はてなキーワード: 英語圏とは
これ
http://www.huffingtonpost.com/entry/i-love-you-hatsune-miku_55ef16c4e4b002d5c076ca27
とりあえず序盤のあたりだけ訳しておく.
もしポップスターに肉体が必要と考える人がまだいたら,ショックを受けるかもしれない.
何年か前,ヤマハはボーカロイドを開発した.それはコンピュータに合成音声で歌わせるソフトウェアだった.2007年にそのソフトウェアは身体を獲得し,初音ミクと名づけられた.(hot-sue-neigh mi-kooみたいに発音する)青い髪のアニメ風少女で,世界中の生身の人間たち相手にツアーをし,不思議なホログラムで舞台に立ち,彼女のファンによってボーカロイドソフトウェアで書かれた電子音楽を熱唱する.彼女が世に出てから何年も経つ間,何人もの男女のボーカロイドシンガーが加わった.また彼女はいくつかのゲームの主役だ.これらの出来事は本当に奇妙でかつ,マドンナがウェディングドレスでVMAのステージに立って以来の,ポップシーンにおける重要な出来事だろう.
これは21世紀的なアイディアだ.すべてクラウドソースの歌をうたうデジタルポップスターというのは.ミクは舞台の上で足首を捻挫したり声が出なくなったりする心配をする必要もない.まあ魂のない企業産娯楽の現れといえるかもしれない.しかし,彼女はファンが望むからそこにいるのであって,そうなると等式の流れが逆転する.彼らが彼女に音楽を与え,同時にコンサートで応援する.
別の言い方をしよう.もし皆が朝起きて急にミクを嫌いになっていたとすると,コンピューターホログラムは使われなくなるだろう.だけど別に悲しくはない.同じことがTaylor Swiftに起こると,彼女は何年もの間つまらないアルバムをリリースしたあげく,限界に達してDemi Lovatoの二の舞になるだろう.それはとても悲しい.
歌う日本のホログラムが世界中を闊歩してることを信じない人にとっては受け入れづらい話かもしれない.レディガガの前座だってつとめたし(以下メディア展開について略
後半は北米でローカライズ版が発売されたProject Mirai DXの宣伝とローカライズ担当者のインタビュー記事になるので割愛.気になった点を以下に示す.
・ユーザーによって音楽やさまざまなコンテンツが作られていることが注目に値する
・たくさんある曲を適当に聴いていると,一曲くらい自分好みの曲がみつかる
ユーザーによって作られているという点は,最初期のボカロシーンには当てはまるかもしれない.例えばネギもたせたりデフォルメキャラが作られたりしたのはその頃のユーザーの手によるものだ.しかし一旦製作者と視聴者の関係が確立してしまうと,両者の間には埋まらない溝ができた.現在の話をすると製作者の層とボカロのメイン視聴者の層はまったく異なると思う.視聴者は製作者を応援したり,お金を落としたり,ファンアートを描くくらいはできるかもしれないが,自分で製作者と同等の活動をしたりそれを目指したりはしない.ちょっとややこしくなるけど「ボカロソフトのユーザーである曲の製作者」と「曲を視聴するユーザー」に完璧に分かれている.確かにユーザーによって作られているコンテンツと言えなくもないけど,それはファンメイドのコンテンツとは違うように思う.なぜならファンは視聴者側が圧倒的に多いし,製作者はむしろ自分の曲を聴いてもらうため仕方なくボカロを使うという面があるからだ.ファンが直接コンテンツを作るのではなく,製作者を評価するなど間接的な方法でしか関われない.その少々歪な状況が英語圏には伝わってない(別に伝わらなくてもいいと思うが).外国のボカロファンはさすがに異国の奇妙なコンテンツにはまるだけあって熱意はすごく色々なことにトライしてるみたいだけれど,逆に日本にはほとんど伝わってこない.
もう一つの点はひとつの本質に迫っていると思う.ボカロは曲の良し悪しは別としても何万もの歌が動画サイトに登録されている.曲風も製作者の好みによって千差万別で,メインストリームで受け入れられないようなニッチな曲風も多い.たくさん聞けば自分にぴったりの曲を見つけることができるだろう.これはAKBやラブライブで女の子を増やしまくって誰か一人くらいは推しが見つかるだろうという戦略と図らずも同じだ.とはいえ手がかりがないと膨大な時間が必要なので,口コミとかセガのゲームのようなとっかかりが鍵になる.まあ今はネット上のボカロの知名度は高いので,ネットを積極的にやってる人なら一曲二曲は知ってたり,もしくは好きだったりするんじゃないかと思う.敷居の低さとコンテンツの多さは強みとなる.
確かにGorillazは君がリンクした動画でまったく同じことをした.2006年のグラミー賞でも同じことをしようとしたけど,問題があってテレビ用にごまかすことになった.費用がかかりすぎるので同じ形式のコンサートはもうやってない.Musion社から借りている技術も向上してない.
ミクに使われてる技術は全然違うもので,開発元の内製だ(訂正-もともと違う会社と共同開発したようだけど,今はクリプトンが全責任を負っている).その方法はもっとシンプルだしパテントに縛られることもない.一方でミクの3Dアニメーションソフトウェアは無料でファンメイドのものだ.おかげで非公式のファンメイドコンサートが世界中で定期的に行われている.とってもクールだと思う.訳ここまで.
コンサートはやはりお金かかるんだろう.ほうぼうに散らばった曲の版権者,3DCGクリエーション,自分達が主演できるわけでもないバンドの何曲にもわたる練習.オペラとかはもっと収支がひどいみたいだけど,彼らは自分が好きだから赤字でも上演するそうだね.
英語圏住んでてこっちで子供産まれて育ててるけど、注意されたのは「言語の基礎ができるまでは、子供に話しかける時に言葉を混ぜちゃだめ」ってことだった。英語なら一貫して英語、日本語なら一貫して日本語、母親と父親で別でもいいけど、同じ大人が二ヶ国語以上混ぜて話しかけてはだめ。どうしても混ぜる必要がある場合は「今から1時間英語の時間」とか決めてその間は完全に切り替えなさいと言われた。
子供自身は日本語のカタカナ語と対応する英語は完全に別の言葉として認識してる。「cakeはにほんごではケーキって言うんだね」的な。今でも会話で、文単位で英語と日本語が切り替わることはあるけど、日本語の中に英語を無意識に混ぜたりその逆をしたりすることは無い感じ。カタカナ表記と元の英単語を混同することもまずない。
教えてやるよ。
帰国子女でも、留学経験もないお前らでも英語ができるようになるほぼ唯一の方法を。
だから、意味のない英語勉強法のサイトを1000ブックマークとかするのをもうやめろ。
恥ずかしいから。
頭悪すぎるから。
1000ブクマのサイトのやり方で英語ができるようになったやつってどれだけいるわけ?
長ければ長いほど「後で読む」でたくさんブックマークされて、たぶん読まれてもいない。
読まない奴が悪いんじゃない。
最近のは特にだが、アフィリエイトをベタベタ貼って、勉強法を列挙。
超長い。
そんなものは偽物なんだよ。
著者自身も本当に効果があると思っている方法ならば、「列挙」しない。
自分がたどり付いた教材を一つだけ書く。
違うか?
まがい物なんだよ。
1人がやれる分量だけにまとまっていないから、読むことすら苦痛なんだよ。
ブクマするだけなら只だから、失ったのは知性と羞恥心だけだけどな。
さて、その方法をそろそろ教えてやるよ。
そこらへんのふつうのサラリーマンが、今まで英語に縁もゆかりもない人生を送ってきたサラリーマンが、
たった11文字だ。
お前らでも最後まで読めるだろ。
T O E I C を 猛 勉 強 し ろ
以上。
簡単だろ。
本物がゆえにシンプルだ。
これならお前らにもできるだろ?
860点、できれば900点以上取るようにな。
TOEICは2年間で20回くらいあんのか?必ず毎回受けろ。受験自体も勉強だ。
20回受けろ。
10万ちょっと必要だが英会話学校なら50万払ってたいした意味がないわけだから、安いだろ。
以上だ。
おっと、大事なこと言い忘れた。
できれば30歳までに取れ。
じゃあな。
900点でも話せないやつが多い?
ほんっと頭悪いな。
だからいいんじゃねーか。
本当の英語力が必要ないからこそ、お前らでもできる方法なんだろうが。
英会話学校とか通うのは無駄だからペーパーテストの勉強に集中しろ。
そもそも、英語に縁がなかったサラリーマンがいまさらシコシコ勉強して英語ができるようになるか?
そんなの土台無理なんだよ。
いや、いるよ、確かに。
映画で勉強して話せるようになったとか、フィリピン人とスカイプで毎日欠かさず会話してできるようになったとか。
信じられないことに本当にいるんだよ、少数のそういう人たちが。
でもさ、そういう人達は、もともと英語が好きなんだよ。だから自然と勉強するんだよ。そして自然と英語ができるようになるんだよ。
これは生まれや環境や、それまでの人生の蓄積によるものだから、今更心の持ち方でどうにかなるもんじゃない。
続かない。
それでできるようになる人は、今までも英語が好きでコツコツやってる。
そういう人って自分を突き動かす外国や外国人への憧れがあるんだよ。
でもお前らはそうじゃないだろ?
これも十分退屈だ。退屈すぎる。
だが、できる。
何故か?
ペーパーテストがゆえに、何をすればよいかが明確だ。
これなら人は動けるんだよ。
あれやってみたり、これやってみたりフラフラして時間を浪費せずに、信じて進んでいくことができる。
すまんな、最初に言わなくて。
これが唯一の方法なんだよ。
身も蓋もないけどな
英語なんて、特別なモチベーションを持っている人以外は、海外行かなきゃ無理だ。
本物は常にシンプルだ。
そのためにはTOEICだ。
TOEICなんて話せる話せないと無関係だが、ほかに良い尺度があるわけじゃない。
学歴とか難関資格とかいろいろあるけど、TOEICほど割のよい資格はない。TOEIC900点は難関大学受験の10分の1の努力で取れる。
860点以上が意味のある点数だ。900点なら更にインパクトがある。
英語ができるようになったら人生が変わる可能性があると思わないか?(まあ何も変わらないけどな笑)
そのために、もう1度ペーパーテストを勉強する努力はできないか?
十分だ。
今の海外派遣者はそんなに甘くない。仕事で海外に行けばよほどのボンクラ以外は簡単なビジネス英会話は身に付けて帰ってくる。
そこに達すれば、そこから先は普通の人でも自分の努力で伸ばしていける。
自走が始まる。
国内にいるだけでは、普通の人には、自走するレベルまでのハードルが高すぎて越えられない。
これが現在のすべてだ。
もちろん全員できるなんていわない。
だが、たとえば大学受験をある程度頑張れた人ならば、できる。
フレンズで英語ができるようになる人は20代の1%くらいじゃないのか。
20%の人にしか可能性はない。嫌な現実を書いている自覚はある。
でも、少しでも多くの人が、何かの制度をみつけてチャレンジしてほしいと思っている。
俺は家が貧乏だった。
親戚中で初めて大学に行った。
誰も海外なんていったことがなかった。
「英語で」ってなんだ?
英語なんて言語に過ぎないのに英語を使うなら何でも良いという発想が信じられなかった。
そんな俺が会社の奨励でイヤイヤTOEICを受け、最初は460点だったけど、ペーパーテストならなんとかなると思って一念発起して、
900点取って、最初にTOEICを受けた日から2年後に、アメリカに派遣された。
40前にして、ぎりぎり英語が一応できると言えるサイドに立つことができた。
自分の人生を振り返っても、英語が一応できる、というレベルになる道はこれしかなかったと思っている。
その可能性が開けている人は、その幸運に感謝して、つべこべ言わず進め。
評判の良い対策本を1冊買って、そのとおりにやれ。公式問題集と単語集を買ってきて、本試験をマイルストーンにしてひたすら勉強するだけだ。
有名大出ていい会社に勤めてるけど育ちは良くなくて生家で文化的なこと(単なる勉強を含む)を施された経験なんて一度もない。家は狭い。
俺は酒好きでワインならフランスのサン・テミリオンやイタリアのヴァルポリチェッラあたりが好きだが、家族は発泡酒と焼酎で酔えればそれでいいだろって感じ。
家族で海外旅行なんてしたことないし、20代の終わりまで海外に行ったことすら無かったが、英語は多少勉強していたので今は英語圏ならそれなりに困らず生活できる。
文化芸能は無理だな。多少は周りから知識が入ってくるけど、仕事と関係ない上に幼少期の蓄積が皆無だから。
なぜそうなったかというと、家族の他の誰も全く勉強なんかできないのに遺伝子の偶然で俺にはたまたま少しだけ数理的な才能があったからだな(マジで少しだけど)。
それがフックになって多少いい学校に行くと周りの環境が変わってさらによくなって…というポジティブフィードバックだ。
もちろん真っ当なエスタブリッシュメントからすれば俺はポッと出の芸人みたいなもんなんで、真っ向勝負では全然お話にならない。
東大に比べたらクソみたいなしょぼい話だけど、その分わかりやすいだろうと思って書く。
俺TOEICのスコア900超えてるんだけど、その辺の普段英語とか全然使わない人にその話をすると凄い凄い言われるのね。
でも実際に英語使う場面だと言いたいことの3割も表現できないしネイティブ同士の会話には全くついていけないし自然な文章も全然書けないんだよね。
英語圏の先進国に旅行に行く程度ならまぁ例えパスポート無くそうと問題解決して帰ってこれる自信はあるけど、英語で仕事できるかっつーと全然自信ないのね。
何事もそれと同じだと思うんだよね。「え?東大なら十分すごいじゃん」って言う増田みたいな人は、「海外旅行に行く程度」の世界しか見えてないんじゃないかな。
http://matome.naver.jp/odai/2141392346647005001
英語圏などの非日本語圏では、入力方式の性質上従来のトグル入力やQWERTY入力の方がスタンダードであり、BlackBerryのように物理キーボードを搭載する端末も一定の支持を受けている。
香箱座り(こうばこずわり)は、ネコの座法の一種。「箱座り」「香箱を組む」「香箱を作る」などとも呼ばれる。
ただつくばっているだけでなく、「前脚を胸毛の奥(内側)へ折り曲げている場合のみ」を定義対象とする説もある。
これと同様の厳密な定義において、英語圏ではパンの塊に例えて「catloaf」と呼ぶ。
ネコが背を丸めてつくばっている様子が、香箱(香木・薫香料を収納する蓋付きの箱)の形を連想させるため、メタファーとして
「香箱を作る」と呼ばれるようになったとされる。
http://1.bp.blogspot.com/-W7jQx1e2Hb8/Thdpco-hQFI/AAAAAAAAA_c/0BT1JhGboSM/s1600/IMG_0838.JPG
やってみたよ。おもしろかったので、簡単に、やり方を日本語で説明しておくね。
http://www.bbk.ac.uk/psychology/psychologyexperiments/experiments/facememorytest/instructions.php
イギリスのバークベック大学というところの心理学部のテストだ。「相貌失認のテスト」というより、「人の顔の記憶についてのテスト」で、これに答えられるかどうかが「相貌失認かどうか」を決めるわけではないという点にまずは注意が必要だ。また、多くの人が回答すると研究の役に立ちそうだが、「白人の顔は区別がつかない」という人が回答してもノイズを増やしてしまうかもしれない。軍隊ものなど服装でキャラの区別がつけられないシーンが多い映画で、誰が誰なのか区別がつかなくて困るということが少ない人は、やってみるとおもしろいだろう。所要時間は、全部で20分くらいかかると書かれているが、私の場合は15分くらいだった(20分はかかっていない)。
手順は、最初に出てくる画面に書いてあることを読んで、I agreeをクリックする。同意する内容は、テストの内容に納得し、この大学の研究に自由意志で参加するということだ。18歳以上であることが条件となっている。テストの最後に、「あなたはロンドン近辺にお住まいですか」という問いがあり、YesかNoのどちらかで回答するようになっているので、ロンドン近辺の人とそうでない地域の人との有意差も研究対象かもしれない(が、イギリス国外からの実験参加は、想定していないのかもしれない)。
I agreeのボタンを押すと、次の画面でさらに詳しくテストについての説明があり、まずは練習ができる。Press to start practiceのボタンをクリックすると、画面が切り替わり、説明が出る。その説明を読んだら、どのキーでもよいので押すと練習が始まる。英語圏で大人気のアニメのキャラの顔の、角度を変えた3枚の絵が1枚ずつ表示され(数秒で切り替わる)、覚えるように指示される。続いて、3人のキャラの顔が並んでいる中から、今見た顔の番号をキーボードで押す。
本番は、この要領で、人間の顔写真(白黒)で行なわれる。……という手続きがわかってれば、テストの最中は、英語は読まなくてもできると思う。
なお、テストは前半と後半があり、後半は6人の顔をまとめて覚え、「次の3人のうち、先ほどの6人の中に含まれていたのはどの人でしょうか」に答えるというもの。けっこうハードだ。
ちなみに私は、Your accuracy in the experiment was: 93% だった。後半は適当に選択肢から選択したものも多いので、本当は85~90%だろう。
普段まとめブログに批判的な向きもあろうが、今回見た記事は増田の民として、個人的にはかなり見ごたえがあった。
この増田では日々脱糞やうんこにまつわるエピソードが集積されているが、唯一の超大国であるアメリカをはじめ、世界にはさらなる兵(つわもの)が居ることが判った。
いや、海外には科学やスポーツなど他の諸分野と同じく、うんこに関しても実はすげー奴がいるんじゃねーか? とか思ってたけれど、それを実感することができたということだ。
日本人に馴染みやすい文体かつ、うんこをめぐる身体的律動を活かしたテンポの良い文体で読んでいて大変に楽しむことができた。
原文の書き手も、英語圏特有のタフな比喩が多用されており、日本人にはなかなか真似できない脱糞の独白に成功している。
いつか我々増田の民も、世界へと日本の脱糞文化を広めていかねばらなないだろう。
いけないところでの脱糞という、人間の生理活動と社会生活の齟齬が、世界のそれぞれの地域や文化、はたまた人種の違いでどのように発現してしまうのか。
母語が英語でなければたとえ英語教師やウン十年英語圏に住んでる人間でも当てにならない。
weblioやアルク等辞書サイトもたまにおかしい。参考材料の1つにはなる。
しかし英語のページを調べたいと思ってもGoogleの場合日本語のページが優先して出てくる。
英語を優先する場合は、検索した時のURLのhl=jaとなっているのをhl=enに変える。
脱線するがGoogle傘下のサービス(YouTubeなど)はこのhl(host language)パラメータでどの言語で表示すべきかを指定できる。
外国語に触れるの嫌いなので英文考えなきゃならない質問系コミュニティは使ってない。
他になんか良い調べ方があったら教えて欲しい。
昨年、Dvorak配列というキー配列があるのを知った (http://ja.wikipedia.org/wiki/Dvorak)。
使用頻度の高いキーがホームポジション付近にあるのが特徴で、一般的なキー配列 (QWERTY配列) と比べて指への負担が小さくなるよう配慮されている。
興味本位で練習してみたら、この配列がものすごく便利で驚いた。
もともと英語圏の人が考案したものらしく、英語を打つ際には特に効力が大きい。This, that, these, those, thus, then, is, at, in, on など、使用頻度の高い語句をホームポジションの位置でタイプできる。これらをタイプすること自体はQWERTY配列でも問題ないが、ストレスの度合いが桁違いだ。
さらに、英文向けだから日本語を打つときにはそれほどでもないかと思いきや、意外と効果絶大。左手のホームポジションの位置に AIUEO の母音が揃っているから、日本語を打つときには右手と左手で交互にタイプすることになる。これが中々素晴らしい特徴で、音ゲーをやっているがごとくリズミカルにキーを叩いていけるので、めちゃくちゃ楽しい。その上、DvorakJPというのを考案している方が居て (http://www7.plala.or.jp/dvorakjp/)、通常のDvorak配列だけでは少し使いにくい部分の解決策が提供されている。
Dvorak配列の大きな難点は、その学習コストの高さにある。実際、私はDvorak配列でまともに文章が書けるようになるまでに2週間はかかった。QWERTY配列でのキータイプ速度に追いつくまでには、半年近くかかったと思う。
しかし、何より特筆すべきは、Dvorak配列を学習する上で体験した奇妙な感覚だ。私は10年以上前からQWERTY配列のキー配置に手が馴染みきっており、キーをタイプするときには手元を見ない習慣になっていた。分かる方も多いと思うが、キー入力に慣れてくると、頭に浮かんだ文字列をそのまま画面に映し込むように半ば無意識で指がキーを叩くようになる。ところが、Dvorak配列を練習し始めて数日経ち、キー入力に慣れてきた頃、なんと「QWERTYのキー配置が分からなくなって」しまったのだ。それまで何気なくできていたタイピングが、その時、突然できなくなった。頭の中にあるQWERTYの配置が、徐々にDvorakによって上書きされていたということだ。そこから焦ってPCの設定をQWERTY配列に戻し、文字を数十秒タイプすると、以前と変わらない感覚を思い出し、全く問題なくQWERTY配列が使えるように「戻った」のだった。今ではQWERTYとDvorakのどちらの配置も自在に使いこなすことができるが、この時は、頭の中の歯車が狂ったような、普段の生活では中々得がたい感覚を味わうことになった。
以上のように、Dvorak配列は実用的である上、学習の過程で面白い体験をすることができる。興味のある方は、頭の体操だと思って、一度試してみることをお勧めする。
Windowsでは、DvorakJ (http://www.vector.co.jp/soft/winnt/util/se480857.html) のようなソフトが必要なため厄介だが、MacintoshやLinuxならばデフォルトの設定項目からDvorak配列を選ぶことができる。
タイトルに書いた通り英語が話せるようになって気付いた自分の障害疑惑。
自分に起きた事を書いていこうと思う。
前提の知能として
・その2や3も補習を受けたり個人的に質問に行ったりして恩情で貰ったもの
・それ以外の教科は8〜10
多分平均的な日本人以上に英語を遮断してきたし理解も出来なかったと思う。
rhythmなど独特なルールが読めないならまだしも中学生で習ったような単語も読めない。
(例えばappleならえーぴーぴーえるいー)
それでもまぁなんとか中高大と過ごせたし、
そんな自分が選んだのはひたすらに
「子供も耳から言葉を覚えると言うし、理解が一切出来ない状況は子供と一緒。
ならば子供が言葉を覚えるのと同じ様にすれば自分も英語が理解できるのでは?」
どうも頭を使わずに生きてきたせいか
何度も書いて覚えるという事もなく聞けばスペルを知らない単語も書けるようになった。
趣味に使用する範囲では充分過ぎる程に使えるようになっていたので
ここはひとつ腕試をとケンブリッジ英検の最上級であるCPEを受けた所結果はAグレードと
自分が思っていた以上に使えていることに驚いた。
ここでやっと冒頭の話になるのだが
英語の頭で見聞き話しているときに日本語が出てきても理解が出来ないのだ。
理解出来ないといっても5秒程考えれば反応は出来るのだが
日本語の頭で日本語を話しかけられる・英語の頭で英語を話しかけられる時のように
普通の反射的な反応が出来ない。
どうも英語と日本語がそれぞれ頭の中で独立しているようで翻訳・通訳の様な事が出来ないのだ。
日本語で「何が面白かったの?」と聞かれてもすぐに反応が出来ない
暫くしてどこが面白かったのか説明しようとしても英語ならすらすら説明できるのに
日本語ではたどたどしくなり説明が出来ない。
これは訓練を積めば他の人と同じ様に通訳・翻訳が出来るようになるのか
それともそれが出来ない脳なのか
どちらなんだろう。
いわゆる「勉強」は楽しくない。勉強はそのほとんどが暗記と反復練習によって構成されるからだ。
「こんなことをしてなんになるのか」と感じるのは暗記と反復練習をくたくたになるまでするからだろう。
暗記と反復練習が好きな人なんてあまりいない。ゲームのレベルあげですら面倒な人も多いのに、勉強で反復練習が楽しいわけがない。
僕は大学院生だが、自分で調べて、なるべくわかりやすいように電子データ(ワードなど)にまとめ、発表し、フィードバックをもらうのは楽しい。
深く調べて、自分なりに情報をまとめている間に知識も自然と覚えていく。
よく考えてみれば、知識は本来他人に授けるものだ。数学だって英語だって物理だって、本来は他人になにかを伝えるためのものだ。
xy座標上の円について他人と話したいなら数学という道具を使うし、英語圏出身の人と話したいなら英語を使うし、電流について厳密な話がしたいなら物理という道具を使う。
伝えること、シェアすること、世界観を共有すること、それが知識の本来の役目だ。知識は自分の頭の良さを自慢するためのものではない。
なるべく深く調べ、読みやすくわかりやすくまとめ、知識を他人に教えてあげる。これが知識の本来のありかたであって、
こういう学び方はすごく楽しい。だから、勉強がつまらなくて死にそうな学生は、「知識を調べて、他人にわかりやすく説明してあげる」ということをするといい。
聞いてくれる友達がいなければ、ネットのブログで発表してもいい。
(このときに気をつけるべきは出典をちゃんと明らかにすること。著作権の問題もあるが、他人が読んで、本当に正しいのか疑わしい知識を発見したときに、その人が出典にさかのぼって調べることができるからだ)
わざわざ本をいっぱい借りて調べなくても、教科書の内容を自分なりに友人・家族に説明して、質問を受け付け、感想を聞くだけでも楽しいし、自然と学べる。