はてなキーワード: アクセス数とは
YouTubeは、ホームビデオを誰かに共有したり、同じゲームが趣味な人と交流する場であったり、他のサイトに動画を公開するため、収入目的など、
人によって投稿目的が異なるため議論が発散しやすいが、収入目的というのが問題になりやすいので、それについて書く。
上記は男性YouTuberに多く、女性YouTuberには当てはまりにくい。
女性YouTuberの場合ルッキズムで排除され、残った人は勝ち抜いてきた人であり、むしろ過激なことをする方のデメリットが大きい。
アクセス数、チャンネル数など、数字データは、視聴者・動画投稿者には非公開にする。
数字が上下するだけで人の感情は浮き沈みするし、数字を上昇させようとするものである。
検索についても視聴者数での検索は禁止した方がいい。良くても悪くてもアクセス数が多いというだけで拡散効果がある。
広告収入についても、広告主が払いたいと決めた人に限定すればよい。アクセス数とチャンネル数さえクリアできればと数字だけ見て努力するようになるのでおかしくなる。
正確にはなろうのR18地方、ノクターンノベルズで書いています。タイトルは限界かもしれないとしたが実はそれほど辛いものでもありません。軽い釣りです。
私はある特定の狭いジャンルを中心に書いていて、そのジャンルが好きな人にはある程度名が知られている、ぐらいの知名度です。
もちろん読むのも好きで、商業から同人、ツイッターにあがる断片まで継続的にそのジャンルの作品を楽しんでいます。
さて、ずーっと同じジャンルの作品ばかりを摂取しているとどうなるか。好みが尖っていくのです。より過激なものへと変遷するのはもちろんですが、実は尖っていくと、好みはより直接的ではないものへと変化していきます。そのジャンルを予感させるもの、匂わせるものさえあれば、具体的な本番描写がなくても楽しめるようになり、更には本番描写が邪魔だとすら思えるようになってきます。(ジャンルの特性上、本番描写では他のジャンルとの差を出しにくいのです)
性欲が減退したというわけではありません。むしろ逆で、世の中でエロいと思える範囲が広がっていきます。本番がなくてもいいというのは、それっぽい描写や展開がなくても、普通に興奮して最後までいけてしまうということです。
これは消費者としては望ましい進化と言えます。なぜならば自分が楽しめる作品が増えるからです。しかし創作者としては少し困ったことが起きます。
自分の作品の中で、本番シーンを描くのが面倒になってしまうのです。ノクターンノベルズでエロ小説を書いている人の大半はそうだと信じていますが、私は読者よりもまず、自分が興奮するものをどうしようもない衝動のままに書いています。今の私が私の衝動に正直に書いてしまうと、作中での本番シーンがものすごく少なくなってしまうのです。
そうするとどうなるか。ノクターンノベルズを訪れる多くの読者はある程度直接的な本番描写を求めています。もちろん私のジャンルの読者も大多数はそうでしょう(他の一般的なジャンルよりは割合は低いと思いますが)。そのような読者が今の私が正直に書いた作品を読むと、拍子抜けしたり物足りなさを感じることが多くなるでしょう。ものによってはノクターンノベルズではなく、なろう本体に投稿できるレベルにまで直接的な描写が省かれたりするのです。
かといって、なろう本体に投稿したとしてもあまりうまくありません。なぜならばなろう本体とエロ主体のノクターンノベルズでは読者層が違うからです。試しに一度なろう本体に投稿してみたところ、ノクターンノベルズに投稿した場合と比べてアクセス数が一桁落ちました。読者の母数はなろう本体の方が圧倒的に大きいであろうにも関わらずです。
今頃って、企業がゲームの攻略wikiを作って、SEOを略奪し、「未定」で埋め尽くしたり他からパクってきてアクセス稼いで個人wikiを壊滅させるのが常なんだけど、艦これだけは生き残ってて、有志のwikiの方が強い
これってなんでかなと思ったんだけど、結局は、二つ理由があって
イベントなんてRTA勢の血反吐を吐くような40時間ぶっ続けプレイなどで情報が組み上がっていくので企業で担当が数人頑張ったところで、百人単位で走ってるRTA勢と個人ユーザーの情報量に勝てない
艦これは普段動きがない分、イベントでは怒濤の情報量が短時間に必要になる。企業系の社員もそれなりにやってはいるようだが、熱量もスキルもRTA勢とは段違いなので更新が遅れる
あの手の企業掲載とは両脇にリンクやら、広告があって、真ん中に縦長に記事が表示される
つまりスクロールが多くて、1ページに入る情報量が少なく、画像は小さい。
ソシャゲなら、アクセスするのがスマフォやタブレットなので特に問題にならないだろうが、艦これはブラゲーなのでみんなPCの前にいる
なら横長で最大限表示される有志wikiの方が圧倒的に見やすいし、分かりやすい
なんじゃないかと思っている
ただでさえ、企業攻略サイトばっかりに汚染されているゲーム業界なので、艦これの有志wikiが今も頑張っているのはとても嬉しい
最近なんて企業サイトは、自力攻略を諦めたのかRTA勢から画像をお借りして編成を出すとか、プライドもクソもないことをやりはじめていて、自分たちで攻略もできねえなら攻略サイト名乗るなよと言いたい
滅びろ
私の推しカプ(仮にAとするアイドルグループの中のカプ)はマイナーとは言えないけど王道でもなくて、ナマモノだから余計に書き手も少なくて、でも私の大好きな小説を書いてくれる神がいた
その神は気づいたら別のグループ(Bとする)にハマっていて、もうAの話を書くのはやめていた
神もサイトメインで更新してたから、トップページからAの話へのリンクが消えても自分が小説のURLさえ知ってればAの話を読める状況がしばらく続いたらしい(私はリンクが消えて諦めてた)
数週間後、神は「私はAのリンクを消したのにAへのアクセス数が増えているのはなんでですか?気持ち悪いので全て消します。本当にやめてほしいです」って書かれた文をトップにあげて、Aの話は一つ残らず消されてた(多分短編も含めれば50近くあった)
私はURLを知らなかったから神のトップページを見て「その手があったか」と思うと同時に自分がどれだけ気持ち悪い行為をしてたか思い知った
別グルに移動してもその人の書く言葉が好きで追ってたけど、その件があってフォローを外した
追う側からすれば本当に純粋にただ好きって気持ちなんだけど、追われる側からすれば気持ち悪いものなんだと改めて思い知りました
HEADには以下を埋め込んでいる。
<!-- Global site tag (gtag.js) - Google Analytics -->
<script async src="XXXXXXXXXXXXXXXX"></script>
<script>
window.dataLayer = window.dataLayer || [];
function gtag(){dataLayer.push(arguments);}
gtag('config', XXXXXXXXXXXXXXXX');
</script>
本文中のtableには以下のように記載した。Onclickはサイトの丸コピだ。
<a onclick="gtag('event', 'アクション', {'event_category': 'カテゴリ', 'event_label': 'ラベル' 'value': '値'});" href="B-001.pdf" target="_blank"><img src="pdf.png"></a>
でも、ダメなんだよなぁ。
アクセス数は正しく表示されんのに
良いサイトしらない?
何でそんなに悲観するんだろう?今はとても幸せな時代だと思うよ。絵だろうが音楽だろうが、プロになれるレベルじゃなくてもネットを通じて世に出すことができる。アクセス数とか見た人のリアクションでものになりそうかどうか見当がつくし、大勢に受けなくてもニッチな人気を得ることができれば小遣い稼ぎぐらいはできる。
食べていくためのお金は面白くない普通の仕事で稼ぐしかないかも知れないけど、とりあえずやりたいことを手当たり次第やってみて、結果を世に問えば良いと思う。私は高校時代、手作り大好きで、今思えば結構手の込んだものも作ったけど、だいたいプロの作家が書いた本を真似して作るばかりだったのでこんなのは価値がないと思って作ったものはそのままホコリまみれにしてしまった。
今みたいにブログとかSNSで気軽に自分の作品を発表することができれば、別にプロにはなれなくても同好の士を探して手作り談義を楽しんだり、いろいろな情報交換ができたかもしれない。
元増田にどの程度才能があるのかは私も分からないけど、とりあえず形にして、人さまに見てもらえそうな場にアップしなよ。たとえお金にならなくても、作りあげる達成感とか仲間を得られる可能性はあると思う。やる前から悲観してはいけないと思うよ。
アドバイス有難うございます。Twitterは鍵垢になっており、気が向いたときに好き勝手につぶやく仕様にしてあります。ほとんど人との交流は生まれませんが、何を書いても炎上とは無縁の状態です。
ほとんど誰も見てくれないブログのアカウントもあります。アクセス分析機能もついていますが、めったに更新しないうえにたまに更新してもだらだらとつまらないことを書くだけなので、アクセス数はほぼゼロです。
両者を組み合わせれば追われるように折り紙を折る必要はないのですが、誰も見てくれないのを分かっていて作るのも悲しいものがあります。結局自己顕示欲や承認欲求を捨てられないのです。
問題のSNSはかの有名なInstagramです。「インスタ蝿」などと揶揄されるだけあって、その中毒性には恐ろしいものがあります。無理に高級ブランド品を買ったり高級レストランに行って経済力を見せびらかすような写真をアップするようなスタイルではなく、テーマを折り紙にしたのは我ながら正解だったと思います。
限られた人にしか見せないようにした方が無駄に疲労しなくて済むと思いますが、現状では「見てほしい」「イイネ!が欲しい」という欲求に勝てません。私はもうすぐ50歳になるオバさんなので、あまりハイペースで折り紙を折ると目が疲れたり肩や腕に疲労が来ます。たぶん完全には止められないと思いますが、なるべく身体に負担の来ないペースでやりたいものです。
俺はどこにでもいるインターネットユーザーであり、声優オタクであり、コンテンツ消費者である。Twitterのフォロワー数こそ四捨五入して2000人だが、ツイートのインプレッションは概して300前後。そこそこ頑張ってQiitaに書いた技術記事のPVは200どまり。
といった俺氏、何を血迷ったのか唐突にエロ小説を書き始めた。むろんこれまで小説を書いたことなどない(一度だけ増田が伸びたことはある)。エロ表現に至っては語彙が貧弱すぎて最初の一行から壁にぶち当たる始末。シチュエーションで補うつもりだがどこまで効果があるのやら。
だが読者が多いところにタグを盛大に盛って放流すればそれなりの反応はあるものである。書き始めてからまだ数日なのだが、PVは1日5000を数え、ありがたいことにブックマークも100件を超えた。
俺はこの数字の沼にはまった。書く側に回ることなどこれまで考えたことすらなかったため、「どの程度のPVならこのランク」といった相場感が養われていないのがかえって良かった。質を保って連載を続けていけばPVは鰻登りに増える道理である。日がなアクセス数の推移を見るためにリロードを繰り返し、他の作品を読み漁ってはどこかで使えそうな表現や語彙はないかとメモを取り、次の展開について考えてばかりで仕事も手につかない始末である。沼である。こんな楽しいことがあったのか。
とはいえ熱しやすく醒めやすい俺のこと、先の展開に詰まり、更新頻度が下がり、気付けば中途半端なまま放り出す日もそう遠くはないだろうという確信に近い予感はある。読者になっていただいた方々には申し訳ないという気持ちもある。だがもうしばらくの間はこの沼で溺れていたい。またこの気持ちのスナップショットを撮っておきたいと思い、こうしてここに乱筆乱文をしたためておく次第である。
大阪万博会場3Dと、当時の写真が見れるサイトみつけて、ノスタルジックエモおしゃすぎて死にそうなのと、
1970年に生まれていなかったことを激しく悔やんだので、HPの感想と、私のEXPO70の呪縛について語る。
https://www.asahi.com/special/expo70/#3d
(朝日新聞の回し者ではありません。政治思想とかもないので、あしからず)
こんなにエモちらかしたイベント、今やっても大盛況になるに決まってるじゃない。
むしろ、今の日本の経済状況で、こんな大規模に各国のパビリオンを作れるとは思えない。それが悲しい。そして1970年代の、生き生きとした日本をノスタルジックに語るかつての日本人たちと同じテンションで話せないのが悔しい。1970大阪万博をテーマにした作品は数多くある。20世紀少年にしろ、クレヨンしんちゃんのオトナ帝国にしろ、万博世代でなくてもノスタルジックに浸れるが、当時を経験している人々と同じ熱を持てるわけがなく、見聞きした情報で脳内補完するしかないのだ。
これはクリエイターの作風にも影響すると思う。共通言語で語れる何かは、その世代の時を生きる人たちに対して、何らかの影響を人生に及ぼしたるものであり、共感を与える。語らずとも全国民が共有して認識している事柄、そして気持ちを揺さぶる何かに、1970年があることが、とても羨ましいのだ。
翻って、我々の世代での共通言語とは何か。私が物心ついた時からの記憶では、地下鉄サリン、阪神・淡路大震災、9.11、3.11、そしてコロナだ。これらは、世界レベルでの共通言語かもしれないが、ちっとも、たのしくない。わくわくしない。ノスタルジックを感じさせるものではない。なんなんだろう。
大阪万博のに関連したキーワードは、とっても心が踊る。「エキスポ」「パビリオン」「人類の進歩と調和」どれもなんか楽しそうで、なんかかっこいい。インターネットもなく、情報が少ない時代に、情報がとんでもなく詰まった、夢のテーマパークが、現れたらそりゃ楽しいよね。現代は逆で、情報過多な社会と言われている。取捨選択しないと自殺まで追い込まれるくらいに情報が多い。
楽しい自由は、ある程度の不自由の上に成り立つと思っていて、制限がある中でその隙間をぬって自由を見つけるから達成感があるのかなと思う。授業中にマンガ読み放題だったら、多分読まない。今は情報が多過ぎるがゆえに、しんどいニュースがいっぱい拾い上げられやすいのかなと思う。誰かを叩いたり、妬んだりのほうが視聴率やアクセス数が稼げて、キラキラした未来の裏を暴露して足引っ張ったり、前向きなことやるより後ろ向きなことを世に出したほうが短期的にお金稼げるのかなと思う。
あとは勢いが出なくなってる。でけーイベントやろうと思うと、ある程度頭空っぽにして、イケイケドンドンで進めていく人がいないと、周りの意見ぜーんぶきいてたら企画倒れすると思う。岡本太郎の太陽の塔、当時だって反対する人が沢山いたというのだから、今だったらできてないかも。後世から見て賞賛されることも、現世で叩き潰されたら、なんも残らんなと。保守的に立ち振る舞うのが今のSNS社会の処世術だけど、破天荒なやばい人が拾い上げられなくなってる気がして、なんでも世論に問いかけて同意を得るのは違うんじゃねーか、と、渋谷駅の岡本太郎の絵を眺めながら、思った次第であります。
ぼく自身、および世界の黒人コミュニティが感じている痛みについて「日本の人たちに説明してください」と頼まれると、ぼくはがっかりしてしまいます。人間は同じ痛みを感じるはずで、誰かに「これって痛いんだよ」と説明するのは、正直なところ、人間じゃない相手に説明しているような気分になります。個人的に言うと、「抗議デモや暴動、略奪をする理由がわからない」という人に会うと、ぼくはその人は嘘をついていて分からないフリをしているか、魂を去勢されてしまったのではないか、と思ってしまいます。
この表現で許されるのは、書いた人がある種の特権を持っているからで、これを日本人が黒人に対して「人間じゃない相手に説明しているような気分になります」と表現したら決してゆるされないだろうから、すごくゲッソリする。表面的には取り繕うけど、こういう事を主張する人の前では警戒心を決して解かないようにしようと。
人種対立を煽るリベラル気取りのマスコミというのは、一方に仲間のフリをしてこういう記事を載せて、結局憎悪を煽っているんだよ。
またどれもニュースをコンテンツとして扱っている。そうしないとアクセス数が伸びないからだ。
ニュースを扱うことで、どのサービスも似たりよったりになった。
Webサービスが互いにポストを連携させていたり、サービスが違っても似たような書き込みをする。
似たようなサービスばかりになったのと、Webサービスの勝敗が決まってしまったので移住先の新しいサービスは出てこない。
巨大になりすぎたサービスは、テクノロジーで解決できる規模を超え、運営の統治能力と大量の人手が必要になった。
Webサービスはあくまでテクノロジードリブンで動いているため、どういった社会を目指すのかといった、政治的なKPIは出されない。