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はてなキーワード: 撤去とは

2019-08-13

anond:20190812185015

このエントリでいう「現代アート既存権力」について、コメントしている人たちが考える「権力=○○」が違いすぎて話かみ合ってない。

>「これはアート! わからないお前は勉強が足りない!」とか言っている人たちがいる。

素直に読めば、これは「アートをやっている人たち」を指すであろう。確かにこれはある。古参オタクがニワカの新参マウントするやつ。

ただ、その後の「権力」「カルト」というところを見ると、この増田現代アートのもの懐疑的である

コメントは当然ながら、あいちトリエンナーレ意識した書き込みが多いが、このエントリ自体もそれに触発されたものと考えるのが自然だ。

そう考えると、この増田あいちトリエンナーレをどのような視点で見て、このエントリを書いたのだろうか。

もし、作品撤去の件を肯定的に見ている場合、「あんもの芸術というなんて、頭おかしい」という意味でこのエントリを書いたのだろう。

からアートを「カルト」というし、「津田現代アートという権威を借りてヘイト展示をやったんだ」という論理が成立する。

一方で、作品撤去弾圧考える人々もいる。そうした人々にとって権力者とは政府政治家公権力あいトリに政治家発言した件)であり、

アート社会メッセージを送っただけなのに表現の自由を奪われた」となる。

また、タイトルの「醜い優越感」というキャッチーキーワードも気になる。

増田アートになんてこれっぽちも関わりなく生きてきた人間なのか、自分には理解できないものに対するひがみのようなものも感じる。

「これはアートだ、と言えば何やってもいいのか」というやっかみの気持ちもあるのだろう。

自称現代アートに詳しい人たち」は常に「アートなんて分からない人たち」を置いてきぼりにしてきた。

特に、全国各地にある公立美術館だって一般市民アート教育普及するための施設であったはずなのに、「自称アートに詳しい人たち」に私物化されてきただけであった。

からネトウヨにとっては「税金を使ってこんな展示をしてくれやがって」という気持ちになることはよくわかる。

しかし、今回の津田芸術監督はそうした「自称アートに詳しい人たち」側の人ではないのである

しろ、「自称アートに詳しい人たち」からは「素人のお前なんかにできない」と散々コケにされている側なのである

から津田さんにとっては「権威美術業界」(=アートではない)からもけなされ、ネトウヨ公権力から弾圧され、泣きっ面に蜂である

今回のあいちトリエンナーレ自分既存日本における美術業界権威に風穴を開けてくれることを期待していた。

だが、日本社会に立ち込めるネガティブ圧力を改めて浮き彫りにしてくれることとなった。

今回の件について、美術業界批評家美術史家、美術学芸員といった人たちから、まともな「批評」がなされるのだろうか。

これから日本美術業界は「自称アートに詳しい人たち」の自己満足展覧会と「クールジャパン」的な何かをやるだけの、一部の人たちの既得権益として温存されるのだろう。

自分増田とは違った意味で、「現代アートにおける批評性」がなくなっていることを危惧したい。

anond:20190813011841

からアートとは何かっていうのを突き詰めていったら、結局それに金を出す奴がいるかいないかしか残りゃしないだろ

政治的主張を含んでいようが、なんならそれが現代感覚からすれば必ずしも適切とは言えないとしても(まあこの辺は遡及的に断罪しようとするような流れもないではないね、気に入らない過去の人物の銅像撤去したがるリベラルさんとかさぁ)、

逆に一切何の主張もなかろうが、価値が高いと認められればアートとして扱われる

それであの像だかパフォーマンスかに身銭を切ろうとする金持ちなんかいるのかよ

どっかの弁護士も言ってたろ、文楽がそんなに大事ならお前が金出して見に行けってこった

2019-08-11

anond:20190811140004

逆に過去偉人扱いされてた人物断罪されて像が撤去されるなんてのも今じゃ普通からあくま現代支配的な感覚から勝手ジャッジしてるに過ぎないんだよねえ

2019-08-10

ひょえ〜〜〜〜〜

アメリカもうダメじゃん

まあトランプ大統領になった時点で予想できたことではある

2019-08-09

anond:20190808221613

「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」

そもそもこれが間違った認識なんだから前提から躓いている。

anond:20190808221613

1年ほど前にラノベ表紙問題が起こった時にも、果たして元増田は同じ内容で例の表紙を擁護していただろうか。

ラノベ表紙に対しては撤去しろ叫び、今回の少女像擁護していたとしたら、それだけで全く説得力が無い。

anond:20190808221613

コンビニの成人向け雑誌撤去千葉市から要請によるものが大きいので表現の自由への介入問題ですよ

エロ本と言っている時点で知らないのに口を出しているのがよくわかる

2019-08-08

あいちトリエンナーレについて

話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。

クソ長い。

====

表現不自由展・その後」について

最初に断っておくと、今話題になっている「表現不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。

と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃん理由もある。

他の人は知らないが、個人的には「表現不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄デスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ

話が変わるが我々ボランティア研修で何をやっているかと言うと、作品知識を蓄えるのではなく、自身感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義微妙に違うのだが)と呼ばれているもの実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て

「すごく煌びやかで綺麗、幸せカップルの絵に見える」

「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局予兆しているのでは?」

関係ないけど雲の形が昨日食べたたこ焼きに似てる」

などとそれぞれの感性経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。

だがそういった観点から見ると、「表現不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。

そんなわけで「表現不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレ第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。

慰安婦像インパクトコンテクスト

さて「表現不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的インパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。

表現不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像なのだ

ソウル日本大使館前慰安婦像が設置されたときメディアはこぞって大使館慰安婦像が一緒に映った映像放送したと思うが、あの報道に対して「不快から映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合制作サイドの意図別にあるのだが)。

今回の展示ではそこのコンテクストおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報事態が拡大してしまった感がある。

また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的コンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。

そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。

しかし、詳細については諸説あるが、そういうもの存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。

負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑モニュメントがある、ドイツカンボジアには国内虐殺記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。

場所によって反応も変わる、オバマ広島原爆資料館に行ったが、アメリカスミソニアンエノラ・ゲイ展示をやろうとしたとき退役軍人たちからバッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史意味に影響を与え得るのか、得ないのか。

そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性日本女性慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。

話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかたかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ

勿論コンテクストには政治だってまれる。慰安婦像純粋歴史的モニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あん一触即発もの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。

ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディア報道を見ていると日韓政治的同意が得られれば慰安婦像撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋プロパガンダだったって言っているようなものからやめろ。

像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である

批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。

それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。

アメリカコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。

個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場モニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。

まり慰安婦像撤去したいのなら何らかの方法歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。

トリエンナーレ側の対応について

トリエンナーレ運営が「表現不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。

第一に展示施設自体問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本災害が多いだけあって美術館博物館といった文化施設安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策防火設備さらには盗難破壊防止のための監視員監視カメラが多くの施設で導入されている。

しかテロ大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。

第二に運営側の問題最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。

かに税金から拠出予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティスト100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度ルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。

よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。

これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。

最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。

運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営作家が一体となって特定テーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。

表現不自由展・その後」だって別に運営企画した訳ではなく、かつて行われた「表現不自由展」を招待しただけだ。

展示施設職員に至ってはそれを公務員業務として受け入れているだけである

よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ施設や関連団体スタッフさら作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNS関係者に絡んで「トリエンナーレ見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。

そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。

それらを踏まえてトリエンナーレ運営対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。

表現自由について

先述の通り、施設組織問題テロ脅迫対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。

しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手総本山とかか?結構大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。

暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。

最初特定されたら困るから匿名意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体おかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。

また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。

抗議の電話でまず事務局回線パンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員罵声を浴びせられる、しか公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂電突」と呼ばれるものだ。

ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。

かに組織には説明責任がある、取材報道自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。

誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。

表現自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。

話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいか物理的な暴力を伴わず決められたルール範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明指標なのだと思う。

抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアート作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名デモでも良い。そして表現自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権著作権憲法に定められた公共の福祉概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。

pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人意見から忘れてくれ。

じゃあこの場合どうしたらいいのか。

少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。

何故ならあくまコンビニ民間営利団体からだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。

抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。

コンビニ18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性ネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界Permalink | 記事への反応(15) | 22:16

anond:20180623112107

例の少女像の展示が中止になったけど、サヨクに見事に特大ブーメランが飛んでいったよね。

ラノベ表紙が女性性的消費を想起させるものであるなら、撤去させる正当性もある。

そして少女像が、事実無根の「日本レイプ国家だ」というプロパガンダに傷つく国民がいたのだから、展示中止は当然。

あいちトリエンナーレ」は、神田真秋弁護士愛知県知事選公約として掲げて当選、発足した、最初から官費ありきの、極めて公的性質の高い国際展  わかる

主催は「あいちトリエンナーレ実行委員会実行委員長大村秀章愛知県知事ですが、大村知事は農水官僚出身の元自民党代議士 わかる

不自由展は今回が初めてではない わかる

撤去されたものを取り扱ってるので不謹慎ものがあるのはむしろ当たり前 わかる

不謹慎ものでも

東浩紀アドバイザー まぁわからなくもない

美術監督津田大介 わからない

過去撤去されたものを集めてるはずなのに左派に都合のいいものしかない わからない

男女平等」など芸術のものの内容とは別の切り口でのPR わからない

ってお思ってたのでこの記事はとても参考になった

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57247

こんな事態にしてしまったのは、芸術監督判断と行動に原因があることで、明確にそれを指摘しておく必要がある

アマチュアが間違った椅子に座り、面白半分で打つべ対策を打たずに徒手していれば、人災を招いて当然です。

率直に言って不謹慎興味本位面白半分な、キュレーションおもちゃにする様子

内容以前に、こうした「隠し玉」を準備して「炎上」させる意図があった時点で、官費執行責任を持つ芸術監督としての大前提瑕疵があった

「隠し玉」として炎上を狙うなど、芸術母屋に両足の着かない、無責任野次馬の発想

国内のごく一部で内輪受けする程度の「芸術判断基準と、地域振興動員数向上あたりに照準を当てたお役所との利害が変に一致して、グローバルな人道と文化を感じ考える芸術オリンピックが、弄ばれていた

「決定」に際して、芸術監督であるはずの津田大介氏は、作品平和少女像」の作者、彫刻家のキム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻と、直接対話して納得を得るプロセスを経ていない、と報道されています事実なら、あり得ません。展示作品を、自分自身がそれを依頼し、決定した作家関係者確認を取らず、「展示中止」つまり撤去」などということをしてしまったら、それは芸術監督でもなんでもない。子供おもちゃを弄っているのと変わりません本来なら、足を運び、土下座でもなんでもしてやることは山のようにあるわけで、ただ徒手していただけなら、意味のない素人ということになる。

表現不自由」に禁止する側に、芸術監督自身が回ってしまった。

 私が全面否定するのは「プロの職責に素人が紛れ込んで引き起こされる、必然の失敗」セキュリティー・ホールのもの



まりだいたい津田大介を選んだ愛知県が悪い。

津田大介が悪いのは今更なので愛知県が悪い。

anond:20190808090237

左翼妨害で中断されたんじゃないのか

続けていれば徴用裁判韓国政府強制終了させただろうし

慰安婦像撤去されて日本のご機嫌伺いをして解除を要請する流れになっていたはず

フッ化水素輸出を合法的に遅延させてプレッシャーをかけ続ければ戦わず勝つことが可能だったの

政府内にスパイがいるんじゃなかろうか

2019-08-07

韓国、旗の即日撤去報道でえらく日本人に対して恩情のある言葉を言ってくれてるんだけど、いったいなにが真実なんだろう

ガチのマジの本気でみんな反日になって国民全員めっちゃ怒ってるイメージあったんだけど、政治文化はまったく別だよ的な理解してるんかな

なんか変に二面性になってて理解が難しいわ

ラノベ表紙で騒いでいたサヨク

こいつらが、今回の少女像問題表現の自由を盾に騒いでいるのがとても笑える。

お前らその作品を見た人間の「お気持ち」こそが最も重視されるのだ、と言っていたことをもう忘れたのか?

自分に都合の悪いことはすぐに忘れるからサヨクサヨクなんだよ。

ラノベ表紙も撤去ゾーニングする正当性も、サヨクが自ら捨て去ってしまった。

これは韓国全体が反日ではないと見せかけて油断を誘う高度な策略

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190806-00000045-jij_afp-int

日本との貿易摩擦が激化している韓国首都ソウル中心部で6日、「ノー・ジャパン」を示す反日旗1000枚以上の設置が始まった。しかしこれには非難殺到し、数時間後には旗の撤去余儀なくされた。

2019-08-06

anond:20190806110844

組体操ときもいわれてた。こどもは親の所有物なんだよ。そも人権意識が低いし未だに死刑あるし。

めったに起きない通り魔心配するより側溝に流される方を心配したほうがいいと思うんだけど、感情制御できない国民性なので、事実よりも漠然とした不安過大評価してしまう。

気持ちはわかるけどな。でも危険遊具撤去してたり少しずつ進歩はしてるので、自分は楽観的に思ってる。

最初からやる気マンマンだった芸術監督

はてな民が嫌がって見もしないソースだろうけど

https://twitter.com/sPOBXWeNVX4wvlC/status/1158333013446418432

津田「そういう、展示を拒否された作品だけを集めました!」

聞き手の女「お〜!気になる〜!これは気になります〜!」

津田「ただー、これの炎上はね、男女平等あいちトリエンナーレアファーマティブアクション)とかじゃないくらいの炎上がおそらく起きるとおもうので、大変なことになるだろうなーと思ってます。ま、今から・・どーしようかな?みたいな。今だから僕、アマゾンにいって、防弾チョッキとか(笑)あのー、ナイフでブスッと刺されても大丈夫なように、いちおそういうの、やっとくかなーみたいな」

聞き手の女「備えあれば憂いなしみたいな」

津田「あーそうそうそうですねー」

https://twitter.com/sPOBXWeNVX4wvlC/status/1158323058651758592

津田「まあ現物を、公立美術館撤去されたものを、表現不自由展っていう展覧会を持ってくる体にして全部展示してやろうっていう(笑)そういう企画で。おそらくこれみんな全然気づいてないんだけどこれが一番ヤバい企画になるんすよ。政治的に」

東浩紀「・・やっぱりー、・・天皇燃えたりしてるんですかぁ?」

津田・・・おー・・・(笑)なんなの?そこ?」

東「天皇制にはどんなお考えですか!!」(スタッフ笑い)

津田「まー天皇というのが一つタブーになって撤去されるという事例がある。それは広く知られているので、それはこの展覧会モチーフになる可能性は、(小声で)あります

東「ええええっ!こんな令和でめでたい時に!?

(中略)

東「人々が新しい元号で前向きな気持ちになってる時に、・・」

津田「(ニヤニヤしながら)二代前じゃん!」

東「税金でそういう・・展覧会やるのはどうですかねぇ!?

津田「二代前になるとなんか人々の記憶もなんか二代前だし、まあ歴史上の人物かなみたいな、ていうよーなね」

「俺は芸術監督として指名されただけで決めるのはあくま実行委員会だ」という責任逃れとも取れるふやけた弁明を先週末ラジオ電話出演して話していた津田だが

この動画を見て記者会見の時の憔悴した津田とだいぶイメージ違って浮ついてるなあと思った。この展示をぶっこむことのリスクを本当に正しく把握はしてなかったんだね。

ネトウヨ挑発できておもろいやんくらいには考えてたことは上の動画から明白

電話対応に追われてメンタルがやられつつある職員を見てこれは無理だなと津田は思ったそうだが、正直これくらいの抗議が来ることは当然予想しておくべきだし、そのつもりでやってたのだと思ってた 3日で引っ込めたというのもそのへんの腹のくくり方の甘さから来てたのだと苦言を呈されてもしかたないんじゃない?

anond:20190806091227

美術アートも守るが、他人を傷つけるためだけにされる表現への擁護消極的になるだろ、そりゃ。

それでも「撤去必要はない」と俺は繰り返し言ってるけどな。生き恥晒すべきだよ津田は。

2019-08-05

世界中にある戦争に関連した銅像とか全部プロパガンダから早く撤去しなきゃね(><)

[] #76-9「車道シャドー

≪ 前

前置き通り、語られた真実シンプルだった。

あの日目覚まし時計が鳴らなかったせいでツクヒは寝坊してしまう。

「は? 何で鳴らないんだ? いや、鳴っていたのに起きれなかった?」

セットするのを忘れていたわけでも、壊れていたわけでもない。

いつも忙しない自分の子を気にして、親がわざとタイマーを切っていたからだ。

いざとなったら起こしてやって、車で送ってやれば十分間に合う。

朝の時間でもゆとりもつこと、そして家族と過ごすことの大切さを知らせようとしたのだろう。

だが親の心、子知らず。

いや、分かれという方が無理のある話だ。

しかるべき時間に奏でられるメロディが秒針の動く音だけ。

それを起床後の脳みそで処理するのは不可能に近い。

くそがっ! 遅刻だけは絶対したことなかったのに!」

鳴らなかった目覚まし時計の分まで大きな声を上げ、ツクヒは家を飛びだす。

その声を聴いた両親は、車で拾うために慌てて追いかけた。

「ほら、乗りなさい」

「やなこった。車で登校とかイキった真似できるかよ」

だが思春期の子供にとって、周りが徒歩なのに自分は車だなんて嫌なのさ。

ツクヒの場合、「そういうことを親にやってもらうのは恥ずかしい」と普段から公言しているから尚更だ。

その点では“子の心、親知らず”だけど、それを理解するのも彼らには難しいのだろう。

「このままじゃ遅刻するぞ」

「誰のせいだと思ってんだよ!」

「だから、その分の面倒を受け持つと言ってるんだ」

「だから、その受け持ちがクソだっつってんだよ!」

ツクヒは遅刻覚悟で、頑なに乗車を拒否した。

そうして、小走りで急ぐツクヒと、車で平行しつつ説得を続ける親という構図がしばらく続いた。

で、人も車も滅多に通らない“あの運命場所”あたりで、それは起きた。

「ああ、もう、ついてくんな!」

ウザったい親を振りぬこうとツクヒは全速力で走り出した。

「あ、待ちなさい!」

彼の親もそれに追随しようとする。

ペダルを踏む足に力を入れ、ハンドルを切った。

彼の前を遮るように車を停めて、有無を言わさず乗せるつもりだったらしい。

だけどツクヒは学校一の俊足。

卑屈なあいつが自慢にするほどだから、よっぽどだ。

「ぐえっ」

「ああっ!?

ツクヒの最高速到達と、ハンドルを切った瞬間が重なり、結果ドッキングしたってわけ。


真相を知って、俺たちは唖然とした。

「俺はてっきり、遅刻言い訳でわざと事故ったのかと思った……」

遅刻を誤魔化すために、そこまでするわけねえだろ」

「僕は世論なんやかんや賑やかすために、わざと事故ったのかと思ってた……」

無駄に賑やかしてどうすんだよ」

「私も思ってたんだけど、あそこに信号機をつけるためでしょ?」

「あの場所信号機とか意味ないだろ。こんなバカ出来事でもない限りは事故らねーんだから

「オレはその程度じゃ怪我しないぞ!」

「てめーは話の趣旨理解してから喋れ」

ツクヒを轢き逃げした車も運転手最初からいなかったんだ。

いや、ツクヒの親こそが犯人といえなくもないけど、そんな大層なものですらない。

強いてそれっぽいことを言うなら“行き違いの衝突”だ。

「な、ななん、何で、今まで黙ってたの?」

「逆にこっちが聞きたいんだが、言えると思ってんのか? 周りに何か深刻なことが起きたと思われてる状況で、『家族の間で起きた、ちょっとした事故です』って言えるか? 児童虐待だとかいって好き勝手に騒がれるのがオチだ」

それまで真相を明かさなかった理由も蓋を開けば大したことはなく、この町の人々の“傾向”を顧みるなら自然な行動ともいえた。

「私、気持ちは分かるけど、やっぱり嘘をついたままなのは不誠実じゃない? 信号機がつけられる事態にまでなったのに」

「あれは、もう“こっち”の問題じゃなくて、“あっち”の問題になってるんだよ。信号機つけてくれって誰が頼んだ?」

“あっち”が勝手にコトを荒立てたのに、その分まで“こっち”が受け持つのは御免こうむる。

ツクヒはそう言い放った。

やや身勝手物言いだけど、実際この事故と周りの対応には繋がりがあるようで、ない。

あいつら家族にとっては、“そっち”のほうが遥かに深刻な“もらい事故”なんだろう。

「てめーらも、これ以上“こっち”をダシにして探偵ごっこすんじゃねーぞ」

そう吐き捨てると、ツクヒは足早に下校した。

「……どうする、マスダ? 皆にもこのことを伝えた方がいいかな?」

「いや……やめとこう。誰も得しないし、たぶん“無駄”だ」

さら真実を公にしたところで、騒いでいる人たちは意固地になって、それぞれ主張を押し通すだろう。

そこにはツクヒも、あの道路を渡る人間もいない。

…………

そんなわけで、この信号機が出来たんだ。

事故を防ぐためでも、交通を円滑にするためでもない。

勝手だけど善良、独りよがりだけど子供思い。

そんな大人たちによって出来た、この町のシンボルなのさ。

「そ、そうか……」

その話を聞いていたオッサンは、終始ビミョーな表情をしていた。

「まあ……意味がないことを、意味がないって理解する。それ自体意味があるのかもな」

「は? オッサンなに言ってんの?」

ちなみに、信号機必要ない場所だと判断されれば撤去されることもあるらしい。

いずれ、この信号機もなくなるだろう。

「おい、みんな! これカチカチしなくても青になるぞ! タッチセンサー式だ!」

「通らないのに押ボタン箱をいじるなよシロクロ」

でも、それはもう少し先の話になるだろうな。

虚しく点滅するランプを見ながら、俺たちはそう思った。

(#76-おわり)

anond:20190805104518

ゾーニングもその場から撤去してることに変わりなし。

また、表現者出版社金銭的損害や表現場所を選ばせない人権侵害をしてる以上、規制であることに変わりなし。

馬鹿はどっちかな。

2019-08-04

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anond:20190804154149

他の展示会で実際に撤去されたものを集めたらたまたまそういう党派性が浮かび上がったってことは、撤去基準特定党派性だったってことだろ

娘に嫌われたお父さんたちへ

あいトリ少女像撤去ニュースを見て父親が言った一言を聞いて、もう駄目だと思った。

アートに造詣がなく、YAHOOニュースぐらいしかソースのない父親はこのニューステレビで見ながら「人の嫌がることはやっちゃダメだよ」と言った。

この父親はつぶれそうな中小企業(1社はつぶれた)で総務のおじさんしかやったことがない癖に、家では母親使用人扱いで、娘にはモラハラばかりの男尊女卑内弁慶である(院卒大企業勤務の息子には何も言わない。スペックで敗北しているから)。

最近父親ネトウヨになった話」がネット上でシェアされているが、うちもそうなのだ

からこの父親のことは嫌っていたが、大人になって分かったのは、彼は、今時流行りの「おっさん叩き」で叩かれている「おっさん」像そのものであるからだということである

特に個人的なかかわりもないのに中国韓国バカにし、男には勝てないから女をバカにし、仕事でも人間関係でも相手にされない自分自尊心を満たそうとするしょうもない人間である

あいトリに話を戻せば、両手足を切断された裸の少女がほほ笑む絵画芸術とあがめ、性被害を訴える韓国衣装を着た女の子の像を排除しようとする日本の「おっさん」たちが「娘」たちから嫌われても仕方がない、というか当然である

近年の「おっさん叩き」と「#metoo運動は、かなり密接な関係があるように思われる。これは、搾取され続けた娘たちの、父親殺しの物語のように思える。

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