はてなキーワード: 苦痛とは
両方やりたいならBotWからやれ。
片方だけやるならBotWのストーリー展開だけ調べてからTotKだけやれ。
京アニ放火事件の青葉被告の、裁判での言動が日々メディアを騒がせている。
ヤフコメやXで見られる反応では青葉被告を徹底的に断罪したいようだが、私は公の法廷に現れた存在としての青葉被告を応援しているし、彼が無罪になればいいとも思っている。
少なくとも、青葉被告が、予定調和的に死刑になることは絶対に望んでいない。
被害者(=京アニ)についてはよく知らないし、遺族ほかを非難するつもりもない。これはただ私の思い入れこみによる勝手な文だ。
「もしお前やお前の家族が殺されたらどう思う」みたいな質問はここでは意味をなさない。そんな質問しかできない時点で、大きな断絶があるのだ。
青葉被告の死刑を容認する人々でさえも一部が指摘しているように、世間には「青葉」的な者がいる。そしてそれは、どんどん増えている。
魔の82年生まれとか発達障害の増加とかそういうお茶の濁し方ではなく、明確に、「青葉」被告的な苦痛に満ちた者が増えているのだ。
世間は少なくともそれをずっと認知して来た。それも、机上のグラフの上の数値ではない。
クラスに一人はいる彼。職場に一人紛れ込む彼女。近所や親戚に一人いるあいつ。
青葉の体験を一般化することはできないだろうが、あえて広く「彼等」の問題として考えたい。
彼等がコミュニケーションに行き詰った時、あなたはどう振舞っていたのか。
彼等がコンビニの列の最前列で何かにつっかえた時、あなたは舌打ちしなかったか。
彼等が同じ教室・職場で、教師・上司に何度も叱責される中で、ただ「そう」であることで評価を下げていなかったか。
私は、平均とか標準という考え方で言えば、「青葉」側の人間である。
ただ、例えば、世間の人々が得られる「幸せ」をあきらめることには納得はいく。
しかし、世間の人々に与えられる「逃げ道」をなぜか私が使えないとなったとき、その惨めさは何百倍にも何千倍にもなる。
私は青葉被告のどうにもならない体験を見て、そんな説明をひねり出すことができた。だが過去のいろいろな事件の時点でひねり出すべきだった。
小学校・中学校を通して、本人でもうまく説明が出来ない様な過ちをして、しょっちゅう教師にクラスメイトの面前で厳しく叱責されている、今でいえば学習障害とか自閉症なのだろうか、そんな同級生がいた。
この男子同級生はとても「愚か」「間抜け」ということになっていて、実際何を考えているのか、私達にもわからなかった。いや、わからないようになっていった。教師の度重なる叱責や軽視によって。彼が精いっぱい受け答えを捻りだすたびに、教師はその言動を叩き潰した。
今考えれば、教師は彼を叱責すべきではなく、話をゆっくりと聞くべきだった。もっと言ってしまえば、もはや「赦す」べきだった。教師こそがこの同級生の代弁を私達にすべきだった。
大げさに言えば、人に生きる意味を考えさせ、死の世界から遠ざける、ということをこの教師や社会はしていなかった。健全な市民を育むとかそんなのはどうしようもない建前だ。
そしてそれが為されないとき、この同級生が、教師を刺し殺したり私たちごと教室に「理不尽に」「逆恨みで」放火したとしても、私はもはや文句は言えない。これは一言で言えば「窮鼠猫を嚙む」という格言であり、逃げ場の許されない中で当然生じうる人間のむしろ正常な反応だとおもう。
そうできないならば、世間が彼を徹底的にバカにした通りに、彼はナイフやマッチの使い方もわからないまま見当違いの人を刺して燃やす。それは自然なことでしかない。世間が彼をそうさせた。
人を大切にしない社会は、そのどこをやりかえされてもしょうがないとおもう。
私は、あの同級生やそれと同じ人々が何千人と重なって一人となり、被告となって証言台に立っているのだとすら思う。
監禁された人間が「ストックホルム症候群」を起すことには同情されるのに、なぜ狭い世界で逃げ場を失った人間の行動には同情がされないのか。
そこで世間の人々は目を逸らし、「仕方ない、悲惨だけど、死刑」などという。
私は堂々と「青葉は無罪だ。無罪にすべきだ」という。それだけの問題提起をすべき理由がある。青葉を診療し死の淵から回復させた医者は「生きて裁かせる」という信念があったそうだが、直接関係ない私は「生きて無罪になれ」といいたい。
そして99%くらいの確率で青葉が死刑になったとしても、私はいい続ける。似た様な事件がまた起きればその被告を擁護する。
世間は、事件を繰り返させる前に、「青葉」的なものを真摯に今度こそ見つめ、「赦し」、我々の社会の要素として自然に見なすべきだ。それが達成されるまで、世間が目を背けた回数の分だけ事件が起きても、無罪にすべきだ。
十九世紀末のヨーロッパでも、社会の矛盾に対し、富裕層の集まる場所や公務員への爆弾攻撃で答えたアナーキストたちがいた。彼らは少なくとも自分の言葉と道具があった。
今は自分の言葉も道具すらも持てない時代が来ている。少しでもそんな時代から遠ざかるために。
私の匿名の日記は世間には何の影響も与えないだろうが、たくさんある非難に対して一つでもこういう意見があったと、どこかで思い出してもらえればいいなとおもっています。
自分は良いものたと思わないものが世間の脚光を浴びて評価されていて
大衆とは違うものが見えている私はスゴイ的な優越感とが入り混じるけど
それを表に出したら絶対に「オメーは黙ってろよ」とか「だからお前はダメなんだよ」といった罵倒や
「この良さがわからないなんて可哀想」のような憐れみの目線を向けられるに違いないんだ
きっとそう
でも
面白くないものを面白いものだと認識することほど気まずいものはなくて
じゃあ、私はどうしたらいいのかなあ…?
Xとかヤフコメとかで書くと個人攻撃されそうなんでここに書く。
ここ数日よく出てくる「性別変更手術をしないで戸籍の性別を変更したい」というアレに対する反論というか素朴な疑問について。
先に前提として自分の立場を書くと私はトランスではありません。
手術要件をなくせと言ってる人の主張を見るとその根拠になっているのが
・性別変更をするために不妊手術をさせられるのは過去の優生保護法と同じ人権侵害である
・性別変更をすることでホルモンバランスなどが著しく崩れ健康面をそこなう
・性別変更手術は非常に高額であり、金銭面に余裕がなければ性別が変えられないのはおかしい
・将来的に自分で子どもを出産したいと思っているトランスもいる
・身体上同性パートナーと婚姻をすることができない不利益がある
といったところだと思う。
というかこれ以上になにか説得力のある根拠を挙げている意見を見かけない。他に意見があるなら教えてほしい。
しかしそれらの根拠のもとになっているのは全部「私達はかわいそうな存在なので周囲が変わってほしい」という意識であって、その主張が通った場合にどのような社会的混乱が起こるかを想定してそれをどう解決すればよいかという提案は一切ない。
まるでそこにどんな混乱や不具合があろうと、自分たちが「かわいそう」ではなくなればそれが解決であると言わんばかりである。
私は選択的夫婦別姓や同性婚は全面的に賛成の立場であり、その実現のために法的な根拠や歴史を勉強し、それによって失う可能性のあるものや侵害される権利をできる限り想像したり、誤解(同性婚が導入されたら悪用犯罪者が増える、少子化が進むなど)をしている人には統計や諸外国の事例などを調べて細かく反論をするようにしている。
それでもなかなか政治家に近い人達は理解をしないのが現状ではあるのだけど、この「手術要件の撤廃」についてはそうした姿勢が一切見られていないのが非常に腹立たしい。
当事者ではないので完全に理解することは難しいのだが、ホルモン注射や性器の切除・拡張手術が苦痛を伴うものだということはわかる。
その上でどうしても一言言いたいのが、「何のために戸籍の変更が必要なのか考えたことがあるのか?」という疑問だ。
よくよく考えてみれば「なぜ性別変更手術をするのか」というのは、「法律的にそうしなければ性別変更ができないから」ではない。
自分自身の体の性別に違和感があり、それを解消したいという気持ちがあるからではないのか。
現在の法律の要件というのは「これをしなければ性別変更できませんよ」ということからできたものではなく、自分の体への違和感を解消するために手術をした人に対してその体に合った国民生活(もっと言うと行政サービス)を送れるようにするためという趣旨からだ。
そこをどうも今主張されているトランスの方々は勘違いをされているようで、「変更するための法的要件が手術なので仕方なくやっている」という考えを前提に主張しており、目的が手段へすり替わっている。これがどうもおかしい。
だから「手術要件がなければ自分の体を変更することなく性別を変更できる」と喜んでいるわけだろうが、そこに矛盾を感じる人はいないんだろうか?頭が悪いのか哲学がないのか知らないが。
もし彼ら・彼女らの主張がまかり通って手術をしない体で戸籍の性別変更ができたとしたら、自分の体の性別は生まれたときから変化がないのに戸籍だけが変更されることになる。
その場合だが、その戸籍という紙切れ一枚に性別が変更されたと記載されればそれで彼ら彼女らの「自分の性別への違和感」はきれいに払拭されるのだろうか?
私達の性別は戸籍にそう記載されているからそうだとなるのではなく、自分の体の分類として記載をされるものだ。
しかしトランスとして手術要件を不要にしたがる人たちは、自分自身が自分に対して感じる違和感はそのままでも、戸籍が変更されればそれで性別が変わったと思うらしい。
さらに踏み込んで言えば、過去に自分の性別に違和感を感じて高額の金銭と身体へのリスクをおかして手術をした人たちというのは、「自分の気持ち」の中の違和感をなくすためにそれを行っている。
対して手術をしたくない自称トランスの人たちは「戸籍」という「他人の目」からの客観的事実さえ変更さえできれば自分の中の違和感は払拭できると言っているようなものである。
彼ら・彼女らの言う「違和感」というのは自分の中から出てきたものではなく、他者からの扱いでしかないと言っているわけである。
それがどんなに危険かというのは女子トイレ騒動で十分に世間に知られているはずなのに、自分は一切変わらなくても他人の目が変われば世の中ハッピーになると考えているのか全く反論に対する気概も準備もない。バカなの?と言いたくなる。
性自認がどうであろうとそれは個人の自由だし、好きなように自認して周囲にカミングアウトすればいいと思う。
ですが自分の自認を満足させるために周囲の視線を自分に都合のよいように強制しようとする姿勢はどうも好きになれない。というか愚かだとすら思う。
何より一番この流れにイライラするのは、そうした主観・客観といった深い問題があるこの議論に対し、「かわいそう」だけで認めようとする裁判官や政治家がいてしまうということだ。
もうちょっとましなやつがトランスを代表してもらいたいのだが、どうして表に出てくる連中というのは揃いも揃って頭が悪いのだろうか。
結婚したらSEXするものだ、という常識も知らないアホの話を、変な角度から擁護する奴らがわいてるな
アホだったってのは本人も認めて両親含めて慰謝料払う側になる可能性も覚悟してるのに
なんなんだろ
これは息子に対して「SEXできないぐらいで破談にするのか?人工授精とかで子どもができるなら別にいいのでは?」って意味だろ
いやだってさあ
これで我慢して結婚して望まないセックス(はもはや暴力で犯罪なんだよ)するのが今までの日本でありお見合いシステムじゃん
父親の会社の偉い人っていう構図がマジでおぞましい、理解してくれるご両親でよかった 言い出せてよかった
それをきわどいところで、ちゃんと声をあげられてよかった その感覚に自信をもってほしい
「嫌がっているのに性的行為を強要する、中絶を強要する、避妊に協力しないといったもの。夫婦間の性交であっても、刑法第177条の強制性交等罪に当たる」
だからね
嫁がなくて本当に良かったよ
まず反社会的活動は良くない。
任侠ファンの8割が山一抗争やそれぞれの組長さんや著名な構成員の事については知っているし、だからどうとかも思っていない。
知らないフリをしてあげることの方がいいだろうから。
最近ではドキュメンタリーの番組とかあるけれど、あれは見せれる一部であり、あれもエンタメとして見せてるだけで
私たちはギラギラ輝く彼らを見て、いつまでも輝いているコンテンツを見られるように応援するだけの存在。
彼らが裏で血反吐流しながら泣いていようが、カキタレに弱音吐いて甘えていようがそんなことは知ったことではない。
彼らだってそんなかっこ悪い裏の部分見せたいと思ってるとは思えない。
常に完璧でギラギラしている部分を見せていたいと思っているはず(じゃなきゃあんな職業できない)
だから知らないフリをしている。
ただ、やはり耐えられない子だっているだろう。
会社も組長さんもその時きちんと認めている。
元ヤ●ザを表する人たちが売名と言われてしまうのは、過去に赤落ちしていたり、数年しか在籍していなかったり、在籍中もチンピラと呼ばれる類いの立場で何年も前に退所している。
そして上記に加え、境遇から非行に走ってしまった社会的な被害者は自分だけではなく「ほぼ全員」と出している事が任侠ヲタにとっては腹ただしい。
ご自身がトラウマになってしまったことは本当に可哀想(この表現が正しいかはわからないがこれしか出てこない)だと思うし、訴える事は間違っていない。
しかし他の構成員や所属していた経験のある人たちを巻き込むな。
冒頭で書いた通り、オタクは「見て見ぬフリ」をしている。騒ぎ立てない。
それが悪いことでもあるのかもしれない。
ただ、小学生〜高校生の多感な時期に、組に所属しているというだけで学校で隠し撮りされたり噂されたり、ケンカを売られたり、精神的な苦痛を味わう彼ら。
SNSが発達して、たいして親しくもない人たちから有る事無い事流されてしまう時代に、所属していたらもれなく暴力沙汰を起こし、女を風俗に沈め、薬物の売買をしてたと報道されたらどうなると思う?
すでにある程度貫目にあるならまだしも、チンピラとして頑張っている小さな子たちなんて学校で何を言われるかわかったもんじゃない。
そちらの方がセカンドレイプよりもタチが悪くないだろうか。
私はそこに腹を立てている。
訴えるのであれば
本人が生きているうちに
そんなのクンロクを入れられても仕方ないとは言わない。
くそー、また落ちたのか。。
これだけやってもダメなのか、という感じです。
今回の仕事はプロマネ的な立場を任されてて、それなりに実感を持ってプロジェクトを引っ張って成功に導き、これとは別にアサインされていた対外的な活動にも並行してとりくみ、そのせいで目が回るくらい忙しくて残業だって月100時間以上も耐えていままでの自分の会社人生の中で一番じゃないかってくらい頑張ったのに。
面談の時期もちょうど仕事が一段落した時期で、面談の準備もめずらしく抜かりなく進めることができたのに。
これだけチャンスが揃うことなんてもう金輪際ないかもしれないのに、それでいて全力をぶつけたつもりなのに、それでも落ちるのか。
これでダメならもうどうすりゃいいんだ。打つ手がない、お手上げです。
いや、わかってるんだ。
なんで上がれないのかはわかっちゃってるんだ。
うまく言語化できないけど、根本的に、本質的に人より劣ってるんだろうな。
会社の飲み会とかでみんなの話を聞いていると、自分が如何に仕事への解像度が低いというか、薄っぺらいかということをいつも痛感させられる。
みんな飲み会で仕事の話をすると、幹部の考え方、仕事に対する姿勢・ポリシー、仕事の理想は何なのか、なぜ理想どおりにならないのか、個人の裏事情、制度とシステムの欠陥、etc
マシンガンみたいにとめどなくしゃべる。
自分はそれを聞いてもいまいちピンとこない。「さもありなん」という感じ。
でもみんなはそれが刺さるようで嬉しそうに次から次から話題が湧いてくる。
同じ仕事をやってるはずなのに、なんてみんなこんな流暢に語れるんだろう。
物事を表層しかみれてないんだろう。奥行きを理解できない人間。
だから飲み会は苦痛です。終わった後イヤな気分になるんだもん。
まぁ、自分はそんな人間なのでこのコミュニティからすれば蹴落とされるのも当然なんだろうな。
でももう5年くらいずーっと落とされ続けてるんだよなー。
ジャニヲタの8割がジャニーさんの事については知っているし、だからどうとかも思っていない。
知らないフリをしてあげることの方がいいだろうから。
最近ではドキュメンタリーの番組とかあるけれど、あれは見せれる一部であり、あれもエンタメとして見せてるだけで
私たちはキラキラ輝く彼らを見て、いつまでも輝いていられるように応援するだけの存在。
彼らが裏で鼻水垂らしながら泣いていようが、彼女に弱音吐いて甘えていようがそんなことは知ったことではない。
彼らだってそんなかっこ悪い裏の部分見せたいと思ってるとは思えない。
常に完璧でキラキラしている部分を見せていたいと思っているはず(じゃなきゃあんな職業できない)
だから知らないフリをしている。
ただ、やはり耐えられない子だっているだろう。
岡本なんちゃらくんが売名と言われてしまうのは、過去に裁判になっているし、数年しか在籍していない、在籍中もカスジュと呼ばれる類いのタレントで何年も前に退所している。
かつ、もうその本人(ジャニーさん)は亡くなって3年以上経つ。
そして上記に加え、被害者は自分だけではなく「ほぼ全員」と出している事がジャニヲタにとっては腹ただしい。
ご自身がトラウマになってしまったことは本当に可哀想(この表現が正しいかはわからないがこれしか出てこない)だと思うし、訴える事は間違っていない。
しかし他のタレントや所属していた経験のある人たちを巻き込むな。
冒頭で書いた通り、オタクは「見て見ぬフリ」をしている。騒ぎ立てない。
それが悪いことでもあるのかもしれない。
ただ、小学生〜高校生の多感な時期に、ジャニーズに所属しているというだけで学校で隠し撮りされたり噂されたり、後をつけられたり、精神的な苦痛を味わう彼ら。
SNSが発達して、たいして親しくもない人たちから有る事無い事流されてしまう時代に、所属していたらもれなく性的搾取されていたと報道されたらどうなると思う?
「この子もジャニーに…」と思われながら見られてしまうのどう思う?
デビューしてある程度地位のあるタレントならまだしも、Jr.として頑張っている小さな子たちなんて学校で何を言われるかわかったもんじゃない。
そちらの方がセカンドレイプよりもタチが悪くないだろうか。
私はそこに腹を立てている。
訴えるのであれば
本人が生きているうちに
そんなのセカンドレイプされても仕方ないとは言わない。
夫が私にしてくる話が、ま〜〜あつまらない。
起承転結や爆笑オチをつけられるような話術がある方じゃないけれど、
夫の話は、夫が面白いと思ったものをとりあえず私に共有するだけ
(どこが面白い、自分はこう思ったという説明はない)だから、本当につまらない。
参考程度に夫が私にしてくる話題一覧
…以上!
書き出してみて少なすぎてびっくりした。
以前はもう少し、話にバリエーションがあった。
原因は今の仕事が忙しい&テレワークで、毎日家で過ごす時間があまりに多いことだと思う。
オススメ合いとかしたい。
でも夫も疲れてるから、無理に一緒に楽しんでとは言えない。
さっき電車に乗ってたんだけど、隣のお母さんと小学校低学年くらいの男の子の会話が聞こえてしまった。
「分かんない」と男の子が言った。
「はっきり答えてよ」とお母さん。黙っている男の子。
「お母さんは、〇〇くんはずっと友達でいたい相手かって聞いてるの!黙ってないで返事しなさい!」とお母さん。
お母さんは、男の子に「〇〇くんとは友達でいたくないです。〇〇くんと友達を辞めます」と言わせたいんだろうな〜と言うのがすごく伝わってきた。
まぁ、世の中、我が子の友達でいてほしくない子っていうのがいるのは分かるし、親だっていつも聖人君子ではいられないよね。
だけど、お母さんは〇〇くん嫌いだからあなたに〇〇くんと仲良くしてほしくないのって言えばいいのにな、とこっそり思ってしまった。
仕事おわって夜8時ごろスーパーいったら、まだ半額にはなっていない時間帯でまともに割引されてなかった
内心舌打ちしつつ見てたら、唯一半額シールがはられてる弁当があってしかも4つも残ってた
ごはんは雑穀だし、つけあわせもかぼちゃさやいんげん豆れんこんとかで、総菜食うジャンキーな層にはささらねえオンパレードだった
ハンバーグにかかってるソースもトマト缶うすめたみたいなやつだったし
ここまでやってるってことは気合入れたビーガン弁当とかなのかなと思ったら普通に鶏肉も入ってるハンバーグで、なんだこの中途半端な弁当と思った
税込み470円くらい
弁当の大きさは300円弁当と変わらないかそれより小さくすらあるのに
そりゃ売れんわな―と
まあサラスパとかもやったりしてるし、健康志向とか女性ターゲットとかいろいろやってるんだよねイオン系列は
総菜弁当のバリエーションの入れ代わりは頻繁にあって楽しくはあるんだよね
サニーSEIYU系列は定番系が多くて季節ものみたいなのとかバリエーションがほとんどなくて飽きるんだよなあ
味はサニーSEIYUのほうがいいんだけど、昨今の値上げにともなって2割引きくらいまでしかやらなくなってけちくさくなって買わなくなった
思ったよりも肉の割合おおいみたいで食べ応えはあった
簡単な足し算引き算ができない、仕事の都合で童謡や合唱曲を歌うのだが歌詞が全く覚えられない、いろんな場所にいろんなものを置きっぱなしにして紛失する…
とにかく仕事が出来る、出来ないのレベルではない人がやってきてここ数ヶ月問題になっている
他人の感情を読むのも苦手なようで他のスタッフを怒らせることはしょっちゅう、自分の感情も処理できず突然パニックになりキレたり逃げ出したりもある
都合が悪くなると「アタシ、馬鹿だからわかりませぇえん!!!!」と大声で叫び出すなど常識では考えられない行動をとってくる為、その人が仕事に入る日はみんな嫌々出勤している状態
部長が上層部に報告しているものの、人権侵害だ法律だと色々言われて何ともならないからとりあえず様子見て!がずーっと続いている
本人も「アタシはどこに行ってもみんなに嫌われる」など嫌われていることは理解している様子があり気の毒でもあるが、事故につながることでも注意すると逆上したり嘘をついてきて手がつけられないので会話するのも苦痛
付き合って半年になる彼女がいるのだが、とにかくつまらない人間だと思うことが多くなってきた。
これといった趣味がなく、旅行やカフェ巡りを趣味とは言っているが、有名な観光地やインスタで有名なカフェに行くだけで、自分から何かを探したりするわけではない。
どこかで見たような写真を撮ってインスタに投稿して終わり。会う時に見せてくる写真も、見たことのあるような景色の劣化コピーでしかなく、心にもない「すごいね」という言葉を口にする度に、嘘をついている罪悪感が小さく自分を刺してくる感覚がある。
また、何もない休日はネトフリやYouTubeを観て過ごしているのだが、観るのはランキング上位の作品や有名なYouTuberの動画ばかりであり、これまた面白くない。
動画について尋ねても大した感想は出てこないし、話も膨らまない。
総じて主体性がなく、ただ薦められたものを薦められたとおりに消費するだけの人間なんだなと思い至った。
自分から旅行先や見る映画を選んでいる訳ではないからか、結果として感情もそこまで動いていないようだし、ただただ多数派のテンプレをなぞっているだけの人生を歩んでいるように見えて、本当に何が楽しいのかがわからない。
日常の会話も消費したコンテンツに対する言及ばかりで、それを受けてどう感じたのか、どこが良かったのかと言うことを訊いても「面白かった」「綺麗だった」程度の小学生並みの感想しか出てこない。
そのような人生を歩んできたからか、人間としても薄く、半年くらい一緒にいるだけでもう底が知れてしまったように思ってしまう。
感受性の薄さも相まって、出会ってからの半年での上積みもなく、無為な会話を重ねているだけにしか思えない。
一方で気遣いができて優しい人ではあり、日常生活でもしっかりした部分が見えるため、つまらない人間である以外は良い人なんだと思う。
結婚も意識する年になってきたのだが、この人と一緒になって面白くない人生を歩み続けるのは苦痛だろうなと思う一方で、彼女以上に優しくてしっかりした人間に出会えるような気もしておらず、どうするべきか悩んでいる。
コロナ禍になり飲食店、特にビュッフェスタイルの飲食店はビニール手袋着用、マスクをして料理を取りに行くことがマストになった。
唾が飛ぶ?接触感染?知るかそんなもんめんどくせぇ!とは思っていたが流れには逆らえず従うことに。
0.01mmですら嫌なのにマスクや手袋の着用はとにかく面倒くさいし、感覚がおかしくなるしで苦痛だった。
早く終息して欲しいと思っていたのだけど今年に入ってから徐々に飲食店も緩くしていき、
↓
手袋したい人はして
↓
の流れになった。あれは店員さんとしても面倒臭かったのだろう。しかしだ、ここにきてある問題に直面した。
恐らく害獣駆除で強力なエアガンをネズミに撃ち込んで殺してる動画が流れてくるんよ
これって正義なんか?
駆除方法としても、ネズミ捕りで捕獲して長時間苦しめたり閉じ込めたりするよりも一瞬で意識を失うであろうエアガンの方が苦痛は少ないかもしれない
けどなんだかなという引っ掛かりがあるんよな
最近だと崩壊スターレイル・FF7EC、少し前だとニーアリィンカーネーション、もっと前だとグラブル・ドラガリなどなど、高速オート戦闘で何度も周回して眺めているだけの仕様が多いが、これが非常に苦痛。意味ない。無駄な時間の極み。
また、アイテムやキャラの所持枠あって拡張に課金アイテム必要な仕様も非常に苦痛。だいたい溢れたところで引退する。FF7EC始めて1日でスタミナ回復アイテム溢れてストレス。使うにはオート戦闘周回必要になるし。
この2つの苦痛要素がないソシャゲにスクストがある。戦闘はスキップ、アイテムなど何万個持っても大丈夫。新しいソシャゲに色々手を出すけどスクスト負けてないと思う。長く続いてほしい。
新卒で今年から絵を描く仕事(フリーランスではない)に就いたけど、仕事に慣れれば慣れるほど反比例して趣味の絵が上手く描けなくなって本当に焦ってる。スランプのドツボにはまっている気がする。
入社してから最初の数ヶ月は忙しくてまともに家で絵を描けなかったからそのせいかとも思ったけど、多少時間が取れるようになった今でも全く描けないし前よりも悪化してる気さえするから多分違う。
1番の原因は「会社でプロの上手い絵を見すぎて目だけが肥えて、技術が追いついていない」からだと思う。良質な完成形だけをインプットしすぎた。そのせいで、絵を完成させることが出来なくなった。
よく、どんなに自信があった絵でも時間が経ってから見返すと描いていた時は気付かなかった下手な部分が見えたりするじゃん。今はそれが描き始めの数時間で起こる。「あ、この絵完成しても良くならないな…」と察する。でもそれに気付けても改善する技術が無くて良くしていくことができない。方法が分からない。だから絵が完成しないし描いていてとても苦しい…。
仕事の絵なら、その絵を使う側が完成形のビジョンを先に用意してくれているし求められるクオリティも明確だからそれに合わせて描けば良くて、ここまで苦労しないんだけどな…。
社会人になってから趣味の絵を一枚も完成させられてない。本当に良くない。自分の経験上、絵は時間をかけてでも完成させないと上達しない。だからどうにか最後まで描き上げたいけど、よくなる見込みのないものを何日もこねくり回すのが苦痛で仕方ない。
今までは一枚一枚妥協せずに絵を完成させて、見返して、改善点に気付いて次の絵をより良くしていくというサイクルが出来ていた。だから技術の成長と目の肥え具合がそこまで乖離せずに楽しくやってこれた。
下手な部分にそれなりに気付かないというのも、絵を楽しく継続して描く上では必要なことだったんだな…と今になって思う。後から下手な部分に気付くのって結構恥ずかしいけど、その時自分のできる限界まで描いたって記憶もちゃんとあるから結構前向きに捉えられていたんだよな。
このスランプから抜け出すには結局苦しくても納得いくまでこねくり回し続けるしかないんだろうな。地道にやるしかないんだ…手を少しずつでも目に追いつかせないと…。
先日、おばあちゃんが死んだ。
おばあちゃんは孫の自分にとても優しくて大好きなのだが、同居している叔父さんが大の苦手だった。
おばあちゃんの家は実家から近い場所にあったが、いつ叔父さんがいるかわからなくてなかなか行かないうちにいなくなってしまった。
いつもタバコを吸っていて臭いし、居合わせたときは必ずと言っていいほど競馬新聞とテレビに文句を言っていて怖い。
くだらないことで怒鳴り散らかされたときは本当に気分が悪かった。
だから、長い間会っていないとはいえおばあちゃんの葬式に行くのも苦痛だった。
叔父さんは葬式にどんな顔をしてくるんだろうか。泣いているのか、はたまた怒っているのか。
複雑な気持ちで向かったセレモニーホールにいた叔父さんは真っ白だった。
黒々としていた髪も、常に暗い熱を持った表情も真っ白だった。
たまたま同じタイミングで廊下に出た叔父さんはくたびれた笑顔で「腰やっちゃったよ」とだけ言った。
正直それを言われた時はおばあちゃんが死んだ一報を聞いた時よりどうしたらいいかわからなくなった。
いつから叔父さんは真っ白になったんだろうとか、怖い叔父さんに怯えていた時期はなんだったんだろうとか、今もまだ少し考えてしまう。
少しフェイク入れているけど、都内ではザ・普通という感じだと思う。
平均年収よりはあるけど、別に余裕があったり裕福だとは感じていないし、高身長だとか高学歴だとかでもない。
モテ期のようなものも無く、とはいえ彼女がいたこともあるので、顔や清潔さは普通だと思いたい。
20代後半は別に今のままでも良いと思っていたけど、周りがどんどん結婚や出産を迎えて、徐々に友人との飲みの頻度が減ってきた。
この先を考えると辛そうだし、友人たちは家庭第一で楽しそうだったので、自分も人生をともに楽しめる人を見つけたいと思い婚活開始。
アプリは結婚まで行ける割合はせいぜい1%だとか、変な人も多いとかで、結婚相手を探すには厳しい場所らしい。
というわけで先輩おすすめの結婚相談所を利用することにした。いわゆるIBJというやつ。
3社ほど相談所に行ったが、特に断られるということもなく、うち1社からは相談所に入ったらモテると思うみたいな褒められ方はした。
多分営業トークなんだと思うが、どうやら私のような普通を絵に書いたような人は案外人気で貴重らしい。
という感じで何かしら欠点があって上手く行かないことがあるとか。
私は身長は別に高くないし平均より低いのでは・・・と思ったが、太ってはいないのでOKということらしい。
もちろん、もっとハイスペな人も居て、そういう人のほうが人気らしい。
ありがたいことに初月は50件くらいはお見合い申し込みを受けた。2ヶ月目以降は30件くらいだったかな。
ちなみに婚活界隈では前者の50件のことを申し受けとか言うらしい。
申し受けと申し込みから実際のお見合いに至った割合は50% 50%で、月あたり6件ほどだった。
人と話すのは苦じゃないのでお見合い自体は苦痛ではなかったのだけど、互いに楽しい人生を歩める人か?という観点で見るとなかなか厳しかった。
というのも自分を普通と言っておきならが、普通の趣味があまりなく、酒を飲みに行くか仕事の愚痴を言うかくらいしか自分にはなくて、婚活中に自分はなんと薄っぺらい人間なんだろうかと思った。相手が悪いと言うよりは、相手に自分がついていけるか分からずに鬱になりそうにもなった。
婚活界隈ではお見合いからお互い良いね!となった後に仮交際というフェーズに入るのだが、まあお友達みたいなものである。
私の場合、半年のお見合い期間で合計30人近くとお見合いして、5人仮交際になり、最終的に今の妻と本交際になった。
ありがたいことに婚活していると、お酒好きかつ、趣味がなくても良いんじゃない、みたいな私と近いスタンスの人と巡り会えた。
この人が今の妻なのだが、このあたりは小っ恥ずかしいので省略する。意気投合してその後はトントン拍子だった。
まず何よりもうまく行かないことでメンタルが削られた。
自分は社会や女性に必要とされていない、魅力がない、などと色々考えてしまう。サポートしてくれた仲人の人には感謝している。
今の妻と会えたのは運だと思うので、再現性のある勝ちパターンを作り出せないと思う。正直お見合いしまくるみたいな強引なやり方しか無いと感じた。
それ以外にもあまり言いたくはないのだが、地雷みたいな女性も若干居た。
私は初月の申し受けが50と言ったが、医者だとかイケメンだとかハイスペだと200や300行ったりするらしい。
中には30代前半で顔もスタイルも良くて年収2000万超えというような全てが完璧のような人もいるらしく、速攻成婚退会していくそうな。
今はもう籍も入れており、二人で酒飲みながら楽しく生活しています。
子供は酒が飲めなくなるので考え中、と妻は言っており私も婚活中からどちらでもよい考えだったので、そういう曖昧なところもお互いの価値観として近くてよかったのかもしれない。良い人に出会えたと思う。
今なら飲みの頻度が減ってしまった友人たちの気持ちも少しは分かるかな。結婚生活楽しいけど、色々と大変だったり考えが変わったりもする。