はてなキーワード: タリアとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/f0bc47782ea1728787e8e07d1cc2f8578e2b7880
こういうの、毎日狂ったように肉ばっかり食ってるアメリカ人を基準にしてるから差し引いて読まないとな。
「フレキシタリアンでは、意識的に野菜中心の食事を実践します。いくつかの段階があるのですが、たとえばビギナーは、1週間あたり6~8回の肉を含まない食事をとり、肉の量は全部で26オンス(約740グラム)に留めます。もう少し野菜中心に寄せていく場合には、肉を含まない食事を9~16回とり、肉の量は全部で18オンス(約510グラム)のみ。エキスパートになると、肉を含まない食事を週15回以上とり、肉の量は全部で9オンス(約255キログラム)までとします」
一人暮らしなので、自炊は完全菜食・人との食事は例外にしてる。
(人に気を遣わせると悪いので公言はしてない)
こんなご時世なので職場でも人と距離を取って食事をするし、外食も減ったのでヴィーガン寄りの生活はやりやすいなという感想。
私のようなフレキシタリアン(時々動物性の食品も食べる人)を馬鹿にする人も結構多いけど、長い目で考えたらこういう人を1人でも増やした方が肉食派にも確実にメリットがあると思う。
むしろ肉食派こそじゃんじゃんヴィーガンを持て囃したほうが賢いのかも知れない、環境問題は食に対するこだわりに関わらず皆等しく影響を受けるし。
声高に他人に強制するタイプのヴィーガンは自分も嫌いだけど、ヴィーガンになる理由が『動物かわいそう』でもいいんじゃない?とは思う。
”寄り”の生活をしているから分かるけど、例外のない完全菜食は本当に修行だと思うので、どんな理由であれ貫いている人のストイックさは尊敬に値する。
(ちなみに私が畜産動物に対しては初めて軽くショックを受けたのは、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』だけど、彼もこの本を書く経緯でヴィーガンになったと聞いて納得した)
私がヴィーガン寄りの生活を送るようになったのはアニマルライツでも環境問題でもなくて、元々肉があまり好きではなかったので、肉抜きで健康的維持できるなら最高じゃん、試してみようと思ったことがきっかけ。
あと、ドキュメンタリー映画の『ゲームチェンジャー: スポーツ栄養学の真実』を見たから
※肉食と菜食で男のアレの固さと維持する時間が変化するのかって実験は色々と面白かったので見てほしい
ただ人と暮らすようになったらどうすっかなと考えてはいるけど、その予定も今のところないのでしばらくこの生活を送るつもり。
そういえば先日モスの動物性原料不使用のグリーンバーガーを食べてみたら驚くほど美味しかった。企業努力すごい。こっちもオススメ
KKO極めてくると食と酒くらいしか楽しみがなくなって料理が上手くなるのはあるあるっぽいのだ。
便乗して、私は恋愛事には全く向いていないと最近やっと認めた新人KKOワイくん自慢のパスタレシピを喰らえ、なのだ。
レシピを喰らえ、とか言っておきながら、いきなりレシピじゃないのだ。理論から語りたくなる、ホッテントリにも入ってた「スパイスからカレー作るやつはなぜ面倒くさいか」の面倒くさいやつを地で行っているのだ。なおワイくんはカレーもスパイスから作ってるし、玉ねぎの炒め方に一家言あるのだ。そうでもしないと人生暇でしょうがないからな。
オイルパスタが作れるようになると何が良いかというと、あとは具材の正しい下処理のやり方を知れば、「〇〇のオイルパスタ」が簡単にできるようになるのだ。さらに言えば、オイルパスタが上手く作れるならクリームを入れてもおいしいのだ。料理は基本となる形、パスタで言えばオイルパスタが分かれば、あとはソフトウェアの書き換えでどうとでも遊べるし美味しいものができるのだ。まずペペロンチーノの唐辛子なし版、アーリオオーリオから入るのだ。各々「ぼくのかんがえたさいきょーのぺぺろんちーの」レシピがあるかもなのだが、基本は共通しているはずなのだ。「オリーブオイルでにんにくを炒めて塩をひとつかみ入れたお湯で茹でた麺に絡める」が本質なのだ。
ここで1番大きなポイントを書いておくのだ。「正しい作り方よりも、美味しく食べること」なのだ。ネットレシピはWikipediaと同じくらいの割合で正しい情報が書いてあるのだ。8割くらいは参考になるのだ。でも、乳化しないと麺にオイルソースが絡まない、とか、ペペロンチーノは唐辛子にんにく塩以外入れるのは邪道、とか、パスタは中華麺じゃないんだからフライパンでは炒めない、火を落とすのが正解、とか、うるせぇバァカ!なのだ。冷めたパスタとか冷めたピザくらい価値がないのだ。正しさよりも温度、正しさよりも旨さをとってくれ、なのだ。味の素入れたってホワイトペッパー入れたっていいのだ。ワイくんはまたさめぴみたいな人が首相にならないか待ち望んでいるのだ。
美味しいオイルパスタ、作れるようになったのだ?気をつけてほしいのだが、大親友の彼女のツレは居ないのだ。パスタの話題のたびにこれ書いてスター稼いでるブクマカは脳死で書いてるのだ。帰れ。
パスタの具になるもの、いくらでも思いつくのだ。きのこ、トマト、香味野菜、魚介類などなどなのだ。全てに科学的にも官能的にも正しい調理があるのだ。それを学べば、あなたも「あまりものだけど」で美味しいパスタ作ったお前、ができて、ドヤ顔もできるのだ。ドヤ顔できても彼女もセックスもできないのだ。悲しいが料理のうまさと人間としての魅力はそんなに繋がってないししゃーないのだ。
きのこを具にしたい場合は油を少量だけ引いて若干焦げるまで焼いたきのこを別で用意して、オイルパスタに和えるのだ。ドライトマトも同様でいいのだ。トマト缶を使うときは水分が飛ぶくらいまで炒めてトマトソースにするのが常套手段なのだ。魚介はアヒージョを思い出せばいい、油でじっくり火を通すのだ。アクのあるほうれん草を使う場合はちゃんと茹でてから、火を通しすぎると苦くなったり風味や食感が台無しになるセリとか春菊を入れるときは火の通りを逆算したタイミングで入れるのだ。水菜みたいな火を通さなくていいものは、和えるタイミングで入れればいいのだ。具材に合わせて具材を加えればいい、あらかじめ逆算しておけば簡単なのだ。
これらはパスタ以外にも繋がる、大事なことを伝えてるのだ。「料理は逆算」なのだ。こういう出力がほしいからこのタイミングでこういう処理をする、を考えられれば、だいたいの料理はうまくいくのだ。辛味が欲しいので、鷹の爪を入れる→鷹の爪の辛味を引き出すには、ニンニクと一緒にじっくり低温で油に辛味を入れる、という逆算なのだ。パスタ茹でるときに大量の塩を入れるのは、パスタに直接塩をかけるとしょっぱさが不均一かつ表面的になりすぎて美味しくないから下味として入れるのだ。そして何が良いか良くないかは、自分の舌が教えてくれるのだ。ワイくんは田舎者で舌がバカで濃い味が好きだから、優しい味みたいなのは全部「うすい」のだ。出汁引くにしてもまず具材を倍量にするのだ。でも、世の中に受ける、特に毎日食べる家庭料理なら薄いほうが飽きなくて良いこともわかってるのだ。ワイくんは独り身なので濃さの種類を変えて毎日濃いもの食ってるのだ。あなたの舌の、好みの濃さにするのだ。
これらが分かれば、料理ができる人特有の全ての調味料が適量って書いてある雑レシピでも十分においしいものができるのだ。さて、ようやくワイくん自慢のレシピを公開するのだ。適当レシピを書くのだ。
大量の1.カリカリに炒めた九条ネギ 2.ちゃんと火を通して甘みを引き出した九条ネギ 3.軽く火を通したフレッシュな九条ネギを作るイメージで、アーリオオーリオを作るのだ。アウトプットがこれなのだから、入れるタイミングは逆算するのだ。
答えを言ってしまうと、1.ニンニクと一緒、2.乳化前、3.和えるタイミングなのだ。ちょっとだけでも、料理は逆算、の意味がわかったのだ?
こんなレシピは簡単に思いつくのだ。ジャコとシソは合う。ならジャコとシソをオイルパスタに入れてしまおう、なのだ。シソは火を通しすぎると色味も香りも悪くなる、だから和えるタイミングで入れる。パスタに絡むように、シソは細切りにするのだ。ジャコなんていつ入れてもうまいのだ。硬いやつなら最後、柔らかいやつを硬めな食感にしたいなら乳化前、柔らかいままにしたいなら和えるタイミングなのだ。完全に「こういう出力がほしいからこうする」の逆算なのだ。ジャコパスタリアス、なんて1万回はこすられたであろう名前をつけておくのだ。
とあるクソブクマカもニッコリな野菜たっぷりのパスタなのだ。1.ニンニクと一緒、2.乳化前、3.和えるタイミングとして、
のような感じで、余った野菜を適切なタイミングで加えてペペロンチーノを作るのだ。野菜炒め麺入り、みたいな状態になるのだが、これでいいのだ。具材の正しい調理法さえ知っていればあとは組み立てるだけなのだ。
あとは細かいテクニックとして、皿は茹で汁とか使って温めておくといいのだ。繰り返すが、冷めたパスタはそれだけでつまらない味になるのだ。冷たい飯、冷めた飯はエネルギー補給にしかならないのだ。適切な温度の飯はそれだけでテンションが上がるのだ。
一人で食べてても美味い!が先にきて死にたくはなってこないのだー!でも日常のふとした瞬間の寂寥感がつらすぎて、誰かがワイくんを殺してくれることを待ち望んでいるのだー!新コロも致死率が低すぎる上に味覚障害が残ると聞いて忌避する対象になったのだ。殺してくれ。
ヘドロ食えだのお前に許されるのはカップ麺だの、酷い言われようなのだ。ヘドロを食う方法は知らないし、知るつもりもないのだ。ヘドロは食べ物じゃないのだ。カップ麺はそれだけで十分完成してるのだが、強いて言うなら美味しい方の油分が足りないのだ。ネギ油や鶏油を用意しておくとカップ麺も1段階美味しく食べられるのだ。私のことは好きに罵倒して構わないのだ。それでストレス解消した皆様が頑張って作った社会に、死ぬまでフリーライドするのだ。
過激な言論が注目されがちなフェミニスト界隈だけど、一枚岩ではないので本当に色んな人がいる。
十把一絡げに「フェミニストはこう!」と扱うにはあまりにも幅が出てきたので、ちょいとどんな人がいるのかまとめてみた。
・単純に理不尽が嫌な人
基本的にこのタイプが一番多い。「人間性や能力ではなく、女性というだけでまず足切りされる」といったような事に理不尽を感じ、「嫌だね、変えていきたいね」という感じの人達だ。
男性だったとしても、「もし逆だったら」という仮定や家事業などの女性優位の世界での差別から、「能力ではなく性別で足切りされる」という問題を捉えることができる。
フェミニストであるという自覚すらない人もいるので数が多いが、普通の考え方という認識をしているのであまり声がデカくない。
例としては「リベラリズムをやるからには、自由について考えなければならない。性別などよって自由が制限されるのはどうなんだ。」
という感じで思想としてフェミニズムの領域も扱う、学者タイプの人だ。
正義>善のリベラリストや、正義<善のコミュニタリアリストなど、当然スタンスの違いが存在するので彼ら自体仲がいいわけではない。
・ひどい被害を受けすぎて憎しみだけになった人
完全に被害者の人で、運や環境が最悪すぎてとにかく悪い男性に当たり続けた結果、「男性像」がそういう酷い人で固定されてしまい、男性を憎み倒している人だ。
男性のありとあらゆる行動が加虐に転じる生活をしてきたので、男性の言うことを信用できるわけがない。不幸すぎるとしか言いようがない。理不尽の極みである。
・正義感に溺れちゃった人
ラディカルで目立つタイプだ。
思想の実践の中、正義の行使と自己補完を繰り返して過激派になった人で、ラディカルなタイプの中では一番多い。
明らかに議論、批判不足のまま突っ走って思想を完成させてしまっており、枝葉末節にとらわれている人が多い。ソクラテスのおっちゃんが言うとったけど具体例は本質ではないんよ。
・偏見の補完として使っている人
これもまたラディカルで目立つタイプだ。
「生理的嫌悪感になんとか理由をつけたい」という感じで、目立つタイプの中ではまあまあ数が多い。
「オタクキモい」とか「最近の若いやつは…」みたいな言いたくてもちょっと言いづらい思想を持ってるところにこれまた便利な正義が舞い降りたという感じだ。
どれだけしっかり反証されても「キモw」とか「進んでいない」で片付けるので、フェミニズムを通して平等をやりたいというよりは、単純に偏見持ちが便利な道具として使っているという感じ。
「アクセサリー似合ってないっすね」とか「付け方間違ってますよ」と言うとプライドがズッタズタになるのでめちゃくちゃにキレてダルい。
善にしろ悪にしろ中身がなさすぎるのでこれ以上書くことがない。
ネットでの評判がよかったのでお盆休みに一気見した。仕事を始めてから、アニメを一気見すると生きてるなって感じるんだよね。
第一印象としては、原作が完結してないという前提でなら良くまとまっている。劇伴が美麗で物語に引き込きこんでくれる素敵なものだった。ストーリーはケモミミ従者のラフタリアちゃんの過去をキチっと掘り下げて結末につなげることで、実は物語がラフタリアちゃんの成り上がりにもなっている。キャラは可愛いし、ストーリーとしても不遇の勇者が冒険して報われるというシンプルなもので不満はない。ここが凄くイイよと熱狂できるポイントはなかったけれど、強烈に不快な点もなかったので、売れそうなものを効率良く集めて体よくまとめたっていう感じかな。
このアニメが心に残したものって何だろうと振り返る。体よくまとまっているからこそ、何かが少し物足りない気がするんだ。主人公の盾の勇者はいったい何を行動指針にしていたんだろう。一見、主人公のやったことは利己的で生き残るためなら何でもするというようにも見えるが、後半に行くにしたがって逆境にあっても結果的に正義をなしていたことがわかってくる。一見すると、主人公は何もかもどーでもいいやという投げやりな態度に見えて、その実しぶとくしたたかに生きている。最後は政変によって無実の罪を晴らしてくれる権力者が現れて、すべてを解決してくれる。なんかしっくりこないんだよね。前評判として聴いていた復讐の物語というのを前提にして見ていると、残り5話くらいで名誉を挽回してしまっていて、拍子抜けする。巌窟王みたいな復讐に命を懸けるほどの熱意もない。
最後に、キャラが可愛かった点は声を大にして訴えておきたい。巨大な鳥のボスから褒美として、なんでもやるぞと言われたのに、王女様のメルティはあなたの背に乗りたいと言ったことが印象的だった。世俗の富も権力も手にしている王女様が俗物ではないことがそのシーンから伝わってくる。
フィーロちゃんがメチャカワだったよね。だったよね! この点は少なくとも最高。ニコッと笑った表情の動きが、止め絵では表現できない絶妙な愛らしさを振りまいていて、流石ゆゆ式・ごちうさ・くまみこを世に出した制作会社だと納得。もっと早く見ておけばよかったよ。
これは何タリアンって言うの?
ポーレタリア王城はこれ以上フラグが立たないので腐れ谷を開始。ネズミを飼っているババアを通り過ぎてネズミたちを撲殺、先日やられたでかい棍棒男を弓で射殺して、ボス「ヒル溜まり」に到着。弓を打つたびに回復するので、半分以降体力が全く減らなくなり頓挫。仕方なくエセ侍っぽいクリーチャーがいる祭祀場や監獄などを散策。監獄わかりやすくお化け屋敷をイメージした作り(出てくるクリーチャー、あれ、ピスコディーモンじゃん……)。祭祀場は思った以上に稼ぎにならない。これではポーレタリアの片方の塔にいる青目の強いバージョンを倒していたほうが簡単で実入りがある。攻略情報案外適当だなあ。
とはいえ……。
ぶ っ ち ゃ け 飽 き て き た。
サクソ2とプレイ感はあまり変わらず、ステージ構成こそこだわりがあるものの繰り返し感がとても強い。
ボスも趣向を凝らしてるしステージも入り組んでるのに盛り上がらない。
細い橋の上に敵が群がっているが、走り抜けの際にドラゴンが追いすがってきて路上を焼き肉パーティーにしてくれる素敵な場所。
ラスボスはPS5版のプレビューに出てきた規格外にでかい騎士。塔の騎士というらしい。
彼は遠距離攻撃で魔法エンチャ剣をぶっ放してくるほか、盾によるバッシュ攻撃をかましてくる。
その範囲が異様に広くて離れていても削られまくる。
ただ、一旦城壁に登ってしまうとそれほどでもなく、一匹づつ弓兵を始末してゆけば城塞そのものは丸裸になる。
本題はここから。地面に降りて戦うこと三度。近づくこともままならず一撃死を繰り返す。
コツは相手が振りかぶりモーションを掛けた瞬間にソウルの矢か弓矢を放ってすぐさまローリング。
どうもPS5でデモソが出るらしい。俺は急いで旧作を買うためショップに走った・・・。
というと聞こえがいいんだけど、たまたま買い置きしてただけ。
数ヶ月前ガン盾スタイルなるものを知らなかったせいでボスまでたどり着けず、2日間ソウルを失うだけの日々を過ごして放置。
進む進む。前提知識があるとなしではこうも違うのかというくらい。
ひとまずファランクスは撃破したものの、やっぱダクソ2に比べるとバランスは良くないと思う。
とりあえず道中が長すぎる。
絶好の稼ぎ場所に向かうまでに他のダクソシリーズで十分な経験を積んでおかないと死にまくる。
動物倫理寄りのフレキシタリアンの一人として以下のまとめ(とブコメ)を読んだ感想。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1541010
こういう発言ってあらゆるマイノリティーに常に投げかけられていて、そしてマイノリティーをじわじわと疲弊させていくんですよね
でも上記のブコメを見ると、例えば性的マイノリティーや反人種差別運動家にはそんなことを言わない、あるいはその種の発言を批判するような人達も、ヴィーガンに対してはそんなこと(特に「押し付けてこないなら…」というやつ)を言うんだなと、ちょっと残念に思ってしまった
いやもうそれ雑食、ていうかフツーのひとやん?!
フレキシタリアンの定義は「動物性食品の摂取量が少ない人」なので幅広い概念だけども、私の場合は肉も魚も卵も乳製品もずっと積極的には食べないようにしてる
ただ他の人と外食をする際とかは、できるだけ動物性食品を含んでないメニューを選ぶけど食べざるを得ないこともあるのでフレキシタリアンという自認
いや、本当に動物のことを考えてるなら食事を断れよ、って話なんだけれども、昔「ヴィーガンなので今回の食事には参加できません」と言ったら、ヴィーガニズムを押し付けるな!とか怒られて関係がぶっ壊れたのがトラウマになってて、今は公言してないです(まあ周りにはバレてるだろうが)
そういうこともあって「押し付けてこないなら…」という反応はすごく苦手
良いところもあったけど、ツイッターには書きにくいシナリオ関連の不満だけを書く。
全般的に、文章がくどくて漢字を多用したい年頃の文章みたいだった。
エウロペの神託の文言やカオス顕現、ブラックバレル使用のときなど、枚挙にいとまがないけど、ほぼ同じ文章を繰り返して鬱陶しい以外の言葉がない。
普通、同じことを繰り返すときは多少なりとも省略するでしょう。
でないと、読んでる方は飽きる。
二回くらいなら演出だと思うけど、三回は多すぎる。
それも、ワンシーンだけじゃない。全体を通して似たようなことを何度もやる。
ライターは自分の文章を読み返してなんとも思わなかったのだろうか。
地上ではゼウスの耳がある、という設定もまったく生かしていない。
地下のことどころか大召喚器についても、何もかも口にしている。
さっき基地で話した内容な上に、地上では口にするなって言ったばかりだけど、鳥頭か。
まあ、ゼウスはまったく聞いてないんだけど。
フォウも鬱陶しかった。
これほど存在を主張するのだからなにか意味があるのかと思ったけど、なにもなかった。
せめて今までもそうだったらわかるけど、今回だけやたらと出番があったから余計に。
セファールの巨人についても、そんなに何度も話す必要あったか?
と思うけど、先史文明について、今後の話に関わってくるのだろうか。
EXTELLAに関係してくるのかなとも考えたけど、これ以上FGOで引っ張る話でもない気がする。
味方の双子については、いい話風にまとめてるけど、自分の世界を滅ぼしても自分たちの我を通したかっただけだなという印象。
またもや、何度も彼らの意思を問う場面があったけども、同じことを言っているだけでいれる意味があったのか疑問。
せめて、問うたびに少しずつ掘り下げていくとかできなかったのか。
キャラとしては可愛かったけど、ぐだたちにとって都合のいい存在でしかなかった。
武蔵ちゃんのバカヤローウという選択肢もなんだこれ、という気分だった。
今まで散々、サーヴァントとの別れがあって、死ににいったキャラなんてたくさんいたけど、なんで武蔵だけバカヤローウなんだろと違和感しかなかった。
今回のぐだの選択肢は、名前を呼ぶか意味のないことを言うかばっかりだったな。
ロムルスもせっかくのグランドなのに、ほとんど活躍らしい活躍がなくて残念だった。
敵がルーラークラスだから戦闘でも四章のカルナのときのような戦いもできない。
オルガマリーはもうね
ばっかじゃねぇのって思う。
勲章みたいのつけてるってなんだそれ。
確かに真っ先にそれ思ったけど。クソみたいなデザインだと思うけど。
ここ一番の盛り上がりになるはずと思っていただけに、期待はずれもいいところ。
満を持して登場、でちょっとギャグテイストにしたかったんだろうけど特に面白くない。
オルガマリーが発言している間、ぐだたちは無視してキリシュタリアと話してたんだなと思うと滑稽ではある。
話している内容も、人類も使徒も全員殺すって言ってるのに、地球国家元首になって人類を管理するって言ってて、何を言ってるのかさっぱりわからない。
このキャラは何がしたいのか。
テクスチャを張り替えて新たな知的生命体を生んで管理するとかそういうこと?
ビーストという話だけど、人類悪って人類愛でもあるんじゃなかったっけ。
同朋がどうのっていうのは、エリア51っぽいところにある存在のことだと思っているけど、同朋ってろくな扱いされてないんじゃなかったっけ。
異星の存在な上に、同朋のことがあって、どう人類愛と結びつくんだろう。
アニメで多少、印象はマシになったし、マンガでわかるの所長はわりと好きだけど、本編のは好きになるほどでもない。
ゲームを始めたのがリリース初日なので、もう四年以上も前にちょっと出ていた程度のキャラだ。
たいした付き合いでもないぐだがあれ所長でしょとか取り返そうとか、そんなこと言われてもな、としか思えない。
取り戻したいとも思わない。
それなのに、それが主目的になりそうでやる気が起きない。
こんなにゲームをやり続けてきて、アトランティスで盛り上がって、これか、という気分。
これ以上につまらないシナリオは以前にもあったけど、重要な話になるだろうと期待していただけに疲れた。
あと、オリュンポスの神々にも期待していたのに、ところどころ腑に落ちなかったり、キリシュタリアを描写するための踏み台になったかと思うほどなんの思い入れようもないキャラだったりでがっかりした。
長くなった。
一通り最終回も終わり今年度の感想は今年度のうちにということで、面白かった順で感想メモ。
そろそろ方向性が見えてきたので、今見ているアニメの感想をメモ。今季みゃー姉みたいなみゃー姉多くない?
思いのほか金森氏人気があって面白いよなと思う。なんか金森氏的なキャラって物語の箱庭に開いた穴を通して鋭い現実が見えてるっていうか、創作物を見てるのになんか心に痛みのようなものを感じるんだよね。それは自分に「金に細かく、交渉して対価をもぎ取り、詭弁で相手を脅し、理想より現実を重視する」ことが欠けていてそれをまざまざと見せつけられているような、「ほれほれ、きちんと生きていくためにはこういう堅実さが必要なんだ」と言わんばかりの圧迫感がある。そういう現実主義者って不気味でどう解釈してよいかわからなくて苦手なんだよね。同じ景色を見ていても見出している価値観が全く違うっていう恐怖感。
もちろん、夢追い人だけじゃだめで現実に着地させてくれる現実主義者がいないといけないのはわかってる。だけれど、とにかく金森氏というキャラを見ていると心の中に不安を覚えるんだよね。
あるいはひょっとして金森氏というキャラについて自分は何か勘違いしているのか。
まあ、そんな心の中の起伏を差っ引いても映像研は面白いアニメと思います。
あと、恋する小惑星の雰囲気ってなんか空気感を表現したいと思ったら、偏差値高い進学校の部活っぽいね。ゆるきゃんとかゆゆ式とかライフル部とかそういうのと比較してってことね。