はてなキーワード: 教職とは
一般論を書く.
まず,卒業に必要な単位数は125単位前後.これは大学設置基準で定められている.ただし,必修や選択必修があるから何でもいいので125単位揃えればいいというわけでもない.卒業単位として認定されない科目もある.
次に,1年間に履修上限は単位は45単位前後.ただし,成績優秀者や3年次編入者は55単位くらいまで緩和されたりする.あと教職科目はこの制限から外れる.つまり,1~3年次は上限いっばいまで履修登録をして単位を認定していっていれば4年次はほとんど単位を修得しなくてもよい.体感的には8割くらいの大学生は3年次前期終了頃までには4年次開講の必修単位以外は習得し終え,就活や卒論に専念する.なお,この上限は授業時間と同じだけの予習・復習が必要となるような授業設計をするという大学設置基準から算出されたものだが(90分の授業は毎回180分の授業外学修を求める),完全に建前であり,しっかり取り組めば授業外学修が要らない科目は多い
高専とかならまだしも,日本の大学は留年をさせたくないのでまともに出席してれば単位,特に必修単位を落とすことはない.なんとか長クラスで厳しい人であれば落としまくることはありうるが,普通内規で単位不認定は1割程度に留めることという努力義務がある.特に4年生,かつ後期に対しては色々配慮をしなければならない.ただし,3分の1以上欠席をするとほぼ問答無用で単位不認定になる.あとシラバスに書いてあることをやってくれない場合も単位は認定出来ない.レポート出さないとか期末試験に来ないとか
最後に,発達障害持ちの学生は,大学が把握している限り,担当教員に内密にお手紙が来て合理的配慮をすることが求められる.しかし,率直に言って大学教員の中にはそこら辺への理解が非常に浅い人も相当多いので何とも言えない.
単位が欲しい人向け
・とにかく履修登録はする.また上限いっぱいする.特に必修科目は後回しにせず標準履修年次に履修する
・遅刻欠席内職睡眠はせず,ノートを取る.わからないことがあれば授業終わりにでも質問する.オフィスアワーまで利用すればさらに確実.朝起きられない?そのまま社会人になるときついよ
・必ず欠席連絡をする.もし休んだ場合は知り合いに話を聞くか担当教員に相談する
・評価基準はシラバスに書いてあるのでシラバスをよく読む.レポート15回とかが嫌なら最初から避ける.レポートは持ち込み可相談可制限時間数週間の試験のようなものなので期末試験よりレポートの方が楽
・単位不認定停学除籍などのペナルティがあるので剽窃などの不正行為は絶対にやらない
・教員は基本単位を認定したくてたまらない(落としても来年の受講生が増えるだけ)ので,なにがシラバスの到達目標を押さえたレポートを提出するなどをすれば単位は認定してくれる.一方でほとんど意味が無いどころか逆効果なので担当教員に単位くれとか言わない.そんなことするくらいならレボート頑張るなりして
公立学校教員の労働時間についての詳細な話等は記しません。「教職調整額」という名の搾取システムについては、このあたりの記事が分かりやすいかと思います。
教師に残業代が出ない理由を理解するために知っておきたい2つの事実
https://education-career.jp/magazine/career/2019/kyouin-zangyoudai/
残業代ゼロ 教員の長時間労働を生む法制度(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20171211-00079169/
今回は、公立学校や他の私立学校に先んじて「変形労働時間制を導入した私立学校」の実態レポートをお送りします。「何かの足し」になれば良かれと思いまして。
それまで、私の勤務先については「残業代」についての規則が存在しておらず、36協定も締結していなかった。
そもそも、私立学校の勤務時間管理は「一般企業」と同じ扱いであったらしい。そのことを私は知らなかった。なお、私は職場の組合の「代表者」を務めている。
酷い話だ。酷いのは自分だ。
私の勤務先は、様々な点において「公立学校に準ずる」という点が多かった。それは、学校法人が税金を受け取って運営されているという面もあろう。勤務についても、公立学校と同じく「残業青天井」だと思い込んでいた、それまでは。
そもそも、この話は何故始まったのか。
理事側が言うには、その夏に労働基準監督署からの指摘があったということだった。「36協定を締結せよ」「協定が無いままに、職員を残業させてはならぬ」と。嘘か本当か分からぬが、その夏休みに都内の私立学校の幾つかにに対して、同様の査察(?)が行われたという話も理事側から聞いた。
私はそれまでの20数年間、残業代が支給されないのは当然のことであると考えていた。
タイムカードがあるわけでも無く、管理職は各教員の詳細な勤務時間を把握しているわけでも無く。
また、部活動の指導に費やす時間についても、その状況は教員によって様々であった。「部活動指導」というパンドラの箱は、本校内においても「開きかけたり、閉じたり」している。本格的に開けてしまうと、カオスが増すからである。
2017年度においては、「各専任教諭は、何かしらの部活動顧問を務めるように」というお達しがあった。
2019年度現在、「なるべく、部活動顧問をやってくれ」という風に、理事(校長等)側は「言うだけは言って」いる。理論上は部活動の顧問を持たないことも、可能にはなっているようだ。
しかし、実際は「公立学校の部活動顧問の状況」と大差ないと言えよう。「やりたい人間」は放っておいても、年中ほぼ無休(かつ、ほぼ無給)で部活動指導に勤しむ。「やりたくない人間」も当然居る。また、「やりたくないけど、仕方なく」という者も。
理事側の希望としては、2017年の10月(年度の真ん中)より、36協定を発効させたいとのことだった。そのため、理事側は36協定の素案を提示してきた。
その素案は、全体として「現状の勤務・賃金形態を変更せずに、法に沿うように規則を再構築した」と言えるものだった。
給料等は一切変わらないが、現行の「調整手当」を「残業代の定額払い」として再定義するという話だった。
この「調整手当」とは、公立学校(等の地方)公務員の場合、「東京都(区部等)の物価が高いので、それを調整するため」に支給されているものである。従って、そもそも「残業代に相当するもの」ではない。
勤め先は私学であるが、この「調整手当」も「公務員に準じる」ということで、支給されていたのだ。
この解釈は、理事側が社労士(?)あたりに相談し、法的に問題ないことも確認済みだという話だった。
私を含めた組合側の代表も、「給料の手取りが変わらないのであれば、拒否する必要もないだろう」という見解を伝え、後に組合員全体に諮ったのであった。
その話し合いに付随し、理事などが言っていたことは、おおよそ以下の通りだった。
・来年度(2018年度)からは変形労働時間制を導入する予定。
・「週1日の『研修日』」を廃止し、「完全週休2日制」とする。
・40時間を超えた部分については、新規に「超過勤務手当」を支給する。
「研修日」とは、公立私立を問わず、中学高校ではよく見られるシステムだ。
週の1日程度、「担当する授業を持たない日」を設定しておき、その日は「出勤せずとも済む」のである。
数年前の又聞きではあるが、都立「高校」の教諭について記す。休日である日曜日(と土曜日?)の労働(だいたい部活動絡み)が「所定の数(詳細は不明)」を超えると、翌年度は研修日が設定可能になる、とのことだった。
私の勤務先の仲間である組合員(残念ながら、過半数は超えていない。しかし、私の職場はその意見を尊重してくれている)からも、「36協定」について、特に異論はなかった。
2017年10月に「遅すぎた36協定」は締結されることとなった。
36協定が発効する。
変形労働時間制の年間の案が示される。
その「年間計画」が妥当なのかについては、理事側と組合側で意見を摺り合わせる機会も無かった。
基本的なルールは以下の通りだった。作成したのは、基本的に人事担当職員だった様子。
・それぞれの教員(および事務職)について、平日1日を「法定外休日」として設定する。
・行事(各種式典・保護者会・入試等)で「頭数」が必要な日は、全員出勤となる。
・法定外休日がどの曜日にあっても、総勤務日数(250日強)と総勤務時間(2000時間強)が変わらないように設定する。(←この点に非常に苦労したはずである)
・会議が設定されている曜日などについては、10時間勤務で途中に1時間の休憩を挟む。
・育短、産休、育休、介護休業等に入っている者は、前述の「8時間勤務で間に1時間の休憩」。
私個人としては「カレンダーを作るのが大変だったろうなぁ」と考えた。また、その人事担当職員に対しても、普段の仕事ぶりには敬意を持っていた。そのため、特に「異論」を申し入れることはしなかった。
36協定も改めて締結。
2017年度と比較し、勤務時間等を含めた「働き方」自体は、概ね変わらなかった。良い点も悪い点も。
『出勤簿上の勤務時間と実際の勤務時間には齟齬がある』ということだ。ただし、結果的には「拘束される時間」は若干の増加を見た気がする。
この『齟齬』が労働基準監督署などに改めて見出された場合、指導が入ることになるのだろう。
36協定も改めて締結。
明らかな変更は、先に述べた「部活動の顧問は強制では無いが、なるべく何らかの顧問を担当して欲しい」という指示があったことである。
どこの学校であっても「あまり文句を言わず、仕事をコツコツと進める人物に、仕事が集中しがちになる」という面はあるのでは無かろうか。
私の勤める学校の理事も、それを改善するつもりはあるようで、「仕事分担は公平に」という意図のメッセージを随時発してはいる。
しかし、年度当初あるいは年度途中、各分掌(教務とか生活指導とか進路とか)や各学年、各教科内で様々な仕事を割り振る段階で、1人あたりの仕事量の軽重が発生してしまうのである。加えて学校幹部は「何らかのプロジェクト」を(勝手に)立ち上げ、その責任者に「忙しい人」を指名したりする。
なお、教科の違いについては、私の勤務先ではあまり考慮されていない。週当たりの「担当授業コマ数」については、概ね一定となっている。このあたりは、学校によって異なるはずである。
授業準備という「重要な仕事」をする際に、最も関わってくるのが「担当科目の種類数」でもあろう。このあたりも、私の勤務先では明文化されていない。
個人的には「教えることが一番楽な教科」は数学だろうと感じている。なお、私が担当している教科は数学ではない。「楽」イコール「楽しい」というわけでは無いだろうとも思う。私は、学生時代に最も好きだった、楽しかった教科の教員をやっている。それなりのやりがいを感じながら。
萩生田光一文科相は11月28日までに、世界水準のアスリートが引退後に体育などの教員として、学校現場で活躍できる環境を整備する考えを明らかにした。アスリート向けの教員特別免許を導入し、教員資格を取得しやすくする構想
これについてのはてブでの反応。
「アスリートだけに特別な免許を与えるなんて!」って論調が目立つけど、ちょっと違う。教員の特別免許というのは今もある制度なので、そこに誤解があるように思える。
教員の免許というのは3種類。教職課程に通って取得する普通免許。中学校の免許しか持っていない人が小学校で教える、なんてときに教育委員会が発行する臨時免許。そして、第三の免許が特別免許。
特別免許というのは、学識経験があるけれど教員免許は持っていない、という人に対して免許を発行して、それで最先端の知識を子どもたちに教えてもらおう、という制度のこと。
例えば、博士号を持っているエンジニアが理科や工業の教員として採用される、などと言うことを想定している。現在でも、この制度の活用を前提に「教員免許を持っていなくても博士なら教員として採用します!」というような都道府県もある。
https://resemom.jp/article/2018/05/15/44538.html
ということで、文章のリード文だけを見ると「アスリートのために特別免許という新制度を作る」というように見えるが、そうではない。
実際問題として大学の非常勤講師の報酬/給与の相場は、ここで言われている額からかけ離れたものではない(月2.7万は安い方だとは思うが)。
いやいや、月2.7万は「安い方」じゃなくて「良い方」だよ。月給制のとこと回数制のところが有るけど、交通費を除く半期の支給総額が15万を切るくらいが相場。12万くらいのところもある。
ある大学の専任教員が別の大学の非常勤講師をやるというケースはいまだに少なくない。ポスドクと違ってどういう動機で引き受けているのかわからない
いろんなケースがあるんだけれども、教職系とかだとすでに実績ある人じゃないと文科からOK降りなかったりするので、本務校で多忙なところを拝み倒して来てもらう、義理人情で引き受けるみたいなパターンもある。
それさあ、自称医者のエセ科学本でもよくあって結局厚生労働省が国家医師資格をもつ医者のフルネーム検索ができるデータベースつくったんだけど
文科省が教員資格もちデータベースだしていない以上「元教職」「教員資格持ってたけど採用されなかったまま失効(つまり元教職員でさえない元大学生)」「塾講師」とかが全員「先生(自称)」やってるだけちゃうん?
サロンとかも暇じゃないとできないでしょーよ
別に国家資格もってないと職員室に電話できないわけでもなくリスト手にした不動産会社やら保険勧誘員やらヤクルトのおばちゃんもさりげなく入り込むわけじゃん・・
文科省もその下で働く人も一般的な社会人経験がなくてあたまわるい人が多い(のでちょっと目端が利くやつの食い物に生徒ごとされている)という証拠でしかないのでは・・
http://extra.pref.saitama.lg.jp/kyouinsaiyou/saiyouhappyou/index.html
この採用について、個人的に思うところがいろいろとあったので投稿した
②合格者は1次試験免除者しかいない(筆記試験なんてなかったという意味の部分はここ)
③そのた、思うところ
④最後に
埼玉県の教採の受験番号は、その番号をみると受験区分がある程度わかるようになっている(これも問題だと思うが...)
それをみると今回の高校の情報は「3001」と「4001」の人が受かっていることから
この受験者は「経験者特別選考」か「臨時的任用教員経験者特別選考B選考」、「障碍者特別選考」、「大学特別選考」のいずれかである
http://www.pref.saitama.lg.jp/a0001/news/page/2019/documents/191008-0701.pdf
このことから
このことから、高校の情報は「臨時的任用教員経験者特別選考B選考」、「経験者特別選考」の人しか受かっていない
つまり、「すでに教員として働いている人」しか受かっておらず、新卒者が一人もいないのである
これが今回の一番の問題だと思うのだが、
1次試験は、埼玉では「教職・一般教養」「専門教養(専門科目の知識がとわれる)」の二つであるが、
上記の受験者について、これらの選考は「一次試験が免除される」のである
つまりどういうことか
高校の情報の合格者に今年の1次試験に合格したものが一人もいないのである
これは「今年の1次試験は全く無意味であった」ということに他ならないのではないだろうか
(ここは呼び飛ばしていただいてもかまわないです)
・集団面接について
ほかの科目の人たちは同じ科目同士でうけていたが、情報は7人であった
普通なら「3人、4人になるか」と思うが、実際は看護の3人と情報2人、情報5人という分け方であった
ほかの科目は公民などは高く19倍であるが、国語や英語、数学、理科などは3~7倍と比較的に低い
とこのようにばらつきがあるが、情報は比較的に高い方で採用数も2人と少ない
しかし、それでこの情報教員の採用数というのは少し感慨深いものがあった
昨今、教員の人間性が問われ、人物重視の採用をするといわれているが、
1次試験通過者を一人も採用しないというのはあまりにもおかしくはないだろうか
匿名ダイアリーであるが、内容が内容なので、見る人が見たら確実に身バレをする
しかし、その危険性があったとしてもこの内容を投稿したかったので投稿した
差別と戦ってるヤツって今大体「どっか頭がおかしくなってる」イメージなんだよな。無駄に争いごとを増やすし、神経質だし、差別と戦うためなら他人を焼き尽くしてもどうでもいいって思ってるような奴らばかりでさ。それを仕事に持ち込まれるとスッッッッッッッッゲエ困る。ただでさえクソな仕事が千倍重たくなる。確かに差別は起きてるさ。止めないといけないさ。でもな、現実もっと戦ってほしい問題がいっぱいあるわけで。それを押しのけてまでやる余裕なんてないわけよ。しかもさ。差別反対運動のヤツら絶対反原発とか反政権運動絡めるじゃん。なんで?政権はともかく原発反対なんで??関係薄くない???ただ政権がニクいだけで、そこに問題をダシに使ってるんでしょ?事実は知らないけど。そう見えるよ。なんで余計な「運動」ばっか絡めるの?なんでこっちのうんざりに付き合わずそっちの「怒り」にばっか付き合わされなきゃなんないの?
だから子どもが成長したとして、「差別と戦う人になれ」とか絶対言いたくない。だって頭がおかしいもの。そんな奴らの仲間入りさせるような真似したくないよ。学校の先生も差別問題の授業作ったり大変でしょ?教職の友達が愚痴ってたよ。俺たちの人権が守られてないのに何が人権教育だって。物事には順番があるんだよ。
令和元年6月19日
財政制度等審議会
更にはその成果は使った「量」に見合うものであったのかといった議論に焦点があてられることはほとんどなかった。
しかしながら、本来、「量」は教育政策や科学技術政策の目的を達成するための手段であることから、これでは本質的な議論とはならない。
政策に生かされなかったが正しい文面じゃね?
政策の目的を達成するための手段であることから、これでは本質的な議論とはならない。
とか言うべきだよね。増税する前に。
教育は一人ひとりに対するものであるという観点から、在学者一人当たりで見れば、OECD 諸国と比べて、教育支出は高い水準にあり、公財政支出に限っても遜色ない水準にある。
「教育は一人ひとりに対するものであるという観点」がズレている気がする。
よくわからないけど、塾とかの費用は含んでいるのか?正しいのか?
教職員数については、少子化の進展に伴う自然減や平成 29 年度の法改
正に基づく基礎定数化を勘案した見通しによれば、定数改善を行わなく
とも、児童生徒当たりでは増加することとなる。また、主要先進国と比
べても教員一人当たりの児童生徒数は遜色がない。〔資料Ⅱ-3-4参
照〕
「主要先進国と比べても」あるけど仕事の内容が同一じゃないから比較するのは明らかにおかしい。
あいまいに書くことでなんか言いたいような文章だけど。具体的なデメリットの内容がわからない。よくわからないけど金銭的なデメリットというだけじゃないの。
近所にあるとか。そのようなメリットを無視した文章だと思った。
まず、国立大学への公的支出の総額については、このうち国立大学運
営費交付金だけを取り出して、平成 16 年度の国立大学法人化以降、約
1,400 億円減少したとする指摘がある。しかしながら、この指摘は、教職
員の退職に応じてその都度別枠で補助してきた退職金相当額が退職者の
減により減少したことなど教育研究に直接影響しない減少を含んでしま
っている一方で、教育研究向けの補助金の増額を含んでいない表面的・
これらを勘案した実質的な教育研究向けの公的支出の総額を見れば、
法人化以降、約 600 億円増加している。
競争的資金の割合が増えたせいで安定した運営となる基盤の財源の割合が少なくなっていることとか書かれていない気がした。
昨秋の建議において、こうした現状を温存することなく、社会のニーズに応じた教育水準やグローバルレベルで通用する研究水準を確保するための全学的なマネジメントが行われるよう、
・ 教育・研究にかかる共通・定量的な成果指標による相対評価50に基づく配分を徹底し、
1つ目はいいと思うけど。大学の場合、小中高の共通ないようによるテストはないので手法として難しい気がする。またこの評価実行の金銭、時間コストは政策側が負担すべきものだろう。
2つ目は危ういと思う。新分野の教育について最初の評価は低くなりがちで革新を抑えるため、さらに教育が硬直する危険性がある。
一人ひとりの学生や研究者でみれば教育や研究の成果が現れるには一定の時間がかかるという主張もあるが、全学としてみれば、教育をした卒業生を毎年度送り出し、また、日々グローバルにしのぎを削っている多くの研究者を抱えている。
こうした過去からの努力の積み重ねとして毎年度現れてくる成果を適時適切に評価することなくして、評価やそれに基づく配分といった既得権を長期間固定してしまえば、新陳代謝や切磋琢磨を阻害し、ひいては国際競争の後れにもつながりかねない。
悪意を持って研究の評価と教育の評価と混在させた議論をしているように感じた。
時間スケールの異なることを議論して都合のよい部分だけをつまみ上げた文章である。
日本が主要先進国並みの研究開発の生産性を確保できれば、日本のトップ 10%論文数のシェアは主要先進国を上回ることができる。科学技術関係予算
の「伸び」が課題とされることが多いが、こうしたことを考えると、真の課題は研究開発の「生産性の低さ」であると言える。〔資料Ⅱ-3-31~34 参照〕
大学における研究環境の硬直性・閉鎖性が研究開発の生産性が低い要因であるということは、大学内外から指摘され続けてきた。実際、
・ 分野ごとの論文数のシェアや学部・学科の定員のシェアが長期にわたり硬直的であることや、
・ 日本の研究人材の国際流動性や国際共著論文数が主要先進国の中で劣っていること、
は明らかである。
雑務が多いと言われているので「勤務時間」を分母とした場合では生産性は明らかに低いことは同意する。
「研究にかける時間に対しての評価」に対しての生産性の議論をせず、単に研究の生産性(研究者が悪いと決めつけた議論)へすり替わっているのが気になった。
このため、まず、科学技術分野における戦略やプロジェクトを設定・
実施する際に、
・ 研究予算の多寡などの研究に使う「量」(インプット)を目標とするのではなく、これにより得るべき研究成果を相対的・定量的に評価可能な指標として目標化するとともに、
・ そのうえで、重点化する分野、いわゆる「ハリ」の分野のみを提示するのではなく、過去に総合科学技術会議が科学技術予算についてSABC の4段階評価55を行っていたように、温存しない分野、いわゆる「メリ」の分野も提示し、厳しい優先順位付けを明確にするべきである。
2つ目は悪名高い「選択と集中」。しかも、ここで評価をしたからといって全体の予算が増えるかどうかとの関係性は述べられていない。
全体の予算が増えない状況でこのようなこと時間をかけて行うモチベーションが湧くのか?非現実的な方法と思った。
加えて、官民の適切な役割分担・連携も重要である。日本の企業部門の研究開発投資は主要先進国の中でトップクラスの水準にあり、また企業部門の流動資産も過去最高水準にある。
[要出典]
「教育実習」
教職課程を取っている人なら誰しもが行くであろう最後の難関とも言える4週間ほどの実習。勿論本気で教員を目指している人も、そうでない人もいるが、とりあえず皆単位認定と免許取得のためにこの実習を行う。
僕もその1人で、特に教員になるつもりはなく、就活をしていたが3年間の自分の努力を水の泡にするのも癪だったのでとりあえず免許だけは...と思い、母校へ実習に。勿論、こんな半端な思いではいけないと分かっていたので、せめて実習期間だけは本気で教員を目指している人を演じようとした。自分は教職課程で嫌という程困難な単位も取得してきた経験から、大抵の事はそれなりに出来るだろうと踏んでいた。
しかし、大きな誤算があった。
友達は少ない方で、あまり口数も多くない。少人数を好み、内気で外に出ていくような性格ではない。こんなやつが教育実習を行おうとしていたなんて今思うと笑い話である。
僕の他にも何人か教育実習生はいた。実習期間中は控え室で他の実習生と過ごす時間が多くなるのは当たり前のことだが、僕はそれがとても苦痛だった。
先にも言った通り、内向的で人見知りな性格なので「知らない人」がいる空間というのはいささか居心地が悪いのだ。しかも、4週間は同じ人と顔を合わせないといけないし、嫌でも一緒にいなければならない。
この性格で馴染むことはできず、実習生とは距離を置いて生活していた。
大人なんだから、それくらいどうにかしろよ!とも思われるかもしれないが、性格面の問題は自分が苦痛を受けて皆と平穏に過ごすか、自分がストレスフリーで皆と距離を置くかの2択しか無かった。僕は勿論後者を選んでしまった。
教育実習生活は想像を遥かに凌駕する程の過酷なものであった。定時に退社するという概念はなく、朝がとても早いのに夜は遅くまで残って指導案を書いたり、教材研究をしたり、雑務をこなしたり...とにかく今までぬるま湯生活を送ってきた僕には宛ら監獄生活のように思えた。
やっと来た休日でさえも疲れて動けない。どこかに行こうという気力も、何かをしようという意欲も湧いてこなかった。
そんな中で唯一の救いだったのは指導教員の緩さだった。他の実習生を見ると、指導教員に怒られ、やる気はあるのか?と捲し立てられる人もいたくらいだから僕はとても恵まれていた方だと思っていた。
しかし、それは違った。
指導教員が緩かったのは、ただ単に僕に無関心だったからだ。好意も悪意もない、何の感情もない。指導案も授業計画も全て何の意見もせずに一言「良いんじゃない、それでお願いします」とだけ。
無関心な事を後押しするエピソードとして、初日に僕が実習生として指導教員のクラスに着くことを生徒に言い忘れ、最終日も今日で実習生は終わりということを生徒に告げてはいなかった。
他にやることがたくさんあるのは承知していたし、自分の仕事にプラスして実習生を請け負う(負担を増やす)という事も分かっていたけれど、他の実習生は怒られてでも関心を持たれて指導をされていたのが羨ましいと思った。
そして何故か教壇実習(授業を行うこと)は、意外と何の問題もなくこなせた。
人見知りなので人前に出る事が苦痛だったし、30人もの生徒を前に緊張で何も喋れなかったらどうしよう...等と考えていた自分がアホらしく思えたくらいには堂々とした態度で臨むことができた。
指導教員以外の先生方のご指導を頂いて、大変実になる経験であったと感じたし、自分の潜在能力にも驚かされた。ひとつ言えるのは、性格面に問題があろうと、担当科目に対する幅広い知識や教養を身につけていればそれを口頭説明する感じで乗り越えられるという事だ。
どうかこれを見たor見ている人見知りで内向的な教育実習を控えた人に少しでも勇気を与えたいと思って僕はこの記事を書いている。なので、似たような境遇の人がどんな目に遭ったのか最後まで見ていてもらえると嬉しいです。
授業を重ねていくうちに、必然的にクラスの生徒とも喋るようになった。人見知りだが、相手から話されればある程度は話せるし、どちらかと言うと自分で話を振るのは苦手なのでどんどん話すタイプの人とは相性がいい。聞き手に回るのは得意だったので、生徒の色々な話を聞いたりしてとても懐かしい気持ちになったり、楽しくなった。
危惧していたクラスの生徒との関係性もまあまあ良好、と言ったところであった。
そして早く終わってくれ、と思った教育実習もあっという間に1ヶ月が経ち、最終日を迎えた。
僕は教育実習生とはあまり仲良くは出来なかったが、そこそこな関係は築けたのではないかと思った。しかし、特にこれといって仲良くはないので教育実習後のお疲れ会と称した飲み会には不参加でお願いした。面白いのが実習生で断ったのは僕ただ1人という事だ。皆この1ヶ月でとても仲良くなっていて驚いた。
そして最終日の最後のホームルームを迎え、僕はいつも通りにホームルームをした。しかし、クラスのみんなにプレゼントがあったので、ホームルームを早めに引き上げ、お菓子を配った。その中に手紙も入れた。自分なりに話した生徒の特徴を書いて、30人それぞれに違うメッセージを送った。生徒たちが喜んでいる姿を見て自分も嬉しくなった。
しかし、最終日に「今日で最後」という認識は生徒になく、皆驚いた顔でこちらを見ていた。
ホームルームが終わったあとで何人かの生徒は駆け寄ってきてこう言った。
どの言葉も嬉しかった。自分にとってはそれだけで満足であった。30人いる中でたった一人でも、少人数であろうと、自分のことをそういう風に思ってくれる生徒の存在というのは何よりも大きかった。
しかし、控え室に戻ると他の実習生は大号泣。花束を抱え、もう一方の手には色紙を持っていた。自分はまたそれを見て羨ましく思った。
色紙や花束を貰いに実習をしに行った訳では無い。勿論それらは気持ちであるし、指導教員の計らいでもある。
という事を考えると、指導教員はやはり自分に無関心で何の感情もなく、自分を惨めな思いにさせたと感じて一気に敬いの気持ちが消えた。自分勝手な考えなのは百も承知だが、普通に最終日の予告もなし、何も用意せずただ「実習お疲れ様でした」の一言だけはさすがに1ヶ月耐えた自分には辛いものがあった。しかも指導教員に菓子折り(渡すべきものと大学側から言われていた)を渡すと「これあんまり好きじゃないんだよなー、まあ、誰かにあげますわ(笑)」と冗談ぽく笑っていたが、自分の心はこの態度に酷く傷つけられた。
唯一の救いは何人かの生徒はノートの端切れに「ありがとう」や「楽しかった」などのコメントを書いてくれたものを渡してきてくれたことだ。最後と知らなかったので、ほんの気持ちでしかない贈り物だったが、自分には一生の宝物となった。
と同時に一生こんな人にはなるまい、と指導教員を反面教師として生きていこうとも思った。
実は書類の不備で実習を終えた母校にもう一度足を運ばなければならないのだが、その際にまたあの指導教員と合うと思うと憂鬱で仕方ない。
実習を終えることはできても、かなり自分の心身を酷使したイベントであった。
どうかこれから実習に行く人は気負わずに気楽に行って欲しい。指導教員との相性が悪くとも、性格に難アリで厳しそうでも、始まってしまえば終わりが来る。