あの日、目覚まし時計が鳴らなかったせいでツクヒは寝坊してしまう。
「は? 何で鳴らないんだ? いや、鳴っていたのに起きれなかった?」
セットするのを忘れていたわけでも、壊れていたわけでもない。
いつも忙しない自分の子を気にして、親がわざとタイマーを切っていたからだ。
いざとなったら起こしてやって、車で送ってやれば十分間に合う。
朝の時間でもゆとりをもつこと、そして家族と過ごすことの大切さを知らせようとしたのだろう。
だが親の心、子知らず。
いや、分かれという方が無理のある話だ。
鳴らなかった目覚まし時計の分まで大きな声を上げ、ツクヒは家を飛びだす。
その声を聴いた両親は、車で拾うために慌てて追いかけた。
「ほら、乗りなさい」
「やなこった。車で登校とかイキった真似できるかよ」
だが思春期の子供にとって、周りが徒歩なのに自分は車だなんて嫌なのさ。
ツクヒの場合、「そういうことを親にやってもらうのは恥ずかしい」と普段から公言しているから尚更だ。
その点では“子の心、親知らず”だけど、それを理解するのも彼らには難しいのだろう。
「このままじゃ遅刻するぞ」
「誰のせいだと思ってんだよ!」
「だから、その分の面倒を受け持つと言ってるんだ」
「だから、その受け持ちがクソだっつってんだよ!」
そうして、小走りで急ぐツクヒと、車で平行しつつ説得を続ける親という構図がしばらく続いた。
で、人も車も滅多に通らない“あの運命の場所”あたりで、それは起きた。
「ああ、もう、ついてくんな!」
ウザったい親を振りぬこうとツクヒは全速力で走り出した。
「あ、待ちなさい!」
彼の親もそれに追随しようとする。
彼の前を遮るように車を停めて、有無を言わさず乗せるつもりだったらしい。
だけどツクヒは学校一の俊足。
「ぐえっ」
「ああっ!?」
ツクヒの最高速到達と、ハンドルを切った瞬間が重なり、結果ドッキングしたってわけ。
「俺はてっきり、遅刻の言い訳でわざと事故ったのかと思った……」
「遅刻を誤魔化すために、そこまでするわけねえだろ」
「僕は世論をなんやかんや賑やかすために、わざと事故ったのかと思ってた……」
「無駄に賑やかしてどうすんだよ」
「私も思ってたんだけど、あそこに信号機をつけるためでしょ?」
「あの場所に信号機とか意味ないだろ。こんなバカな出来事でもない限りは事故らねーんだから」
「オレはその程度じゃ怪我しないぞ!」
いや、ツクヒの親こそが犯人といえなくもないけど、そんな大層なものですらない。
強いてそれっぽいことを言うなら“行き違いの衝突”だ。
「な、ななん、何で、今まで黙ってたの?」
「逆にこっちが聞きたいんだが、言えると思ってんのか? 周りに何か深刻なことが起きたと思われてる状況で、『家族の間で起きた、ちょっとした事故です』って言えるか? 児童虐待だとかいって好き勝手に騒がれるのがオチだ」
それまで真相を明かさなかった理由も蓋を開けば大したことはなく、この町の人々の“傾向”を顧みるなら自然な行動ともいえた。
「私、気持ちは分かるけど、やっぱり嘘をついたままなのは不誠実じゃない? 信号機がつけられる事態にまでなったのに」
「あれは、もう“こっち”の問題じゃなくて、“あっち”の問題になってるんだよ。信号機つけてくれって誰が頼んだ?」
“あっち”が勝手にコトを荒立てたのに、その分まで“こっち”が受け持つのは御免こうむる。
ツクヒはそう言い放った。
やや身勝手な物言いだけど、実際この事故と周りの対応には繋がりがあるようで、ない。
あいつら家族にとっては、“そっち”のほうが遥かに深刻な“もらい事故”なんだろう。
「てめーらも、これ以上“こっち”をダシにして探偵ごっこすんじゃねーぞ」
そう吐き捨てると、ツクヒは足早に下校した。
「……どうする、マスダ? 皆にもこのことを伝えた方がいいかな?」
「いや……やめとこう。誰も得しないし、たぶん“無駄”だ」
今さら真実を公にしたところで、騒いでいる人たちは意固地になって、それぞれ主張を押し通すだろう。
そんなわけで、この信号機が出来たんだ。
「そ、そうか……」
その話を聞いていたオッサンは、終始ビミョーな表情をしていた。
「まあ……意味がないことを、意味がないって理解する。それ自体は意味があるのかもな」
「は? オッサンなに言ってんの?」
ちなみに、信号機が必要ない場所だと判断されれば撤去されることもあるらしい。
いずれ、この信号機もなくなるだろう。
「おい、みんな! これカチカチしなくても青になるぞ! タッチセンサー式だ!」
「通らないのに押ボタン箱をいじるなよシロクロ」
でも、それはもう少し先の話になるだろうな。
虚しく点滅するランプを見ながら、俺たちはそう思った。
≪ 前 「あの二人、すごい剣幕だったね。最初の穏やかさが嘘のようだ」 「ああいうところは、やっぱりツクヒの親なんだなあ」 ただ、あの態度は少し気になる。 子を思うあまり感...
≪ 前 「……君ら、本当にツクヒの見舞いで来たのかい?」 さっきまで穏やかだった二人も、さすがに表情を強張らせている。 まあ無理もない。 指摘自体は間違ってなくても、友達...
≪ 前 「ごめんくださーい」 俺たちは見舞でツクヒの自宅を訪ねた。 勿論それは建前で、本当の目的は事情聴取。 第一発見者なら、ツクヒを轢いた車を見ている可能性も高いだろう...
≪ 前 こうして俺たちは、この言い知れない謎を解明するため捜査に乗り出した。 ツクヒを轢いた犯人はどこの誰なのか。 いや、本当に車に轢かれて怪我をしたのか。 そうじゃなか...
≪ 前 信号機の管理には、警察が大きく関係しているらしい。 「ん? 信号機の設置ですか」 「ええ、交通事故が最近あったでしょう。そこに設置しようってことで」 「ああ、あれ...
≪ 前 結局、HRの時間になってもツクヒは現れない。 そして、その理由はすぐに分かった。 「先ほどツクヒ君のご両親から連絡がありまして……登校中に車に轢かれたようです」 突如...
≪ 前 そうして俺たちは、その信号機のある場所へ赴いた。 「この信号機が、この町のシンボルさ」 俺の通う学校の大通りから少し離れた、脇道みたいな場所。 そこにポツンと設置...
俺の住む町は田舎ってわけじゃないけれど、控えめに言ってマイナー、はっきり言えば中途半端なところだ。 それでも年に1回くらいのペースで、ガイドブックの流れに逆らって上陸し...