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2018-03-06

予告編感想3月)+α

映画見てきた。その時に流れた予告編感想を覚えてるだけ書く。

マジで予告編しか見てないのでゆるふわ感想です。

※見に行った映画本編は(空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎)

ちなみに予告編を見て気になった映画

ちはやふる―結び―

前作前々作見てない、原作途中で積み中なので少なくともすぐには見に行かない。

ちはやふる面白そうで気になってるのになんで見てないんだっけ?

と上の句公開当時見なかった理由完全に忘れてたけど予告見て思い出した!

野村周平がニガテだからだった!

結構活躍しているので苦手意識改めたほうがいいかもしれんな…うーむ

ラプラスの魔

この予告最初に見たときは「櫻井くんの大学教授ないわー」みたいなことを言って見ないリストに入れていたんだけど、

謎ディナも劇場版まで完走しているしやっぱり見るべきでは?と思い始めてきた!

OVERDRIVE

オリジナル作品??かな?

予告からはそれほどストーリからず。

キャスト(東出、真剣佑)はあまり興味惹かれないけど、車とかラリー映像結構好きでアマプラグランドツアー見たりするので気になるかも。

ストーリーとか詳細見てみるか決めよう。

BLEACH

で、出~~!ジャンプ漫画実写化奴~~!

予告はイチゴルキア出会って最初ホロウに襲われるシーン(画面が暗くて出来が良くわからなかった)

この時点で言えることは、あの、斬月が若干小ぶりですかね…?

イチゴ福士蒼汰ルキア杉咲花コレジャナイ感がすごい)。公式HP見てもそれ以上の情報なし。

いや~~どうなるんでしょうね!クソ実写化好きとしても十分期待を寄せられるというか見逃せない感じがしますね!!

そもそも話をまとめるのが結構大変だよね?藍染の正体が割れるまでというか尸魂界に行くまでも結構長いし。

楽しみだなあ。

今日知ったことMicrosoft IMEソウルソサエティ漢字変換できる)

◇●◇●◇

あんまり新しい予告編がなかったから本編の感想ちょっと書く。ネタバレ注意





映像はいいよ。めっちゃれいだしさ、スペクタクルだよ。

華やかなりし大唐!って感じだよ。

CG黒猫も出てくるし、猫映画だよ。原題は猫メインだし。グロいことする化け猫から鳴き声が聞こえるたび私は怯えてたけど、それでも猫好きなら萌えれるのかもしれない。

楊貴妃がね、女優さんめっちゃ美人楊貴妃ハーレムでみんな楊貴妃が好き。理由楊貴妃から。(ふわっとポイント)

空海君はかしこキャラで、法術もすごく妖の気配を敏感に察知するのに、完全に妖が殺人を成し遂げてから止めたりするし。金田一耕助かよ。

結構肩透かしというか、ストーリーがなんか軽い。し突っ込みどころも多い。そんな映画

以上。また映画見たら書くかも。

2018-01-30

予告編感想

今日映画見てきた。その時に流れた予告編感想を覚えてるだけ書く。

マジで予告編しか見てないのでゆるふわ感想です。

※見に行った映画本編(新参者 加賀恭一郎 祈りの幕が落ちる時)の感想ではないです。

ラプラスの魔

原作未読だけど、東野圭吾だったら話はそこそこ面白いのかな。

でも、予告編だけで既に櫻井くんは演技きつい。学者感が全然感じられない。

櫻井くん主演の謎ディナ完走は結構苦行だったし、広瀬すずもあまり興味ないし、見ないだろうなあ…

羊の木

今回の予告編では一番面白そうだった。

増田試写会感想書いてる人もいたし気になる。見るかも。

錦戸くんはどこかバイオレンスな感じのする作品でよく見かけるな。アイドルなのに。

原作未読だけど読んどいたほうがいいのかな。

ポスタールックが愚行録とか怒りっぽい。

いぬやしき

原作未読なので面白不明だけど評判いいんだろうか。

木梨憲武さんはあまり興味わかない。佐藤健高校生はもうきついのでないか

面白そうだったらレンタルとか配信で見そう

不能犯

ミステリサスペンス好きだし、サイコ犯罪者は大好きだけどあまり面白くなさそうだぞ?

なんか…ちゃっちい感じがする。勘違いだったら申し訳ないけど

空海―KU-KAI―

今回の予告編で気になったその2。原作未読。

染谷くんに興味が無いのであまり気にしてなかったが、予告編見ると結構楽しそうなので見るかも。

日本人以外の役者中国の人なんだろうか、台湾香港韓国の人なんかもいるんだろうか

女優さんみんな美人やったなあ…

阿倍仲麻呂阿部寛がやるのはちょっとダジャレ感ある

◇のみとり侍

というか阿部寛仕事しすぎじゃない?

◇北の桜守

また阿部寛出てる…

坂道のアポロン

アニメ結構評判よさげだった記憶(見てない)

ということは内容はそんな悪くないんだろうけど…

(予告だけだけど)知念くんの演技はちょっと滑舌の怪しいジャニーズ注意報出ましたよ。大丈夫か。

なんか撮影中に事故とかあったやつだよね?大丈夫だったんだろうか。

リメンバー・ミー

国立民族学博物館でみたメキシコのカラベラ人形思い出した。あの人形可愛かったなあ。

いや、多分それがモデルなんだろうけど。

カラベラ人形モデルで言うと、グリム・ファンダンゴという海外アドベンチャーゲームおすすめです。

ペンタゴン・ペーパーズ

こういう海外の実話モデル系の映画めっちゃ見たいともならないけど作業中に見るのに結構いいので

配信にきてくれたら見る気がする

以上。また映画見たら書くかも。

2018-01-28

予告で叫ぶ映画淡々と記録するよ 

サニー32」         後半ずっと叫んでる

マンハント」       叫んでない

空海」          叫んでる

「ビガイルド」       叫んでる

「シェイプオブウォーター」 叫んでる

ラプラスの魔女」     「こんな現象ありえない!」

羊の木」         叫んでる

2012-09-21

南極でさ

「N氏がさ、超絶すんごいウルトラコンピュータでもって、万物理論を組み込んだビッグバンプログラムを起動させたとするじゃん?」

「は?」

「N氏の発明世界一からさ、ラプラスの魔物の計算力をも超えちゃうわけで――」

ちょっと待って。何の話?」

南極の話」

「なん……きょく……?」

「うん。南極の話。続けるけど、いい?」

「…………」

「色々端折るけど、とにかく起動したプログラムは、ガタガタガタガタと宇宙の創世から太陽系誕生とか生物の発生とか人類歴史とかを、正しく情報を吐き出すようになるわけよ」

「随分と端折ったね」

「んで、助手と二人でさ、経過を観察してて、あっこれって成功じゃねってわかって、喜んだりするわけ」

「感無量と」

「そう。でもさ、その様子までウルコンに記述させられてしまっててね。んで、ふと気がつくわけよ」

「何に」

果たして我々はどこに生きているのだろうかって。そもそも我々は本当に現実を生きていたのだろうかって、仮想の自我現実自我境界曖昧になって、ちょっぴりホラーな感じみたいな」

「……酔歩する男?」

「似てるかも」

「でも、手垢にまみれてる」

「うん」

「加えて、宇宙の創世から正しく現在に至るって、確率的にどうなのよって」

「そこはさ、ほら、N氏だから

「許されるとでも」

「許されるでしょう」

「許されるのかなあ」

「許されるべきだと思うよ」

「まあいいけど、なんでそんな話になるの?」

唐突に思いついたから。形にしておきたかったけど面倒くさかった」

「手垢にまみれてるのに」

「いえす」

「へえ」

2010-09-22

人生の選択】 追記。 こっちの方がより言いたいことが伝わるかもしれない。

追記元

http://anond.hatelabo.jp/20100922023512

まず、ありとあらゆる意識的、随意的な思考・行動は すべて目標を達成されるために行われる。

目標を達成するための最適解は存在する。各種、方法論、戦略によって最適解に限りなく近づくことができる。


だが、"いかなる目標を設定するか" ということには最適解はない。

それは、個人がもつ、固有の欲求、価値観、思想、志向性、評価関数というフィルターを通して

"自分が考える、最も満足のいくであろう、望ましいであろう状態、目標"


定義しそれに向かっていく。

言わずもがなそれは十人十色で、それゆえに人類は、かような多様性を呈している。



逆説的ではあるが、この多様性こそが"人生そのもの"に"目標設定そのもの"に正解がないことを示していると言える。




ここで問題としているのは、そういう「いかなる目標に向かっていくか」「いかに生きるか」

という問いに答えがないということではなく、そういった現実の中で

個人個人は

いかにしていかに生きるかを、いかなる目標を設定し、それを目指して生きていくかを

どのようにして決めれば良いのか? ということだ。



あと、人は、望ましい状態に向かっていくと書いたが それが自分にとって望ましい状態なのかどうかは

"想像することしかできない" のだ。

その望ましさはあくまでも未来において想定されるもので、それは人間想像力によって判別される。

もちろんそれは完全ではない。想像力をいくら駆使しても "これこそが私が最も満足のいくであろう選択だ" と断言することは無理である。

構造的に不可能なのだ、それは。 想像力にも限りがあるし。

こうであったらなと思い描いたそれが実現されても、不満足を覚えることは多分にありえる。




だから人は、思考停止・妥協・悟り・諦め ≒ 信じる という行為をもってして生きていく。というかそうしなくては生きられない。 疑えど疑えど答えは出ない。

そういう悩みに消耗し、逡巡、足踏みし続け、人生台無しにしてる人間は少なくないように思える。

いうなれば、登る山が決まっていなく、彷徨っているに等しいような人生だ。 私はそれを回避したい。忌避すべきものだそれは。

しかし一口に"信じる"といっても、 信じるための方法というか、信じ方があると思うのだ。

一寸先は闇の現実の中、無限情報に前にし、いかに考えいかに行動するか。



結局どうすれば、良いのか。


私は理性によってそれが(生きていく中で価値観などは遷移していくので軌道修正は必要としても)

解決、、というか処理?できると思っているんですよ。


どうやって? こうやって。


まず人間意識的に、随意的に目指しうることのできるありとあらゆる目標ネット書籍などから情報収集し

徹底的に拡散的な思考をし尽し

"それらを全て洗い出して(MECEに)"   かつ、その中から 

"現実的に(物理的に) 私という人間が達成を目指すことのできる目標" を全て抽出する。



全てはここにある。 私が目指すことが可能な目標は全てここにあって、考えるべきことは全て目の前にある状態。


まずその状態を作り出す。



目の前には膨大な目標リスト

その個々の目標を"そこに向かうべきか否か" を判断する。その人その人がもつ固有の価値観に照らし合わせて。

ネット書籍で判断材料を集めたりしたりもする。 その目標に向かうべきかどうかを個々に評価するのだ。

そして達成すべき目標("α"とする)をリストアップする。それを合格可能性が最大化された日常目標を達成すべく定義されたタスクを巧妙に組み込む。



もちろんその組み込まれた目標は、 合格可能性を減少させてでも達成を目指すべき何かだ。

合格可能性が最大化された日常ベースとして考える。 それはそれこそが今もっとも優先すべき目標であるからだ。最大化こそが(私にとっては)



そして、そういうことを徹底的に追求したその果てに "今、この時間、本当になすべきこと(タスク)" が完全に把握でき

"今、ここで使っている時間は、私が思う最高の(限りなく最適な)時間の使い方だ" という意識をずーーっと持ち続けることができる。私はそれを目指したい。実現させたい。

というか受験生活が終わっても私は人生を通してずっとそうでありたい。これは誰もが思う願望であろう。


それを実現するのがGTDなのではないのか。それこそがGTD本質ではないのか。

私がGTDに期待したのはそこである。というかそれが実現できるならば

この際GTDじゃなくても良いのだけど。

//何か突っ込みどころはありますか? ちなみに勉強からの逃避にしか見えないという指摘がありますがむしろ逆です。

 これは勉強に集中するためになされる能動的な過程です。 顕在意識(=メモリRAM)に "今実行すべきタスク"のことしか頭にない状態が理想

 それを実現させてくれるのがGTDなのでは? そうであれば物凄く快適そうに思える。 なるほどその状態は達成すべき目標だろう。最優先で。

//結局、合格可能性最大化を図ることができれば満足なんです。

 //他の何か、つまり"α"、それを邪魔する原因としての"α"さえうまく処理できればそれは実現します、それが難しいのですが…

//未知数な、存在するかどうかわからない"α"が見つかろうと見つからなかろうと どっちでも良いわけです。最大化、最適化さえ図ることができれば。

//とにかくすべては合格可能性最大化を阻む原因をいかに排除するか、そこが核心、主眼なんです。

>まだ自分認識意識していない時間を割くべき、日常に組み込むべき何か(合格可能性最大化以外の目標、仮に"α"とします。)があるのではないか?

これでいうαは受験生活を脅かす要素です。

αにより受験生活が崩壊しかねません。アルファ崩壊



返信。


合格可能性の最大化を図ることによってαの発見・達成が阻害される、と考える理由はないわけだから



合格可能性が最大化された日常ということは極端に言えば、αを意識すらしません。そんな暇があったら問題を一つでも多く解くのです。

だから発見は阻害されますよね

合格可能性の最大化を図ることによってαの発見が阻害されるということで

αの達成を目指すということは最大化が阻害されることになります 最大化が阻害されても

生産性、効率が低下してもそれでもなお目指すべき目標存在するのか?

存在しないならば最大化されたまま、それを維持した日常を送れます。

しかし存在するならば、考えなければいけないことがいろいろありますね。

>生活の全てを最適化しなければ合格できないとしたら、入ってからついていけるのかい?

あるいは最適化など目指さなくとも、余裕をもって合格できるにしても他に達成すべき目標がないなら

合格可能性を最大化させることに注力します。念には念を。受かる保証などどこにもないのですから。

ここで問題にすべきなのは"学力の向上における効率、生産性犠牲にしてでも"達成すべき目標、"α"の処理の仕方についてです。


>そうでなく、やりたいことがまだはっきりしないっていうなら、受験勉強を当面のゲームと考えるといい。


そうですね、やりたいことははっきりしていません。大学をいかなる目的のための手段にするのか?という問いには今のところ答えられません。

それに危機感を覚えます。大学がゴールになっちゃって手段になりえてないっていうのが典型的な失敗例でそういう文脈があちこちに散見されるので。(手段の目的化)

なんとなく、俺はこれをするためにあの大学に入るんだっていう明確な意識があった方が動機づけにもなると思うし…


>他にやることがなくて暇だから受験勉強してる、と考えるんだ。そう考えていれば、普段は合格最適化した生活を送りつつ、他のおもしろいことにレーダーをはっていられる。


こういう感覚良いですね。 しかし受験勉強と同時進行でなくてはならないのでしょうか?レーダー張り。アンテナ

そうでないといけないというのは常に新しい情報(速報性があるものやまだ読んでないウェブページとか本とかから)を仕入れないといけないということですよね?

それを、なんというか、最初からいっぺんにできないものなんでしょうか?



典型的現実逃避だろう

>当面の目的から目を逸らすために他の目的を探してるだけであり

>しかも見つかってないあたりは救いようがない


前述のとおり、当面の目的に集中するために他の目的を処理しようとしているのです。

これこそが先延ばしの原因であり、心理的な障壁となっているのです。

もし見つからないのなら受験勉強を蔑にしてずっと探し続けることはしません、受験生ですから。

それは大学を出てやりたいことがないからとりあえずニートになるぐらい危険なことです。



>キミの悩んでるのは人生目標=自分がどう生きるかでしょ?

>それはGTDとは関係ないけど、難しい。ほとんど人生そのものと同じだからね。


そう言えますね。ほんと難しい…


>とりあえずは「見晴らしのいい場所(客観的に社会自分を見られる場所)」に行く(社会的物理的に)こと、かねえ。

>そういう意味で、学歴の高さは、確かに1つの条件になるよ。


心強い意見です。


>うーん。普通高校生ともなれば、なんとなく将来、こんな風な仕事をしたいとか、目標と言えないまでも、夢みたいなものはあるんじゃないかな。

それがよくわからないんですよね、、、

偏見・思い込みかもしれませんが世の労働者の大多数は

生活を維持するためのお金を稼ぐために「仕方なく」働いてると思ってるんですよ。

何らかのきっかけで(宝くじあたったりとか)大金が転がり込んできたら現職を続けないであろう仕事に就いているイメージ

本当にやりたいことができてる人は、好きを貫いている人はほんの一握りなんだろうなって。

社会構造的にもそういうのは仕方ないのかもしれませんが、、

ちょっと恥ずかしいですが、ジョブズスピーチで語ったように"愛せる仕事"をしたいですね

って、これじゃあ何も言っていないのと同じですよね。 "やりたいことをやりたい" みたいな、、トートロジー的な?身も蓋もない、、



>まあ、中央に[人生目標]と書いたマインドマップでも書いて、自分人生目標でもじっくり考えてみたらどうかな。

いいっすねこれ。 あとドラゴン桜読んでみます。

>でも、人生は思ったより長い。

>間違った山に登ったかな、と思ったら、降りて違う山に登ることも、特にこれからの時代は不可能じゃない。

>また、寄り道、無駄足だったと思っても、それが次のステップへの足がかりになったりすることもある。違う山へ伸びる吊り橋があったりね。

大学受験で、また会社選びで、人生のすべてが決まる、とか必要以上に深刻に考えなくてもいいと俺は思うよ。


孫正義「なぜならば、自分で決めた自分職業自分で決めた自分仕事、これコロコロ変えるわけにはそんな簡単にはいきません。

    だいたい決めたらその道にほぼ行く可能性が高い。その決めたことをフラフラするということは、効率悪いんです。

    自分エネルギーをどこについやしたらいいのか」

こういう意識があって、、、

また引用しますが

>私が思うに、人生を計画的に行おう、と思うのは、なすべきことをしたいという欲望が生じるからだ。

>限りある時間の中で、切実にそれを実現するためには、どういう流れ・ストーリーフェーズを経て

>実現状態に変貌を遂げるのかをクリアにしようとする。そうすれば実現する可能性が高くなるからだ。

http://works4life.jp/2010/03/gtd-before-big-planning/

もっと明確に、クリアに描きたくてたまらないんですよね

多分どちらにせよ私は志望校を目指すので、将来の目標がどうあれ、今やるべきこと、やっていくこと(受験勉強)は変わらないとしても

心の置き場?というかスタンス? 世界観人生観死生観価値観、思想

そういうことにも心を奪われてしまうんですよね、、考えすぎなんでしょうか?

もっと、こう、なるようになるさって感じでいけたら大分楽かもしれません。気楽に。。



xevraさんのいうよう、悩んでも悩んでも仕方がないことなんでしょうか、、

悩めば悩むほど不安は募り、袋小路の奥にどんどん迷い込んでいくのでしょうか、、










とある某大型掲示板にこんなスレが立っていました

怠惰ニヒリズムを克服したい

1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/14(土) 11:03:45.25 ID:YEzroAVm0

1つの道を選んでそのために一生懸命頑張るということができない

何をするにも何らかの価値観の盲信が必要になるという気分

ぼんやりとく苦せずして手に入る娯楽で時間が過ぎるばかり

自分がしたいようにしろと言われても自分が信じられない



きっと人生における選択の正しさの根拠なんてないんだと思います。

何か一つを選ぶということはその他の一切の選択肢を捨てることだと弾さんもいっているし

それこそがその他一切の選択肢を選ばないことで何か失うものがあるのではないか という疑いを不安を生んでいるわけなんですね。

ある選択をしてその先一般的に(?)成功したとされても、もっと大きな成功が他の道に転がってたかもしれない、、

そういう迷いや悩みは構造的に人生の原則的に解決が可能なのでしょうか?

私たちはラプラスの魔でもなんでもないので、人間が培ってきた知見と経験則によってのみ、なんとか予測を立てることができる程度で

そこを理性的に突き詰めれば何か見えてくるんじゃないのかな…?と思ってはいるんですが、、


例えばこうするとかも。


ジョブズ自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に

    決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、

    己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、

     きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。

    そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。」



しかしなぜ死と隣り合わせであるという事実直視するとこういうことが可能になるのでしょう?

死の意識というフィルターを通せば真に、自分にとって大切なことが、死ぬまでにこう生きていたいんだってことがはっきりわかってくるようなのですが

どうも、私はそうなれていない?ように思うのです 死を意識してはいるつもりなんですけどね

孫さんやジョブズのように"実際に死にかけた経験"がないから 死を想像してみてもそれは不明瞭で、漠然とした恐怖とかで その程度ではそういう状態にはなれないのかどうか、、、








更に返信。










>今、どうしてもやりたことが見つからないなら、焦っても無駄。君が時間無駄にしてるんじゃないかって焦ってる間に、既にやりたいことを見つけた人達は何歩も先を行ってる。天職のことを英語でcallingと言う。>呼ばれちゃうんだよ、そういう人は。こっちから選ぶことなんて出来ない。君もいつか呼ばれるかもしれないし、もしかすると一生呼ばれないかもしれない。どっちにせよ、それに振り回されて迷うっていうのはそれ>自体が無駄。呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない。


やりたいことってのは、天職ってのは能動的に探すものではないのですか? "呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない"  なるべく選択肢とか可能性が維持できるように

したいところですけれどもね。


http://anond.hatelabo.jp/20100922183732 //長いのでURLだけ。

なるほど。ってことは一週間かけて考えて見つからなければαを放置して学力の向上におけるパフォーマンスを最大化させればいいのですね。

受験が迫っているため、一週間程度のリソースで見切りをつけ、当座は合格を目指し、大学という場でリソースを獲得し

"目標α発見可能性を最大化して実践" すれば良いのですね。  すごくわかりやすく、かつ的確な回答のように思えます。

しかし一週間ではなく二週間であれば見つかるかもしれないわけじゃないですか。

というか期間の問題ではなく、 目標αはまったく(もしくはこれ以上)発見されないであろう、その可能性はないであろうと判断することを私は求めているのです。

目標αはまったく、もしくは、もうこれ以上生まれないであろうと。 気が変わったりするもんですから、人間も。

定期的に そうであるかどうかを確かめるような手段が欲しいところなのですが。

また言いますが、それこそがGTD本質なのではないのですか?

そういえば私の提唱した方法論についての反応がありませんね、、


今の私って、無数の目指すべきかどうかは判断されていない目標は見えているけど、それを目指すかどうかっていう判断材料になりえる情報(目の前に膨大に広がっています)

に溺れてる感じなんですよ。 "今" 何をすべきなのか? がわからないんです。

わからないから、わかろうとする。 そうやってるとただ情報の海を漂ってるだけになるんですよね、、困ったことに。



一連の考えを要約すると、 人生において早い段階で 「選択と集中」 をしたいんですよ。

自分は何者でもないし、なにか特別な才能があるわけでもない。

特に何ができるわけでもない、 そんな私ができることって 人より多く一つのことに時間を投入することなんですね。


そのためには「選択」が要ります。それも孫さんのいうように腹の底から、覚悟を伴った"選択" それほどまでの"選択"ができて人はやっと"集中"ができる。し続けられる。

集中ができるほどの、それほどまでの選択を私はしたいんですよね。 もちろんここでいうαである目標の達成を選ばないという選択もありますよ。

受験一筋なパターンです。それも一つの選択ですね。 例えばそういうパターンを選択し、集中できないのはαがあるからなんです。 とにかくこのα。これさえなんとかなれば。















またまた追記ですー

http://anond.hatelabo.jp/20100924192440









 

 
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