はてなキーワード: アクセス数とは
ネットがリアルからの避難所と言われていたのは過去の話で、リアルを反映させる力が強くなった。
他で話題になっていることについて、はてブで意見が知りたいという目的で使っている層もいるだろうが、
自分はそれよりも、どこからこんなの見つけて来たんだ!というキュレーションメディアとしての役割を期待している。
記事を書いている人で、NGワードにしたい場合もあるので、こちらもタグでできればいい
どこを見ても同じ内容になってしまっていて、はてブを見なくていい。
100ブクマ以上になると、Twitterなどで既に盛り上がっていることと重なる。
どこで見つけて来たんだ?という記事は、もう目利きによる。
他の人の目を気にせずに、「これが好き!」と言っている人の動画を見るのが好きだ。
だが数本作ったあと、コメントがつき始める。
アクセス数・チャンネル数を気にして、Twitterで宣伝とかやった方がいいですよと。
そのあとは数本作ってアクセス数が増えないと、内容が流行りのネタを引っ張ってくるようになったり、更新が止まったりする。
それが悲しい。
① コピペできるフォーマットが決まり、組み合わせで新しいコンテンツが作られるもの。Party Parrotの黒板の内容を変えたものが大量に出回るようなもの
② ふぁぼやRT数の増加傾向をいち早くつかみ、サイトで紹介したり、薪を放り込んで燃やす系。
③ 広告やアクセス数を増やすために、プラットフォーマーからの助言に従ってコンテンツを作っていく。YouTubeのサムネに大きな文字を出すなど。
これらとは違うのは残りにくい。
自分で一から作るとか、時間をかけて読まないといけないとか、始めるのにお金がかかるとか、塗料を使うなど今の住宅環境と合わないものなどは残りにくい。
意識の高いメディアや皆様が「アフターコロナ」を声高に叫んで、
アクセス数を稼ごうとしている。
でも、誰もアフターコロナの世界を具体的に示している人はいないし、
ましてや自分自信の仕事に参考になることを話している人はいない。
東日本大震災の時もそんなことをあてにせず、震災後自分で判断していち早く行動した人が
短期的に銭を稼いだんじゃなかったっけ?
・公共工事
etc...
そのあとゆるゆると、世の中はもとどおりになり、コロナを迎えた。
これから1年前後、テレワークが増えて、オフィスの専有面積が減って
医療ベンチャーが盛り上がる、くらいのことがアフターコロナなんじゃないのかな。
あえて言うと1年の間に貧乏な人が増えるのがアフターコロナなのかもしれない。
その間に、特定の会社(旅行会社とかイベント会社)がつぶれて、
騒動が終わったら、雇い主が変わるだけで産業構造は変わらないんじゃないの。
生きながらえた飲食店はもしかしたら死ぬまで借金返済に追われる。
火事場のバカ力的に新しいものが生まれる可能性もあるけどそれは一部の人。
デスマスで埋まってなければ、一般ブクマカが騙されて追いブクマすることもあるだろうに。
ラーメンテイクアウト記事とか、普通にちょっとブクマしたかったよ。
互助会erだけじゃアクセス数も少ないし、その後が勝負なのかと思ったのだが。
追記 5/3 22:00
しまった。そういうコメントを狙って、構想段階ではデスマス口調って書こうと思ってたのに、忘れてしまった。はい、うっかりさん。
余計な知恵を与えるんじゃない
えー?みんなこのくらい思いつくでしょう?彼らの脳みそカニミソなのか?デスマスクだけに。
それそれ、利益が目的なら、馴れ合いも配慮も捨てて最適化すればいいのになーと思って。
追記 5/4 2:00
たしかに不思議な言語文化だなと思う。ただそれ以上に、ブログで稼ごうとする人を腐すブコメ群のほうが謎。違法行為でもないし、元手もリスクも少なく済み、それこそ風俗嬢にならずに稼ぐ手段でもあるだろうに。
それもそうだ。だがはてなキーワードしかり、情報汚染が嫌われるのも世の常だからなー。
互助会だと認識できてる互助会er→うざい。悪い記事は読まれない。いい記事も読まれない。
互助会だと認識できない互助会er→そんなにうざくない。悪い記事は読まれない。いい記事は読まれる。
これはもうウィンウィンと言っていいと思うぜメーン。
ブクマカである以上、互助会erが互助互助してホッテンしたところで質の悪い記事ならスルーするくらいのリテラシーあるでしょ。ん?ん?
なるほどと思ったンだけど、互助会だけではホッテンするのが精いっぱいでバズンないし、アフィで稼ぎたいンなら、そんなナイーブな考えは捨てるンじゃないかなー。やっぱり利益より馴れ合いとか承認欲求でやってンのかなー。
それとももしかしてどこかに、すべての互助会erから敬語でコメントをもらう立場の互助会erの頂点のような男がいて恐怖政治を強いているとか鉄のおきてがあって、本当は利益のためにデスマスしたくない互助会erも強制されているのかもしれない。
いまさらこんなろくにPVも増えない儲かりもしないジジイの寄り集まりサービスに互助会イナゴが寄り付くわけねぇだろ こんな限界集落に来たって石投げられるなら誰もこねーよ
えー。じゃああれはなんか別の遊びなのか。事件は迷宮入りの気配だ。
了解。直しといた。
てか、気になったのそこだけ?書いといてなんだけど、互助会erとかなんでみんな受け入れてんの。
分かんないのは、デスマスしたい気持ちを抑えてデスマス止めた方がデスマスしているときよりもアフィ利益が上がるだろうに利益を捨ててまでデスマスしたい理由なのさ。
おっしゃる通りだと思うけど、本当にそれだと教員の人数が多すぎかつ給料をもらいすぎって結論になるよね。
元増田は十分そのことを自覚して書いてるからいいけど、「楽はしたいが給料は欲しい」って人種もいるわけで、それが休校前はそれなりにブラック労働に耐えていたなら簡単に切り捨てるのもあれな気がする。
誰でも見られる動画サービスを使うんじゃなくて「その学校の子しか見られない」パスワードとかかけられるのを使えば良いのにと思う。
オープンなサービスを使うなら教員同士でアクセス数を競うとか、子どものレベル別に動画を作るとかした方が良い気がする。これに関しては今までの公立学校がアナログすぎて、当面は学習塾とか海外の学校に追いつけない気がする。
ここで言う「釣り」は「嘘を付く」ということだ。
他人の感情を刺激するような嘘の情報を流し、それによって他人がどう反応するのかを楽しむ遊びのことだ。
縦読みを仕込んで嘘であることをあとで証明できるようにしてなければいけないと語る原理主義者もいるが、別にそんな所にまで拘る必要はない。
嘘か嘘でないかなんて誰にもわからない情報が飛び交うのが世の中であり、実際、人間の目ですら錯覚という形で嘘をついてくる。
自分に自分が嘘を疲れている世界を生きるには、目に見えること耳に聞こえたことがそのまま真実でないと疑う癖をつける必要がある。
私は数ヶ月に一度ほど、インターネットで積極的に嘘をつくようにしている。
自分でスレッドは立てず、ちょうどよいスレッドを見つけてその流れに沿った形で壮大なヤバイ奴を演じる。
ストーリーを全部足跡でやるとバレるから前もって設定はキッチリ固める。
これにだいたい1時間かかる。
その間にスレの潮目が変わってネタを投稿するのに相応しくない流れになってきたら、スマホやネカフェを利用して複数のIDを用意してそこから流れを作る。
どうせその後に投げ込むネタが上手く行けばそっちのIDがいくら変に目立とうがどうでもよくなる。
基本的には投稿用のIDとそれに茶々を入れるために流れを作るのとは別にIDが2つはほしいが、1つでもなんとかなる。
バレバレの嘘に見えても、案外1枚コラ画像があればそれだけで皆実在を信じたりする。
アクセス数が低いググっても出てこなそうなブログから学生証の写真を借りて、それをコピーして厚紙に貼る。
その上にネタを書き込んだ本人でを証明できるようなワードを書いた紙を載せた状態で写真を取る。
画質は低めにして取って、名前や数字や写真にはコピー前にすでにモザイクを入っているだろうが、出来た画像に対して改めて入れ直す。
それをアップロードするだけで、どこどこ大学の学生であることをバラした愚かなピエロが実在すると思い込む人間が出てくる。
あとはまあ、いい感じに。
しょっちゅうは出来ない。
正直、自分の目で見るとコレらの嘘は酷いできだ。
しかし、インターネット上の反応を見るとどうも本気にしているようにすら見える。
それが嘘なのか本当なのか、分からないのだ。
自分がついた嘘が嘘であることまでは分かっても、他人がその嘘をどの程度信じているかすら分からない。
じゃあ自分がこの嘘を聞いている側だったら嘘だと見抜けただろうか、そう考え出すと何もわからなくなる。
この何もわからなくなるという感覚によって、そもそもインターネットで嘘を嘘と見抜くことなど容易でもなければ、それをやろうと躍起になることすら正気でないことを思い出せる。
あらゆることが嘘である可能性と真実である可能性をまとっていて、適当に誰かが想像で語った冗談が嘘から出た真である可能性すらも秘めていること、それらを思い出せる。
「嘘の日」はネット、世の中、情報に対する身構えを振り返るのに最適だ。
皆も、年に一度でいいから嘘をつこう。
エイプリルフールは駄目だ。
あの日は嘘の面白さを競う日であって、嘘を見抜かれない努力をすることが最初から放棄されている。
アイデア料俺にくれ!
しかし今の情勢から言って、すんなりと開催に至ることはもはや不可能だろう。中止にするか、なんとしてもやるか、それぞれの派閥がバチバチになって、ポストコロナ時代にも悲しい世代間軋轢が残るだろう。
そこでだ!今のうちに祭りを「オンラインでやる仕組み」を構築して(PaaS型がいいだろう)、いざ夏の準備だ!と意気込む老若男女が祭りのことで喧嘩の果てに妥協案として「じゃあリモート開催で!」と言うときに駆け込める場所を作ってやって、ついでに金儲けもしてやろうじゃないか!
機能的には
・出店(物理的なもんは事前注文で宅配式がいいだろう!オンラインでしかできない商品なんて出れば最高だな!)
・音頭中継(ユーザーがライブで踊ってる様をシェアしてウィンドウを分割して一定時間ごとにラウンドロビンで切り替え表示できれば最高だな!)
・画面は日照を考慮した色合いに
・最後は〆のオンライン花火!(ここにイカした工夫ができれば最高だな!)
って感じか!
祭りの運営者は登録・ログインして、上記をオリジナルに差し替えも可能なテンプレートとして選択や作成していき「我が町祭りオンライン」を作成する!
各祭りのURLはサブドメインに分けて、それぞれの町祭り用のURLとする!初期版は祭り参加者のログイン機能は難しいだろう、全町の祭りにURL経由でアクセスできるようにしよう!のちのちアクセス制御したくなるだろう、ただし公共良俗を保つのが難しいかもしれないので、トレードオフの認識は必要だ!
アクセス数ランキングの後日発表はあってもいいが、イイねランキングやリアルタイムランキングはやらない!イイねやらスターはクソだ!ショボい祭りも盛大な祭りもバカにされずにドンとこいにしてぇ!そこにイイねは邪魔だぜ!
時間もねえしオープンソースだ!後ろも前も得意な奴がやろうぜ!CI/CDは詳しくねぇしドメインやらデータソースの置場所も考えなきゃなんねぇが、俺はそういう面倒はごめんだ!得意な奴やってくれよな!
テレワークで在宅勤務が多くなった。環境を整えていて、そういえばHHKBが昨年末に新しいの出たんだなと購入者のブログ記事やYoutube動画を漁っているのだが、昔とずいぶん変わったなと思うのだ。
本業プログラマでもなさそうな、それなりにフォロワーがいる中堅Youtuberやアフィリエイト記事を書いているブロガーが買ってレビューして絶賛している。自分の金で誰が何を買おうとどう思おうと自由だけど、動画編集やブログ記事執筆でUS配列やキー省略の利点なんてあるんだろか。「カーソルはFnを押しながらで不便なのですがなんとか慣れます」とか「USキー配列はすっきりしていてかっこいいからです」とか言っているのだ。
EXCELを多用するようなときは、修飾キー+カーソル/HOME/END/PAGEUP/PAGEDOWNを駆使するので60%キーは効率が落ちるし、周りのWindowsサーバやらPCがJIS配列だらけでRDPなりVNCなりで繋いでトラブルシュートや設定作業するような現場なら自分だけUS配列だとパニックになるだろう。SnippingTool/スケッチ登場以前のWindowsでPrintScreenなしとか考えたくもない。
自分は仕事がプログラミングメインになってはじめてHHKBいいなあと思ったので、猫も杓子もHHKBみたいな風潮に違和感を覚えてしまう。異動や転職でエンドユーザーサポートなんかが多くなったらすぐに普通のJISテンキーレスか、フルキーボードに戻すと思うし。
・記号を多用するから()[]{}が隣り合っていて、;と: , 'と" がSHIFTで切り替わるUS配列が便利だ、とか、
・viやemacsキーバインドのエディタ使うからカーソル移動はhjkl / pnfb 他のショートカットで自由自在なのでカーソルキー要らない、とか
10年くらい前は記事をたどってもガチで使ってる人の記事ばかりで参考になったけど、最近は評判がいい→アクセス数が稼げる→使ってコンテンツにしよう、という思考の順序がおかしい手合が多くてげんなりする。こういう連中にのせられた人が買ってメーカーを支えることになるから、これもまあアリなのかな。それともこういう記事や動画見て買ってつかえねーってアンチになる人が増えたりするのかな。
一般人が意見を発信する場が増えて、昔ならテレビを見ながら家族や友達とだべっていたレベルの内容が、twitterなどで可視化されるようになったからそう見えるんじゃない?
昔は自分の意見を公の場に出すのが大変だった。新聞とか雑誌に自分の意見や経験談を投稿しても、向こうの編集者が選んでくれなければそのままお蔵入り。
今はどんなに下らない意見でも、とりあえず発表することは可能だ。ブログでもtwitterでもどのぐらい読んでもらえるかどうかはアクセス数やフォロワー数に左右されるけど、とりあえず世に出すことはできる。
みんながみんなご立派な文章を書くわけではないし、ささやかでくだらないぐらいの話の方が気楽に意見を述べられるから、細かいどうでもいいような話題が世間を席巻しているように見えるのだと思う。
YouTubeのように自分の創意工夫をすると数値が上下するのを見せられると、その原因が個人の工夫に依るものであったり、ハックしたものと考えられてしまう。
実際には、アクセスしている人の増加なんぞ、勝手な想像で補うしかない。それっぽいログが表示されると、そうなのかと思ってしまう。
アクセス数にしても、本当に見た人の数かどうか疑うと、機械的にどうにでもなるような根拠がありそうでいてどうとでもなるものを頼りにしている。
日本だけでもテレビに出ていたタレントがYouTuberとして活動している。
同じ土俵にいるようでいて、プロが撮影していたり、動画編集をプロがやっていたりする。
にも関わらず、稼ぎ方に惹かれてしまっているのはなぜか。
世の中には「狙ってバズらせることができる」という技能を持っている者たちが居る。
ブログや文筆業を趣味や生業としているのならば喉から手が出るほど欲しい技能だろう。
もしかすると「そんなことは不可能だ」と否定をしてしまう者も居るかもしれない。しかしこの技能は現実的に存在する。
昨今ではこのような技能を持つ者たちの一部はインフルエンサーなどと呼ばれている。もしくはマーケッターとも表現するのかも知れない。
そのような文脈を前提に「自分はその技能を得た」と言っても怒られない程度には狙ってバズらせるようになってきた。
オンラインとの関わりはざっくりと説明するのであれば、小学生のときにニフティサーブ、時代を経ると共に2ちゃんねる、そしてTwitterという典型的なものだが、その中で「どうすると人々は僕の作ったもので馬鹿笑いしてくれるのか、興味津々になってくれるのか」をいつの間にかよく考えるようになっていた。
そしてその考え続けたものは現代で言う「バズらせる」ことへ繋がる。
ただ、やはり人間は簡単に疑心暗鬼になるもので自分自身が本当に狙ってバズらせる技能を得たのか不安になってしまった。
去年の暮れ頃、とあるコミュニティで初めて力試しとして「どれくらいバズらせることが出来るか試す」のようにコミュニティ所属する多数の前で宣言をし、年が変わって元旦に1つの記事をインターネット上へ公開した。
その結果として現在までに5万に迫るアクセスを得た。前提として無名かつ匿名の人物が公開した記事であり、内容としては難解とされがちで読者を選ぶジャンルの記事を事前に宣言して5万に迫るアクセスを狙って記録したのだ。
5万はPVなのかUUなのかシステムの都合上判然としないが、数字だけ見ると別段凄くはない。しかしこれを嘘や炎上を使わずに真面目な記事で狙ってやるのはなかなか難しい。
この結果を得たことにより「狙ってバズらせる」技能を持つ人間の末席に座っても良いのではと思うようになった。
長々と書いてしまったが、おそらくアナタたちが気になるのは長々と語った前段よりも重要なのは「狙ってバズらせるにはどうすると良いのか?」という点だろう。期待通りそれを語ろう。
ただし、何も特別なことはない。基本と呼ばれるものは流石は基本と呼ばれるだけはあり、結局のところは基本を踏襲することへ収束していくからだ。
アナタはどこでバズらせたいのか?を考えなければならない。
TwitterなのかYoutubeなのかInstagramなのかTikTokなのか、それともインターネットへアクセスする全ユーザなのか、年齢層はどの辺りなのか。
それらのユーザ(=読者)がどのようなことを好み、どのような文体(=表現)だと受け入れて貰いやすいか考えなければならない。
結局のところバズらせるには読者の膨大な受け取り方をあらかじめくまなく想定しておく必要があるのだ。
つまり、読者によっては自分自身が想定していない斜め上の発想を持つことがあり、よくわからない理由で「このコンテンツは自分向きではない」としてコンテンツの閲覧をやめてしまうことがある。
それを抑える工夫が必要だ。
Twitterなどではブログ記事の画像がサムネイル化され表示される。
このサムネイルは非常に重要であらゆる読者のアイキャッチとなり得る。
「Youtubeの動画サムネイルは日本的なスタイルがある」と言われるように、読者層へ合わせたスタイルのアイキャッチを作ることによって読者流入を呼び込みやすくなる。
実際はアイキャッチとなるサムネイルも含めてなのだが、読者は筆者が思うよりも非常に早い段階でコンテンツを切る。
アイキャッチはタイトルを読者に読ませるもので、タイトルは冒頭3行を読ませるもので、冒頭3行は記事全体を読ませるために存在すると思ってもらって構わない。
早い話が読者の興味を維持し続け、欲を言えば次々と読者の興味を増幅していく必要があるのだ。
もしアナタの書いた記事のアクセス数(PVやUUなど)自体が全く伸びないとするならばアイキャッチやタイトルの時点で失敗している。
どんなに記事の中身が良くてもクリック(タップ)されなければ意味は無いのだ。
例えばはてなーであるならばはてなブログを使いたくなるだろう。
しかしそれは「はてなブックマークでホットエントリ入りしたい」という目的でない限りは間違っている。
バズらせたい読者層を想定したときに、はてなブログ以上に人気のあるブログサービスがあるならばそちらを使うべきだ。
想定読者層に人気のプラットフォームには想定読者が居るのは当たり前であり、アナタの目的は想定読者層でバズらせることなので、アナタの好みでプラットフォームを選ぶべきでない。バズらせたいのであれば想定読者の好みでプラットフォームを選ぶべき。
YouTubeだろうがInstagramだろうが想定読者が好んでいるのならばそのプラットフォームを使うべきなのだ。
読者層を想定した際に、その想定読者層でよく読まれシェアされている記事の堅さはよくチェックしておかなければならない。
あまりにも堅い記事が続いてシェアされていたり、同じジャンルの記事が続いていたりすると想定読者層はそれに飽きていることが多い。
例えば想定読者層でお堅い政治の記事のシェアが続いているならば、アナタが書いたお堅い政治の、しかも素人が書いた下手な記事を読むわけがない。
お堅い政治の記事のシェアが続いているならば、そこへ食の乏しい2月の今、旬の食べ物やちょっとプレミアムな食事の記事をサムネイルと共に公開してみると良い。間違いなく人気が出るはずだ。
この例で右や左、保守やリベラルや革新の膨大に公開され続ける素人記事の多くが読まれない理由を察すると良い。
逆に柔らかい記事が続いていても読者は飽きるので、そういうものが続いているのであれば知識欲を刺激するような記事を公開すると良い。
扱うなという話ではなく前段に共通する話だが、女性性やLGBTQ+やジェンダーなどのネタでバズを経験するとコレに旨味を覚えて継続してしまうことが多い。結果として読者は飽きる。
そして結果としてやりがちなのがセンセーショナルな言動をしてしまい炎上状態へ陥ってしまうというパターンだ。
何もお堅いネタばかりでなく下世話なネタやエロネタでも全く同じ。それで1つバズると続けてしまいがちだ。
特に女性性によるエロネタは2ちゃんねる成長期から続く「女神」の悪習なので良くない。ニコ動でどれだけ女神の垢BANを見たことか。
女神を批難するようなフェミニズムが居ることは良いことだが、それによってバズを経験し旨味を得て繰り返すとしっぺ返しをくらうのは最早インターネットではありがちな光景だ。
フェミニストやジェンダー論者、LGBTQ+の目的は怒りを拡散することではなくフェミニズムやジェンダー論、LGBTQ+の考え方を広めることだと解釈しているが違うだろうか?
怒りは人間の心理上ネガティブな感情であってネガティブな感情を継続したくないのは人の常だ。
性的被害などを叫ぶのは重要だが、それ以上に大切なのは「誰しもが楽しく面白いフェミニズムやジェンダー論、LGBTQ+」を広めることだと思う。
敢えて言おう、バズらせるのに「怒りのフェミニズムやジェンダー論、LGBTQ+はもう古い」と。
前述した要素を考えて数十回コンテンツを公開するとバズるコンテンツが現れるはずだ(当然ながら見当違いな考えをすると失敗もするが)。
プロではないのでテキトーなことを言うけれど、プロがプロである所以は安定して高いアクセス数(PVやUUなど)を稼ぎ出すからだ。プロはおそらく1発のバズよりも一定期間内の総数の方が重要だ。
今回5万程度の数字を得たが、プロは1回の記事が1000としても、例えば1週2記事の公開した場合は1年約52週=10万4000もの数字を稼ぎ出すはず。
そしてそれが想定読者層へ対して最適なプラットフォームであった場合は1000などという小さな数字であるはずがないので5万などという数字は鼻で笑うようなものだ。
何ならプロはオススメやレコメンドなどによって他の記事の数字すら伸ばすだろう。
今回は事前に宣言するという失敗すると恥ずかしい自身へハードルを設けたが、プロは常にこのハードルを超えているわけで流石としか言いようがない。
しかも当然ながら(真っ当な)プロであるならば嘘や炎上は使わずにそれを行っているのだから感服する。
この記事は今のところのバズらせるコツみたいなものを書いたものなので今後考えが変わるかも知れないが、参考にしていただければ有り難いしツッコミは大歓迎だ。
個人的な予想としてインフルエンサーマーケティングは失速するだろうから、この記事をもってインフルエンサーになろうとするのはやめたほうが良いと強くアドバイスする。では。
https://kensuu.pageful.app/post/item/OzwWntUXLhlyxGT
僕は親友だと思っています。こうすればこうなるよね、というロジックがいつも精度高く、みんなが「それは違うんじゃない?」と思っているものでも、成功させてしまう実力がある。人気があるものだけじゃなく、売上や利益をすぐに出せる経営能力の高さがすごい。センスの人だと思われがちだけど、センスだけじゃなく、数字やロジック、人の機微まで見極めて事業を作れるので本当にすごい。
あと、多くの人が尊敬しており、優秀な人を集めてきて、くっつけて、うまくいかせる・・・みたいなウルトラCの施策もガンガンできる。
その彼が、同じく起業家のあやたんこと中川綾太郎さんを褒めちぎっているのを見かけた。
僕の認識では、中川綾太郎さんというのはキュレーションメディアのバブルで最高に上手くやった人で、後に一時公開停止となってしまうメディアを数十億円とも言われる高値で売り抜けた人物だ。
実際のところ、誰の主導であの事件が起きたのかは内部の人間ではないので定かではないが、
事実としてわかっていることは、パクリや読者の興味を煽ることに特化した不適切かつ不正確な記事を量産してアクセス数を稼いでいたということだ。
そこには誠実さの欠片もなく、ただ儲かればなんでも良いという精神しか感じ取れず、個人的には非常に胸糞の悪い事件として記憶に残っている。
僕は起業というのは一つの手段であって、それによって社会をより良くしたり誰かを手助けしたりすることが本質だと思っている。
だから、その目的が達せられるならば、立場は別に大企業のサラリーマンであっても一向に構わないし、
むしろその方が組織のリソースや看板を用いることでより優れた業績を残せる場合だって当然あると考えている。
しかし、世の著名な起業家の立ち振舞を見ていると、そういう価値観のもとで動いているとは思えないと感じてしまうことが少なくない。
そういえば、けんすうさんがKDDIに売却したnanapiというサービスも、結局は立ち行かなくなって事業停止に追い込まれてしまった。
nanapiはけんすうさんが心血を注いで頑張ったものの結果としては市場があまり存在しなかったというだけで、
Meryのように社会にとって悪質で有害なものを自己の利益のために生み出したことに比べれば、善良かつ単純な失敗と言えるだろうが、
いま一つなメディアを作って誰かに売りつけたことが起業家としての主な実績という意味では、二人は共通点があると言えるかもしれない。
そのあたりからシンパシーを感じているのかもしれないが、僕が不思議なのは中川綾太郎さんのように、
外部からは明らかに悪いことをやったようにしか見えない人が、特に断罪もされずに依然として起業家としてリスペクトされ続けているという点だ。
あのけんすうさん曰く、多くの人が尊敬していて優秀な人が集まってくるというのだから、その人望は折り紙付きなのだろう。
もちろん、「事業を作って数十億円で売却した」ということも一つの事実であるから、
それが起業家にとってのゴールであり目標であるならば、彼はまさしく後続の人にとってはヒーローなのだろう。
それどころか、無から実を生み出して大金を得たのだから、考えようによっては凄まじい荒業をやってのけた伝説的な人物という捉え方もできるのかもしれない。
しかし、それによっていったい僕たちの生活になんの好影響があったというのだろう。
彼が手にした大金は、いったい社会に何を与え、どんな貢献をしたことへの対価として支払われたのだろう。
そういうことを疑問に持つ人は、あの界隈にはまったく存在しないのだろうか?
ビジョンもなく、ただ数字を追って有害無益な「事業」を作り大金を得た人が、成功した起業家の代表のような顔をしていることが、
あとに続く人たちにとってどれほどの悪影響を与えるかということを、そこにいるいい大人たちは微塵も考えないのだろうか?
程度の差はあれ、似たような人は大勢いる。
僕が見るに、スタートアップの人たちは、IPOやMAでEXITしたことのみをクローズアップして、
その会社やサービスがその後どうなったのかをあまりに軽視しすぎているように思う。
典型的な上場ゴールを決め、そこで調達した資金がなければとっくに潰れているような会社を経営している人が、未だにイベントなどにいくと大きな顔をしているということはザラにある。
不勉強な社会人や無知な大学生相手にはそれでもいいのかもしれないが、誤ったロールモデルを目指してしまうことの危険性をもっと考えた方がよいのではないだろうか。
起業家のそうした身内への甘さのようなものがなくならない限り、この国から本当に世の役に立つようなスタートアップは出てこないのではないかと思ってしまうのは、僕だけなのだろうか。
農業や製造業はわかりやすく原料や種がある。製造・販売・転売などが数珠つなぎで行われて、最終消費者の労働力がお金を支えている。
1日に働ける時間は決まっているし、食べないと動けない。
人口が減ると大変だというのは、消費者が減るし、労働力も下がる。
人口が減るのと経済成長ができないというのがイコールでないのは、人口が減る分を機械で生産性を上げればという話になる。
じゃあ、機械って消費してくれるんだっけ?
パソコンやスマフォによって生産性が高くなっているというのは、
例えば、Twitterでイイねを押すような小さい労働が、1人当たりの小さな労働ではお金にならないが、数億人いればお金になる。
他に、交通にかかっていた時間をリモートで作業すれば、より労働時間をつぎ込める、という話だ。
広告で物がより売れるようになるというのであればわかりやすい。
物を製造する所が儲かるか、販売をする所が儲かるかは色々あるだろうが、広告が一番マージンを取っているとは思えない。
物を製造する所が新製品を作れなくなった時点で持続しなくなるから。
とはいえ、広告業のGoogleやFacebookにお金が流れている。
Amazonのアフィリエイトはまだ物の販売数に応じているのでわかる。
アクセス数と単価で決まるが、お金の出どころは物を製造販売する企業の広告費ではないのか?
モノが売れない!と言っているのに誰が支えているのか。
物の販売が主で、広告で支えられているサービスの規模が小さかったときはよかったが、
支えられなくなった場合、どこにシワ寄せがいくのか。