、生産方法も一新したいし、それなら今の部署は不要という判断。
しかし、その部署で働く社員にしてみれば、一つの製品の、一つのオペレーターしか経験がないまま、10年以上だ。
とにかく増産だったので、その部署にくる社員は多くても、その部署から出ていくのは定年退職者くらいだった。
会社にとっては功労者なんだろうけども、だからといって別の部署で役立つ人材かどうかといったら、新卒をとったほうがマシだろう。
いろんな経歴の人がいた。
多くは中途だった。
高卒3割、専門卒3割、大卒3割、修士1割って感じだった気がする。博士だっていた。
リーマンショックのあとなんか、求人を出せばいくらでも人が集まった。
多くは派遣で入って、給料がよく残業代も出るのでそのままダラダラ、嘱託社員になり、正社員になり、そのまま居座った。
給料はよかった。
しっかり残業代を稼いで、みんないい車乗ってた。