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はてなキーワード: 氷河期とは

2023-06-22

氷河期世代じゃなくても氷河期は怖い

大学の先輩の就活がヤバかったのを知ってるから

anond:20230622130826

これ、全く同じようなこと書こうかと思ってた。

おれならもっとドラマティックに書いたね!

氷河期を生き残った小動物視点でさ…進化とか温暖化を絡めて。(なお書けない)

anond:20230620104704

氷河期を乗り越えて生き残った動物だよ。

2000年代の温帯気候氷河期と呼ぶなんて笑止千万だ。こちとら本当の氷河期を生き残ってきたのだから

から1億年くらい前は、空気中の酸素濃度は30%もあって餌も豊富にあったんだ。その頃はティラノサウルストリケラトプスが地上を跋扈していて、やつら恐竜必要もないのに肉体を巨大に進化させて恐竜同士でマウント取り合ってて本当に見てらんなかった。だから、巨大隕石地球に落下して、空が暗雲に覆われて雨や雪ばかりが降って気温が下がった時は、恐竜たちに対してざまあみろって思ったね。

もちろん、死んだ恐竜への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから、大型の変温動物からね。気温の低下に適応できないリスクがあるのはわかってるんだから、なんで恒温動物進化しなかった? そんな空気だった。もっと鳥類進化したところで生き残る確率はとても低く、強い環境適応性でもないと生き残れない時代でもあった。

氷河期悲惨な目にあったのは小型の爬虫類だ。奴らは小型だからかろうじて氷河期でも生き残ることができたけど、いまだに変温動物をやっているから温帯な気候しか生きられない運命にある。あの時みたいな氷河期がまたやってきたら生き残れないんじゃねえの?

俺は小型のネズミだけど、仲間の中には進化身体を大きくしてサルだのヒトだのと呼ばれる奴らもいる。そいつらは高い文明を持ってるようだけど、あんなにでかい図体していたら氷河期イチコロだろうね。

anond:20230620104704

私は1966年まれ還暦近い老人ですが、この年は「丙午(ひのえうま)」と言われる年で、この年に生まれるとあまりよろしくないという迷信があり、前年の1965年には出生が185万人あったのが、この年は四分の三以下の135万人しかなかったという年でした。当時の人はまだ迷信とか気にしていたんですね。

こんな年に生まれるとどうなるかですが、まず大学受験がだいぶ楽でした。当時はの大学定員は40万人ほどで現在の60万人ほどと比べるとかなり少なく、進学希望率は今ほど高くないとはいえ人口が多いので大学新入生の半分は浪人しており、受験地獄と言われていた時代です。当時私大ブームなる不思議現象が起きていて代ゼミが我が世の春を謳歌していました。

しかし、前年に比べ25%人が少ない1966年まれだけは楽でした。浪人が多い時代だったので受験者数も25%減とはいきませんでしたがそれでも前年や翌年に比べ競争はゆるかったとは思います。このおかげで怠惰な私も大学に入ることができました。

ちなみに当時は医学部がとても簡単で、琉球医学部ボーダー偏差値55位、聖マリアンナ大だと偏差値45位だったと記憶しています。今では考えられないですね。

そして1989年就職となるわけですが、当時は「バブル景気」というやつでとにかく無駄に景気が良いため企業採用意欲が異常に高い時代でした。前年もそうでしたが更に人口の少ない私の年代だとどうなったかというと大学生の奪い合いです。各企業がろくに選考もせずどんどん内定を出し、すると内定者にどんどん蹴られていくので更に内定を出しなんとか内定接待をして囲い込み採用予定人数を確保することが人事の仕事。という時代でしたからさすがに人気業界トップティ企業はそれなりの厳しさはありましたが、日経225クラスで良ければ怠惰学生でも大抵はどこかに入れたような感触でした。

入社後も新人時代飲み会タクシーが捕まらないのでハイヤーで帰ったり、新入社員ビジネスクラス出張したりという狼藉を働いていました。世の中にも会社にも金が余ってたんですよね。とはいえ初任給は今より低かったですが。そしてバブル崩壊します...

こんな感じで甘やかされた学生生活を送ってきた1966組ですが、氷河期の皆さんの話を聞くと申し訳ない気がしています。そして自身幸運迷信を気にせず産んでくれた親にひたすら感謝します。

と同時に、おそらく今の出生年80万人世代受験就職はずいぶん楽になるのではないかという気がします。景気は分かりませんが産んで子供感謝される確率は他の世代よりきっと高いですよ。

生き残った氷河期世代について

概要

よく氷河期世代の不遇が世間話題に上がるので、生き残れた氷河期である俺と会社の同期について語る。

氷河期後期の就職状況

入社した会社採用

入社3年後

入社10年後

入社20年後

入社2X年後の今

今後

ここまで生きてきて

俺が今のポジションに納まったのは、まず運が良かった。人生は運で決まる。

あとは図太かった。どんなに優秀でも、最初の数年で労働量やパワハラに潰される。

幸運にも結婚して子供も生まれた。狭いがマンションも買えた。

子供が成人する頃はもう少しマシな世の中になってることを祈る。

あと十数年で還暦か。このまま惰性で社畜人生を送って、だらだらと暮らしていく。

就職できなかった同級生ブラック労働で壊された同級生や同期が今どうなったか、考えない方が良いんだろう。

俺の人生は今が氷河期

躁鬱の鬱で体がろくに動かん

薬増やされたが効いてる感じはしない

障害年金失業保険でかろうじて食いつないでる

金使いたくなくて家で冬眠してる

から氷河期

体動いて気力出れば今すぐにでも働きたいがそんな力はない

そして精神障害者特に躁鬱なんかを雇いたがる企業はない

そりゃ完治しない病気持ってていつやめるかもわからん奴を雇いたいわけがない

俺としてもフルタイムは当然無理

障害者雇用バイトならワンチャンいけるかもしれないが年金バイトで食いつなぐのはかなり綱渡りだと思う

金も健康もない

若さもそろそろ陰りが見えてくる歳だ

誰か助けてくれ

anond:20230622113317

二次氷河期は「リーマンショックで瞬間的にめちゃくちゃキツいのが来た」という感じで

バブル崩壊きっかけに10年以上に渡って続いた第一氷河期とはまたツラさが違うんだよな

社会問題としては第三次ベビーブームを生むはずだった団塊Jrが根こそぎ壊滅したという点で第一氷河期のほうが致命的だったが

anond:20230622112648

ちょっと前に就職氷河期話題に対して明らかに2010年前後の話を返している増田がいたので

たぶん第一氷河期と第二次氷河期という歴史認識がない人が多いんだろうなと思っていたが。

まあ学校でも教わらんだろうから仕方ないけど。

はてな就職氷河期世代おっちゃんおばちゃんばかり

氷河期話題になる度に人があふれ返ってる

俺は病気して新卒就職できなかったけど彼らからすれば恵まれ世代で甘えとか言われる

おっちゃんたちもかわいそうだとは思うが俺だってあんたらとは別種の苦労をしながら就活してる

自分たちけが辛いと思っている一部の氷河期世代マンには辟易する

anond:20230621210336

氷河期第二世代だよ

Wikiを見たら氷河期世代って2回あるんだね、自分の辛かった就活2011年2012年(つまり11卒)だから第二世代にあたる気がする。

朧気な記憶辛酸を舐めた感覚けがトラウマ的に残っているから、忘れ去る前にだれかに知って欲しいと思って書き残す。

2011年はすでに「リクナビ 」「マイナビ」が発達していて、基本的会社説明会はここからエントリーする形式だった。合同会社説明会国際展示場で何度も開かれていて、そこに行って説明会を聞くか、エントリーして説明会のご案内がもらえればそこに行く形だった。

就活全体としては、説明会ESSPI/適正テスト面接グループディスカッション、一次面接二次面接〜中略〜最終(五次)面接)→内々定のような流れ。説明会に行くのは必須

何回も説明会に行って、何回も大学支援センターESで直してもらっても大体は書類で落ち続けているうちに、3月3.11が起きた。

行こうとしていたNY行きの卒業旅行の3日前で、戸惑いながらキャンセルの連絡したら、向こうの代理店日本人の方が、すごく丁寧かつ心配そうに良きに計らってくれて、問題なくキャンセルできて「あぁすごいことが起きたんだもんな」とぼんやりと思ったのを覚えている。

(翌年の世代さら就活が厳しくなった)

それからクソ暑い真夏リクルートスーツを着続けた、暑くて辛くて惨めで、死にたくなったのを覚えている。同卒の学生は顔が良い人や、コミュ力の高い人から卒業前に内定を勝ち取っていったのを見ながら、自分絶望しつつ頑張っていた。「お祈りメール」を読む日々のなかで、唯一お断りとともに自社製品を送ってくれたカゴメのことは今でも好きだ。戦略だとしても唯一優しくしてくれた企業だったので、喜んで掌の上で踊りたい。それくらい会社という社会からの拒絶感に病んでいっていた。内々定3月にもらった友人が4月内定取り消しを受けていた。内定取消し、圧迫面接問題とされていたけど普通に起きていた時代だった。今みたいにSNSが発達していなかったから、個人晒しあげる手段空気もなく、不当だと感じつつ割と泣き寝入りしていた気がする。

就職したのは東京の小さなIT企業だった、25歳〜30歳の先輩はおらず、30歳以降の先輩は高卒しかいなくて、雰囲気全然違って「なんだここは」と戸惑っていたのを覚えている。10卒の若干イケメンの先輩は明治卒だった。そんな時代だった。大田区工場みたいな作業場で作ったものを、お客さんに届けるルートセールスを数年やった。客先からセクハラを受けて(手を舐められる、胸を突かれる、接待で連絡先を聞かれた後に帰宅時に付き合ってほしいとメールが来る)(今でも恨んでいるぞ中◯製◯)営業からはずしてもらったけど、セクハラサービス残業20-50h)も仕方ないよね、って時代だった。むしろ会社としては優しい方だったと思う。

会社が傾いてきて人員整理を始めたから波に乗って辞めた。半年アルバイトをしつつ就活した。運良くバイト先で社員登用されて希望業界転職できた。なんでかそこで人事を数年やったんだけど、12卒だけ圧倒的に「性格が良く仕事もできる子」が多くて、しみじみと氷河期を実感した。あの子達も時代が違えばもっと大手待遇の良い会社採用される人材だっただろうに…自分より不遇だな…となんだか時代の悲しさを思った。採用に関わった数年は、卒業年度によって応募してくる人達全然変わることをすごく実感した。

こうやって書いてて思うけど、第一氷河期の人たちの方がしんどそうだな、と思う。私達の頃は就活って大変なんでしょ?って認識があったし、就活自体過酷だったけど、悲惨レベル比較的マシ?なのかもしれない、母数も違うし。あと私みたいに20代のうちにキャリアを立て直せる可能性があった時代だった、私が25くらいから「第二新卒」って言葉で若手採用が行われて転職できるチャンスがあった。

ここ7-8年で「セクハラパワハラは悪!」「サービス残業なんてありえない!」「働き方改革!」「育休!」なんて風に怒涛のような労働のあり方が変わったよね。自分世代が無理なく育休が取れ始めた世代なのかな。これでも今の新卒とは見える景色全然違うんだろうな、私のときはこんな感じだった。良ければ他の世代の話も聞きたい。

大学受験過酷世代新卒就活過酷世代

なぜって、増田本人が言うように

人数が多い世代からといって、大学キャパを急に増やしてくれるわけではない

から大卒者の数はこの後の氷河期さらに本格化した年代新卒よりも多かったわけではない。

中卒・高卒大卒とでは労働市場もほぼ分離されていたしね。大卒高卒の方に行くことはまだできたけど。

なので新卒市場競争度合いは、ほぼ企業側の設定した採用計画に拠っていた。そして、90年代終盤は

かにそれまでよりはぐっとイスの数が減らされていたけど、00年代前半からすればまだまだマシだった。

anond:20230621210336

anond:20230622102933

グループレッスンがある複数習い事をお試しで受けて、水に合いそうなやつを続ける。

何らかのグループで上手くやれる成功体験があったら、学校でもそんなに孤立したりしないと思うし、友達がいるやつはそんなにいじめられたりはしない。

親が子供に対して気を配らないといけないのは腕力ではなくてコミュ力それから周囲から浮かない外見。コミュニケーション特性があってどこにいってもトラブルになったり孤立するなら、早めに療育受ける。

ちなみに、喧嘩が強ければいじめられないってのは、氷河期チー牛の発想だと思う。

昭和いじめ暴力的だった。咎められたら「プロレスごっこです」って言い訳してた。それが「犯罪です」ということになり、平成いじめは「いじり」になった。「遊んでただけです」って言い訳するやつね。

こういう場合いじめターゲットは弱そうなやつ、反撃してこないやつになる。だから喧嘩が強そうってのは有効だった。

でも、今って「いじり」も廃れてて「遊びに呼ばれない」とか「情報が回ってこない」とかいう疎遠系いじめに移行してる。

の子学校帰りにその辺で遊んだりとかの自由度低くなってて遊ぶにしてもアポ必須。交友関係が親に把握されてるぶん、乱暴な野生児は友達母親に嫌われて出禁になったりする。それで粗暴ぼっちが増えてる。

なんというか、親が自分の子時代価値観をそのまま子供押し付けるのはあんまりいい結果にならないと思う。

戦争はよくないから話し合いで解決」ってのをお花畑ってバカにするけど、現実には、外交問題も含めてたいていは話し合いで解決されてるし、戦争よりも経済制裁のほうが普通に行われてるわけでしょ。核爆弾の打ち合いなんかにはならないわけじゃん。

で、子供においての経済制裁が「家に呼ばない」とか「グループ決めで孤立」「LINEはずし」「ゲームに入れない」とかってことになる。これは腕力っていう核をもってても防げないからね。北朝鮮みたいなもんよ。

氷河期世代自分語りワンパターンすぎ問題

就活大変だった→なんとか職ありついたけど景気わるいから結局その後も大変だった→結婚も出来なかったけどこれからも一人生きていく

細部の違いはあれどほぼこのパターン最初は「可哀想世代だし、今後も救われることはないだろうから傷を舐めあう場が必要だよな」と思っていたが、判を押したような自分語りばっかりホッテントリに入れやがって流石にうんざりだわ。

頼むからから自分語りしようと思ってる氷河期世代は書く前にオリジナリティがあるか考えて、ないならせめて冒頭に『これは傷の舐めあい目的テンプレ氷河期人生語りです』って注意書き入れといてくれ。

氷河期って言葉はいつできたんだっけ

1999年早稲田一文卒、人気企業エントリーシートすら送られてこなかった気がする。

マスコミ100社受けて全滅とか当たり前で、志望動機手書きしすぎて夜中のファミレストラウマになった。

そしていま成功してるように見える同級生、たいてい家が金持ちという現実

まあでもそれなりに楽しく生きては来れたが。

氷河期ブラック企業に入ってしまい、朝から晩まで働いて企画から納品まで一人でできるスキルがあるのに安月給の人をうちの会社でとりたいな

anond:20230622081640

氷河期の女なんて早慶を出て卒論デリバティブリスク評価モデルの何たらだけど就職先は一般職なんてのがざらにいたわけで、今さら何言ってんだとしか言いようがない

税金を食い潰すのを楽しみに生きろ

anond:20230621182021

氷河期と呼ばれた翌年に去年より状況悪化たからと、超氷河期といわれたよ。

3年目以降は常態化たか氷河期が続いてるとしか言われなくなったよ。

2023-06-21

氷河期後期で難があった人の末路。

多分元増田より少し下の21世紀初頭社会デビュー世代なんだけど(もっと辛い氷河期、とか言い出すと角が立つからやめよう。)

この世代の人の就活ハガキが届いた企業で、合否を分けるバイト大学部活の先輩がやってた。

大学名と学部指定が出ていて、それ以外はゴミ箱に入れるらしい。

東大早慶指定国立March関関同立の一部で学部理系OK文系文学部芸術学部いくつかはNG性別では分けてなかった。

ハガキ名前と住所と学部大学資料請求言葉が書いてあって、対象なら合格の箱に。

観光学部の人がすごい小さな字で熱意原稿用紙5枚分くらいある内容をハガキに書いて送ってきたらしい。が、対象外なので苦しいながらもゴミ箱側に入れたと言っていた。

高校時点で、自分の頃には就活がもうダメかもしれない、と言われていたので、どっちにも行けるようにしていたが理転して工学部行った。東工大は落ちた。

最初は楽しかったものの、途中から好きな勉強じゃなかった。本当に辛かった。固体の上を電子がどう動こうと知らん。なぜもっと得意な化学か楽しそうなバイオにしなかったのか。後悔した。途中で辞めてフリーターになろうとして親と殴り合いの喧嘩した。一留

アルバイト家庭教師と、短期バイト事務所登録して20種類くらいやった。そんなに稼ぎは良くなかった。

就活、いくつ受けたが覚えてない。リクナビマイナビを駆使して、予定表をYahoo!カレンダーにいれて、ドコモのP158のアドレスに届くように設定して手帳に書き込んで管理してた。

自己PR欄でキャッチー言葉文章を書けば目に止まるのは当時日記猿人でも読者がついてたこからわかってた。(ついでに何人かの友達のも書いた)

大手ダメだったが、大手子会社や聞いたこともない会社には刺さったらしい。

面接に呼ばれて、SPIは何も予習してなかったが高得点マークしてたらしい。(面接で言われた)

二つくらい内定出た。

会社入れた。同期は早稲田慶應上智MARCH首都圏国立大学慶應行ってる弟が出身リストを見てお前だけ一人おかしくないか?と笑ってた。確かにこの並びならなぜ入れたのかわからない。高校同級生が撃沈しているのを見て、就職するには好きを学びに行っては行けないと思った。自分の5年も大概無駄だったとは思うが。

入った会社はしばらく採用はなかったが、合併経営母体大手から別の大手に変わり新卒枠ができたらしい。

会社のすぐ上はいなくてその上は専門学校卒。少し上に院卒。そのバブル世代が、ハガキなんか出さなくても勝手入社案内が来たと笑ってた。

仕事入社前に聞いてた話と職務内容も違い、勤務地も23区勤務と聞いたのに関東僻地に飛ばされ、頗るつまらなかった。

昭和時代にできたもの保守効率の悪いオペレーション倫理観や躾の悪い敬うに値しないおっさんたち。残業は平均70時間うんざりした。

何の役にも立たないグループ会社健康保険医の面談うんざりした。

地獄だった。

会社のある街から帰れなくて漫画喫茶に泊まった。

知っているか睡眠不足が続いてくるとだんだん味が濃いものが欲しくなる、変な動悸がする。生理血液が7日過ぎても10日過ぎても止まらなくなる。

棺桶に入ったり、棺桶程度の隙間に入れられる夢を何度も見た。

一度目が覚めたら腕も足も切り落とされて月を見上げている夢も見た。やたら綺麗な月だった。

まだ20代だったけど、大規模地震SARSか、ただただ苦しくて、天変地異が起きるか隕石直撃で殺して欲しいと思ってた。

ああ、正直に書くけど27過ぎたあたりからグループ会社結婚サークルに入らないのかと言われた。女性の会員が少ないから入れと。

つまるところ自社グループおっさんが多いから、あてがう女が必要女性社員を多く入れてたんだなと。ちょーメイクセンス

から同期だけ女、しかも見た目が読モみたいな女が多いのな。あてがうためか。ずっと男社会にいたから衝撃的だった。

当時付き合っている彼氏はいた(非正規社員)のもあるが、給料は少ないが、自分の事が自分オーガナイズ出来るし会話も成り立つ。

この会社自分のいるレイヤーおっさん達は自炊自分の服の身だしなみの管理仕事工程機器発注も何も管理できず英語も話せず

キャバクラパチンコがメインでしかできない癖に人の外見にはケチをつけるし会話が成り立たない知性を感じないクズどもだった。

こんな奴らと私生活まで一緒とか殺す気か。




同期は鬱で会社を辞めた。

先輩は職場で倒れた。救急車が来た。そのうち救急車が来ることにも慣れた。他にも倒れる人がいたからだ。

俺らより更に働かされてた隣の部署のチームリーダーがある朝起きたら冷たくなってた。葬式会社の人はこないでくれというのが遺族から伝言だった。

リーマンショックの後、大規模リストラがあって、職場でワイヤーで首吊りが発生した。

そりゃそうだろ。ずっと会社以外のことを考えられないような生活を強いられて、全てを犠牲にして、給与も据え置きで

親会社から合併して降りてきた人たちへの調整金という名目で額面より1万円毎月勝手に俺らの給与から引き抜かれてたが逆らえる人などいなかった)

ずっと発狂しそうな寸前を首を抑えられながらスキルにもなりもしない仕事メンタルヘルスボロボロになりながら働かされてた。

俺たちはまだ別に移る余裕があったけど、もう転職するにも40手前で厳しい年齢の人だった。当時は。

心じゃなくて寿命が折れることもあるだろう。

そこまでしたのにニュースはすぐにかき消された。



同級生野郎ばっかりだったが似たようなこき使われ方だった。自分の周りはもうほとんど連絡元っていないけど、誰も新卒会社でそのまま働いている人がいない。

氷河期の頃の20代、フリーター非正規の友人がスーパーが開いている時間に家に帰り、必要ものを店で吟味して買うことができ(当時は通販事情が違う)趣味時間を持てて楽しそうだった。

週末も有給休暇体調不良で消費していた自分選択が間違ったように感じた。そこまで自分を切り売ったのに手取りは同世代のの中でも大してよくなかった。

職歴は持てたかもしれないが、あんな思いまでしないと得られないものでは本来ないはずだ。

当時は自分時間を持てる環境にいる人が心底羨ましかった。

この会社を辞めた後、午後5時の新宿駅家路に向かう人の背中を見て、20時より前に帰る自由がある人がいる同じ時間軸でサビ残盛って奴隷のように無駄に働かされれ、20代を棒に降った生き方強制されたことの怒りに気づいて叫び出しそうだった。

その後も、途中無職になったり、死にかけたり、入った会社倒産合併リストラや色々煽りを喰らい転職を重ね

今は誰も知らないような外資に入って、つつましい仕事やってる。専門は専攻と全然関係ない情報機器肩書はengineerだがコンサルに近い。給与も高くはないが悪くない。やっと今人として必要ものを全部払って息が出来る状態

月間残業時間もしなくてもいいくらいだが10時間くらいやっている。金があると少しいいものが買える。嬉しい。

会社でのキャリアは上げようとは思わないけどレイオフ対象にならない程度には維持しつつ、同僚も多国籍で物知りで礼儀正しい。差別発言とか出るはずもなく、すごく呼吸がしやすい。

ここまでに生じた持病の通院の時間ちゃんと平日内に調整できる。本当素晴らしい。

いつまでこの状態でいられるか分からないけど、やっと生きている実感がある。

もう年齢的にはここから伴侶を見つけようとか思えなかった。けど、同い年でやはり時代に殴られまくったズボラ料理が上手な人と一緒にいられいている。

この歳になると結婚メリットも大してないか特に法的な手続きは考えていないけれど、向かい合う人がいるだけでどれだけ救いになっているかからない。

そして今オフ時間通信制大学入学して、何年かかるかわからないけどやりたかった経済学勉強をやってる。

きっとこの先の人生何にも役に立たないけどすごく楽しい

他の学部法律関係授業とったりしている。そのうち余裕があれば心理学勉強したい。

この後の望みは健康20代の何も結実しない無理は確実に体を蝕んで、色々できないことが増えた。

とはいえまだ検診の数値はいいけど、ほんとこれ。死守していきたい。

anond:20230620104704













ーー

元増田読んで自分の話を書いたけど全く読まれてなかった。

まあ氷河期って、就職できなかった人も地獄だったと思うけど、

就職できたからと言って労基法全然今と違ったので地獄でしたという話。

事件のあたりは探せば出てくるよ。嘘松だと思いたいだろうけど。

本社屋上は飛び越えられないように数メートルの柵があるって話だったよ。


就活の時、コネがあるから言えと親に言われていたが、それが嫌で絶対就活で得た仕事に就こうと思ってた。

それがこんな酷いところ。しかも上の人はコネで入った奴らだった。

最初会社を抜けれてやっと眠れるようになったのに、何度も職場に連れ戻される夢を見て叫びながら起きた。

あんなに苦労して入った会社だったのに、PTSDがあるんだと思う。

36協定派当時からあったけど徹底が促されるのはその後のこと。

就職前に聞いた話と給与面・職務面・勤務地などが異なったら会社を訴える権利が出てきたのもその後のこと。

転職が少しずつし易いものになったも、ベンチャーが増えてきたのもの氷河期の後だったように感じた。

少なくとも第二新卒とき転職先もなく第二新卒転職フェアに行っても主業で売るものがパッとしなくて、転職しても別の地獄があるようにしか見えなかった。

仕事していて嫌なことがや理不尽を感じたら、地域ハロワと同じところか近所にある労働基準監督署には相談できる人がいるから困ったらすぐに行くんだぞ。

近所すぎて噂になったらどうしようと思ったら、少し越境しても資格は一緒だから大丈夫。一人で悩まず相談しよう。お姉さんおばさんとの約束だ。

anond:20230620104704

なぜか氷河期ネタには無反応だよね。

時間トラバがつかず、ほかのネタに没頭している。

おそらく氷河期のこどもべやおじさんには思い出したくもないネタなんだろうwwww

anond:20230621224257

経験を育てる気があるならありなんじゃ無い?それか派遣エンジニアから抜け出せない氷河期正社員にするとか。まともな経験者を480万で雇いたいと思ってるなら、高望みでしょう。

anond:20230620104704

就職、冬の時代なんて言われてたんだよね。最初は。

それがいつまで経っても春が来ないから誰かが「氷河期」と言い出した。

大学生内定取り消しニュースが出た時は、まだ高3くらいだったと思う。私が就活する時じゃなくてよかったなと思った。お花畑だったから、これは一時的不景気で、すぐにまた(バブル期の)好景気…当時は平成景気と言う人もいた、に戻ると思い込んでいた。

Z世代はこれ突っ込んでいいよ。

で、97年に山一自主廃業ニュースがあって、その頃は公務員試験教員採用試験勉強をしている学生も多かった。

家に送られて来るマイナビの厚みが男子学生女子学生全然違ってた。当時京都に住んでて、住所がすごく長かったので、資料請求葉書を書くのが辛かった。

内定が出なかったので実家に戻って非常勤仕事をしてた。

anond:20230621213230

すごく良くわかる

ちょうど氷河期ゆとりに挟まれ名無世代だよなw

普段から自分がどんな世代だとか気にしないわな

みんな世代論好きすぎる

anond:20230620104704

同じ時期に就活した女だよ。

2000年代も確かに氷河期だけど、この増田が書いている氷河期第1世代はもう一つ忘れてはいけない不遇がある。

それは「団塊ジュニア」という、人数が多い世代だということだ。

世代の人数がとにかく多い。つまり競争相手が多すぎて大学受験が熾烈を極めたのだ。

私は県内公立の中でも有数の進学校に通っていたが、当時のクラス数は1学年14クラスもあった。この学校だけでなく、全体的にそうだった。そもそもこの学校に入るのも高倍率だったのだから、どれほど人数が多かったか

1972年まれピークに、前後数年はそれぞれ200万人の同学年がいた時代だ。今の子供の倍以上である

人数が多い世代からといって、大学キャパを急に増やしてくれるわけではない。

受験倍率は早慶レベルでも10倍超。

今みたいなAO入試などない。国公立は5教科が必須浪人当たり前。予備校大繁盛。

予備校ブギ」なんてドラマもやってたほど、浪人は珍しくなかった。

私も女子だったが現役では志望校に受から一浪して入学した。進学校ではそれが普通だったのだ。

親の意向で「女子が4大なんか行かなくていい」という家庭の女子短大に進んだが(当時はまだそんな価値観があった)大半の同級生は4大を目指し、厳しい競争をなんとか勝ち抜いて有名大学生切符を手に入れた。

そうやって勝ち抜いて勝ち抜いて手に入れた有名大学生肩書なのに、それが就活の段になって全くの紙屑になった。

増田が書いていたように電話帳くらいの厚みがある(あ、今の人に電話帳と言ってもわからいか資料請求ハガキ綴込みのリクルート本が家に届いて、ひたすら手書き資料請求。300社くらい出したっけ。それくらい普通だった。

そして女子というだけで資料すら送ってこない会社多数。

インターネットがまだ普及していない時代資料を送ってこない会社はそれ以上コンタクトが取れず、その時点で門前払いなのだ

会社説明会は電話申し込み。コンサートチケットを取るが如く、電話をかけまくる。携帯電話などまだない。家の固定電話だ。

やっと繋がっても「申し訳ありませんが定員になりました」と断られること多数。

面接の段になっても、健康診断まで受けて絶対内定確定、と就職課に言われた最終面接で落とされた会社もある。曰く「諸般の事情女子は今年は採用しないことにしました」だと!だったら最初から取るんじゃねーよ!

結局大卒がやらないような職種会社しかからなかったが、鶏口牛後を目指そうと気持ちを切り替えて働いた。正社員採用されただけまだ恵まれていた。

数年頑張り会社内でも評価され、幹部候補生選抜され高度な研修も受けさせてもらえた矢先。

会社倒産した。

今の会社には見るに見かねた親戚のツテで入れてもらった。そういう裏ワザがないとまともな転職先すらなかった。前の会社の同僚はほとんど連絡が取れなくなった。

大学の同期で働き続けている女子ほとんどいない。

私よりはるかに優秀だった子達もいたけど、結婚を機にみんな仕事を辞めた。辞めたというより「辞めざるを得なくなった」。寿退社暗黙の了解だった会社がまだまだ多かったのだ。女子社員結婚とか妊娠とかは、会社側にとって体のいい「辞めてもらう理由」でしかなかった。

仕事を続けたければ、結婚はできなかった。

私は仕事を続けたかったので、結婚は諦めた。

幸い自分1人食わせられるだけの稼ぎはあるし、同じような独身女性が多く、それなりに人生楽しんでいる。氷河期だし人数多いしろくでもない世代に産まれちまったが、それも運命と諦めている。

anond:20230620104704

氷河期なんていわれた世代だよ

山一證券内定が決まってた同級生がいた世代

1行目から脳がエラーを吐いたんだけど、

山一廃業1997年で、氷河期ピーク(新卒求人倍率の底)は2000年卒。

就活就職タイムラグ考慮しても、時間が合わなくない?

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