はてなキーワード: 裁量とは
本当に一つの仕事に集中できる環境ならそれが正常だと思う。私も集中力ない方だけど、言い訳させてもらえば集中できる環境ではない。電話対応したり、宅急便を受けたりその他もろもろの雑用をやってなんぼなので仕方がないけど、特定の仕事を与えられて「○時間以内に仕上げろ」って言われたらきつい。
幸か不幸か大人しく席に座って、上記の雑用に対応しつつ、仕事っぽい作業をして定時まで職場にいれば給料がもらえるのでよいのだが、厳密にその日その日の成果を問われたらきつい。今は在宅勤務を推奨されつつあるが、家のようにサボろうと思えばいつでもサボれる環境で、仕事なんかできる気がしない。
本当に集中してたら夜中まで根を詰めて働くとか無理だと思う。いろいろなタスクがあって、その中で根を詰めないと出来ない仕事と軽く流せる仕事を自分の裁量でスケジューリングできれば良いかも知れないけど、残業できる人ってとにかく職場に遅い時間までいるというだけではないのかな。
志村けんとか濃厚接触者は「症状出てから」に限っているみたいから、その説明は破綻してるよ。自治体や保健所の裁量が大きい「濃厚接触者」調査で感染源を追い続けることなんてできないよ。今発見済みの各クラスター調査でも、下へ下への広がりは把握できてるけど、上へ上へ(過去へ)さかのぼったクラスターは追えてないでしょ。「濃厚接触者」として把握されてても、無症状だったら「症状出たら検査します」って対処になって終わることもあったし、その人が感染源だったら追えないでしょ。
そもそも重症者が陽性と判断された頃に、感染源の無症状や軽症感染者が完治していてウィルス消えてたら検査しても出てくるわけないでしょ。
だからクラスター調査とかPCR検査じゃなくて抗体検査をして調査するなら感染経路調査として分かるよ。でもそうなってないのが今な。
40歳になった。
俺の人生は35歳までがピークでそこからは落ちることしかない。
今思うと色んな選択を失敗してきた。
一番失敗したのは転職だ。
同僚は冷たく、俺が仕事で失敗することを心待ちにしているような人ばかりだ。
俺も心を閉ざす。
同僚と心が交わることがなかった。
仕事自体が面白かったし、裁量もあれば、信頼してくれるお客さんや、一緒に苦楽を分かち合う同僚もいた。
新人のときのような雑用をやらされたり、そもそも派遣が仕事をぶん投げてくる。
派遣も年老いた女性でお世辞にも知性がなく、仕事のアイデアについて話すと否定しかしない。昔の会社はみんな前向きに考えてくれたし、そうではなくとも笑いに変えてくれる人もいた。
この派遣女はいつもイライラしていて生理前の女を相手にしているようで、本当にしんどい。
そんなどうでも良いことを頭でグルグルさせながら、毎日が漫然と過ぎていく。
そこには将来に対する希望はない。
もう人生が良くなることはないのかもしれない。
緊急事態宣言の危険性は認知されているのでその他の問題をピックアップしてみた
法律案原案(この場合は厚労省)→内閣法制局審査→閣議決定→国会提出→国会で各委員会付託→委員会審議、審査→問題点を修正して表決→両議院本会議での可決→公布
となる。
これだけでは骨子と権限を定めただけなのでこの後に「法律中の○○は具体的にはどうするのか」を定めた政令と施行令を作成施行して法律として運用できるようになる。
安保法の憲法解釈変更を行った小松長官はすでに逝去されているが、本件では特に内閣の影響無しではないだろう。
緊急事態宣言となれば当然憲法違反の有無が問題となるが「憲法違反だからこそ通る」という状況が起きうる。
通常、内閣法制局の審査は非常に厳しく、法案を書く官僚は政令への委託の幅が大きすぎないか?管轄庁が違う他の法律と齟齬が無いか?など付き返されないように非常に気を使い消耗する仕事だという。
これが内閣提出法案の可決率が議員立法よりも格段に高い要因ともなっている。
伝染病流行時の対策骨子となる感染症法では就業禁止命令を定めている。
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=410AC0000000114 の18条
だが無症状キャリアや軽症者の発見に注力していないので活用されていない。
またこの条文があるという事は巷間言われる「感染者は必ず入院させねばならない」というのは誤り。知事には強制入院の権限もあるが裁量行為となっている。
また感染症法は「蔓延防止の為にフル回転で感染者を見つける事」が前提で書かれている。これも適切に行われているとは言い難い状態だ。
更に感染症法では感染者の入院治療費は公費負担となるが、医師の依頼があっても「湖北省関係縛り」で保健所が検査拒否している状況では守られていない。
運用が法の既定どおりになっていない事を放置して新規立法を求めるのも筋が合わない話であろう。
1月末に厚生労働委員会を開くべきとの話が出ていたが事実上拒否されている。議題は主に新型インフルエンザ等対策特別措置法適用についてだ。
内閣は代わりに新コロナを指定感染症と閣議決定し、感染症法施行令などの規定を準用する(字句を読み替える)政令(「新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令」)を公布した。
厚労委を開かなかったのはこの為と思われるが、新インフル特措法を適用すれば原案→内閣法制局→国会委員会付託まですっ飛ばせるのだからこちらの方が良かったとしか思えない。
この件で「新コロナは新インフル特措法の定義に該らない」との声があるが、政令で可能。「○○は△△と読み替える」と書けばよい。
新型肺炎を機に、テレワークや在宅勤務、リモートだのいう言葉がマスコミを中心に世間に広まり出した。
GMOインターネットグループが早い段階で全社員に在宅勤務を命じた事も記憶に新しい。
BCP対応の一環として定期的に在宅勤務の訓練をしていたという事なのでその決断の速さも頷ける。
弊社でも先日から在宅勤務が始まった。
ついこの間まで在宅勤務という働き方は存在しなかった。
しかし幸いなことに社内で使っているシステムがおおよそゼロトラストネットワークで構築されていた事もあり、役員会での決定から程なくして在宅勤務が始まった。
有り難い事に今はある程度裁量を持った仕事を担当させて頂いている。
一緒に働いている上司や先輩は心から尊敬出来る方達ばかりで、普段から頻繁にコミュケーションを取っており相談に乗って頂くことも多い。一言で言えば「いい人達」の集まりだ。
オフィスであれば「今話しかけて良いのか」を空気感や作業状況で把握して、相談するタイミングを選ぶことが出来る。
また、実際に画面やコードを見せながら困っている事について相談する事が容易だ。
しかし在宅では話が変わる。
顔や作業風景が見えないので「今話かけて良いのか」というタイミングを図ることができないのだ。
勿論「今相談しても良いか」の確認をしているし、急ぎでない話であればその旨を伝えるが、先輩は皆優しい。
恐らく自分の作業が忙しくても相談を聞いてくれているし、質問をしたら調べて打ち返してくれる。
オフィスで口頭なら1分で終わるやりとりも、在宅だと10分以上掛かってしまう事もある。
かと言って、分からないまま進めると進捗が遅れ、結果的に別の意味で周りに迷惑を掛ける事になる。
在宅勤務について「システム環境面」は整っていても「仕事の進め方」についてはまだまだ模索している会社もあるのでは無いだろうか。
環境は違うけれど同じような境遇の人の話も聞いたので、同様の悩みは意外とそこら中に隠れているのかもしれない…。
しかし実際に1週間在宅勤務をした結果、正直往復3時間の通勤以上に疲れてしまった。
自分の技術力不足や、コミュニケーション力の無さ、他人の時間を奪ってしまっている事に対する自己嫌悪が辛い。
この数日でだいぶ心にモヤが掛かってしまった。
「じゃあ早く自立して1人で一通り出来る様になれよ」と言われたら本当にその通りだと思う。ぐうの音も出ない。
私は、フェミニストのつもりでした。
女性が、女性だという理由だけで、何かをすることを妨げられてはならない。女性は、やりたいことを何でもしていい。
そう思っていました。
そして、はてなブックマークや、ツイッターや、トゥギャッターで、フェミニストに出会いました。
もっぱら、叩く思想でした。
男を叩き、不細工を叩き、きれいでないものを叩き、清くないものを叩き、女を叩いていました。
していいことは、妻と家庭をもっている男のようにがむしゃらに働くことだけのようです。
おしゃれはしていい。ただし男に媚びないおしゃれに限る。
メイクはしていい。ネイルもしていい。ただし男に媚びない場合に限る。
セックスも出産も不倫もしていい。ただし女性上位な場合に限る。子供はフェミニストに必ず育てろ。去勢も検討しろ。
これが正しい女なのでした。正しい女以外を決して許さないのでした。
小学校の学級会で、つるしあげられた記憶が猛烈に私に押し寄せてきました。
叩く人はきらいです。だから、毎日きらいなひとを叩いて回ることはしません。
最高にいいところで裏切りましょう。持ち上げて手を放しましょう。
とても、とても、楽しみです。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/06/dl/s0616-3p.pdf
1. いわゆる水際作戦・学校閉鎖等、感染症拡大防止対策の効果の限界と実行可能性を考慮し、感染力だけでなく致死率等健康へのインパクト等を総合的に勘案して複数の対策の選択肢を予め用意し、状況に応じて的確に判断し、どの対策を講じるのかを柔軟に決定するシステムとすべきである。ただし、流行の初期においては、病原性や感染力等疫学情報が不明又は不確かな場合が多いので、万が一病原性が高かった場合を想定し、最大限の措置を選択せざるを得ないことに留意が必要である。こうした観点に立ち、今後新たに新型インフルエンザが発生した際に、速やかに、かつ、円滑に行動できるよう、行動計画やガイドラインについて、現行をベースとして見直す必要がある。
2. 迅速かつ的確に状況を分析、判断し、決断していく必要があることから、国における意思決定プロセスと責任主体を明確化するとともに、医療現場や地方自治体などの現場の実情や専門家の意見を的確に把握し、迅速かつ合理的に意思決定のできるシステムとすべきである。また、可能な限り議論の過程をオープンにすることも重要である。
3. 地方自治体も含め、関係者が多岐にわたることから、発生前の段階から関係者間で対処方針の検討や実践的な訓練を重ねるなどの準備を進めることが必要である。また、パブリックコメントなどを通じて広く国民の意見を聴きながら、事前に決めておけることはできる限り決めておくとともに、地方がどこまで裁量を持つかなどの役割分担についても、できるだけ確認をしておくことが必要である。
4. 発生前の段階からの情報収集・情報提供体制の構築や収集した情報の公開、発生時の対応を一層強化することが必要であり、このため、厚生労働省のみならず、国立感染症研究所(感染症情報センターやインフルエンザウイルス研究センターを中心に)や、検疫所などの機関、地方自治体の保健所や地方衛生研究所を含めた感染症対策に関わる危機管理を専門に担う組織や人員体制の大幅な強化、人材の育成を進めるとともに、関係機関のあり方や相互の役割分担、関係の明確化等が必要である。特に国立感染症研究所については、米国CDC(疾病予防管理センター)を始め各国の感染症を担当する機関を参考にして、より良い組織や人員体制を構築すべきである。なお、厚生労働省における感染症対策に関わる危機管理を担う組織においては、感染症に関する専門的知識を有し、かつコミュケーション能力やマネージメント能力といった行政能力を備えた人材を養成し、登用、維持すべきである。
【法整備】
5. 対策の実効性を確保するため、感染症対策全般のあり方(感染症の類型、医療機関のあり方など)について、国際保健規則や地方自治体、関係学会等の意見も踏まえながら、必要に応じて感染症法や予防接種法の見直しを行う等、各種対策の法的根拠の明確化を図る。
これは勉強になる箇条書き。ただ、国家権力を縛るのは行政法や憲法だけじゃない。民法や刑法や会社法も、内容は一般人や法人を対象にしたものだろうけど、同時に国家が勝手なことを言い出さないように国家を縛るためにもある。だから憲法以外の法律の制改定にも目を光らせるべき。
でもこの国は法治国家じゃないよね。実質的には、行政の施行令、施行規則、通達というものの管理下にある。条文が包括的に書かれていることによって国家に裁量が与えられている。パブリックコメントを提出してもそれが受け入れられるかはお上次第。法律ってのは何のためにあるのか、ただの権威付けのための空理空論でしかないのではないか。
だから法律なんて学ばなくてもいいよ。整合を求めると破綻する。単にハックすることだけを考えればいい。学ぶとしても学問的な態度は捨てて臨むべき。
祖父と私は、地元にあるがゆかりはないマンションの非常階段前にいて、祖父は煙草を吸っていた。祖父は10年前に胃がんを悪くして亡くなったのだった。10年ぶりに煙草を吸う祖父は、マイセンがメビウスになったことに驚いていた。
私は普段煙草を吸わないが、久しぶりに祖父に会えたのが嬉しくて、一本もらうことにした。しかしすぐに、おもむろに咳き込んでしまった。咳は全然止まらず、呼吸が苦しくなり、そこで目が覚めた。
目覚めてしばらくして、ようやく咳は収まった。
祖父が吸っていた煙草はハイライトだったことを思い出した。非喫煙者の私には大して執着もない煙草の銘柄が、わざわざ夢で差し変わったのはどういう理屈なのか。
ここのところ体調不良が続いている。
私の仕事はそこらのよくあるSIerなのだが、残念ながら、体調不良でおいそれと休めるホワイトな社風ではない。他者を虐げる力だけで出世した上司は、部下の自己管理の怠慢を責めこそするが、体調不良を労るようなことはない。
とはいえ、うかつに休んで、万が一例の感染症であることが発覚、そのまま拠点初の感染者になんて、それこそ死んでもなりたくない。自分がきっかけで拠点閉鎖、想像もしたくない。死ぬか、せめて他の感染者が出るまでは、耐えなければ。
経営トップ、そして経団連、ひいては国や政治家は、やはり労働者は使い捨てで、ギリギリまでまともな対策はせず、現場の裁量にまかせ、結果として自己責任な空気をあえて作っているのではないか。最悪のチキンレース、どんなに感染が広がっても出勤を続けさせ、感染すれば拠点閉鎖の責任が、個人に重くのしかかる。
くだらないことを考えていると、また咳が止まらなくなってきたのだった。今度は咳き込んでも何かから目が覚めることはなかった。早く眠ってしまいたいが、眠気も遠ざかってきた。明日も仕事だ。
たぶん官僚も医系技官、要するに医師免許保持者なはずなので、厚労省側だってプライドがある。
医者は軍隊教育を受けてるので、現場判断で裁量が任される一方で、上の決めた方針は絶対。
突然外部から今までの取り組みを全否定されたら、軍隊として成り立たない。
DMATの面々は臨床医師として覚悟と使命感で戦場にやってきたのに、患者をみないで病原体のほうばかりみてる連中に口を出されたらたまったもんじゃないってことなんじゃないかな?
「陽性のうち何人は症状が出てなかった」なんて報道があると、「無症状キャリアが巻き散らすから全員検査!」となるのも頷けるが、検査で陰性だからって本当にキャリアじゃないとは言い切れない。
それよりも、どういう風に感染が広がっているか、指標は発熱でもなんでもいいから時系列で追うことが大事なのに、それが出来てなかった。
もちろん、発熱なんかじゃなく毎日4000人の検査をして、時系列で並べればいいが、ようやく全員の検査が終わったと報道されてることからすると、そんなパワーはなかったわけで。
だが、実際症状が出る前にウイルスを排出する感染症はごまんとある。
1日前から排出されるのか、3日前から排出されるのか、そんなものは程度の問題。感染初期でもウイルスを排出してるからといっても、肺炎でゴホゴホしてる時と同じくらいウイルスを撒き散らしてるかといえば、そんなわけはない。
発熱者がコロナなのかインフルエンザなのか風邪なのか花粉症なのかを見分けるために検査ならわかるが、片っ端から検査をしても目的が検疫なら経過観察と得られるものは同じ。
実際、二次感染がない前提でなければ、ある時点でで検査陰性だからといって、次の日から陽性に転じる可能性があるわけで、船内で感染が拡大してる中では全てが無意味。
医師と看護師たちは患者、個別の症例を見るプロだったが、感染症と病原体を見るプロの目からみたらお粗末な対応だったということだろう。
アフリカ帰りのラッサ熱の患者をたった1人隔離するのと、今回みたいに何千人もの集団の感染制御は、別のノウハウがいるわけで。
私の友人の配偶者は、アムウェイが生活の中心になっている自営業の男性である。一応、本職は詩人(!)らしいので、ここでは彼をポエットと呼ぶことにする。
私とポエットは「友人の配偶者」以上の関わりは一切ないのだが、それにしては私はポエットのことを実によく知っている。というか知らされている、SNSを通して。ポエットはSNSに非常に熱心なのだが、これはポエットに限らず、おそらくマルチ商法系の人たちの特徴ではないかとおもう。(いかに自分が良い仲間に囲まれて、良い生活をしているかをカモにアピールする必要があるのだろう)
そんなポエットのSNSを怖いもの見たさ半分、ひそかにヲチしている私なのだが、先日の投稿はさすがにモヤモヤのキャパを越えたのでここに吐き出したい。
簡潔に書くと、ふだん詐欺のような商売にコミットしてゴミみたいな詩を売りつけているポエットが、小学校の道徳の授業にゲストとして登壇し、あろうことか子供たちに人生を説いていた。そして、それはおおむね成功だったようで、ぜひ他の小学校にも自分を呼んで欲しいとアピールしていたのである。
まず本題の前提として、このポエットは詩人は詩人でも、路上詩人であった。路上詩人。すでに若干の懐かしさをともなう響きだが(まだいるんですかね?)、彼は路上で相田みつをのような詩を、相田みつをのような字で書いて売っていた。一枚1000縁とかで。
ちなみにこの「路上詩人」という全国で同時多発的に発生したかに見えるムーブメントには仕掛け人がきちんといて、月亭方正の元相方のてんつくマン(軌保博光)である。
話が少しそれるが、現在このてんつくマンという男はありとあらゆるマルチ商法に関わっていることで有名な反社会的人物(マルチジャンキーとも言うらしい)である。このてんつくマンが相田みつを風の応援歌のような詩を路上で描くスタイルをつくりあげ、路上詩人スクールを開講し、その生徒達が全国の路上に座った。ポエットもそのひとりであった。
ここまでの説明で、ポエットがどんな詩を描くのかはだいたい察しがついていることと思う。
「君の目が輝いているのは、君には自分のやることが見えているから。君が歩いた先に道は続いていく」
う~ん、ゴミ!
まあどれをとっても、だいたいこんな感じである(これは私の創作です)
冗長になってきたので、ここからはポエット(アムウェイ)が教育の場に立つことについて、率直に思ったことを箇条書きにする
・なんだこの授業。なにが悲しくてアムウェイのディストリビューターから人生を学ばなきゃならないんだよ、アホか。(もちろんアムウェイということは伏せて、詩人という扱いで登壇しているのだが、その詩もクソだろ)
・教員の裁量が大きいのも考え物だ(どうやら教員の独自の判断でポエットを招待した模様)。教員がトンデモだと、拡散力がやばい。決められたことだけ教えていたほうが、教員にとっても生徒にとってもラクだし安心ではないか。
・つか、こんな「生きるについて考える」といったふんわりしたテーマの授業しかできないなら道徳いらない。その時間、算数でもやらせよう。
ちなみに教員がその道徳の時間中に、生徒たちに「生きるってなんだとおもう?」と聞いたら、「神様からの宿題かな?」という返答があって、その教員は痛く感動したそうです。オエーーーーーーー
おわり
追記:ちな大阪の小学校。見てきたように書けるのは教員とポエットの双方がそれぞれ詳細をSNSにアップしているため。
この授業、ただの道徳の授業ではなかったようでその後、他校の教員たちの前で研究発表する機会もあったらしく、それも本人談によると大好評だったらしい。外ヅラだけなら日本一の百戦錬磨のアムウェイ・ディストリビューターに、ピュアな教員たちが丸め込まれる様が目に浮かぶようである。
というわけで、小学校に経歴が謎の胡散臭い詩人がやってきたらそいつだからヨロシク。
【さらに追記】みなさんブコメありがとうございます。かねがね→おおむねに修正しました(恥
ツリーから。ほんとに。今後このポエットは「教育現場からもお墨付きをもらってます」つって活動していくんだろうなあ、と思うとイライラしてくる。
ちなみにこのポエットは相当やり手なようで、芸能人(Jpop系。武道館ライブできるレベルの)にもツテがかなりあるっぽい。よくある下っ端のディストリビューターが「芸能人と一緒に写真撮っただけで友人面」というレベルではなく、公式でコラボグッズを作ったりするレベル。まあそのタレントもアムウェイなんでしょうけどね。
ポエットが特に親しくしているタレントのなかにRIZEのJESSEがいて、彼の投稿記事にも頻繁に登場していたんだけど、逮捕されてから一切言及がなくなってたのは少し笑った。
ブコメから。「"ガッカリ感が一線を越えた" ってのがよくわからなかったんだけど」
いままでの、このポエットの投稿記事において、モヤモヤしたりガッカリさせられるものはいくらでもあって(というか基本的には詐欺師とカモの観察記みたいな様相なのでそんなのばかりだが)、そのガッカリ感を味わうこと自体はヲチの醍醐味でもあった。
だけど学校の授業という子供にとって選択の余地のない場所にポエット(アムウェイ)が進出してしまった&これからもどんどん進出したいという意思表示をしていることが自分にとっては一線を越えて、増田を書くに至ったという感じです。
【2/18追記】
ブコメから。「アムウェイ売りつけて生活してるって事は話術はプロレベルなんだし講演が好評だったなら詩人の素質ある気がするけどな。」
詩人の素質は?だが、話術がプロレベルなのは確か。ポエットには数回しか会ったことないけど、会うたびに話術だけでなく「こんなに気がきく男性はなかなかいない」と行動の全てに驚かされる。人当たりは最高で、世間的にはイケメンの部類。アムウェイ以外の、なにか営業職をやらせても成功していただろうな、と思わせられる。アムウェイで成功する人ってこんな人なんですね。
それに対比するかのように、ポエットを囲んでいる信者は「アムウェイしか居場所がないんだろうなあ」みたいな冴えなさである。
ブコメから。「てんつくマンか。漫画家の山田玲司が一時期心酔してて、てんつくマンのマルチ商法の宣伝に関わってたりしたな。懐かしい」
てんつくマンの最盛期ってもう10年くらい前になるのかな。たしかこのポエットがてんつくマンに出会って、路上詩人スクールに通ったり、てんつくマンとアフリカで植林したり、てんつくマンとカンボジアで井戸掘ったりしてたのも約10年前の出来事だったきがする。てんつくマンが10年前に全国に蒔いた種がいま、こういう形で花開いてるわけですね。オエーーーーーー
ブコメから。「詐欺とネズミ講が認定されない限り断罪されないのでネットリンチで我慢しな。あんまり正義が勝たないのが現実さ。」
これは本当にそう。ツリーにもあったけど、アムウェイが違法ではない以上、これらの活動についての批判は「なんか気に入らない」というお気持ち以上の正当性はないんだよね。