はてなキーワード: スタンスとは
上段が「ウーバーイーツ配達員」、下段が「プログラミングスクール講師」
三人ではなしていて、思ったこと。
anond:20190616212541 の続き。
爪は短く切り鑢を掛けた。家を出る前にシャワーは二度浴びた。髪を切った。歯を磨いた。歯科医でスケーリングを受けた。服も靴も下着も全て新しく買った。
思い起こせば、自分はこんな、異性と会うために装いを整えるという経験すら一度もしたことがなかったんだということに気付かされる。経験の差というのは気付きの差だ。世の多くの人はこんな経験を10代のうちに済ませているのだろう。なんでソープに行く決意をした矢先に己が人生の空虚さを思い知らされるのか。
焦りすぎて一駅前で降りてしまうというアクシデントに見舞われながらも怪しげなビルに入り、払い、待ち、そして用を済ませた。
読む立場では全く思わなかったが、当事者になってみると密室に於ける男女の睦みごとを微に入り細に入り語るのはなかなかに趣味が悪いものだな、と思うので適当に端折りたいと思う。
(全てを読むにはワッフルワッフルと書き込んでください)
童貞のソープ挑戦には思想の潮流が二つある、童貞を告白すれば丁寧なサービスをして貰えるという説と逆に童貞なので手を抜かれる説とだ。童貞は卒業したときに前者を口実にし失敗したときに後者を言い訳にするそうだ。
しかし隠したところで経験豊富のプロにはお見通しという強い意見もあるので、大人しく従う道を選んだ。じゃあ一通り色々試そう、的な話になったので姫のスタンスにもよるのだろうが強ち悪い手では無いのだと思う。
生身の異性の肌に意識的に触れ手を握ったのなんて何年、いや何十年振りだろうか。小学校の林間学校でのキャンプファイアで指の先だけ繋いだフォークダンス以来の可能性が高い。当然、その頃の触れた感触の記憶など勿論無いし、そのようなものは経験とは言えない。
初めて意識的に触れる異性の肌はシルクのように滑らかで艶やかな生地だった。本当にこんな皮膚を持った人間が存在したのか。しかも柔らかく細く透き通り美しいとまできてる。
なので後は姫にお任せコース。挿入は都合3回の機会があったが素直に射精ですに至ったのは2回目のみ。
挿入さえしてしまえば非童貞だと思うのだけど、どうやら巷では射精に至ることを以て童貞を脱したという言説があるらしい。そも血が出るわけでも無いのだから完全に精神性の問題なのだが、射精に至るまでを含める辺りがさらに輪を掛けている感じがする。
というわけで、一応、挿入し射精に至るという目的は達せたわけだが。
AVの童貞卒業ものはファンタジーにファンタジーを重ねたファンタジーで、「リアル再現!」等と謳うオナホもまた150%大嘘なのだな、と。
前者はあんな動きを童貞ができるわけねーだろ早く起きろだし、後者は作り物としての刺激があまりに強すぎてそりゃ膣内射精障害とかいう言葉ができると思った。
とりあえずオナホ相手に太刀打ちできず早漏だと思ってる人は安心していいと思う。あれは生身ではなくシリコンであって別ジャンルだと考えるべき。
(恐らく)予め膣内に仕込んでいるらしいローション的なもので摩擦力は下がるし、腰を動かそうものなら数分も経てば慣れない動きに疲れが出始める。それでいて相手と動きを合わせつつ性感を高める、とはなんだこのエクストリームスポーツ。途中、入ってるのか入ってないのかわからないというよく考えたら大変失礼極まりない言葉を飲み込んだのは童貞にしては上出来だったと自画自賛したい。
今回は高級店なので俗にいうNS/NNだったが、これがゴム付きだとさらに難易度が上がるのではないか。
いわゆる2回戦目は、あと2歩、3歩という具合までにはなるもののちょっと足りず、時間を掛けてもダメそうな空気なので断念。ここでふと思ったが、標準的なセックスの所要時間って何分なんだろうか。自分が動くにしろ相手が動くにしろ、疲労を考えるとそう何分も持つものでは無いと思うのだが(AVの10分以上のセックスがファンタジーなのは何となく分かる)。
あと厄介なのが中折れ。言葉として知ってはいても実感したことのある童貞はどれ程いるのだろうか。勃起現象は精神面が影響すると言うが、まさか自分も当てはまるとは思ってもみなかった。恐らくは無意識の緊張と焦りによるものだとは思うが、一瞬気が緩む、集中が切れる、辺りでいとも容易くとは思わなかった。
風呂、マット、ベッド、と基本的な流れを一通り終えて良い時間になって終了の雰囲気になってふと気付く。キス、してませんねそういえば。そうかー、童貞は失っても唇の処女(か童貞か)はそのままかー。話が盛り上がった(大いに疑問)から単純に忘れられていた? 童貞アピールが裏目に出て、セックスをしに来た人と認識されてしまった? 生理的にキスは嫌悪された? セックスはしてもキスはしないとか心までは許さない的な清純さを感じるけど普通に死にたくなるな。手抜きされたとも嫌われたとも思ってはいないけど、ただ天上の月を眺めるしかできなかった童貞に月の裏側は見通せない。何か失礼があったのなら、心から詫びるしか無い。
結局、夢が覚めようという空気の中でキスがしたいなんて言う死ぬほど恥ずかしいプレイをする勇気はなかった。
店を出て空を見上げる。
無彩色だった世界が色付いて見えるwwwwwwwwwwwww!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
空って青かったんだwwwwwwwwwwww!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あーそうかー、こういう感じなのかー。
射精後に訪れる全宇宙、森羅万象、人理の果てをも見通すほどの全知全能感と虚無感。射精するために来て、射精することで虚無感に苛まれるとは一体何の拷問なのか、と。
しかし残ったのは疲労感と満足感、僅かばかりの人肌の温もり。この世に虚しくない射精があるのだと私は知った。
そして同時に、愛し愛される世の人々はとうの昔に知ってるのだなということにまた気付いてしまった。
これが救いになんてならないし、なってもいけないのだが、必要とする人は必ずいる。
アスペってマジで日常生活では周りに迷惑ばっかかけるくせに、ずば抜けた能力で金だけは異様に稼ぐ
そしてそれを羨むと「それ以外が辛いから健常者のほうがマシ」とか言う奴居るけど、今って金さえあれば何でもやってくれるじゃん。それならアスペで天才の方が人生楽じゃん。だってストレスとか感じないだろうし
だいたいアスペって全部自己都合で考える。歩み寄りとか知らない。歩み寄れのスタンス。物貸しても催促しなきゃ返さないし、返してもらうにもこちらから出向くかアチラが近所に来ない限りは返してもらえない
人間関係はすべて上下で考える。多方面な見方ができない。悪口も平気で言う。金遣いも荒い。好き嫌い激しい。ムダに没頭する。約束しても平気で部屋の掃除してたら疲れたとか言って時間ギリギリに連絡&言い訳
もうどんなに才能あろうとアスペに優しくするのが止めようぜ。周囲をカサンドラ症候群にしてでも元気で居てもらおうとかするなよ。ちゃんと病院行ってもらおう。なんでアスペは治療必要無いみたいな空気なの?なんか選ばれし存在みたいなアスペageな本とかも多いし
ぶっちゃけ嫉妬8割、残り2割は『アスペはスグにヤラせてくれる』って話を信じたけど、やけに貞操観念が厳しくてヤレなかった既婚者の愚痴ですわ。マジでアスペ女性とかやれなかったら地獄だわ
ほとんどあがってない。
現場を無視して女医を増やせとか、医師自体増やして労働環境よくしろとか(それで医療費跳ね上がることは無視)ばかりで、女の負担が増えるような解決方法はほとんど提示されてない。
そもそもうまくいきそうなことをやっている場合はWebフロントエンドに時間をかけてられないという話。
まともなエンジニアなら枯れてない技術を使った時に生じるコストを理解している。それはたくさん残ってるバグとか、バージョンアップによるAPI変更への対応するコストだ。そういう対応コストはユーザがうれしいものではない。「あの話題のモジュールに投げたバグ修正がマージされました!」とか言っても、ねぇ?
あとWebフロントエンドって、最新の技術を使ってもレガシーな技術を使っても結局html/js/cssが成果物なので、出来上がったモノはユーザから見ると大差ない。つまりWebフロントエンドに限って言えば最新の技術を採用していても競争優位にはなりにくいのだ。
ユーザに需要があるものを作ってる時って、枯れてない技術に挑戦したりしてる暇はなくて、小慣れた道具でつくらなくちゃいけないことが多い。毎週のように新機能が待ち望まれている状態ではゆったりと開発してるわけにもいかない。
ちょっと逆説的だが、ゆったりと開発できているということは、作っているものに需要があるか怪しいということだ。
新規プロジェクトが立ち上がったものの、方向性がぼやけていて、プロダクトマネージャが決めなくちゃいけないことがたくさん残っているような場合、エンジニアはもちろん暇になる。
コードベースはまだないのでリファクタリングもできず、データもまだないのでダッシュボードを作ったりもできないとなると、エンジニアは「じゃあUIは前から使ってみたかったアレで作ろう。時間はあるし」となる。
だいたいこういうプロジェクトが成功することはないし、こういうときしかWebフロントエンドに最新の技術スタックは採用できない。ちゃんとしたプロジェクトではそんなヒマはないからだ。
新規プロジェクトが立ち上がって、プロダクトの方向性が明確なときは、エンジニアはすぐに手を動かすことができる。ユーザが欲しかった機能が開発できていれば、すぐにユーザからフィードバックが返ってくる。そうすると次の機能開発にとりかかれる。
こういうプロジェクトではWebフロントエンドに枯れていない技術を採用するヒマはない。枯れてない技術を採用するにしても、サービスをスケールさせるためとか、ユーザに見える価値を提供するためのものだ。
Webフロントエンドにバリバリ新しいやつを投入するのはもちろん悪いことじゃないのだけれども、そんな余裕があるなんて、ひょっとして作っているサービスはイケてないんじゃないでしょうか? もしくはビジネス的な成功はまあ別にどうでもいいかな、というスタンスなんでしょうか?
一度手を動かし始める前に周囲を見渡してみるとよいのではないでしょうか。
Bは一種の誇張法で「そういう傾向が極めて強い(と私は思っている)」ということを強調している。
Aは自分が客観的で頭いいと思っているかもしれないが、発言内容に価値がない。自分の考えを明かさずに世の中を上から目線で冷笑する態度。自分は安全なところからツッコミを入れているので当事者意識が足りない。一旦自分も議論に巻き込まれると弱い。要するに何も自分の意見がない。どっちもどっち論が好き。議論に対する責任感もなく発言内容にも価値がないので議論の場にはあまりいてほしくない。
Bは主観的で感情的すぎるが、言いたいことはわかる。その人の位置から物事がどう見えるかを主張している。こういう人は自分の経験がすべてになっているので自分の知らない物事に対する想像力が足りなかったりする。視野狭窄ではあるが、同時に「その人が視野狭窄に陥らざるを得ない状況にいる」ということも明らかになるので、こういう発言を見るときにはその人の背景を研究してみると面白い。
ただし、Aの人、Bの人と分かれるのではなく、同じ人でもあるときはAのスタンス、別のときはBのスタンスと使い分けたりする。自分が特段興味のない話題はAのスタンスで、自分が当事者のときはBになる傾向があると思う。傍観者のときはいちいち感情的になる必要はなく全体を冷静に無責任に見渡すことができる。一方で当事者のときはいろいろな細部が見えてきてつまらないことにこだわったりもする。利害が絡んでいるから。
仕事で使う書類は、電子版のほうを原本にするというのを徹底してほしい。
俺はエコとか気にしないから、読みやすさとか便利さ優先でどんどんプリントアウトするのはいいと思う。
わしは「まちがえられたくなければ「横だけど」っていえば?」のスタンス
当たり前すぎるけど、言論の自由と司法の独立は大事だ。よって、香港民を支持する。だな。
せいぜい、日本人にとって意味があるのは言論の自由とは何か?ぐらいか。
とにかく、自分のスタンスに巻き込み、関係ないことの賛否に用いたい連中がウヨサヨ双方蠢くからな。
言論の自由度比較について、日本の順位が低下している現状もある。
日本だけを狙い打ちにして下げたわけじゃなくて、全世界統一基準で日本が下がっているわけだから、統計に意味はある。
そもそも、世界統一基準でやっている比較しているものについて「あれは○○だから意味のない比較だ!」っての批判するのは中国政府と同じだよ。
まずこのあたりの国際指標で落ちたらまずまっさきに、意味のない指標だ!と言い出す。
その割に、統計的調査でも比較でもない通りすがりの外国人が「日本はいい国だ!」ってのを切り抜いてそれにホルホルするのが大好きだな。
3回目のライブって具体的に
って感じになっているイメージ
キャラ引きずってキャラTとか着てきちゃう痛いファンもだいぶ淘汰され、2回くらいはソロライブにも参加したけどキャラ好きで声優単品では好きではないかな?ってフェードアウトする人が増えて、ライブでもオリジナル曲ばかり
そんな時に東名阪(もしくは全国)とかやった時の空気が大好き。もちろん想定外の人気で超満員や、運営の読みがハマって小さな箱にギュウギュウってのもあるけど、大半は読み違えて会場に空席ちらほら、席を気にしなきゃ譲渡でチケット定価割れ
ライブは盛り上がるんだけど、なんか引き摺らない。後味スッキリ。これまで会場を埋めていたキャラ人気もほぼ無くなって本当の実力の結果が出た感じ。大概次回のライブはより小さい箱になるし、ファンクラブ会員数もどんどん減る(もしくはチケット買うときだけ会員になる)
ここ数年はアニメ内ユニットが横アリ、SSA、メットライフドームを満員!からの調子乗ってのソロデビューでの爆死が多くて楽しいのだが、実際キャラ無しでまともなライブ出来る声優なんてほとんど居ないし、事務所的にも数年稼げりゃ良いってスタンスが丸見えで少し悲しい
付き添いでキリスト教の教会の礼拝に何度か参加したのですが、どうしても考えが相容れなくて困っています。
牧師にも直談判していくつか疑問をぶつけたのですが、細かいことだと言うのみでほとんど答えてもらえませんでした。
私個人としては不可知論(神や真理には人間はたどり着くことができない)であるが、世界は決められたルールによって動いていて科学的方法によって真理に近づくことはできるという立場(信仰?)です。
キリスト教のメインの主張の1つは、「旧約聖書・新約聖書が聖典である」ということであると思います。
福音派の聖書が全て正しいという主張を信じるなら、普遍史(聖書が叙述する内容に基づくキリスト教的史観から構成された世界史)が妥当だと思えますが、科学的な歴史(宇宙論、進化論)とは矛盾しています。世界五分前仮説などを持ち出せば(聖書には叙述トリックが用いられているとすれば)説明がつきますが、人類を騙すように世界を創造した神は、嘘のない聖書をもたらすとは思えません。
逆に聖書はストーリーであって字面とは違う本質を理解しなくてはいけないという主張をする人も多いですが、どのように解釈すればよいかのコンセンサスがとれるように思えません。
精霊によって正しい解釈は得られるという主張もありますが、霊感が得られたのか単なる思い込みなのかを区別する方法については語られず危険です。
教会で行われているのは、現代の常識に沿って聖書を解釈して活用しているようでしたが、もはや個人の思想を聖書の記述よりも上位に置いているように感じられました。
実際、「神は正しいので、戦争は間違っていると神は考えている」という主張をしていましたが、戦争は間違っているということの正しさについては語られませんでした。
変なことは教えていないと牧師は語っていましたが、もし聖書から真実を学べるというのなら、現代の常識と違う変なことこそを教えなくては意味がないのではないでしょうか。
また、牧師や信者の発言は、聖書に書いてあることそのもの、聖書を読んでいる人の間でコンセンサスがとれているもの、独自解釈のいずれであるかの区別がなされず、すべて同等の確度で成立する(あるいは自明の真実である)かのようになされていました。
さらに、説教の中で「この話を神様が今日私にするようにおっしゃいました」という主張がなされましたが、牧師には特別に神の指示があるのでしょうか。
この発言を許すと、神の名の下でのテロリズムを否定することも難しくなりますが、特に誰からも反論が出ていないようでした。
牧師に尋ねたところ、教会の上層部がこの発言を許したから間違えていないという答えを得ましたが、納得がいきません。
私のような素人の思いつくような疑問に対しても、過去の事例などを教えてくれず、信仰すればわかるが説明は難しいとの答えが返ってくるのみでした。
すでに我々は答えにたどり着いているので批判に対応する必要がないというスタンスのように思われました。
嘘も方便という東洋哲学的な思想も理解はできるのですが、キリスト教では嘘をつくことは良くないという教えのようでした。
もし相手を幸せにするためなら騙してもいいという考えで嘘の理屈を話していたとするならば、詐欺として訴えるのが妥当だと考えています。
ワイはクラウドファンディングをやってそれを満たしているフシがあるなあ。
あと、駅でたまにビッグイシュー売ってるホームレスから買うとか。
自分よりも生きるの辛そうな人に対して富の私的再分配をする、というスタンスなのかなーという気がする。
それによって罪滅ぼしというか、充実というか、そういうものを得ているような
昨日これを書いたんだが、寝て起きたらなんか閃いてた。
フェミニズムが台頭できるのはそれを率いる人達がいるからで、率いる人達は社会学者だったり女優だったり、学歴や社会的地位が高い人がいるからだ。
エマ・ワトソンなどは学が高く、美しく社会的地位も高い強者女性のフェミニスト代表格だ。
女性の人権を主張する彼女たちの守るものの中には当然弱者女性も含まれる。よって弱者女性は強者女性の恩恵を受けているとも言える。
ところが、弱者男性には同じカテゴリに属する「強者」がいない。
だから先頭に立って率いる者がおらず、署名を集める人間も、スピーチできる人間もおらず、ムーブメントが起こらない。
同じ男カテゴリなら強者男性だが、強者男性は弱者男性に興味がない。そもそも男性は同性に対する興味が薄い。
加えて、「蹴落とし勝ち上がること」が未だ強さとされる男社会において、強者男性にとって弱者男性は「敗者」「見下しの対象」なので助けるという発想すらないのだろう。
同じ「弱者」カテゴリなら弱者女性がいるが、強者ではないので当然リーダー的な素質のある人はいない。しかも女というマイノリティ属性持ちなので立場は一番弱い。
弱者男性に注目が集まる昨今だが、具体的な対策へ誰も実行に移す気配が一切無いのは、こういったリーダー的な存在の不在によるものなのなのかと推測する。
ちなみに弱者男性の中でも怒りに捕らわれずしっかりした学と倫理観、かつ他人の心を動かす力のあるタイプの男性もいるが、総じて「弱者でイイヨイイヨー」というスタンスなのでいずれにしてもムーブメントは起きない。
むしろ弱者でイイヨイイヨがスタンダードになれば救われる人は多いだろうが、それを今はフェミニストに言ってもらっているという皮肉な構造になっている。
芝居に対するスタンスが好きで、自分が行ける範囲で舞台を観に行ったり、フォローしたSNSから確認できる範囲でインタビューを読んだり、ファンサイトに登録している。今度ファンレターも送る。
行ける範囲、確認できる範囲というのはこれまでの自分の傾向から、知れば知るほど好きになってしまうからだ。
犯罪や相手に迷惑をかけるようなことは絶対していない。ただ自分の中でこじらせてしまう。
芸能人や、直接会えない人に恋をすることほど不毛なことはない。なのにめちゃくちゃ苦しいだけなのに好きになってしまうのだから大変困る。
どこにいても何百キロも離れた自分のことなんて知らない誰かの姿が見れるのって現代社会の功罪だと思うわ。
だけどひたむきに頑張っている姿を見ると胸を打たれてしまう。自分も叶えたいことを頑張ろうと思う。元気をもらえる。
だから非常に勝手なことを言うと推しは早く結婚してくれないかな、と思っている。結婚じゃなくていい。
生活を共にするパートナーが居ると言って欲しい。プライベートなことを言ってくれってめちゃくちゃわがままだけど。ごめんなさい。
安心して芸事に対して応援ができるようになるし、本音を言えば生まれてくる恋心を完膚なきまでに砕いてくれ、と思いながら今日もチケットに申し込んでいる。
・話が合う
・お互いにいう事を否定しない
⇒「すごく良いね!こういうアイディア追加してみるのとかどう?」というスタンス
・答えの決まっている相談はしない
・誰に対しても優しい
・お互いの彼氏が似てる
国内生産した物を国内消費している場合、給料を上げた分で物を購入してくれるので、給料を上げれば売上も上がるという理屈がつけられた。
国内生産し海外へ輸出する場合、給料を上げても売上は伸びないということなので、給料を上げたらそのまま競争力が下がってしまう。
なので給料は上げない。
年金だけでは老後の資金が足りないとか、奨学金で借金があるなどで貯蓄に回すので、消費は増えない。
経団連からすると個人の貯蓄が消費に向かってないのが気に入らない。
国内消費が増えない、経団連の企業に関係ないのであれば、消費税を上げる国の方針に反対する必要がない。
法人税は下げないといけない。法人税を下げると税収が上がるというエビデンスまで探してきた。
結果、1995年以降労働力人口が減っているにも関わらず輸出が増え、仕事だけが増えた。
またドルを獲得しても円安になるのを嫌って、円を買わないので給料も払えない。
悪循環でいやになってくる。
私は写真が嫌いだ。
正確にいうと「写真を撮る人が大嫌いだ」。
嫌いというか、全員地球上から消えていなくなってほしいくらいには思っている。一見見た目が普通の人でも、「趣味:写真撮影」とか言われちゃったら、それだけで正直印象は悪いし仲良くしたくない。
恋人は絶対に写真以外の趣味をお持ちの穏やかな人がいい。絶対に写真を撮る人とは深い関係を築きたくない。家族にいなくてよかったと思ってる。
ここまで聞いて「お前、写真を撮る人に親でも殺されたのか?」と思った人は沢山いるでしょう。
あと、「頭ごなしに否定するのもやめろ!全員が全員悪人じゃない!いい人も居る!」と思った人もいるでしょう。そんなのはわかってる。わかった上での結論が「写真を撮る人全員いなくなってくれ」だ。
なんでそこまで写真を撮る人を嫌いになったのか?
そもそも私は写真を撮る人だ。しかも、休みがあればその休みを全部写真撮影につぎ込むような人間だった。
更に言えば、写真好きが高じて「私も自分の手で大好きな写真業界を盛り上げる手伝いをしたい!」と思って、高校大学と死ぬほど勉強をし、念願の写真関係の仕事に就く事になった。(過去形だけど。)
写真を撮る友達も沢山いたし、写真を撮る人のみっともない言動や言い争いを見ても「まあ、写真ってそういうものだしな」とスルーできていた。
そこから数年経って、仕事や私生活が忙しくなって写真撮影に行けなくなり始めた。新機種は追っていたものの、前と比べるとぼんやりと追っていたと思う。
今までやったこともないような新しいことを体験して、知見が広まったような気がした。それでその時、「写真界隈ってなんであんなにギスギスしてたんだろう」と思ってしまった。
新しい趣味はどれも来るもの拒まず、去る者追わず、何も知らない人に対しては「もっと好きになってもらって欲しい!」と全力で応援するようなスタイルだった。知識量や写真歴でどっちが上とかもない。楽しんだもん勝ちで、みんながみんなお互いを尊重していた。ていうか、普通はそれが当たり前であって欲しい。
対する写真といえば、まず初心者や所謂「にわか」にとって全然優しくない。「(個人差はあれど)自分と違うスタンスの人間が見逃せなくて、それを主張したくてたまらない人が多い」というのが、写真を撮る人であり運営側から少しだけ見ていた自分の印象だった。
本来であれば人の好きなものを自分が嫌いだからと言ってわざわざ面と向かって否定はしないだろう。だってコミュニケーションを円滑に行う上でその行為は害しかないから。
「赤色が好きで、洋服にはいつもワンポイントで入れてるんです。」という人に、「俺、赤色嫌いなんだよね〜w」とかいう奴はまずいない。いたとしても、空気が読めないバカぐらいだろう。
だけど、写真を撮る人には余裕でいる。余裕で言う。「写真ってそういうものでしょ?」という考えがあるから、言った側も「こんなのちょっとした冗談じゃん」程度で普通に言ってくる。言われた側からしたらたまったもんじゃない。
さっきの例えに続くなら、「酷いことを言われたと言っても、お前が赤色が好きなのをオープンにするのが悪い。言われて当然なんだから我慢しろ(納得しろ)」とまで言うような人もいる。セカンドレイプもいいとこだ。
極めて異常である。お互いにヤジを飛ばしたり、敵対心を持って対峙する撮影スポットでの空気がいつの間にかに染み付いて、現場の外にも持ってきてしまっている。
しかもこれが一般のファンだけじゃなく、内部にいるような「お前そう言う偏見持ちながら仕事してたらアカンやろ」というような立場の人にもいた。いたと言うかなんなら結構多い。「自分の方が上」とでも言いたいのか、ユーザーを見下すような発言もよく見られた。
数年経って転職したのもあり、写真という話題から離れて、撮影に足を運ぶ機会もどんどん減って行ってしまって現在に至る。
写真特有の空気感や考え方が染み付いてしまうとおかしくなってしまう。めちゃくちゃやばいやつを見て「あいつ程ではない、まだ自分は分別がついている」と思ってる人は多いが、普通の一般人から見たらおそらく大体の写真を撮る人はやばい人のくくりの中だと思う。
なんでこんな話を改めてしたのかと言うと、飲みの場で新人の女の子が「去年から写真撮影をしてて、PENTAXを使っているんです」と言っていた所に、やっぱり「俺PENTAX嫌いなんだよね!」「やっぱオールドレンズが安いからPENTAXにしたんでしょ?」、HELIOS-44が好きと答えると「まあ、安パイだよな〜笑」などと、平気な顔をして言う酔っ払いのバカが複数いたのを見たからだ。
女の子の顔は引きつっていた。
やっぱり写真を撮る人は全員爆ぜていなくなって欲しい。
私ははてなが嫌いだ。
正確にいうと「はてなーが大嫌いだ」。
嫌いというか、全員地球上から消えていなくなってほしいくらいには思っている。一見見た目が普通の人でも、「趣味:はてブ」とか言われちゃったら、それだけで正直印象は悪いし仲良くしたくない。
恋人は絶対にはてなー、ひいてはネット以外の趣味をお持ちの穏やかな人がいい。絶対にはてなーとは深い関係を築きたくない。家族にいなくてよかったと思ってる。
ここまで聞いて「お前、はてなーに親でも殺されたのか?」と思った人は沢山いるでしょう。
あと、「頭ごなしに否定するのもやめろ!全員が全員悪人じゃない!いい人も居る!」と思った人もいるでしょう。そんなのはわかってる。わかった上での結論が「はてなー全員いなくなってくれ」だ。
なんでそこまではてなーを嫌いになったのか?
そもそも私ははてなーだ。しかも、休みがあればその休みを全部ブクマにつぎ込むような人間だった。
更に言えば、ネット好きが高じて「私も自分の手で大好きなネットを盛り上げる手伝いをしたい!」と思って、高校大学と死ぬほど勉強をし、念願のネット運営関係の仕事に就く事になった。(過去形だけど。)
ネットの友達も沢山いたし、SNSのみっともない炎上や言い争いを見ても「まあ、ネットってそういうものだしな」とスルーできていた。
そこから数年経って、仕事や私生活が忙しくなってブクマできなくなり始めた。ホッテントリは追っていたものの、前と比べるとぼんやりと追っていたと思う。
今までやったこともないような新しいことを体験して、知見が広まったような気がした。それでその時、「増田ってなんであんなにギスギスしてたんだろう」と思ってしまった。
新しい趣味はどれも来るもの拒まず、去る者追わず、何も知らない人に対しては「もっと好きになってもらって欲しい!」と全力で応援するようなスタイルだった。知識量やマウンティングでどっちが上とかもない。楽しんだもん勝ちで、みんながみんなお互いを尊重していた。ていうか、普通はそれが当たり前であって欲しい。
対するはてなといえば、まず初心者や所謂「にわか」にとって全然優しくない。「(個人差はあれど)自分と違うスタンスの人間が見逃せなくて、それを主張したくてたまらない人が多い」というのが、はてなーでありネット運営側から少しだけ見ていた自分の印象だった。
本来であれば人の好きなものを自分が嫌いだからと言ってわざわざ面と向かって否定はしないだろう。だってコミュニケーションを円滑に行う上でその行為は害しかないから。
「Togetterが好きで、アプリも入れてるんです。」という人に、「俺、棘嫌いなんだよね〜w」とかいう奴はまずいない。いたとしても、空気が読めないバカぐらいだろう。
だけど、はてなーには余裕でいる。余裕で言う。「はてなってそういうものでしょ?」という考えがあるから、言った側も「違う。こいつは滅んでよし」程度で普通にメタブしてくる。メタブされた側からしたらたまったもんじゃない。
さっきの例えに続くなら、「違う。酷いことを言われたと言っても、お前が棘が好きなのをオープンにするのが悪い。言われて当然なんだから我慢しろ(納得しろ)」とまで言うような人もいる。セカンドレイプもいいとこだ。
極めて異常である。お互いにトラバを飛ばしたり、敵対心を持って対峙する増田での空気がいつの間にかに染み付いて、ネットの外にも持ってきてしまっている。
しかもこれが一般のはてなーだけじゃなく、階級上位にいるような「お前そう言う偏見持ちながらブクマしてたらアカンやろ」というような立場の人にもいた。いたと言うかなんなら結構多い。「自分の方が上」とでも言いたいのか、ネット民を見下すような発言もよく見られた。
数年経って転職したのもあり、ネットという話題から離れて、増田に足を運ぶ機会もどんどん減って行ってしまって現在に至る。
増田特有の空気感や考え方が染み付いてしまうとおかしくなってしまう。めちゃくちゃやばいやつを見て「あいつ程ではない、まだ自分は分別がついている」と思ってる人は多いが、普通の一般人から見たらおそらく大体のはてなーはやばい人のくくりの中だと思う。
なんでこんな話を改めてしたのかと言うと、とあるオフ会で最近はてなブログ始めた女の子が「去年から増田鑑賞をしてて、AQMさんを応援しているんです」と言っていた所に、やっぱり「俺アクメ嫌いなんだよね!」「やっぱ連投してて星稼ぐからお気に入りになったんでしょ?」、有名ブクマカが好きと答えると「まあ、キモイよな〜笑」などと、平気な顔をして言う酔っ払いの古参気取りが複数いたのを見たからだ。
女の子の顔は引きつっていた。
やっぱりはてなーは全員爆ぜていなくなって欲しい。