はてなキーワード: 張り紙とは
当時の人口ピラミッドは少数の生産層が多数の老齢層を支える逆転状態で社会問題と認識されていたものの、
為政者が老齢層を票田として手厚く保護する一方、生産層には政治的無力感を植え付け、政策が改善されることはなかった。
そんな中、2019年になし崩しに始まった新型コロナ戦争に対し、当時の国民は感染症に対する潔癖とも言える恐怖心から政府に追従した。
経済に壊滅的なダメージを受けたにも関わらず、経済活動を行う企業の名前を公表するなど
その結果、一説には感染症死亡者数に十数倍する経済的死亡者を生み出した。
政策を誤らなければ若年層から1%、生産層から5%、老齢層から70%が死亡し、人口ピラミッドが是正され、
図書館も1部解禁になったし、明日から私のお気に入りのカフェも
すごい嬉しい。
友人が都内に住んでいるので、毎週オンライン電話で自粛のしんどさは
これはしんどいなと初めて実感した。
ゴールデンウィーク中は、意識しないようにしていても、県外ナンバーの車を
「ごめんなさい。◯◯県ナンバーですが、市内在住です」
ホントのところはわからないけれども、申し訳ない気持ちにはなった。
何も悪い事してないのに、ごめんなさいと先回りして謝らなきゃならないなんて。
でもこれからもこういう状況としては続いていくんだろうなと思うと
趣味の旅行はいつ行けるのか、海外旅行をこれまでのように心が楽しめなくなるのかと
少し暗い気持ちにはなる。
ただもはや戻ってこない日常。
今与えられた状況の中で喜びや幸せを見つけていこうと思う。
で、私がしないと決めてること。
「頑張れ」とは口にしない。
ただでさえみんな疲れてんだから。
ほっといても頑張ってるんだから。
こんな地方のローカルテレビ局ですら、聞いたことがないスポーツ選手が
テレビで「こんな時だけど一緒に頑張ろう」とか言ってたり
何この風潮。
頑張ってんだからそっとしておいてくれ。
生活環境の差はどうしても出るけど、間違ってもマウンティングならないように
かといって登場しすぎたり励ましたりは絶対したいないようにしたい。
なるべくフラットにとは思うんだけどこもって時点でフラットじゃないんだろうなぁ。
それでも私と話すと気分転換なると言ってくるので、
コロナ陽性判明後に、保健所に嘘をついた上で山梨から帰京した人がはてブや匿名掲示板等でぶっ叩かれている。
Twitterでは「山梨20代女性」なんていうワードでトレンドになっているらしい。検索してみれば、早くも特定しようという動きがでているのが垣間見える。
今朝TVをつけたときにやっていたワイドショーでも、この女性の行動の「身勝手ぶり」について逐一「報道」していた。
個人的に見れば、この人の行動は徹頭徹尾、愚かな判断だと思う。東京へ帰るという選択がまず百害あって一利なしに思えるし、そもそも保健所に嘘をついたってバレるのは時間の問題だ。10秒くらい考えればわかりそうなことがわからなかったのは、賢明ではなかったと言わざるを得ない。
でも私たち人間はそういうものだ。不安なことがあると衝動的に愚かな判断をしてしまう。子供の頃、同級生がどうして先生に「宿題はもうやった」「ほうきを折ったのは僕じゃない」とすぐバレるウソを付くのかさっぱり理解できなかったが、いざ親に「メガネを壊したのはお前か」と聞かれて、なるほど追い詰められた人間は愚かな選択をしてしまうものだと合点がいった記憶がある(そのあとどうなったかは、あまり思い出したくない)。
実際、同じ人であっても、金銭的に不安定な状態にあるときは、そうでないときに比べてIQが大きく下がることが研究でわかっている。お金の不足は自らの先行きに対する不安に直結する。コロナへの感染もまた、社会や自分の生活がどうなるかわからない、という不安に直結するものだろう。
先行きへの不安は、衝動的で、非論理的な行動を招いてしまうのだ。
もちろん、この女性が一体どういう心境でこの判断に至ったのか私にはわからない。もしかすると一片の不安のかけらもなかったのかもしれない。でもそんなことは実はどうでもいい。なぜなら、社会の人間のほとんどは衝動的で非論理的な判断をし、「失敗」するものだからだ(そうでなかったら、今ごろ人種差別とか性差別とか、もっとマシな状態になっているはずだ)。多くの場合それは、友人に窘められたり、上司に叱られたりする程度で済む。でも中には、人生を大きく変えてしまうような「失敗」もある。スピリチュアルな100万円の壺を買ってしまったり、消費者金融につられてしまったり、交通事故に巻き込まれてしまったりといったたぐいの「失敗」だ。
でもそうやって「失敗」してしまう人を救うために、行政や社会システムは存在している。バカな買い物をしてしまった人のためにクーリングオフ制度や、財政的「失敗」をしてしまった人のための(あるいは多くの場合、「失敗」した家庭にうまれてきた人のための)生活保護、そして事故って骨を折っても破産してしまわないための健康保険、というように、社会システムには「失敗」した人のためのセーフティネットが組み込まれていて、それを行政が運営している。健康保険がないとどうなってしまうのかは、米国を見れば明らかだ。
また、「失敗」がある種意図的なものであったり、他の人の人権を侵害したりしかねないものに対しては、法律によって罰則が設けられている。たとえ「失敗」でも人を殺してしまえばそれ相応の罰則を受け入れる必要があることに(罰則の程度について議論があるのは当然として)今更異議を唱える人はあまりいないだろう。
「失敗」の種類によっては、これら「救済」と「罰則」両方の性格を併せ持つ対応をするのが必要なこともある。例えば違法薬物使用などは、周囲への影響を考慮して法的な罰則が設けられているが、実際に必要なのは依存症治療であるという点で、その顕著な例だろう。
こういったシステムは、非論理的で愚かな私たちが、一つの失敗で社会的・物理的に死んでしまうようなことなく、円滑に生活していくための、社会の「バッファ」としてそこに存在している。「バッファ」のないシステムは、すぐバランスを失って崩れてしまう。人類が長きに渡ってありえない量の二酸化炭素を大気に排出し続けて炭素サイクルをめちゃくちゃにしても、地球の生態系がまだ大量絶滅を経験していないのは「バッファ」のおかげだ(それも、サンゴの大量白化を見れば分かる通り、もう崩れつつあるのだが)。
はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を叩き、特定して吊るし上げようとしている人々は、衝動的な判断をしているという点に於いて、本質的に「山梨20代女性」と全く変わらない、オロカモノだ。あなたがいくら懸命に彼女の行動を叩き、牽制したところで、「失敗」する人は絶対に出てくる。それどころか、「失敗」するのはあなたである可能性もある。それでも叩くのは、叩けば「失敗」をする人はいなくなるだろうという誤認か、あるいは自らの先行きの不安を叩くことに向けたいという欲求によるもので、どちらにせよ非論理的で愚かな選択といえる。
ただ一つ違うのは、「山梨20代女性」の行動が、既に感染してしまった彼女自身への悪影響はあまりないのに対し、「山梨20代女性」を叩く人々の行為は、自らの首を絞めているということだ。
考えてみて欲しい。感染経路を把握して感染拡大を防ぐのは行政の役割であって我々には特に何もできないのに、この「山梨20代女性」の行動を逐一報道させ世間に知らしめることに一体何の目的があるのか?
その「目的」は、はてブや匿名掲示板で「山梨20代女性」を吊し上げ、特定しようとするみんなの動きが、雄弁に物語っている。
私たちが「山梨20代女性」を叩くとき、そこには「行政の対応に落ち度はなかったのか」という疑問は存在していない。
この女性は陽性が発覚したあとなぜ移動できたのか?感染者の隔離は行政の仕事ではないのか?最初から検診・検査が迅速にできていればこうはならなかったのではないか?症状が出てから4日放置するという検査要件自体、感染の機会を大きく広げていないか?症状が出ていても、生活が苦しくて実家に帰らなければならないような人は、一体どうしろというのか?そもそも「日本では大きく広がらない」「4、5月頃には収束している」なんて言って対策を怠っていた人が、本当は一番無責任ではないのか?
こういったシステムとそれを運営する行政に対する正当な疑問は、「身勝手な行動をしたオロカモノがいました」という行政からの発表とそれを広報するメディア、そしてそれに乗せられてオロカモノを断罪する人々によって、巧妙に隠蔽される。
この一件だけではない。自粛を「要請」されても、明日生きていくために店を開け続けたり、満員電車に乗り続けたりしなければならない人に対して、「人殺し」と吐き捨てたり張り紙を貼ったりして自粛しない者たちをリンチする社会は、生活の補償・保障なく自粛を「要請」されるという構造の欺瞞に気づくことができない。
愚かな我々を、救済にしろ罰則にしろ本来受け止めるかべきバッファが機能していないという問題は、愚かな行動をしてしまう我々個人の問題に還元され、それに対し我々は反発するどころか自ら自警団へ志願して、我々自身の首を絞めている。
それを知った上で、みんなは「山梨20代女性」を吊るし上げる勇気があるのだろうか。自らの知性に絶対の自信を持てるのだろうか。
私は持つことができない。
社会の中から「オロカモノ」を探し出しリンチする一方で、何も考えずに愚か者を為政者として選出し、その愚か者に扇動されまた「オロカモノ」を探しだしまたリンチする……というループを繰り返す社会にしたいなら、好きにすれば良いと思う。個を喪失し、考えることをやめた日本社会に、ある意味お似合いの帰結だ。
ただ、私は参加したくない。私は時々オロカモノになってしまうことが許される社会に住みたい。
それは今のうちに、はっきり言っておこうと思う。
コロナ禍の中、感染対策をしながら営業を続ける飲食店等に対し、自粛を求めて張り紙や怪文書の配布を行う市民を「自粛警察」としてマスコミが取り上げ、ツイッター等で批判の対象になっている。
いわく「行き過ぎた正義」「正義の暴走」らしく、「頭のおかしい奴がやっている」「全体主義日本の悪癖」だそうである。
しかし、である。本当に自粛警察は「一部の暴走」として切り捨てられるものなのか?
いまや感染リスクの低い登山やサーフィン、釣りまで自粛が求められ、公園は閉鎖され、知事は「うちの県に来ないでください」という。
日々の買い物であっても3日に1度にするよう求められている。
エッセンシャルワーカー以外が外に出ればそれだけで非常識、それが現状である。
そんな中で、いくら感染対策をとっているとはいえ、不要不急の店が営業するのが許されるのか?
感染リスクをゼロにできない限り営業すべきではないのではないか?
クラスターを発生させた理・美容室業界が営業を継続する一方で、これまで一度も感染者を出していないパチンコ業界が休業に追い込まれている。
4月中頃からリモートワークに切り替わり、今は自宅で日々を過ごしている。
先行きが見えないので当然で、出来る仕事は限られている。
一体どこから自分の給料が捻出されているのか不思議で仕方ない。
こんな状況で生活が長く保つ訳がない。
SNSで、
「文化を維持するために救済を!」
という有難い声を見掛ける。
「オリンピック開催の為の生贄じゃねーか!」
「政治家が会食してんじゃねーよ!」
などと憤っていた。
会社の問い合わせ電話口で「何故この状況でイベントを中止しないんだ」と一銭も落としていない奴から言われたときは、「じゃあお前がその分支払ってしてくれるのか?」と言いたかった。
散々叩かれていたK-1のイベントもとても他人事には思えず、悪者のように取り上げていた報道には本気で殺意が湧いた。
「こんな時だからこそ無料配信します!」という大手エンタメ企業の波に焦りを感じていた。そんな体力はうちにはなかった。
そうこうしているうち、ウイルス封じ込めは失敗し、ライブエンタメ以外の自粛も始まり、今に至る。
憤っていた頃には分からなかった深刻な状況を理解しはじめ、「自粛したことに意味があった」と分かったことでやや気持ちが救われた。
ご存知の通り、エンタメ特にライブエンターテインメント業界は、いま瀬戸際の状態だ。
弊社の名前でエゴサしたところ「●●は大丈夫だと思うけど…」と言われていたが、そんなことは全然ない。貴方の推しが散々世話になっているあの会社この会社も、明日潰れてもおかしくはない。大手の状況は知らんけど。その大手も雇っている、個人で仕事を受けている大勢の裏方スタッフは、更にままならない状況下だと思う。
どうしたらクリエイターやスタッフやキャスト、関係会社の社員や派遣、アルバイトが生活していけるのか?
三密を避けながら、これまで通りエンタメを本業として続けていけるのか?
恐らく、今後ライブエンタメから配信に乗り出す会社は増えていくだろう。
この状況でも(この状況だからこそ、の方が適切だろうか)Netflixは売上が上がっていて、そのほか配信界隈は好調のようだ。これからは音楽ライブは勿論、お笑い・声優・ミュージカル・ダンス・コスプレといった専門的なライブエンタメジャンルに特化したサービスが本格的に参入してくると予想している。家に居ながら提供できるものを模索していく流れにならざるを得ないのは事実だ。
しかしライブから配信に切り替えるといっても、ドラマの収録も出来ず、ワイドショーもリモート出演のこの状況では、以前と同じクオリティを保ったコンテンツを配給していくのは困難だ。ヘアメイク、スタイリスト、カメラマン、照明、音響、編集、作家、ディレクター…そういった本来多くのプロの手で作られていたものが、現状の急場しのぎでやっているものと同等のクオリティであるはずがない。
そして「餅は餅屋」というように、既に何年も配信の実績があり生業としているプロが既に居る。これだけ溢れている配信コンテンツの中で人気者になるには、そのための研究や才能といった何かしらのチカラが必要なはずだ。
「配信は気軽」かもしれないが、「気軽に配信のプロにはなれない」のではないかと思う。配信主はこれまでの生業での人気という貯金を切り崩していくことになるだろう。
また、キャストやクリエイターは独自に発信することは可能だが、裏方スタッフには仕事が回らない。稼働出来て、ヘアメイクスタッフとスタイリストくらいだろうか、それにしても三密の環境は避けられないだろう。劇場やライブハウスで働く技術スタッフに関連させることは更に難しい。無観客イベントをするにしても、スタッフキャストは三密不可避だし、何より採算が合わないだろう。
最近話題に上がる再放送については、作品の権利を持ってる会社には利益が入る可能性があるが、裏方スタッフにまでロイヤリティが入るという契約は聞いたことがない。
クラウドファンディングで有志から資金を募るにしても、不可抗力によるクオリティの限界が知れてしまっている状況では、これはもはや善意の募金のようなもので、健全な商売とは言い難く、このコロナショックの不景気の最中では長続きしないと思っている。打撃を受けているのは何もエンタメ業界だけでなく、これまで応援してくれていたファンの生活自体が危ぶまれている状況なのだから。
公的な補填なしに、これまで通りのエンタメの存続は難しいだろう。
※現在エンタメ補償は現実的ではないことを理解した上での、自分の結論だ。
何が基準となるのか?
文化的価値。優先順位。妥当な補償金額。これらを定義するのはとても難しいと思う。
エンタメ業界に限った話ではないが、天才、凡人、善人、クソ野郎、いろんな人がいて、才能がある者が必ずしも人格者ではなく、どうしようもない人間ほど人気があったりと、労力を掛けた分の報酬があるわけではない。
「この人は素晴らしい作品を創る」と思うこともいれば、「しょーもない作品創りやがって」と思うこともあった。
これはあくまで自分の感想であって、正反対の感想を持つ人もいる。
…という、自由度が高く将来性が未知数というエンタメの特性は、公的な保障ととても相性が悪いと感じる。
でも、正直、逼迫しているこの状況で、これまで存在していたエンタメ全部が必要か?と言われると、そうじゃないんじゃないか?
「この状況を乗り越えられない小規模エンタメは淘汰されるほかない」というのは、信条には反するが、そうかもなという気持ちもある。
アイドルはジャ●ーズ、お笑いは吉●、音楽は●●レコード、アニメはスタジオ●●、演劇は劇団●●…というように、好き嫌いはあれど大多数の人が知っている国民的存在。社会でエンタメを担うのはそれなりの体力のある会社に託されることなのかもしれない。
そして。そして何より。
安全なところで文化的な活動をする人と、危険地帯で生活を支えている人と、どちらがお金をもらうべきなのかは明白だ。
いま、限られたお金で社会を成り立たせるために今最前線で戦っている人は、十分な恩恵を受けられているのだろうか?
社会インフラを保つために働いてる人
この人たちとエンタメ作ってる自分たちが、並び立って「お金をください」と言えるのか。そして、今後国から支えてもらうだけの社会的役割を果たすことができるのか。
https://twitter.com/Pkn2zVN6iC1DHmX/status/1250599556472958976?s=20
知恵や技術や物資での支援が難しい状況下、いま苦しい人の為になるものは何だろう。
絵? 歌? アイドル? Nintendo Switch? 総理大臣が自宅で寛ぐ映像?
誰にとっても有難いのはやっぱりお金だ。あなたはこれだけ価値のある仕事をしてくれたと一番わかりやすく可視化されるものだ。経済的だけじゃなく、精神的にも救われる。
昨日スーパーでスタッフ急募の張り紙の時給を見て、混雑したレジをさばく店員さんの姿に「割に合わない」と感じてしまった。
この労働を「感謝の気持ち」で済ませてはいけないのではないか。
見合った対価を払わず人の良心に付け込んでいるだけではないのか。
もし自分が最前線で働いてる立場だったら、安全なところで自分のやりたいことやってる文化人が国から補償が貰えるってなったら、「その金俺に回せよ!」ってブチ切れると思う。
これまでお世話になってきたエンタメ業界が辛い中踏ん張っている中、水を差すようなことを言って本当に申し訳ない。
自分自身、エンタメ業界しか経験せず年を取りつぶしが効かず、生涯独身のつもりだったので結婚の予定もなく、正直これからの生活には不安しかない。
たくさんの人に感動を届けたい。そう考えて就職して、作品を作った。
でも、本当にこれからも、必要なのだろうか。求められている活動なのだろうか。
自分たちの経済的事情ばかりを気にして、エンタメという文化を笠に着て、安全地帯に留まっているだけではないだろうか。
かみさんはとある大手下着メーカーの「販売正社員」。デパートやスーパーに常設されたメーカーブースに派遣されて、お客さんと対面にて商品の良さを伝え、適切なバストサイズの計測を行いフィッティングをし、購入につなげるプロだ。彼女のプロ意識や商品への愛着はとても清々しく尊敬に値するといつも思っている。
そんな彼女が最近、出勤したくないという。もちろん理由は「新型コロナ」のせいだ。
彼女がいま勤務しているのは、直近で新型コロナウィルスに感染した人が出た店舗だ。ただその店舗ではクリーニング後半日で営業を再開しているし、患者が出た階はかみさんのいる衣料品販売をしているところではないとのことで、「安心してくれ」とのアナウンスがあったそうだ。
そんなアナウンスに対し、かみさんは「何を安心すればいいんだ?」と疑問を抱え最近毎日僕自身のまえで愚痴っている。またかみさん含む販売正社員のLINEグループ内では、やはり同じような危機感を覚えている人も多いようで、「なぜ会社は出勤停止にしないのか」「こんな環境で安心してお客さんに商品アピールはできない」という声もあがっているようだ。またこの前段として、北海道で緊急事態宣言があった際にも何の対策もなく会社から通常勤務を命じられたことが、不安をいや増す形にしているように見える。
もちろん昨今の流れで対策をしていない訳ではないらしい。明らかに濃厚接触となる、フィッティングルームに入ってフィッティングをサポートするということは会社から禁止として指示が降りたそうだし、それらの指示に関する張り紙もしているそうだ。
一方で、そこそこ高いブラを買いに来ているお客さんは言わばバストに対して意識が高いため、コロナだろうがなんだろうがフィッティングのサポートを要求するし、何故かフィッティングルームではマスクも取るらしい(マスクを取るのはn数少なめなので全員とは言わない)。しかもこのご時世だから「空いている」と判断してわざわざ買いに来るらしい。かみさんからすると、こうしたお客さんがリピーターになるため無下にはできず、ストレスがいや増す結果となっているようだ。
そこにきて、昨日の緊急事態宣言に関する話。僕とかみさんが住んでいるのは、当該の地域。そして店舗も当該の地域にある。
一方で今朝の報道を見ていると、デパートはどうやら営業停止になる可能性が高いようだが、かみさんが勤務しているのは食料品を扱う(すなわち緊急事態宣言後も営業している)大型スーパーの上層階に設置された衣料品コーナーだ。
そこでかみさんの疑問とストレスになっているのは、「下着って今必要か?」というところだ。
下着メーカーからすると売らなければ売上が立たない、その販路はこうしたスーパーやデパートとなる、だから販売を続けなければならない(でも内勤の人間はリモート)という理屈が成り立つ、とかみさんは激高している。かみさん自身バストに対して意識が高い人間なので、プロとしてバストにいいものを届けたいという気持ちは人一倍強い。おっぱい好きとしては尊敬に値する妻だが、だからこそそのおっぱいプロたる意識を安月給で使い捨てにするような態度には、我慢がならない。
多分彼女のことなのでこれが生活を支えるインフラたる商品を扱っていたとしたら、ストレスを抱えながらも仕事を続けていただろう。そこは夫として心配はするし利己的に仕事へ行くなと言いもするかもしれないが、そこは彼女の意思を尊重しながらの話になるだろう。
その疑問は、プロたるかみさんの頭にすっかりこびりついているし、僕自身は必要ないと思っている。手持ちの下着で十分だ。
今朝もかみさんは不満とストレスを抱えながら店舗へと出勤した。
僕は彼女と同じく家庭をともにする子供が心配なので、緊急事態宣言発動後に彼女が望んだら「めんどくさい夫」となって、店舗へクレームも出すし会社へクレームも出すだろう。結果彼女が会社を辞めることになっても、僕が生活を支えるシフトは組むことができる。そうした話までは対話をして完了している。