そうではない子供に比べて生きるために仕方なく働くと答える割合が多いのではないか。
漠然とでも心の中に経済的な不安を抱えて生きている場合、内面の可愛そうな自分に金を与えようとして金銭への憧れは強くなる。そのため彼にとって仕事とは、金を得るための手段であると捉えるのが自然になる。
しかし、その不安がある程度なくなったとき、生きるため、金を得るため働くというステージからひとつ上がる。
ひとつ上のステージでなぜ働くのかを再考したとき、可愛そうな自分は幾分救われていて、金を得るためだけに働くのはなんだか動機が弱いのではないかと考え始める。
金のためには働くエリートは少ないんだそうだ。多くのエリートは社会に何かインパクトを与えることを生きがいにするのだと。
(ここでいうエリートはいわゆる成功者。著名な経営者や自分の才覚で大金を稼ぐような方たちね)
なるほど、この段階でいわゆる上っ面の言葉だったはずの「顧客第一」や「社会貢献」なんて思想が思いつく。ほんとのところの働く目的ってコレじゃないか? と。
ああ、世の著名な経営者や起業家がそんなことを宣うのはキレイ事を言ってるわけではなかったんだな。もちろん耳障りのいい言葉をあえて選んでいるんだろうけど、たまに本気で顧客第一とか言う人がいるのもそれで納得した。
彼らは一般社員とステージが違う。そして、たぶんそれは社会全体では正しい。
しかし貧乏な下層に生きる僕らが生活のため、金のために働くのもまた正しいはずだ。
もしそれを否定するのであれば、僕らにはステージを上がるために精神的貧乏からの脱却が必要だ。
今とこれからをどう生きるかという不安、失敗したらほぼ終了という恐怖を抱えながら夢など持てるはずがない。
貧乏な生まれなのに夢を持てる人は精神的には貧乏ではなく、むしろエリートにかなり近い。彼らはチャンスがあればエリートになるはずだ。
そこを転換したいなら世界政府を作ってそこの王になるしかない