はてなキーワード: 氷河期とは
他の世代はだいたい自分に厳しく他人に甘い(なぜなら他人に一切興味関心がないから)
そして氷河期はだいたい自分に甘く、すぐに言い訳、その上めちゃくちゃ他人の行動を制限したがる
氷河期「俺は頑張った!」じゃねぇんだ
お前何回もチャンスあったよな?
そのたびにいやでもって言って言い訳して逃げてきたよな?
なぜ起業しなかった?
なぜヤクザにならなかった?
そうして発せられる言い訳
「俺は頑張ってたんだよ」
あーはい
目の前に陸地があるのに荒波に流され続けることを頑張るというのなら頑張ってたんだろうな
おつかれちゃんw
当時は農家に婿入り嫁入りする以外に就農する道はなかったよ
自分もそのへんの世代だけど、短大行った同級生から就職の面接で落ちまくった話を聞いていて、大卒となると文系の女子だと全滅→仕方なくバイトで食いつなぐパターンも珍しくなかった。なかには女子大というだけで会社説明会に申し込みすらできなかった話も聞いたことがあるし。今にして思えばこれが氷河期の入り口だったんだなと。
氷河期世代の失敗してる奴が多すぎて政治家がほぼいないんだよな
だから多分氷河期が老人になる頃には高齢者への公的扶助ほとんどなくなってると思うよ
予想はペーシックインカムの七万+年金(国民年金ならおそらくきっちり13万ぐらいはもらえる、厚生年金ならおそらく税金いくらか取られる)
将来福祉の世話になりそうなのは、役所への申請手続きを手伝ってもらう際の社会的心理的ハードルを下げるために共産党(立憲や社民は将来残存しているか不透明)
別に迷うことはないと思うが
氷河期っていってもネットバブルもライブドアショックもリーマンショックも東北震災もあったし浮き沈みはあったものの実感ないんだよな。君らはどこに就職しようとしてたの?ライブドアとか消えた企業もあるけどサイバーエージェントとか生き残ってる企業もあるでしょ?
すっげー氷河期っぽい返し
未成年の処女を氷河期世代のために性奴隷にしろとかなんの罪もない団塊のおじいちゃんを氷河期世代が銃で撃って楽しめるようにしろとか明らかに他の人の人権を無視する要求だらけ
お前らのことなんて誰も興味ねぇんだ
苦しみたいなら今のままでいろ
この世代の奴らだけいつまでもガキみてぇにママにご飯与えられるの待ってんの情けなすぎるわ
いい加減乳離れしろよ
就職難が社会問題になり、卒業数年までを新卒とみなすようになるまでの世代の人たちは、大変な苦労を強いられた。
私が大学1年の時の4年はまだ内定拘束があったり、交通費を出さない会社をケチと揶揄していた時代だったが、
私たちが就職活動する頃には、もはや交通費は出す会社が珍しく、そもそも採用しない会社がちらほらあったり、採用しても人数を絞っていた。
そうすると当然、有名大学の学生でも内定が取れない人が出てくる。
そうして卒業した人は、たとえ東大卒であっても新卒採用を受けられなかった。
私は有名私立大法学部にいたが、語学クラスの半分が内定を取れず、
新卒扱いで再度就職試験を受けるためだけに留年したり院へ進学したり、心折れた人たちは公務員試験や書士・司法試験へ流れた。
うっかり卒業してしまいその後も正社員の職にありつけなかった人たちは、そのままずっと非正規雇用の人生を歩み続けている。
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やっとの思いをして司法試験に受かった人で、弁護士になった人たちもあまり順調とは言えない。
そもそも入学当初から司法試験を目指して目指して予備校通いしていた人たちとはスタートが違うので、
合格に何年もかかった人も多い。新司法試験になってようやく受かったという人は珍しくない。
司法試験改革で合格者数を増やしたが、裁判官・検察は増えなかったので、弁護士が増えすぎてしまい、
相対的に儲からない仕事となったのは今の有様を見れば分かる通りだ。
その後の司法書士が扱える業務が拡大したことにより司法書士の人気・収入が上がり、一時は司法試験よりも合格が難しいと言われるほどになったからだ。
大学院に進学した人たちは悲惨だ。就職浪人のつもりだった人はともかく、博士まで行った人たちのキャリアは完全に詰んでいる。
氷河期世代で教授になれた人間はほとんどおらず、世界が100人の博士だったら、という話まで出てくるぐらいだ。
ポスドクの年収は大体300万もあればいい方ではないだろうか。
うまく行って准教授という名の短期雇用で、例え東大で准教授になったとしても、数年で無職となる。
上が詰まっているので、教授になれるのはごく運がいい人か、よほどの実力者だけだ。
40代半ばで助教授になれなければ教授になれないと言われていたのが90年代だったので、
今後、研究者を続けられるかどうか以前に、生活できるかどうかも怪しい状態に置かれている。
それでも有名私立の実学系の学部にはよそよりも有利な点があったと思う。
ゼミの教授からのコネや、リクルーターになった先輩からの勧誘など。
リクルーターは今でもあるかは知らないが、銀行や保険などの金融系の業種であったもので、
正規の新卒採用ルートとは別に、入社1年目の人たちが後輩のめぼしい人に声をかけて、
会社の人と会わせて非公式の面接を行うというものである。ここで内定がきまると楽だった。
今の学生はサークルに入らないというが、こういうリクルーターのコネはサークル経由でもあり、それ目当てでサークルに所属する人もいた。
また、筆記試験に行くと、「ここにいるのは全員早慶東大の人たちですから名前を書けば筆記は通過できます」なんて試験官が言うこともあった。
内定拘束も今はないかもしれない。ライバル会社へ就職面接に行かないように、内々定を出した学生を入社1年目の社員が呼び出して、
就職氷河期なんて命名するから「不景気のせいで就職難の時期があった」というフレームで捉えがちだけど、
あの時代はもっと根本的な価値観・世界観の変化に直面してたような気がする。
まず、70年代末までに明治以来ずっとやってきた西洋キャッチアップ型の近代化=工業化が完了して、
(最後の人口ボーナスの波である団塊ジュニア世代が成人するまでに労働集約型の工業社会を卒業して)
これからは前人未踏の領域で、あたらしい生き方を模索しなきゃならなかった…んだけど、
バブル景気がやってきて、「深刻な話」はふっとび、お祭り騒ぎになっちゃった。
でも流石に、激動の昭和も終わり、冷戦も終わって大きな地政学的な変化が起こり、
経済はグローバル化が進み、モノづくりニッポンの終わりが予測され、世界の工場の地位もアジアの新興国に移っていくようなって、
もう(経済だけでなく生き方全般の)根本的な改革は避けられないかな?と思っていたところで
本質的な改革どころか、生活を「元に戻す」ので一杯いっぱいの状態…
そんな調子で、本来なら80年代初頭から10~20年かけてやるべきだった本質的なライフスタイルの変革(経済含む)を
ズルズルと先延ばししていたが、いよいよ誤魔化し切れなくなったのが90年代の後半で、
(というか、団塊ジュニアが金を払って学校に行く側から「稼ぎ手」なるのが人口ボーナスの最後の波で、
その波がおさまっていくのが90年代後半だとすると、重なるのは必然か?)
オウム真理教が終末思想にもとづいてイロイロ事件を起こしたり、
旧エヴァンゲリオンが社会現象となるほど大ヒットするのも、偶然じゃないでしょ?
いままで怖くて直視することすらできなかった存在論的不安に対応せざるを得ない時代の空気を反映してる…
本来なら、働き方改革だの、ジョブ型 vs メンバーシップ型だの、春の新卒一斉採用の是非だの、
標準家庭だの、第3号被保険者だの(働くお父さんを支える専業主婦)といった問題は、
80年代に本気出して考えておくべきだった。
IT化、情報化、グローバル化に乗り遅れたのも、明治以来の(自分たちの骨身にしみた)工業化社会の延長で
生きていこうとしたせい…。本質的には昭和サラリーマンのまま、マイナーチェンジで乗り切れると思ってたからじゃないの?
それまでの認識だと景気は上下の波があって、しばらくしたら景気も浮揚すると考えている人が大半だった
それが1997年山一証券破綻やら、消費税5%に上げちゃったり(ちょっと景気回復した・・・?と思ったら消費税上げよった)で、さらに景気が落ち込んだ
このあたりから『あれ・・・日本の景気ってこれからずっと良くならない?衰退していく一方???』というムードが出始める
1998年あたりからはデフレに突入、このあとから更に景気は厳しくなり内定率も下がる
1998年に65.6%あった大卒の卒業者就職率は2000年には55.8%に落ち込む
https://www.rosei.jp/readers/article/76569