はてなキーワード: 英語圏とは
和歌山県太子町関連のtwitterアカウントに対する、英語圏の『自称』動物愛護主義者から発せられるツィートの中身見ても、同じ事言えるの?とはおもう。
本当にあらゆる罵詈雑言、殺人予告、差別的な言動がてんこ盛りですごいよ。勿論、英語で来るよ。災害も津波も神の怒りだってさ。
具体的に言うと新卒の皆様の就職活動に向けての準備でございますな。
そこで、超具体的に高卒or大卒or院卒(除く博士)就職する人向けのTOEICの話でも。
テクニカルに500点取る人と、理解して400点の人は、質が違う。
TOEIC公式サイトのサンプルでも見て、どう思うかで判定できるね。
これを「英語の試験だ」と思うか「ああ、ビジネスで使いそうな例題ね」かで違う。
業務で英語なんか全く使わないのに「高い方が優秀だろ」みたいな理由で点数見てるトコね。
まあ、世の中努力ではどうにもならん理不尽な事が多いのを知るのも就活の意義ではあるので、
そこは諦めて、出来る事をしてくれ。
商社やメーカー、中小工場の営業に至るまで、英語圏で仕事する人達は多い。
で、経験則的に、フツーに英語使えたら風邪引いててもこれくらい点数取れるだろ、と設定してる。
(まあ、野生の勘でブロークンイングリッシュで乗り切るオヤジとかが生息してたりするんだが)
新人の間はアンチョコ片手に苦労しながら現地のコーディネーターに合流出来て、
意思疎通して開拓したり交渉したりする(契約は英語屋orネイティブを挟む)のを期待してる。
だいたい、700~800点位を基準にしてるところが多い。
コッチ狙う人は正攻法で頑張ってくれ。
ワリとIT企業に多いんだが、意味もなく高い値に設定しているところが多い。
500~600点を基準にしてる所はまず意味ない数字だな。機械的に単位の「優」を数えるのと一緒。
あと、積極的に海外展開してるように見えないのに、750~900点とかつけてる所。
まず、商社や販社、外資の「英語普通枠」は、帰国子女とか準ネイティブが占めます。
身も蓋も無いですが、諦めましょう。
(諦める必要の無い努力型英語話者は、素でTOEIC800は超えるので関係ないしね)
「日本人だけど英語が使える枠」として残りたいなら、800点を目指しましょう。
まあギリ800,だいたい700~750くらいだと問題無いと思います。後は経験なので。
このレベルになるとTOEIC受けて知らない単語は滅多に出てこない、
思い出すのに時間かかるとか、なんかこもった話し方されると解らん、というレベルかな。
人によってやり方違うけど、まあ慣れかな。
学生さんだとそもそもビジネス文書に慣れが無かったりするので、
意外と日本語の新聞の社説を速読できるようになると、効果があったりする。
最初に言っとくと、試験の意味がわからない人でも、技法で600点ぐらいまでは行ける。
そうだなあ、
「英語は判んねえけど、今オレの悪口言っただろ」とか
「単語並べりゃ海外旅行は出来る」みたいなバイタリティ溢れる人は、
逆に、TOEICの点数はスゲエ良いのに、英語使って仕事できない人も居る。
で、「600点以上」とか書いてる会社は、何も考えてないことが多い。
600点って、辞書片手に英文メールで仕事のやりとりが何とか出来るレベル、だから。
これは巷にあふれるテクニカルな手法でとりあえずチャンピオンデータ取っちゃえば勝ち。
当然毎月試験受けるし、小手先のテクニックも大量に使ってくれ。
英語力(というと胡散臭いが)上昇には意味ないが、どうせ元々意味のない数字だ。
ヨドバシのチラシ見て「どれが一番割引率が高いか」とか、
中央線の時刻表見せて「どの列車に乗ると高尾山に一番早く着くか」とか、
展示会に行ったら「セミナー会場は変更になりました。なお飲食禁止です」とか、
ホテルにモーニングコール頼んで、お湯が出ないって文句言ってるオッサンの愚痴を聞いたり、
歯医者に「都合悪くなったんで、来週にならんかな」とか言ってるオッサンの電話聞いたり、
「明日の未来の為に、我がジオン国国民はXXXXXならんのである!」を穴埋めさせたり、
「あの壺をキシリア様に届けてくれよ! 」を聞いて、届けるのは何家か聞いたりとか、
和訳してテスト見れば、日本人なら風邪でもまあそりゃ取れるだろって内容なの。
だから「天気予報なのは判ったけど、その気象条件の単語は知らん」とか
「オッサンの説明がウザくて、何曜日か忘れた」とか
そういう状況なら、後は努力だ。
DELLでOSの入っていないノートパソコン買って自分でOS入れるのが一番いいね。
日本はマイクロソフトの縛りがきつくてOSなしのノートパソコンは売ってないけど、アメリカのDELL通販サイトなら安くていいスペックの機種が買えるよ。
英語キーボードは使えばすぐ慣れるし。
シンガポールとかそういう英語圏でもスペック落としてOSも入れてないような日本メーカー製のパソコンあるし、そっちでもいいかも。
ただ、そこまでしてパソコン要るか、っていう。
ノートパソコンメーカーの皆さんは早く変なプリインストールソフトウェア入れて動作重くしたり情報流出させたりするとパソコン自体からユーザが離れるって気づいたほうがいいと思う。
山手線に乗ったら@Typeの広告だけの車両だった。見渡す限りの意識高い人による仕事に対する一言を読んで、その遠さにめまいがした。中吊りには「いい仕事 いい人生」とキャッチコピーがあるのだけれど、その周りの人たちからの一言は「いい仕事のためにすべてを犠牲にしろ。それがいい人生だ」と言ってるようにしか見えなかった。仕事つまり金のためにすべてを犠牲にする価値があると言ってる様に認識するのは私が拗ねてるからと判ってはいるが、それでも一読だけでほとほと疲れた。
こういう人たちは最近ネットで見かけたオランダの就業環境を見て何を思うんだろう。日本語圏以外だと英語圏のヤフーや新聞しか読まないのだけれど、海外で日本の労働環境はすばらしい、みたいな記事ってあるんだろうか。誠に申し訳ないが、日本で働いてよかったことがないなぁ、と思う。とても悲しいことだ。他国に比べて福利厚生が充実しているんだろうか。ウィキベディアくらいしか調べる方法がないのだが、日本の制度がとりわけすぐれているとは感じられなかった。
わたしの職場に、自他ともに認めるクラシック・マニアがいる。近・現代の作曲家は一通り聴いているというが、中でもお気に入りはスクリャービンで、携帯の着信音とアラームには「神秘和音」が設定してあるくらいだ。
その彼が、最近、急にジャズに興味を持つようになった。なんでも娘さんが部活でサックスを始めたのがきっかけらしい。彼の机には娘さんの小さいころの写真が立てかけてあるが、父親と血がつながっているとは思えないかわいらしさだ。パパだってジャズくらい分かるんだぞ、ということにしたいのかもしれない。
彼はわたしがジャズ・ギターを弾くことを知っている。音楽に関して(だけ)は寛容なので、各種イヴェントの際には有給を消化しても嫌な顔ひとつしない。
「ちょっと私用なんだが」と彼は言った。「こんどの休みは空いてるか? お前の好きなジャズのCDを10枚くらい持ってきてくれ。うちのオーディオで聴こう」
「CDならお貸ししますよ」とわたしは答えた。特に予定はないが、できれば休日はゆっくり寝ていたい。
「まあそう言うなよ」と彼はつづけた。「プレゼンの訓練だと思えばいい。ジャズの聴きどころを存分に語ってくれ。昼はうなぎを食わせてやるぞ。それとも――」
「それとも?」
「もう有給は当分いらないということか?」
こうして、わたしは休日をつぶして彼の家を訪ねることになった。どのCDを持っていくかはなかなか決められなかったが、一日でジャズの百年の歴史を追いかけるのは無理だと割り切って、わたし自身がジャズを聴き始めた高校生のころ――もう15年も前の話だ――に感銘を受けたものを選ぶことにした。マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』、ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』、ジョン・コルトレーン『ジャイアント・ステップス』はもうコレクション済みだということだったので、それら以外で。
手土産の菓子と20枚ほどのCDを抱えて最寄駅に着くと――結局10枚には絞り込めなかった――彼の車が目に留まった。
「きょうは夕方まで家に誰もいないからな。気兼ねしなくていい」
「そうでしたか」
「いるのは猫だけだ」
「猫? 以前お邪魔したときには見かけませんでしたが」
「公園で拾ってきたんだ」
「娘さんが?」
「いや俺が。子供のころに飼っていた猫とよく似ていたものだから」
ノラ猫を拾う人間と、ショスタコーヴィチの交響曲全集を部下に聴かせて感想を求める人間が、ひとりの男の中に同居している。この世界は分からないことだらけだ。
「ちーちゃん、お客様にご挨拶だ」と彼は居間の扉を開けながら言った。ちーちゃんと呼ばれた白い猫は、こちらを一瞬だけ見るとソファのかげに隠れてしまった。そそくさと。
「ご機嫌ななめだな。まあいい。そっちに掛けてくれ。座ったままでディスクを交換できるから。いまコーヒーを淹れてくる」
――これ以降は対話形式で進めていきます。
( ・3・) さっそく始めよう。
――マイルスについてはご存じだと思いますが、次々に作風を変化させながらジャズを牽引していった、アメリカの文化的ヒーローです。デューク・エリントンはマイルスについて「ジャズのピカソだ」と述べました。
――はい。その作品の後に注目したいんですが、60年代の半ばに、ウェイン・ショーターというサックス奏者がマイルスのバンドに加わります。この時期の録音はひときわ優れた内容で、ジャズのリスナーやプレイヤーからはヒマラヤ山脈のように見なされています。
Prince of Darkness (1967) http://youtu.be/-wckZlb-KYY
( ・3・) ヒマラヤ山脈か。空気が薄いというか、調性の感覚が希薄だな。テーマの部分だけでも不思議なところに臨時記号のフラットがついている。
――主音を軸にして、ひとつのフレーズごとに旋法を変えています。コードが「進行」するというよりは、コードが「変化」するといったほうが近いかもしれません。
( ・3・) ピアノがコードを弾かないから、なおさら調性が見えにくいのかもしれないな。
――はい。余計な音をそぎ落とした、ストイックな演奏です。
( ・3・) 体脂肪率ゼロ。
――マイルスのバンドには一流のプレイヤーでなければ居られませんから、各々が緊張の張りつめた演奏をしています。
Nefertiti (1967) http://youtu.be/JtQLolwNByw
――これはとても有名な曲。ウェイン・ショーターの作曲です。
( ・3・) テーマで12音をぜんぶ使ってるな。
――覚めそうで覚めない夢のような旋律です。このテーマがずっと反復される。
――ボレロではスネア・ドラムが単一のリズムを繰り返しますが、こちらはもっと自由奔放ですよ。ドラムが主役に躍り出ます。
( ・3・) おお、加速していく。
――テンポ自体は速くなるわけではありません。ドラムは元のテンポを体で保ったまま、「そこだけ時間の流れ方がちがう」ような叩き方をしています。
( ・3・) ドラムが暴れている間も管楽器は淡々としたものだな。
――はい。超然とした態度で、高度なことを難なくやってみせるのが、このクインテットの魅力ではないかと思います。
Emphasis (1961) http://youtu.be/QRyNUxMJ18s
( ・3・) また調性があるような無いような曲を持って来よって。
――はい。この曲は基本的にはブルースだと思うのですが、テーマでは12音が使われています。ジミー・ジューフリーというクラリネット奏者のバンドです。アメリカのルーツ音楽と、クラシックとの両方が背景にあって、実際に演奏するのはジャズという一風変わった人です。
――ドラム抜きの三人のアンサンブルというアイディアは、ドビュッシーの「フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」に由来するそうです。
( ・3・) いいのかそれで。ジャズといえば「スウィングしなけりゃ意味がない」んじゃなかったのか?
――スウィングしたくない人だっているんですよ。といっても、ベースはフォー・ビートで弾いていますが。
( ・3・) これが録音されたのは……ええと、1961年か。ジャズもずいぶん進んでいたんだな。
――いえ、この人たちが異常なだけで、当時の主流というわけではありません。さっぱり売れませんでした。表現自体は抑制・洗練されていて、いかにも前衛というわけではないのに。同じ年のライヴ録音も聴いてみましょうか。
Stretching Out (1961) http://youtu.be/2bZy3amAZkE
( ・3・) おい、ピアノの中に手を突っ込んでるぞ。(3分16秒にて)
――まあ、それくらいはするでしょう。
( ・3・) おい、トーン・クラスターが出てきたぞ。(4分16秒にて)
――それでも全体としては熱くならない、ひんやりした演奏です。
――さて、次はエリック・ドルフィー。作曲の才能だったり、バンドを統率する才能だったり、音楽の才能にもいろいろありますが、この人はひとりの即興プレイヤーとして群を抜いていました。同じコード進行を与えられても、ほかのプレイヤーとは出てくる音の幅がちがう。さらに楽器の持ち替えもできるという万能ぶり。順番に聴いていきましょう。まずアルト・サックスから。
Miss Ann (1960) http://youtu.be/7adgnSKgZ7Q
( ・3・) なんだか迷子になりそうな曲だな。
――14小節で1コーラスだと思います。きちんとしたフォームはあるのですが、ドルフィーはフォームに収まらないようなフレーズの区切り方でソロをとっています。1小節ずつ意識して数えながらソロを追ってみてください。ああ、いま一巡してコーラスの最初に戻ったな、とついていけたら、耳の良さを誇ってもいいと思いますよ。
Left Alone (1960) http://youtu.be/S1JIcn5W_9o
――次はフルート。
( ・3・) ソロに入ると、コード進行に対して付かず離れず、絶妙なラインを狙っていくな。鳥の鳴き声というか、メシアンの「クロウタドリ」に似ている。
――鳥の歌に合わせて練習していたといいますから、まさにメシアンです。あるいはアッシジのフランチェスコか。ほかにもヴァレーズの「密度21.5」を演奏したり、イタリアのフルートの名手であるガッゼローニの名前を自作曲のタイトルにしたり、意外なところで現代音楽とのつながりがあります。
参考 Le Merle Noir (Messiaen, 1952) https://youtu.be/IhEHsGrRfyY
It’s Magic (1960) http://youtu.be/QxKVa8kTYPI
――最後にバスクラ。吹奏楽でバスクラ担当だったけど、主旋律で活躍する場面がなくて泣いてばかりいた方々に朗報です。
――いえ、当時、長いソロを吹いた人はあまりいませんでした。
( ・3・) バスクラ自体がめずらしいという点を措いても、独特な音色だな。
――村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にこんなくだりがあります。「死の床にあるダライ・ラマに向かって、エリック・ドルフィーがバス・クラリネットの音色の変化によって、自動車のエンジン・オイルの選択の重要性を説いている……」
( ・3・) どういう意味?
――楽器の音が肉声のようにきこえる。でも何をしゃべっているのかはよく分からないという意味だと思います。あと、ミニマリズムの作曲家のスティーヴ・ライヒはバスクラを効果的に使いますが……
( ・3・) 「18人の音楽家のための音楽」とか、「ニューヨーク・カウンターポイント」とか。
――はい。彼はドルフィーの演奏を聴いてバスクラに開眼したと語っています。 [1]
――真打登場です。サックス奏者のオーネット・コールマン。50年代の末に現れて、前衛ジャズの象徴的な存在になった人です。といっても、難しい音楽ではありません。子供が笑いだすような音楽です。ちょっと変化球で、70年代の録音から聴いてみましょう。
Theme from Captain Black (1978) http://youtu.be/0P39dklV76o
――ギターのリフで始まります。
( ・3・) あれ、ベースがおかしなことやってるな。キーがずれていくぞ。
――はい、各パートが同時に異なるキーで演奏してもいいというアイディアです。イントロのギターが床に立っている状態だとすると、ベースは重力を無視して、ふらふらと壁や天井を歩きだす。
( ・3・) 複調を即興でやるのか?
――どのていど即興なのかはわかりません。コンサートに行ったことがあるのですが、譜面を立てて演奏していましたよ。でも、別にダリウス・ミヨーに作曲を教わったというわけではなくて、アイディアを得たきっかけは些細なことだったんじゃないでしょうか。たとえばサックスが移調楽器であることを知らなかったとか。「なんかずれてるな、でもまあいいか」みたいな。
( ・3・) それはいくらなんでも。もし本当だったら天才だな。
Peace (1959) http://youtu.be/bJULMOw69EI
――これは初期の歴史的名盤から。当時、レナード・バーンスタインがオーネットを絶賛して、自分がいちばんでなければ気のすまないマイルス・デイヴィスがたいそう機嫌を損ねました。
( ・3・) さっきのに比べると普通にきこえるが……
――1分40秒あたりからサックスのソロが始まります。集中してください。
( ・3・) (4分12秒にて)ん? いま、俺の辞書には載っていないことが起きた気がするな。
――ここはいつ聴いても笑ってしまいます。そのタイミングで転調するのか、脈絡なさすぎだろうって。ソロをとりながら、いつでも自分の好きな調に転調していいというアイディアです。
( ・3・) 言うは易しだが、真似できそうにはないな。
――どの調に跳んだら気持ちよく響くか、という個人的な経験則はあるはずです。突飛な転調でも、「これでいいのだ」といわれれば、たしかにその通り、すばらしい歌ですと認めざるを得ません。
――お昼はうなぎだと聞いておりましたが。
( ・3・) そのつもりだったんだが、いつの間にか値段が高騰していてな。「梅」のうなぎよりも、うまい天ぷら蕎麦のほうがいいじゃないか。
――この人も、オーネット・コールマンと同じくらい重要なミュージシャンです。テキサス出身のオーネットに対して、セシル・テイラーはニューヨーク出身。都市と芸術の世界の住人です。ピアノを弾くだけではなくて、舞踊や詩の朗読もします。これは1973年に来日したときの録音。
Cecil Taylor Solo (1973) http://youtu.be/X7evuMwqjQQ
( ・3・) バルトークとシュトックハウゼンの楽譜を細かく切って、よくかき混ぜて、コンタルスキーが弾きましたという感じだな。70年代にはずいぶん手ごわいジャズも出てきたんだ。
――いえ、テイラーは50年代から活動しています。チャック・ベリーやリトル・リチャードと同じ世代。この人が異常なだけで、当時の主流ではありませんが。さっきも似たようなことを言いましたね。
( ・3・) このスタイルでよく続けてこられたな。
――継続は力なり。2013年には京都賞を受賞して、東京でもコンサートがありました。
( ・3・) どうだった?
――会場で野菜を売っていたので、買って切って食った。
――文字通りの意味なのですが、それについては別の機会にしましょう。演奏の話に戻ると、混沌と一定の秩序とがせめぎあって、台風のさなかに家を建てている大工のような趣があります。「壊す人」というよりは「組み立てる人」です。また、あるフレーズを弾いて、復唱するようにもういちど同じフレーズを弾く箇所が多いのも特徴です。
( ・3・) いちどしか起こらないことは偶然に過ぎないが、もういちど起こるなら、そこには何らかの構造が見えてくるということか。
参考 Klavierstücke (Stockhausen, rec. 1965) http://youtu.be/mmimSOOry7s
――きょう紹介するのは北米の人ばかりなのですが、デレク・ベイリーは唯一の例外で、イギリス人です。さっそく聴いてみましょう。これも日本に来たときの録音。
New Sights, Old Sounds (1978) http://youtu.be/nQEGQT5VPFE
( ・3・) とりつくしまがない……。
――そうですか? クラシック好きな方には思い当たる文脈があるはずですが。
( ・3・) 無調で点描的なところはヴェーベルン。でも対位法的に作曲されたものではないみたいだ。あと、初期の電子音楽。ミルトン・バビットとか……。
――模範解答です。
( ・3・) でも即興でヴェーベルンをやるというのは正気の沙汰とは思えんな。
――即興の12音技法ではありません。それは千年後の人類に任せましょう。ベイリーがやっているのは、調性的な旋律や和音を避けながら演奏することです。最初に聴いたマイルス・デイヴィスも緊張の張りつめた音楽でしたが、こちらも負けず劣らずです。文法に則った言葉を発してはいけないわけですから。
( ・3・) 「どてどてとてたてててたてた/たてとて/てれてれたとことこと/ららんぴぴぴぴ ぴ/とつてんととのぷ/ん/んんんん ん」
――ちょっと意味が分かりませんが。
( ・3・) 尾形亀之助の詩だ。お前も少しは本を読んだらどうだ。それはともかく、こういう人が観念的な作曲に向かわずに、即興の道に進んだのは不思議な気がするな。
――いちプレイヤーとして生涯を全うしたというのは重要で、ベイリーの音楽はベイリーの体から切り離せないと思います。彼の遺作は、病気で手が動かなくなってからのリハビリを記録したものでした。
( ・3・) プレイヤーとしての凄みが音楽の凄みに直結しているということか?
――はい。技術的にも高い水準のギタリストでした。無駄な動きのない、きれいなフォームで弾いています。気が向いたら動画を探してみてください。
( ・3・) まあ、ギター弾きのお前がそう言うなら上手いんだろうな。
――楽器の経験の有無で受け止め方は変わってくるかもしれません。ジャズ一般について言えることですが、鑑賞者としてではなく、その演奏に参加するような気持ちで聴くと楽しみも増すと思いますよ。
ベイリーの即興演奏(動画) http://youtu.be/H5EMuO5P174
参考 Ensembles for Synthesizer (Babbitt, 1964) http://youtu.be/W5n1pZn4izI
――セロニアス・モンクは、存在自体が貴重なピアニストです。生まれてきてくれてありがとう、とお母さんみたいなことを言いたくなる。
( ・3・) 初めて聴く者にとっては何のこっちゃの説明だな。
――とてもユニークなスタイルで、代わりになる人が思いつかない、くらいの意味です。まあ聴いてみましょう。
Everything Happens to Me (Monk, 1959) http://youtu.be/YW4gTg3MrrQ
( ・3・) これは彼の代表曲?
――いえ、そういうわけではありません。モンクの場合、どの演奏にも見逃しようのない「モンクの署名」が刻まれているようなものなので、わたしの好きな曲を選びました。有名なスタンダードです。最初に歌ったのは若いころのフランク・シナトラ。
Everything Happens to Me (Sinatra, 1941) http://youtu.be/ZWw-b6peFAU
――1941年の録音ですが、信じがたい音質の良さ。さすがスター。さすが大資本。これがヒットして、多くのジャズ・ミュージシャンのレパートリーになりました。ちなみに曲名は「僕には悪いことばかり降りかかる」というニュアンスです。恋人に手紙を送ったらさよならの返事が返ってきた。しかも郵便料金はこちらもちで、みたいな。もうひとつだけ聴いてみましょう。
Everything Happens to Me (Baker, 1955) http://youtu.be/UI61fb4C9Sw
( ・3・) このいけすかないイケメンは?
――チェット・ベイカー。50年代の西海岸を代表するジャンキーです。シナトラに比べると、ショウビズっぽさがなくなって、一気に退廃の世界に引きずりこまれる。で、モンクの話に戻りますが――
( ・3・) ショウビズではないし、退廃でもない。
――もっと抽象的な次元で音楽を考えている人だと思います。
( ・3・) 素材はポピュラー・チューンなのに、ずいぶん鋭い和音が出てくるな。
――調性の枠内で本来なら聴こえないはずの音が聴こえてくると、デレク・ベイリーのような無重力の音楽とはまた別種の怖さがあります。幻聴の怖さとでもいうべきか。さいごにぽつんと置かれる減5度の音には、「聴いてはいけないものを聴いてしまった」という感じがよく出ています。
( ・3・) 減5度はジャズでは珍しくないんじゃないのか?
――はい。でも、その音をどう響かせるか、その音にどういう意味を持たせるかというのは全く別の問題です。そういう音の配置に関してモンクは天才的でした。
( ・3・) カキーン、コキーンと石に楔を打ちこむようなタッチで、ピアノの先生が卒倒しそうだが。
――意図的に選択されたスタイルだと思います。プライヴェートではショパンを弾いたりもしていたそうですよ。 [2]
( ・3・) 見かけによらないものだな。
――小さいころから必死に練習すれば、いつかはマウリツィオ・ポリーニの水準に達するかもしれません。しかし、ピアニストとしてモンクを超えるというのは、端的に不可能です。それがどういう事態を意味するのか想像できませんから。
( ・3・) 四角い三角形を想像できないように、か。
――アンドリュー・ヒルは作曲・編曲に秀でたピアニストです。『ポイント・オブ・ディパーチャー』というアルバムが有名ですが、録音から半世紀を経たいまでも新鮮にきこえます。ペンギンブックスのジャズ・ガイド(なぜか翻訳されない)では、初版からずっと王冠の印が与えられていました。
( ・3・) 英語圏では別格扱いということか。
――ヒルは若いころ、ヒンデミットの下で学んだという話もあるのですが……
――誇張も混ざっているかもしれません。ヒルの経歴は、生年や出身地も事実とは異なる情報が流れていたので。
Refuge (1964) http://youtu.be/zquk2Tb-D6I
( ・3・) 何かひっかかるような弾き方のピアノだな。
――ヒルには吃音がありました。 [3] 言いたいことの手前でつっかえて、解決を先延ばしにするような演奏は、しばしばそのことに結びつけられます。
――ヒテーシンガク?
( ・3・) ほら、メルヴィルの『モービー・ディック』で、神秘的な白鯨の本質については語れないから、迂回してクジラにまつわる雑学的な記述が延々とつづくだろ?
――どうでしょう。アナロジーとしては分からなくもないですが。
( ・3・) 形而下の世界に戻るか。あれ、このサックス奏者、さっきも出てきたんじゃないか? (2分58秒にて)
――エリック・ドルフィー。共演者の共演者を辿っていくと、きょう紹介する人たちはみんなつながっています。
( ・3・) デレク・ベイリーも?
――はい。セシル・テイラーと共演していますし、この次に紹介する人ともアルバムを出しています。
( ・3・) なんだかドルフィーに耳を持っていかれてしまうな。
――圧倒的です。ねずみ花火のような軌道と瞬発力。数か月後に死ぬ人間の演奏とは思えません。
( ・3・) すぐ死んでしまうん?
――はい。ドラッグでもアルコールでもなく、ハチミツのオーバードーズで。正式な診断ではありませんが、糖尿病だったといいます。 [4][5]
( ・3・) ハチミツって、くまのプーさんみたいなやつだな。――ん? いまミスしなかったか? (6分36秒にて)
( ・3・) やり直しになるんじゃないの?
――ジャズは減点方式ではなく加点方式ですから。ミスがあっても、総合的にはこのテイクが最良という判断だと思います。
条件に該当するサイト、リストアップいただきありがとうございます!
https://jjyap.wordpress.com/2014/05/24/installing-opencv-2-4-9-on-mac-osx-with-python-support/
OpenCVの導入解説として、初めてこの操作をする人に向けて丁寧に説明されているのは素晴らしい。初めて取り組む人に向けては、ここまで噛み砕くと不安感を払拭できてよさそう。ただし、慣れている、またはOpenCVを実際に使って云々と解説する場合は、コマンドの例は飛ばす方がすっきりしそう。
http://kometchtech.blog.fc2.com/blog-entry-1173.html
わからないことはわからないと書くのは、賛成。Qiitaのような知見をさくっとまとめるサイトなら、これくらいがいいかも。
問題が起きたときに、わからないと一旦置かれていた部分を追いかける必要があるフラグも立ちやすい。
苦しんで覚えるC言語
http://9cguide.appspot.com/ にもアップされているものと同じ?もしそうだとしたら、解説→ドリル→解説…と、学習参考書に近いものを求められているのかと理解している。
自分自身が持つ技術水準や、求められる情報(導入, 応用, ケーススタディのサイズ)によって、読んでもらったときに理解してもらいやすいものは違うことを、別の観点から知ることができてGoodでした。
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さて、自分自身が先に示された6つの条件を満たしていると考えているブログはこんな所。
上記2つはいずれも読者に「ある程度」の知識があることを要求している。その上で、運用している上で遭遇する問題…それもドキュメントにない情報…を、後で同じ問題に遭遇した人が問題解決を再現できる水準で記録されていることに感服する。
ただ最近はまず公式とマニュアルを見に行って、よくわからなければググって傍系のStackOverflow(一番これが多いです)・英語圏のブログ・解説サイトに行く、エラーが出たら--debugしてみてよくわからなかったらエラーをググるなどの使い方をしているので、あまり日本のブログにぶち当たることは無いです。
これは同感。公式マニュアルを見たら解決する問題が多いし、公式マニュアルで嘘をつかれる可能性は比較的低い。
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技術ブログを書いている人間として、嬉しいなと思うのはこんな順番。
で、何より嬉しいのは、なんてことはない話だが…
である。
もちろん違法アップロードでインターネットにアップされた違法動画を違法試聴することは違法です。
私が某英語圏にいたとき、アニメは日常にあるものではなかった。合法的にネットで見る方法もなかった。ニコニコアニメチャンネルは海外(日本以外)からのアクセスを禁止していた(おそらく今も)。
DVDのレンタルショップは日本ほど発達していないし小規模で、置いている日本のアニメは宮崎駿の映画とかだった。テレビでやっているアニメはスポンジボブとか子供向けのものだけだった。
年に1回、日本のアニメと漫画を販売するイベントが行われて、入場料を払ってアニメのDVDを買うことだけが、私の国で合法的にアニメを見る手段だった。そこでは海賊版のグッズも沢山売られていて、皆はそれを喜んで買っていた。
ある日インターネットで観たいアニメのタイトルを検索すると、違法アップロードされた動画があった。私は、下の英語字幕が邪魔だなあと思いつつも、それを観た。すごくおもしろかった。数年ぶりに観た、日本のアニメだった。
きっと海外にいる人はそのときの私以上の感謝と喜びをもって違法アップロードされたアニメを見ているんだろう。
自言語に翻訳されていないアニメを翻訳してアップロードしてくれた誰かの存在を、有難っているんだろう。
スマホでニコニコのアプリを起動させて観たいアニメの生放送を予約。イベント会場に足を運んでDVDを買うよりも、アニメの英語タイトルを検索して削除済みの動画のなかからまだ見れるものを探すよりも、ずっと手軽だった。日本に帰ってきてよかったと思ったし、日本にアニメ好きが増えるわけだと思った。
http://www.slideshare.net/MatumitFilmSombunjaroen/ss-40971455(タイにおけるオタク人生)
マジレスするわね。
音楽に関してphysical copyという表現が定着したのは、「音楽はiTunesでデータで買う」のが当たり前になったころだったわ。mp3というファイル形式が一般人の語彙に入ったのが2000年ごろ、その数年後にmp3.comなどの「ファイル」を売るサイトが出現したんだけど、「データで買う」、「ハードディスクにダウンロードする」という消費スタイルが一般化したのは、もう少しあとだったわね。
そのときに、「データ」という形のないファイルか、手で触れる形のある記録媒体、つまり「物理的な(フィジカル)」物体か、「あなたはどっち派?」というような会話がたくさん行なわれたの。「フィジカル・コピー」はそこで使われた用語だったわ。英語圏ではこれは「店で売ってる、パッケージされたソフト」のことを指す用語なの(パソコンのソフトウェアやゲームでも使われる表現)。日本では、「形のある記録媒体」といえばCDだけだったから「CD」と言えばよかったのだけれど、アメリカやイギリスでは音楽を買うような人はある程度のマニアやコレクターもいて、一般的な音楽の記録媒体には「CD」も「ヴァイナル」(アナログのレコード盤)もある。それに英語では、「言い換え表現」が必要なのね(「株式会社はてな」について書くときは、「京都に本社のあるそのIT企業」と言い換えることが必要になるのが英語の文章術よ)。だから「私はまだCDを買っているわ。なぜなら、私はまだフィジカル・コピーを自分の棚に所有していたいと思うから」というようなことを掲示板などでわいわいと話していたんだけど、そういうところから日本人の音楽好きの人の間にも旧式のCDやレコード盤について、「フィジカル・コピー」という言い方が取り入れられたのだと思うわ。音楽関係の仕事で英語圏の人と話をする人なら、ごく普通に「フィジカル・コピー」を使うから、そこからも用語は入ってくるわね。いずれにせよ、「形のないデータでも購入できる」ようになったあとに広まった言い方よ。
昔なら、いかにも音楽好きっぽい気取った日本語の表現としては「盤」というのがあったわ。DJはよく「お皿」って言っていたわね。クラシックでは事情は違うと思うけれど。
サッカーの「フィジカル」は「身体的」の意味で、英語ではphysical strengthで「体力」の意味になるわね。確かに、これも誰が言い出したのか、気になるけれど、きっと「海外サッカー」の影響だと思うわ。対義語は「メンタル mental」よ。サッカーじゃなくテニスだけどmental toughnessといえばロジャー・フェデラーよね。
えっ!この時代に?先進国イギリスの奴隷の数が想像以上だった -
NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2141740189417391401
これをみて思ったんだけど、慰安婦はセックススレイブではないって話が日本のいち部分では主張されてるけど、
Slaveという単語が日本と英語圏では意味合いが違うんじゃないかなと思った。
従軍慰安婦は、そういう労働を強いられた女性という意味でもはや強制性とは違うところに議論がずれているのに
日本国内ではあれは女性を奴隷として扱ったわけではないという議論になってて、
日本国内ではブラック企業の従業員とか派遣で安定した職につきたいのに不安定な職のまま同一労働同一賃金も守られて
かつて、日本軍に囚われた捕虜が日本の軍人が日本人の上司にされた非情な行いを日本軍の慣習だからとして受け入れていたことを
同じような行いをされたら捕虜に対する虐待として訴えたように、
そして奴隷が、他の非情な行いを我慢ならじと声をあげた他の奴隷を、そんなことだれでも我慢すべきだって叩いてるんじゃないだろうか
それを認めたら自分が奴隷だと気付いてしまうから、奴隷じゃないと思いたくないんじゃないだろうか
って思わなくもなかった。
不正するなという意味での「Don't Korea(韓国するな)」という言葉について。この記事を書いてる時点で確認できる中で一番早いものが
https://www.facebook.com/IncheonAG2014.en/posts/744454595613883
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Patrick Hosfield
9月30日 22:44
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Don't Korea(韓国するな) = Don't cheat.(不正するな)
Patrick Hosfieldさんは英語圏の名前だけどタイ在住。
タイの人がどうしてそんな事を言うのって事になるんだけど、仁川アジア大会男子サッカー準決勝の韓国対タイでの判定に不満があるかららしい。
https://www.facebook.com/video.php?v=364479723707112&fref=nf
韓国の選手がペナルティエリアでハンドしたのでは?というタイ視点からの動画は70万回以上再生されて1500件以上コメントがついてる。
コメント欄でも韓国がPKもらったファウルがペナルティエリア外だったんじゃないか等。その他かなり攻撃的な表現。
その「Don't Korea(韓国するな)」がなんで嫌韓クラスタに発見されちゃったのって事になるんだけど、レコード・チャイナが仁川アジア大会ボクシング女子ライ
ト級準決勝の韓国対インドの判定を巡る騒動で、米国のネットユーザーが韓国を批判したという文脈で『世界的な新しい俗語ができた。韓国するな=不正するな
』と紹介して、後は2chにスレが建ってまとめサイトで拡散という例の流れ。
そのレコード・チャイナの記事に対するつっこみとして町山智浩さんの米国のサイトではそんなの見つからないけど引用元は?という記事。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20141025
ただ一応さっきのfacebookともう一つYoutubeに「Don't Korean me」という形でのコメントはあって
http://www.youtube.com/watch?v=jzzbQi_ef5w
インドのSarita Devi選手が判定を不服として銅メダルを韓国選手の首かけた仁川アジア大会ボクシング女子ライト級準決勝韓国対インドの試合
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thanachart pluemjitr 3 週間前
Don't Korean me = Don't cheat me.
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thanachart pluemjitrさんはアメリカ在住。名前はタイ系らしい。
タイつながりでfacebookの「Don't Korea(韓国するな) = Don't cheat.(不正するな)」を見てYoutubeにコメントしたというのは考えられると思う。
一方でレコード・チャイナ記事の「世界的な新しい俗語ができた。」部分は見つかってない。(原文が分からないので見落としはあるかも)
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20141025
ブクマ先と同じく「Don't Korea」で検索しても見つからなかったってコメントもあるけど
英googleで仁川アジア大会からレコード・チャイナの記事が出る以前までを期間指定して「"Don't Korea"」で検索すると上2つであげたページは1ページ目に表示
される。
facebookの方はページ検索ですぐ見つかるけどYoutubeの方はページ開いてコメントを何回か読み込む必要があって見落としやすい。
で話を戻してレコード・チャイナ記事の「世界的な新しい俗語ができた。」について
レコード・チャイナ記事以前にあげられたYoutubeとfacebookの仁川アジア大会動画コメント欄を一つ一つチェックすればあるかも知れない。けど攻撃的なコメン
トを探すことに意識を集中しながら読みつづけるのは案外しんどかったのでレコード・チャイナの回答待った方が早そうだと感じた。
仁川アジア大会の関連動画は見れなくなってるのもあるのでそれについたコメントだった可能性はあるかもしれない。
韓国が関わった試合を検索した時に引っかかるアレ系のサイトを覗くと動画が消えた痕跡が見られる。
http://www.akb48matomemory.com/archives/1010554023.html
埋め込まれていた女子ボクシングインド対韓国の試合動画が一つ消えている。(まとめサイト)
かつてゲーム大国と呼ばれ、海外からも尊敬を集めてきた日本のゲーム業界が、ソーシャルゲームとガチャの驚異的な利益率に圧倒され寂れた現代。
日本のコンシューマーゲームメーカーは、海外勢のような超予算超グラフィックで英語圏に売りまくるハリウッド方式が出来るほどの市場も開発予算も体力無く、大手を除きただただガチャゲーに淘汰されていくのを見守るしかなかった。
そんな中、唯一輝く星があった。それは、スマホと同じく誰もが持っているハードPCを使い、もしくは落ち目のゲームハードにのみ許されたサンクチュアリ、エロゲーである。
スマホゲー最大の弱点、それはグーグルとアップルがエロを認めないことであった。彼らの国は児童ポルノに厳しく、遊戯王のしょーもない肌色さえ修正される厳しさだった。しかし、日本は一般紙でさえもエロ漫画よろしくお色気が許されるHENTAI文化を持っており、エロゲーは収益性こそスマホゲーに勝てないものの、唯一日本で、スマホゲーで出来ないことをやってのける奇跡のジャンルである。
18禁という需要、大人の男の購買力、登場人物は18歳以上ですという表現の自由、まさにグーグル&アップルの巨神に勝てるエクスカリバー、日本のKATANAはエロゲーだった。
ガールフレンドなどソシャゲー業界も萌えで押してきたが、肌色規制によって水着画像すら削除される巨大な外資の圧力。
黒船の言いなりになっていいのか? いやよくない。ゲームのプラットフォームを海外の連中に好き勝手されて、健全な日本のゲーム文化が侵されて良い訳がない。
今こそグーグル、アップルに継ぐスマホ用公式エロゲープラットフォームを日本が制作し、日本のエロゲで世界を支配するのだ。
上記の一文こそ空想言ではあるが、実際、スマホゲーに勝てる要素を持っているのはエロゲーである。
前に「大企業ソニーに安定した生活を求めてる志望者が増えた」「現場の人間が欲しいと思った人間より人事が欲しいと思った人間が採用される」という問題が取り上げられていて、もしこれが原因なら、今のソニー社員総取り替えしないとソニー復活はないことになるな。ベンチャーに人材知財リソースをレンタルして「第二ソニー」になって貰った方が早いレベル。
それと、東大生獲りすぎ。偏見って訳じゃないが、東大生は何が起きるか判らないカオスより見えるゴールへ向かいやすい傾向はあると思う(そうじゃない東大生は日本の大企業に就職しないだろうし)。どうしても人生台無し級の失敗を堂々としてくれる人材にはならない。彼らは優秀だから。ソニー超能力研究所で人生浪費はしないだろ。
でも、優秀な奴が努力でたどり着けるゴールなんて、人材豊富な英語圏の方が圧倒的に有利なんだよなあ。堂々と失敗する奴も日本より多そうだし。だから東大生の優秀さのアドバンテージって国内限定なんじゃないか?それじゃ世界市場じゃ負けるわな。
私は日本生まれの日本育ち、日本国籍をもつ血統的には完全なる日本人だが、日本が嫌いだ。以前は、ある英語圏で永住者として暮らしていたが、あるきっかけで日本に戻ってきた来た後、その国に帰れなくなってしまった。日本に戻ってきたことをいまは本当に後悔している。だが完全に後の祭りである。
日本が嫌いな理由はいろいろあるが、そのひとつは、日本民族以外の人たちがほとんど住んでいない、この同質性にある。同質なのは当たり前じゃないかというかもしれないが、たいていの国は、いくつかの異なる民族から構成されているのが、むしろ普通のことだ。普通でないのは、日本の方なのだ。
日本はあまりに教科書どおりの国民国家であり、ほとんどの国民がそれを当然視しているが、実は、国民国家など、この数百年で作られた便宜上のものにすぎない。そして、それが便宜上のものにすぎない以上は、やがて、消えていく運命にあるということだ。実際、その過程は、欧州ではEUという形で始まっている。東南アジアでも、まもなくASEAN経済共同体(AEC)が発足する。歴史は、移民が増え、国民国家が解体消滅する方向に、ゆるやかな速度で向かっている。
ところが、日本だけは、あまりに日本人だけで凝り固まっているために、近い将来の大幅な人口減が確定しているにもかかわらず、依然として移民を受け入れようとしない。なにも、単純労働者ばかりが移民ではない。高収入の知的労働者なら、移民であっても、社会保障や治安への負担も少ない。むしろ、若い移民が入ってくれば、彼らは社会保障を支える側にまわり、税収に貢献し、消費の拡大という形で、経済に貢献してくれるだろう。
だが、こういう合理的な議論が日本ではできない。右翼をはじめとする一部の国民が、日本民族の神秘的な純血性を信じており、こうした「外の血」を入れようとする論客に対して個人攻撃を行うため、みな口を閉ざしてしまうからだ。
結果として、日本はこれから衰退の一途をたどることになるだろう。人口が減っていく国に未来など無いことは誰が見てもあきらかだ。もっと深刻なのは、ここまで追い込まれても国民に危機意識がないという点だ。これが一国が衰退していくときの姿なのだろうか。
私は、いま日本でやっていることに区切りがついたら、いずれこの国を出ていくつもりだ。こんな国と心中する気はさらさらない。反日でも売国奴でも、なんと呼ばれようが平気だ。日本を「救う」つもり満々の右翼たちにこの国の未来は任せることにしよう・・・彼らが主張するように日本が復活するようにはまったく思えないのだが。