2024-06-17

anond:20240614233055

神宮外苑は当時ともに国有地でした。神宮土地は、国が神宮無償譲渡する一方、スポーツ施設が集積する外苑国有地のままスポーツ団体を交えた委員会運営するという文部省(当時)案が五一年六月にまとまりました。

これに神宮側は猛反発します。「神宮外苑は一体」として、土地譲渡神宮による施設運営を求めたのです。

文部省は五二年一月、施設運営を認める代わりに条件を神宮に示しました。

 ▼国民が公平に使用できる

 ▼アマチュアスポーツ趣旨にのっとり、使用料・入場料を極めて低廉に

 ▼施設を絶えず補修する経費の見通しがある

 ▼民主的運営をする

この四条件を神宮が受け入れ、土地時価の半額で国が神宮譲渡することで決着しました。以上の経緯は神宮発行の「明治神宮外苑七十年誌」から引きました。

こうした歴史から分かるのは、外苑公共性の高さが当時から認識され、土地神宮に渡らない可能性もあったことです。

外苑国民の憩いの場として定着していました。神宮私有地になったとしても、国民から預けられたようなものでしょう。

  • 大半の空間が金を払う客しか入れない現状より再開発後の方が公共性高いですよね?

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