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はてなキーワード: お笑い番組とは

2022-12-24

お笑い番組とか、昔はタブーがなくてやりたい放題だった、みたいなことが言われたりするんだけど、そうじゃなくて、昔もタブーはあってマズイことをやれば苦情の電話が鳴り止まなかったりして、それはそれで問題だったんだけれど、時代の流れとして、そういうタブーとかで縛り付けてくる勢力には絶対に負けないぞ!という社会空気感とかこれから時代はこうなんですよ!意識アップデート(なんて言葉はなかったが)して下さいよね、みたいな感じだったんだよな。

これはもう長い歴史の中で人類文化に起こる繰り返し性みたいなものなんだと思う。

ある時期には開放的な方向へと振れていくし

ある時期には規制的な方向へと振れていくという。

ルネサンスやらその反動やらとかってそういうことみたいなことだろ?

まあ今の時代はそれが規制的な方向へと向かっていく時代ということで。

からある時期に来ると突然、今みたいな堅苦しい主張をする人たちのほうが意識アップデートが出来ていない老人たちってことになる時代に反転するんだと思う。

2022-12-20

お笑いなんかなくて良くない?

なんか昔の「みんな野球を見るもの」くらいの圧で「みんなお笑い見るもの」って感じてる。

関東の住人だから特に、というのもあるし、幼い頃お笑い番組でやってたイジメ芸を学校で真似してる人たちを目撃したせいもある。

お笑い、見なくても良くないですか?

別に声を上げて笑うことだけが楽しいこと」じゃないよね?

いや、昨今、人を傷つけないお笑いになってきたとは聞いてるよ。でも『地雷踏んだら半日滅入る』話があったように、笑われる属性側に少しでも自分共感するところがあると、何年も何十年も引きずるんだよね。そのためだけに人との会話もできなくなる。お笑い番組の真似でイジメられてた男の子のように、私がなる恐怖。なる訳ないよと言えるのはいじめる側にしかいたことのない人間だと思うし、実際飲み会女性グループでは私は『面白い』らしく、プークスニヤニヤされたりする。

そんな状態で「M-1くらい見なよ」って、地雷の上でタップダンス案件なんだよなぁ。

ともあれ。

お笑い見なくてもスポーツ見なくても怪談ホラー避けても戦争映画見なくても大ヒット上映中見なくてもガンダム見なくてもONE PIECE読まなくても飲み会アルコール飲まなくても美容院美容師と頑張って会話しなくても、肩身狭くならない社会がいいよね、うん。

2022-12-14

anond:20221214163932

M-1審査員が笑わなかったのはゼロ年代とかの話やぞ

そしてM-1ターゲット層は割とガチ大会っぽさも求めてて、ガチ感とあくまお笑い番組っていうバランスは常に調整しておるんやぞ

5年くらい前と言うのが何年のかは知らんが、一時期ちょっと決勝戦出場者たちが素直に笑える漫才を軽視して凝りすぎてた時期があって、

審査員もそれに合わせてちょっとムッツリせざるを得なかっただけという話やと思うぞ

まぁその辺の時期はワイもつまらんなぁと思っておったぞ

こういうことをぐちぐち語りだすワイみたいなやつがおるからお笑い好きコミュニティはクソ

2022-12-02

金曜夜だし録りためたお笑い番組を見ながらコーラポテチで優勝するか。

収入おじさんなのでコンビニじゃなくちゃんスーパーで買った一品

パサパサの茹で玉子の黄身はサッカー増田スマノーカッサは三木の五股出湯のサパサパ(回文

おはようございます

あのさ、

茹で玉子の固ゆでの黄身のパサパサ具合は敵なのに

おでんになった時のあの玉子の黄身の美味しさたるや。

あれも固ゆで黄身なのにホクホクでお出汁に溶いていただいても超絶美味しいわよね。

サッカー監督も負けたときはパサパサ具合全部水分持ってかれる!ってすごい勢いで言われるけど、

勝つと本当におでんの茹で玉子の黄身がとっても美味しい!ってなくては欠かせないものですね!って手のひらを返したようにおでんの茹で玉子の黄身も美味しそうに食べるわよね。

監督業って大変だわーって思ったわ。

私は茹で玉子茹でておでんに投入するだけの

おでん監督で采配を決めるだけだけど。

サッカー試合が全部監督の手腕いや、

もとい脚腕で全部決まるのなら

監督ってサッカーゲーム最強に強いんじゃない?説あると思わない?

まあそんなわけで私はサッカー試合リアルタイムテレビで観られるわけないミッドナイトだったので、

うつらうつら起きたら試合開始前10分だったので

枕元に置いてあるレイディオを付けたのよ。

半分まどろみながら聞いていてなんか6時頃になって試合が終わって勝ったみたいでよかったわねって、

おでん玉子のことを思い出して、

今夜また追加玉子茹でておでんにしよう!って思ったのよ。

監督って勝ったら本当に良く言われるけど、

負けたら大変よね。

たぶんこの2~3日は監督目線にわかサッカーファンの話しで花が咲くわよね。

急にあなたサッカーそんなにいままで好きだったっけ?って人に限って監督目線で言う人の話が面白すぎるし、

実家の母はお笑い番組を見て作家目線芸人さん特にバカリズムさんに辛口コメントしているのとかを見ていると、

すごい角度からものを言うわね!って端から見ていると面白いわよね。

残念なのが今年の新語流行語大賞に「森保一監督」ってのがノミネートされずに終わってしまったのが悔やまれるわ。

また文字が間違ってましたーって「森保ー監督」じゃなくて「森保一監督」でした!って藤田二コルちゃん現象もこの時期では

そのもうビッグウェーブに乗れないし、

ワールドカップの時期的に新語流行語大賞には初めからノミネートされる気が無かったのよ。

よくツイッターハッシュタグは!ってラジオないとかで発表されるけど、

カタカナなのか漢字なのか平仮名なのか限定して言わないと

タグが散らばってしまって集中しないかのような現象とも似ているし、

でも本当にサッカー監督で行うサッカーゲームの実況見てみたいわー。

興味があるわ。

あの手のゲームってリアルな実際にいる選手が登場してるじゃない、

そういう選手能力パラメーターって個別に設定評価加味されてるのかしら?

だとしたら、

国やチームで差が出ちゃうから

全く能力が一緒の真っ白なプレーン選手たちを位置から操作指示してってなると、

新の監督の手腕

いやもとい脚腕の実力が発揮されそれこそ監督能力のみで勝負が決まると思わない?

まあサッカーゲームのことはよく分からないけど

茹で玉子の黄身は

普通の茹で玉子の黄身の時はパサパサして文句言うのに

おでんの茹で玉子となると

ホクホクしていて味が染みて美味しいし、

出汁に溶いたりして食べたりするのも良し!で美味しいよね!って

まるでサッカー監督試合に勝った負けたで、

すごい言い方をされるのに似ているなって思ったことが今日おでん作りの茹で玉子の仕込みの励みになるわ。

から

サッカー監督と茹で玉子の黄身はとても似ているのよ。

べ、べつに

おでんから煮ていると似ているを

かけたわけじゃないんだかんね!

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドしました。

昨日なんかいただいたおにぎりがあったので、

それは隠しおにぎりとしてひっそりとお腹が空いたときに食べる用で置いておくわ。

ウメワカメの2タイプフレーバーが1つのパッケージに入ったタイプのやつなので

一度開封してしまったら

食べきらないと行けないタイプなので、

それもそれでウメワカメがいっぺんに押し寄せてくる感じが

海の寄せては返す波のように海感があるわよね。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラー

ジンジャーがなかったのでしょうがなく

チューブタイプジンジャーにしてみたけど

なんかスライスフレッシュジンジャーとは

いまいち風味が違く感じがして、

フレッシュスライスジンジャーが無かったかしょうが無いわね!って

生姜だけに諦めたわ。

でもまあホッツで温まるのは温まったので良かったわよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-11-28

anond:20221128190539

これは一理あると思う。

小学生くらいになったら、自己意志表現できる。

そういう広告に遭遇したら、「こういうの見たい?」と一言聞けばよい話ではある。

というか、そういうプロセスを踏まないと、一時期のPTA特定お笑い番組を見ないように言ってた(が、子供たちは隠れて見ていた)のと変わりがないように思う。

2022-08-27

anond:20220826141838

いややっぱ昔のお笑いが悪かったと思う。あの時代芸人一生懸命みっともなく『頑張って』みせて、それをバカだアホだと嘲笑う風潮だった。

つかあの頃のお笑い芸人は本当ひどかった、マジ家畜奴隷かって感じで。殴る蹴る罵る汚物をかける。雑巾食わす。人として尊重されてるようには見えなかった。というか何してもいいサンドバッグが『面白い』だったんだもんな?

マジ昔のお笑い他人欠点をあげつらうもので、努力は『欠点がある証拠』くらいに思われてたと思う。

から努力するのは人として格下の証』だった。

努力嘲笑う』ものだった。

当時のお笑いで育ったおじさんたちは、だからバカにする側にいることに固執する。努力してるなんてバレて自分が人として格下、嗤われる階層に堕ちるなんてことは、人としての尊厳に関わる。

なお私はされたことないけど(イジメグループ複数あったので)、お笑い番組の真似して『遊んでる』集団は見たことある。ああいうの、やる側は仲良く遊んでるだけの認識で、「相手も楽しんでる」と信じてたりするんだけど、苦しい言い訳とかじゃなくて本気で信じてたりするの、怖いよな。

それに比べれば、今は笑ったりされることな努力努力で当たり前に認められるものだ。そりゃ方向性の違う無駄努力は認められないこともあるけど、でも「頑張って難関大学合格しました」と聞いてビン底眼鏡連想して「ガリ勉かよ、プフー」「全裸にして水ぶっかけようぜ」「肥溜めに落とそうぜ」となる人間は劇的に減った。

今の時代はね、素直に他人努力を「すごいな」って褒めていい時代なんだよ。

総括:価値観アップデート早くしたらどう

2022-08-23

N君は夜行バスに乗って

anond:20220822215327

夜行バスの思い出を気紛れに綴っていたら、連想ゲームのようにN君のことを思い出した。これも何かの機会だと思い、ここで書き残すことにした。予め断っておくと、ほとんど夜行バス要素は無いし、N君という呼び名も、星新一式のニュートラル呼称であり、実名イニシャルではない。

N君は、高校同級生で同じクラスだったが、特に俺と親しかったわけではない。俺の記憶の中のN君は、優等生でも不良でもなく、運動部所属でも文化部所属でもない、あまり目立たない帰宅部の生徒だった。

ここでド田舎高校あるある話を解説しておくが、当時の暗黙の了解として、生徒は部活動所属すること、しかも、運動部が最も望ましいとされていた。文化部は、運動部より一段低く見られ、帰宅部となると、教師保護者から胡散臭く見られるという始末だった。俺はといえば、オタクのくせに無理をして運動部所属し、体育会系集団と校内オタク集団の間を、コウモリのようにフラフラしていた。

そんな風にド田舎同調圧力に屈していた俺から見ると、校内のどのようなコミュニティにも属していないように見えるN君は、孤高というか不思議存在だった。

N君は、俺を含めた同級生との休み時間放課後の会話に、自ら積極的に加わったりすることは無かったものの、会話をする機会が有れば、分け隔てなくフランクに接して明るく話す程度には社交的だった。俺も他の同級生も、N君を特別に好きだったかどうかはともかく、特別に嫌ったりはしていなかった。帰宅部にも関わらず、運動部所属する生徒たちから見下されたりするということがN君はなかった。優等生でもなかったとは書いたが、話し方や物腰を思い浮かべるとN君の頭が悪いとも決して思えず、むしろ頭は良さそうに俺には見えた。

特にしかったわけでもない俺の、N君に関する記憶や印象は、おおむね以上のようなものだった。

在校中の特筆すべき思い出を残すことも無く、高校卒業して実家を出た俺は、田舎の度合いが出身地と五十歩百歩ぐらいの、他県にある大学へと進学した。

大学夏休み実家帰省してゴロゴロして怠惰に過ごしていた俺に、親は「在校中にお世話になった顧問先生に、挨拶ぐらいしに行け」と言った。仕方なく俺は、運動部OBとして母校に顔を出し、OBらしく後輩たちにアイスクリーム差し入れを振る舞ったりした。母校での野暮用を済ませ、帰宅するために母校から最寄りの駅へと向かった俺は、その途中で、偶然にもN君に再会した。市外から汽車(ディーゼル列車田舎ではこう呼ぶ)で片道一時間強かけて通学していた俺と異なり、N君の家は母校と同じ市内だった。

特にしかったわけでもないが「久しぶり」ということで、俺たちは喫茶店アイスコーヒーでも飲もうということになった。高校時代校則入店禁止されていた喫茶店に、今では堂々と入店できるということに、俺は開放感を覚えたが、その時のN君はどうだったのだろうか。

「今どうしてる?」という話になり、大学生としての暮らしについて、俺は適当に話した。昔も今もコミュニケーション能力に乏しい俺は、大学生になっても彼女もいなかったどころか、友人もろくにいなかった。だから、決して薔薇色の生活というわけでもなかったし、そんなに明るい話のネタも持ってはいなかった。しかし、そんな俺のつまらない話でも、N君は「良いなあ」と相槌を打ちながら聞いていた。ひとしきり俺のことは話したので、今度は俺が、N君のことについて訊いてみることにした。しかし、聞けば、大学専門学校などに進学するでもなし、働くでもなし、N君は何もしていないと言った。

少し言い淀んだ後、N君は俺に「悩んでいることがある」と切り出した。今でも、この時の話題をN君が特に親しくもなかった俺に切り出した、本当の理由はよく分からない。喫茶店自由に入れるようになった開放感からだったのだろうか。あるいは、田舎を捨てて他県の大学へと進学した俺のことを、進歩的偏見が少ない人間だとN君は見たのだろうか。単に、親しくもなかった赤の他人からこそ、却って話せたというだけかもしれない。

N君の悩みというのは、彼の恋の対象が、女性ではなく男性であるというものだった。

N君の話を聞いて、俺は驚いた。

N君が同性愛者であったことに驚いたのではない。俺が驚いたのは、N君が彼自身以外に「男性恋愛感情を抱く男性」の存在を知らなかったかであるストレートの俺ですら存在を知っていた、雑誌さぶ』や『薔薇族』などの存在も知らなかったと言われたが、その時の俺は、俄にはN君の言葉を信じ難いと思った。

しかし、後になって思い返した俺は、それほど有り得ない話でもないのではないかと思うようになった。同性愛であることを子供からカミングアウトされた親の中には、同性愛治療可能な病と考えて、何とか"治そう"と試みる人間が少なくないという。だから、もしかしたらN君の親も、そんなふうに"治そう"とか"悪化を防ごう"とかするために、N君が彼以外の同性愛者や性的マイノリティに関する情報へとアクセスする機会を、奪っていたのではないだろうか。スマホインターネットも無かった時代のド田舎で、子供経済的支配している親の立場ならば、情報遮断もある程度は可能だったと思う。N君がどうだったかは覚えていないが、俺の同級生の中には、テレビお笑い番組を観ることを、親から禁じられている人間が何人もいた。お笑い番組などでは笑いのタネ同性愛者が持ち出されることは珍しくなかったが、そういった俗悪番組などを観ることを禁じられていたとしたら、自分以外の同性愛者の存在を知らなかったということも有り得るかもしれない。

「えっ、そんな雑誌があるの?!」

「そうだよ、男の人を恋愛として好きになる男の人は、なにも世の中でN君だけじゃないよ」

逆にN君の方こそ、俺の言うことが信じられない、自分の他に男性恋愛感情を抱く男性存在するなんて信じられない、という表情だった。

別に俺は、高邁な思想の持ち主などではなかったし、世の中の差別を無くすために戦う人間でもなかった。過去形表現したが、現在形で表現しても俺は「そのような人間ではない」。しかし、そんな俺でも、N君が理不尽に苦しんだり悩んだりする必要は何も無いとは思った。とはいえ、若くて馬鹿大学生だった俺に、まともなアドバイスや励ましをN君に与えることが出来るはずも無かった。『さぶ』とか『薔薇族』の存在の他に、何か俺がN君に教えられることが有るかと、無い知恵を絞って出てきたのは、俺が夜行バス東京に行った時に、新宿駅の雑踏で見た、今風の言葉で言えばオネエと言われる人たちの集団のことだった。俺は馬鹿である

新宿二丁目には、そういう人たちが集まるお店が、沢山有るんだよ。俺、東京に行った時に新宿駅で、そういう人たちの集団を見たよ」

実際に新宿二丁目に行ったことも無いくせに半可通の知識から発した、今から思えば我ながら馬鹿発言だ。それでも、その時の俺は、馬鹿なりに「N君は『独りぼっち』ではない」と言って励ましたかったのだ。とはいえ、当時のN君との会話の中で、俺は「オカマ」や「オカマバー」という言葉を頻繁に使ったと記憶している。励ましたいと思いながら差別表現を使っていたのだから、今でも俺は恥ずかしくなる。その上、明るくひょうきんなオネエたちと、同性愛者とを安直イコールで結びつけるという思考は、粗雑で乱暴ものだったと言うほかない。

兎に角そういった話を聞いたN君は『さぶ』や『薔薇族』の存在以上に、俺が新宿駅で見たという人たちの存在実在に驚いたようだった。その人たちの様子を訊かれたので、俺は、思い出せる範囲で、彼女たちの服装とかメイクとか、かしまし面白おかしい会話の様子とか、堂々とした態度とかをN君に話した。特に彼女たちが明るく堂々とした様子だったところ、自由に見えたところに、N君は深い感銘を受けたように俺の目には見えた。

そろそろ俺の帰宅するのに乗る汽車の発車時刻が近いという理由で、喫茶店でのお喋りを切り上げると、別れ際にN君は俺に「ありがとう、色々と教えてくれて」と言った。大袈裟なぐらいに何度も、N君は「ありがとう」と言った。駅へと向かう俺を、N君は喫茶店の前で見送ってくれていた。

その後、N君と会ったり連絡を取ったりというドラマチックな出来事特に無い。だから、その後のN君がどうしたのか、どうなったのか、故郷に残ったのか、それとも出て行ったのか、俺は何も知らない。

俺の勝手空想の中では、その後のN君は、故郷を出て、何処かの都市部リベラル場所で、仲間と出会うことが出来て、孤独ではなくなったという筋書きになっている。その俺の空想の中で、故郷を出て都市へと向かうN君は、夜行バスに乗っている。俺がN君のことを、勝手に俺自身と重ねているからだ。

たか夜行バスに乗って、何回か東京その他の場所に出掛けたからといって、田舎っぺで馬鹿な俺が、顕著な人間的成長を遂げたりするはずもない。また、故郷を出て東京その他の場所に移り住んだからといって、必ずしも薔薇色の人生が待ち受けているとは限らないことも、今では俺も理解している。

それでも。

それでも、夜行バスの旅は、若くて井の中の蛙の俺に、新鮮な風景を見せ、田舎では触れることのできなかった、新鮮な空気文化的産物に触れる機会を与えてくれた。たか新宿駅でオネエの人たちを見ただけにすぎないという体験ですらも、若くて田舎者だった俺にとっては、貴重な体験機会の一つだった。俺にとって夜行バスは、そういう思い出と結びついている。

から俺は、その後のN君が、彼にとっての夜行バスを拾うことが出来ていれば良いなと、今でも思わずはいられないのだ。

2022-07-02

俺の中にいるニシダ

ラランドというお笑いコンビをご存知だろうか?ここ数年テレビへの露出も増えてきたサーヤとニシダという二人の男女コンビだ。

サーヤのほうは元々広告系の会社員、ニシダは帰国子女上智中退という経歴を経て事務所所属せずフリーでやっていた。(今は個人事務所を作りサーヤ社長兼務してるらしい)

ある時期からニシダのクズさ、ポンコツぶりが酷いとお笑い番組などでイジられるようになっていった。

ニシダのクズポンコツぶりとしては直接的に有名なのは遅刻癖らしく、とにかく平気で遅刻するしあまり反省もしないらしい。

そういうのが積み重なって、ニシダへの信頼というもの業界内でももてない、だからサーヤがピンでなら、となってしまうケースがどんどん増えているという状況。

ニシダ本人はバカではないしセンスもあると思うがこのままではヤバいということで、事務所社長でもあるサーヤYoutube企画としてニシダ更生のためのプログラムを作り動画として公開した。

俺はなんか面白そうだな、くらいの興味で見てみた。動画は1時間くらいあるので途中で飽きるかと思っていたがあっという間の1時間だった。

とりあえずこの時点で気になったら一度見てみてほしい。ただし仕事などで弱りきってる人間には刺さりすぎるかもしれないから注意は必要だと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=bCX_SPXgWtQ

ここから少し内容に触れていく。企画としては事務所マネージャーなどごく近い人物から冠番組スタッフゴッドタンなどで有名な佐久間宣行氏などがニシダについてインタビューされる映像がシアターで流され、それをなにも知らされてなかったニシダが見させられるという流れ。言ってしまえば吊し上げであり空気もけっこうなガチ感がある。(ただ、ひたすらイジメみたいに吊るし上げるとかではなく、十分礼節を持った言い方だったとは思う)

その様子を別室でサーヤゲスト南海山里モニタリングしている。山里が呼ばれたのはニシダが最も尊敬してる人だかららしい。

モニターしながら「刺さってますかね?あ、でもだいぶ食らってるみたいです」などサーヤが冷静にコメントを続ける。俺はもう見ていて辛くて辛くて泣きそうになってしまった。(ニシダは実際泣いていた)

ニシダがかわいそうだからではない、インタビューされている人たちの話が自分の事を言われてるとしか思えなくなってきてそれで辛かったのだ。

俺はお笑い芸人でもないので、言われてる内容が具体的に当てはまるケースというのはないのだけど、求められること、それに対してのニシダの逃げっぷりとかが、めちゃくちゃ刺さるのだ。

一番わかり易い例としてニシダが口癖のように言う「なるほどね」という言葉。ニシダは自分へのダメ出しなんかも全部この「なるほどね」で受け流してしまう。いやなるほどねじゃねえだろ、自分の事を言われてるんだぞ?

まったく飲み込めてないし、他人事のように客観視することで自分を見るのを避けてしまってる感じ。これって自分思い当たるとこはたくさんあるのだ。

こういうニシダのダメなとこというのは、ニシダが極端だから目立っているだけで、少なから共感できる部分というのは多くの人にあるんだと思う。

実際山里なんかはニシダの気持ちがよく分かるようで、何度も「俺もそういうとこはあるんだよなあ・・」と苦しそうな顔を浮かべていた。

そしてこの動画クライマックスインタビュー映像を見終わった後、そんな山里がニシダの元に向かい二人きりで話をする場面だ。

山里本人は自分もどちらかといえばニシダ側の人間だと思っているようで、行く前にサーヤには遠慮なく厳しく言ってください的なことを言われるがどうするか迷いが生じてる様子だった。

山里は席につくなり「俺はみんなが言うようにやらなくて今のままのニシダでいてくれていいと思ってる、そしたら俺の脅威が一人減ることになるから」という話をする。

ニシダにとって山里尊敬する先輩でありある種目指している人物でもあるんだと思う。そういう人からこう言われて心が震えないわけがない。

山里はその後も色んな話をするが、そのどれもが俺の心にも刺さった。俺にとって山里という人物はなんの思い入れもないただの芸人さんなんだが、誰が言ってるかではなくて言ってる内容がすごくうなづけるもので重みもあったからだ。

尊敬してる先輩から直接言われているニシダにしたらすごい言葉として響いてるだろうと思う。そして、それなのに明日になったらまた忘れちゃうかもという事すら山里は見透かす。

そう、俺も尊敬する人から叱咤激励を受けて、もう俺は生まれ変わるんだ明日から、と決心した次の日にはもうケロっといつも通りのダメ人間に戻ってしまうような事は何度も経験がある。

山里山里なりに色々と迷いながらも真摯言葉を投げかけていった。ニシダの反応は涙をポロポロこぼしながらも終始モワッとした受け答えだったが、そういう反応になってしまうのも俺には痛いほどわかった。

ニシダの場合芸人でありやや極端に過ぎるとこはありそうなんだが(普通会社だったらクビになってるかもなあ)

少なくとも俺にはそのへんの意識高めな自己啓発本なんかよりはよっぽど刺さった動画だった。ニシダに山里のようになってほしいとは思わないが、自分のやりたい事ができる場を、自分で掴み取るとこまでいってほしいな、応援したいなと思いました。

2022-04-10

それは既にNetflixが通り過ぎた道だ

[B! マーケティング] アマプラでいつもCMしてる某お笑い番組、「低評価を押せば出てこなくなる」という裏技が発見されて、非常に尖ったマーケティング失敗例として歴史に名を残す

ネトフリは昔星5段階評価だったんだけど、「星1をつけるとホーム画面の作品一覧に出てこない」という裏技が乱用されたことがある

「一覧に出てきて邪魔外国アニメは星1をつけると一覧から消える」という活用である

一般的日本アニメ視聴ユーザー外国の(吹き替えまたは字幕の)アニメなんて見るわけないんだから最初からネトフリの姿勢が誤っていたわけではあるんだが

その国のアニメの総数が少ない場合外国アニメを追加して埋めるという仕様日本ユーザー向けの仕様としてはアレ過ぎた


あと、まあ、なんだ、外国アニメ知育寄り子供向け)のサムネ原色過ぎてな…単純に邪魔でな…

ちなみに初期からあるネトフリ外国アニメおすすめはウーナとババの島です(サムネも目に優しい)。大谷育江のトリキャラで癒されよう

https://www.netflix.com/jp/title/80044965

2022-03-13

さいとうなおき誹謗中傷する漫画描いてブロックされた人、効きまくりで草

2022-03-11

たまにサウナとかで脱力タイムズが流れてるんだけど、あれの面白さが何一つ理解できない

あれってお笑い番組だよね?違うんかな

2022-03-08

anond:20220308105839

千葉テレビの『白黒アンジャッシュ』でも、渡部復帰回は笑いの要素ゼロで、児嶋が渡部をひたすら罵倒する“お通夜回”となった。

お笑い番組罵倒あかん

罵倒は瞬間的には気持ちいかもしれんけど、二度と見たいと思わなくなる。

2022-01-08

アマプラにある座王って番組最近ハマってる

何も考えずに見れる関西お笑い番組、ゆるーい版のIPPONグランプリ的な奴。

10人くらいの芸人歌ネタ大喜利一発ギャグモノマネいろんなお題で1対1の勝ち抜き戦をやって毎回チャンピオンとなる座王を決める感じ。

R藤本とかミサイルマン将軍様とかが意外とめっちゃ強いのが好き。

年始スペシャル普段来ない人気芸人大勢集まってる中ですらベジータとか将軍一本でかなり勝ち残っててすげーってなった。

名作長編海外ドラマとかは疲れて途中で積むことあるけどこういうのは延々見れる。

バラエティはくだらんとか言うけど消化する娯楽としてはこれくらいの番組が一番重宝するわー。

2022-01-01

年始お笑い番組

これって普段お笑いあんまり見ない層向けにやってるから去年コスった数とか気にせず一番鉄板で有名なネタをすることが多くて、

お笑い好きからすると時間の割にコスパが悪いんだよね見たことあるネタばっかやってるし俳優アイドルへの感想枠とか微妙ゲームロケ企画の尺が無駄に長かったりさ

違法アップロードスキップながら見るのがちょうどいいわ

2021-12-31

お笑い番組で、見てる側の画いらないんだけど、あれは誰がうれしいの?

2021-12-28

お笑い芸人なんかよりさ

シェル芸グランプリとかやった方が良くない?

エクセル芸人とかさ…

そのほうが楽しく為になるような気がするんだけど、なんであんなにお笑い番組あるの?

2021-12-27

れこめん堂とかいうの、NHKの悪いところを煮染めたようなお笑い番組だな

2021-12-23

anond:20211223114453

NHKかてお笑い番組やっとるやん。ウッチャンとか生瀬とかが大きな顔しとったで。

2021-12-20

anond:20211220115523


テレビ仮面ライダープリキュアくらいしか見ていないのになぜかお笑い番組文句をつけるオタクのみなさんは知らないだろうけど

ここ数年、お笑い界は物凄い勢いで価値観アップデート(笑)が進んでいて

コミカル容姿、要するにデブスだからこそ面白がられてテレビに出ている田辺さんやあんりやかなでがデブ、ブスと男性芸人から罵られることは一切と言っていいほどなくなっている

ダウンタウン浜田だけはそういうことを言う、そして浜田から……と何となく許されている)

第七世代芸人の中には宮下草薙EXITをはじめ「乳首NG」を正直に表明して

水泳企画だけど上半身裸になるのが嫌な人は海パン一丁ではなく半袖Tシャツを着用している場面もある

コロナの影響もあって出川上島ですらノリでキスをしたりズボンを脱がして局部晒すようなこともなくなった

男性芸人同士の容姿弄りもほとんど見なくなったし

タライの位置は痛みのリアクションを取れないほど近くになり寿司の下のワサビは甘口かつごく適量になりハズレなのかどうか判別できないほどになった

ゴールデンタイムコンビニスイーツを紹介したりみんなで健康体操をしたり節約レシピを紹介したりコストコを巡る主婦と老人向けの番組が中心になっている

雛壇でブラマヨチュートリアルがお互いを罵り合い暴露大会を繰り広げているようなのは遠い遠い昔の出来事なんだよ

今はもうなくなってる状態なの、何年も前に


でも人間は稲ちゃんを「肌きたねぇな」「ハゲてるな」「すげえアゴだな」って思うことを止められないし

あさこや光浦さんを女性として愛する男は現れないし

サンドウィッチマン鬼越に「人殺してそうな顔」という印象を持つし

人間ルッキズムから逃れることなんかできない


ぺこぱがウケたのは「人を傷つけない笑いだから」ではなくて

シュウペイが若林みたいなツッコミかと思えばボケキャラ

対する松陰寺がツッコミ、かと思いきや突っ込まない、っていう二段階の裏切りを用意するギミックがあるから

ダブルボケ」の笑い飯、「ボケツッコミ」のオードリーみたいにセオリーを崩すのが斬新だっただけ

どうせテレビなんか見ないポリコレ戦士勘違いされて勝手に持ち上げてるけど

別に松陰寺は聖人君子でもなんでもない

お笑いだって小説漫画みたいにプロットから書き起こして舞台みたいに「台本」を作ってそれを覚えて2人が喋ってるんだよ

台本なんだよ台本

キャラクターなんだよ

作ったキャラクターの台詞を喋ってるの

自由表現行為ひとつに過ぎないんだよ

フェミニスト漫画アニメなんか見ないくせに横から文句言ってくるのと同じでお前らオタクくんが見もしない番組文句つけてやってることは表現規制なの


お笑い芸人視聴者もいいかげんお前らみたいなのにうんざりしてて今は相当フラストレーションがたまってる状態から

不細工社会進出の機会を奪うな!」「腫れ物に触るみたいにするな!」「面白い物は面白いだろ!!」って蜂起する時が近々来ると思う

ももの台頭はこれを機にテレビ業界ルッキズム見直して云々ではなく

とっくに見直している上で揺り戻しの時期が来ることを示唆しているのだと思う


アマプラのドキュメンタルR-16指定がついていた

もうお笑い番組は全部ある程度の大人向けってことにして注意書きをすればいい

不快になる表現が含まれている場合があります、了承できる人だけご覧くださいってさ

チャンネル替えればいいんだからそんなこといちいち言わなくても了承してる人だけが見てるのが前提なんだけどな、本来


ミルクボーイ漫才だってコーンフレークが好きで好きでたまらない人が見たら傷つくんだろうから

人を傷つけない表現なんて無理だよ

わかったら増田はもうこれから仮面ライダープリキュアしか見ないでね

美男美女しか選ばれない世界ではなくハゲた歯無しのおっさん糸目のブスが主役になって楽しむことができる世界であってほしいか

anond:20211220115523

こういうのを「○○イズム」とかそういう言葉をこん棒に使って規制に持って行こうという動きに本当にウンザリ。「表現規制」以外の何物でもない。

あのネタは「お前○○してそう」に対して「いやそうじゃねぇよ!」っていうものであって増田の主張とは全く逆じゃん。「ルッキズムで人を馬鹿にすることを肯定するものだ」なんて全然受け取れない。そういうバカにする気持ちベースとした笑いにしてると言っているが、それが存在することは増田自体体験している「実在すること」なのではないか?そして存在する偏見存在としたうえで、「そうじゃねぇよ!」というネタをしているわけで、それは「ルッキズムというものがあって、それはやめましょう」と言っているのと同じではないか

あとは「他のやつが真似をする」という話があるが、それは果たしてお笑い番組問題範囲としてどこまでやるべきなのか?(もちろん何でもOKではないだろう。程度の問題だ。)例えば小島よしおが「そんなの関係ね~」って言ってそれが子供の間で流行って問題になったってことがあったけど、あれって小島よしおが悪いわけではない。テレビテレビでやっていて(先述の通りあまりに目に余るものは当然規制の線の中に入るだろうが)、教育をする責任を持つ人は別にいるわけ。それは親であったり、不遇な家庭であれば教師であったり近所の人であったりする。

増田個人的経験ルッキズム馬鹿にされたのは問題だしそういうことをする奴はクソ野郎として糾弾されるべきだし増田はそこに関しては間違いなく被害者だが、その体験により敏感になった自分感覚絶対正義として「俺は嫌だなぁ」でなく「放送をやめろ」という規制方向の言説を「○○イズム」というこん棒を握ってネット上に上げることは全然正義じゃないと俺は思うわ(「俺は嫌だなぁ」ならいんじゃね)。

人にはいろいろ傷があってキーワードに敏感に反応するということはあるし、テレビとか本とかでキーワードを発しているとビクっと反応することがあるのはわかる。それはわかるんだけど、そうなったからその「不快感」を是として今回のように「むしろ逆」のことにも突っかかるようになり、表現の場が「そのことそのものを避ける」ように暗闇に葬り去り「活動家様がやる高尚な活動」のみにその問題を任せてしまっていたら、それは人の関心を集めないし全然解決には向かないと思う。今回のモモネタは、これはむしろハハハ、いやーそうだよな、見た目で人を判断しちゃだめだよな~」って方向に行くかなと思っていて、それをルッキズムだと切り捨ててしまうといわゆる「低俗な啓発」という大事パスが失われてしまうのではないだろうか。

もちろん感じ方は人それぞれなわけで「こう言っていいんだ~」みたいな動きをするクソ野郎一定数出てくるだろうが、モモを見て「いやむしろそうじゃなかったでしょ」とキチンといさめる人間だって出てくるし、「こう返せばいいんだ」と参考になった人間だっているはずで(「こう返せ」という強要になるのはまた問題であるが、それも「そういうやつも出てくる」ということになる)、見た目の話だからアウト!とかやっていてはどんどん「現実世界問題」は深く見えないところに行ってしまう。そのくせ「高尚な机上」ではそれが議論されている形をとっていて、より分断が進む。もちろんこれは俺の考えだが、「あのネタルッキズム助長する」というのも増田の考えだろう。

気を付けたいのは、「助長したのか逆なのか」というのを定量的調査せずどちらかの意見に偏ったドキュメンタリーなりの番組マスコミが作った時に、自分党派性にあっているからと言って無為に持ち上げて「ほら言ったじゃないか!」とはすべきではないということだ。そうやって「間違った方向への『進歩』」をしてしまっていることは山ほどあると思っている。

2021-11-26

anond:20211126222949

バブル期だってそんな事を考えてたのはロクに本も読まず勉強もせずにテレビお笑い番組ばかり見ていたような落ちこぼれどもだけだろww

結局はテレビ業界お笑い業界養分になっただけの人生なのに、いまだにそのことに気づいてすらいないんだからバカってどーしよもないよなwww

2021-10-03

最近お笑い番組いね

お笑いって色んな属性の人を小バカにするやん?つまり、増えれば増えればほど、どんどん小バカにされていく人が多くなる。

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