はてなキーワード: 運動とは
親父は今年72歳なんだけど、
仕事退職して毎日昼間からビール飲んでるせいか風呂に入る頻度が少ない
三日に一回ぐらいかな
何か大事な用事、例えば親戚に会いに行くとか俺の妻側の家族と会うとかそういった時にはきちんと風呂に入る
とはいってもそんな用事も月に一度あるかないかだから、やっぱり二日おきぐらいのペースにはなる
夏場、外で用事があったときは夕方にひとっ風呂浴びるときもあるみたいだけど
で、まあここだけ話すとすごい汚い奴みたいに思えるけど、案外そうでもない これが本当に不思議
俺が二、三日風呂に入らなかったらきっと汗臭くなると思うけど、親父は何故か臭くならない
先日妻にこの話をしたところ、驚かれた
年齢的にそもそも汗をかかないのかもしれない…と思ったけど、人並みに汗はかいているように見えるし
というか、親父の場合その他の生活習慣も悪臭まっしぐらなはずだ
肉と米しか食べない、油もの大好き、ヘビースモーカー、大酒飲み、大して運動しない、水飲まない
これだけ好き放題して風呂にも入らないのに全く体臭がキツくならない
俺が家族だから嗅覚バグってるのか?と思うこともあったが、妻も妻の親戚も父の友人も皆においについては分からないと言っている
多分風呂に入っていないことも知らない
本当になんなんだ?
言いたいこと:「少女小説をラノベに含めても無視してもボコボコに叩かれる」という難しい状況がある。
いま、ライトノベルのオールタイムベストを選出する作業が進められている。
ラノベが社会に認められるためには、売り上げだけが唯一の評価軸である現状では差し障りがある。文化としての成熟には体系化と批評の存在が必須であり、その一歩としてたいへん意義のある活動と言えるだろう。
あくまで叩き台であり、作品数的にもより拡張した形を目指していくようだが、現時点でも各年代に目の行き届いた、ラノベの歴史の流れを俯瞰できる内容となっている。
ただ、この手の企画はどのような基準で選んだとしても、あれがないこれがないという不満はどこかから出てしまうものだ。ラノベ150選も例外ではない。
その中で今回特に目についたのが、「女性向け作品がない」という声だ。
これに対する企画者の返答は、女性向け作品については単独のガイドブック等が先行して存在しているから、というものだった。
合理的な判断だと思うのだが、これでも納得していない人は多い。少女向けをないがにしろにするのか?と憤慨し、容赦なくボッコボコである。
増田は、ライトノベルや少女小説(もしくは「女性向けライトノベル」)の歴史そのものについてはともかく、ライトノベルと少女小説との関係性についてはちょっとした知識がある。
今のままでは企画者氏があまりに不憫なので、これについて簡単に解説しておこうと思う。
ニフティサーブのSFファンタジー・フォーラム内で増えてきたある種の若者向け小説の話題を別会議室に独立させるにあたって、管理人の神北恵太氏が命名したものである……
もちろん名前はそうでも、ジャンルとしてのラノベ自体が90年に突然生まれたわけではない。起源をいつとするかは諸説あるものの、ラノベ的作品はそれ以前から存在していた(存在→命名の順であってその逆ではない)
そのようなラノベ的小説群は「ライトノベル」が定着する以前には、個人やコミュニティごとにさまざまな呼ばれ方をしていた。そのうちの一つに、ジャンルの代表的なレーベルから取った「ソノラマ・コバルト系」というものもあった。
言うまでもなく、コバルト文庫は少女小説の代名詞というべきレーベルである。つまり、命名の時点では「ライトノベル」は少女小説(の少なくとも一部)を当然に含むような形で規定されていたということだ。
(ここでの「少女小説」とは当時のコバルト文庫やティーンズハート文庫などのことであり、たとえば吉屋信子や創刊直後のコバルトシリーズなどは当然ながら想定していない)
以後、他メディア化の機会などの関係で男性向け作品の方が存在感はあったものの、ライトノベル(的なもの)は女性向けを含めたひと塊のカテゴリとして扱われていく。
2000年代に入り、語としての「ライトノベル」が一般に定着して以降も、この認識はそれほど変わっていなかったはずだ。
この状況に大きな変化をもたらす出来事が、2010年代前半に起こった。
まずは2013年、とある文学研究者がツイッターでこのような発言をしている。
少女小説・ラノベそれぞれのジャンルについての価値判断を含んでいるとまでは言わないが、これが少女小説の側に立った発言であることはまず間違いないだろう。
それまでの一般的なラノベ定義・史観を覆す、非常に大胆な主張である。
ただ、一部のラノベ読者が過敏に反応はしたものの、この時点ではアカデミシャンとはいえあくまでいち個人の主張に過ぎなかった。
それが正式な形で世に出たのは、2014年のことになる。著書としての刊行である。
この本で研究者氏は丹念に事実を積み重ねた論証により、まさに「少女小説が歴史的にライトノベルではない」ことを証明してしまったのだ。
詳細は省くが、
少女小説は戦前からの少女文化独自の伝統を直接的に受け継ぐ文学ジャンル、ライトノベルは戦後のマンガ文化等の影響から新たに生まれた新興の娯楽であり、その出自からして全く異なる別物である
ということだ。
この、市井のオタクではとうてい太刀打ちできない完璧な形の少女小説≠ラノベ論の出現により、少女小説⊂ラノベ派の多くは白旗を上げて沈黙することとなる。逆に、少女小説がラノベの枠内で扱われることに不満を感じていた少女小説業界関係者・読者は、我が意を得たりと快哉を叫んだ。
日本文学研究者による恐らく初めての本格的なラノベ論ということもあり、この本はもともとラノベや少女小説に興味のあった人間にとどまらず、幅広い層の人々に読まれていった。今やラノベ関連の研究ではほぼ必ず参照される一冊となっており、アマチュアでもラノベの定義や歴史を語るなら必読と言っていいだろう。
これによりパラダイムが決定的に転換し、少女小説をラノベに含めるような人間は、もはやそれだけで時代遅れな「分かってないやつ」の烙印を押されるまでになったのだ。
(フェミニズム的な意識の高まりにより、女性文化(少女小説)の功績を男性側(ラノベ)が都合よく収奪してきた、という構図に気まずさを強く覚えるようになったのも、この傾向を後押しした)
この空気の変化は以前/以後と呼んでいいほどに劇的なものであり、刊行から10年経った2024年の現在にいたっても、更新される気配は特にない。
お分かりだろうか。
つまり、少女小説は「ライトノベル」ではない、というのは、もともと少女小説サイドが言い出した主張なのだ。
現在では、ラノベの定義・歴史との関連で(特に男性の論者が)少女小説に触れる際には細心の注意が要求されるし、実質的にはほぼタブーに近い。
企画者氏がラノベ150選から女性向けを除外したのも、世間のその暗黙の風潮におとなしく従ったという側面がやはりあるのではないだろうか。
加えて企画者氏の場合は、かつて不用意にレジェンド少女小説作家を「ライトノベル作家」と呼んで、少女小説側から激しい批判に晒された当事者でもある。そのため今度は、なおさら慎重に配慮したつもりだったのだろう。本人としては。
結論として今回の件は、気遣いがすれ違ってしまった悲しい事例ということになる。
少女小説読者といっても一枚岩ではないし、自分はそんな配慮ぜんぜん嬉しくない。多数派がどれだけ否定していても自分は少女小説もラノベに含めるべきだと言い続けるぞ。という人もいるだろう。その気持ちもよく分かる。
分かるが、少女小説をラノベに含めても無視しても必ずどちらかからボコボコに叩かれることになる、板挟みの苦しい立場のことも少し考えてみてはもらえないだろうか。
オールタイムベストの企画者氏は現在、文化としてのラノベ保全のため「ライトノベル図書館」の設立計画を進めており、クールジャパン予算を獲得すべく自民党の国会議員に働きかけている。ラノベオールタイムベストはその陳情の材料にもなる予定らしい。
こうした活動の文化的な意義を踏まえた上で、できれば多少の意見の相違は呑み込み、振り上げた拳をどうかそっと下ろしてはくれまいか……
長え! 一番言いたいことを最初に置いとけよ。
追加しときました。
核心部分が何で匿名やねん
「ラノベのルーツの1つは少女小説である」と「少女小説はラノベである」は意味が全然違うと思うが(後者を主張してる人いる?)
“ラノベのオールタイムベスト”に、ある少女小説を推すとした場合、(少女小説全体やレーベル全体ではなく)少なくともその作品は「ラノベ」で(も)あることが自動的に前提となるのでは。
逆に言うと、ラノベではないがラノベのオールタイムベストに入れろ、は通らない。
排除ではなく、少女小説の側がラノベに括られることを拒否した運動があった、という話です。
クール・ジャパンから公金を引っ張るために少女レーベルや未分化期を無視するのは仕方ないキリッ されて、納得は出来ないですけど………
リストから少女向けを除外した理由(と思われるもの)と、批判のトーンをなるべく抑えてほしい理由は、別々に書いたつもりです。
wikipediaより「1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジー・フォーラム」において〜「ソノラマ・コバルト」などのレーベルからの出版物に「ライトノベル」と名付けたことが始まり」コバルト入ってるやん
はい。
その話を本文に書いています。
その、とある文学研究者って誰だよ。名前を出してくれないと分からないよ。2013年の事なら記憶にありそうなものだが思い当たる人がいない。
ツイートの件はともかく、著書の話を見ても心当たりがないなら、たぶんそもそも知らないんじゃないかな……
その「知らん研究者のお気持ち」が定説化して力を持ってしまっているという現実があるのです。
たとえとして適切か分かりませんが。
ナンパを不快に感じるA子さんと、女をナンパしない男は無礼だと信じるB子さんがいるとします。二人のナンパに対する意識は、事前に外からは判断できないものとします。
私「確かに~」
健康診断の予約にある、乳がんと子宮頸がんの検診にチェックを入れた。
健康はメチャクチャ気を使っている。今までもオールA。何も問題なし!運動もして睡眠時間もたっぷりで食生活ばっちり!
健康診断当日、何事もなく検診を終わらせていく。乳がん検診がくそいてぇ!!!!!!なのが問題だっただけで特に止められることもない。そして子宮がん検診へと進んでいく。
個室には女性の看護師さんが私の情報を見て「血圧計りますね~」と。私は血圧のあれに腕を突っ込む。終わった後にいくつか質問をされた。
私「「は?」
か、彼氏?か…………?普段聞かなさすぎる言葉だったが脳がフル回転して過去を検索し始める。
私「いないです」
顔色一つ変えずこの言葉が出た。
看「男性の友人で仲いい人は?」
私「いません。女子校だったんで」
ここで気が付く。も、もしや子宮頸がんって…
看「この検診ってね、子宮にぶっさすのよ。綿棒的なものを。それで子宮破裂の恐れってあるわけ。加えて経験のない子はめちゃいてぇ。それに子宮頸がんって基本的には対人もんなのよ。例外はあるけど、経験のない子の場合する必要はないんだよね。危ないだけ。今まで生理不順などもないし、健康的な体している。有事がないならしないほうがいいよ。リスクでかすぎ」
看「しなくていい」
私「じゃあしません」
そうか。経験ないとしなくていいのか、これ。無知だった。超音波検査はと思ったがこの健康診断ではなかった。
お辞儀して部屋を出て最後の採血へと向かう。あ、採血採りにくいらしいんです。と定型文を言ってぼーっと意識を飛ばす。意識飛ばさんと針を意識してしまって痛いからな。
ネットでやたら見る「子宮頸がんって20代もなるんだよ!検診を受けよう!」的なものを思い出す。そうか、普通は経験するのか。そうだよな。普通は高校・大学で彼氏の1人や2人、いるよな。んで、有事も当然あるよな。知ってるさ。(※経験してなくてもがんになる場合もなくはないので一概にはいえないが。生理に問題がなければしなくていいのが普通のようだ)
高校の時に子宮頸がんワクチンを受けた。予防できるならしようとワクチンは受けるタイプだった。今のところ恩恵がないということか。そうすっか…。
いつかSNSでみた「女子校・男子校に通うと一生の友だちはできるが、一生恋愛ができない」という投稿が笑いながらジワジワ効いてくる。
今回の採血する人めっちゃ下手で両腕真っ青になっちゃった。私の恋愛事情は真っ白だがな。
いたらいいですね!いるわけないだろ。今までも今も、男友達すらいたことない。
そもそも男と喋ったのいつだ…?会社の人や家族をノーカンしたら…店員?
検診が終わり、母と食事をした。
母「検診どうだった?痛かった?」
私は「必要ないって言われちゃった~彼氏いたことないからさ」と本音でなんともドアホな返事をした。
母「あ、そう!まじでいないんだ!この前のディズニーは本当に女と行ったの?」
私「ネットの女友人」
母「じゃあ年越しのお泊まりは?二人っきりって言ってた女子はまじで女子?」
私「そやつも女子校の友だち」
あとはなんとなく話して健康診断の話は終わった。
そして電車に揺られて考える。
母は当然子宮頸がんがどんな検査をするか知っている。つまり私に子宮頸がんの検診を持ち出したのも「この子もいい年だし、有事くらいはしてるでしょう」ということか?
すまん。母。私はな、27年クリーンで無事だ。
なんだか申し訳なくなった。と同時に「経験しなきゃ子宮頸がんならんのか」という考えも生まれた。むしろ「経験したら子宮頸がんのリスクがあんのか!」と怖くもなった。「ってことは子宮頸がん受けたやつってみんな経験済みか!?」と馬鹿な考えになった。「え、じゃあ母は27の段階でもう…」と思って考えるのをやめた。
ふと目の前を見ると、座っていたカップルが本格的にイチャイチャしていた。「こいつらやってんのかな」と思ってしまい、いろいろと恥ずかし、情けなさを感じた。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240612/k10014478401000.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240328/k10014404731000.html
特に高齢者がそうだけど、乗降口に気づいてからタイミングを合わせて移動し始めるって運動機能が衰えた高齢者には普通に難しくて、
立ち止まってる中で強制的に動くのを要求してくるので、もたついて転んで死亡事故に繋がってるんだわ。
降り口は足を踏み外すような場所じゃないので、巻き込み口に引っかかって転んで運悪く手すり側に転んだ人が死んでるでしょう。
エスカレーターの安全性が気になる人って死亡事故には目を向けないわけ?
仕組みとして防ぐなら、もたつくような人が乗れないようにするべきで、
例えば全員が歩く設備なら、移動し続ける階段と同じで、高齢者がタイミングを見誤る死亡事故は減らせるでしょう。
ついでに言えば、両側に2人乗るエレベーターは直ちに廃止すべきである。両側乗りとか言ってる場合じゃないだろ。知らん人が隣に立ってるだけで危ないわ。
そうすると手押し車を押すような人は歩く前提のエスカレーターなら乗れなくなるので、
こういった事故は1人乗りかつ歩行前提だとかフールプルーフを前提にメーカーが設計して防ぐべきであって、両側ルール()とか言ってる奴らがバカなのである。
回転物がある設備なんだぞなめてんのか?
エスカレーターが交通弱者が乗る設備のように勘違いしてる人が多数いるが、そういった人は死亡リスクがあるので使わせないほうが安全な程度には危険な設備なので
あくまで女権の拡大を目指す運動である以上、男性を責められず、下手をすれば母親という女性を責めることになりかねないから、子殺しでさえそういう感情を持たないように振る舞って、むしろ母親の側をヨシヨシして育児辛かったねとやっている。
そういえば医者には「最近、楽しめる活動がない」という相談をした
具体的には「体力、気力が減っていて、運動をしようとしてるが、その運動すらできない」という話
つまり狭い部屋ってことかな、
猫を飼うのに最低限必要な広さの部屋は、
少し古めの飼育書(2010年ぐらい)だと「猫1匹最低でも6~8畳の広さの一部屋」と書かれてる
ただ今2匹飼ってる実感からすると、やっぱりちょっと走れるスペースは必要かもね
じゃらしで少し飛んだり走ったりのスペースは必須だと思うわ
それに雑種16歳のおばあちゃん猫でもうんちハイの後は3LDKを一番長く走れるコース選んで爆走してたりする
それから上下に運動できるなら、むしろ部屋ごと猫用ジャングルにしたらいいと思う
キャットタワ―を複数置けて(猫は「高めの位置にある木のうろめいた場所」を安全と感じる好みがある)、
猫用トイレ・餌入れ・水入れ、全部2m以上離して置けるなら飼える広さと思ってくれていい
(食事の場所とトイレが近いと嫌がるのはもちろん、猫は食事をする近くで水を飲みたがらないので離して置くべしな猫ハックがある)
わが家の猫は扇風機、サーキュレーター、PC(デスクトップ)、いずれも気にしていない
ただしでかいPC置いてるなら室温が上がりすぎないようエアコンは必須
(猫の祖先は暑いところの生き物だが、今の日本の都市部みたいな高温多湿だと
逆に暑さ耐性や温かさを好む習性がアダになって熱中症になったりする、
今後も電気代が高騰していくと考えて、厳しいようならちょっと電気代稼ぐ手段が必要になるな
あと外を眺められて定位置にできる窓とか、
飼い主が出る時にはベランダに出られるとか、
何かしら刺激があったほうが間違いなく良い
窓はキャットタワ―とセットで設置するとお気に入りのスペースになるだろう
ふと思ったこと。
昔は「ソープランド」を「トルコ風呂」という名前だったんです。たしか昭和末期頃に「トルコにそれは失礼だろ」運動みたいなのが発生した結果、「「ソープランド」という名前に変わったわけですが、なんでフランス書院文庫はいまだにフランスを名乗っていられるのか。
[断食18日目](https://anond.hatelabo.jp/20240529095136)の続き
1.男、体重82.1kg、身長175.5cm、今年最高重量95.5kg、減量開始時の体重94.9kg
2. 30日で12.8kg減少(-13.5%)
3. 午前中は空腹感が沸かない。15時以降は空腹感が酷い
4. 断食開始時は盛大に体重が減少したが(1.2kg/day)、最近は0.2kg/dayになる
6. 1日に摂取するもの: マルチビタミン、ヘム鉄、マルチミネラル、アマニ油(あさイチオメガ)、ペプシゼロ、お茶、塩砂糖レモン汁、フルーツジュース
8. 4-5時に起きて22時前に寝る生活。TOEIC Part3, 4の音声を聞きながら散歩をあさイチに行う。
10. 米国俳優に役作りのために体重増減させるのがいる(e.g. [クリスチャン・ベール - Wikipedia](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB))。今回の経験で脂肪の蓄えがあれば30日間の断食では体調を壊す事は無いと解った。
11. YouTubeにも30日の断食体験を紹介する動画が見つかる。今後更に50日程度の体験を語る動画が出現するだろう。
とにかく無感動、無気力、体力低下がひどい
これが年から来るのか、疲れから来るのか、胃腸から来るのか、個性から来てるのかがわからない
たとえば学生のころも言うてこのくらい無気力なことあったと思う
無感動は年のせいかなあ
これは5chとか色んなところで言われてるのに近い、エンタメを楽しめなくなってきたみたいなやつ、感情が1/10みたい
5年くらいちゃんと運動してたのが、ここ半年途切れてサボってたから、それが来てるのか
うーん
熱量が薄れて文章が短くなり、対象へのリスペクトが失われて興味本位の乱文になり始めている。かつてのように事実関係をきちんと確かめず、表層的な調査や単なる和訳で終わっている。
短文では、読者の知的好奇心も満たせまい。
そろそろ潮時だろう。
投稿日 | 記事名 | ブクマ数 |
---|---|---|
2024/2/12 | オランダブルマー短信、それからコーフボール | 5 |
2024/3/11 | 北欧ブルマー考、それからへそ出しブルマー、ブラトップブルマー (1) | 1 |
2024/6/10 | ウクライナ、イスラエルなどのブルマー、オーストラリアのタブー | 0 |
2024/6/10 | ルーマニアのブルマー続報 | 0 |
2024/6/10 | ズボンを下ろしてパンツ見せて腰を振る動画と超ハイレグなエアロビ | 67 |
ネットの浅瀬ではこれくらいが限界だ。ネットにアップロードされていない郷土史的な情報は、書籍に当たらなければならない。当たり前だが情報はタダじゃないのだ。汗を流して足を運ばねば、肝心のところはわからない。
得られたのは、論文ではほんの一行で済むような事実を実証するのにも、膨大な労力が費やされている実感だ。以前はライターになるのはどれくらい大変かを実感したと書いたが、こういう実感は、泥臭い調査をする真っ当な情報発信者に対する敬意を持つことにつながる。
はっきり言って、ブルマーが学校で採用されていた地域・年代を正確に理解することは、一個人の能力を超えている。redditで質問スレを立てることも考えたが、調査対象の地域と年代が膨大になると気づき、諦めた。学校で採用されていた地域の大まかな分布は、イングランドから北欧・中欧・東欧・旧ソ連を含む共産圏、それから日本とごく一部の東アジア地域、及びイスラエル、というのが当面の結論だ。イスラエルをヨーロッパにも分類しているウィキペディアを見ると納得できそうだ。だが、例えばイングランドのすぐそばのアイルランドではブルマかどうだったかさえ分からない(追記:ブクマカによれば、イスラム圏では体育の授業がない地域もあるそうだ。そうなると、女性の体育の授業があった地域ではかなりの割合でブルマーが採用されていたことになる)。
ぜひとも、どこかの大学で研究してもらいたい。できれば、日本の研究と同じように、採用された経緯や背景にあった思想、つまり自立と恥じらいの葛藤・共犯みたいなも知りたい。
ブルマをはいて運動していた人がいつまでも生きているわけではない。SNSの画像も理由もわからずにBANされる。アーカイブはいつまでも保存されるわけではない。魚拓を取ってもいつまで残るか。
ところで、証言といえば不思議なのは、ブルマーについて好きだったとか嫌いだったかとか腹が立ったとかと情報発信しているのが、ほぼ英語圏と日本語圏に限られていることだ。服装フェティシズムがこの言語圏で強いのか、個人が情報発信するモチベーションの違いなのか、自分の検索能力なのか、理由はわからない。
例えばチェコのフェイスブックでも、ブルマーがどうだったかとかあまり書かれていない。懐かしいとか今の子はもっと運動させるべきとかそんな言葉が多い。
もちろん、書きたいこともないではない。例えば天皇陛下のお好きな映画は大林宣彦「転校生」だが、ってことは小林聡美のトップレスをご覧になったのかなとか、そんな小ネタがある。
しかし、どう書いてみても面白おかしい小話になってしまい、リスペクトが失われているのがよくわかる。表現の自由とつなげたところで、面白く書く自信が無い。だから、終わりにする。
以上。
よくもここまで続いたもんだ。
いつか誰かがこの研究を引き継いでくれることを祈って擱筆する。
はてな匿名ダイアリーとはてなブックマーク、それから他のSNSで拡散してくれた皆様、そして読んでくれたあなた。
お世話になりました。
【終】
【メモ】
https://x.com/ShinyaMatsuura/status/1792754892182061227
(スレッド)
これ以上は服飾史の沼に潜らねばわからないだろうなあ。
https://gatchinasport.ru/sport-segodnya/vidy-sporta/sportivnaya-gimnastika/
Слева направо 2 - Тамара Бояринцева, 7 - Юлия Пархоменко
すなわち
左から右へ 2 - タマラ・ボヤリンツェワ、7 - ユリア・パークホーメンコ
https://osskse.splet.arnes.si/2019/04/23/gimnastika-v-osnovni-soli-program-gimko-2019/
今の自分に無理なくできそうなところから始めて、少しずつ負荷を上げていこう
以前できなかったことができるようになると達成感が得られて人生充実するぞ
結婚なんかしょせん相手に左右されまくるし、幸せを他者に委ねてもろくなことない
自分の肉体を鍛えて生き抜こう
1.子供の頃、家の中で遊ぶことが多く、外で遊ぶ(運動を)ことをしていなかった。
単純にただ走ったり、自転車に長時間乗る、などの行為で改善される場合が多い。
子供時代から極端に運動が不足=運動に関わる神経や脳細胞が発達していない人
などは大人になってからの運動でいわゆる運動神経を成長させることが出来る。
人間の運動に関わる能力と空間把握能は深く関わっていて、一般に運動神経を発達させるほど空間に関する認識も向上する。
これはもちろん元々のプリセット能力によって変化するものなので子供の頃から外遊びをしないような人でも空間把握に優れた人がいる。
また、その逆も真である。
しかしながら、上述の三項目を満たすような人ならば、運動神経の発達により改善する場合もあるのでワンチャンある。
ただ、極端に運動不足な人が運動神経を発達させるにはかなりの運動時間を取らなければならないと推定される。
週末に1時間程度、走るくらいでは全く足りないはずだ。
こんにちは、はてな匿名ダイアリーの読者の皆さん。僕は、社会の中で「弱者男性」として生きることについて考えている32歳の独身男性です。今日は、僕が自分の人生と向き合うために実践している方法をシェアしたいと思います。それが誰かの役に立てば嬉しいです。
まず最初に、自分のことを少し紹介します。学生時代からいじめにあい、自尊心を保つのが難しい日々を過ごしてきました。社会人になってからも、職場での人間関係もうまく築けず、孤独感にさいなまれる日が続いています。恋愛経験もほとんどなく、気づけば30代に突入していました。
そんな僕ですが、ここ数年で少しずつ人生を前向きに捉えることができるようになってきました。そのために実践している方法を以下に挙げます。
まずは小さな目標を設定し、それを達成することで自己肯定感を高めることが大切です。例えば、毎朝5分間の瞑想を続けるとか、週に1回はジムに通うとか。自分がやり遂げたことを確認し、「自分にもできるんだ」という感覚を持つことが重要です。
他人の成功体験やポジティブな言葉を聞くことで、自分の考え方や視点が広がります。本やポッドキャストはその良い手段です。僕は自己啓発書を読み、ポッドキャストを聴くことで日常のストレスを軽減し、前向きな気持ちを保っています。
心身の健康はやはり基本です。健康的な食事、適度な運動、十分な睡眠を心がけることで、気持ちが安定します。特に運動はストレス解消に効果的で、自信を持つための第一歩にもなります。
興味を持てる分野を見つけ、それに時間とエネルギーを注ぐことで、生活の質が向上します。僕は写真撮影にハマりはじめてから、日常の中に楽しみを見いだせるようになりました。
時には専門家の助けを借りることも重要です。カウンセリングやコーチングを受けることで、自分の問題点を客観的に見つめ、新しい視点を得ることができます。
一人で悩むのは辛いです。同じような境遇の人たちとつながることで、自分だけが特別に困難な状況にあるわけではないと感じることができます。僕もSNSやオンラインフォーラムで「弱者男性」としての日々を分かち合い、共感を得ることで救われています。
最後に、僕自身まだまだ道の途中です。でも、こうした取り組みを通じて、少しずつでも前に進んでいる気がしています。同じような悩みを持つ皆さんにも、少しでも勇気と希望を感じてもらえたら嬉しいです。これからもお互い頑張りましょう。
読んでくださってありがとうございました。