はてなキーワード: 統合失調症とは
私は統合失調症を患う精神3級の手帳持ち障害者だ。就労移行支援施設という障害者向けの就職を支援してくれるところに2年ほど通って無事就職が決まり、今はなんの因果か障害者を指導する立場に立っている。
私が障害者の就職を支援してくれる施設に通って見聞きした話や、障害者を指導する立場に立って思ったことを、精神障害者の就労継続にピントを合わせて書こうと思う。
2018年には法定雇用率に精神障害者が算定されるようになることもあり、精神障害者の就労についての社会の関心は高いと思われる。
実際、精神障害者の就職数はここ数年右肩上がりだ。一方で、精神障害者の職場定着率は他の障害者よりも低いと言われている。最近の詳しい統計が公開されているのをみたことはないが、2008年度という古いデータだと一年以上の定着率は約40%。6割近くが一年以内に辞めている。 http://www.nivr.jeed.or.jp/download/houkoku/houkoku117_summary.pdf
この精神障害者がなかなか職場に定着できない理由であるが、障害者本人も雇用側も共に精神障害のことをわかっていないのが一番大きな理由だと考えている。そのためにミスマッチが起こりやすいのだ。
企業側としては、障害は制御できるものだと考えている。もう少し正直にいうと、制御できない障害の人間は雇わない。
身体障害者は彼らの障害が物理的なものであるために物理的に制御できる。知的障害者についても、彼らの特性はある程度型にはまっているし、彼らは幼い頃から支援機関につながりその特性が長い目で観察されているので具体的な配慮点が見えやすい。
そしてそれと同じように、精神障害者に対しても「合理的な配慮」をするのが企業に義務として課せられる法律が決まった。
だが、これは政策の失敗になるだろうと予想している。何故ならば、精神障害はその特性に型がないからだ。同じ病名であってもひとりひとり症状や対処法が違う。
もちろん病名をつけている医者から見れば、型が見えるのだろう。だが、それは大量の精神病患者と向き合う精神科医だからこそできることだ。
私や多くの人のように、機会があって巡り合うことになった限られた精神病患者と、社会的、個人的に付き合う人間にとっては、彼ら(というか私も含めて)はひとりひとり全く違った病態を持っているように見える。
私自身も統合失調症だと診断されているが、この病気も陽性期と陰性期では全く違った症状を見せる。陽性期だけをとってみても、妄想が出る人、幻聴が出る人、その両方が出る人といったように症状が違う(私は幻聴タイプだ)。
だから、精神科医以外の素人にとって、精神障害者に対して「この病名はこういう症状だからこう接するべき」みたいなものは見えないのが実情だと思う。患者個人を深く知れば知るほど、彼らが病名の型にはまった存在ではないということが分かってくる。
だから、企業が身体障害者や知的障害者と同じように、精神障害者にもこの病名の人はこういう障害だからこうした配慮をすればいい、という合理的かも知れないが画一的な配慮をしようとしても、失敗すると予想する。
では、どうやれば精神障害者を受け入れられるのか?そのためにはまず、障害者本人と、雇用する側と、そして精神障害者の支援者の三者が絶対に必要だと考える。
何故支援者が必要なのか?それは、精神障害者の自己認識についての難しい問題があるからだ。
身体障害者は自分の特性を問題なく理解している。知的障害者には支援者が必ずいて、その人が本人の特性を理解している。では、精神障害者は?精神障害者はその障害が精神にある以上、自分の障害特性を客観的に判断することが非常に難しい。私もこれができなかった。なので、支援者に客観的に自分の障害特性を把握してもらう必要がある。それが職場へのマッチングや就職後の雇用する側の対応策などに非常に効いてくるのだ。
こちらの資料 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/iken_koukankai/dai7/siryou2.pdf の16ページにあるように、支援者がいる場合の精神障害者の一年定着率は65.1%にまで跳ね上がる。
そしてこの支援者と雇用する側には、精神障害者には病名による決まった型はなく、ひとりひとり特性が違い、それぞれに別個の配慮をする必要がある、という認識がなければならない。
自分も精神障害を抱えているにもかかわらず、私自身この現実に気がつくまで時間がかかった。
なので、精神障害者の雇用をする側には、例えば統合失調症の方を受け入れよう、というような姿勢ではなく、〇〇さんを受け入れよう、という姿勢を取っていただきたい。
それは非常にコストのかかる話だとは思う。けれども、精神障害者に働いてもらうつもりで雇用するのなら、そちらの方が長い目で見ると良いだろうとかなり確信を持って言える。
次に精神障害を持っている本人やその家族には、客観的に障害特性を把握してくれる第三者の支援者を持って欲しい。
プロの支援者は本人が気づかない障害特性にも気づいてくれる。そうした第三者がいるかどうかで、雇う側も本人への対応のしやすさが非常に大きく変わる。雇う側も第三者に相談することができるからだ。精神障害者本人と雇用側だけの二者しかいない関係はいろいろミスマッチが起こりやすい。本当に。
そして行政の方にも、精神障害者への配慮を画一的にする方向の動きではなく、ひとりひとりに焦点を当てた雇用ができるようにする仕組みを作ってもらいたい。
横からだけど、あるよ。
一般的に双極性障害は気分高揚、多幸感というイメージだろうけど、易怒的(怒りやすくなる)な気分が見られるだけということもある。
話は変わるが、元増田は統合失調症も疑われているということなので、診断は
「双極 I 型障害 - 気分に一致しない精神病性の特徴を伴う」
のいずれかなんだろうなと。
仕事が続かなくてつらい。
今回は転職3回目、4ヶ月目に入ったところだが、数日休んでしまっている。
(電話で欠勤連絡はしている)
また、急にだめになった。仕事が休みの日に友人とご飯を食べに行った。そして帰宅し、いつも通り仕事の用意をして寝るだけだった。でも、できなかった。
「行きたくない、どうしても行けない!」
と大声を出して泣いてしまった。いい年した大人なのに情けない。
実家暮らしなので母が、「誰だって仕事は行きたくないよ」と言う。私だってわかっている。わかっているのに、この気持ちが止まらなかった。
やめろ私! やめろ私! 情けないぞ! と内なる自分が言うのだが、止まらない。
実はこういうのは初めてではなく、過去に何回も起こっている。
冒頭に、また、急にだめになった。とあるように、前の仕事でもそうだった。そして前の前も。
一種の衝動性を孕んだ感情が制御不能になり、暴走してしまうと、もうだめだった。
この日は一睡もできず、家族が寝静まった後落ち着かなく家の中をウロウロして過ごした。多量の薬(風邪薬や胃薬、鎮痛剤のたぐい)とにらめっこして、多量に服用して(いわゆるOD)少しだけ楽になろうと思ったり、2階のベランダから落ちてみようと思ったりした。小期間失踪するのはどうかとも思ってみた。
見てわかるように、私は死にたいとは思っていない。全く死にたくないし、まだ生きていたい。でも、逃げたかったし、消えたかった。
夜は人を不安にする。色々なことを考えてしまう。薬とにらめっこし、どうしよう、どうしようと考えていたら、寝室で寝ている母の顔が浮かんだ。短大時代、これ以上に追い詰められ精神安定剤を多量服したことがある。そして、救急搬送され、母に迷惑をかけた。前みたいなことはあってはならない、いい年なんだからしっかりしないといけない。そう思い自室へ戻り朝を待った。
やはり一睡もできなかったし、気分の落ち込みとやる気のなさ、自己嫌悪感がやばかったので仕事場に電話をして、当日欠勤した。人手不足なのに申し訳ないが、とてもじゃないが仕事できそうになかった。
その日の午前中に、かかりつけの内科医院に行って「しんどい」と伝えると泣いてしまった。
女医さんなのだが、すごく優しい先生で、少し休んだ方がいいと言ってくれた?「うちの息子は鬱になってひどい状態になった」と笑顔で話してくれた。
昔心療内科にかかっていた話をしたら、少しの精神安定剤と、診断書と、別の心療内科への紹介状を書いてくれた。
そのことを職場に伝えると、とりあえず19日まで休んでいいよと言ってもらえた。
でも、心療内科に行くのは少し怖い。
高校の時にインターネットで性的な誹謗中傷を受けてから、私はおかしくなった。もともとおかしかったのかもしれないが、この件があるまでは、なんとか普通を保っていたはずだ。
食事の味がしなくなったり、実際の被害+被害妄想が強くなったり、自傷行為に走るようになってしまった。
そこから心療内科、スクールカウンセラーにかかり、
社会不安性障害、パニック障害、適応障害など病名がついてしまった。
通院するのは苦じゃなかったが、薬を飲むのは嫌だった。怠薬したり、まとめて服用したりもしてしまった。
通院を続けていると、統合失調症になりかけているかもしれないと言われ、怖くなり通院を辞めた。薬も服用しなくなった。
でも、大丈夫だった。幻聴なんかは聞こえないし、多分聞こえたこともない。
人の目が気になったり、人が自分のことを悪く思っているのでは、と感じてしまうことくらいしかなかったし、それでしんどくなる日もあったりなかったりで、段々普通の生活を送れるようになった。
結局のところ、自分が本当に病気なのかわからないし、ただ忍耐がないだけじゃないのかとも思った。
鬱なんかでは絶対にないと思うし。
(鬱の方は私なんか以上に苦しんでおられるだろうし、申し訳ない)
そして短大を1年留年(留年した理由も精神的に疲れてしまい)したが卒業し、新卒として就職した。
新卒から就職していたところでは、自分自身が馴染めず5ヶ月目で異動となった。そこから約1年後に、お局からのいじめに負け退職してしまった。
重度かつ慢性の入院患者が11万人もいるのはおかしい、それは基準が不適切だからだ、もっと重度かつ慢性の入院患者が少なくなるような基準を作りやがれ、じゃなきゃ地域移行に支障をきたすだろ、精神病患者にとっての楽園イタリアを見習えってことかですかね。
厚生労働省による平成23年患者調査によれば、日本の統合失調症患者数は約71万人。
Bleuler Mによる統合失調症の経過類型によれば、重度の終末状態に移行するものは22%であり、また中根允文らによる長期追跡研究によれば、治療が進歩しているにもかかわらず依然として21%の患者は改善がみられず精神病性症状が持続する。
これらの研究結果を見る限り、重度かつ慢性の患者が11万人というのはそれほど歪な数値でもないと思いますがね。
日本は他国に比べて、身体拘束をする、重度・慢性とされる患者の割合が非常に高いわけで、その基準が精神科病院を経営している、日本精神病院協会によって決められているっていうのがやっぱりまずいんじゃないですか
身体拘束をする割合が高いのは、日本の超高齢化社会、というか、精神科病院の認知症患者受け入れ数が増えていることと無関係ではないでしょう。
また他国に比べて重度・慢性とされる患者の割合が高いといっても、基準が違うのでいちがいには比べられない。
まあでも基準作成に日精協が関わってるのであればバイアスの存在は無視できないわな。
で、資料を「こっそり差し替え」「証拠隠滅」という記述に関しては、あくまで想像や憶測の域を出ないのに決めつけちゃってる時点で、印象操サーさんのいつもの妄想乙って感じですなあ。
しかし、福島さんは人権擁護の観点から地域移行を推進してるんだろうけど、結局それは医療費削減に繋がるわけで、財務省は喜びそうな話ですよね。
これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会 第2回「新たな地域精神保健医療体制のあり方分科会」2016.04.22
平成 25〜27 年度 厚生労働科学研究費補助金 障害者対策総合研究事業 「精神障害者の重症度判定及び重症患者の治療体制等に関する研究」研究結果の概要 ver.4.3
今日の参院厚生労働委員会。福島瑞穂議員は、たぶん速記録が出た時点でブログで公開してくれるので、書き起こす気力がわかないわけですが、福島さんはやさしいなぁと思った次第。これが森ゆう子議員なら、「差し替え依頼のメールなり手紙なりを見せろ」というところだと思うよ。てかこんなん許しちゃダメでしょ。日精協のほうがまちがえていたということだけども、向こうの口封じなり、つじつまあわせなりはちゃんとできているのかな?
「重度かつ慢性に関する診断基準、これは資料と新聞を付けておりますが、厚労省は、第五期障害者福祉計画、二〇一八年から二〇二〇年度において重度かつ慢性に該当しない長期入院精神障害者の地域移行を目指すという方針を出しています。また、これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会、あり方検討会によると、一年以上の長期入院精神障害者、約十九万人、認知症を除くの六割以上、約十一万人が重度かつ慢性に該当するとされています。 障害者の地域移行は世界のスタンダードです。であるにもかかわらず、十一万人もの人々が地域移行から排除されるのは問題ではないでしょうか。」
「精神病棟に入院後、適切な入院医療を継続して受けたにもかかわらず一年を超えて引き続き在院した患者のうち、精神症状、行動障害、生活症状、身体合併症などの基準から重度かつ慢性の基準に満たすとされる方についての御質問でございますけれども、当該基準を満たすことを理由に地域移行へ向けた取組の対象から外れるようなことがあってはならないと、それから当該症状を有する障害者にはより手厚い入院医療を提供することで、できる限り地域移行に結び付けていくことが方向性として確認されているものでございます。
また、第五期障害福祉計画では、平成三十二年度末の長期入院精神障害者の地域生活への移行に伴う地域の精神保健医療福祉体制の基盤整備量を明記することといたしてございます。この第五期というのは平成三十年度からのものでございます。 基盤整備量を算出するに当たりましては、御指摘の重度かつ慢性の基準に該当する患者以外の地域移行だけでなく、治療抵抗性統合失調症治療薬の普及等によって御指摘の重度かつ慢性の基準に該当する患者の地域移行が進むことも想定しているもので
ございます。」
「ただ、十一万人が重度かつ慢性というのはどうでしょうか。この基準作成は厚労省の補助研究事業研究班が作成しておりますが、この研究班やあり方検討会に精神科病院の業界団体である日本精神科病院協会幹部がメンバーとして入っております。十一万人が地域移行をするのか、それとも引き続き入院したままなのかは極めて重要な経営問題でもあります。利益相反ではないでしょうか。」
「御指摘の重度かつ慢性の基準は、精神症状、行動障害、生活障害、身体合併症について重症度を評価するものであることから、精神医学の専門的な知見を有する医師等が中心となって作成したものと認識してございます。 また、これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会では、当該基準を満たすことを理由に地域移行へ向けた取組の対象から外れることはあってはならないこと、当該症状を有する精神障害者にはより手厚い入院医療を提供することでできる限り地域移行に結び付けていくことが方向性として確認されてございます。
このため、精神科病院の医師等が作成しているということで利益相反にはならないというふうに考えてございます。」
「ただ、この十一万人がまさに重度かつ慢性というこの診断基準はおかしいと思います。資料として、配付資料八、九に付けております重度かつ慢性を診断する際の基準となっているBPRS、簡易精神症状評価尺度は、その第一項目、精神症状の評価基準として十八項目における点数、なしの一点から最重度の七点までの七段階評価の合計を四十五点以上としています。十八項目の総得点が四十五点以上ということは、一科目平均二・五点以上で重度かつ慢性とみなされるという意味になります。
しかし、BPRSの点数表においては、二点はごく軽度であり、三点は軽度となっています。四点が中等度、五点がやや重度、六点が重度なんですね。ということは、二・五点平均点で取っていると、でも三点が軽度で二・五点はごく軽度なんですよね。ですから、各項目における評価基準と総点数の評価基準とが著しく乖離していて、評価尺度として適用するのは不適切ではないでしょうか。」
「精神疾患の重症度を評価する重度かつ慢性の基準を構成するBPRS、簡易精神症状評価尺度の評価基準につきましても、研究班に参加している有識者の合意形成に基づき作成されてございます。研究代表者によりますと、BPRSの評価基準につきましては、総得点四十五点以上は治療抵抗性の精神症状を評価する際の目安として学術的にも用いられている、いずれかの項目で六点以上となれば重度な症状を有していると言えるといった考え方の下、有識者の合意形成に基づき設定したとのことであり、一定の合理性があるものと考えてございます。
いずれにいたしましても、これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会報告書においては、御指摘の重度かつ慢性の基準によってより配慮された名称並びにより適切な基準となるよう、学会など様々な場において引き続きの検討が必要であるとされてございまして、今後これを踏まえて適切に対応してまいりたいと考えてございます。」
「でも、重度かつ慢性が十一万人、六割以上がそうだとなると、地域移行の歯止めになっちゃうじゃないですか。イタリアとかは御存じ、入院をしないようにするとか、大臣はいろんなことに明るい方ですから、もっと精神障害者の問題を地域へというのはよく御存じだと思います。その意味で、これの重度かつ慢性の評価基準はおかしいと思います。」
この利益相反指摘に対する資料の話。かいつまんで言うと、日本は他国に比べて、身体拘束をする、重度・慢性とされる患者の割合が非常に高いわけで、その基準が精神科病院を経営している、日本精神病院協会によって決められているっていうのがやっぱりまずいんじゃないですかっていうのが前の福島議員の指摘。それで資料請求したら、5月11日に届いたんだけれども、その内容が5月15日に届いた河合孝典議員らに配られたものと、利益相反の有無についての回答がしれっと書き換えられていた、というのが今日の冒頭の指摘。
この後採決に向けて、理事会開催のためと思われる休憩で、散会しないとアーカイブが見れないので覚えてる範囲の概要だけ。詳細は福島さんのブログに明日、あさってぐらいにはアップされると思いますよ。
・福島議員が、たまたま河合孝典議員らと、示された資料を一緒に見ていたら、福島議員のものだけ、川崎市の病院で行われた研究班の26年度報告書に関して、利益相反はない、と書いていて、他の2議員のものは利益相反の可能性があると書いてあった
・これはいったいどういうことですか、ときくと、日本精神病院協会から提出された資料について、本年5月8日に、日精協のほうから、資料に間違いがあったので、差し替えて欲しいという依頼があったので差し替えた。
・福島議員に古いものを渡してしまったのは単なるミスといいはる堀江部長。
・福島議員は、これは国会で取り上げられたから、利益相反ではないと考えている旨を書いてあったらまずいと思ったから、厚労省から頼んだのか、日精協が頼んだのかしらないけど、あとから言ってみれば捏造したんじゃないのかと指摘。
・あくまで間違いであって、これを差し替えさせてもらったと言い張る堀江部長。
・福島議員は、この2年間、間違った自己申告に従って。拘束の基準となるような重大な会議の資料が作られていたというのならば、こんなにサラッと修正しましたーで済ましていいわけがない、ミスならミスとして、誠意を持って対応するのならば古いものと新しいものを2枚くっつけて、こちらは間違っていて、いついつまではこちらが使われていたとするべきじゃないか、と指摘。もし私に間違えて古いのを送ってこなかったら、こっそり差し替えて、何事もなかったかのようにしてたんじゃないのか。厚労省ぐだぐだだけど大丈夫ですか、と塩崎大臣に振る。
みたいな流れ。これはまぁ、4月25日質疑で、利益相反じゃないかっていう話題になって、それを当事者が自覚してないみたいな報告書になってるのはまずいから、こっそり差し替えたはずが、間違って古いのを渡してしまったって話で、いってみりゃあいつもの証拠隠滅をするつもりが、失敗しちゃっただけだと思うんだけど、福島さんはやさしいからなぁ。
こうした発言をする人は、自分が正常な「一般人」だという確信を持っていて、うたがうことがない。
個人的な怨恨はいささかもなく、そのことをぜひとも念頭においてほしいのだが、こうした発言は、残念ながら「私は無教養なバカです」と大声で叫んでいることに等しい。
なにかを知ること、ほんとうに正しいことを知って、尋常な「一般人」にもしなれるのだとしたら、それは、自分の知識が限定的であることを認めること、自分の判断がほんとうは正しくはないのではないか、とうたがいをもつことからしかはじまらないからだ。
戦時中、戦争に疑義を呈したり、思想犯として検挙された人を「非国民!」とののしった「一般人」は、自分がまっとうな「国民」であることを疑わなかっただろう。
だが、1945年8月15日になって、そのような「国民」にはなんの正当性もない、あるいはそんな「国民」はそもそも存在していなかったことを知って、ポカーンと虚脱状態になってしまった。
発作的に泣き出したり、自殺した人もいた。
当時の人々を見て、なんてバカな国民だろうと思うかもしれない。
だが、『自称「一般人」』を「非一般人」あつかいする「一般人」は、戦時中の「バカ」な「国民」と何も変わらない。
気づけば自分が信じ込まされていた社会の認識を疑う、自分のものの見方を疑うという能力をまったく欠いている点で、何も変わらないのだ。
頭がおかしい人の特徴のひとつは、自分の頭がおかしいことがわからないことだ。
統合失調症にかかっている人が「集団ストーキング」の被害を訴えているのを見ると、哀れに思う。
だが当の本人にとっては、それは普段見ている世界への疑いの末に、見出された「世界の真実」であることに変わりない。
「ネットで見た真実」を信じて、陰謀論者になってしまった人を見ると、哀れに思う。
だが当の本人にとっては、それはやはり「世界の真実」であることに変わりない。
「一般人」である自分の見ている世界が、こうした哀れな人々の世界と違うことを、論理的に説明できるだろうか。
ふとした瞬間、特定の人間の意図によって、自分が「非一般人」を憎み、攻撃するように仕向けられていたことに気づくとする。
「一般人」と「非一般人」を区別し、自分が「一般人」であることを疑わない人は、人を迫害し、殺す。
そして、自分が人を殺したことをけっして認めることがない。
先日、昔の職場の後輩から会いましょうよと連絡があり、会いに行った。
先に入っているとのことなので、待ち合わせの飲食店に入ってみれば、何故かテーブルセットが4つあった。
おかしいなと思って、半分ジョークで「ア●ウェイとか宗教じゃないよね?」と言ったら、
結果として、ア●ウェイっだった。
彼女の言うことは支離滅裂で、話は全く噛み合わないし、会話にならない。
私の悪い癖だが、嵌められる要因がなかったので、話のネタになるかと思って
ア●ウェイの幹部なり、彼女の親(ア●ウェイの)でも来れば、看破してやろうと思っていた。
しかし、合流するや否やうっかり言い当ててしまったばっかりに、誰も来なかった。
彼女はLINEで必死に複数名に来てくださいと応援要請していたようだが。
彼女が必死でLINEに打ってくる文字での話には、前後のつながりが全くない。
オタクは自由で放任主義な右翼と親和性が高く、いろいろと口うるさい左翼とは親和性が悪い。
左翼は、その攻撃性でオタクを敵に回した自らの愚かさを悔いるべきと言う言説を最近良く見かける。
その言説について思うところを描いていく。
ヘイトスピーチや所謂「言葉狩り」については、間違いなく左翼と呼ばれる人たちが中心になっている。これらについては、人権の基本である「他人の人権を侵害しない」という原則の問題でもあるが、チャタレイ裁判に関する憲法学界隈からの反論(1)や、大日本帝国時代の児童文学や新聞の規制が言論統制そのものに変化していった前例が示すように、原則、否定するべき物ではない。
また、宇宙の戦士に対して、ファシズム的と言う評価(2)や、さらば宇宙戦艦ヤマトのラストシーンに対しては、それぞれ「軍国主義的」について言及があったことは確からしい(3)。
漫画関係の表現規制で真っ先にやり玉に挙げられる「悪書追放運動」では「軍国主義への回帰」と言う表現が使われてきた(4)。
これらの理由から、オタクが左翼的言説を嫌うことには一定の理由があることがわかる。
チャタレイ婦人事件からずっと、右翼はむしろ表現の規制側に回っていた。猥褻物や公序良俗を使用した最高裁の判決に対しては、保守派を批判する側の法律学者の方からこそ強力な批判が行われていたことを思えば、左翼が表現の自由に不寛容と言うのは、この手の表現の自由に関連する議論の実状からかけ離れているように思える。
悪書追放運動以来漫画の規制では政府与党が応援してきた。悪書追放運動の主体の一つである主婦層の応援をしていたのは、逆コースまっさかりだった当時の政権与党である。
所謂「左」が表に出ていたのは事実だが、思いっきり「右」がそれに乗っかっていることもまた事実なのだ。
84年の衆議院予算委員会で、マンガを規制するための法律の導入を求めたのは自民党の政調副会長だった三塚博氏だし、中曽根総理もそれに大いに賛同していた。
漫画関係でも、保守派の麻生議員とかは、漫画の規制に積極的な人だし、東京都でのマンガの規制が著しく深刻化したのは石原慎太郎が都知事だった期間だ(5)。
漫画に対して公序良俗に関するとして出版禁止のための法整備を実際に行ったのは自民党だ(6)。
つーか、なぜかよく言われる「左翼の側が、オタクの趣味をポルノ呼ばわりして規制している」と言う言説とは裏腹に、実際にオタクの趣味をポルノ扱いして規制しようとしているのは保守政権側のほうが明らかに多い。ってか、実際何度か規制に踏み切っている。
ついでに、戦前でも児童文学の表現に著しい規制が付けられていた。
表現規制の問題を見ていると右も左もオタクとは親和性が悪そう。
それどころか、この10年の間は、マンガの表現規制は保守の側から行われている。
だと言うのに、どう言うわけか保守層が放任主義と誤解している意見が不自然なほど目立つ。
幾度か、マンガの規制の法制化がされるときに反対に回ってきた共産党の立場がない。いや、共産党もちょくちょくマンガの規制するよう求めてはいたから濡れ衣ではないのだが(7)、法制化を阻止するために動いた(8)という一点においては、力が及んでいたかはさておき、むしろ表現の自由については無理解というわけではない。
にもかかわらず、左翼は教条的で何でも規制する頭の固い連中で、保守派は様々な価値観を認めてくれる懐の深い存在という、表現規制の法制化の歴史を紐解くと真逆としか思えない、訳の分からない言説が結構広まっている。
……本当に、どう言うことなの?
理由を考えてみると、実際の活動は兎に角、左翼系の攻撃の方がオタクの方に印象に残りやすかったのが問題なのではないだろうか。悪書追放運動の発言や、ウルトラセブン第12話、ジャングル黒べぇの封印や、さらば宇宙戦艦ヤマトや宇宙の戦士への批判(小説の批評・批判自体はまっとうな活動なのだけど)等、人気作品への影響が大きいこと為、実際の活動量以上に目に付く機会が多かった。
特に、ウルトラセブンの「第12話は欠番とする」と言う趣旨の文言は、兎に角目立つ。簡単に閲覧可能な人気シリーズに、「抗議による封印」の痕跡がポツンと残されているのは、イヤでも目立つ。
また、政府肝いりの団体でも、悪書追放運動の折りは基本的に「左翼」に同調する言動をとっていた。
恐らく、「左翼」の認識が悪くなったのは、ここら編が原因だろう。
その上で、90年代後半から2000年代初頭の「サヨク=人権を御旗に自由を侵害しようとしている連中」とか言う、自由主義史観発のいい加減な認識が、雑な認識と化学反応を起こして、いい加減な認識を加速させたと言うのが実状ではないだろうか。
00年代前半からの10年、警察や保守政権の側からによる表現規制が著しく深刻化していた時期に、そちら側からの影響が殆ど省みられていない現状を鑑みるに、自由主義史観発と言うか、小林よしのり発の「人権を美旗に世界の均質を試みている」と言う趣旨の認識の影響は少なくない気がする。
余談だが、戦前の表現規制に対する反省と言うことで使われた「言葉や表現が問題ではなく、実際に差別をなくすことこそが重要だ」と言う考えが、この保守派への契合に対する触媒になっている節があるのは中々興味深い。
実質的に、差別を助長していたり、差別に根ざしている表現を使い続けることによる、現状の肯定や差別の強化自体は問題にされてしかるべきだ。
キチガイと言う言葉が使われなくなったために、統合失調症の人の気持ちが幾分か楽になったと言う証言もある。言葉を狩っただけで問題が解決されるわけではないが、差別に使われるメインウェポンを使用禁止にすること事態を無価値と断定することも、非常に問題がある考えのように思える。
一方で、一片の理が合っても問題があるのは事実。だからこそ、チャタレイ裁判以降、多くの憲法学者は表現規制そのものを問題にしてきたし、前例がある以上、この手の批判は積極的に行われてよい。
兎に角、「表現を規制する要理も、現状の改善の方が重要」と言う言説が「表現は問題ではないのだから、どんな差別的な表現を使い続けたってかまわない」と言う理屈の正当化に使われ、惹いては、差別語を平然と使い続ける側の心強い理論武装になってしまっているのではないか。
いい加減話を終わらせるために、まとめに入る。
「どんな表現にも寛容な保守と、教条的で表現の規制を押し進めようとする左翼」と言う、表現規制の歴史に多少なりとも興味が有れば噴飯ものの理屈がネットの世まかり押し通ってしまうのは
・60年代の悪書追補運動の折りに、法制化を進める活動家よりも、直接行動を行う「左翼」側の活動の方が目立った
・「セブン12話」や「宇宙の戦士」批判など、容易な「左翼の抗議による作品の封印」の戦果に容易にアクセス可能
・00年代前半、個人サイト全盛期に自由主義史観初の雑な政治認識が流行した
・「表現だけではなく、現状を変える事こそ重要」と言う、それ自体はまっとうな言説の悪用
と言った要素が、悪魔融合を果たした結果ではないだろうか。
(1)浦辺法穂「全訂 憲法学教室」161~163ページ、岡田信弘「憲法のエチュード」86~91ページ
(2)ロバート・A・ハインライン「宇宙の戦士」483~484ページ
(3)牧村康正・山田哲久「「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気」第4章栄光は我にあり、広がりゆく波紋、第10段落
(4)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」100~102ページ
(5)長岡義幸「マンガはなぜ規制されるのか」177~180、196ページ
ネトウヨと統合失調症に関係があるのではという意見をときどき目にする。
主語を変えてみたけど、違和感がないので、ある程度は正しい気がする。
1.統合失調症の思考障害は解体した思考、話題がとりとめのないものになる等が含まれる。
2.統合失調症の認知機能障害は注意力・判断力・社会的相互関係の理解力・問題の解決力の低下等がある。これらの患者は思考の柔軟性に欠け、他者の意見に耳を貸し、また経験から学び取る力の低下が見られる。加えて機能遂行障害を伴うのが典型で、仕事や家族関係が破壊され、自己管理能力が喪失し、社会や家庭からの孤立化が発生する。
1.ネトウヨの思考障害は解体した思考、話題がとりとめのないものになる等が含まれる。
2.ネトウヨの認知機能障害は注意力・判断力・社会的相互関係の理解力・問題の解決力の低下等がある。これらの患者は思考の柔軟性に欠け、他者の意見に耳を貸し、また経験から学び取る力の低下が見られる。加えて機能遂行障害を伴うのが典型で、仕事や家族関係が破壊され、自己管理能力が喪失し、社会や家庭からの孤立化が発生する。
大学生の頃に、統合失調症にかかった。このときは、まだ人生終わったとは気づいていなかった。
しかし、幻聴に苛まれながらも6年かけて大学を卒業したものの、当然就活は上手くいかず、あっさりとニートになった。
このあたりでようやく、自分の人生は根幹が崩れてしまったのだと気がついた。それでも、病気は徐々に回復し、アルバイトからの社会復帰を図った。
それは一見成功したかのように見えた。アルバイトを始めてから3年後にはフルタイムで働けるようになっていた。私の人生、まだまだこれからだと思った。だが、元気になったことで病気をなめていた。服薬を怠ったのだ。
あっさり病気は再発し、今度は自殺未遂まで行った。会社は辞める羽目になり、今度こそ人生終わった、というか終わらせるつもりだったのに生き残ってしまった。
けれども思う。
「終わってないお前らの人生はどんなだ?」
今からもう3年くらい前、自殺しようと思った。統合失調症にかかって約7年くらい経った頃のことだった。
私の場合、幻聴に死ね死ねと毎日追い詰められ、死に方も指定されていた。しかし、幻聴に指定された死に方で死ぬのは嫌だった。そして、病気のせいで死ぬのだから私の身の回りの誰が悪いわけでもない、ということを示すための死に方が良かった。結果、水中毒で死のうと決めた。これなら、統合失調症の症状でまれにあることだし、私が死にたいと思って死んだのだと周りの人々に思われることはないと思った。幻聴に指定された死に方でもなかった。この方針が決まった時、「やったぞ!私は奴らのいいなりにはならないで死ぬんだ!」と心中快哉を叫んだ。
500mlのペットボトルを大量買いした。そして両親が寝静まった後、いつも処方されている量の睡眠薬を飲み、静かにそれらを飲み始めた。
ボトルを何本飲んだ頃かは忘れたが、段々と意識が朦朧としてきた。その朦朧とした意識の中でふと思った。
「これ以上飲んだら本当に死んでしまうかもしれない」
だが、それでもさらに飲むことを選んだ。この時の気持ちは今でも忘れられないし、この文章はこの気持ちを書き留めるためのものである。ただ、言葉にはできない。
そのあとの顛末は間抜けなものだ。私の体に入った水分は綺麗にシモから抜けていき、今もこうして生きている。
それから生きてて良かった悪かったは当然あるが、そんなことはどうでもいい。
あの日、快哉を叫んでから世界が金色に染まったかのように見えたこと、夜中に一人でさらに死にやすい方向へと舵を切ったこと、それらが今でも忘れられない。
それらを今でも忘れたくない。