はてなキーワード: ガラパゴス化とは
ガラケーと呼ばれだしたのは最近?ぶっちゃけガラケーで事足りるよね。スマホ使いだけど。
あれは「ガラパゴスケータイ」という意味だと把握している(違ったらごめん)。
そのほかにも日本の文化は世界から見ると少し異様なものが多いらしい。
まとめて「ガラパゴス化」と言ったりする。なんとも、ガラパゴス諸島に失礼な話である。
島国以前に、鎖国していた時代があるからだと単純に考えることが出来るだろう。
しかし日本人は戦争の前から海外に目を向け、海外の技術を、持ち前の生真面目さと勤勉さから、わりと正しく日本国内に持ち帰ってきたと思う。
もうそんなことが何十年も繰り返されてきた。
そろそろ鎖国とか戦争とか、ネットワークが繋がった今、海外と交流が無いからなんて理由は通じなくなってる。
そこでタイトルになる。
海外に合わせててはならない。自分たちの文化を自分たちで作っていかないと、生きてられない。
ガラケーだって1つでなんでもできる。電池だってスマホより持つ。
チケットを電話で争奪戦するときも、ガラケーのほうが当選確率が高い。(何故かはやく繋がる)
それだけではない。近くの人たちと上手く人付き合いをするために、日本人は積極的に物事を言わないことがある。
あれは災害の時に、人々が助け合うための訓練をしているのではないだろうか。
精神的なことを言うなら、映画やドラマ、アニメ文化だって、海外で受けなくてもいいのだと思う。
海外視野にした作品ならともかく、日本人の精神や考え方って、きっと海外とはかなり違う部分がある。
最近なんでも海外へ海外でと言うけれど、日本人向けが無くなったら、きっと日本ではエンタメは生きていられなくなる。
(かといって古き良き、ではなく、現代の日本人向けに設定していかなくてはならない)
日本の誇りを持てばいい。日本に居る時点で、あなたは世界で特別だ。(海外の反応的まとめでよく見るコメント)
誇りを持って、なんでも独自視点で乗り越えて行かなくてはならない。
脳みそを使って生きて行かなくてはならない。
そのためには、いつだって冷静で居なきゃならないんだろう。
2chなんかでIT系の採用の話があると「学生のときに勉強してた新人は変なクセがついてつかえない。なにも知らない新人のほうが伸びる」みたいな人がよくいるんだけど、こういう事を言ってる所は地雷だよな。
これを言ってるのは、言ってる本人が勉強したことなくて、職場のガラパゴス化した技術しかしらなくて自分自身に変な「クセ」がついてるんだと思うわ。(実際にはスキルにクセなんてないんだけど)
で、自分が劣ってるんじゃなくて「勉強してるやつは変な癖がついてダメだ」って合理化してんの。
「クセ」といえばよく、はじめに学んだ言語が○○だとクセがついてダメだとか、最初にIDEでやるとダメだとかいう説があるじゃん。
プログラミングのスキルをスポーツのフォームみたいに捉えてるんだろうけど、こういうのも言ってる本人がダメっぽいな。
世の中には言語を一個覚えるのがやっとみたいな人と、簡単に複数の言語を覚えられる人がいて「プログラミングのスキルはクセがつく」という発想をしてしまう人は、前者のほうなんだろうと思う。
自分が言語一個覚えるのに四苦八苦するのを、世の中みんなそうだと思って「クセがつく」と称してるの。
CのベテランがJavaの現場にきて、悲惨なコードを書いてるとかあるけど、それはCのクセがついてるからじゃなくて本人にJavaを勉強する気がないからだよね。
「クセ」と言われてるのは、学習曲線が一年くらいで伸びなくなって複数の技術を身につけるのが困難な人が、最初に学んだ技術しか使えないのをそう言ってるだけで、そういう人からしたら確かに「クセ」が存在するんだろうけど、そういう人を前提に新人教育を考える必要はないと思うわ。
IDEから入るとコマンドラインが使えなくなるって話も、そういう人はコマンドラインから入ってもすぐ学習曲線は頭打ちになって、どのみち大したこと技術者にはならないだろうし。
もう散々いろいろなところでいわれているはずなのに、いまだに状況が変わらないので、いぶかしく思っていることがある。
TOEICは日本人のために日本人が作った英語の試験であって、日本を一歩出ると、認知度はほぼゼロだ。
何度でも言うが、日本を出ると、ごく一部の教育機関等を除いて、TOEICのスコアは何の役にも立たない。
TOEICは日本人サラリーマンが日本企業へ就職するために受ける試験であって、世界で通用する英語の実力とは何の関係もない。
通常のTOEICスコアと日本人がいっているものは、ReadingとListeningの試験のスコアのことであって、TOEIC SW(Speaking, Writing)のスコアのことではない。
つまり、日本人が競っているところの、グローバルな英語能力のスコアというのは、じつは、日本の中学・高校で行われていた、「リーディング」、「リスニング」なるものの延長であって、話す力、書く力を重視している他の英語能力試験とは関係がない。
イギリスの教育機関に入学しようとするとIELTS、それ以外、アメリカ等の大学ではTOEFLのスコアが求められる。いずれの試験も、Reading, Listening, Speaking, Writingのセクションがあり、点数比重は同じである。
ReadingとListeningしかないTOEICのスコアを比べて日本人のサラリーマンが一喜一憂している間に、他国の人々は総合力を試される、より難しい英語能力試験でしのぎを削っている。
これらの試験がどれぐらい難しいかは、TOEFL, IELTSとTOEICのスコア換算表を検索してみるとわかるだろう。また、日本人の平均スコアがどれだけ低いかは、実施団体が公開しているので、検索すればすぐにわかる話だ。
TOEICはいわばガラパゴス化した英語能力検定試験であるが、日本の企業の「グローバル化」戦略に合わせて人事評価をしようとすると、この「日本人のための英語の試験」がまるで唯一の基準であるかのように幅をきかせてくる。
なぜTOEFL iBTをスコアとして採用しないのかというと、TOEICを(日本では)みんな使っているから、TOEICがたまたま昔からあるからという答えになろう。
本当にビジネスで役に立つ英語の能力を測りたければ、そもそもGMATのスコアを持ってきてもらえれば済む話だろうが。
日本の企業が世界に向かって開けていこうと気炎を上げるとき、やはり日本国内で横並びになって、なにやら日本的なオブラートに包まれた試験を通してしか英語を摂取できない様には不思議なおかしみとかなしみがある。
こうした「日本的事情」は、英語のみならず、他の言語の検定試験にも共通している。
仏検(実用フランス語技能検定試験)は、公益財団法人フランス語教育振興協会(APEF)なる日本の団体が実施しているフランス語能力の検定試験だ。
この試験は昨年受験料を値上げしたが、そのときの言い訳が、受験者数の減少であった。
ちなみに、フランスの大学に留学するときに求められるのは仏検ではない。DELF, DALFという、フランス国民教育省が実施する試験である。そもそも仏検などという試験の存在は、日本に住んでいるフランス人すら、教師以外は知らないだろう。
仏検は、早晩、消滅はしないにせよ、大幅に縮小されて、ほとんど存在価値がなくなるだろう。
他の「日本人向けの外国語能力検定試験」は、その言語を使っている本国が実施する試験にその地位を奪われていくだろう。本国が実施する試験のほうが、汎用性と信頼性が高い語学能力の指標として通用するのは当たり前の話だ。
ほんとうのグローバル化とは、「日本人向けの外国語能力検定試験」という、わけのわからないガラパゴス化製品が消滅することだろう。
分かったのよ。日本の優良企業がダメになってる原因の一つが。それは、バブル入社組が実権握る年齢になったからよ。
ほんの15年前、携帯電話は世界の人々が目ん玉飛び出す程日本の会社はすごかった。PCも、車も、ゲームもカーナビも。音楽も、洋服も、アニメも。大体の技術や製品が日本は圧倒的に世界をリードしてた。唯一戦えてたのはappleだったわけよ。でも、その後大企業達は糞の様な10年を過ごし、殆どのジャンルで瞬く間に世界マーケットで通じなくなった。で、誰が悪いのと。それはバブル入社組のあなた達だ!
要するにホリエモンとか藤田晋達より5歳位上の世代。バブル入社して、会社の金で遊びまくった連中よ。
大した努力もせずに二十代を過ごし、まともにPCも使えず、英語も使えず、パワポで資料も作れず。夜になると突然元気になる連中!今社内政治に没頭し部下をこき使い、会社の経費は未だ使いまくり、足を引っ張りまくってるお前ら。。そして、人数だけは多いもんだから派閥作って余計な事ばかりしてる人達。しまいにゃ、ガラパゴス化した価値観を生み出し、鎖国の様な価値感で国内マーケットのみで戦ってる連中。
それより上の世代は苦労した。そりゃ今弊害もあるだろうが、世界のマーケット開拓したのは彼らだ。で、その下の世代が資産を食い尽くしたんだよ。
バブルという化け物が生み出した負債は、金銭的には解消したかもしれない。しかし、人的な意味では、当面この世代の台頭は続く。あと10年は戦えないぞ。その下の世代よ、早く蹴散らせ。奴らは大した仕事なんか出来ないのだ。
元増田です。反応してくれて有難う。
英語に直すことが全てではないけど、英語にしたら我々の使っている意味じゃないことは分かるわけで。
http://eow.alc.co.jp/search?q=%E6%B4%97%E7%A4%BC
その派生義らしい
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/127769/m0u/
の
2 その後に影響を与えるようなことについて初めての経験をすること。また、ある集団の一員となるためなどに、避けて通れない試練。「新思想の―を受ける」「新入部員が特訓の―を受ける」
をみても、「アウェーの洗礼」というときの「洗礼」とは違うと思うんだよな。
誰が、どんなニュアンスで
「本拠地でない場所でのフェアプレー精神のない(いじめ的な)行為」
を意味する使い方が始めたのがか興味がある。
ちなみに、「ガラパゴス化」という言葉を初めて使った人の証言は検索すれば今でも見つかると思う。
俺は、その人の主張の線で考えても、間違った語の選択をしたと考えているが。
某学会誌の表紙がアニメ調?な女性型ロボットだったせいで話題になった。
乱暴に要約しちゃえば、このデザインはパブリックな刊行物の表紙にはふさわしくない! これにGOを出した編集委員は無知すぎる、ということっぽいのだが、さて、お話はその問題提起の是非でも問題そのものでもなく、どうして、そういわれるとイラッとくるのか、ということだ。
ぶっちゃけったところ問題提起自体は、ああ、そうかもしれんね、と簡単に流せるようなもののはずだ。
「こども」の表記を「子供」とするか「子ども」とするかの違いみたいにジェンダーに関心がなければ、どうでもいいレベルの話のはず。でも、現実にはジェンダーに関心がなくても熱くなったひとがいるように見えた。いやいや、その女性型ロボット=女性蔑視とか短絡的すぎじゃね? みたいな反抗を生んだ。
この反抗したくなるイラつきの原因は、適当に歩いていたらいきなり「お前、馬鹿じゃね?」と言われたようなものだからだと思う。
問題提起だから当たり前なのだけれど、提起されるまでそこに問題は存在しなかった。だれもそれが問題だとは考えていなかったし、それを取りあげて問題にするとも思えなかった。だけれども、指摘は黒船のように唐突にあらわれて、鼻息あらく問題だ! と指摘された。キーワードは「海外」だ。海外では、学会誌でこういうイラストが起用された非難されるという指摘。もうね、それはどうしようもない言われ方だ。なぜなら海外ではこうなんです、と言われると、それが本当なのか嘘なのかを確かめることもできないうえに、ステロタイプみたいに海外は日本より優れているという劣等感が少なからず(ガラパゴス化という言葉があるぐらい)あるものだから、神経を逆なでにされる。ついカッとなって、反論したくなる。そうじゃないのだ、と。しかし、その反論はとどかない。なぜなら、問題を提起した人間も「海外」は日本より優れていると考えていて、海外を知っているという点で優越感を持っているから、ガラパゴス化した思考をした人間の反論は子供の戯言と流すことができる。
かくして、両者は平行線をたどり、指摘された側はうちにイライラを溜めていくのだ。
指摘した側はこれだから日本人は……と肩をすくめて、指摘された側はその指摘が理解できないんだけれど、とイラつく。
じゃあ、どうすればいいん? となると難しい。
ただ、「海外」が優れているという視点に立っての問題提起は、おそらく問題提起になっていない。問題を突きつけられた側は、その「海外」を知らないから問題を理解できない。歩みよりが必要なのだけれども、優れていると考えている人間は、みんなが自分と同じ過程をへて、ここに至ると考えているから歩みよってこない。手は差しのべた、あとは掴めばいいとか考えている。
伸ばした先には誰もいないのに。
オレは帰国子女でも何でもなく、生粋の日本人。独学+海外駐在数年経験して英語がぺらぺらになった今、英語は手段にすぎないとかぬかしてるクソどもへ一言言いたい。
英語は手段であるとか、英語だけ出来るやつなんて要らないとか、最近の若者は英語できればいい仕事に就けると思ってるとか、分かったような事を言って、それを理由に英語学習をしなかったり、英語学習を妨げたりするやつが世の中には結構いる気がする。こういう事を言うやつらは、たいてい英語が中途半端にできるか、もしくはできない。
確かに、こいつらの言っている事は多くの場合、ある前提のもとでは間違っていない。無駄に親のすねをかじって語学留学してきましたみたいな無能を批判したいという気持ちもまあ分かる。だがしかし、こいつらに決定的に欠けているものがある。それは、こいつらが、本当に言語をマスターした時のブレークスルーを知らないという事である。
言語をマスターするという事は、その国の人と話をしたりメールをする事ができるようになるだけではない。言語をマスターすることは、一言で言えば、他国の文化を理解する事であり、それは同時に自国の文化に気づく事である。
文化と一言で言うのは簡単だが、宗教、制度、政治、経済、メディア、会社、学校、など、社会システムのあらゆる要素をさす。言語をマスターすることで、こういったものの役割とは何で、日本と他国はどう違って、日本がガラパゴス化してると言われるが何がどこまでガラパゴス化しているのか、そいういう事が分かるようになる。たとえば、オレは日本に帰ってきて、日本のテレビも新聞もほとんど見なくなった。全く価値のない情報をたれながしている事に、海外メディアに長い間触れて、違いを理解したからだ。もはや、日本のメディアは愚民政策でコントロールされているとかしか考えられなくなった。
言語なしでは世界は存在しえない。人は全ての感覚がある人だって、耳が聞こえない人だって、目が見えない人だって、言語を通してしか、物事を認識する事ができない。言語とは、それだけ重要であり、思考や存在を形づくるものであり、人格を変えるくらいの力がある。だから、「英語は手段でしかない」とか、分かってないやつが分かったような口を聞いてるのを聞くにつけ、「言語は目的たりうる」と反論したくなるのである。そして、若い人には、余計なことは考えず、言語学習が楽しいと思ったら、マスターするまでやってほしいと思う。
これでも誰もが考えるでしょw 「粘りまくれば、投手に200球とか投げさせられるやんw」と。
ボクシングでも、正当に目の前から殴るボクシングと、外からフットワークで散らしてジャブを当てていくアウトボクシング。 アウトボクシングは確かに「つまらない」と言われるが、技術はきっちりある。
野球も、こういう戦法が認められると、ゲーム性が変わっておもしろいなあとは思う。
でも、メジャーリーグで通じないルールを日本の野球が採用するだろうか。
日本のプロ野球では当然認めないだろう。 認めてこういう選手が続出すると日本の野球がガラパゴス化してしまう。
そして、プロへの登竜門である甲子園では、日本のプロで認められないルールを認めたらあかんだろうね。 甲子園とプロ野球が完全に別げーになったらまずいから。
かりに、パワプロでこういう戦法が使えるようなキャラ、出塁率8割! なんてのが出たらどうだろう?
監督からしてもすごくこの子1人いるだけで戦略の幅が広がったと思う。 すごくおもしろい試合だしw
そりゃそうだ、球は飛ばないw
そういうハンディを持って生まれた人にとっては、プロは無理だろうなあってのはあるだろう。
だが、工夫次第で甲子園でプレイできるかも、、、? となれば、、、突っ込むというのに走る人もでるのでは?
奇策で強者に対抗する。 これに燃えない人はいないんでないか?
そりゃ、強者の投手が消耗させられるのはかわいそうっていうのはあるんだけど。
身長に野球人生つぶされた何万人のことを考えると、こういう反逆もある意味うれしい。
逆に、これを感情的に叩く人って、、、、恵まれてたんだろうなと感じる。
弱者が強者に一矢報いるために、必死になってこれまでに無いものに野球人生突っ込んでギャンブルしている姿に熱くならないだろうか?
俺はなる。
バント(?)技術もさることながら、細かいとこもすごいじゃないと思う。
足も50m6秒でしょ? すごいよ。 これ鍛えてないと無理でしょ? 軽いことを逆手に取ってるんだな。
ガッツポーズも、心理戦略でしょ。 心からやってるわけじゃないのは大人は分かるでしょ。
盗塁偽装も、わざとでしょ。 たぶん、盗み見してなくても、揺さぶるためでしょ。
こういうところもあれだけど。
彼は、視線から見て、たぶんいろんな事考えて一つ一つのプレイを完成させている。 たぶん画面から見えないところで死ぬほど計画して、死ぬほどいろいろな奇策を立てている。
「打順がきたら、、、相手の守備位置、、、あの高校のアノ選手の癖、、、」そういうもの一つ一つを自分の戦術とすりあわせて死ぬほどプラン建てて試合に臨んでいる。
だれでもやってるというかもしれないが、彼の武器はそういう細かいところで、大きな所では強者には及ばないと思っている(バッティングセンスは実は高いかもしれないという話はあるが)
こういう、「ダレもやってない打法を究極まで突き詰める」という求道者みたいな姿勢も、すごくおもしろい。
彼は、状況判断もすごいと思う。
強者の場合は、かなりおおざっぱでいいというか、「自分の持ってる力で対応すればOK」というところがある。 160キロの球が投げられれば、こちらが対応しなくても、ある程度通じてしまう。
そういう選手に比べ、力が無いほうは、「細かく状況を前もってシミュレートしなきゃだめ」なのだけど。
彼は、それを死ぬほどやってるんだろう。 相手が対応してきても、「想定の範囲内」になってしまうのだろう。
世のスポーツはともすると「技術の応酬」になるが、技術だけでなく判断力も問われるようになると格段にゲームがおもしろくなる。
そして、彼の状況対応力は、十分「ゲームとしておもしろい」レベルにまで仕上がっている。
彼のこういう、「画面ではパットは見えない」技術、そして、「一般の人が見ても分かる状況打破のやりかた、パフォーマンス」にも魅力を感じる。
男子の判断は正誤 お前は間違っているといわれるとキレる
女子の判断は好悪 お前嫌いといわれるのが一番ツライ
とよくいわれるがその例を間近に見た
女子に嫌われるとその女子は「あなたがアレをしでかしたから私はあなたを嫌いになった。人を嫌いになろうとおもっているわけじゃない私を嫌いにさせた人は悪いヤツだし、嫌いなやつが弁解するのを聞くのもいやなので一切かかわりをもたない。持つべきときもあやまったやり方で無視」という戦法をとってくることが観察できる これは男女ともが対象
男子の機嫌を損ねた場合は謝って弁解しようというのがスジだし、そのための情報を本人が遮断することもない(むしろ「あいつ~~で怒ってたらしいぜ」くらいの情報は積極的に友人経由で流す)が、女子は情報を与えるとつけこまれる(とおもっている)ので徹底的に遮断してくる
ここでじゃあ情報くださいよーとつきまとうとストーカー扱いされるのがオチ
正解は「こちらも私を嫌うような人は好きになれません」ということ。離婚。
なんだか最近、Fateのヘイト創作(語呂がいいなオイ)が話題なんだそうだ。私自身はFateでは二次創作はやってはいないので、ネットでの騒ぎを眺めているだけだが、なんだか大変そうだ。まあ二次創作同人って、ジャンルのピークが過ぎて衰退期や晩期に差し掛かると、二次がガラパゴス化して大抵ごたつくよね。Fate自体は歴史の長い作品だが、Zeroアニメ化に端を発する特需はそろそろ晩期なんだろう。わかるわ。
だがpixiv百科事典を初めとした加熱した議論にはなんだか危険なものを感じる。
冬木ちゃんねる (ふゆきちゃんねる)とは【ピクシブ百科事典】
http://dic.pixiv.net/a/%E5%86%AC%E6%9C%A8%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B
前置きしておくが、別にヘイト創作というものをマンセーしたいわけではない。だがそう開けっぴろげに否定したものではないと思う。
ただ、棲み分けには賛成だ。そうあるべきだと思う。
というか、当事者たる二次創作関係者"以外"にとっては、ヘイト創作だろうがボーイズラブだろうがエロ漫画だろうが大差ないだろうと思うわけだ。
原作のキャラクターを自由に動かし、行間を脚色し、あるいは改変し、自分の欲求を満たすもの。
それこそが二次創作の本質である。勘違いしてはならない。ヘイト創作がだめなんじゃない。二次創作全般が、そもそも隠匿されるべきものなのだ。
隠匿というと大げさだが、少なくとも内輪ネタである。原則として、原作者の眼の届かないところでやるべきだ。まあ実際は完全に隠すことは難しいだろうから、"形式的に"ということになる。例えば伏せ字や隠語を使う・検索避けをする、などだ。
これはヘイト創作に限らず、二次創作全般で本来徹底されるべきことだ。
今回はFateが槍玉に挙げられているけれど、"二次創作意識の肥大化"とも言うべき現象はここ数年で際立ってきた気がする。その諸悪の根源は間違いなく、ニコニコ動画とpixivである。まあ、前者はここ数年権利者削除が増えてきたから、どちらかといえば土壌はpixivだろう。さらにtwitterが加速剤となっている。
作品名をGoogle検索すると、当たり前のようにpixivが検索上位に表示される。"腐向け"タグなんかは最近整備されてきているけれど、未だに作品名そのまんまのタグでホモすれすれの絵を描いているひとだっている。増してやエロ絵なんてまるで検索避けされていない(一応18歳未満は閲覧できないが、作品名そのまんまタグだ)。いや、そもそも、エロでなくても、ホモでなくても、ヘイトでなくても、結局のところ二次創作は"路地裏文化"だ。表通りでダンスするにはあまりにあんまりなんだよ。
二次創作を垂れ流すのと同一のtwitterアカウントで、平然と原作者にコンタクトを取る人間の心理が私には理解できない。
正しい二次創作なんてない。原作者にとって"嬉しい"二次創作なんて、同人側が自己の行為に正当性を求める行為だ。結局、我々二次創作者がやっているのは、その内容如何に関わらず、違法行為すれすれの、虎の威を借る狐じみた、他人の褌で相撲を取る、自己満足行為だ。そのことを、ゆめゆめ忘れてはならない。
後ろ指を差されたくない人生を送りたいなら簡単だ。今までの二次創作を全て燃やしてオリジナルを描けばいい。あるいは筆を折ればいい。でもそれができないのが二次創作者だ。だって楽しいんだもの。
職場のサーバーが無駄にセキュリティかたくて、google chrome のリモートデスクトップが使えずにすごく不便なのです。
で、職場の環境を介さず外と通信できるシステムを探しているのだけど、こちら携帯も4年物と、完全にガラパゴス化しています。
無知です。
なのでいろいろ教えてください。
職場のサーバーを介さずにネットにつなげるなら、e-mobile で契約すればいいのだよね?
これなら USB さすだけでいけるんだよね?
と思ったけど、スマホにしたら、デザリング? というのがあって、その機能を使えば、もう Wi-Fi でいけちゃうってこと?
それなら携帯代が多少かかるだけで、新規なお金はかからないってことで一番安いと思っていいのかな?
しかし調べてみると、WiMAX モバイル Wi-Fi ルーターというのがあって、これを買って契約してもいいってことだよね。
でもこれって、スマホデザリングできる人ならなぜ買う必要があるの? 需要はどこにあるの?
これのほうが速いとかそういう話?
そしてそれとは別に、タブレット買っちゃう、というのもありなのでしょうか?
タブレットも、スマホのように携帯会社と契約してネットつながる子がいるんだよね?
つながらないタブレット型パソコンっていうのは、俺の目的からしたら買っても意味ないよね?
結局どれが安くて快適なのかまるでわかりません。
欠点は?
詳しい方、教えてくれると助かります。
ヱヴァンゲリヲンのQをみた。東信者である俺は村上裕一×坂上秋成×さやわかによるQ最速座談会ももちろん聞いたし、風花でのあずまんと坂上村上ustも見たし、はるしにゃんとあずまんのtwitterでの絡みもチェックしたし、文学フリマでのQの感想を言いたくて仕方ない空気もしっかり感じた。相変わらず、文学フリマは「東浩紀不在の存在感」しかなかった。
さてQの感想はというと最初は「あれ?もう終わりか」というあっさり感。やけにシンジとカヲルいちゃついてんな、くらいが印象的だったのと、短いのもあってまるでTV版を見ているような感覚だった。劇場は満員で、上映が終わった後の観客の態度もなんだかしっくりきてなく見える。ロフトのイベントに出る直前のQを見たあずまんの感想が「僕には退屈だった」というのもあり、まあこんなものなのかと大して感動もないまま家に帰る。
避けていたネット上の色んなネタバレ感想をチェックしているうちに、Qは旧エヴァを見ている人間ほど思う所が強く、新劇場版から入った人間ほど低評価、という傾向にあるようだ。低評価の人間に多く共通しているのは「ミサトさん達ひどい」だ。シンジに共感している人が多い。確かにミサトはレイを助けるシンジの背中を押したくせにあれだけシンジに嫌悪感を見せるのはひどい。他のヴンダーのメンバーも気持ち悪いくらいシンジを否定している。そりゃサードインパクトを引き起こした張本人を前に友好的になれってのは無理な話かもしれないが、シンジだって使徒止めたしニアサード引き起こしたのはマークシックスなんちゃうん…あとシンジがエヴァにさえ乗らなければフォースインパクト起きないんだからちょっとは優しくしとけよ。自分だけ14年置き去りにされて(28)や(43)にあんだけきつくあたられたらそりゃネルフ側に行くわ…と突っ込み出したら切りがないが、14年という年月の間に明かされてない事が多いのでどうとでも解釈できる。ミサトさんもヴンダー立ち上げるまでに色々あったんだろうし43なら更年期障害とかあるかもしれんし、部下の前で弱い所も見せれんかったのかもしれん。
ひと通りネット上の感想を見た後で坂上村上さやわかQ座談会も聞く。三人とも旧エヴァからのファンで、Qにかなりの衝撃を受けた直後からの感想が生々しくて実に良かった。彼ら的にはQは決して高評価でなく、エヴァを見続けている人間として胸をえぐられた気持ちになり、傷つきつつも、座談会を通して次作のシンエヴァを待つ気持ちにようやくなれたということらしい。しかし他の低評価の人たちに比べたら随分高評価だと言える。聞いていて庵野信者とはこういうものか、と納得できた。
その後続けて風花のあずまん坂上村上ustをみる。こちらはゼロ年代の風景が再びといった面子で東クラスタ的には涎が止まらない。重要なのは坂上がtwitter上で思想地図β2の震災特集号の巻頭言に大して上から目線感想をし、あずまんがカジュアル破門をし、その後坂上が宇野常寛陣営に下った後の初の二人の対面という構図だろう。
人間関係においても時間という薬は効き目が抜群で、あずまんと坂上もあのカジュアル破門の一件から一転して普通に話している。しかしどこかギスギスしている所は否めない。坂上の立場としてはとても難しい。宇野との関係がある以上あずまんと必要以上に交流したら立場として面倒くさくなるのは明白だ。それでもこのustで坂上が冗舌なのは彼だって東信者だからである。あずまんを尊敬して、でもあずまんの強烈すぎる人格性に耐えられなくて逃げて、それでもあずまんが諦めきれないのだ。俺がustの一連の坂上の発言から読み取ったのは「俺を認めてくれあずまん!」というメッセージに尽きる。でもあずまんはもう坂上に大して興味がないしQにも興味がないのだ。坂上が言うQの解釈というのはあずまんにとって遊びでしかない。ゼロ年代的な言葉遊びに辟易した彼からしたら坂上の仕事は頑張っているとは言えても世界を変えるまでには至らない、とるにたらないものだろう。それでも坂上の仕事はあずまんの影響下にあるもので、「よく出来た劣化コピー」のような、あずまんから見たら愛憎交じるアンビバレントな思いもあるだろう。だから彼はゲンロンカフェの話を持ちかけた。これは坂上にとって良い話なので、当然受けるだろう。これは同時にあずまんから宇野に対する牽制でもある。仮面ライダーの話をした点からも明らかだ。坂上の「仮面ライダーなら村上さんも語れますしね…」と力なく呟いたのが印象的だ。そこは明らかに宇野の名前が出るはずなのに、出なかった。出せなかったのだ。まったくもってめんどうくさい話である。
あずまんはなぜQに感動しなかったのか。彼と坂上および村上の間で共通している見解としては「庵野が旧エヴァのような事を再びQでやった」である。破で宮崎駿や押井守に負けるとも劣らぬクオリティの高いエンターテイメントを提供した庵野が、敢えてそれをぶち壊すような所にシビれ、憧れたのが坂上であるが、あずまんはそこに反応しなかった。いや、一定の評価はした。そんなことをしてしまう庵野さんは誠実な作家だし、評価されるべきではある、と。しかし、旧エヴァのようなことをして、それで出てきたものがこれだった、それだけの話だと。つまり、あずまんは庵野が破で得た物を失う覚悟で旧エヴァ的な事を再びやろうとしたQを理解している。坂上と見解は一緒なのだ。その上で退屈だったと評しているのだ。ここでのあずまんのQに対する低評価は謎だ。新規のエヴァファンが破のようなエンタメを期待してQでがっかりするのとはわけが違う。旧エヴァからのファンが庵野の再暴走に困惑されながらもさながら90年代の頃のように「それも庵野の手の平の上で踊っているにすぎない」と自覚しながらも難解な解釈を並べ悦に浸る様子とも違う。旧エヴァからのファンでもあるあずまんはすべてをわかっている上でQを評価していないのだ。そこには坂上と同等かそれ以上のエヴァに対する愛がある。愛がある上での諦め。庵野さんはこの程度だった、という残念感。それはなんなのか。あずまんは純粋に作品から狂気が感じられなかったとも言っている。一方で坂上は破を見せつけた上でこんなことをしてしまう(旧エヴァからのファンに大して14年時間を飛ばすという暴挙を突きつけてしまう等)庵野さんからはやっぱり狂気を感じた、と村上さやわか座談会で述べている。坂上が感じたこの狂気はゼロ年代的である。あの作品があったから感じられる庵野さんの狂気、という文脈ありきの話である。これは言ってしまえば島宇宙内での狂気、カタルシスだ。座談会でも述べられていたが、Qは海外で評価される可能性は限りなく低いだろう。ガラパゴス化したエヴァファンの間で熱狂的に批判され、評価され、むさぼられるのは目に見えている。あずまんが興味があるのは世界を変えるレベルのことなのだ。Qによってその可能性を落とされたエヴァに対して興味が薄くなっているのも無理はない。彼がエヴァで興味のあることとしたらそれによって動員できる人員、客および金と若い芽くらいだろう。シンエヴァによって変わる可能性も否めないが、現時点ではわからない。
大量に書いてしまったが、この二つの座談会とustを見ることで俺個人では感じれなかった旧エヴァ時代からの熱いファンの解釈を知ることができた。それが何よりの収穫だ。みんなも罵倒しながら見るといいんじゃないかな。
DeNAが「ソースは公開するが勝手な改変禁止、用途限定」の極めてユニークなライセンスを打ち出して数時間後に撤回した。
https://github.com/DeNADev/Arctic.js/commit/b92eea0a83b9b01c53eb3f6fb65fdb8af6bc0aab#diff-1
さて、「内容は公開するが、内容の改変は許諾が必要」というオリジナリティ溢れるライセンスを、この記事では「DeNAスタイルライセンス」と呼ぶ事としたい。さて、DeNAライセンスの内容から、DeNAのたくらみが幾つか想像できる。
「ウチのソースを侵害しとるやんけワレぇ、出るトコ出てもらおかい」と中小ソフトハウスを牽制恫喝し、囲い込むために敢えてソースを公開し、他社プロダクトの類似動作やモバゲー参加ベンダーへの牽制に利用したかった、と読むことは難しくあるまい。それはDeNAスタイルライセンスの指針はOSSのそれではなく、明らかに特許指向であるからも伺い知れる。MicrosoftやAppleに範を取り、知財戦争における兵器兼防衛機構としてDeNAスタイルライセンスで守られたコードを行使したかったであろう事は想像に難くない。
多くの日本企業が製品のOSS化に踏み切れないのは、正に上記の一点に尽きる。
というのがエンタープライズエグゼグティブ様の本音であることを考えると、DeNAスタイルライセンスは、日本企業の欲望を満たす厚顔無恥なジャパニーズスタイルライセンスとして社畜や下請けの皆様の献身を一身に集めたであろう。仕事のない下請けソフトハウスが、DeNAスタイルライセンスの大手SIer謹製フレームワークを必死にカイゼンしてコネ作りに励む美しい光景が、数年後には見られたかも知れない。
DeNAスタイルライセンスの隆盛が、日本のIT企業に利益を齎したかもしれないのに。DeNAスタイルライセンスが、日本のIT企業を更に強固にガラパゴス化して守る鉄壁のゾウガメの甲羅になれたかもしれないのに。「Googleっぽいからいいよね」みたいなノリでMITライセンスに安易に逃げたDeNAの及び腰が残念でなりませんでした。まる。
また別の話、市場規模が違いすぎるからしょうがないような気がする。
アメリカが韓国にモノを売るってったって、韓国の市場規模が小さくて旨みがない。
そりゃあ不利な条件だってのむだろ。
俺は売国奴だからさ、TPP加盟してかなりの産業がぶっ壊されてもいいと思ってる。
関税ってのは、自国産業を保護するためのものなんだろうが、保護するというのは保護のもとで国際競争力をつけるためだろう?
ガラパゴス化させるためなんかじゃないべ?
PC98を保護するために、PC/AT互換機に高税をかけたって、国民が幸せにならんじゃん。
もっと極端に言えば、ソロバン保護するためにパソコンを追放するってのだってそういうことだろ。
農業だけの問題じゃないっていうけど、農業をはじめ全部壊れちゃっていいよ。
滅多に病気しない若者も、もうすぐお迎えが来るからその準備が始まってる年寄りも同じ掛金、あるいは年寄りのほうが窓口での支払いが安いなんて制度、高齢化が進んだらどんづまることは明らかでしょ。
どん詰まりが見えてる制度や、オワコンを維持するために金が使われてる。
俺らの税金が原資で成り立ってたり、俺達に不当に高いモノを買わせたりして成り立ってる。