はてなキーワード: 視覚障害とは
トヨタなどによると、事故はパラリンピック選手村にある信号機のない丁字路をバスが右折する際に発生した。バスは事故にあった選手とは別の人の存在を検知し、横断歩道の前でいったん停止。その後、バスに搭乗するオペレーターが安全を確認しバスを発進させた。すると左前方から視覚障害のある柔道男子81kg級代表の北薗新光(あらみつ)選手が横断してきたのをバスのセンサーが検知し自動ブレーキが作動。オペレーターも緊急ブレーキをかけたが停止前に北薗選手と接触したという。
オペレーターの2人は、1人が発進や停止時のボタン操作を担当し、もう1人がドアの開閉の操作を行っていたといい、同庁は事故当時の運行状況を詳しく調べる方針。調べに対し、2人は「人がいることには気づいていたが、(バスが来たことを認識して)横断をやめるだろうと思った」と説明しているという。
組織委員会によりますと、交差点で歩行者を誘導するスタッフが車が来ていることを選手に適切に伝えられなかったことや、車が動いているときの音が小さかったことなどが原因だったということです。こうしたことから、組織委員会は、これまで1か所に2人だった交差点の誘導スタッフを5人程度に増やすほか、車が動いているときには意図的に音を出すなどして安全対策を強化することにしています。
これで「障害者が自分からぶつかりにいった」かのように言うのはあまりにも歪曲がひどいな。
視覚障害者が静かな車に気付けず横断歩道を渡ってしまうのは当然のこと。
「止まってる車」でもないし、自動運転車側に過失がないわけでもない。
実社会でも「健常者のつもりで対応したら障害者だった」「こちらの想定とは違う動きをされて事故った」なんて言い訳にもならないのに、よりにもよってパラリンピックの選手村だからな。
サリドマイド(1961)
厚労省「鎮痛・睡眠剤で奇形児が生まれる?んなわけねーじゃんw」 → 「わりいwやっぱ奇形児生まれるわw当選者1000人だけど309人しか認めねーからwww」
スモン(1970)
厚労省「風邪薬や整腸剤で末梢神経障害?ないないw伝染病だよそれ」 → 「わりいwやっぱ下肢麻痺とか視覚障害あるわw当選者なんと1万2000人www」
筋短縮症(1973)
厚労省「子供に筋肉注射で手足が動かなくなる?んなわけあるかw」 → 「わりいwやっぱ動かなくなるわw当選者9000人www」
薬害エイズ(1983)
厚労省「アメリカの売血非加熱製剤でエイズに感染?おまえ頭Qだろw」 → 「わりいwやっぱHIV感染するわw当選者2000人www」
厚労省「ワクチンの副反応で髄膜炎や脳症?言いがかりやめてよw」 → 「わりいwやっぱ死ぬし生き残っても重い後遺症残るわw当選者2000人ww」
厚労省「手術に使用する乾燥硬膜でヤコブ病?頭おかしいんじゃねーのw」 → 「わりいwそれやっぱブリオンに汚染されてたわw当選者100人www」
厚労省「血液製剤でC型肝炎?薬害エイズじゃねーんだからさあw」 → 「わりいwやっぱ肝炎になるわw当選者久しぶりの1万人www」
実際にあった薬害を紹介するのもアウトになりそうで怖いな
厚生労働省に置いてある誓いの碑を紹介しただけでもBAN?
キャスターだか、アナウンサーだか、解説者だか、コメンテーターだかが「いい色のメダルを取れるといいですね!」みたいなこと言って、婉曲な表現でエレガントでカッコイイと思う風潮があるように見受けられるが、いけないと思うよw
百歩譲って、オリンピックなら、まだいい。いわゆる「健常者」が出場することになってるわけだし、色を判別するだけの視覚・色覚特性を持ち、「いい色」とは人類が古来高い価値があるとみなしてきた「金」の色を意味するのだと理解できる知能も持っていると期待できるからね。
でも、パラリンピックには、生まれつき視覚障害で「色」の概念を知らない選手だって出場するし、「いい色」の意味するところをちゃんと認識できない知的障害の選手だっているんじゃないの? 知らんけどw
それでなくても、何を「いい色」と思うかは、個人の趣味嗜好によるし、オレは金よりライトブルーのほうがいい色だと思ってんだよ。
色に対する感じ方や評価を一方的に決めつける「無意識の偏見・差別」および「思想信条の押し付け」は撲滅されるべき!
...という見解は、あくまで筆者の感想であり、この考え方を万人に強要しようとするものではございません。多様性の尊重と共生社会の実現が目標ですからね!
わかるよ
e-Palette見たことあれば結構うるさいし目隠しした健常者でも1mもあればわかるよ
視覚障害があれば尚のこと敏感なのでわかるよ
自動運転車なのでセンサーが働いて止まってくれている「だろう」と
それより
豊田社長「パラリンピックの会場で、目が見えないことや耳が聞こえないことへの想像力を働かせられなかった」
↓
音圧を肌で感じろってことなのかな
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210827-OYT1T50346/
また、今パラリンピックには出場できないとのことで、残念極まりない。
事故原因については報道からわかる限りで言うと、オペレーターの判断ミスによるところも大きいようだ。
これをもって、「自動運転は間違っていなかった」という声もあるが、要はオペレーターを乗せないと走れないレベルの自動運転しかできていないということである。
例えば、waymoの自動運転ではもうオペレーターはなしでも運転が許可されており、実際に運用もされている。
オペレーター込みでの自動運転システムにならざるを得ないのがトヨタの現状ということだ。
当然オペレーションもトヨタ自動車の責任のもと行われており、本事故は100%トヨタ自動車に責任がある。
事故自体も非常に残念なのだが、その後の豊田社長の対応が悲惨極まりない。
自動運転という困難な課題を真剣に捉えているか疑われるレベルなので、書いておきたい。
「視覚障害者などの多様な方」は普通の道路にもいるし、決して特殊な環境ではない。
障害者がいるだけで環境を特殊扱いするというのは、ある意味差別的な発言であるようにさえ思う。
多様性をリードするパラリンピックのスポンサー企業の経営者として、言ってはいけない発言だ。
以前、トヨタは森会長の女性差別発言を非難していたが(https://jp.reuters.com/article/toyota-mori-idJPKBN2AA0KP)、それを下回っている。
また、本事故は道路交通法で歩行者優先と定められている横断歩道での接触事故だ。
注意義務は自動車側にあり、歩行者のせいでないし、視覚障害のせいでもない。
被害者の視覚障害が要因であるような言い方は取り下げて、謙虚に豊田の自動運転のオペレーションのレベルが低かったことを認めるべきだ。
事故発生が起きたのが、26日の昼なのに27日以降の報道しか無い。
なぜ当日発表できなかったのか。
ツイッターでは迅速な対応だったとの声もあるが、発表後初手が謝罪だっただけで、事故からは時間が経過している。
たとえば最近のみずほのシステム障害なんかも当日謝罪会見を開いている。対応はむしろ遅い。
各社の記事を読む限り、自社サイトで謝罪した動画の文言を抜粋したニュースしか見られない。
そのかわりに、自社の動画Youtubeチャンネルで社員からの生ぬるい質問だけ答えており、マスコミからの追求を受けていない。
まったくもって経営者の責務を果たしているとは言えないが、動画では「社長の私がこうして出ている」と言わんばかりだ。
その動画はこれ↓
タイトルが「トライアスロンのトヨタ7」と他のコンテンツのついでという体裁になっており、冒頭でおまけ程度にふれるだけ。
国民の期待を背負って臨んでいた選手を出場できなくさせた大きな事故なのに、ありえない扱いだ。
この動画が会社として出てしまっているというのは、社長個人と言うよりは周りの役員含め、ガバナンスが効いていないということだろう。
以上のように、トヨタ社長の対応はかなり残念なのだが、各社の報道は手ぬるい。
どの会社が真面目にジャーナリズムに取り組んでいるか測るいい機会なのかもしれない。
また、河村市長が金メダルをかじった件でトヨタは抗議文を出して市長は公開謝罪会見に追い込まれたが、
本件はパラリンピックに出られなくなってしまったという点だけでもそれ以上の大きい話である。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210827-OYT1T50346/
また、今パラリンピックには出場できないとのことで、残念極まりない。
事故原因については報道からわかる限りで言うと、オペレーターの判断ミスによるところも大きいようだ。
これをもって、「自動運転は間違っていなかった」という声もあるが、要はオペレーターを乗せないと走れないレベルの自動運転しかできていないということである。
例えば、waymoの自動運転ではもうオペレーターはなしでも運転が許可されており、実際に運用もされている。
オペレーター込みでの自動運転システムにならざるを得ないのがトヨタの現状ということだ。
当然オペレーションもトヨタ自動車の責任のもと行われており、本事故は100%トヨタ自動車に責任がある。
事故自体も非常に残念なのだが、その後の豊田社長の対応が悲惨極まりない。
自動運転という困難な課題を真剣に捉えているか疑われるレベルなので、書いておきたい。
「視覚障害者などの多様な方」は普通の道路にもいるし、決して特殊な環境ではない。
障害者がいるだけで環境を特殊扱いするというのは、ある意味差別的な発言であるようにさえ思う。
多様性をリードするパラリンピックのスポンサー企業の経営者として、言ってはいけない発言だ。
また、本事故は道路交通法で歩行者優先と定められている横断歩道での接触事故だ。
注意義務は自動車側にあり、歩行者のせいでないし、視覚障害のせいでもない。
被害者の視覚障害が要因であるような言い方は取り下げて、謙虚に豊田の自動運転のオペレーションのレベルが低かったことを認めるべきだ。
事故発生が起きたのが、26日の昼なのに27日以降の報道しか無い。
なぜ当日発表できなかったのか。
ツイッターでは迅速な対応だったとの声もあるが、発表後初手が謝罪だっただけで、事故からは時間が経過している。
たとえば最近のみずほのシステム障害なんかも当日謝罪会見を開いている。対応はむしろ遅い。
各社の記事を読む限り、自社サイトで謝罪した動画の文言を抜粋したニュースしか見られない。
そのかわりに、自社の動画Youtubeチャンネルで社員からの生ぬるい質問だけ答えており、マスコミからの追求を受けていない。
まったくもって経営者の責務を果たしているとは言えないが、動画では「社長の私がこうして出ている」と言わんばかりだ。
その動画はこれ↓
タイトルが「トライアスロンのトヨタ7」となっており、もともと他のコンテンツのついでという体裁になっており、冒頭でおまけ程度にふれるだけ。
国民の期待を背負って臨んでいた選手を出場できなくさせた大きな事故なのに、ありえない扱いだ。
以上のように、トヨタ社長の対応はかなり残念なのだが、各社の報道は手ぬるい。
どの会社が真面目にジャーナリズムに取り組んでいるか測るいい機会なのかもしれない。
また、河村市長が金メダルをかじった件でトヨタは抗議文を出して市長は公開謝罪会見に追い込まれたが、
本件はパラリンピックに出られなくなってしまったという点だけでもそれ以上の大きい話である。
以下理由を述べる。
医療側の人達も含めて、単に「障害者は普通の人に比べてリスクが高い」という話しか出てこず、どういう理由でリスクが高いのかという話が一切出てこない。
厚労省のコロナ関連サイトで出てくる「基礎疾患」では、パラリンピックに出られる人が有する障害のほとんどは含まれていない。例えばパラリンピック出場者の大半を占める四肢欠損や視覚障害とかはコロナのリスクが高まる基礎疾患からは除外されている。
オリのほうでは選手が夜中に選手村を抜け出して遊んでると言う報道が時々出るが、パラリンピック出場者がそういう行動を取れるだろうか。選手村を抜け出すこと自体が非現実的だろう。それに対する考慮が無い。
パラリンピックの種目で、人と人とが至近距離で接触するものは少ない。常に相手と組んだ状態で行う柔道くらいである。そのパラ柔道に出てくるのも視覚障碍者であり、健常者の五輪選手と比べてハイリスクとは言えない。
むしろ至近距離の接触がない競技がほとんどであり、選手団や役員の人数も少ないパラリンピックはかなり安全な大会である。
その障害者は競技以外の場では何をしているかと言うと、普通に職場に行って働いている人がほとんどだ。職場クラスターがデルタ株の主戦場と言われている現在、パラリンピックに出て選手村や会場で過ごすほうが低リスクなことは言うまでもないだろう。
https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=125
肢体不自由とか視覚障害とかが中心だ。知的障害が対象になる競技もある。
一方、コロナで考慮しないといけない基礎疾患の定義は厚労省によると以下の通り。
http://www.city.iwaki.lg.jp/www/contents/1615532355160/index.html
パラの「障害」はほとんど基礎疾患に該当しない。知的障害があるので該当する可能性はゼロではないが、厚労省定義では「重度」とあるし、重度の知的障害を有する人がパラリンピックに出ることはない。
つまり、西浦とか知念とかの医療界隈の人が言っている「パラリンピックには基礎疾患を有する選手が出てくるからリスクが高い」というのは明確に間違いである。この2人は障害者差別の気があるからこういう嘘を言っているのだろう。
他増田の言うとおり、昭和から平成初期の日本は、まんま施設主義だったんだよ(まあ欧米もそうだが)。
「府中療育センター闘争」とかご存じない? 入所者は今のウイグル民族ばりに虐待されてたよ? 映像資料もあるけど? ま、十年後には歴史の闇に消えてるかもね。
で、その虐待はどうやって救われたと思う? 利用者自身がハンガーストライキをする事で問題視されたんだよね。つまり障害者自身で立ち上がったわけ。日本って優しいしすぐれてるなあ。
しかも、府中療育センターなんて氷山の一角、昭和以前は障害者虐待の時代だった。施設だけじゃないよ。精神障害者ってだけで爆弾の振る監視穴?にぶっこまれたり(NHKで見た)。視覚障害ってだけで子供の頃から納屋に隔離されて毎日木製バットで殴られたり(知り合いのおじいに聞いた。おじいは成長して東京に出た。工場で務めて何とか生き抜く事ができた)。日本って優しいしすぐれてるなあ。
で、脱施設の流れになったのは、別に日本が優しいからだけじゃない。すぐれてはいるのかもね、身の保身に。
まずは外圧。1975年に障害者の権利宣言があったから、それに乗らないといけなかった。我が代表堂々退場す意味も度胸もないからね。その上、アメリカ様もADA法とか作って、ますます脱施設の流れになったわけ。乗るしかないでしょこのムーブメントに。
それに、脱施設は国民ひいては霞が関にとって悪い事ばかりではない。
なんせ施設はコストがかかりすぎる。障害者であれば支援もせずに、施設にぶち込むとなれば。今自立出来ている人もまとめてぶち込まないと行けないわけである。まあ、すごい量の施設が必要になるよね。
そしたら、次は殺すにはどうすればいいかって考えるよね。でも、そんな事ナチスぐらいしかやってないからね(T4作戦)。中国が表立ってやらないぐらいなんだから。まあ、優しいすぐれてる日本ならやってもおかしくないけど。
というわけで、障害者サイドの自立運動が盛んにはなっていたものの、カネの問題で霞が関が自立を推奨してるって事情もあるわけ。
その割に、障害者嫌いの日本人が伊是名さんを叩いている現状はウケるね。
伊是名さんはバリアフリーの為に店舗異動しろとかアホみたいな事を言ってる過去もあるけど、障害者が自立して生きるためにバリアフリーを充実してほしいと言ってるのが主な主張なわけ。しかも、鉄道全部エレベーターつけろとかじゃなくて、JRは事前に行けない駅の情報提供しろってのがメイン(J-CASTの記事)。それを寄ってたかって叩いてるんだから、障害者には自立して欲しくないって事だよな。じゃあどうして欲しいんだろうな彼らは。
でも、一番ヤバいのは伊是名さんみたいな裕福な障害者と、今伊是名さんを叩いてるような奴らがタッグを組んだ時だな。そこで、自立できない障害者は死ね、という流れになった時だ。
重度障害者や静かに社会的に殺されかねないな。障害者だけじゃねえ、超無能の俺も殺されるかもしれん。昭和の日本のことを考えれば、いや最近でも国連の「障害者の権利に関する条約」の批准を先進国で最も拒み続けた日本なら、十分ありうる未来や。なんせ優しいすぐれてる日本やからなあ。間違いないわあ。
私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性に異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的を批判している人はほとんどいない。
でもこの記事を最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。
私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。
ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。
だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視がはいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないかは全然違う。
もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。
不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。
逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。
私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。
私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。
通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。
なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから、会社の入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、①道路、通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。
見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。
そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。
自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。
電車の時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的の電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車が普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。
そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。
本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすくホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。
少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき、普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする。
私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。
集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。
もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖や身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。
私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。
広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命の問題に直結する。((ホームと線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))
その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。
一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。
https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html
ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。
ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。
でも、生命にかかわることだから、優先順位は一番高くていいのではないかと思う。
日本視覚障害者団体連合もホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣に要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治や企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。
働きかけを行うべき先は、政治も企業もしかるべき権限をもつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。
http://nichimou.org/notice/200923-jimu/
歩道や施設などの通路、ホーム上にある点字ブロックは日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。
また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。
https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html
でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。
ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅で視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロックが問題と指摘された。
https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6
ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目からの情報が少ないため、点字ブロックを認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。
点字ブロックはとても有効な設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html
点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色のブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?
そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロックを歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。
でも弱視者には、これがわかりづらい。
視覚障碍者は全盲の人ばかりではないという認知がもっと広まってほしい。
「視覚障碍者は見えないのだから、点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。
少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。
視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)
また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)
さきほども書いたが、視覚障碍者は全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。
ところで、視覚障碍者が白杖を持つ理由は次の3つとされている。
https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/
障害物もなく、路面が確かな場合、ロービジョンの視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分の存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。
それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。
点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?
いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?
視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。
伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。
私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー」問題だ。
伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。
確かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。
でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦や精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。
それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー」議論はほとんどなかった。
いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。
案の定、伊是名夏子さんの投稿は炎上した。あの投稿を批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブルの作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。
現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブルの作為性を巡って反感を買いやすい。
伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ちも理解できる。
しかし、何かバリアフリーの課題を改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。
そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。
分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。
伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。
一方、こういったネットの炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗に非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。
確かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。
しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。
話は変わるが、視覚障碍者の投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。
他の障碍者やハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。
そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア(障壁)を持っていると思う。
心の中のバリア(障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。
インフラは整っているが、人の心の中はバリア(障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?
今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア(障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。
私はまだもやもやしている。
あなたの状況であれば、視覚障害者等向け電子図書館サピエが利用できます。
視覚障害以外でも、一般的な読書にバリアのある人は利用できます。
ただ、元が視覚障害者用なので、点訳されたもの、音訳されたものがメインです。あなたの場合、テキストデイジーが一番良いでしょうが、残念ながら十二国記のテキストデイジーは『白銀の墟 玄の月』1〜4巻しか存在しないようです。最寄りのサピエ会員施設に登録後、制作のリクエストをしてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、上記のテキストデイジーを作成した団体が、十二国記の残りも作るかもしれません。特に著者が電子書籍化を拒んでいて、とうぶんのあいだ障害者が読めそうにないという状況なので、優先的に検討されるかもしれません。
それから、これをお読みの方でもし、金のかからない趣味を探している方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひ1年ほどの講習(多分いまごろが募集時期です!!)を受けたのち、点訳音訳ボランティアになってください。寿命は伸びていますが人間の体はそれよりも早く故障します。そうなった未来の自分のために、サピエを充実させておくのです。今のサピエは、図書館と呼ぶにはあまりに質が低い。好きな作品を検索してみて下さい。結構な割合で入ってません。
はてなーたちの叡智と暇を、サピエに分けてくれませんか。基本ババアだけでやってるので、男性、特にパソコンスキルのある若い(60未満)男性は大歓迎です!
JRが車椅子対応をしてくれなかった……という件が話題になっているが、これはすべてはネットリテラシーの問題であることが判明した。ネットリテラシーのない情弱の人が、勝手に勘違いして大騒ぎしていただけだったのである。
このことが判明したのは、本人のブログによる。
無人駅だから、もしくは階段しかないから、という理由で、車いすユーザーは事前連絡が必要なら、小田原駅でも、熱海駅でも、それを教えてほしかったです。それを提示するのも合理的配慮の努力義務の一つです。
「教えてほしかった」というが、自分で調べる気はないのだろうか? そう思ったら、次の記述があった。( ★ )
3,事前に下調べをしてから行くべき、駅に連絡をしてから行くべき、そしたらこんなことにはならなかったのでは?
これは誤解である。この誤解がすべての出発点だった。
(1) 上記のページの左下には「駅情報」というアイコンがある。
ここをクリックすると、次のページに飛ぶ。
このページの下の方に「バリアフリー情報」という箇所があり、さまざまな情報が記してある。エスカレーターやエレベーターがないこともわかる。
ではどうすればいいかは、下記の (2)。
(2) 上記ページの一番上には「お身体の不自由なお客さまへ」という項目(白抜き文字)がある。これをクリックすると、次のページに飛ぶ。
この左下に「歩行の不自由なお客様へ」というアイコンがある。これをクリックすると、次のページに飛ぶ。
ここに「車椅子ご利用のお客様へ」という項目がある。これをクリックすると、次のページに飛ぶ。
歩行の不自由なお客さまへ>車いすをご利用のお客さまへ:JR東日本」
ここに次の記述がある。
駅をご利用の際には、駅係員がホームまでのご案内および列車の乗降のお手伝いをさせていただきます。スムーズにご利用いただくために関係箇所との調整が必要な場合がありますので、事前の連絡にご協力をお願い致します。連絡先や各駅のバリアフリー情報などについては、「らくらくおでかけネット」の中でご覧いただけます。
ここには事前連絡をしてほしい旨が記されている。
さらに、掲載された「らくらくおでかけネット」で「来宮」を検索すると、次のページが出る。
駅での利用 [ × ]
以上からわかるように、JR東 のサイトを見れば、車椅子情報はすべて掲載されているとわかる。なのに、本人がR東 のサイトをろくに見ないで、いきなり駅に行ったから、トラブルが起こった。それだけの話だ。
事前にネットで調べれば、何の問題もなかったのに、事前にネットで調べないでいきなり押しかけて、「対応しないのはけしからん」と大々的に騒ぎ立てているわけだ。
これは、先に乙武氏がレストランで騒ぎ立てたときと同様である。
結局、問題のすべては、ネットリテラシーが不足していて、事前にネットで調べなかったことに問題がある。
話の教訓は、「 JRは車椅子に対応せよ」ということではなくて、「車椅子の利用者は、出かける前にスマホで調べるぐらいのことはしよう。最低限のネットリテラシーを身に付けよう」ということだ。それだけで、トラブルは回避できる。
【 追記 】
必要な情報に達するまでに、何度もクリックしなくてはならないので、「情報がわかりにくい」とは言える。これは、ユーザーインターフェースの問題だ。
この二点の問題があったとわかる。今回の本質は、車椅子用の設備ではなくて、ネット上の情報処理の問題だったとわかる。はてなーならば、何とかしろよ。JRじゃなくて、はてなーが頑張れ。
――――――
ついでだが、
JRのサイトの作りの問題ならば、JRがまず第一義的に悪いだろ/冒頭でネットリテラシーのない障害者が悪いと言っておいて、最後ははてなーが頑張れ?論旨が一貫してないぞ
というブコメがあったので、答えよう。
このブコメは誤読だ。本記事は「誰が悪い」という批判はしていない。JRが悪いとも言っていないし、障害者が悪いとも言っていない。上記ブコメは、幻聴を聞いているのだろう。(ただの識字障害かも。精神障害の一種。また、幻聴は統合失調症か。)
本記事の主張は、「誰が悪いか」ではなく、「本質はどこにあるか」だ。それについて、太字で答えている。「今回の本質は、車椅子用の設備ではなくて、ネット上の情報処理の問題だ」と。
本記事の目的は、「誰それが悪い」と批判することではない。「騒動の本質はどこにあるのか」という真実を探ることだ。どうしても「悪い」という言葉を使いたいのであれば、「サイトのユーザーインターフェースが悪かった」と述べている。それだけだ。
デジタルディバイドや視覚障害が理由で欲しい情報にアクセスできない人々も含めて「HPに全て載ってるぞ情弱www」で論破した気になってる
というブコメがあったが、本記事は別に論破しているわけじゃない。誰かを批判しているわけでもない。問題の所在を示しているだけだ。「車椅子用の設備を改善するのではなくて、ネット上の情報処理の問題を改善すべきだ」という趣旨で。そこが本質だ。論駁や批判は目的ではない。
というブコメがあったが、これは妥当である。「誰にでも分かりやすいサイトの作り」を改善点だと理解して、これを改善するように努力することは、大切だ。それが進めば、今回のような問題も起こらなくなるだろう。「何を改善するべきか」ということが明確になるというのが、本記事の目的だ。
参考記事
https://anond.hatelabo.jp/20210409174921
なぜなら、全ての大学は知的障害者の入学を差別的に排除しているから。
「いや、知的障害という属性では排除していない。たとえ知的障害という診断名がついていても、入試問題が解ければ、入学できる」とあなたは反論するだろう。
入試問題を解くには、紙に書かれた問題を目で見て読んで、鉛筆を持って手で解答用紙に記入する能力が必要である。
視覚障害がある場合は、点字入試という障害に応じた配慮が受けられて、「紙に書かれた問題を目で見る」能力に欠けていても、大学に合格することができる。
手に障害があり鉛筆を持てない場合も、障害に応じた配慮が受けられる場合が多い。
しかし、知的障害者が大学を受験する場合、障害に応じた配慮が受けられない。代理の者による回答、簡便な入試問題などの配慮が認められない。
身体的障害者なら与えられる、障害に応じた配慮が、知的障害者には一切与えられないのだ。。
だから、大学は知的障害者の入学を差別的に排除していると言える。
知的能力が高い者に、より高い収入と社会的地位を得られるようアシストする。
大学がなければ、知的能力の高い者と知的障害者の収入格差は、もっと小さくなるはずだ。
大学とは本質のところで、差別を肯定する、差別的機関なのである。
しかも、大学で勉強することで、この「能力による差別」を正当だと認識するようになるから、大学では差別を助長する教育を行っているとさえ言える。
そもそも疑問なんだけど、「得体のしれない他者」ってのはどこまで排除すれば良いんでしょうね。
外に出て日常生活を送っていると色々と「得体のしれない他者」に遭遇する機会はあるんだけど、彼ら/彼女らをどこまで排除するつもりですか?
例えば銭湯はどういう層までOKなのか、考えてみたらわかると思うんだけど。
知的障害があって奇声あげるような人って、正直怖いけど、そういう人は銭湯に入って良いの?
視覚障害があって盲導犬を連れている人は、犬を連れて入れるようにすべき? それとも犬は外につないでおくべき?
皮膚疾患がある人とか、感染しないってわかってても同じお湯に入るの嫌って意見結構見るけど、そういう人たちは銭湯に入って良いの?
ホームレスの人とか明らかに体汚れてそうだし一回や二回髪洗った程度で汚れ落ちそうにないけど、一緒に入れるの?
どこまでが差別なの?
ぜんぶ
自分も基本的には全部差別として扱われざるを得ない、と思っているし、この論調では最終的に「銭湯無くせば解決」という話にしかならないと思ってる。
分かる
近くに視覚障害者の支援学校があるから白杖の人を見ない日がないのだが、自分の日常には溶け込んでいて、報道でパラリンピックの話でも流してなかったら、意識することはあまりない。
だから目白台の図書館にお昼休みに寄って、いい天気なので遠回りをしたのだけど、その帰り道で堂々と信号無視した白杖の二人を見ては????と思ってしまった。
信号を渡る手間、音響要件押しボタン…交互にピヨピヨなるあれだ…を押して、そのまま待つのかと思いきや駆け足で渡りだしてしまった。
視覚障害にも程度はあって、あることはわかる人もいるらしいけど左右を気にするそぶりもなかった。最近静かな車が増えてるし音だけの情報判断は危険だと思うが…
もう少し近かったら叱ってたと思う。
リスクある人が、リスクを適度に減らせる手段をちょっとの横着で使わずにそのままにしとくのってほんとイライラする。
要するにあれだ。信号待てや
パラリンピックの「障害者でもがんばれば健常者並になれる」というお涙頂戴の筋書きが気に食わない。ハイテク義足で健常者の世界記録をなぎ倒して行くのが見たい。みたいなツイットを1か月前くらいに見かけた。
あと増田で2週間前くらいに「なんで障害者をかわいそうと思ってはいけないのですか?と大学の講義で質問が出たら静まり返った」ってのも見かけたんけども。
かわいそうと思われるのってそんなにイヤか?
ていうか、かわいそうと思われるおかげで補助金もらえてハンディキャップを穴埋めして健常者並に近付くことができる(合理的配慮)のであって、かわいそうと思われたほうがオトクじゃね?って思うんだが、違うのかな。
ハンディキャップがあるにも関わらず、見た目が健常者なのでかわいそうと思われないせいで穴埋めされることなく、しかも見た目のまま健常者並を求められてキツい思いをする軽度精神疾患系の障害者とか、内科系持病持ちとかなんかも、たぶんそう思うんじゃないのかなぁ。
自覚症状のない精神疾患だと「病気を疑って医者に行く」という動機付けにもならなかったりもして、治療・改善されないままになり、ますます孤立する。社会的地位が高くて普段の生活で注意や進言を受ける機会が無い人間とかね。
と、発達障害者の端くれから、かわいそうランキング低みの見物をする増田であった。
障害は、客観的に短時間で判断が付くものばかりではないですからね。
足が無い、腕が無い、というのは分かりやすいから、すぐにかわいそうと思われやすいんですよ。
警察ですら補聴器つけて自転車に乗ってる人を「イヤホン外せ」と捕まえて、説明すると逆ギレする事件が絶えないようですが。これ何年も前から問題になってるのに全く改善しないですね。全国の都道府県警どうなってるんだ?
視覚障害で杖を持っていても全盲だけが視覚障害でなく、「部分的に見えないエリアがある」「部分的なエリアしか見えない」とかマチマチだそうです。杖もってて全盲をイメージするのに「見えてんじゃねーか」ってキレられたりするケースがあるようです。いや、知らんがな。
「かわいそうと思われない」ならマシなほうで、むしろ「私の気分を害したお前のキモさが悪だ」と毎日disられ指さされるのがデフォというか。不随意運動、チック症とか、吃音、統合失調症(独り言)とかは。
そら当事者は疲弊して、誰かとコミュニケーションしたくなくなるし、苦手になるし、下手になる。
すでにかわいそうと思われていて十分に支援を受けている人はそれが維持されて行ってほしいと思うし、かわいそうの享受が足りてない人のために、目に見えないものを知り、想定の範囲が拡大されていってほしい。
たぶんアレだよね、マズローの欲求段階そのものをなぞっているのだと思う。
補助金が出たり支援者がいる程度のかわいそうランキングの高さがある身体障害者は、埋め合わせによって健常者並の暮らしに近付くことができる。なので生存欲求の次の段階「承認欲求」を求め始めて、それが欲求不満なのかと思う。
しかし受けられる支援が少ない障害者は、承認欲求よりも根源的な生存欲求、安全欲求すら満たされていない人がボリュームゾーンなのではないか?
だから「かわいそうと思われたほうがオトク」と考えるんじゃないかな。
「障害は見た目が9割」という話なのでは