はてなキーワード: れいなとは
地元は自民党議員が強い地域なんだけど、最近野党の勢いが強くなってきたことに焦ってるのか、頻繁に保守系()の集会をやってる
親が勤務してる企業の社長が手厚く議員にコネ作ってる関係もあって、この前その手の集会に連れて行かれた
何か身ぎれいな恰好してるんだけどどっかギラついた目の女の人がいっぱいいて、戦後処理がどうとか極東国際軍事裁判がどうとかいう本の購入を勧められたりした
そんでまあやっぱりギラついた感じの自民党議員の奥様とか、保守系の学者だかが出てきて講演し始めて
「男女平等という幻想を捨てなければいけません。男は男らしく、女は女らしく生きることが日本古来の伝統なのです」
みたいなこと言ってまわりのギラついたおばさんたちが「そうだ!」とか言ってた。
なんだろうね。
保守系の人って宗教もそうだけど、自分の知ってる価値観から世界観が一ミリも動いてほしくない人たちの集まりなんだなって思った。
「ゴール」がなくなってしまった、ということで、喪失感や、むなしさを強く感じているのですね。もちろん、ブログの範囲内でのことですけれども、失礼ですが次のようにしてみるのはよいかもしれません。
まず、ご自分が喪失感を感じているのだということを、ありのままに受け止めるようにします。具体的に、何を失ったと感じているのかを、もう一人の自分ではっきりつかむのです。そのことで、本当は、さらに配偶者と「気持ちを分かち合う」コミュニケーションがとれると、一番良いのです。
次に、「達観する」ようにします。達観できるようになると、人間、「しなやか」になり、負けずらくなりますよ。達観するための参考情報も、自分で探します。これを自分の人生の「おもしろさ」の一つとするのです。
次に、「自然に親しむ」ことをおすすめします。自然を軽く見てはいけません。ある若い女の人は、自分が生きることに絶望的になっていた時、ふと自宅の庭に出てみると、雑草の中に一匹のカマキリがいたのだそうです。そして、そのカマキリを見ているうちに、その透き通るようなあまりに美しい「緑」の色に「なんときれいな色だろう!」という強い感動を覚えたとのことです。その人は、自然界には、それまで考えもしなかった、こんなに美しいものがあるのだということを生まれて初めて知ったのです。自分のことだけを見ていたときは気づかなかったものが、実物の「自然」に触れて、目をやった時、はじめて見えるようになったのです。その時、その人は、生きる価値があるのだという「実感」を得たとのことです。「自然」のすばらしい点は、「存在していること」「みずから成立していること」の圧倒的な説得力、荘厳さ、美しさです。しかも、無言なのです。人間界のようにでたらめだったり、うそであったりしないという点です。自然の中に身をおいてみると「見えてくる自分」があるものです。大掛かりでなくとも、例えば、可能なら、部屋にグリーンを置いて育てるなど「小さな自然」に目を留めるようにします。
最後に、妻、母として「自分を与える」ことを目指すようにします。一般的に、人間は、好き放題にさせられたり、自分のことばかり考えたりしていると、欲求不満になるものです。それは、からだに毒でしょう。それで、「受けるより与えるほうが幸福である」と言われているように、与えることの喜びを味わうようにするのです。それを、やっかいな、めんどくさいことと感じる気持ちに負けないで、打ち勝つのです。妻として夫の良き支え手となり、母としてお子さんの良き親となることを目指すのです。そのようにして、自分の役割りに励むことに「安心」と「満足」を実感するようにします。一方で、自分の感情的・身体的必要も、バランスよく満たすようにします。
きびしかった冬も終わり、春が近づいてきました。ぜひ、暗い気持ちに「負かされ」ないようにしてください。妻として、母として、誇りを持ち、ご自分の道を歩んでください。
以下、判明している事実。
ニルヴァーシュのわかれのことばによれば
ふたりは人類とコーラリアン共生の可能性を世界に啓く使命を帯びる。
住民票によれば、
そして除籍されいない。
森のなかにふたりがいる。スカブコーラルに覆われた地表ではなく、その下の約束の地、つまり地球の上。
レントンとエウレカはGreat Wallから戻ってきた、あるいはいまはいないが確実に戻ってくる。
エウレカはサーストン家に入籍している、またモーリス・メーテルリンクとは養子縁組を行なっている。
これらは本人確認が必要な行政手続きで、すくなくとも一度くらいはベルフォレストのアクセルの元にきている。
レントンとエウレカはニルヴァーシュとの約束をはたすため、約束の地と地表を往還している。
以上。
https://matsurd.deviantart.com/art/Eureka-7-Back-in-Bellforest-31920196
私はデリヘル嬢だ。
運ばれていったラブホテルや自宅などで、男性を相手にヘルスプレイをしてお金をいただいている。
けれど同時に、レズビアンでもある。
今は恋人と呼べるような存在はいないが、女性とお付き合いをしたこともある。
デリヘル嬢であるということと、レズビアンであるということが結びつかない方もいるかもしれない。
しかしながら、男性に性欲や恋愛感情がわかなくとも、ヘルスプレイをしたり好感を抱いている振りをすることは可能だ。
レズビアンのデリヘル嬢であるところの私は、ある日女性向けのデリヘルというものを知った。
女性のところへ女性が派遣されるタイプのデリバリーヘルスで、いわゆるレズ風俗である。
もちろん、レズビアン向けというわけではなく、ヘテロやバイの女性であっても問題なく利用できる。
ただ、女性のところへ女性が派遣される、と言っても、お店のタイプはいろいろあるらしい。
まずは、男性向けのデリバリーヘルスだが、女の子によっては女性のところへも派遣できますよ、というお店。
次に、女性専用をうたったデリバリーヘルスだが、受け付けの違う男性向けデリバリーヘルスも同時に存在し、在籍している女の子は男性のところへも女性のところへも派遣されるお店。
最後に、女性専用のデリバリーヘルスで、在籍している女の子は女性のところにしか派遣されないお店。
今回私が利用したのは、最後に挙げた女性のところにしか派遣されない、ということになっているお店だ。
ちなみに、このような女性向けの風俗店には、いわゆるヘルスプレイをしない、外で遊ぶだけのデートコースが存在する。
私はエスコートをする自信がなく、二人きりでくっついたりいちゃいちゃしたりしたかったため、ヘルスプレイのできるコースを選び、時間少し前にホテルへ入室した。
さて、男性が自分を買うのに使う金額とほぼ同額を支払ったわたしは、イクこともイカせることもなく時間を終えた。
女の子が下手だったわけではない。むしろ、私は胸に触れられながら、いつになく濡れていた。
けれど、自分の女性器に触れられるのに、どうしても抵抗を覚えたのだ。
おそらくそれは、自分がデリヘル嬢であるということへの後ろめたさでもあり、出会ったばかりの女の子に身体を預けきれなかったことでもある。
ただ、行為を中断してもらい、裸で抱き合っていた時間のほうが、はるかに充足感のあるものだった。
デリヘル嬢である私は、仕事中、お客様と裸で抱き合い、なにもしないまま時間を過ごすことがしばしばある。
女の子とそうやって過ごすのは、仕事中のそれと似ているようで、まったく違う時間だった。
女の子の背中は柔らかく、しっとりしていた。顔をあげるときれいな瞳がこちらを見ていた。ゆっくり背中に触れる手があたたかく感じた。時折交わすキスは穏やかで優しかった。
お客様の頭を胸に抱いて撫でると喜ばれることが多いのは、こういうことなんだろうと思う。
女の子の身体に私も少し触れさせてもらったが、性感を煽るようなものにはまるでならず、おっかなびっくりという表現が正しいものだった。
おそらく、いわゆるヘルスプレイができるようになるには、もう何段階かハードルを越える必要があるだろう。
きれいはきたない、きたないはきれい。関係ないけど魔女の台詞、なんでこんな誤訳が定着したんだろ。それともこう訳した奴はこの後のマクベス先生の台詞「So foul and fair a day I have not seen」を「きたない天気ときれいな天気」とか訳すんだろうか。謎だ(再投稿)
2017/12/21 エネファームの動作音が近隣の健康を害することを否定できない、と事故調査委員会が発表した。
エコキュート、エネファームといった深夜電力を使う装置は、わずかな音であっても深夜という人々が寝静まったころに稼働するので、動作音が目立ちやすい。
しかし、「音がうるさいか、うるさくないか」が問題ではないと思う。
加害者の言い分としては、「捨てる電力を使って湯を温めるんだからエコじゃないか。それもランニングコストは安い。ただし初期投資がかなりあるので、もし騒音被害が出ているからとクレームをつけられても、投資した分回収できてないから、断りたい」
被害者の言い分としては、「人の健康を害してまで押し通すエコはエゴだ。オレの命を他人が奪っていいはずがない。とっとと撤去しろ」。
つまり、「金払ったんだから回収したいわ VS 回収云々より健康優先だろ」が問題の本質。これは昭和初期に起きた公害問題に似ている。
ところでここで見落としてはならないのは、もう一人関係者がいるということ。その機器を開発したメーカーだ。
加害者は設置するにあたり、近隣の健康を害する騒音がでることをメーカーから知らされいないケースがほとんどだ。従ってゆがめられた情報を頼りに加害者が設備導入を検討し設置に至ったとすれば、それは明らかにメーカーがユーザーを間違った方向に導いたことになる。これは消費者契約法の錯誤誤認に相当する。
したがって動作音になんらかの措置を講ずる場合、その費用負担は、法律を守らなかったメーカーというのが正しい法律解釈なのだろう。もし今後訴訟が起こるたびに、メーカーが負担させられる事態が発生するのならば、メーカーも考えを改め、安易にこのような設備を販売することもなくなり、人々が平穏な暮らしを取り戻せるに違いない。
しかし実際、隣の人に遠慮して声を上げられず泣き寝入りする人、裁判を起こす費用と手間をかけられず諦めてしまう人が後を絶たない。
そして、実際に起こされた裁判でも画期的判決にいたるよりは和解にもちこまれるようで、違法金利を取り締まったときのような、白黒ハッキリした判決は出てきていない。
このなんだか判然としない現況をうがった目でみれば、深夜電力を使わず全部捨ててしまうような事態となれば原発廃止への追い風となり、電力供給に大きな問題を生じかねないという懸念が働いたようにもみえる。加えてメーカーが儲けなければ法人税を取ることが出来ず、売れなければ消費税を取ることもできず、となるのを避けたのではないかとも。
だとしたら何のための三権分立なのかなぁ。
最近の司法の判断では、NHKの受信料には大なた振って、「受信料の支払いは国民の義務!」といわんがばかりの結論を出した。なのに国民の命を守るための騒音被害にはなんら強制をしていない(というか判決を避けてる?)。ということは、守るべきは組織であって、個人はどうでもいってこと?
今回の調査委員会の結論を以て音で苦しむ人たちの助けになるよう意味のある施策を策定してくれ。きちんと判決を出してくれ。
NHKの受信料の是非は訴え始めてから10年で決着。だったら低周波音被害の訴えが出てから10年以内(あと4年)に、国民の健康を守る新たな指標を示して欲しい。
俺はこれまでの人生で半年だけ無職だった時期がある。ネカマをやっていたのはその頃のことだ。26才だった。小人閑居して不善をなす。まったくその通りだと思う。つまらない人間に暇を与えるとろくなことをしない。
きっかけは2ちゃんだった。当時、俺は2ちゃんに入り浸っていた。ある日、表現規制について議論になった。その時に誰かが俺に言った。
面食らった。俺を女だと決めつける奴が現れたのだ。その時はネカマだったわけではない。向こうが勝手に勘違いしたのだ。俺はなんとなく楽しくなり、そのまま女として振る舞った。すると誰もがそういう前提で話しかけてきた。議論そのものよりそっちが楽しくなった。
それから俺はネカマに目覚めた。しばらくは2ちゃんが主戦場だったが、やがて色々な場所に書き込むようになった。ツイッター、チャットルーム、増田。ネカマをやっていていちばん驚いたのは、なんと言っても食いつきの良さだ。ツイッターでの反応はたぶん男女で百倍ぐらい違うと思う。どんな下らないつぶやきにも一定の反応があった。男は基本的にアグレッシブだ。この世に草食系なんて実在しない。
俺はこの「入れ食い状態」が楽しくてたまらなかった。それまでネカマなんて最低の変態野郎だと思っていたが、いざやってみたらこれだ。ネカマは麻薬みたいなものだと思った。俺はネカマをやることによって歪んだ承認欲求を満たし、さらに女を演じることにより、倒錯的な快楽にも目覚めてしまった。いちどこの沼に浸かると、なかなか抜け出せない。色んな男がいた。とにかく会いたがる奴、画像を送れとうるさい奴、下心が無いことをやたらとアピールしてくる奴、どぎつい下ネタを吐き捨てて消える奴。
気付くと俺は8人の女を操っていた。ゆき、さとみ、みわ、けいこ、まさみ、れいな、あい、めぐみ。
その中のひとり、さとみについて。
彼女はツイッターの鍵アカだった。8人の中でいちばん素の俺に近かった。特にキャラを作るわけでもなく、俺の本当の生活や趣味を、性別だけ偽って淡々とつぶやいていた。
それでも話しかけてくる男はけっこういた。大抵は他愛ないリアクションから始まるのだが、こっちがリプを返すと、相手は一瞬にしてテンションを変えた。自戒を込めて言うが、本当に男は単純だ。露骨なエロ目的の男もいた。下着姿の画像を送れと言うので、ネットで拾った適当な素人投稿画像を送る。すると今度は別のアングルが欲しいと言う。また適当に拾って送る。男は「体型が違う」と指摘してくる。やべえ、バレた、ブロック。
不毛だ。こんな不毛な行為が他にあるだろうか。しかも俺は無職だった。仕事を探せ。
そんな中、ある男とDMで話すようになった。彼は古典芸能のマニアで、女流義太夫というかなりマイナーな分野に精通していた。実は俺も女流義太夫のマニアなのだ。大学の時にこの世界を知り、一気にのめりこんだ。知らない人にどう説明すればいいだろう。人形浄瑠璃の人形が無いバージョンと言えば伝わるだろうか。義太夫と三味線の二人だけで演じるのだ。
ある日、俺は上野に義太夫を見に行き、あまりに感動してさとみのアカウントでその想いを興奮ぎみに連投した。彼はそれを見て話しかけてきたのだ。
さとみ(俺)と彼の交流が始まった。彼は京都に住んでいた。彼の古典芸能に関する知識は凄まじかった。さとみ(俺)は彼を師と仰いだ。それまで俺には義太夫を語り合える相手がいなかった。だから喜びもひとしおだった。彼とは古典芸能の話だけをした。それ以外のプライベートなことには全く触れず、ひたすら女流義太夫の素晴らしさについて語り合った。義太夫の声の唸り、絡みつく三味線の繊細な響き、そのアンサンブルの素晴らしさについてDMで何時間も語った。そんな日々が3ヶ月ほど続いた。だんだん俺は後悔するようになった。俺がさとみであることに。俺は彼を騙しているのだ。こんなに深く語り合える相手なのに。罪悪感に押し潰されそうだった。最初から男として知り合っていれば、こんなことにはならなかったのだ。一緒に観劇もできたかもしれない。終演後にビールを飲みながら語り合えたかもしれない。
俺は決意した。彼に本当のことを話そうと。それで関係が終わるならもう諦めるしかない。怒られたら誠心誠意あやまろう。俺は彼にDMを送った。実は男であると伝えた。悪気はなかったが、結果的に騙していたことはたしかで、その点については深く反省している。後悔もしている。もっと早く言うべきだった。そういう旨を伝えた。何度も何度も推敲して、どうにか気持ちが伝わるように書いた。たぶん無視されると思った。それも仕方ないだろうと覚悟していた。でも予想に反して、翌日に返信が来た。
驚くべき展開だった。私もずっと罪悪感を抱えていました、いつか本当のことを言わなければと悩んでいました、だからあなたが男だと知った時は逆に嬉しかったです、これでオアイコですね!
どう返信したらよいかわからなかった。あまりの衝撃に指が震えた。キーボードがうまく打てなかった。すぐに彼女から追加のメッセージが届いた。
「来週東京に遊びに行くので、お暇なら一緒に義太夫を見に行きませんか?ちょうど面白そうな演目を見つけました」
もちろん俺は暇だった。何せ無職だ。時間は腐るほど余っている。余りすぎてネカマになったほどだ。俺達は会うことになった。当日、現れたのは白髪混じりのオッサンだった。
「いやー、反撃してやろうかと思って。僕も女に化けてみたよ!」
オッサンはそう言って豪快に笑った。その笑顔はとびきり優しかった。恥ずかしい話、俺は落涙しかけた。
オッサンは京都のけっこうでかい会社の役員で、かなり立派な人だった。俺達は一緒に義太夫を見に行き、帰りにビールを飲んだ。オッサンは俺が無職であることを本気で心配してくれて、色々と親身になってくれた。ネカマの件は一笑に付してくれた。その日を境に俺はネカマをやめた。どうにか転職もできた。来月、今度は俺が京都に遊びに行く。またオッサンと一緒に義太夫を見に行く。
きつかった…
悪夢といってもバケモノに追いかけられるとか、高い崖から落ちるとか、乗ってたエレベーターの底が抜けて落ち続ける夢とかではない。
私は勉強が出来ない。これは私一番の…悩みであり弱みであり、身から出た錆だ。
中学受験で志望校へまぐれで受かり、落ちこぼれて今の高校に通い二年生になった今に至るまで、大小様々な悩みはあれどこれまで自分を苦しめているものはないだろう。
なぜ身から出た錆なのかは単純に、勉強が出来ない事に悩みつつもそれを解決しようと勉強してないからである。勉強をしていないならまだしも、長期休みの宿題や課題を出さない。これがいけない。
かつ、私は親を裏切り続けている。何度今度こそは頑張って成績を上げて提出物を出すと言っただろうか、何度欠点の電話に怯える母を、面談の度に恥ずかしい思いをさせてしまっただろうか。ちなみにこれらは現在進行形で続いている。それを何とかしようと真剣に思うぐらいには恐ろしい夢だった。まあこう思う事は初めてではなく、20回目ぐらいだったりするのだが。
そろそろ夢の内容へ移ろうと思う。
通っていた中学校と高校が混ざった校舎の廊下に私は立っていた。対面にいる担任から今学期の成績表を渡される。読まずとも壊滅的な内容だと私は知っていた。特に英語の成績が。担任は母を呼んであると言う。もうこの成績は伝えてあるらしい。
私はふらふらと教室へ戻った。母がいた。実際に最後に見た服装と1年の面談に来て来た服が混ざっていた。まあどちらも似たような格好だったが。彼女は黒に白いレースの縁取りがついた日傘を持ち、赤い口紅を差していて、シックな印象を与えた。この格好をした母と歩くのが好きだった事を思い出した。
母は私を責めた。彼女は怒っていて、呆れていて、悲しんでいた。私は辛くて、自席の机へ目をそらした。小学生の時使っていたうさぎの手提げ(これは母が祖母とふたり、母娘水入らずの旅行先でお土産で買ってくれたものだった)と、それに入った手紙が見えた。
手紙といっても置き書きのようなもので、A4サイズの裏紙に青いサインペンで書かれていた。母のそばを離れて手紙を取るわけにもいかず、手提げから半分程度はみ出した部分しか読めなかった。すぐ会えるとは思っておらず、手紙に気づいてもらえるようわざとそうしたのだろう。
手紙には「ママちゃんは悲しんでいます」ときれいな字で、というか思い返せば私の字で書かれてあった。母の字は丸っこく、独特なのだが、私は習字に通わせてもらっていたのである程度綺麗な字をしている。
ママちゃん、というのは彼女が私とふたりきりで楽しく話している時にふざけて使う愛称だった。普段怒った母はもっと威圧的で、口汚い言葉を使った手紙を書いていた。
私はここで
ああ、何ということをしてしまったのだろう、と思った。
気づけば母は成績表の入ったファイルを私に押しつけ、廊下を歩き出していた。階段を降りゆくところで私は慌てて追いつき、どこへ行くのかと訪ねた。彼女は履歴書を書きに行く、と言った。私は冗談じゃないと思い、持っていたファイルを踊り場に叩きつけた。中に入っていたプリントが舞い散った。母はどこかへ行ってしまっていた。
私がプリントを集めていると、どこからともなく8歳ぐらいの男の子と女の子が寄ってきて、プリントを拾うのを手伝ってくれた。男の子が私の成績表を見て、お姉ちゃんなのに成績わるーい、と言うので 私はうーん、お姉ちゃん認知症になってるからかも知らんなあ、若年アルツハイマーやわ、と笑って返した。そうすると女の子は じゃああそこにおらなあかんのちゃうん、と指さした。
その先にはステージがあり、私と変わらない年格好の車椅子に乗った人や移動式のベッドに寝たきりの人と共に講演をする大人がいた。私はなんだかぞっとして、あはは、せやな〜とかなんとか言った。
プリントが集まり終わり、最後に成績表を入れるだけになった。そこで初めて成績表を見た。惨憺此処に極めり、といった内容だったが一番は英語だった。1だった。ここでそういえば私、留学したいんだったと思い出した。こんな成績じゃ無理だとも。担任からの欄には、ずいぶんとかっこいいですね、と書いてあった。彼がよく言う皮肉だった。
私はファイルを持って立ち上がり、母を追いかけるべく走り出した。半分泣いていた。私は就職希望なんだからもう成績で取り返しがつかないとか、留学したかったなとか、母に申し訳ないなとかなんとか思いながら。中学校と高校の廊下を走り抜け、職員室の中を突っ切った時に母の背中が見えた。もう少しで追いつく、という時に目が覚めた。
いつもの布団じゃないので混乱した。が、よく思い出せばここはホームステイ先の自室のベッドの上だった。
現実の私は、このままの成績では留学することは出来ないと言われ、学年順位をどうにかこうにか100番上げてニュージーランドへ来たのだった。
怖い夢だった。もう二度と見たくない。その為にも勉強し始めようかな。
https://anond.hatelabo.jp/20170904154316
■わグルまって?
デレステのルーム機能だけ切り取ったような、家具と部屋を作るゲーム
ブラゲ版が3年前に死亡したけど今月スマホアプリというゾンビになって蘇った
http://www.waguruma.jp/info_list.aspx?seq=240
■なんでおこなの?
アイテム所持数が少ないと、製作の際に大量のアイテムを要求する家具をつくれない! つくりにくい!
現時点での最大容量の宝箱は「超巨大な宝箱」
1.「収納術(有効期限内はアイテム所持数10増加・課金アイテム)」使用(所持数5→15)
2.「こぎれいな宝箱(最大要求アイテム:15)」作成(所持数15→35)
3.「かわいい宝箱(最大要求アイテム:35)」作成(所持数35→55)
こぎれいな宝箱の最大要求アイテムが15から20に変更。収納術を使っても作成不可
かわいい宝箱の最大要求アイテムが35から40に変更。こぎれいな宝箱を作っても作成不可
■でも元々のブラゲ版のものとは違う材料数になってるんでしょ?
(ブラゲ版の方が有情という点で)
違うよ。全然違うよ
・こぎれいな宝箱
ブラゲ版
魔鉄:3
木の枝(魔樺):4
木片(魔樺):8
釘:10
↓
魔鋼:12
角材(魔樺):12
キレイな布:15
頑丈な釘:15
↓
魔鋼:16
角材(魔樺):16
頑丈な釘:20
・かわいい宝箱
○ブラゲ版
魔鉄:12
木の枝(ヒノ鬼):15
白宝石:3
↓
頑丈な釘:35
ミスリル:25
角材(魔樺):30
白宝石:35
↓
頑丈な釘:40
ミスリル:30
角材(魔樺):35
白宝石:40
■お前は何を言いたいんだ
とてもつらい
食材に火を通している時間があれば包丁もまな板も洗ってしまいたいし、調理で汚れた手を洗うのだから一緒に食器も洗ってしまいたい。
インスタントラーメンを作るにあたって、どうしても最後に鍋から丼に移すという作業が必要になる。
そうなればラーメンが出来上がった後には必ず鍋が残る。
そのまま放っておけば、熱をもった鍋はさっさと乾いてスープや小さな食材がこびりついてしまうだろう。
かと言って全体が浸かるほどの水をいれるくらいなら、まだスープなどが乾いてしまわない今のうちに洗ってしまったほうが楽だ。
そう思うとラーメンの入った丼を食卓においては、すぐに洗い物に取り掛かってしまう。
曲者は卵だ。
ラーメンに入れる卵は溶き卵と決めている私は、それでもなお澄んだスープを楽しみたいがために黄身が固まるまで火を通さないと気がすまないのだ。
できるだけ早めに卵を入れるつもりでいるのだが、麺がある程度ほぐれるのを待ってからでないときれいな溶き卵にはならない。
そのために、必ずと行っていいほど麺に火が通るギリギリの時間まで加熱が必要になってしまう。
その結果、いつも丼に移した直後がもっとも麺の食べごろになってしまうのだ。
そこから大急ぎで鍋を洗っても1分半。
コンロ回りを拭き取って布巾を絞り直して手を拭いてなんてしているうちに、あっという間に2分は経過してしまう。
これはもう誰かに作ってもらうしかない。
そう思って、先日だんなに作ってもらうことにした。
わたしの大好きな溶き卵のこだわりをしっかりと伝えた上でだ。
そうしていよいよベストなタイミングで目の前に丼が運ばれてきた。
律儀にラーメンをしっかり二等分に取り分けようとするだんなの愛らしいこと。
早く椅子に座れよと、だんなの一挙手一投足に釘付けになる。
いざ椅子に手をかけただんなは、何かを思い出したように流し台に戻ってしまった。
やっぱり気になってしまったのだ。鍋が。
自分の場合、自炊ってコスパ悪いよねってよく言われてたし、自炊してるのは偉いともよくいわれてたし、別に料理をするのが好きなわけではないんだよね。
当然、居酒屋にいって飲むほうが好きだし、サイゼとかすき家で安価なものを食べるのもすき。
居酒屋なんかに行くと、激烈に美味しいものが食べれる時がある。
また食べたい、でも、同じのを頼むのは恥ずかしいし、周りも白けるだろうとか考えるわけ。
これが定番の唐揚げとかお造りならいいんだけど、「ささみとアボカドのレモンジュレ」ってのははっきりいって店主の気まぐれというか、それをメインで打ち出してるわけではない。
後日、1人で訪問して頼むって手段はあるけど、食べてる時に考えるのが「これなら自分でも似たようなのができるのではないか?」という考えだ。
家に帰ったらまず、レモンジュレの作り方を調べる。そうして、ささみは中は生だったから新鮮なのを買わなきゃならない。
そうやって完成させて食べると、まぁ、普通に数段は美味しくないのができて「やっぱプロは違うんやな」って思いながら何回も何回もトライする。
それで半月ぐらい同じのを作っては宅飲みするってのを繰り返す。
稀にめちゃくちゃうまく「店超えたな」ってのが出来るんだけど、そのめちゃくちゃうまくできた時と、数段美味しくない時のブレを少しづつ無くしていく。
そうして、君が一番好きだと言ってくれる「ささみとアボカドのレモンジュレ」が出来上がった。
もちろん、準備と後片付けが面倒くさいってのが一番の理由だとは思うけど、嫌な理由の中の一つに「やったことないし、うまくできない」ってのがあるとおもう。
でも、そんなのなんでも当たり前で、君が大好きなモンハンだって、初めて戦うモンスターならうまく討伐できないに決まってる。クックパッドは攻略サイトで、攻略サイトガン見プレイしても失敗はするでしょ。
自分も失敗が数え切れいないぐらいあった。ある日はハンバーグ作るつもりがつなぎが足りずに玉ねぎが丁寧に混ぜ込んであるひき肉炒めになったりもしたし、全然乳化が足りなくて塩味しかしないペペロンチーノなんて飽きるほど作った。
今、君の代わりに料理を作って「おいしい」って言ってもらってる。本当にうれしい。数々の失敗が今、君の「おいしい」に変わってるんだったら惨めな思いで食べたひき肉炒めも塩パスタも無駄ではなかったんだなって思う。
料理も勉強も運動もゲームも、全部一緒で、失敗してからそれを教訓にうまくなっていくと思う。
失敗してもいいから一歩勇気をもって作って欲しい。食べてまずくても全部食べるから。夫からアドバイスされるとウザいとは思うけど、基本的な事はアドバイスするから…
正月以来だった。
正月に会った時は何も感じなかった。
きっとその時は正月というイベントの一部だと感じていたのだろう。
でも今回のゴールデンウィークを終えて、家に戻ってふと涙が出た。
少し寝て、起きて、今これを書いている。
親は私を受け入れてくれていた。
少なくとも今は受け入れてくれている。
私がどういう人間なのかを受け入れてくれている。
今の自分を一番受け入れてくれているのは親だ。
親を失えば、私を一番受け入れてくれている人がいなくなる。
それはとてもさびしい。
インターネットの知り合い、昔の友人、彼らには親に見せていない自分を受け入れて貰っているが、それは精神の裏側の部分だ。
肉体の表側、精神の表側にいる自分を受け入れてくれているのは親だ。
心の内側に居る自分は本当にたまに少しだけ受け止めてもらえるだけでもいい。それは本やSNSで同じ価値観を共有している人がいるのを知るだけでいい。
だけど、世の中に出している表側の自分は、定期的にしっかりと誰かに受け止めて貰う必要があるようだ。
外側に出しているからこそ傷つきやすい。否定されやすい。お前は認めないと日々何度も浴びせかけられる事になる。
滅多に出さない内側の姿と違い、日々傷つき続ける表側の自分には、はっきりと受け止めてくれる人が必要なようだ。
母は自分から見ての祖父母、母から見ての両親をずっと前に失っている。
それでも今母が表面上元気に暮らしているのは、自分と父がいるからなのではないだろうか。
確かに自分はよく母に突っかかるが、それでも存在を認めないような態度を取り続けてはいない。
父も同じだ。
配偶者もいない。
ふと、子供が欲しいと思った。
子供を自分が受け止める時、子供を受け止めようと思った自分の気持ちが、内側から外側を突き抜けて自分を通り抜けていくんじゃないかと思った。
自分が誰かを受け入れる時、誰かを受け入れる気持ちを自分も感じるのではないだろうか。
愛とは、それを誰かに与える時に自分の身体から通り抜け、自分にも愛を与えるのではないだろうか。
自分が何かを愛する時に感じたあの快感は、誰かから同じように愛される感覚に似ているのかも知れない。
つまり、自分にも子供が居れば、人が人を受け入れる感覚に対して飢える事はなくなるのかも知れない。
ふとそう思った。
身勝手かも知れないが、生まれて初めて、子供が欲しいと思った。
自分の中にある子孫繁栄の回路は長らく断線していたが、それが繋がりつつあるのを感じる。
恋愛、社会的立場、本能、自己実現、そういったルートを通って子孫繁栄を目指す回路はとっくの昔に断線したままだった。
そうしてずっと錆びつかせていた。
そこに電気が走った。
新しい道を通って、子供が欲しい、家族が欲しいという気持ちが生まれた。
もしかしたら、今まではもっと早く死ぬつもりだったから、自分より先に親が死ぬことを想像していなかったのではないか。
そうしてようやく感じた。
誰か私を受け入れてくれ。
人もすなるエンジニアが海外移住するのをいいぞするのを私もしてみんとてするなり。
生きる場所を移す理由は人それぞれである。私は他のエンジニアの海外移住はいいぞエントリを見てもなんか全然海外移住したくならなかったので、このエントリを読んだ人もおそらく海外移住したくなったりはしないだろう。でも書く。
私は天才エンジニアではないので良い天気ときれいな空気を賞賛する。
東京の空気は私には合わなかったようで、毎日気合を入れてマスクをしてお外に出て仕事に行っていた。
ここでは気軽に家を出て会社に行き昼飯を食いに歩き回り家に帰ることができる。
気軽に何も考えずに外を出歩ける、というのは素晴らしいことで、私は今その分空いた思考リソースを別のことに役立てている。
リスはいいぞ!
人はよくないぞ!