なぜなら、全ての大学は知的障害者の入学を差別的に排除しているから。
「いや、知的障害という属性では排除していない。たとえ知的障害という診断名がついていても、入試問題が解ければ、入学できる」とあなたは反論するだろう。
入試問題を解くには、紙に書かれた問題を目で見て読んで、鉛筆を持って手で解答用紙に記入する能力が必要である。
視覚障害がある場合は、点字入試という障害に応じた配慮が受けられて、「紙に書かれた問題を目で見る」能力に欠けていても、大学に合格することができる。
手に障害があり鉛筆を持てない場合も、障害に応じた配慮が受けられる場合が多い。
しかし、知的障害者が大学を受験する場合、障害に応じた配慮が受けられない。代理の者による回答、簡便な入試問題などの配慮が認められない。
身体的障害者なら与えられる、障害に応じた配慮が、知的障害者には一切与えられないのだ。。
だから、大学は知的障害者の入学を差別的に排除していると言える。
知的能力が高い者に、より高い収入と社会的地位を得られるようアシストする。
大学がなければ、知的能力の高い者と知的障害者の収入格差は、もっと小さくなるはずだ。
大学とは本質のところで、差別を肯定する、差別的機関なのである。
しかも、大学で勉強することで、この「能力による差別」を正当だと認識するようになるから、大学では差別を助長する教育を行っているとさえ言える。
障害を研究してる機関はどこなんですかねえ
倍率割ってるとこなら名前書けば入れるぞ
当たり前だろ 大学は研究機関であり、研究をする上で役に立つ連中のみを大学に入れるために試験を課している。 別に知的障害者じゃなくても落ちる奴は腐るほどいる。というよりも、...