はてなキーワード: かのかとは
そうだな、勉強してないもんな。
国に収入把握されて進学先まで口出しされてよければ生活保護が受けられる。
親に収入把握されて進学先や結婚まで口出しされてよければ学費援助が受けられる。
村でプライバシー全部把握されていろんなことに口出しされてよければ相互援助が受けられる。
こういう把握とか指示なしで
外国人だって欧米人だとコミュニケーション上の見返りなどがある。
むしろホームレスにビッグイシュー発行させて見返りつくってる。
それも一部ゆがんでて鳩を放すとかのかたちで簡単な見返りをつくったりするんだ。
今までの制度がどういう失敗したかしってて解決案を提示できなければ、
おまえがここで煽った程度で
「国民全員困ったときには乞食できる制」なんて実現するわけないってわかるだろ。
そうではない子供に比べて生きるために仕方なく働くと答える割合が多いのではないか。
漠然とでも心の中に経済的な不安を抱えて生きている場合、内面の可愛そうな自分に金を与えようとして金銭への憧れは強くなる。そのため彼にとって仕事とは、金を得るための手段であると捉えるのが自然になる。
しかし、その不安がある程度なくなったとき、生きるため、金を得るため働くというステージからひとつ上がる。
ひとつ上のステージでなぜ働くのかを再考したとき、可愛そうな自分は幾分救われていて、金を得るためだけに働くのはなんだか動機が弱いのではないかと考え始める。
金のためには働くエリートは少ないんだそうだ。多くのエリートは社会に何かインパクトを与えることを生きがいにするのだと。
(ここでいうエリートはいわゆる成功者。著名な経営者や自分の才覚で大金を稼ぐような方たちね)
なるほど、この段階でいわゆる上っ面の言葉だったはずの「顧客第一」や「社会貢献」なんて思想が思いつく。ほんとのところの働く目的ってコレじゃないか? と。
ああ、世の著名な経営者や起業家がそんなことを宣うのはキレイ事を言ってるわけではなかったんだな。もちろん耳障りのいい言葉をあえて選んでいるんだろうけど、たまに本気で顧客第一とか言う人がいるのもそれで納得した。
彼らは一般社員とステージが違う。そして、たぶんそれは社会全体では正しい。
しかし貧乏な下層に生きる僕らが生活のため、金のために働くのもまた正しいはずだ。
もしそれを否定するのであれば、僕らにはステージを上がるために精神的貧乏からの脱却が必要だ。
今とこれからをどう生きるかという不安、失敗したらほぼ終了という恐怖を抱えながら夢など持てるはずがない。
貧乏な生まれなのに夢を持てる人は精神的には貧乏ではなく、むしろエリートにかなり近い。彼らはチャンスがあればエリートになるはずだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20180320/1521541181
呼ばれた気がしたので出現しました。
例によってなんの躊躇もなくクソ長いです。
現在もインターネットのどこかにおりまして、しまりんとなでしこのどっちの寝袋の空気を吸って過呼吸で死ぬか悩んでいる毎日です。吸って吸って吸って死にそうでも吸う。だいたいキャンプしてるときはお風呂入らないで寝袋に入るわけじゃないですか。そりゃ寝袋のなかはけっこう大変なことになってますよ。なでしことしまりん、どっちが強いかな、なでしこのほうが寝汗とか多そうだな♡とか考えるじゃないですか。あと斉藤さんはしまりんのことが好きすぎて大変だと思います。どうでもいいんですけど、消滅したはずのアカウントでいまでも増田だけログインできるのこれなんなんすかね。
まあ7年だっけ? 8年だっけ? よくわかんないですけど、それくらい経ったいまでもはてな村の話題が出るとお呼びがかかるくらいなので、俺も村の内部にいた人間ではあるのでしょう。なにしろ奇譚にも取り上げられたくらいなので。あれめっちゃ喜んで「ほらこれ俺、俺だから。伝説だから俺。まじで」とかうちの奥さまに報告に行ったら「トイレ行きたいんだけど。あとで聞くから」って言われてそのまま無視された。
というのも、俺、自分が村民扱いされてたなーっていう感じがほとんどないんですよね。理由ははっきりしてて、ブコメにほとんど目を通さないことと(批判されると死ぬ生物なので)、ふっかけられた議論をスルーすること、あと村内部のもめごとみたいなのにほとんど興味を持たないことです。いや、いちおうはがんばってみたんですよ。なんかこう村っぽい話題には積極的に首突っ込んでみようとか、馴れ合ってみようとか。てゆうか俺はもともと強度の馴れ合い体質で、おともだち以外は興味ないタイプの人なんですけども。なんか村に入れてくれよぅみたいな日記も書いた気すんぞ。
俺のことを知ってる人はけっこう多いと思うんですけど、相互に認識してると「俺が思ってる」人となるとぐっと数は減って、シロクマせんせーと加野瀬さん、あと有村さんは微妙かなーというところ。村民に当たるかと認識されるてかどうかはよくわかんないですけど、まなめさん(ご結婚おめでとうございます)(遅い)もか。や、当時はほかにもいたと思うんですけど、俺リアルでもわりと人間覚えられない人で、集まり的なものに参加すると、うちの奥さまが俺のかわりに記憶装置やってるくらいのもんなんすよ。シロクマせんせは会ったこともないですけど、勝手におともだちだと思っています。最新の著作のKindle化はどうにかなんないんですか。俺もう紙の本増やしたくないです。……と恒例のことをつぶやきつつ念のためアマゾン見に行ったらKindle化されてたのでいま買いました。すぐ読みます。
で思うんですけど、結局「俺が参加できなかった」っていうそのポイントを押さえてた人が「村民」だったと思うんですよね。はてな村ってツイッターのクラスタなんかと違って、コアとなる集会場みたいなのないじゃないですか。いや、あったとしても俺が知らなかっただけかもしんないですけど。じゃあなにがそうだったのかというと、はてダだったりはてなブログだったりブコメだったりの、無数の小さな円の重なりみたいなもので、その円の密度が濃い場所にいた人が「村民」だと思うんすよね。ムラ的な話題、たとえばもめごとだとか、そのときはてなで話題になってることだとか、そういうのが出現したときに「だいたいそこにいつもいる人」みたいな感じだったんじゃないかなーと。
はてな村がなつかしいかというと、その当時俺が知っていた人たちは、いまもなんらかのかたちでネットの比較的目立つ場所にいるので、あんまそういう感じはないですね。その気になれば連絡はとれるだろうし。
俺がブログやめたあと、インターネットは大きく様変わりしました。様変わり自体はまあ、時代は変化していくのがあたりまえなので、そういうもんなんだろうなーくらいにしか思ってないんですけど、ただはてな村みたいなコミュニティみたいなものは、もう出現しないんだろうなあっていう感じはありますね。SNSがこんだけ普及して、だれもがなんらかの「発言する」チャンネルを持ってる。
俺が知ってる限りでのはてな村の住民って、基本的には「自分でなんか発信する」ための手段を持ってた人たちばっかりなんですよ。あるいは「そういうことをしないと自分が維持できない」人たち。こう言うと「自分はブコメしかしない」って言い出す人かならず出てきますけど、そういう人たちでも原則としてなんらかの知的な訓練はなされてる人が多いので、その気になれば「人に読ませるための文章」を書ける人が多かったはずなんです。そもそも2010年の段階ですら、いまよりはインターネットは狭かった。
「みんな」がインターネットに参加できるっていうことは、それはもう文字どおり「みんな」なんで、発信する力を持っていない人が多数派なわけです。発信しないことが悪いことだって言ってるわけじゃないですよ。単純に比率の問題です。
まあそんなふうに思ってるので、はてな村みたいに「発信する人たち」の集団がある程度の影響力を持ちうる状況って、そうそう来ないんじゃないかなーと。
まあそんなことを考えておる昨今です。
あと、刀使ノ巫女すっげー不評ですけど、意外におもしろいんで見たほうがいいですよ。咀嚼音のエントリ見てからゆるキャン見るとき脳内にノイズ発生してすごい困ってるんですけど、カトゆーさんとんでもないものバズらせてくれましたね……。俺のいる辺境まで届いちゃったじゃないですか。それとあと「こねこねこねこ」の体験版がものすごい異次元だったので、興味のある方はやってください。
以上です。お騒がせしました。
※追記
知らんわけないでしょK-Onoさん。
7つ上ナオンとイイ仲になったとして、大学に進学すると(東工大でもない限り)同級生の美女に出会う。上級生の美女に出会う。卒業まで次から次から後輩の美女が入ってくる。彼女らとどういう関係を目指すかは予め決めておくことを勧める。
条件のよいナオンを見つけて乗り換えることは悪ではない。途中で方針転換することも悪ではない。しかし、三十路女をリリースすることは悪であると心得よ。のらりくらりとやってるうちに7つ上ナオンがアラサーになってしまうことは常に留意するべし。
数多くのナオンと遊びたいのかどうかのか。7つ上ナオンと生涯を共にする覚悟ができるのかどうなのか。よくわからないなら7つ上ナオンにコナ掛けるのはよした方がよい。言っておくが、三十路女の呪力はやれるかもという浅薄な希望を遥かに凌ぐ。命のやり取りになることも珍しくはないのだ。
一方で居酒屋で管を巻くオジサンは必ず「若い内はできるだけ多くの女を知れ」と半ば悔しそうにアドバイスしてくることも知っていなければならない。もっとも、森見登美彦という高名な俗人から伝え聞いたところによれば、とっかえひっかえの超絶技巧は八面六臂の桃色遊戯の達人にのみ許された茨の道らしい。
もし7つ上ナオンとイイ仲なったなら、飛行機を使っても毎月会いに行かねばならない。だが、愛の価値は経済的なものさしでは計れない程に大きいことは保証しよう。
最近Twitterの創作界隈で #魔女集会で会いましょう というタグが流行している。やたら流れてくるのでTL上で一度や二度はタグを見たことがある方もいるだろう。
これら#魔女集会で会いましょう タグの付いた作品は、Twitter上で1作品概ね1〜4枚の画像としてアップロードされている。大まかなストーリーは、どの絵師が描いたかに関わらず「魔女が人間の男の子を拾い、育てる。時は流れ、育った男の子は魔女のナイト的な役割を担う」という感じである。
もちろん異なる絵師が各々作品を作っているのだから多少の違いはあるが、大体そんなところである。
これらの作品に対して、わかり手(@anbakurakoya)氏が非常に痛快な批判をしていたのでまずは紹介したい。毒親に育てられた身としては、「ああ、わかり手さんは毒親(母親側)問題について理解があるんだな」ということがよく伝わってくる。しかし、わかり手氏の批判はツイッター界隈の老害化の象徴であるかのようにも見える(これについては後述)
まずはわかり手氏の良さを伝えることからはじめよう
魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。
「彼氏みたいな息子が欲しい」という願望を持つ母親(毒親の一種)が一部にいて、とんでもないことになっているのは経験上よく分かる。また、毒親が自分のキモさについて自覚的でないというのも共感できる。
さらに、下記のように「リアルと創作を区別しろ」と仰っているのも非常に納得が行く。
自己擁護の事例としてはこういうのね。いやその関係性が「幸せ」じゃねぇだろ、リアルでやったら毒親まっしぐらだろって話をしてるんだけど、どうも「虚構と現実の区別」とか言いつつ全く区別がついてないっぽくて怖いんだよね。
リアルと創作というのは別のものであり、明確に区別を付けるべきだという意見は全くその通りだと思う。
で、ここで立ち止まって考えてみよう、 #魔女集会で会いましょう タグとはそもそも一体なんなのか??#魔女集会で会いましょう タグを叩いたり援護したりしている人は当然趣旨をある程度は理解していると推測されるが、念の為確認してみよう。
このタグは九頭さん@coneshait という方が最初に始めたタグで、元ツイは以下のようである。
https://matome.naver.jp/odai/2151839444121733201
#魔女集会で会いましょう このタグで、『魔女が拾った男の子が成長して、魔女よりでかくなって(ごつくてむさくてがっしりしてて)魔女を全力で愛して守る男になる話』の絵を描きますので、誰か描きたい方いらっしゃればこのタグつけて好き勝手に…
ここに絵師が集まって、沢山の作品が投稿された模様である。2日後や3日後の「どんな設定盛っても構わん」という追加の発言もあるものの、多くの創作が1レス目のお題に沿った『魔女が拾った男の子が成長して、魔女よりでかくなって(ごつくてむさくてがっしりしてて)魔女を全力で愛して守る男になる話』というリファレンスに沿った内容となっているようである。
なぜこういったタグが流行るのかと考えると、絵師が「お題」に餓えているか、流行に乗っておいて自分の絵を少しでも見てほしいと思うからなのではないか。
絵を描く力と、ストーリーを考える力というのは全く別物である。一枚絵の画力はあるがストーリーはあんまり思いつかないというような絵師がこういったタグに飛びつくのも合理的だと思う。魔女と青年を絵にしたら映えそうだし。
ではここでわかり手氏の発言の話に戻ると、 #魔女集会で会いましょう タグに群がっている人に「毒親願望」があるのだろうか?これはTwitter上の流れを見た私の推測だが、タグに群がる人々の多くは毒親願望を持っておらず、「魔女とかショタとかのかっこいい絵を描いたり見たりしたかった」という程度の意思しかなかったのだと思う。
ここでもう一度わかり手(@anbakurakoya)氏のツイートを引用する。
魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。
果たして、「魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望」なんてあったんだろうか?お題なんて記号にすぎず、毒親願望なんて多くの人が持ちあわせていなかったところにわかり手氏が「彼氏みたいな息子が欲しい♡という欲望」なるありもしない概念をいきなり持ち込んでしまったのではないかと私は考察する。
同時に、わかり手氏のこのツイートについても的外れであると思う
私がこのツイートを的外れであると思う理由は「ストーリーを考える手間を極力省き、決まったお題で絵を描く遊び」をしているところに「ストーリー考えろ!」と言うのは、ナンセンスだからである。
毒親についてであっても、そうでないことであっても、自分の意見を貫き通せるのは素晴らしいことである。また、経験則から色々なことを語るのは、後の世代にとって有益となる可能性が大いにある。
だがしかし考えてほしい。刑事モノのドラマを見て雑な気持ちで楽しんでいるときに「本物の刑事はこんなんではなくてだな...これは、現実に全く則していなくて...」とやたら絡んでくるオッサンがいたら「老害キモっ」と思わないだろうか?
わかり手氏はまさにその老害の絡み方をしていないだろうか?
Twitterの特性上、TLに流れてくるのは基本的にはフォローしている人達の意見である。しかしフォローしている人の意見なんて小さな部分集合に過ぎない。フォロー外にはフォロー外の世界があり、当然自分より若い人達だっているし、そこにはそこの掟がある。
Twitterのはてな同窓会老人村界隈でゴチャゴチャ言い合ってるのも結構なことだが、所詮は老害化しつつある村であることをそろそろみんな自覚してはどうか。
>ヨッピーさん自身が「セクハラはどのようなものであれ、絶対に駄目」とはっきり言い切り、過去の発言への反省を踏まえて自らもそういうことは絶対にしないしさせない
ですが、これに対してこう返答しております。
>叩かれるだろうけど「セクハラ絶対やらない」とは言えない。自分の言動を他の人がどう受け取るかを予知するのは不可能なので。言ったらウソになるし。もちろんそのための努力はします。
やっぱりこの発言についても怒られていたりするのですが、この発言の意図として「セクハラを容認している」なんてつもりが無い事だけは言わせて頂きたいなと思っております。
冒頭でも書いた通り「ひとりひとりのmetoo」があるわけでして、何に対してセクハラだと感じるかのかは千差万別あって一概には言えません。僕が銭湯の記事で裸になってお風呂に入ることも「おっさんの裸を見せつけるなんてセクハラだ!」と感じる人は居るでしょうし実際に言われたこともあります。
でも僕は銭湯の記事を書くならやっぱり裸になってお風呂に入ってる写真を使いたいし、それに対して「セクハラだ!」って言われたら「表現の自由だ!」って言い返すと思います。
それに、僕が予想だにしてない事を「セクハラだ!」と感じる人も当然居るでしょう。その上で全てを事前に予測し、その上でそういった言動を「絶対にしない」なんていう事はやっぱり不可能じゃないかな、と思うんです。あの時点で「絶対にしません」って言うのは簡単だけど、でもそれだとその場しのぎのウソになってしまう。ただし、なるべくそういった、嫌な気持ちになる人を減らすような行動を取ることを心がけたい、とは思っています。これだとまた怒られるのかもしれませんが、正直な気持ちです。
うがった見方かもしれないけど、あえてダサいカッコが好きな人のためのデザインなんじゃないかと思ったりする。
日本人にしろおそらく相当数いるであろう中国人にしろ、デザイナーとしての歴史はヨーロッパとかに比べれば100年以上遅れてるし基本的なセンス技能は幼児レベルだと思う。
でも若い人は海外留学とかネットで情報集めればそれなりにいいデザインには触れられるので、金額内でそれなりにヨーロッパとかのかっこいいデザインを真似ることはできなくはないはず。
でもそういうかっこいいデザインをそもそも着たいと思わないというか、ダサい方が安心できるっていうダサい国民性があるんじゃないかって思ったりする。
もしくは社内ですごいデザインとか提案してもあれこれ色々な上司の意見を採用しているうちに結果的に中途半端でダサいデザインになってしまうとか。
UNIQLOはビッグデータとか積極的に集めてそうだし、日本国内の店舗で一番売れているのがダサダサジーンズならその路線を続けていくんじゃない?
再読。
相変わらず面白い
巻はぞわっとくるところがあって、2巻までと違う面白さがあった
主人公のるかちゃん(石黒まさかずキャラっぽいおんなのこ)は相変わらずかわいい
なんとなくストーリーの根っこ部分、終わりが見えてきたような感じで、ちょっとほっとしてる
浪人して引きこもってるダメ大学生が中国だか韓国だかのかわいい女の子とたまたま知り合って一緒に自転車で京都を目指す話
1巻だけどただそれだけ
UQホルダーにネギまでてきて、やっぱりネギまのほうが楽しいと思うのと似てる感じ
なんかまわりの人の様子がおかしいと思ったらゾンビが増えてきてた
ゾンビたちはふだんは普通の人にまぎれてて、ついには町を閉鎖して自分たちの国?みたいなものを作ってしまった
それに対して友達がゾンビにされたけど戻したいと思ってる女の子(父親譲りのサバイバルスキル持ち)ががんばる話
字が多すぎる気がする
ワタモテの作者
クズってのは言い過ぎで気分悪い
うまく言い当てる言葉がなかったとしてももうちょいいい表現にしたほうがよかった
全然クズじゃない、ただ文学少女にひとめぼれしたってだけなのに
バーナード嬢いわくっぽいけどそこまで深くはなく、キャラのからみ、誤解といったズレの部分で笑いを誘う漫画
文学少女のデザインがどことなくがっちゃまんくらうずのはじめちゃんっぽい
でも基本的にはわたもてと似た感じではある
良くも悪くもあいかわらず
爆弾解除の直前でセーブして一回挑戦したけどうまくいかんかったってとこでやめてたところから再開
3,4回失敗したかな
死ぬたびにセーフルームから正反対に移動して非常口のカギを入手するとこからやり直すのはすげー無駄に感じたから、途中からかぎ入手して数個解除した段階でセーブするようにしたらすげーうまくいった
最初から全部やり直すのはパターンが同じだったらいいけどランダムだったらストレスにしかなんないからな
チェーンソーでやればいいってあったけど、連続で切ろうとしたらつりさげられて連続で包丁で切られて一気に4もライフ削られて死ぬってのが痛すぎる
ちょっと離れて銃で撃とうとしたけどそれだとダメージが入りづらすぎるから結局チェーンソーゴリ押しが一番ってことになった
ゲーム内時間で5時間くらいかかったな(現実時間だと30分くらい)
ATKマックスだったら特殊部隊もチェーンソー一発で死ぬからすごく楽だった
特殊部隊に最初2回捕まったけど脱出がすげーめんどかったからもうリセットしてロードからやり直した
しかしトロフィーが全然たまらない・・・ボス倒したときくらいしかトロフィーとれてないからまだ5,6個しかない・・・
めんどすぎるなトロフィー
しかしスピード3でようやく普通にプレイできるくらいの速度って感じだなあ
ヘリが落とされて、がっくりして終わる・・・かと思ったらAエンドだったら黒髪女がたすけにきてくれてオーバータイムモードに突入した
そうそう25人救助できてた
結構いけてたね
でもまートランシーバーがうざすぎる
途中できるなよもうざい
そういうもんを丸っとまとめてばら撒けばいいんだ
老害に奪われるはずだったもんをごそっといけば出てくる
1兆10兆くらいの金
それで十分
あとは現実的なBI導入プロセスについてはどっかのかしこい奴のモデルがあっただろ
かなり評価されてるやつ
それは詳しいやつに聞いてくれ
ググってもでてくるだろ
ただそんなことどうでもいい
ネトウヨがタダ飯ぐらいを嫌うだ?
こっちはバリバリのネトウヨだがタダ飯ぐらいを嫌うのは、自分がタダ飯ぐらいできる立場じゃないからに決まってんだろが
言わせんな
自分がタダ飯ぐらいできるなら他のやつのことなんてどうでもいいよ
ただ、現行法でタダ飯ぐらいやってる奴は徹底的に叩く
違うか?
今の自分が何をやってきたのかと言われれば・・国立系現代美術研究機関で仕事をしている。
そこで何の仕事をしているのかと言われれば、ネットで美術作品に関するWebサイトの制作や
システム、サーバ管理作業やベンダー企業と打ち合わせを行いながら、世間に情報を発信している仕事だ。
プログラムこそ書けないが、PremiumPro、AfterEffects、Photosho、Illustrator、Dreamweaverを使いな
がら画像加工や映像制作、写真撮影、簡単コーディングやJavascript、シェルスクリプトをゴリゴリ書いて
仕事している。自分では何でも屋と呼んでいる。これがクリエイティブと言われればどうかはわからないが・・・。
アーティストとかデザイナーが嫌いですと言っていた自分ではあるが、知らない人間がそう言う世界の事を
言うのも失礼だと考え、正社員をやめてデザイナーになるため、まずは安いWeb制作スクールに通ってみた。
短期間だがサイトの作り方とAdobeツールの使い方を教わった。
ところが自分にはWebコーディングやデザイン考え方は理解できたが、デザインセンスや色彩感覚に欠けていた。
スクールへ通った後、派遣会社へ「Web制作がしたい」と登録したが、ポートフォリオを見せた途端にボロクソに言われ、不採用が続いた。
そんな中、あるWeb制作会社で「君、サーバ管理の方がいいかも」と言われてしまったがデザイナーになりたいとしと考えて断った。
その言葉をきっかけに「デザイン能力がないなら」せめてサーバ管理でもと考えて、Linuxスクールに通った
(その間は派遣で時給は安いがWeb制作会社で簡単なコーディング作業と画像修正作業、印刷会社でのDTP業務をして凌いだ)。
Linuxの勉強はすればするほど面白くなり、そちらの知識にのめり込んだ。サーバを学とネットワークの仕組みも知りたくなる。
最後にはネット知識で自作PCを組み上げてLinuxをインストールしてWebサーバとメールサーバを構築した。
ただ、自宅でWebサーバを構築すると言っても外部への公開はリスクが高すぎるので勉強機としてdebian系やredhati系OSなど
をデュアルブートさせたり、HDDでRAIDを組み上げたりして遊んだ。そのうちにレンタルサーバでドメインを取得、CMSで個人
ブログを立ち上げるも自分のポカミスからクラッキングにあいサイバー犯罪課の取り調べを受ける経験もした。
Web制作やデザインの仕事はなかったが、浅いネットワーク知識が幸いしてか、データセンターで映像サーバを扱う仕事に就き、
NagiosやらCisco機器、RAID、VM、セキュリティ知識、IP、デジタル映像知識、映像機器や編集の知識を得ることができた。
映像と言っても映画なのでDCPやKDP、3D映像の知識も会社で二週間研修させられた。仕事によっては夜中の仕事やAKB48ライブ
の収録に立会ったり、キアヌ・リーブスの舞台挨拶で生キアヌと打ち合わせしたりもしながらも、この日記を思い出しながら
それ以降は大企業の子会社でのWeb制作部門で勤務したり、IT資格もいくつか取得した。また途中で大学にも通い、好きだった
美術史や写真史、表現を学び、論文をいくつも書いた。その途中で亡くなった親父がフィルムカメラをくれたので、フィルムカ
メラにハマり出し、父親の形見の中判フィルムで撮影、フィルム現像、プリント額装して、個展までするようになった。
給料こそ高くはないが上記の研究機関で「何でも屋」で仕事をしている。
元々現代アートが幼少期から父親が集めていたアート関連の書籍を読んで、ドナルド・ジャドやフランク・ステラなどのハード
エッジアートに興味があったこと、簡単なシステム保守やサポートができること、フィルム現像や写真撮影ができること、ライ
ティング(照明)ができることが幸いして、作品の保管からシステム、ベンダーとの打ち合わせまでを任される仕事で採用され
ることになった。かなりの倍率だったようだが自分のように多く経験してきた方や知識、現代アートへの興味がある人は少なか
「オリも混ぜてくれよう。
実際には作ったりしないけど見るのは好きだおう
なのになんでオリを混ぜてくれないんだおう
お高く止まっちゃってさ!フン!もうこねぇよ!バーヤバーヤ!!!!
こうは書かれたものの、この気持ちもあって、それを理解するために色々と仕事と制作の仕事をしながら
勉強をしてきた(つもり)だけど、やってよかったと思う。
10年前の自分はデザイナー、アーティストがクリエイターという選民思想を持って「普通の会社員」を見下して
いるという、ルサンチマンに囚われていた。でも、仕事の業種に関わらずどんな仕事だって「創り出す」こと
は必要なのであって、それはどんな職種であっても創意工夫は必要であり皆がクリエイターである。
創り出すことが華やかに見えるのは一部だけであって、世の中にはもっと沢山のものが作り出されている。
たまーにWebのデザインや写真作品を制作することがあっても自分は「デザイナー」や「アーティスト」
とは言わない、それを言ってしまうと自分の創造の可能性を広げられなくなりそうで怖いから。もちろん周囲に
はデザイナー、ライター、アーティストの知人・友人はぐんと増えたが今はそれらの人を僻むことも今はしない。
しかし、あの日記を匿名日記を書けたことは自分の人生における仕事を大きく変えたと思うし、過去に自分が
そういう思いから出発しているから、どんな職業の人でも会う時には、まずは首を垂れて尊敬することか始めている。
それとこの言葉も気にしながら。
「未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです」
長文注意
30社以上応募したが、なかなかいいご縁がない(1月辺り約5社だから少ないけど。前半は精神がやられてたので休んでました)
やっぱり自己分析が足りないのか、やりたい事が何かを考えるのが足りないのか、というか考えすぎなのか
やりたいと考えてもほんとうにそれがやりたい事なのか、本当にやりたいことでもタイミングよく募集があり面接も上手くいってその後も仕事が続けられるのか、というか考えすぎなのか
面接で上手くいかないのは準備不足か、念入りに準備しても上手くいかないのは準備のしすぎなのか、面接官が初めから歓迎ムードじゃないのは何かいやな事があったのか、いやいや面接するのか、じゃあ書類選考でさきに落とさなかったのか、期待できないけど会うだけあってみような気分なのか、最初からそんな気持ちだからいい印象にならないのか、こちらが明るく振る舞えばいいのか、明るく振舞ったらヘラヘラしてると思われるのか、やっぱり考えすぎなのか
普通の人はいつでも面接でハキハキとちょうどいい具合に話せるのか、そんなにメンタルいい人がやっぱり普通なのか、自分に自信が無いだけなのか、自信とは自信持てと言われてすぐに持てる物なのか、普通に友達感覚で話せばいいのか、そんなわけ無いだろと読んだ人は思うのか
相手の様子を見て態度を変えてるのがいけないのか、じゃあ切れてもいいのか、嫌味を言っていいのか
うまくやれる人はそだちがいいのか、努力してきたからなのか、単純なのか、適当な人の方が上手くいくのか、適当なひとは社内で適当な事ばかり言って迷惑はかからないのか
面接官もそんなに出来る人なのか、転職者を見下していい気になっているのか、失敗したく無いからそんなに採用に慎重なのか
自分の勢いが足りないのか、スキルが評価されないのか、基地外なだけなのか、社会不適合なのか、死ねというのか
転職回数多めでも職歴を褒めてもらったけど、面接で覇気が足りなかったのか、隠し切れない不安を押し殺せというのか
転職回数多いのはそんなに悪いのか、最近はむしろあるていど普通じゃないのか、全体からみて非正規も半分近いんじゃないのか
全体の景気が悪いせいなのか、就職氷河期からこんな感じなのか、派遣で探すべきなのか、また転職回数増えるのか
正規で威張ってるやつは何なのか、仕事渡して自分は定時で帰るやつは何なのか、俺も正規になるとそうなるのか
それでもやっぱり考えすぎなのか
考えすぎなのか
もうだめなのか、もう寝るのか、まだ早いのか、飯食うのか、どうでもよくなってきたのか、終わりにするのか、オチはどうつければいいのか、就職できる奴はオチも上手くつけられるのか、俺にはむりなのか、やっぱりむりなのか、どうなのか
死
なないで
頑張ってれば上手くオチがつけられるようになるのか、やっぱりオチがうまくつけられなかったのか、無理してオチをつける必要は無いのか、もはや怪記事になってしまったのか