はてなキーワード: 80年代とは
怒っている人々は漫画と言うかサブカル自体に偏見があって宇崎ちゃんもちゃんと読んでないということですね。
そもそもですね宇崎ちゃんは80年代や70年代から脈々と連続する日本のマンガの伝統的なラブコメの王道をきちっと伝承しているお話でして、私の視点から申しますと伝統文化を継承している非常に素晴らしい作品であります。
巨乳でちょっと天然系の宇崎ちゃんをうざがる先輩、しかしそこでガバっと行くわけではなく、カップルの間に横たわる微妙な距離感、 日常系小ネタの積み重ねで縮まる距離。しかしくっつきそうでくっつかない。
「うる星やつら」「かぼちゃワイン」「コータローまかりとおる」「タッチ」「気まぐれオレンジロード」「シティハンター」「ラブひな」「ヲタクに恋は難しい」などを読んでいた方には「あああ、これね、これよね」とズギュンと来る内容。
笑って胸キュン、日常のあるある、ギャルではなくラブコメ王道系の天真爛漫なヒロイン。ハリウッドのあの直球型のラブじゃないんですよ。この微妙な空気感。
この王道が今もしっかり継承されているのを知って異様に嬉しいんですね。私は。世の中はネットとスマホで変わってしまって、非正規だらけで殺伐とした世界になったのに、ちゃんとラブコメは継承されてるの。親が教えたわけでもないのに。不思議ですね。王道路線のラブコメ話って、うちの70代の親も若い頃青年誌とかマガジンで読んでたわけですよ。今70代の爺さんがですよ。それが継承されてんだもん。びっくりですよ。
お互いの気持ちを曇らせるために。
いろいろなものを捨てた。電話番号も写真ももらった手縫いのマフラーも。
ただ彼女のためにつくったSNSのアカウントだけは最後に残った。
開くまいと思いながら、数か月に一度、開いてしまう。
溢れるばかりのメッセージが目に飛び込む。
やがて彼女のメッセージの頻度は減っていった。そして返信もやめた。
あれから7年になる。
元気?
たったそれだけだ。恐らく彼女は、ときおりオンラインになっている俺をみつけては、
ひたすら返信を待ち、オフラインになって三日、一週間と経つのを眺めているんだろう。
俺が彼女にとって最後の男になってしまっているのだとすれば本当に切ないことだ。
しかし、俺にとってもまた、セックスが特別なものになってしまっていることにうすうす気が付いていた。
見つめ合い、肩を抱き合うだけで浮遊する感覚になった。
彼女と長い時間かけて重ねた唇、時には激しく駅弁スタイルでしたときの滑る汗、あの日々を上回るセックスはもう人生で経験することはできないだろう。
その通りだった。
村西が愛した黒木香は今、一体どこで何をしているんだろう。
NETFLIXの「全裸監督」で描かれた黒木香は、虚実交えているだろうが、
ものすごいリアリティがあった。黒木の母親役を演じた小雪の存在感も鳥肌ものだ。
・・せっかくしんみりとしたことを書こうと思っていたのに、だんだんズレてきた。
駅弁といえば。。
「全裸監督」は、今少しずつさまざなまレビューが出てきているが、
近年まれにみる傑作だ。
あの同世代を一歩遅れて歩んできた俺は、社会に出たときにはすでにバブルは崩壊していた。
学生の頃に、友人が苦労して入手した流出裏ビデオがどういう経緯で世に出ていたのか、ドラマでは虚実交えて克明に描いていた。
また、ビデ倫の仕掛け、ヤクザの関わり方を生々しく描いており、80年代のアダルトビデオの黎明期をここまでねちっこく映像化した作品は今まで存在しなかっただろう。
当時、やたらとモザイクが濃いものと薄消しのものがあって、なぜなのか、疑問にすら思わなかったが、「全裸監督」には、その答えが暗示されていた。
また、この作品で再現された、当時の歌舞伎町の舞台セットが素晴らしい。
とりわけ、村西率いる「サファイア映像」のスタッフ軍団が集うスタジオが興味深い。
スタジオの前に目に入ってくる、カレーの店タバサの看板。大量に麺類をつくっては、中華の回転円卓を囲んでスタッフ全員で豪快に食らうシーン。てんこ盛りのポテトサラダ。実にセンスがある。
昭和と平成のはざまの昭和63年暮れから昭和64年1月の冬の雰囲気。
当時、警視庁がわいせつ物の取り締まりを強化する流れに大きく動いていた。
日々の天皇の病状の深刻化が取り締まり強化の動機付けとして、象徴的に語られているのが技巧的だ。
彼は業界の大物を通じて、すでにヤクザとズブズブになっていたが、警察幹部からは、ガサ入れの方針が打ち出される。
一方、黒木香は、こうして業界の闇が描かれながらも、後方馬群でひっそりと控えている差し馬のような存在感で、ドラマ前半で静かに描かれていた。
横浜国大に在学していた彼女は、イタリア留学を夢見ながら、母親から抑圧された存在として、じわりじわりとエネルギーをためてゆく。
この見せ方も圧巻だ。村西とおるへの思いがあって、あのパフォーマンスが生まれた、というのは、このドラマの村西と黒木に対する解釈であって、本当のところはわからない。
しかし、村西と黒木の関係を物語るものとして、ものすごい説得力を感じた。セックスは一期一会といった村上の原点がここにあるんだろう。
ガチンコのセックスに対するこだわりは、売れるからという動機を覆い隠してしまうほどに、リアリズムへの情熱であふれている。
知っている方は少ないと思われるが、80年代後半に新潮社のウィングスで不定期連載している、漫画が好きだった。
新道高校の二年生の男子三人組が学園内の助っ人を便利屋と称して小遣い稼ぎしているお話。連載されている漫画の系統としては白泉社の花とゆめに雰囲気が似ていたが、BL色は控えめで、親の前でも読みやすかった。
三人組のメインキャラを紹介すると、
連載が終わって30年たち、読み返してみると、ひょっとしたら、このキャラクターは、この漫画の人がモデルかなあと思い出した。
熱血感の本田高弘→島本和彦の炎の転校生、滝沢昇。両者ともスポーツマンであり、頭に鉢巻きをしている。ちなみに炎の転校生も学園便利屋もOVAも出していて、滝沢昇役も本田高弘役も関俊彦氏。
元不良の川崎享→新沢基栄の奇面組、似蛭田妖。彼も普段はクールで温厚。カラーだと髪の色が緑色であり、髪型が類似している。似蛭田のバイクはカワサキ。声優さんは違う人なので本田高弘ほど類似点は乏しい。
そして、自分が一押しだった、メガネのインテリリーダー、鈴木斉のモデルがわからなかった。並外れて頭がいいけれど人に対してあたりがキツく皮肉屋で詭弁が多い、勉強だけでなく身体能力も高くオールマイティ、彼にメロメロな彼女がいる。そして、メガネを外すともちろん美形だ。一筋縄ではいかない魅力の彼のモデルは誰なのか。OVAで鈴木斉役をしていた、古川登志夫氏の役から辿っていくと、性格的には諸星あたるが近い。メロメロになってくれる彼女持ちだし。だが、諸星あたるはメガネ男子じゃないのだよ。屈折したメガネ男子のモデルにしては、彼は翳りがなさ過ぎる。次点で、究極超人あーるの、鳥坂先輩の線も考えた。メガネの下の素顔は原作内では、ごくわずかしか機会がないミステリアスさ、私生活の匂いはまるでしないのに、小学生の彼女がいる。ロボットを担いで肩の上でホールド出来るほどに身体能力が高い、だが、頭は良くない。……弁はたつけど。これといった決定打がないまま、あたるか、鳥坂先輩かと悩んでいた。ふとYoutubeで、ななこSOSを視聴したとき、ピンク色のパーマをかけたロングヘアーのメガネの青年が出てきたのだ。記憶喪失の超能力少女を舌先三寸で、自身の家に連れ込み、スーパーガールカンパニーなる、秘密結社を作り上げ、世界征服を企む少年。こいつだ、こいつが、鈴木斉だ。「誰も悪い事ができないよう、先に我々が世界征服をしておくのだ」この詭弁、カッコいい!こういう得体の知れない雰囲気が、女の子も男の子もついていきたいと思わせてしまうのだろうな。記憶喪失の超能力少女もメロメロになってるし。見たい、この少年をもっと見たい。ちなみにモデルの少年の名前は、四谷永一郎。ピクシブで彼の作品を漁ったけど、二件しかヒットしなかった…。それはそれとして、初恋の相手の鈴木斉のモデルをこの人ではないかとおぼろげながら掴んだ嬉しさでいっぱいだ。四谷永一郎の声は、古川登志夫氏ではなく、三ツ矢雄二氏だった。……まあ、声の質は、近いっちゃ近いよね?
これは片山愁先生がモデルはこの人だと断言していなくて、古のやおい好きが、勝手な憶測をしただけど、モデルを妄想してとても楽しかった。
蛇足だけど、なぜ、ななこSOSを視聴しようと思ったか?それは、私が谷山浩子さんのファンで、「恋のたまご」がななこSOSのイメージソングで使われていたときいたから。
「背中で泣いてね、思い切り決めてね。そんなあなたを後ろで見つめていたいの」という歌詞が、ベタ惚れのダーリンを持つ、女心があっていい曲なんですよ。ニコニコ動画に置いてあるので、よろしければご視聴ください。
映画『ジョーカー』観たけどさあ!!!"ニューヨークって素であんな治安悪いの?" あそこはゴッサムシティだ、って冒頭からかなり念入りに「物語の入り口」が描写されてたじゃないですか……2019/10/20 02:16
いやいやwww そこを「ゴッサムという架空の街だから」で押し通すのは小生断固反対させて頂きもうすwwwwwwwwwwww
70年代80年代ニューヨークは素で治安が悪かったでござるよ!!
不況の煽りを受けてスプレープシュー!!放火魔ボワンボワン!!暴動グワングワン!!
地下鉄に描かれた乱雑なグラフィティが割れ窓理論以前をですねwww
「サウス・ブロンクス」という言葉がWikipediaに載っているぐらいでござる。
ドプフォwww ついマニアックな知識が出てしまいましたwww いや失敬失敬www ほれちょっとWikiを覗いてごらんなさい、コポオッwwwwwwwww
ちなみに、ここで一般常識のオサライでござるがwww 監督とプロダクション・デザイナーはニューヨーク出身で監督の方はブロンクス地区出身でござるよwww これはいけないwww もうご存知でござったかwwwwwww
あ、例の階段もブロンクスに実在するでござるwww スマヌスマヌwww コモン・センスの欠如を疑うような言葉を投げてしまってwwwww うぬ、痛恨ここに極まれりwwwwwwwww
サウス・ブロンクスといえば、1983年に公開された『ワイルド・スタイル』www ヒップホップ誕生の記念碑的なこの映画は全編サウス・ブロンクスで撮影されて、ヒップホップカルチャーを世界に広めるきっかけとなったでござるねwwwwwwwwwww
これを観ると貧困地区に暮らしていた若い黒人の抑えきれない表現欲がよく感じられるでござるwww
全我々、第六感にピリンと来てるでござるねwww
キタwww キタコレwwwwww キタ━━━━━━━━(┓💠💋💠┏)━━━━━━━━!!!wwwwwwwww
実際の70年代80年代の暴動は黒人差別と関係した貧困が根底にあったのに、映画では「持てる者(ウェイン産業の証券マンを始めとする)に敵対する人々」にすり替えているのでござるのよwwwwww
それでも、完全にブラックな人たちを無視しているわけではないwww 一定の役割で出てきているでござるねwww なぜかwww なぜでしょうwwwww ヌプフォッwwwwwww まあ吾的にはwww インセル専用描写な感じには捉えて欲しくないでござるけどねwww デュフフフwwwwwwwww
というわけで「70年代80年代ニューヨークの治安の悪さ」というのは作品の根底に大きく関わっているでありんすよwww 「70年代80年代ニューヨーク」と「現代」が複雑に絡み合ってループ構造にもなっているようなwww とでも言わせてもらいますかねえ、ヌフフフフフフwwwwwwwwwwwww だから「関係ない」という言説には拙者断固反対でござるwwwww
ちなみに、ケネディのニューフロンティア政策から"Make America Great Again"でお馴染みレーガンの小さな政府的な福祉国家の見直しまで絡めて考えるとwww
>「女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージが含まれてしまう。
わかるよ古典的な強いフェミニズム論だもの。どっかで勉強したんだろう
しかし、こういった負のメッセージを一切排さねばならないという話が最終的にどうなったかまで勉強しなかったのか。
80年代のフェミニストたちは、この理屈を「ブラジャーは抑圧」というスローガンとともに用いた。
ブラジャーをして胸のかたちをよくするのは男ためだと思われたからね。
セクシーさが市場で売れることは女が男を歓ばせるのはいいことだというメッセージだったからね。
胸が開いた服の女性やミニスカートの女性もやり玉にあがり、フェミニズム的じゃない女性、名誉男性扱いされた。
そうしてフェミニズムは、むしろ女性をこそ攻撃することになり、衰退したんだ。
今、お前も同じ轍を踏もうとしている。
悪いメッセージを読み取り得るものを全て排するなら、どんなものだって排することができるし、してしまう。
お前がオタだっていうなら、何か好きなコンテンツを上げてみろよ。俺はそれについて、これこれこういう悪いメッセージが含まれるから公共の場に出るべきではない、と述べることができる。そうだな? ヒプマイとかか? なんでホストに貢ぐこと推奨しているの? それらは決して表にでるべきではないのか? 町おこしのためのコスプレはどうだ? エロい服もけっこうあるぞ? 煽情的な上に公共がやってるのでは?
日本の第一次クトゥルフ神話ブームは小説、漫画、ゲーム、TRPGと当時としては結構多岐に渡ってるんで、その世代のヤツには結構知られてるんだよ。
ブコメで言及が多いのは栗本薫の「魔界水滸伝」だな。80年代の栗本薫はほんと人気作家だったので読んでる人はグインサーガほどではないが多かった。
菊池秀行も言及が多いな。本人が公言してるようにラヴクラフトとクトゥルフ神話の大ファンである氏の作品にはしばしばクトゥルフネタがぶっこまれる。「妖神グルメ」というネタとしてぶっこまれるだけじゃなくてそのものを料理する作品もある。
矢野健太郎の言及が思ったより少ないが俺の周辺では「邪神伝説」シリーズはマストレベルで抑えられていた。
そして忘れられてなくてよかった朝松健。苦止縷得宗がルビ振ってなくても読めるお前ら、そのうち酒飲もうな
他に言及が多いのは「ラプラスの魔」か。これは小説とコンピューターゲーム両方かな。スーパーファミコンやPC-Engineにも移植されてるんだがさすがにそれが最初というヤツはさすがに少ない(たしかコンシューマーの方はあまり売れなかったはず)
言及がないものに触れると世界的に売れまくった、バイオハザードスタッフにも影響を与えた「アローン・イン・ザ・ダーク」もクトゥルフ神話に登場するあれやこれやがいろいろ出てくる
『メギド72』、ゲーム大賞優秀賞を受賞したんだね、おめでとう!
きっとすこし前の自分だったら涙しながら喜んだだろう
そう、すこうし昔の自分だったら……
はっきり言わせてもらおう
『メギド72』は今こそがやめどきだ
今がピークだ 今が頂点だ
後は下がっていくだけ、もしくはすでに下り始めている
この先に待っているのはまごうことなき「閉じコン化」、妄信的な信者達と同人ゴロと運営とで内輪ネタでキャッキャウフフするだけの地獄である
(すでにカルト宗教の様相を呈し、外部の人間から白い目で見られてはいるが)
以前から
「児童虐待72」「今ならクズが無料」
といったヤバい謳い文句を嬉々として布教に使うプレイヤー達
リジェネレイトしたウァプラの様子に解釈違いを起こした方の思いを綴ったブログ記事に対して
「ただのお気持ち」「公式と解釈違いとか(笑)」
と嘲笑するだけのプレイヤー達
(また、同キャラクターの台詞に対し
「運営が菜食やヴィーガニズムを雑に扱っているようで失望した」
と指摘した人に対しては「二次元と三次元の区別をつけろ」「ヴィーガンなんて大喜利のネタだ」といったいかにもな反応)
例の低クオリティアニメやメギドビクスは明らかにプレイヤー達から巻き上げた金を無意味に使ってるに過ぎないのだが、信者と化したユーザー達はもはや全肯定の嵐だ
曰く、「80年代風で面白い」
曰く、「こういう悪ふざけこそがメギドの醍醐味ではないか」
ユーザー達の悪ふざけや二次創作のノリをそのまま輸入し、どんどんサムい方向へと突き進んでいる
昔の自分は
「メギドの運営は信じられる、メギドの運営はとっても優しい、ああなんていいゲームをプレイしているんだ!」
と 本気 で信じ込んでいたのだ
だからこそ、メギド72の「信者」の洗脳を解くのがどれだけ困難なのか理解できる
メギド界隈は民度が高いと思っていました 本気で
メギドは最高のソシャゲだと思っていました 本気で
公式絵師の某※倉さんはよい絵師さんだと思っていました 本気で
それらはみんな幻でしたとさ
メギドを始めたてでまだ洗脳されていない人々
また、メギドは好きだけどいいかげんプレイヤーや運営のやらかしについていけない人々
今だ、今がやめどきだ
ちょっと前までモンモンだった自分からの最後の言及でした(過去形なのが悲しい)
普段ソシャゲにお金を使わないのに、メギドには「お布施」として「いいPCが2台は買える」程度の額を課金したなあ 今思えば溝に金だった なんなんだあのヘダレアニメは
ああ、好きなメギドにリジェネレイトしてほしくないなあ ※倉の手で汚されるのだけは勘弁だ
特にジェンダー関連がひどいぞ 時代遅れだぞ だから自分はメギドをやめたんだぞ
好きだったコンテンツが完全に閉じコンになる前に、この思い、誰かに届くといいな
メギド72とその信者の悪口に完全に便乗させていただきました すんません
#メギドヤメドキ
2010年代になって、Wikipediaはかなり衰退したと思う
昔に書かれたコンテンツが残っているからまだ体裁を保てているけど、よく見るとかなりボロボロだ
「2008年現在」とか書かれていて10年以上更新されなかった文章がかなりある
今日これを書いているのは、昔だったら放置されなかっただろう宣伝的な文章を見かけたからだ
そこの偉い人(故人)の出口直日のページがやけに一方的だったので履歴を確認してみたのだ
そうしたらOomotowebmasterという名前のユーザーが2013年に編集していた事がわかった
一部の抜粋だが、出口栄二と対立した事に関する記述はこう書き換えられていた
直日の長女出口直美の夫・出口栄二大本総長が率いる派閥と、楽天社(大本芸術部門)の出口京太郎(直日の長男)を中心とする派閥が対立していた[1]。1976年、京太郎が大本総長に就任[5]。80年代になると内部対立が激化し、直日は四代教主に内定していた長女・直美の継承を取り消し、他家に嫁いでいた三女・聖子を出口家に復籍させて大本四代教主とした[6]。1990年、直美・栄二夫妻は大本を離脱して「大本信徒連合会」を結成、
しかし、出口栄二は忠告を無視して、その指導に抵抗し、求められる誠実に反する。直日は最後の最後まで忍耐をもって正しい信仰のあり方を教え諭したが、出口栄二は聞き入れず、教主の神性を、根本的に否定して大本の神業を甚しく阻害。ついには大本教団を告訴するに至った。大本信徒、また社会へ与える混乱をこれ以上看過することは出来ず、直日は、長女・直美の教主継承を取り消し、三女・聖子を大本四代教主とした[8]。 1990年、直美・栄二夫妻は大本を離脱して反教団団体「大本信徒連合会」を結成した。
かなり大本側に偏った記述になっていて、昔であればこういう関係者の宣伝的な記述はリバートされていただろう
十分な目玉があればWikipediaはうまくいくだろう
しかし今は目玉が足りないようだ
今でもちょっとした誤字に気づいた時などは修正することもあるけど、積極的に関わるのはやめにした
失望してやめる人数よりも、希望をもって始める人数のほうが多ければ、Wikipediaは発展していくだろうが、今は逆になっているようだ
自分は、今からWikipediaの編集者になる事はおすすめしない
一度破綻したほうがいいと思う
Wikipediaが寄付で運営しているのは中立性を保つため、というのが名目だ
それがどうだ
実際は規約に反してこっそり宣伝したもの勝ちの場を提供しているだけだ
Wikipediaのコンテンツはルールに従えば流用する事が許可されている
Wikipediaがなくなっても、コンテンツを引き継ぐサービスが出てくるだろう
〇〇はSFか否か
子供時代にはすでにSFブームは落ち着いてて、SFと言われても単なる分類か属性タグぐらいの認識だったので、定期的に「SFとは」というネタでおじさまたちが論争始めるのがいまいちピンとこない。
でも80年代のオタクの話とか日本SF大会の存在とかを聞くと、まあどうもその時代は「SF」というもの自体になんか権威みたいなものがあって、SFジャンルの中に入れるかどうかが作家や作品やその愛好者にとってオタク内ヒエラルキーを決める大事な要素だったのかなあと想像してる。
今そういうのあるのかな。なろう系とか異世界転生とか日常系とか、どちらかと言うと入れられたくなさそうなカテゴリならあるけど。
当時の映画好きが「邦画は本当にやばい」と絶望してたのを覚えてる。
トップの興行収入だけだとわかりづらいが、全体的な客数でいえば00年代以降、洋画が減り邦画が増えている。
それに対して映画好きが「いや探せばいい映画もたくさんある」って紹介する流れがあるけど、
90年代はむしろ映画好きが積極的に邦画は糞だと言ってたかもしれない。
いうても、日本が良質な映画作りをできてたのはスタジオシステムのおかげで、
それが崩壊したのが70年代半ばだから、80年代も結構ひどかったんだけどね。
ジブリの知名度が一般に広がったのはトトロがVHSで発売された90年前後からなんだけど、
そのブランド力がうまい具合に邦画の低迷期を支えてくれる形に。90年代のジブリ映画が本当に質が高かったのかどうかは別として。
で、情けないことに、実写邦画の低迷をすくったのが、
テレビ資本の大作邦画というモデルはこの辺りから始まって、現在まで続いてる。
東映のこどもまつりをドラマでやってるのと同じ、ともいえるけど。
クオリティも似たようなもんだ。
オタク友達がこのところVtuberにハマっていて、Twitter上では何かにつけてリツイートしてくるようになった。
飲み友達がとあるアニメや舞台にハマって、飲む先で沼に入ってこいと誘われることが増えた。
どちらも触れてみようかなとまでは思うもののなんだかんだで後回しになっていて、結局はそれらに触れる時間を使って昔見聞きしたコンテンツを何度も繰り返ししゃぶっている始末だ。なんだかんだでそれが楽。
学生の頃勤めていたバイト先である飲食店では、有線放送のチャンネルを70年代か80年代の歌謡曲に限定していた。店長いわく「お客さんが安心するから」とのことだったが、その時はわからなかった。
でも今はなんとなくわかる。楽だよなと。