はてなキーワード: 誇張法とは
Bは一種の誇張法で「そういう傾向が極めて強い(と私は思っている)」ということを強調している。
Aは自分が客観的で頭いいと思っているかもしれないが、発言内容に価値がない。自分の考えを明かさずに世の中を上から目線で冷笑する態度。自分は安全なところからツッコミを入れているので当事者意識が足りない。一旦自分も議論に巻き込まれると弱い。要するに何も自分の意見がない。どっちもどっち論が好き。議論に対する責任感もなく発言内容にも価値がないので議論の場にはあまりいてほしくない。
Bは主観的で感情的すぎるが、言いたいことはわかる。その人の位置から物事がどう見えるかを主張している。こういう人は自分の経験がすべてになっているので自分の知らない物事に対する想像力が足りなかったりする。視野狭窄ではあるが、同時に「その人が視野狭窄に陥らざるを得ない状況にいる」ということも明らかになるので、こういう発言を見るときにはその人の背景を研究してみると面白い。
ただし、Aの人、Bの人と分かれるのではなく、同じ人でもあるときはAのスタンス、別のときはBのスタンスと使い分けたりする。自分が特段興味のない話題はAのスタンスで、自分が当事者のときはBになる傾向があると思う。傍観者のときはいちいち感情的になる必要はなく全体を冷静に無責任に見渡すことができる。一方で当事者のときはいろいろな細部が見えてきてつまらないことにこだわったりもする。利害が絡んでいるから。
雑な断言に魂が宿ることもある。あるいは煽動の意図があるときなんかは当然そういう表現になる。
文字通り解釈することしかできない人には理解できないだろうけど、たとえば主語が大きい発言を見たら、「発話者(書き手)はなぜ主語を大きくしたのだろう。その意図があるはずだ」と感じて、意図や含意を理解しようと推論を働かせるものなんだよ、普通は。
それなのにきみたちときたら会話の文脈やその場の状況やお互いの人間関係や立場の違いなどをすべて無視して、文字通りの情報しか理解しようとしないわけよ。きみたちのような人間は自分では頭いいと思ってるんだろうけど、主語でか批判者というのは基本的に周回遅れなのよ。
文字通りの情報しかわからないというのは圧倒的にコミュニケーション弱者と言える。きみたちは分析的に文字通りに理解することは得意だが、情報を集めて含意や意図などを推論することが下手すぎる。
要するにきみたちのような人間は論文を読むのはうまいが、詩や小説を読むのは下手なんだよ。
それは「女性専用の街」という表現があくまでも修辞として使われたのに、具体的な提案として誤って解釈されたからだと思う。
「誇張法」という修辞技法がある。例えば「120パーセントの確信を持っています!」とか、わざと誇張した表現を使用することで相手にメッセージを強く印象付ける技法である。
おそらく発言したご本人は、元ツイートにおける「女性専用の街」という表現を誇張法として使っていたのではないだろうか。
「自分は女性専用の街という現実にはありえない街を望むぐらいに、街を歩くときに男性の変質者に襲われないかと怯えている。だから女性が安全に生活できるような社会にするにはどうすればいいか、もっと考えてほしい」というようなメッセージを伝えたかったのではないだろうか?
だから当然、「女性専用の街」を実現したいと思っているわけではないし、具体的な問題点を提示されても、「だから何?」としか思わないだろう。
しかし、このツイートに反発する人々の多くは「女性専用の街」を具体的な提案として捉えている。提案として見たときの「女性専用の街」の問題点はいろいろ指摘されているのであえて書かないが、そもそもこれは「誇張表現」なのだから、現実にあったら問題なのは当たり前だ。「女性専用の街」を真剣に検討すること自体がそもそもの趣旨からずれている。
1つのツイートが文脈を離れて解釈されてしまうTwitterでは、例え話とか比喩、誇張法などの修辞は使わないほうが余計な炎上を招かないのかなと本件を見ていて思った。