はてなキーワード: かのかとは
長文注意
30社以上応募したが、なかなかいいご縁がない(1月辺り約5社だから少ないけど。前半は精神がやられてたので休んでました)
やっぱり自己分析が足りないのか、やりたい事が何かを考えるのが足りないのか、というか考えすぎなのか
やりたいと考えてもほんとうにそれがやりたい事なのか、本当にやりたいことでもタイミングよく募集があり面接も上手くいってその後も仕事が続けられるのか、というか考えすぎなのか
面接で上手くいかないのは準備不足か、念入りに準備しても上手くいかないのは準備のしすぎなのか、面接官が初めから歓迎ムードじゃないのは何かいやな事があったのか、いやいや面接するのか、じゃあ書類選考でさきに落とさなかったのか、期待できないけど会うだけあってみような気分なのか、最初からそんな気持ちだからいい印象にならないのか、こちらが明るく振る舞えばいいのか、明るく振舞ったらヘラヘラしてると思われるのか、やっぱり考えすぎなのか
普通の人はいつでも面接でハキハキとちょうどいい具合に話せるのか、そんなにメンタルいい人がやっぱり普通なのか、自分に自信が無いだけなのか、自信とは自信持てと言われてすぐに持てる物なのか、普通に友達感覚で話せばいいのか、そんなわけ無いだろと読んだ人は思うのか
相手の様子を見て態度を変えてるのがいけないのか、じゃあ切れてもいいのか、嫌味を言っていいのか
うまくやれる人はそだちがいいのか、努力してきたからなのか、単純なのか、適当な人の方が上手くいくのか、適当なひとは社内で適当な事ばかり言って迷惑はかからないのか
面接官もそんなに出来る人なのか、転職者を見下していい気になっているのか、失敗したく無いからそんなに採用に慎重なのか
自分の勢いが足りないのか、スキルが評価されないのか、基地外なだけなのか、社会不適合なのか、死ねというのか
転職回数多めでも職歴を褒めてもらったけど、面接で覇気が足りなかったのか、隠し切れない不安を押し殺せというのか
転職回数多いのはそんなに悪いのか、最近はむしろあるていど普通じゃないのか、全体からみて非正規も半分近いんじゃないのか
全体の景気が悪いせいなのか、就職氷河期からこんな感じなのか、派遣で探すべきなのか、また転職回数増えるのか
正規で威張ってるやつは何なのか、仕事渡して自分は定時で帰るやつは何なのか、俺も正規になるとそうなるのか
それでもやっぱり考えすぎなのか
考えすぎなのか
もうだめなのか、もう寝るのか、まだ早いのか、飯食うのか、どうでもよくなってきたのか、終わりにするのか、オチはどうつければいいのか、就職できる奴はオチも上手くつけられるのか、俺にはむりなのか、やっぱりむりなのか、どうなのか
死
なないで
頑張ってれば上手くオチがつけられるようになるのか、やっぱりオチがうまくつけられなかったのか、無理してオチをつける必要は無いのか、もはや怪記事になってしまったのか
ここまではっきりとしたかなしばりになったのも久々だったので意気揚々とまとめたい。
ふと一人になった寂しさからなかなか寝付けず、遅くまでお酒を飲んでしまったことも関係しているのだろう。
何となく不安な気持ちが消えないまま、居間のソファに掛け布団だけを持ってきてテレビを付けたまま眠ることにした。
古い友人と対戦ゲームをしている夢を見ていたと思う。
勝負に集中する局面で、急に3歳の娘がドタドタと走り回り集中力が途切れて苛立ちを憶えた。
娘をたしなめてゲームに戻ろうとするも、相変わらず頭の上ではドタドタと娘が走り回っている。
そこで意識が戻り始め、それが夢であることを思い出し始めるも、頭上で走り回る娘は相変わらずドタドタと走り続けていた。
しかし、今日が一人の留守番だと気付いたと同時に、身体から一切の自由が奪われていることを自覚した。
久しぶりのかなしばりだ。これほどまでに身体がうごかないものはこの家に来てからははじめてだろう。
不思議なことに、過去幾度かのかなしばりになったときも目だけは開くことができた。
そして、大抵の場合は身体に力を入れれば少しずつであれば動くこともできた。
相変わらず頭上で何かがドタドタと走っている中で、まずは目だけを開こうとする。
早朝のニュース番組でアナウンサーが喋っているのが目に入った。
次に身体を動かそうとする。しかし今日に限っては身体を動かすことが全くできなかった。
画面に映るアナウンサーが話し続けるのを眺めながら、なんとかして身体を動かそうといろいろ試してみようとする。
すると足音が去っていくのがわかった。
こうなれば解けるのも早いはずだ。
そう思った時、上半身が少しずつ、しかしかなりの重量を感じさせながら起き上がって行くのがわかった。
足先にはこどもたちのおもちゃが散乱しているのが見える。
金縛りが解けたら最初にすることはおもちゃの掃除だ。そう思った時、両肩を何者かに掴まれ再びソファーにばたりと倒されてしまった。
見開いた目に、再びテレビの中で話し続けるアナウンサーだけが映る。
かなしばりが解けたのだ。
慌てて足元に目をやると、そこにおもちゃなんてものはなかった。
眠る直前まで飲んでいたお酒の入ったグラスと、メガネとスマートフォンがテーブルの上においてあるが分かった。
最初に目に入ってきたアナウンサーと同一人物だし、格好も同じだ。
だから、始めに目を開いた時は確かに目から周囲の情報が正しく入ってきていたはずだ。
寝ぼけた頭でしばらく考えてみたが、結局はっきりとはわからなかった。
暗いニュースばかりを重たい口調で読み続けるニュースに辟易し、できるだけ明るい雰囲気の番組にチャンネルを変える。
まだ2時間は眠れるだろうと再びソファーに横になるが、結局30分刻みで夢を見ては目が覚めるを繰り返しながら身支度の時間が来てしまった。
こんな言い方はおかしいが、かなしばりのキャリアはなかなかに長い。
幼くは幼稚園の頃からだし、それから思春期の間はかなりの数、かなりのバリエーションで遭遇した。
しかし、覚醒している間にはほとんどと言っていいほど何も起こらなかった。
たまに何かの存在を感じるようなことがなかったわけではないが、それを感じたところで何かが起こったこともなかった。
結局、かなしばりなんてものは疲れなどが原因で偶発的に運動系統の異常が発生して、意識と命令が不具合を起こす程度のものなのだろう。
しかし、知覚において存在しない物の実在を感じられることはとても興味深い。
これも恐らく動物が捕食者から逃れるための本能なのだろう。能力は臆病であったほうが生存につながるというものだ。
そんな話を帰ってきた嫁さんにしてみたところ、いつもは軽く聞き流すくせに急に青い顔をしはじめた。
聞くと、今朝目が覚めた時に娘が泣いて泣いて仕方なかったらしい。
理由を聞くと、パパが寝ている横でおもちゃで遊んでいたら、うるさいことと散らかしてしまったこととでこっぴどく怒られて、その瞬間に身体が動かなくなる夢を見たとのことだった。
そういえば娘が生まれてからかなしばりにあったのは初めてかもしれない。
「この人が核兵器のスイッチを持ってると考えると怖い」こんなブクマを目にするので、少し違った見方で話してみたいと思う。
まずトランプがどんな人かという前提を持っているのか、私は、「自分の理想や欲求を何がなんでも実現させたいすごくわかりやすいタイプの人間」だと考えている。
この理由は、まず第一に、過去に事業を何度も何度も失敗させてはチャレンジしていること。
第二に、選挙戦でずっと劣勢に関わらずまったく諦めたり路線変更することはなかったということ。
第一、第二はどういうことかというと、大統領選が始まる前の昔の発言(名言)からわかるように、不屈や努力が絶対に成功を導くと言っており、自分の成功や理想は追求し続けることで絶対に達成できると大真面目に信じてるということ。
第三は、メキシコの自動車工場にしても、オーストラリアの難民にしても、ここは私も譲れないけど代わりにこういう利益上げるから許して、ってのが一切通じないこと。自分がやる!って言った提案は絶対にやり遂げる、という行動原理がある。
ここから少し考えを進めると、トランプ大統領は中国やイスラム圏の嫌いな国々に対して、核の打ち合いをすることを心から望んでいるのか、公約や発言として言っているのか?
日本や韓国は自分で核武装すべきだ、と言っているように、核の使用に関しては、あまり積極的にやりたいとは思っていないと感じる。
なぜ重要か簡潔にいうと、トランプ大統領は、マティス氏に一目置いていて防衛に関しては一任するだろうからである。
第一に、先に述べたように、トランプは仕事を愛せ的な発言が結構見られること。
第二に、マティス氏の反対によって、拷問尋問を開始する大統領令を諦めたこと。
第三に、トランプ大統領は軍事力や警察力の使い方にまったくの素人であること。
第一は、マティス氏は、戦う修道士、国と結婚した男、とも言われているように、生涯をアメリカの防衛のために捧げていたこと。部下にクリスマス休暇を取らせるために自分が休日を返上したこともあるし、きちんと議会の承認と信用を得て国防長官に任命されている。
右派のネットメディアを側近にそえるほどのトランプ大統領が、国に生涯を捧げたマティス氏をリスペクトしていないはずはないと考えられる。
第二は、解説するまでもなく、反対派に対してかなり強弁な物言いをするトランプが、一歩引くということ自体、マティスの意見を大切なものだと考えていると推測される。
第三は、トランプ大統領は軍事や安全保障に関して知識が少なく、大統領選でもこのことを指摘されて、テレビニュースで補っている的な発言をしていた。これに関して、他人に頼るしかないと考えているはずである。
ついでにいうと、実は、軍部や警察力の懐柔のノウハウがないので、巷に言われているような独裁者には決してなれるはずはないと思う。
つまり、核の打ち合いということに関しては、トランプ大統領の理想とは異なっており、マティスが存在する以上、無意味な核攻撃は起こらないだろうということを結論できると思う。
もちろん、トランプ大統領がついカッとなって、核に関するツイートをしてしまう可能性はある。だがそれはマティスが防波堤となって、使用には至らないだろう。
また、肝心のマティス氏に関してだが、実はオバマ政権の元で、中央司令官を解任されている。
これは、イランに対する方針の不一致のせいだ。核武装に対しては、厳しめの見方をしているわけである。
トランプが感銘を受けた本、そして政権運営に深く関わる、ピーターナヴァロの『米中もし戦わば』では、中国が、法的な侵略と、機雷、潜水艦、民間船、そして、核武装により、アメリカを南シナ海から追い出そうとしているとあるが、
マティス氏は、韓国や日本に対して、核迎撃ミサイル(サードミサイル)の配備を求めてくるはずである。
核の使用自体を無力化し、通常の海軍力を競争の場にしたいと考えているわけである。
だから、先制的に核を使用しようとすること、または、相手に使用させようとすること、は考えられないはずである。
だた、アメリカの措置に怯んだ中国が誤って弾道ミサイルを発射し、そこから核の打ち合いが始まる危険性はある。しかし、少なくともトランプ大統領が核のスイッチを持っているからといって、軽々しく使う状況は絶対に起きないだろうと私は考える。
文中、唯一の謝罪の言葉が追記の中の母親に向けられたものなのが気になる。
まともな大人なら、子供を泣かせたらたとえ他人の子供であったとしても罪悪感を感じるものだ。
子供の行動にイライラしてついカッとなって怒鳴ったり手をあげたりするというのはまだ理解できるが、その怒りが数時間も続くというのであれば子供にとっては虐待どころか拷問のような経験になるだろうし、その行為に対する反省はなく子供への憎悪をさらに燃やしているというのは明らかに情緒に問題がある。
子供の行動が「わたしへの嫌がらせにしか思え」ないというのは、子供を自分より弱い保護や指導の対象としてではなく、自分と対等な、自分の存在を何らかのかたちで脅かす存在として認識しているということなのだろう。
それはつまり、増田は成熟した大人としてではなく、子供と同じレベルにまで落ちて子供と接しているということになるわけで、そのように未熟な増田に接したカウンセラーが人格形成に大きな役割を果たす増田本人の親子関係について疑うというのは当然なことだ。
そもそも誰だって親との間に嫌な思い出のひとつやふたつはあるはずで、それを振り返ってみて自分の人格にどういう影響を与えたのだろうと考えてみる程度のことはやってみて損はないと思うのがまともな考え方だろう。
本当に「わたしと母の関係は良好で本当になんの問題もない」のであれば過去を振り返ることになんの苦痛も感じないはずだし、過去を点検しろというカウンセラーに増田が怒りを感じるのは、増田にとって母との過去は本当は振り返りたくなるような良好なものではなかったのではないか。
謝罪の言葉が向かう先が長女でも夫でも次女でもなく母親であることや、人格にこれだけ明らかな問題を抱えながら「親の悪口を言わせようとした」という理由でカウンセリングを中断してしまうことから、増田にとって「わたしと母の関係は良好で本当になんの問題もない」というのはほぼ信仰に近い信念と化していて、この信念が嘘である可能性を疑うことすら増田にとっては身を切るような痛みを伴う行為になっているのではないかと想像してしまう。
親と自分との関係が実は良好なものではなかったのかもしれないと疑うことは楽しいことではないかもしれないが、「毒になる親」(ISBN:9784062565585)や、「不幸にする親」(ISBN:9784062814812)などの親子関係の問題を扱った本を何冊か読んでみて、いちど過去を点検してみるということをしてみてほしい。
今のままの増田と関わり続ければ、虐待を受けている長女はもちろん不幸になるだろうし、次女も増田の過干渉によって不幸な人生を送るおそれが強いから引き離すのは妥当だろう。
もしこのまま子どもたちと他人になったまま生涯を終えるのが嫌なのであれば、親子関係に限らず自分の過去を点検して、専門家や書籍の助けも借りながら自分の問題の原因を自分なりに探ってみてほしい。
世界で誰よりも自分を愛してくれるはずの自分の母親に「生理的に好きじゃない」と精神にも肉体にも暴力を与えられ続けた長女に対して、申し訳ないという気持ちが自分から持てるようになるときが来たとしたら、それから初めて長女と次女の両方ともう一度親子としてやり直せるよう頑張って欲しい。
某デジタルコンテンツの販売サイトには、リベンジポルノや交際相手の不手際で流出したハメ撮り写真・動画などが大量に販売されている。
もちろん、これらの商品を売ることは、法的にも倫理的にもアウトだと思うが、これらの事実から鑑みるに、
一度流出した写真や映像は基本的に人目に触れなくなることはない、ということだろう。
一方で、そうした写真や動画のサンプル写真を見ていると、一般の少なくない素人女性が
あられもない恰好を撮影されることを同意している、というおろどくべき事実も確かだ。
この記事を目にする女性の中にも、自分の行為中の写真・動画を交際相手に撮影許可したことのある人もいるだろう。
自分は男性だけれども、自分の交際相手のとのセックスを撮影したことも、撮影されたこともないし、
たとえ相手から求められても、他人に見られたら問題のある状態(たとえば全裸)でツーショットを撮らせることもない。
はっきり言って、デジタルデータである以上、たとえ故意でなくとも他者の目に触れるリスクがあることが明らかだから。
(例えば、スマホを使っていれば、何らかのかたちでクラウドのような外部へ自動アップロードされているかもしれない)
そもそも、撮影されなければリベンジポルノに使われることないし、流出することもない。単純な事実だ。
リベンジポルノが法的に規制されるようになったのは望ましいことだとは思うが、
そもそも女性の側も他者に見られたら困るような写真の撮影を許すべきではない。
撮影を強要するような交際相手なら問答無用で別れる。行為中の撮影自体が変態的な行為である。
こうした流れを作らない限り、男性に限らず、問題のある写真・動画を残そうとする昨今の風潮は廃れないだろう。
言い換えると、リベンジポルノは女性の側が一方的に被害者面できる問題ではないはずだ。
仮に盗撮ならば女性の側の非は殆ど無いと言えるが、少なくともリベンジポルのなら、一度は撮影を許可しているのだし、
「後で消して」などという口約束が履行される可能性はほぼないことは、中高生だって十二分に理解しているはずだ。
(若いうちは自分の行為の意味が分からないとか、恋愛中の異常な精神状態、などという言い訳が通用するわけがない)
リベンジポルノを公開する人物は悪。確かにそれは正論だし、法的に罰した方がいいだろう。
一方で、リベンジポルノの原因になるようなものを許可する女性の責任も相当にあると自覚した方がいい。
電車内と痴漢や不審者からレイプされたりすることは、どんなに慎重になっていても究極には防ぎようもないことだが、
リベンジポルノに関しては意識がけ次第に完全に防ぐことができる性質のものだ。
リベンジポルノを作らせない責任は、あなたにもある。あなた次第なのだ。
そもそも全裸であったり、あるいは明らかに行為の最中、あるいは行為後であることが明らかな写真を残さないように
女性に促すことは、女性を侮辱することなのだろうか。女性の人権を侵害するものなんだろうか。
それって本当に「創作してる人」だろうか。
ぜんぜん違う界隈の話だったら申し訳ないけど、アニメ系の二次創作絵師の場合、
「自分が描いた絵をダシにしてコンテンツを消費する輪に加わろうとせずに居られない人」
もちろんその中にも、二次作品なりに創作と言えるレベルの世界観を構築して、
人を感動させられるような人もいる。
けれど大半の人は、キャラをいじって遊ぶ人形遊びの域に収まっているのでは。
でもそう考えたら、だいぶハードルが下がったように感じるし、
創作しない楽しみ方でもそんなに引け目を感じないと思う。
むしろ、他人や作品をネガティブに捉えない品性をそなえていて、
物事を論じるのが得意であれば、人からすると目から鱗の考察ブログなんかが書けるのでは。
つきつめるとその最小形態は、ファン同士の語らいだと思うのね。
そんな感じで。
ボロクソに子供を相手にして儲かってるという景気の話をよく聞くようになった。
数十万回数とか再生されてたり。
そういうのを見てると、オレみたいな情弱はすぐに
で、Youtubeを顔出し無しで始めてみたのが3ヶ月前。
実はこの3ヶ月間、儲かったのは5000円くらい。
これ、3〜4ヶ月間の総額ね。
時給にしたらいくらだろう。
哀しくなるので計算なんてしたくないけど
時給10円もいかないんじゃないかな。。。
あとは良い方で数千再生回数が何本かある程度。
Youtubeで一再生で0.1円とか0.2円とか言われてるから、
コンスタントに再生回数1万以上の動画をアップして行かないと、
全然、話にならない。
でも、1本の動画を作るのにやっぱり、それなりに時間がかかる訳で。。。
https://www.youtube.com/watch?v=WB-ip0Kb2nY
でも、Youtubeって逆に手を抜いたもん勝ちな気が最近してるんだよな。
適当な静止画像に適当な背景音流して、適当なコピペの文字をスクロール表示させるとか。
でも、そんなYoutubeを荒らすようなスパム動画なんて作りたく無いし、
なんだか、世の中ってクリエイターにとってアンフェナだなって思ったり。
まー、さっき載せたような動画が自分にとって、かなり頑張ってる方なので、
俺がクリエイターがうんたらってのも恥ずかしい話なんだけどな。
もうちょっと続けてみて、たぶん、踏ん切りが良いところで辞めると思う。
いくつかチャンネルを作ってコンセプトを変えて動画投稿をして来たんだけど、
みんなに言いたいことは、Youtubeは真面目にやると儲からないから辞めとけってことだな。
はてなにいるような、何らかのかたちで物作りに携わってる人らには向いてないはず。
心を捨てて、お金の為だけにクソみたいな動画をちゃちゃっと量産出来る人には
3ヶ月間取り組んでみたけど、このまま不発で終わるのも正直悔しい。
私は「働く」ことが大嫌いです。少なくとも今の仕事には何のやり甲斐も見い出せません。
それなら何故「働く」のかと言われれば、ひとつの理由として飯を食うための金が必要だから、と答えます。
夢も希望もないですが現実です。働かなくては生きていけないから。
かつては、こんな私のような人間も「働く」ことに対して意欲的になれる環境が整っていたのだと思います。
終身雇用制と年功序列制度。人は働けば働くほど給料が上がることが保証されていました。
しかし、ご存知のようにそれはもう遠い昔の話です。「働く」ためのモチヴェーションは失われてしまいました。
幾ら働いても惨めなままで過ごすしかないのであれば、「働く」ことから降りる人間が生まれるのは当たり前の話だと思います。
つまり、今こそ何故人間は働かなくてはならないかを問うべきである、ということです。
私が「働く」理由にはもうひとつあります。それは働かないでいると人間は世間との繋がりが切れてしまうから、というものです。
引きこもって外に出なければ人は実社会のことが分からなくなり、狂気をこじらせてしまいます。少なくとも私はそうです。
でも、ここで大事なのは必ずしも引きこもっていることを私は否定しないということです。
「働く」というのは世間とのコミットメントの手段のひとつに過ぎません。
引きこもっていても何らかのかたちで「外」と繋がっていれば、それはそれで(もちろん親の経済力に余裕があり、親が寛容であればの話ですが)悪くないことなのではないかと思います。
このあたりの議論をする際に、私は中島義道氏のことを思い出します。氏も一時期引きこもっていたことがあったそうです。
しかしその期間中、月に 50 冊の本を読み勤勉に勉強を重ねておられたと聞きます。引きこもりは勤勉であれ、というのが中島氏のメッセージです。
そして外との繋がりを断ち切るな、と。このあたりは私自身読んでいて、非常に得心の行くものを感じました。
私自身引きこもっていた時期に図書館で大江健三郎の全集などを読んで過ごしていたので。
今の私は、基本的に貧乏でもあるのでどこに行くことも出来ずに引きこもっています。
ただ、日銭を稼ぐ仕事があるのでそれに参加して最低限の税金を収めているだけです。そんな私にはだから、引きこもりの人の絶望が分からないです。
ただ、先に書いた半年ほどの引きこもり体験の間に感じていた薄っすらとした絶望は今でも思い出すことが出来ます。
私のそういう期間は二十代初めだったので私は何とか辛うじて社会復帰することが出来ましたが、三十代になって引きこもっている人の絶望は大きいものだと思います。
私には何も言えません。ただ、「働く」という大嫌いな手段を通して先の見えない人生を送っている男がここにひとり居るということ、
誰かしらの前座に必ずこういうピエロを据えるのは伝統的だったのだろうか。
ルイ16世は貧困時、小麦やパンの価格レートを下げたりして、少なくとも国民を労わってた。
ロベスピエールの失策を見れば明らかだった。その点ルイ16世を錠前作りの達人程度にしか見て来なかった同国の元大統領サルコジなんかは真性の阿呆だと思った。
また塔に幽閉して、処刑の前日までにはシャルル皇太子が近親相姦を行ったという根も葉もない虚構記事で不当裁判を起こした時、
母親のマリー・アントワネットが否定した時の声明は様々な子を持つ母親に共感を抱かれたという。
これを見るとマリー・アントワネットが悪女だったというのも後世の作り話だろう。
劉禅は暗愚だったか?暗愚なら50年以上も国は続かなかったと思う。
よく人の意見を容れていたから、国は安定していた。どっかの軍事馬鹿が年々国費を費やさなければ100年は安定してたはずである。
今川義元は信長の野望をプレイしたり歴史書を読めば大体の人が信長が起つための典型的かませ役だったのは明らかだ。
東海の弓取りという異名もあったし、三河を安寧させた政治手腕も高く評価されている。それなのに酷い所は麻呂だから泣ける。
むしろ狡猾だったのは信長と後に同盟した松平元康こと徳川家康とか武田信玄とかだと言える。
やばいね。
ラノベと文学のことを書いたまとめがあったけれど、その言わんすることは、
2.純文学は淘汰されつつある。
ということらしい。
それの根拠としてラノベを含んだ小説の文化史が並べられている。反応は、その文化史が正しいかのか正しくないのかに始終している。根拠なんだからそれが正しいのか、正しくないのかは大事なことだろう。ただ感情的な人間としては、結論が間違っているようにも思えない。
漢文や擬古文といったものが消え、口語体が主流になった。国語の教科書にでてくる森鴎外の舞姫を何の脚注もなしに読むのが難しいのだから、そこは間違っていないと思っている。
ただ、小説にでてくる口語体というのもまた時代の流れとともに陳腐化した。つまり、口語ではなくなった。昔の口語が、古いレコードのように書き言葉として残っているに過ぎない。いまぼくらが日常会話で使う話し言葉は、正式な文章ではお目にかかれないし、まともな小説と呼ばれるものには出てこない。
言葉を整理すると、ライトノベルが「純文学」の系譜にあるという文脈での「純文学」とは小説という文化での権威のことだ。純文学は淘汰されつつあるという文脈での純文学は、いまのジャンルとしての純文学のことを言っている。
また、補足すると小説という文化には権威とそれに従うもの、それから外れたものという階層構造が存在している。
そういうことを踏まえると、いまのジャンル純文学は権威を失いつつあり、次の権威はライトノベルが担う可能性があるということだ。
小説の文化が変化をしつづける限り、永遠に権威で在り続けることはできないということだ。いまの権威は純文学であるが、やがてそれは何かに取って代わられる。その可能性として高いのはライトノベルだということだ。それは単純にライトノベルがいま一番活況だからである。
人の少ない文化は衰退する。人の少ない純文学やそれに従うものは魅力を失っていく一方だ。
さて。
ライトノベルは次の小説という文化の権威となる可能性を秘めている。
ここからは感情論が強くなるのだけれど、昔からある何かが否定されるとき、否定する人間はその昔からある何かをよく知らないのではないとかと思っている。むしろ、知らないからこそ否定できるのだと思う。ライトノベルが純文学を否定する未来があるならば、そのときのライトノベルを書いている人間はおそらく純文学をよく知らない。
そして、先例というのはいつもあるのだ。
ライトノベルのタイポグラフィ的なところも西尾維新的な言葉遊びも調べれば調べるほどに先例がある。タイポグラフィ自体がかなり古いものだし、言葉遊びという意味では無駄に爛熟していた江戸文化で見られると思う。イタズラを悪戯と書くのだ。
知れば知るほどに否定できなくなる。だから、知らないほうがいい。「純文学なんて高尚すぎて退屈だ。俺がもっと面白ものを書いてやる」という気概こそ必要だと思う。
そして、この気概を持つためには、ライトノベルが否定されているという認識が必要だと思う。ライトノベルはクズだ、と言われているからこそ、見返してやろうという気が起こるものだ。もし、ライトノベルも立派な芸術であるだとか、そういうふうに賞賛されてしまうのであれば、挑戦する必要がない。それでは、権威となった純文学と同じだ。
観測ってほど毎日見ているわけでもないが。
中国韓国北朝鮮のニュースにコメントをつけまくってそれを何ヶ月も続けている人がいて、もしかしたらそういう人ってたくさんいるのかも知れないけど、いったいどういう人なんだろうと言うのはちょっと興味がある。
行動パターンとしては、
・平日日中から夕方のある時間帯に集中してコメントを投稿している(2つくらい活動時間帯がある。短期集中型っぽい。5分おきに別々のニュースにコメント投稿してることもあって純粋に驚く)
・土日祝日になると活動が止まる。因みに今はお盆休みなのか、平日でも投稿がない
で、この人は
・職場のPCから時間を見て投稿している(個人の中に動機がある)
・コメントつけることを仕事にしている(プロコメンテータwとして仕事をしている)
のどちらかかのかなあとぼんやり想像しているんだけど、前者なら土日にだって自分の家からコメントつけまくるだろうし、後者だとしたら残りの時間は何をやっているのか、ということになる。
なんなんだろうなあ