「にの」を含む日記 RSS

はてなキーワード: にのとは

2024-06-25

anond:20240625175054

発達障害増田なのはわかってるんだけどさ

から見てもう終わってる話を、ダイジョウブ大丈夫ってどんどん話それてってるのが必死に見えるんだよね

まわりはそんなに話題のものにのめり込んでなくて、おまえばかだなーって感じで書いてるだけなのよ

からおまえだけ必死に見える

枇杷が好き

台湾ライチを食べに行った人の話をいま読んだけど毎日山ほど食べたい果物ってなにかあるかな…と考えてそりゃやはり枇杷だな!と思い至った

枇杷、あの素朴な薄い味の清涼感と食感が好きだ

それだけでなく色も表面の質感もサイズも手にのせたときの重みもそのなにもかもがなんだかかわいいと思う

果物で一番好きかもしれない

毎年初夏になると出てくるので6~7個入ったパックをシーズンのうちに数回買って全部ひとり占めして食べる(高いかあんまり買えないよ)

しか最近枇杷は味が濃いよね

今年久しぶりに買ったらめちゃくちゃ甘くてなんかがっかりしてしまった

去年までは私の好きなあのなんともいえない優しい薄味にきちんと当たれたのだが

でもこれも改「良」の結果なんだろうし

寂しいけれど仕方ないのかな

2024-06-24

[]

死ぬまで求道は素晴らしい」

これが常識になっている。

「道」とは、剣道柔道茶道華道書道囲碁将棋スポーツマンガグルメ映画芸術政治経済法律教育など、「どう生きるか」の営み全てといえる。

これらの道を死ぬまで求めることを礼賛するのは、「完成したら味気ない、進歩がなくなるじゃないか」と思うからだろう。

オリンピック金メダルに輝いた時は、「今まで生きてきた中で一番幸せ」「チョー気持ちいい」と満足しても、しばらくの間である。追われるプレッシャーとの戦いや、連覇を狙う新たなレースが、すぐに始まる。

ノーベル賞の受賞会見で、さらなる研究意欲が示されるのは、科学医学「道」にも、完成はないからだろう。

私たち日常も、仕事子育て趣味人間形成など、一生懸命になるほど、未熟さと目指す高みが知らされる「道」ばかりである

このように、どんな道にも完成がないのは、「無限の欲」に動かされているかである

キリのない欲を、死ぬまで求め続け、苦しみ続けているのが、「死ぬまで求道」の真相である。そんな道しかないのなら、苦しむために生まれてきたことになってしまう。「それでいいんだ」とどうしていえるだろうか。

だが、ただ一つだけ、完成のある道がある。

それが、「なぜ生きる」を明らかにされた親鸞聖人の「平生業成」の教えである

生きている今、「人間に生まれてよかった」と心の底から喜べる絶対幸福になるために私たちは生まれてきた。

その人生の目的にのみ、完成があるのだ。

死ぬまで求道」の「どう生きる」しか知らぬ人生悲劇だが、「なぜ生きる」(人生の目的)がハッキリすれば、それに向かって、全てが生かされるのである

クイズ番組が楽しくなくなった

 昔は好きだったのに、最近クイズ番組が楽しくなくなった。

 お遊び感覚がなくなって、妙な「ガチ」感が出てきたからだ。

 昔のクイズ番組は、インテリオタクのお遊びという感覚があった。

 元々のオタク、元々の勉強マニアが、ちょっとした奇人変人パフォーマンスとして、何の準備もせずにやるからこそクイズ面白い

 クイズのためだけにクイズをやってるような連中を真面目に凄いもののように演出されたら、逆に引く。

 

 カズレーザーなんてその最たるものだと思う。

 特にオタクキャラクターで売ってるわけでもなく、学歴もそれなりで、ただクイズのためだけにクイズ必死にやってる。

 それを馬鹿馬鹿しい熱意として一歩引いて見せてるならともかく、そこからまるで識者みたいにニュースコメントなんかまでさせ出すテレビ

 クイズクイズ勉強とは違う。本当の知性とは違う。そんな「キャラづけ」を学識と混同させるなよと。

 

 「東大王」なんて番組もいやなものだ。

 東大クイズ研究部が活発なこと自体は悪いことじゃない。それこそインテリの遊びだ。

 でも、ああい番組が人気レギュラーにまでなると、まるで東大という学歴の最終ゴールが「テレビクイズタレントをやること」みたいに見えてくる。

 テレビを見る子供にそんなイメージを植え付けて欲しくない。学歴知識は「映え」のために手に入れるものじゃない。

 

 日本人政治経済科学文化に無関心になり、反知性と言われる風潮がある中で、クイズ番組や、クイズにのみ絡めた学識礼賛が人気となるのは、逆説的なようにも見えるがある意味順当なのだろう。

 現代日本に足りないのは「知性に対する真剣さ」。知性が現実に及ぼす影響というもの認識する誠実さだ。

 娯楽化された「知識」は厳密さを要求しない。さっきの「Qさま」でも今さら聖徳太子」が偉人として紹介されていたが、いつまでもアップデートされない知識を「そういうものから」とクイズにし続けることは、知識更新を妨げる障害にもなる。

 

 勉学を通して身につけるべき本当の知性は、現実問題適用できてこそ初めて意味のあるものだ。

 テレビYouTubeSNSでそれっぽく見えれば良いというだけの価値観では、目立つ陰謀論との差も大してつかないだろう。

 そういう次元しか知識」の価値も感じられないような社会では、「学歴」だけが華々しく追い求められても、相反するように反知性度が高まるしか言いようがない。真面目ぶった不真面目な世の中だ。

増田あのにの配信睡運瞑菜が現れて笑った

しかゲームが超上手くて神扱いなのがもうね。本人ではないだろうが。

そういえば最近あの人見ないね~みたいな話がYouTube上で行われているの、不思議感覚になる。

anond:20240624125633

ファウストは、メフィストフェレスに心を売って明日を得た。

マクベスは、三人の魔女予言にのって、地獄に落ちた。

キリコ素体に、己の運命を占う。

ここ、ウドの街で明日を買うのに必要なのは、ヂヂリウムと少々の危険

次回「取引」。

ウド商売には死の臭い

2024-06-23

うーん、例えばこう、

先日にクイズ番組を観ていたら、ミスをした人を糾弾するよくある演出に抗議をする人がいて、でもその後で今度はそれを遠回しに真似して揶揄して笑いを取るようなことをしてたわけよ。そしてみんな笑った。

俺は不愉快だと思ったし、それを日常的に認めるべきではないと思ったけど、でもどうしたらいいかわかんねえな。俺も言うほど良い人間じゃないし。それは置いとくとしても。

bpoに言ったとして、この程度のことで何言ってんだってなりそうだし……

まあ、なんだ、こういう悪意ある行動は抑制するべきだという風潮にできればしたいけど、ちょっと難しいよねと。

テレビの中で済むならまだいいけど、子供大人も多くの人があれを真似しだしたらと思うと怖いなあと。

しいていえば、どこぞの掲示板でこのことを書いて話題にのぼるのを目指す、ってところになる?

大谷翔平藤井聡太と比べて自分人生が劣っているとは思えない

この感覚なんなんだろうな。

スポーツ選手とか学者とか芸能人とか、世間でスゲーと思われてる人は沢山いるけど、そういう人らと比べて自分が見劣りするとは思えない。

別に自分の何が凄いってわけじゃないんだよ。

何か努力してるってこともないし、特別な才能があるわけでもない。

平日は仕事だけやってて、休日趣味にのんべんだらりと浸かってる。

その仕事だってしたことない代物だし、年収だって低い。趣味も上部だけの浅い付き合い方で、お世辞にも上手いとは言えないレベルだ。

でもなんと言うか、負けてる気がしないんだよな。むしろ自分の方が美味しく生きてるんじゃないかという気さえする。

仮に総理大臣アメリカ大統領相手でもヘラヘラ笑っていられる自信がある。

これは俺が軽薄なだけなのか、誰でもそういう部分はあるのか。どうなの?

コーヒーモス

みたいな他社の広告に乗っかるような広告方法があってもいいのではないだろか?

他社が継続的に多額の広告費を使って定着させたキャッチフレーズにのせて自社・自社製品アピールするコバンザメコマーシャル

あってもいいんじゃないですか!!

東大たまに話しが全く通じない人がいて一番ヤバいのは「お疲れ様です」と挨拶したらキレはじめた人だった話…

https://togetter.com/li/2385102

ワイ、東大どころかド低脳だけどわかる

「お疲れだと忖度して気遣う判断がいらん」

「疲れているかどうか決めるのは本人だ」

「心で寄り添う!みたいな求められていない歩み寄りをするな」

お客様に寄り添う!から駕籠にのせてIT介護してだまし続けて金を引っ張る、みたいなSIer邪悪なクソビジネス進化した末路を見てみろ(極論&飛躍)」

ってことだと思う

2024-06-21

anond:20240621114344

男性女性ではコミュニケーションに違いがあるのは誰でも感じていて、互いを見つめているのか、同じ方向をみているのかとか色々な例えがあるよね。

んで、増田共感力無いやつなんて男女ともいるじゃんっていうけど、男女でその設定してるゴールは違うと思うんだよ。

女性場合共感」しているのなら、こういう反応になるはず。というルールというか"お作法"がかなり強力に影響を及ぼしていて、その許容値をうっかり踏み越えてしまうと「共感していない」つまり敵対行動をとっていると見做されるんだ。

共感」が無くても、そのお作法にのっとったコミュニケーションスタイルを実行している限り安全担保される。(コミュニティからハブられない)

このお作法は、幼少の頃から鍛えあげられて体得していくもので、保育園児にすらその片鱗が観察できるよ。ビックリするよ。(最近小学生女児向けの教科書的な児童書であるらしい)

この周囲を観察して適切な行動を選択する為に必要能力は二つある。「同調力」と「知能」だ。

知能が低くても同調力が高ければ、周囲と同じ行動ができるので浮く事はない。無難にやっていける。

同調力が低くても知能が高ければ観察力とパターン認識によって同様に行動を矯正することができる。(但しその必要性を感じていれば、であるが)

同調力が低いのは「ASD」という診断名がつく障害の特徴のひとつで全人口の1〜2%で男女比は4:1と言われている。

そして知能指数ベルカーブを描いているので当然男女関係なく標準より低い数値をしめす人々は社会なかに混在している。

増田が言う「共感力」って男女関係なくね?ってのはそういう事だろう。

ただ女性コミュニティに関しては上記の通り強力な圧力がかかっているのでお作法通りに偽装出来る人、結果共感しているかのようにふるまえる人は男性コミュニティより増える。

今厄介なのは男性にも女性同様のコミュニケーションを求める女性だ。幼少から鍛えられた同調力という筋肉で殴りかかってくるので、鍛えていない男性は心をボロボロにされる。自覚してない女性は多いよね。

昭和時代なら男なんてそんなモンで流せたのにねぇ

anond:20240614215613

自由体感判断してる側からすれば無制限の事だろうけど、供給したり管理とか制限してる側からすれば「100円あれば100円分自由に買い物できるけど」って話なんだよね

50円100円分の買い物はできないし、そもそも売らないって言われたら買えない

そのルールがあって初めて100円は買い物ができる通過として選択肢100円分を持つ「自由」なんだけどそれを持ってるからって棚を倒したり店員恫喝したり払うつもりはあったと言って持って帰っていいわけでもない

表現の自由ってのはその名の通り「表現すること」は自由なんだよね

赤は二十歳の色!赤色Tシャツを来て自由派を気取ろう! と言うのも自由だし

1+1100 10倍だぞ10倍! と言うのも自由だし

「熱膨張って知ってるか?」 と言うのも自由なわけ

どう伝わるかは「発信者自由に則るべき」とかい不自由ルールを強いるものではないよ

100円もっていて払う気でいるから、買い物客の気持ち次第では店内の商品好き勝手して店員奴隷扱いしてもいい、ってわけじゃない

自由なのは100円と交換する商品は、合計で100円以内なら”なんでも”いい」というだけで「客が100円さえあれば”なんでも”していい」わけじゃない

よく間違えるよね 「放題」とか「自由」とか

もちろん表現したもの時代で変わったり不要になったりしたくなくなったということで撤回したり変更してもいい

そういう表現方法もあるよね

出演していたAVを新しく販売しないようにしてほしいとか

過去発言は間違っていたとか 方向転換しましたとかもありだし

販売を中止したり終了したり回収したりしてもいい

そんな行動を「なんのためであるか」とか「こういう光のあてかたもある」と手段表現に使う事もできる

ただ「あのとき〇〇って言ったじゃねーか」とか「最初〇〇だったんだよねー」と間違いや訂正とか時代で変更されたものを「前のものを知ってるマウント」でまるで所有者のように振るまう人もいるよね

それも「表現の自由」にできないことはないけど、その選択をするということは「あなた表現者になる」という事なんだよね

「あのとき最初に出した〇〇という解釈自分はいまでも信じている」という表現者になるってことなんだよね

からアップデートしなよと言われる対象になること、それが表現者になるってことなんだけどそういう人に限って「オレが言ったんじゃない、あいつが昔そうだったんだ」とか言うよね

他人の事を使って自分表現者になってるんだから当事者が全部わるい、自分は借りただけ」なんて通じるわけがないんだよ

現在は違う過去のものを持ってきてその差異で「今との差について説明やその他付加価値の発生を求める」ってことは本人は望んでしてるわけでないのならただの「業務妨害」だったり「いやがらせ」だったりするんだよね

「それも表現だ」って言うのもありだけど、それが相互に「良いもの楽しいもの理解しあえるもの」でない場合仲裁必要で、ときに法にのっとって係争解決する必要がでてくるわけだけど「そういうコストを支払ってでも得たい価値」がそこにあるなら「あなたに選びえる自由」だと思うよ

とにかく自由とか放題とかに、あとのりする側が自分たちの権利を主張してくるのってちょいちょい見るけど

先のMVの話で言えば「逐一全部表現してる映像の1ピクセルごとに説明を求められたら、できるのか、できないのか」って選択肢のうち「できないから、しなくてすむ方法を選んだ」ってだけなんだよね

それだけ燃焼性の高い話題性を含んだものだったから、自分たちがそこで使うのには危険だとして下げただけなんだよね

まり財産とか追加表現とか対応窓口の大きさとか全部が、そこに残してきた人類財産比較して等価じゃないか必要な分を取り下げようとしたら全部だったってだけのはなし

あの曲だってシュワシュワの炭酸発見ブリデイさわやかってだけの曲にすれば、別にラジオで流しても問題ないんじゃないか

日本リベラル」というのは差別主義者が見つけた新しい優生学

海外にはない日本リベラル」だけの差別意識

・「西欧」が絶対西欧の進んだ人権意識についていけない「野蛮人」(日本人、特に九州などの田舎者アラビア人など)を差別しまくるのが「人権意識」だと堅く信じています

・「対立と分断」。「フェミニズム」とは男性人権否定し、差別されて良い属性男性の中にのみ求めることで十分達成されることだと信じていますルッキズム学歴差別収入差別も年齢差別も、女性にやってはいけないだけで、男性にやることはむしろ「良い差別」だという固い信念を持っています

・「選択的反知性」。こういう没論理言葉ねじ曲げ、無責任屁理屈を、「正しい目的(表層的なアップデートアピール)」のために行うことは「良い屁理屈」だと本気で思っています日本の人文系学会ではそれこそが「学術的に正しい行い」なので、大学人が率先してこの反知性行動に邁進します。

 このように、日本では「リベラリズム」「人文科学」というものが、単に古臭い脱亜入欧意識を強化し、夏目漱石が「間口だけ立派なものを拵えて中身はガタガタ」と評したまんまのいつもながらの薄っぺらな真似事に終わりました。

 欧米に追いついたつもりで馬鹿侵略戦争に邁進した戦前バブル景気に浮かれてまともな経済政策放棄した失われた30年、それと同じことが日本では学術界でも起こってしまうのですね。

 まさに「猿真似」の国。他になんの形容のしようもありません。

2024-06-20

証券会社って高卒中途で入社できるの?

金融のキ、どころか貯金すらろくにできないのにいきなり外務員資格取るって怪しい

ブラック企業にのせられて資格取ったとしか思えない

今のうちに金を避難させとこう

2024-06-19

資産3000万になりました!

ボーナスが入って大台にのりました!

達成してみると嬉しさを感じないな。達成する直前の方がわくわくしてたのに

2000万が3000万に一年で増えたから、最近円安株高の傾向は凄まじいものがある

労働による入金もあるわけで、お仕事は引き続きがんばろう🐁

そろそろ家買いたいですね(※資産性のあるものに限る)

2024-06-18

コロンブスで騒いでやるやつは暇人

キャンセルカルチャーはクソ

あんなもんただのサヨクいちゃもんから

関係者一同うるせーバーカ黙れ貧乏人と回答しておくべきだった

差別表現のことでいちいちいちいちガタガタ騒いでいたら作品なんか作れない

一部のキチガイポリコレ警察によって人類文化はどんどん衰退している

ポリコレキチガイをこのまま調子にのらせるなよ

そらそろ腹決めてポリコレキチガイに、作品差別表現なんか気にするのはお前の頭がおかしいからですと伝えてあげるべきだよな

2024-06-17

anond:20240617180249

まぁ批判投稿はわかるよ。流行りのネタにのって誰かを批判したいっていう欲求は誰にだってあるもの。でも、ことが終わったいまになってもファン擁護論増田書き込みに来るのが見苦しいなって思ってる。まともなファンなら、批判に反応なんてしないよな。

anond:20240614233055

神宮外苑は当時ともに国有地でした。神宮土地は、国が神宮無償譲渡する一方、スポーツ施設が集積する外苑国有地のままスポーツ団体を交えた委員会運営するという文部省(当時)案が五一年六月にまとまりました。

これに神宮側は猛反発します。「神宮外苑は一体」として、土地譲渡神宮による施設運営を求めたのです。

文部省は五二年一月、施設運営を認める代わりに条件を神宮に示しました。

 ▼国民が公平に使用できる

 ▼アマチュアスポーツ趣旨にのっとり、使用料・入場料を極めて低廉に

 ▼施設を絶えず補修する経費の見通しがある

 ▼民主的運営をする

この四条件を神宮が受け入れ、土地時価の半額で国が神宮譲渡することで決着しました。以上の経緯は神宮発行の「明治神宮外苑七十年誌」から引きました。

こうした歴史から分かるのは、外苑公共性の高さが当時から認識され、土地神宮に渡らない可能性もあったことです。

外苑国民の憩いの場として定着していました。神宮私有地になったとしても、国民から預けられたようなものでしょう。

沖縄県議会選挙

投票日の前はたくさん報道されてて、ツイートトレンドにのりまくってものすごくもりあがっていたのに。

開票されたら全然報道されなくなったね。ツイートトレンドからも消え失せた。

 

なぜ?

ゲーム制作虚しすぎる

6歳の誕生日、親に買ってもらったゲーム機で遊んで俺は衝撃を受けた。

その前からゲーム付き電卓みたいのはやらせてもらっていたがレベルが違った。

画面の向こうには別世界が広がっていて、俺はその世界ヒーローだった。

それから俺はゲームにのめり込んで、ゲームのために生きてきた。

ゲームをやるために飯を食って寝て学校に行き、ゲーム禁止されないために勉強をした。

ゲームクリエイターになりたいか教養を身に着け、情報を集め、ゲームをひたすらやった。

プログラミングは正直クソつまんねーと思ったけどゲームを作るためだからと頑張って覚えた。

そして会社に入って、ゲームを作って、趣味でも勉強して、順調な人生だ。

他人が同じように人生を語ったら順調すぎてウゼーと思ったろうな。

でもゲーム作ってるうちに気付くんだな、俺如きが関わってもゲームなんて面白くならねえって。俺の中に面白ゲームを作る才能がねえ。

ゲーム作ってて面白かったと思えるものがねえ。

人生を乗り換えるのが面倒だから乗り続けた電車は俺を帰り道の分からない知らん所へ運んじまった。

マネタイズの仕組み化がやらしいとか、バグを取るのが面倒とかそういう複雑な話じゃねえ。

単純にゲームを作るのは遊ぶのと比べてコスパが悪すぎるってだけのことだ。

一人で作ったしょーもないゲームを作り上げたときにあるのは虚しさだ。

なんでこんな遊んだ人間時間無駄にするだけの存在を作ったのかと。

多少のダウンロードはされる。

レビューはつかない。

★1が投げられる所までもやってないのかも知れん。

虚無だ。

会社で作ったゲームに対しての虚しさはその何倍もの強さがある。

俺が関わった部分が全体の足を引っ張ってるような気がしてならない。

エゴサして面白いと褒められてる部分は俺が関わってないような所だらけだ。

実際には影響を及ぼせるような仕事はしてないから単なる妄想だ。

ただの一部分でしかねえ。

合奏コンクール口パクしてる奴らと俺の立ち位置に違いなんてねえ。

そしてそもそも、俺たちは参加賞しかもらえねえ負け組集団だ。

ゲーム作って何が一番虚しいって、ノイズしかえことだ。

世界必要のねえ贅沢品でしかなく、しかデジタルデータからいくらでも量産できる。

そんな中でしょーもないものいくら増えても世の中は豊かにならねえ。

食い物なら不味くても腹の足しにはなる。

掃除とか工事とかも人出が増えれば荷物持ちぐらいにはなって世の中が少し回りやすくなる。

工場従業員が増えて休みやすくなれば事故は減るし、流通人間全然足りてない。

ゲームなんてのはクソゲー掴んだらただ金ドブなんじゃなくて時間無駄になる。

世の中に与えている価値マイナスなんだ。

観葉植物や変な洗剤を高値で売りつけるヤクザねずみ講と同じような社会にとってマイナス労働だ。

虚無しかねえ。

俺はただの寄生虫だ。

水商売に手を出すなってのはこういう話なんだな。

縁日ペンキ塗ったひよこ売って生計立ててる詐欺師みてえなもんだ。

なんでこんな人生になったんだろう。

最近ゲームを遊ぶのも楽しくねえ。

楽しいゲームを作れた奴らへの嫉妬しかねえ。

他人感謝される仕事してる奴らは人生うまく行きすぎだろ。

戻れない年齢になってから突然歯車が狂ってほしい。

俺と同じ地獄に落ちたとして過去の栄光がある方がきっと辛い。

そこでなら、俺のほうが幸せになれる。

ああ、俺って負けず嫌いなだけかなあ。

2024-06-16

コロンブス映画のこと

コロンブスアメリカ大陸500周年を記念した映画1992年当時、すくなくとも2本公開されている。

どちらも大作指向作品だ。

1本は、元増田が書いてるリドリー・スコット監督の『1492 コロンブス』。(原題 “1492: Conquest of Paradise)”)

もう1本はジョン・グレン監督の『コロンブス』(原題Christopher Columbus: The Discovery”)。

ジョン・グレン監督というのは馴染みのない名前かもしれないが、1980年代から90年代007シリーズを手掛けている人。

実はこの2本の映画、少なから因縁がある。

自分は見たのは前者(以下『1492』と略記)だけだが、後者(以下『コロンブス』)についてもいろいろ悪い意味話題になってたよなあと思い出したので、wikipedia英語版その他を手がかりに書いていく。正確性は必ずしも保証しない。

元増田は『1492』を“盛大にコケた”と評してたが、もっと目も当てられないコケ方というか、製作時点からトラブル続きだったのは後者の方。興行成績も『1492』のほうがよほどマシだったはず。

コロンブス』は米・英・スペイン合作の、アメリカ大陸到達500周年記念大作として、スーパーマンシリーズでも有名なサルキンド親子のプロデュースで動き出した企画だった。

実はリドスコ、こっちの監督としてオファーされていたのだが蹴ったあげく、ライバル作品である『1942』を監督を受けてしまう。

こっちのプロデューサーは当時は若手のフランス人で、脚本はその人の奥さんが書いてるのだが、たしか脚本に惚れ込んだとかいう話だった記憶が、うっすらあるような、ないような。

これが訴訟沙汰になってリドスコは訴えられてしまい『コロンブス』サイドによればリドスコ側が脚本アイデアを盗んだとかなんとか。

脚本は似てないってことで損害賠償は認められなかったようだが、リドスコ版の原題が“Conquest of Paradise”となっていてコロンブスのコの字もないのは、そういう大人の事情が働いていたようだ。

コロンブス』は大作にふさわしく、原案脚本マリオ・プーゾ(あのゴッド・ファーザーの)、キャストにはマーロン・ブランドも名を連ね、リドスコに蹴られた監督オファーをまず受けたのは、イタリア出身ギリシャ人監督ジョージ・P・コスマトス

っていわれても知らねえよってのが普通の反応だが、『カサンドラ・クロス』『ランボー怒りの脱出』『コブラ』等々の作品は知ってる人もそこそこいるか

ところがこの人も、「創作上の相違」を理由降板した上、製作サイドに訴訟を起こしており、あとを続くようにティモシー・ダルトン(4代目ジェームズ・ボンド)やイザベラ・ロッセリーニ(あのロッセリーニイングリット・バーグマンの娘)も降板

マーロン・ブランド異端審問官役だったらしい)はクレジットの削除を要求したらしい。

詳細は不明だが、勝手に推測するに、“とにかく500周年に合せてデッカイ映画を!”が先走って、いろいろグチャグチャだったことがうかがえる。

映画自体は観てないから内容は知らないが、あらすじをみる限り、こちらはあくまで“アメリカ大陸到達まで”を描く娯楽大作だったようだ。

ということはコロンブス像はわりと“英雄”のまま?

『1492』の方も見るには見たのだが記憶曖昧だ。元増田同様、長くてつまんなかったというのは良く覚えてるけど。

ネットでいくつか感想や評のようなものを見かけたが、わりと人によって違う印象で、これはつまり、ダラダラ長い割に焦点の定まらない映画だったということかも。

ネット情報を参考にしつつ自分記憶とあわせて再構成してみると、

  • インド(と、本人は思ってる)に到達。そこは楽園みたいなところで、住んでる人も文明は発展してないけどいい人たちで、根が悪人というわけでもないコロさん仲良くなる。
  • でも思ったほど金とか銀とか見つからない。とりあえず拠点をつくるため、何十人か部下をそこに残してコロさん本人は一旦帰国
  • 帰国しても信じる人もいれば“デマ野郎”というやつもいる。とにかく航海は儲かると言った以上、成果を出さなきゃいけない。また出港。
  • 現地に残してきた部下は全滅してる。“現地人にやられたに違いないか復讐を!”となるのをコロさんは抑えようとするのだが、そうもいかず“異教徒は許さん!”の宣教師や“非文明人は搾取して殺してナンボ”な人たちが主導権にぎって、あとは地獄絵図。

みたいな感じか。

で、当時たしか“なんだかコロさんがどういう人なのかも、監督がなにを言いたいのかよく分からん”と思った記憶がある。

山師なのか夢見がちなロマンチストなのか。結局は儲けたくて航海やってんのか。

いやまあ色んな面を持ってるのが人間だよねーで納得できる感じでもなかったと思う。

で、最後になんか取ってつけたように“人生にはロマン必要だよね”みたいなこと言い出して、いや、これそういう映画だったっけ?みたいな。

コロンブスがきたせいで南米大変なことになっちゃったねー、それまで楽園みたいだったのに、ってのはかろうじて伝わったが。

しかしたら当時、コロンブス像の転換というのが行われている最中で、それを反映していろいろ多面的な捉え方をしようとした脚本だったのかもしれないが、それが作品には投影されてなかったのだろう。多分。

まあ配信もされないってことは、もう歴史の闇に葬り去られていく映画なんだろうけど、あの年にコロンブス映画が失敗したことで、その後のエンタメテーマとしてはとりあげにくくなったのかなぁ?という気はするな。

結論 コロンブス鬼門なので安意にエンタメで扱わないほうが良い。

え?違う?

https://anond.hatelabo.jp/20240615222935

内視鏡検査をやってきた

今月はコレのせいで憂鬱だったから、終わってほっとしている

検査を受けた理由

生活習慣病検診で「要精密検査」の判定が出てしまい、「どこかで検査を受けてこい」と検診センターに言われる。

便潜血かなんかだったか細かくは覚えてない。

検査の予約まで

検診センターから近所で内視鏡検査を受けられる病院リストを貰っていたので、

それを頼りに最寄りの病院検査をお願いすることにする。

当日行ってすぐ帰れる検査だと思っていたが、まずは採血検査して、検査日を予約して・・・・という流れが必要らしい。

最短で検査日の予約をお願いしたが、それでも3か月後だった。マジかよ。大盛況か。

検査前日・当日の食事制限とか費用など、説明を聞いてその日はおしまい

3か月後の検査当日が来る頃には絶対に忘れている自信があったので、紙のカレンダーと、スマホスケジュールと、職場グループウェアに予定を入れて置き、

さらに、「検査前日に飲むように」と渡された下剤を自宅の目に付くところに置いておいた。ここまでやっておけば流石に忘れまい。

検査の前日

から消化の良いモノしか食ってはいけない。バナナ豆腐しか食わなかった。

検査食」なる専用の食事病院で売ってくれるらしいが、俺は買わなかった。

なんとなく、高価なもの押し付けられている気がしたからだ。バナナでいいならそれでよい。

夜21:00以降は絶食普段普通に夕食を摂っている時間なので辛い。

空腹だ。量については何も言われてなかった気がするからもっとたくさん食って置けば良かったと若干後悔する。

明日の持ち物を確認し、検査についての同意書やらにサインをしておく。

下剤を飲んで早めに寝る。

検査の当日朝~

検査終わったら何喰おうかな」と思いながら起床。

水以外は口にできない。病院に向かうため、身支度を整える。

当日の持ち物として「水1リットルとあるので、コンビニに寄ってペットボトルの水を買う。

病院で受付を済ませ、用意された個室に通される。

リクライニングシート、テレビテーブル、あと引き戸の先にトイレがある4畳あるかどうかくらいの部屋。

テーブルにはデカビニールのパックに液体が詰まったものとコップが置いてある。下剤らしい。

看護師さんから指示・説明を受ける。

  • 10分間に下剤を一杯と水一杯を飲む。10分かけて少しずつ飲んでもいいし、10分おきにグイっと飲むでもどっちでもよい
  • 検査に適した状態の便」が出るまで下剤を飲み続ける
  • 検査に適した状態の便」になったら、流さずそのままにして看護師を呼べ

検査に適した状態の便」はわかりやす写真が個室内に貼ってある。

分かりやすいのは良いが、あまり見ていたくはない。

テレビをつけて、下剤を飲み始める。

下剤の最初一口目の感想は「意外と飲みやすい。スポーツドリンクみたい」だったが、飲み進めるうちに辛くなってくる。

腹いっぱいな感じが気分がよろしくない。吐きたい。

しばらく耐えていると、便意が来る。出す。一回目は普通だ。

引き続き、下剤を飲む。3回目くらいから、ほぼ液体になる。

以降、繰り返し。

10分で1杯下剤を飲むペースを守ろうとすると結構忙しい。

リクライニングシートと便座を頻繁に往復することになる。テレビを観てのんびりする暇はない。

10回目超えたくらいでそろそろ検査できるのでは?と思われたので看護師を呼ぶ。

出したものを見られるのはかなり恥ずかしい。

「まだカスがあるんで次くらいでもう一回呼んでください」この恥ずかしいやり取り、またやるのか・・・

その次の次くらいで「いけそうですね」とのこと。下剤が回収される。検査を待つことにする。

結構待ったのでリクライニングシートで寝そうになる。というかちょっと寝た。

検査の順番が近づいてきたのか、看護師さんから検査用のズボンへの履き替えと貴重品のロッカーへの保管を指示される。

検査用のズボンは紙製でケツの部分に穴が開いている。

恥ずかしさがこみ上げるが仕方がないので無心で着替え、財布をロッカーに保管し、引き続き待機する

検査

看護師に呼ばれ、検査用の部屋に移動する。

他の患者?の個室の前を通るので、このタイミングでもし他の個室の患者廊下の様子を伺おうとしたら、

検査ズボン姿の俺を見ることになる。これ、後ろからみたらどう見えるんだ?とどうでもいいことを気にしつつ看護師についていく。

数人の看護師に囲まれ、ベッドに寝かされ、口にのど用の麻酔を吹き込まれる。飲み込む。苦い。

口になにやら筒状の物を咥える。腕に点滴を差される。

まな板の鯉の心境でしばらく待つと、医師先生登場。

先生は「じゃぁ眠くなるんで」みたいなことを言っていた気がする。

意識が遠くなる・・・という記憶もない。

気が付くと検査は終わっていて、個室のリクライニングシートで休んでいた。

どうやってここまで移動したのか全く覚えてない。麻酔スゲェ

検査

元の私服に着替えて、個室を退去し、待合室で先生に呼ばれるのを待つ。

呼ばれる。

とのこと。

正直、検査後の記憶曖昧だ。

後の説明の時、先生から「覚えてる?」という問いかけがあったが、あの様子だと麻酔の効いた俺との間で何らかのやり取りがあったようだ。

何か良からぬことを口走っていないと良いが。

支払いを終えて、俺はとりあえずハンバーグを食いに行った。美味かった。薬局に行くのは忘れた。

何が言いたいのかと言うと、健康には気をつけましょうね、という話。

資本主義ってどこかの時点で破綻すると思う。

仕組み上、資本から資本を生み出せるから、ずっと続けてるとごく僅かな人にの資本が集中するでしょ。

そうなった時、誰も資本主義なんて支持しないでしょ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん