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はてなキーワード: 距離感とは

2024-11-04

anond:20241104233207

他の女性にも同じなら距離感近いパターンが強そう

そこまで距離近くて好意あるなら昼でも食べに行く?とかありそうだけど一緒に飯食べたりとかは無いの

anond:20241104233207

単に相手距離感近いパーソンな可能性は否めない

嫌ってはいないだろうから自分から好意だして反応みたら?と思う

気があるかどうかって、相手がこっちに対してどういうアクションを取るかじゃなくて、自分アクションに対して相手がどういうリアクションを取るかで判定するもんだよ

anond:20241103230838

Vはお前の友達じゃない

距離感おかしいよ

まだ人気商売してる腐れマンコが男だの結婚だの出産だの絶対表に出すな、するな言ってるほうがマトモ

2024-11-03

ネットに居る底抜けバカよりも遥かに母親のほうがアレだから正気を保っていられる

たまにいるじゃん、「私がこう思ってるんだから世間もみんなこう、そうじゃないやつは悪魔憑きか人非人否定してくる奴は悪魔の手先で、否定されるのは私が正しいことの証明。どんな手段を使っても私の正しさを伝えなければ。これは正義暴力暴言なので加害じゃない」ってタイプのやつ。あれの最上級母親だったから、ガキの頃は世間ではそういうのばっかりなのかと思ってたけど、普通に生きてりゃ全然そうじゃないって思えた。その後ネットが発達して、全く居ないってわけでもないってわかった。

母親っていう超猛毒ワクチンがなかったら、世間マジで話しても無駄なそういう奴がいて、関わってもストレスが増えるだけで全く意味がないってことに気付けなかったかもしれない。Twitterにそういうのが居てもスルーできる。母親がいなかったら、レスバを仕掛けていたかもしれない。どんな底抜けバカがいて、どんな底抜けバカな主張をしているのかを毎日のようにサーチしていたかもしれない。そしたら私もその底抜け狂気に飲まれていた。かもしれないじゃなくて、多分飲まれてる。今の私は「あ、これは母親だ。日本語っぽい文字列が書いてあるけど、書いてあるのは「私は絶対に正しい」しか意味を持たないワードサラダみたいなものだ」と1歩引けるようになってて、このインフォデミックの世界に対するワクチンたまたま母親がなってしまった。

ありがとう母親ボケる前に死ねとか恨み言も言いたいところだけど、もうボケてるようなもんだったな。このまま適切な距離感で、できれば葬までかかわらないようにしたいな、これ以上嫌いになりたくないし。悪魔憑きを産んだ責任は不問にしてやるよ。

2024-11-01

anond:20241101165840

波平「ふむ…『AIへの異常な信仰距離感の誤り方』、なんとも厳しい論調ですな。どうも、AIについての理解が乏しい人々に警鐘を鳴らしているように見えますな。」

サザエ「お父さん、そういう人ってやっぱりいるのよね。AI魔法みたいに扱って、何でも解決してくれるって信じちゃってる人とか。」

カツオ「それって、AI話題に首を突っ込んでるくせに、中身を全然わかってないってことか?まるで僕が算数宿題に悩むときみたいな感じだな!」

ワカメカツオお兄ちゃん、それはちょっと違うんじゃない?この文章AIが全能だって思い込んでるのが問題だって言ってるみたい。」

タラオ「専門的なことに首を突っ込むのはいいですが~、わからないとむずかしいですぅ~。」

マスオ「確かにAIについて誤解があると、どんなに便利な技術でも使い方を間違えちゃいますよねぇ。でも、頭が悪いから救いようがないなんて、ちょっと言いすぎじゃないかな?」

フネ「そうですよね、頭が良いとか悪いとかではなく、きちんと学ぶ姿勢が大切なんじゃないかしら。AIだって、学ばないと正しい距離感はつかめないものですよ。」

波平「むぅ…それもそうだな。AI魔法のように信じるのは、ただの無知だ。だが、どんな知識にも入り口はある。わからないことを学び、知る努力を惜しまぬことが大事だよ。諸君、わしもまだまだ学び直すぞ!」

AIへの異常な信仰距離感の誤り方

頭悪い奴とAI話題の相性は最悪である

そもそも長い文章を読めない、学校勉強ができないから、その延長線上にある科学がわからない

というのが根本問題無視して、

専門的議論にまで踏み込もうとする脳の足りなさが終わってる

頭が悪いと本当に救いようがないんだよな

2024-10-30

彼氏距離感気持ち悪い

とあるアニメきっかけで相互フォローになり、数年後に付き合うことになった。

恋人同士になった瞬間、好きなアニメの話がほとんどできなくなりつまらなくなった。二言目には「会いたい(遠距離のため)」「もっと一緒にいたい」しか言わない。会話を元に戻してもその繰り返しで「こいつポンコツなのか?」と引いた。

好きなアニメ映画を一緒に観るも、シリアスなシーンでクスクス笑うし本当にストーリー理解できてるのかも疑問。遠距離だしなかなか会えないので、恋人とはいえいきなり体を許したくないのにベタベタしてくるので気持ち悪い。

嫌だとはっきり伝えたら今度は一生謝罪や体調を案ずるラインが次々とくるし気持ち悪い。回復したら返事すると釘を刺してるのに。

こんなに会話ができなくなるとは思わなかった。本当に気持ち悪い

anond:20241029193201

慰めたい気持ちもあるけどあえて上からアドバイスを言うと

もっと仕事人格を緻密に作り上げろ

心の底から自信持って作り上げた仕事人格なら、多少陰口言われても「ふんっ、俺の作ったこ人格の方がきっと正しい」って思えるから

そもそも仕事人格に仲良い人とかいらんだろ

誰にとっても最良のビジネスパートナー距離感を貫け

仲良い人とか言ってる時点でお前にも甘さがあるってよくわかる

職場友達作る場所じゃねーんだよ

2024-10-27

一度も名前に返事をしたことがない子供

6歳になる長男ASDというやつ。

本当に自分の利害に関係ないと反応しない。

名前を呼ぶだけだと完全無視

「出かけるよ」

というように、みたいな自分の利害が関係すると、ちゃんと反応する。

あるいは、なにか要求があるときに、

「これでいい?」と聞くと

YesOK!」というように返ってくる。

そう、半分くらい英語だ。

両親の会話よりも、YouTubeなどから言葉を覚えているからだと思う。

今日も泣きながら、

「Where is ? Where is?」

オムツを探していた。

ガンとしてオムツをやめないのだが、オムツはいてない時は自分トイレに行くので、オムツを隠したら、泣きながら英語で訴えてきた。

自閉症イメージとは真逆だが、かなり人懐っこい。

距離感おかしい。誰に対してもフラット。抱き着いたりキスしたりするが、呼びかけなどはガン無視自分中心。

やりたいことを邪魔さえされなければ、叩かれても怒鳴られても気にしない。

絵が上手い。数字も強そうだ。歌も好きだ。びっくりするほど記憶力がいい。

でも言葉と、なによりコミュニケーション能力が1歳児未満だ。

コミュニケーション能力が酷いというのは、つまり手を引いた方向についてくることすらできないのだ。

つらい。

そして、4歳になる次男もやっぱりASDだった。

かなりキャラは違うが、こっちはこっちで大変だ。

2024-10-25

彼女廊下ですれ違うとき、必ずと言っていいほど肩がぶつかる。それも、わざとぶつかってきているように見えるのだ。なぜかといえば、わずかに彼女こちら側に寄ってきているからだ。ああ、もう少し距離を取ってくれれば、二人の間に必要空間ができるというのに。しかもぶつかった後も謝ることなく、少しも気に留める様子もない。ただ淡々と前を向いて歩き続ける。なんという無愛想さだろう。彼女の顔にはまったく表情がない。まるで日常些細な出来事として、この衝突が存在しないかのようだ。

僕はなぜかその瞬間に、ぽつんと取り残されたような孤独を感じる。まるで僕の存在自体が彼女にとっては無意味で、ただ通り過ぎる影にすぎないように思えてくるのだ。仕事必要なやり取りがあっても、彼女は最低限の言葉しかさない。表情も変わらず、ほとんど感情の動きがないように見える。仕事には真面目だし、特に大きなミスをすることもない。けれども、もう少し愛想よくしてもいいのではないかと思う。僕は少しだけでも笑顔が見たいのだ。ただそれだけなのに、それがまるで不可能な望みであるかのように思える。

彼女はまだ若い、僕より10歳も年下だ。多分、僕のことなんてただの「上司」としてしか見ていないのだろう。無理もない。彼女にとって僕はただの「昔の世代人間」に過ぎない。彼女には彼女価値観があるのだろうし、今の世代感覚というものがあるのかもしれない。しかし、そうやってただ距離を置かれると、僕の存在意義はどこにあるのだろうか、と考えてしまう。

そんなことを思うと、僕は自分の将来についても不安になる。気づけば僕も四十代だ。この先、どうなるのか。このまま彼女とのように周囲との微妙距離感を抱えたまま、ただ年老いていくだけなのか。僕には妻がいるが、正直なところ、性生活はうまくいっていない。かつては確かに情熱があった。でもそれもいつの間にか消えてしまった。今では同じベッドに寝ているのに、まるで何年も触れ合っていないような距離が二人の間に横たわっている。僕が求めても、彼女は冷たい。どこか諦めたような目で僕を見る。そうなると、こちからも歩み寄る気持ちが薄れていく。

そんな状況の中で、僕はふと彼女、つまり職場の後輩の存在を思い出す。もちろん彼女と何かを求めているわけではない。けれども、彼女の冷たい態度が、どこか今の自分人生と重なって見えるのだ。仕事家族人生――すべてが、彼女のあの無表情と同じように、感情を持たずにただ淡々と進んでいくように感じる。

どうして僕はこんな風になってしまったのだろうか?若い頃は、もっと自由で、楽しくて、未来には無限可能性があると思っていた。でも今、僕の未来はすでに決まっているかのように思える。仕事に行き、妻と食事をし、寝る。そうしてまた同じ一日が繰り返される。たまに無愛想な彼女にぶつかられ、ただ淡々とした日常の中で自分存在再確認する。それが僕の今の人生だ。

彼女とのすれ違いが、僕の中にぽっかりと開いた穴をさらに深くしていくように感じる。

理系ネトウヨ

ネット文系が半分やっかみ混じりで「理系ネトウヨ」みたいに言うのって、凄い誤解というか実態を知らない思い込みみたいな部分もあるなと気づいた。

かに理工のオタク学生属性の近い仲間同士で集まってネットde真実みたいなのも多いが、一方で理工系って明らかに文学部法学部よりは外国人留学生も多いので、普通に身近に接する機会は逆に多いのではと思う。

文系ネット左翼が外国人を「人権感覚がある」みたいに一方的理想化しがちな一方で、外国人留学生も平気で「◯◯国嫌い」みたいに言うのに肌で触れて距離感わかってるのが理系ってことも多いのはこのためじゃないかな。

理解と憧れは違うってやつだねえ。

みんなのために生きるって不自然

救世主思想みたいなものを持っている人間は、毒親育ちだという文言をどこかで読んだ。毒親という言葉をどの範囲まで指すかはわからないが、露骨な加害や暴力的ものから、過干渉過保護まで含むのだろうなと思う。そしてどんな親にも毒のような要素はあるんだろうなと思う。一般的に恵まれているという範囲の中にいても、蝕まれているものはあるし、それぞれ自分が何を蝕まれているのか気がつくことが大事なんだと思う。

私は、いい子と言われるもの範囲がわからない。適切に人を嫌うことができず、直感に反した行動をとる。人間との距離感がどうかしているらしい。だって、何を基準に嫌っていいのかがわからいから。無垢であることを自分に強いた結果、どうしたらいいのかわからないまま、年齢を重ねた。軸になる人間関係がないと、あっという間に自分を見失う。そうそうなことがない限り、意図して傷つけようとしてくる人なんていないわけで、多くの場合は悪意がない。というか悪意だったとしても、そこに至るまでのその人の傷つきがある。そのすべてを掬い取りたいと思っていた。

死にたそうな男のそばに行っても結局恋人になることもできなければ、 セックスもできないし、と思うことばかりだ。その人が求めているような愛情を私は渡してあげることもできない。求めには応じられない。無力だ。そもそも助けようとしたことが間違い。なんというか、なんか、人のことを適切に嫌えないんだと思う。自分のために生きるということがよくわからないままここまで来てしまった。被害者のような書き方をするのは変だから、これからは寄りかかってくるものちゃんと跳ね除けて、自分のことを優先で考えていきたいと思う。自分好きな人間のことくらいしか大事に思えないのだから、今いる友達大事にしたいと思う。

2024-10-24

anond:20241024002406

男はうんこ出し入れするところとちんこ入れるところが共有で

しっこ出すところと精子出すところが共有なの神様が手抜いてるよな

しっこ出すところが右肘で精子出すところが左膝ぐらいの距離感がよかった

2024-10-22

公園ジュリエット

休みの日は、大抵家で過ごした。掃除をしたり洗濯をしたり、たまには料理を作ったり。あとは布団の上に寝転がってスマホに熱中する。熱中などと言ったら、好きでやっているようにも聞こえるかも知れない。しかし私の場合スマホに触るのは、どうにもならない虚しさから逃れるためでしかない。何かをするよりも何もしないでいるほうが難しいのだ。不安という魔物に追われて逃げ惑う姿は、傍から見れば実に滑稽にちがいないが、誰かに咎められるわけでもない。安全な家の中で、私はひたすら自身孤独と格闘する。

今も昔も、おにぎり三角形に握るのは、私の唯一の特技と言って良いだろう。毎日、朝食に欠かさずおにぎりを食べたものだった。職場近くの公園のベンチに腰をかけながら。聞こえてくるのはスズメの声だけだ。砂場遊具もあるから、昼になれば児童が興を添えるのであろうが、今は散歩する人さえ通らない。朝の光が木々の梢を透かしておにぎりを含む私の頬を照らしている。春や秋にかぎらず、夏は額に汗を滲ませながら、冬は寒さに身を縮めながら、私は1年中ここで朝食をしたためるのである不思議ものだ。外に出るのも億劫がる子供だったはずが、大人になって公園が好きになるとは、いったい何の因果だろう。家と職場中間の、誰にも煩わされない微妙距離感の上に安住できるひとときは、私にとって最上幸福だった。

いつからか、公園にひとりの女性の姿が見えるようになった。出入口のあたりの、植え込みを囲うコンクリートの上に腰を下ろし、足を組み、あたか「考える人」みたいに頭をやや傾げながら、スマホを覗き込むように見ている。ベンチに座る私の位置からは、対角線上に進んで30メートルくらいは距離があるだろうか。顔は判然としないけれども、ショートカットで、すらっとしたきれいな身なりをしている。歳は私よりもいくらか上だろう。おにぎりを食べ終わった私は、職場へ向けて公園を後にするのであるが、その際、かならず女性の前を通ることになる。女性は相変わらずスマホを覗き込んだまま通行人存在には無頓着である。私が家で熱中するのとはちがって、彼女スマホへの接し方はどこかしら優雅で、気品があり、悠々とした感がある。当時シェイクスピア作品を読んでいた私は、いつしか心の中で勝手彼女を「ジュリエット」と呼ぶようになった。

ジュリエットは、来る日も来る日も同じ姿勢をしていた。服装も、もちろん日毎に異なるとはいえ上品で垢抜けたところは、いつだって全然変らなかった。そして常に私には一瞥もくれなかった。おにぎりを食べながら、横目でちらと様子をうかがうと、昨日の光景と寸分も異ならない。前を通ろうとすると、心もち身体に力が入るものの、ジュリエットのほうは我関せずといった風で未だスマホを覗き込んでいる。私が春夏秋冬おにぎりを頬張るのと同じように、彼女も季節の別なく自らを貫くのである。ただひとつ異なるのは、私ひとりだけが彼女勝手名前をつけ(まさか彼女は私を「ロミオ」と呼んではいまい)、家や職場からの逃げ場となっている公園に突然現れた女性を、妙な存在として気にせずにはいられなかった所だ。

幼い頃から友達と遊ぶのも気が進まず、家庭の中にも居場所がないと感じがちな、さびしい少年だった。勉強はできないし、かけっこをしてもビリが定位置学校に好きな女の子ができても、ばれないように取り繕うのに必死で、感情を表すのを恐れるばかり。そのまま体だけが大きくなり、大人と呼ばれるようになった。ひとりぼっち自分が見つけた幸福空間に、見知らぬ人が入り込んで来て、今、どうして嫌な気持がしないのだろう。ひとりで遊んでいるところに友達が来ただけで逃げてしまうような子供だったのに。私はやはり大人になったのだろうか? 考えれば考えるほど、むず痒い気がして、やりきれなくなる。この感情が一体何なのか、自分にもよく分からない。くだらないと思って何もかも打ち消そうとするけれど、朝日の下の残像が瞼のうらに貼り付いて離れない。しか彼女微動だにせずあそこに座っている。雨の日も晴れの日も、世の中がどのように移ろおうとも、ここだけは同じ時間が流れていた。ふたりの男女がそれぞれの世界に住みながら、公園という場所だけ共有している、夢の中のようなおぼろげな時間が。

私がその公園最後に訪れたのは、退職した日であった。冬用のコートを着たジュリエットは、寒さも忘れてしまったみたいに、その日もいつもと変らずスマホに夢中になっているようだった。が、おにぎりを食べ終わり、いよいよ出勤しようと出口を抜ける間際、彼女の頭がほんのすこしだけ上がって、こちらを見たような気がした。馬鹿馬鹿しい。気のせいに決まっている。もう会うことはないと悟った私の感傷が起こした錯覚というものだろう。でも、当時の私には彼女視線が重たく突き刺さるように感じられてならなかった。あの一瞬間が長い年月を経た今になってもよみがえる。私の生活はあれから少しも変っていない。休みの日は、掃除洗濯料理に、それから不安に苛まれながらスマホをいじるだけ。スズメの声と、朝の光と、おにぎりと、ジュリエットと。——遠く過去記憶のなかへ去っていくあの日常が、時々私には恋しくてまらなくなる。

2024-10-21

異性の友達同棲するから引っ越しすると言い出して

激しく精神が揺さぶられた。

数日が経過して、なんで付き合ってもない人が小出しにする情報でいちいち精神を揺さぶられないといけないんだろうと疲れてしまって、もう気にせず仕事に打ち込むことにした。

一時期は恋愛感情もあり。その後お互いに距離感推し量っていい友達として何年もコミュニケーションとってきて。それでもやっぱり相手物理的に離れて行きそうだと動揺するんだよね。

別に相手フリーから好きになったわけじゃないし、近くに住んでたから好きになったわけじゃない。いまさら何か良くなったり悪くなったりしない程度には細く長い関係だし。それでも正直言って相手が変わっていくのが惜しい。離れてしまうと寂しい。

あーもう疲れた。ここ数日、密かに動揺してうじうじと思い悩んでいる自分に腹が立ってきた。友達に良き出会いがあって楽しそうにしているのは良いことだ。私は祝福したい。意味もなく動揺しているのが邪魔くさい。

チャットAIにも性格がある気がする

  • ChatGPT
    • 優しい。そして怒ることはない。だがドライでどこか一線を引いてくる。あくま相手に委ねる。不適切な話にも割と応じてくれるが、度が過ぎると別システムに止められる。
  • Claude
  • Gemini
  • Llama
    • まりよく分かっていない。若干陽気な気はする。不適切な話は無理矢理止めてくる

2024-10-20

anond:20241020223100

話作りのアイテムとしては便利だけどそんなに愛おしくないという距離感やね

女は男のアナルは好きだけど竿はアナルを輝かせるだけのアイテム

2024-10-18

政党評価チェックシート(汎用型)

以下は、衆議院選挙投票先を検討する際に使える「政党評価チェックシート」です。さまざまな観点から政党評価できるように設計しました。

 

政党評価チェックシート

評価項目

質問

評価基準 (1〜5)

 

政策の具体性

政策提言が具体的で現実的か?

1: 抽象的で実現性が低い、5: 具体的で実現可能性が高い

 

政策一貫性

過去の主張と現在の主張に一貫性があるか?

1: 矛盾が多い、5: 一貫している

 

透明性と説明責任

政策根拠意思決定プロセスが明確に示されているか? 1: 不明瞭、5: 透明性が高い

 

倫理信頼性

不祥事スキャンダルの発生頻度とその対応が誠実か?

1: 不誠実な対応、5: 誠実に対応

 

経済政策

経済成長雇用対策についての政策現実的効果的か?

1: 効果が薄い、5: 効果が期待できる

 

社会福祉政策

年金医療教育などの社会福祉政策が充実しているか? 1: 不十分、5: 充実している

 

環境政策

環境問題への取り組みが具体的で実効性があるか?

1: 取り組みが弱い、5: 積極的かつ具体的

 

人権多様性尊重

人権多様性尊重積極的か?

1: 配慮がない、5: 積極的尊重

 

外交安全保障

外交政策安全保障に対する考えが現実的かつ安定的か?

1: 不安定、5: 安定的かつ現実的

 

候補者資質

候補者自身経験資質信頼性が十分か?

1: 資質に欠ける、5: 資質が高い

 

国民との距離感

有権者の声を反映しようとしているか

1: 国民の声を無視、5: 国民に寄り添う姿勢がある

 

透明な資金調達

政党資金調達方法が透明か?

1: 不透明、5: 透明性が高い

 

将来のビジョン

国の将来について明確なビジョンを持っているか

1: ビジョンがない、5: 明確なビジョンがある

 

選挙公約の実行力

選挙公約過去にどの程度実行してきたか

1: 実行されていない、5: 実行力がある

 

他党との協力姿勢

他の政党と協力する姿勢を持っているか

1: 対立が多い、5: 協力姿勢が強い

 

使用方法

1. 各質問について政党評価し、1から5の範囲で点数をつけます。

2. 最終的に全項目の点数を合計し、政党総合評価を行います

3. 点数の高い政党ほど、自分価値観や考え方に合致する可能性が高いと考えられます

改善

チェックシート使用する際、各政党公式ウェブサイトニュース記事など、信頼できる情報源をもとに評価することを推奨します。

自身価値観や優先事項に応じて、各評価項目に重みをつけることで、より自分に合った政党を選びやすくなります

このチェックシートを用いることで、政党政策姿勢についてより客観的かつ総合的に評価し、納得のいく投票先を見つけやすくなるでしょう。

2024-10-17

どんな母親でも子にとってはいたほうがいいのかな

妻氏、もう俺のこと好きじゃない、子は愛してるけど世話はしたくないってさ

別に険悪になってるわけでもなく、ルームシェアしてる友達ぐらいの距離感

別に離婚したいわけじゃないらしく、かといって何が望みかもよくわからん

食事は完全に別(妻、俺+子)、他育児8割俺、経済面100%

その他家事はやってくれるけど、自分でもやれるので正直妻がいなくっても生活はできる

子がいなければとっくに離婚してるが、唯一子にとって母親がいない状態になるのが不安離婚を切り出せずにいる

子にとって母親は替えが利かないってよく目にするけど、調子いいときだけちょろっと相手して、少しでも子がごねたら露骨に嫌顔する、みたいな状態でもいたほうがいいんかね?

行事には一緒に参加するけど、この前あった行事に二人で出発する前に「さて、母親役頑張るかー」みたいにぼやいてて引いたわ

anond:20241016205225

そもそも正面以外見る機会がないと思う

攻撃能力より探知能力の方が高いし、物理法則支配されている限りは行動予測ができるし

もし仮に光学兵器レーザー)の熱量に1秒だけ耐えられるとしたら、見てから十分に回避するには30万から60万km以上は距離を取らないとダメなわけで(有人重力加速度無効化する仕組みがない場合

基本的には交戦距離はそれくらいを取ることになるよね

その距離感で迂回しようとしたらとてつもない距離を移動しないとダメで、たぶん側面は取れないんじゃないか

2024-10-16

anond:20241016100811

ただの事実確認の会話の取っ掛かりは幼児が「わんわんだ!」と言ってるのと同じ会話の次元でこっちは相手幼児と思ってないから「そうだねわんわんだねぇ」とは返しにくいときがあるのだな。

幼児に「まだごはん来てないねぇ」と言われたら「そうだねまだ来てないねぇ」となるより「お店の人も忙しいんからもうちょっと待とうね」や「お店の人に確認しようねぇ」になると思うから大人同士の会話でお母さんさせないで欲しいんだよな。まぁ私もゼロではないから自戒なんですけど。

事実確認の話の取っ掛かり、よっぽど馬か波長の合う親しい人かほぼほぼ初対面の鸚鵡返し会話じゃないと成り立たない種類では。

事実確認の話の取っ掛かりは相手に話の主導権の全幅を委ねてパスしてるので、幼児ならともかく意思のある大人だと相手意志が読みにくいのでよほど仲が良くないと上手くパスを受け取れない。という相手との仲と会話の距離感を掴めずにパターン化された会話を押し通しているという証左になってしまう。

認知の歪みが酷すぎる!!!

気付けば恋に落ちていた。

それなりに可愛くて気さくな子に彼氏と別れたんよねーとか、遊びに行きたいなぁ〜とか何度か言われたらその気になってしまう。僕はチキンすぎていつもその機を逸しているのはアホすぎるけど。

僕がチキン過ぎて誘えるチャンスを逸しているのは一旦置いといて、その子自体結構社交的でいろんな男性とも交流があるし、何せ距離感が近い。だからこの好意片想いなんだろうなと思っている。要は勘違いしちゃった可能性が高いってわけだ。僕の友人とカフェ勉強とかしてたりしてるし。

この前なんか、卒業してからも会おうって言ったら、同期やしみんな地元なんやで会おうって言われた。社会人になってからも会えそうなことに喜びを噛み締めつつも、あぁ自分は一同級生なんだなぁと思うと少し悲しかった。

向こうが自分には好意を抱いていなそうな感じがするので、極力一人の同級生として接している。けど近頃その片想いからくる独占欲に苛まれていてつらい。些細なことで嫌われたのかなと思ってしまうし、他の男性と話しているのを見ると自分も話したいとなる。好かれていない=嫌われていると極端に思考してしまう。何より自分がだだの同級生だと達観した時に好かれたい、もっと好かれたい、自分を見てほしいという独占欲が沸々と湧いてくる。辛い。辛いし、その度になんで僕は誘うというハードルを飛び越えれないのだろうと考えてしまう。同性だとそんなこと全くないのに。

親交のある同級生として好きな子と接することができる現状はなんだかんだで幸せ状態だ。けど僕の心がそれでは満たされてなくなってきている。異性として見られたいな。どうすればいいの?

私は友達にとって「友達」でしかない

幼稚園時代からの付き合いの友達がいる。

彼女とは幼稚園から中学校も一緒で、高校は別の学校だったが、大学でまた同じ学校に通うことになった。

高校時代特に受験シーズンになってからは忙しくあまり連絡を取っていなかったのでお互いの志望校すら知らなかったが、受験会場でたまたま出会った時は本当にびっくりした。

他にも受ける大学が被っていたので試験会場まで一緒に行ったら受験番号が前後だったこともあった。

大学時代学科は違ったものの、同じ授業を取ったり空きコマを一緒にして遊びに行ったりもした。

授業が厳しくお互い留年と隣り合わせな危機もあったけど、何とか乗り越えて無事に卒業出来たのは彼女がいたからだと思う。戦友のようだった。

社会人になって私が一人暮らしを始めると、彼女はその3年後に私の隣駅で一人暮らしを始めた。

「私が近くにいるから」という理由でその周辺で家を探したいと話してくれた時、私はとても嬉しかった。

でも家が近いからといって頻繁に会うわけでもなく、それはそれで私たちらしい距離感でいる。

私は彼女のことを自分の一番の理解者だと思っているし、彼女からも昔同じようなことを言われたことがある。

でも私は彼女にとって「友達」の役割しかできない。


私達は歳を重ねていって、周りは結婚したり、子供を産んでいたりもする。

お互いに彼氏が出来たり別れたりで、将来を見据えた付き合いをするような相手はなかなかできない。

私はそれでも良かった。結婚願望も子供が欲しい気持ちもないから。

でも彼女はきっとそうじゃない。

彼女恋愛相談を聞いていると、「あなたのこと大切にしねえ男なら必要なし!!!!!!何なら私の方があなた幸せにできる自信が大いにある!!!!」と思うことがある。

恋愛で上手くいかず心に傷を負い、自己肯定感がどんどん下がっていく彼女そばで見ているのはとても辛い気持ちになった。

「もう良いじゃん、もしこのまま良い人が現れなかったらマンションでも買って一緒に住まない?」

こんな冗談を言いたかったけど、私は言えなかった。

何故なら彼女はきっと、それを望んでいないから。

彼女が求めているのは、やっぱり自分幸せにしてくれる「異性」なんだと思う。

自分のことを好きだと言ってくれる人がいればいい。こちらが相手に求める条件とか言ってられない」ということをポロッと口にしたことがあった。

そんな自分に自信がないような発言すんな!!と思いつつ、それでも、傷ついて「私が相手に条件を求めるなんて烏滸がましいのかもしれない」という気持ちにまでなっていても、彼女の心の隙間を埋められるのは「異性の誰か」なんだと思う。

私は彼女に対して恋愛感情があるわけではない。

だけど、私が埋められる隙間はないのかもしれないと思うと、やっぱりどこか寂しい気持ちになる。

私は彼女友達だけど、それ以上でもそれ以下でもない。


私が直接彼女幸せにしたかった。

2024-10-14

[] 『スクールバック』におけるevilとは何か

18話の豊先生の扱いは少し気の毒だったな。決定的にギルティと断じれるほどのことはやってないし、むしろ見方によっては善良な言動しかしていないようにも思えるけれども、作中での評価は「だるい」、「うざい」、「キショい」などと散々だった。挙句に「近寄らんで~きしょ~」と生徒に面と向かって言われる始末である

人情機微を繊細に描く本作において、豊先生に対する生徒たちの態度は多少ゾンザイにみえる。過剰な言葉を投げかける生徒が諫められることもなく朗らかに去っていく構成は、爽やかな描写に反して後味の悪さを感じた。“豊先生はそんな扱われ方するのも仕方ない”という“含意”がなければ成立しないほど雑な扱われ方だ。その“含意”が何かを考察するなら、これは豊先生が“本作におけるevil”に抵触たからだと思う。

まず、本作における“good”とは何かから考える(※ここでいう“good”というのは、界隈が使うevil対義語として私が便宜上使っているだけの胡乱な表現

本作における“good”の象徴伏見さんであることは明らかだろう。けれども作中での伏見さんの活躍実質的には微妙ものが多い。各エピソードの主役たちは何らかの課題や悩みを抱えているけれども、伏見さんは何か直接的にそれらを解決してくれるわけではない。いや、間接的に貢献しているかすら微妙ときもある。

しかし、それでも伏見さんが“good”の象徴たりえるのは、本作の作品紹介を読めば輪郭が見えてくる。

伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感私たちと話をしてくれる。 今、“自分大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。

引用の「丁度いい距離感」という所がミソだろう。つまり本作における“good”とは「丁度いい距離感」のこと。逆に言えば「丁度いい距離感ではない」こと、それに類する言動をする者がevilというわけだ。

近すぎるとevilだが、遠すぎるとgoodというわけではない。

以上を踏まえると、本作の1話なんて典型的に思える。本エピソードの生徒は中盤、痴漢被害に遭う。これは犯罪という時点で勿論evilではあるのだけれども、「丁度いい距離感ではない」という点においても本作のevil抵触している。そして被害にあった子に対して、両親たちはデリカシーに欠けた言葉を投げかける。身内関係であるからこその近さ、そこからくる両親なりの慰めの言葉ではあっても、それは当人が求める「丁度いい距離感からくるものではなかった。

そして遠すぎる場合evilとまでいわないがgoodともいえないよね、ということも提示する。被害に遭った生徒は自ら犯人を捕まえたため、その勇気を褒めたたえる人もいた。しかし、それは表面上の言動と態度から逆算したもので、行為のものに対する上澄みの評価だ。痴漢被害者への丁寧な気遣いをする者もいたが、これも紋切型であり寄り添ったものとはいえない。

じゃあ、何て言えばいいの?と思うのだが、当人自身よく分かっていない。当人が本当に悩んでいる核たる部分は、是非善悪とは別のレイヤーにある。しかも極めてプライベートミクロであるため、明確で普遍的な回答がない。だからこそ苦悩の袋小路に入る。

そんな苦悩に対して本作(伏見さん)は「何とも言えない」という選択をした。「何とも言えないこと」に対しての答えが「何とも言えない」というのは逃げというか、そもそも答えになっていない。けれども、その時の生徒にとっては“個”と向き合い「丁度いい距離感」で接してくれた結果、と受け取られた。

先生がキショい(evil)な理由

先生は常にニコニコとしながら、誰にでも分け隔てなく好意的対応をする善良な教師のようにみえる。けれども、これは誰にでも“いい顔”をしつつ、“個”と向き合わない不誠実な人物……という解釈もできる。つまり「丁度いい距離感」に対して無頓着であるため、“本作におけるevil”に抵触しているわけだ。

作中でのやりとりを挙げるならば、豊先生好意を持っている生徒が「(背が高い人が豊先生の好みだったら)牛乳を大量に飲まないとなあ」などといった軽口に対して、豊先生は「今のサイズ感が可愛いから、今のままでいいと思うよ」と返す。「(牛乳を飲みすぎて)お腹こわさないようにね」という気遣いも忘れない。その生徒が自身好意を持っていることを踏まえたうえで軽口に軽口で返した形だ。こんな調子で、豊先生八方美人の節がある。婚約者がいる立場でありながら、自身好意を持っている女生徒への対応は軽薄にみえる。知り合いの異性にも当然のようにプレゼントを贈ったりする。

けれども客観的にみて、それらをギルティとするのは決定打にかける。他人好意に対して毅然とした態度をとらないというのも実際には一長一短で、豊先生個人でどうにかできない範囲も含まれている。豊先生の振る舞いは節々に粘度を感じるよう描写こそされているものの、それでもって悪徳と断じるべきかは疑問が残る。けれども、何度もいうように“本作におけるevil”とは「丁度いい距離感ではない」こと。その点において豊先生無頓着であることは否定できない。なので生徒に「近寄らんで~きしょ~」と言われ、続けて「大人なんやから ちゃんとしいや~」などといわれる。

面と向かって「きしょ~」とか言ってくる若輩に大人としての在り方を説かれる筋合いはないとは思う。ただ、一応これも先ほど引用した作品紹介文から読解できる。

伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感私たちと話をしてくれる。今、自分大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。

「“自分大人だ”と思い込んでいる人」とは、つまり理想的ではない大人」と言い換えられる。

本作における「理想的大人」の象徴伏見さんとするならば、その逆のような存在が「理想的ではない大人」といえるだろう。つまり「丁度いい距離感」で私たちと話をしてくれないのはevilから先生はキショいし、「“自分大人だ”と思い込んでいる人」 だからちゃんとしいや~」ってわけである

最終的に「彼女がいるのに生徒や伏見さんに色目使ってた男」と評された豊先生は「エエ~……」と困惑するしかなかったが、仕方ない。豊先生の扱いは、本作の通底するテーマ価値観からみれば筋は一応通っている。それにしたってどうなんだと思わなくもないけれども、それは私の咀嚼と消化の問題でもあるから片隅に置いとく。

余談:伏見さんが理想大人(のように振舞える)構造

伏見さんが“good”の象徴理想大人メンター存在でいることができる理由ってなんだろうか。メタ的な推測になるが、まず「学校の用務員」という立場がある。

学生たちにとって、自身の抱える課題や悩みを打ち明けられる大人は少ない。主に両親や教師になってくるが、両親は身内であり近しい存在からこそ、かえって言えないことや言いにくいこともある。教師あくま仕事の一環として生徒と接するというフィルターがあるし、それも一人や二人ではなく数多ある生徒に対応しなければならない。他にもやらなければいけない仕事だっていから常に全力で応えてくれるかは難しい。

いや、そもそも本作において学生の抱える葛藤は、是非善悪だけでは語りきれないものが多い。そんなことで白黒ハッキリついて解決するのなら悩んでいない。そんな悩みに対して親身になってくれないのは嫌だが、がっぷり四つでも困るのだ。そんな悩みを抱える学生たちにとって丁度いい距離感で接してくれる大人がいたとすれば、それは酷く理想的うつることだろう。そのために学校の用務員という設定にしたのが絶妙だ。学校にいながら、親や教師が取りこぼしがちな生徒の機微個別に拾うことができる。心のケアをする必要のない立場からこそ、それをわざわざやる伏見さんの善性が際立つ。

本作の描き方からくるデメリットとしては「一概にいえない事柄なのに、メンター言動ベストになってしまいがち問題」はある。まあ、これは学園もの教師もの共通デメリットではあるけれども(典型的なのだと『GTO』の主人公とかは解決方法ほとんど破天荒だったり非合法だったりするが、少なくともその作品世界においてはベストとなってしまいがち)。あと伏見さんを理想大人として描写しようとするあまり、それ以外の大人犠牲になってるというか、簡便に描写されている感はある。豊先生もその一人だなって印象。

2024-10-12

ノーベル平和賞を与えるべきは「はだしのゲン」の方だと思ってしま

が、それをやると作者と集英社が手柄を総取りした感じになっちゃうから被団協にしたんだろうなあ。

でもやっぱ影響力や訴求力という点では「はだしのゲン」が圧倒的に感じる。

連載開始から50年の間、戦争原爆についての市民目線でのエピソード子どもたちに与え続けてきたのは本当に凄い。

戦争エピソードをお祖父ちゃんに聞こう」みたいなのはさ、結局その人達体験したことしか言わないから都会なら田舎疎開した話だし、田舎なら都会から疎開なだれまれた話だけになっちゃうんだよね。

本当に原爆のことを実体験を持って伝えられる人は広島長崎の極一部にいた人だけで、あまりにも数が少ない。

でもジャンプ漫画だったら日本全国の子どもたちが読むし、学校公立図書館単行本も置かれているから皆いつの間にか読んで学ぶことが出来てる。

ゲンの良い所って「戦争を持ち上げたり批判したりで手の平クルクルしてる奴らはカス」ってエピソードはあっても「天皇かい詐欺師に騙されてアジア搾取した日本民族はカスから滅んだほうがいい」ってエピソードはないこと。

戦争に対して後ろ向きな作品によくあるただただ悲観的な内容じゃなくて、トラウマエピソードがクソほど山盛りなはずなのにやたら前向きなノリなんだよね。

当時の出版業界の多少の無茶ならセーフなノリのおかげで、米軍に「オウ、ナイスデザイン」な骸骨を売りつける今なら通らなそうなエピソードとかもあるし。

戦争によって普通暮らしを取り上げられた子ども等身大の戦いを描いて、その中で原爆による悲惨な影響が現れているって所が、読み手に対して原爆人間距離感を考えさせると思うんだよ。

ぶっちゃけさ、被爆体験者のエピソードってどっかで他人事じゃん?

だっていきなり現れて1時間だけ好き放題言って帰っていくだけの被爆前は学校通ってたっぽいこと以外は何の情報もない老人でしかないもの

でもゲン被爆する前から戦争と戦ってきた数々のエピソードがあって、被爆の影響が人によってバラバラタイミングでいつ現れるとも知れない中でどこまでも付きまとってくることの恐怖を語ってくれるわけだよ。

この生々しさはさ、いきなりやってきたよく分からんジジババの「辛かったねえ・・・戦争はクソだねえ・・・天皇はいい人なのに不思議だねえ・・・」な思い出話からだけじゃ伝わらねえわけよ。

やっぱ「はだしのゲン」は凄いと思うよ。

ノーベル平和賞もらって良かったと思う。

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