今からもう3年くらい前、自殺しようと思った。統合失調症にかかって約7年くらい経った頃のことだった。
私の場合、幻聴に死ね死ねと毎日追い詰められ、死に方も指定されていた。しかし、幻聴に指定された死に方で死ぬのは嫌だった。そして、病気のせいで死ぬのだから私の身の回りの誰が悪いわけでもない、ということを示すための死に方が良かった。結果、水中毒で死のうと決めた。これなら、統合失調症の症状でまれにあることだし、私が死にたいと思って死んだのだと周りの人々に思われることはないと思った。幻聴に指定された死に方でもなかった。この方針が決まった時、「やったぞ!私は奴らのいいなりにはならないで死ぬんだ!」と心中快哉を叫んだ。
500mlのペットボトルを大量買いした。そして両親が寝静まった後、いつも処方されている量の睡眠薬を飲み、静かにそれらを飲み始めた。
ボトルを何本飲んだ頃かは忘れたが、段々と意識が朦朧としてきた。その朦朧とした意識の中でふと思った。
「これ以上飲んだら本当に死んでしまうかもしれない」
だが、それでもさらに飲むことを選んだ。この時の気持ちは今でも忘れられないし、この文章はこの気持ちを書き留めるためのものである。ただ、言葉にはできない。
そのあとの顛末は間抜けなものだ。私の体に入った水分は綺麗にシモから抜けていき、今もこうして生きている。
それから生きてて良かった悪かったは当然あるが、そんなことはどうでもいい。
あの日、快哉を叫んでから世界が金色に染まったかのように見えたこと、夜中に一人でさらに死にやすい方向へと舵を切ったこと、それらが今でも忘れられない。
それらを今でも忘れたくない。