はてなキーワード: だんだんとは
クンニする時、実は舐めるではなく「吸う」を意識すると女を簡単にイカせる事ができる。
でもただ吸うだけじゃダメで、『吸う力』『吸う方向』『吸うリズム』『吸う音』これら全てを完璧にこなした上で完璧な『吸うクンニ』が完成する。
そして濡れてないまま吸うと痛いからしっかり唾液を分泌しながら吸う事。
実はこれがめちゃくちゃ大事で女にはクリの右側、左側、全体と好きな部位が違ってくる。
その好きな部分を垂直に吸い取るイメージ 。
垂直ってのがポイント。真上に吸う事で栗が伸びた様になってまさにチンポをしごいた時の様な形になり死ぬほど気持ちいい。
吸うリズムに関しては女の喘ぎ声や吐息の荒さでスピードを調節して欲しい。
最初はゆっくりのリズムでだんだん早くするとか吐息が上がってきたらそのスピードをキープするとか。これも重要
吸う力のフェーズでも話したけど、濡れてないと痛いから唾液を分泌する。
その唾液で音をジュルジュル鳴らすイメージ。
エロい音は女の興奮度を最大限に引き上げる。
ズバリそれは『QA』です。
『QA』のデバッガーとして、まずはアルバイトでも構わないので入社してしまいましょう。
デバッガーはその業務の都合上、色んな部署の人間と話をします。ゲームデザイナーともプログラマーともアーティストともサウンドとも。起きた“バグに対する具体的な報告義務”がありますので当然です。
そしてそのやりとりを経て“どの部署がどういう活躍をすることでゲームソフトがだんだんと形になって完成していくのかという一部始終を観察することが出来る”のです。
文春の新しい記事をみて、「SEX上納システム」だの「女性セレクト指示書」だのが出てきて、お前それどこの陵辱系抜きゲーよっぷりを発揮しているわけだが、だがちょっと待ってほしい。
我が身に降り帰ってみてどうだろう? 自分も素直に欲望をさらけ出したら、こんな風になるのではないだろうか。
具体的にはエロゲーのセレクトである。
SEX上納システムがエロゲ上納システムで、女性セレクト指示書がエロゲーセレクト指示書だったらと考えてみたらどうだろうか。それはつまり俺らでは無いだろうか。また、仲間内でゲームパーティとかもあり得るだろうし、だんだんと煮詰まってきてエロゲーやり出すのもままあるだろう。
後輩達が接待ゲームするなんてのはよくある話である。(あとで接待プレイされてたことに気付いて落ち込むまでセット)
何が言いたいかというと、松本人志がエロゲを嗜む紳士だったらよかったのにという事である。
一部にはにはキモいだの非実在青少年だのと言われることだろうが、しかしここまでの扱いはされなかったはずである。仮に数量限定の限定版エロゲパッケージ数万円を貢がれても、嫉妬は集めるだろうが文春砲の標的にはならなかったに違いない。
もし仮に報道されているような被害があったとして考えてみたとしても、これをエロゲ相手では同じように振る舞っても被害者はない。むしろ全員ウインウインであり全員ハッピーである。
娘に自分ができなかったことや叶えられなかった夢を押し付けて、自分二世のように育てるって小説やドラマの題材でよくあるよね。
小さい頃は素直で可愛くてハッピーハッピーなんだけど、だんだん思い通りにならなくなって、「なんでママの言う通りにできないの!!!」って絶叫するシーン。どっかで見たな。
わくわくしない。
昔はどこかに出張できるともなれば、前後に3日も4日も時間をとって、いろんなところまで車を飛ばし、人に会い、わくわくし、なんでもかんでもしていたはずだった。
でも子どもができたとたん、なんだかいろんなことが億劫になってしまった。なぜだかわからない。子どものせいにしているだけかもしれない。歳を重ねただけのことかもしれない。
でもそのことがとても悲しく思う。こうしてだんだん精神だけではなくて物理的にも体が重くなってどこにもいけなくなってしまうのかしら。
まあ人生こんなもんかといって死んでいくのかしら。
長年読んでるとだんだんクセになってくるぞ
生成AI元年から1年以上が経過し自由に誰もが使えるコンテンツからだんだんと商用サービスに展開しつつ「有料でうちの高品質モデルを使わせてあげるよ!」という流れが一般的になってきている現状だが、生成AIに対して人間が太刀打ちできる項目が一つある。
まあ具体的に言ってしまえばリョナや”エログロ”コンテンツにあたるのだが、これらのセンシティブな表現にあたる項目はトレーニング段階から忌避されやすいうえに商用モデルがサービスインする段階でさらに規制をかけていることが多く、代替表現を考えたりプロンプトインジェクションで規制をかいくぐったりという手間が必要になるうえに、往々にしてそうした出力は品質が下がる傾向にある。
忌憚なく言うと、その辺のキャラをチョッパってきたりあるいは作り出したキャラ設定のキャラクターといちゃついたり、あるいはいきなり性器を口に突っ込んだり全身精液まみれで息も絶え絶えみたいな状態にするのは技術的には余裕で可能で、何なら自分の陰茎を撮影してそういうイラスト内に落とし込むような趣味を見出すような人間もすでにいる。
しかしながら、そんな突き抜けた直球のエロは簡単にできても、その途上の描写となると今のAIはとたんに力が弱くなるのが現状で、いくつか例を挙げると
・殴られた瞬間の衝撃
・投げ技で投げられつつある状態
・骨が折れてる(破綻でなく)
これらのような『リョナ』に包摂されるような描写はAIが苦手とするところであって、今後数年以上は人間があるいは優位に立てる環境であろう。
科学が進んで、みんながだんだん「死んだら無かもしれんなぁ〜」となんとなく思う人が増えてきたんだろうけど、具体的にだれが初めに言い出したかは難しそう
ちなみに俺も死んだら無だと思ってる
2年前までは死んでも何らかの形で続くと思ってて、それを前提に生きてたんだけど、それはやめることにした
なぜなら、今更だが死んで次に何かしらあるという科学的根拠がないと思ったからだ
来世なり生まれ変わりなり天国なりあると思っていたのは、単なる願望にすぎないと思ったわけだ
人が生まれて死ぬ間に、なんでこんなに苦しみがあるのか、生まれ変わりがあれば説明がつく(因果応報とか、なんなりと)と思ってたんだけど、科学的根拠がなさすぎなんだよなぁ
超ひも理論とかだったら、理論はよくできててこれが本当ならあらゆることが説明できるが、実証はされてないという話しだけど、魂とか輪廻転生はそうは行かない
「私はこう思う」「死にかけた時天国を見た」「昔からそう言われてる」「偉い人がそう言ってた」
仕事ができなくなって、精神科で抗うつ薬を飲んで、療養しているうちに考えが変わった
生まれ変わりを信じてるから、生きるのが辛くなってるんだなって分かった
今までの俺は、来世があるから、今世はスタンダードな道じゃなくていろいろ賭けに出よう時おもっていきてたんだよ
それが外ればかり、失敗ばかりでさ、仕事も底辺だし低賃金で、結局メンタルやられてしまった
ずっと人生が続くって思ってたから、1000年くらいの単位で人生設計をしてたんだよ
頭おかしかったよな
でも生まれ変わりがあるなら、それくらい考えるべきだとおもってたんだよ
でも世の中の人はそうじゃない
今の楽しみのために生きてるんだよな
俺はそんなのどうでもいいと思ってしまってたんだよ
まあ仕事は底辺だけど、趣味を楽しめるようになったから、前よりは幸せになったよ
死んだら終わりと思ってたけど、今それなりに楽しいからそれで十分かな
生まれただけで丸儲けだよ
ゲームの「ポケットモンスター スカーレット・バイオレット」に出てくるキャラの1人で、見た目はちょっとナヨナヨしてそうな方言が強い男の子
直近だと夢女子人気ランキングにもランクインしてたしポケモン知らなくてもツイッターとかをやってれば1回くらいは絵で見たことある人多いんじゃないかな
じゃあ何故俺がこの人気なキャラを嫌いなのか
【自分が感じてしまった不快度と公式&ファンの持ち上げ方に大きな差があるから】
このキャラは本編後の追加ストーリー前編後編の実質的な主役として登場する
前編では最初こそ主人公との仲が良かったのだがだんだんと主人公の強さに嫉妬していき、最終的にスグリが憧れていたオーガポンというポケモンは主人公に懐いたため発狂
そうして後味の悪い形で前編は終わってしまった
スグリ自体は「オーガポンの強さ」に魅力を感じていただけで実際は大して関わってないのよ(一緒にオーガポンを助けよう!ってシーンも主人公に嫉妬していたため仲間から抜けてる)
でもその時点で二次創作の扱いでは「あんなに仲の良かったオーガポンを主人公が奪ったせいでスグリがおかしくなってしまった」ってされてた訳よ
おかしいだろ?このストーリーのどこを見てたらそんな扱いになるんだ?正直前編の時点でゲームでもファンの扱いも不快なスタートだった
後編では荒れたけどトレーナーとしては強くなったスグリが舞台の学園内でモブにパワハラ紛いの言動をするシーンで再開する
それなのに周りからは「前はあんな奴じゃなかったんだ…主人公君は友達なんでしょ?助けてあげてよ!」という感じで主人公がバトルで倒す流れになる
もうこの時点で助けたくないのよ
喧嘩どころか向こうから一方的に主人公を嫉妬して妬んで荒れただけなのに何故か主人公のせいにされてる
結局バトルで倒した後も負けを認めず今度はテラパゴス(一応今回の主役の幻のポケモン)を無理矢理叩き起こして捕まえて主人公を倒そうとする
そうすると今度はテラパゴスが暴走して言うこと聞かなくなり主人公に「助けて…」泣きつき結局2人で倒す事になる
最後のセリフによって【ゼロの秘宝】というタイトルは幻のポケモンではなく【お友達のスグリ君とゼロから仲直りする事】が本当の意味になるとってもエモい展開…
んな訳ねえだろ!!
もう無茶苦茶すぎる
だいたいPVではテラパゴスの秘密!終盤のダンジョンの更に奥にある秘密とは!?といった見せ方だったのに実際はそれらにほとんど触れられず一方的に嫌ってた自称友達との仲直り
しかもこれまでやってたパワハラ紛いの言動は全て無かったことにされて(謝罪シーンも特に無し)皆からはめちゃくちゃ良い奴として扱われる
前編後編合わせてめちゃくちゃ不快になったキャラなのに公式や二次創作では「とっても良い子なんですよ〜主人公と仲良しなんですよ〜」と押し付けられる
そりゃそれまでもポケモンシリーズに不快なキャラはいたよ?でもそういう奴はだいたい敵としての魅力であって主人公との仲良しお友達としての魅力じゃない
その後には追加ストーリーというちょっとしたイベントも配布されたんだけど
実際はかつての仲間は全員黒幕のポケモンに変なダンス踊らされる洗脳されて敵に
しかもファンからは「実はスグリ君が荒れててパワハラしてたのも全部洗脳されてたからなんです!」なんて妄想も飛び出す
あのね、そんな描写一ミリも無いしそんな事したらいままでのストーリーは何だったの?全部許してやれってか?そこまでして過去の黒歴史無かったことにしたいか?
最初から最後まで公式からもファンからも「許してあげましょう」の押し付けがつよすぎてとにかく不快になるキャラクターだった
ポケモンの本来の主役はポケモンのはずなのにスポットはほとんど当たらず延々と主人公との人間関係のギスギス&唐突な仲直りを押し付けられるのは本当にキツい
こないだはそこまで罵倒じゃないけどへんな雄叫びを連投(しかも脈絡なくトラバ)してるやつおって25件こえたとこで「そろそろ通報すっか」っていったら連投とまって「ごめんなさい」って全件に追記しててワロタ
・字下げ増田。よくやってるのは気に食わない判事の個人名さらしとか、hatena有罪判決風怪文書とか、犯罪自白とかも通報すると早めに消える。字下げはもうカテゴリだね……
・ひどい罵倒でも言い返してると「その場で公平な言い返しが発生して対話になってるから消さないよ。(いっかいいっとくけどあんまりバカを煽るなよおまえも)」(意訳)みたいなのが来たことあるね。
・自主的に消すヤツはたくさんみかける。翌朝になったら消えてるやつな、酒飲んで管を巻きにきてて翌朝正気になるんだろうな。あとどうみても失敗した釣りのヤツとか矛盾つくと消えるね(大体古い昭和ネタを今だに擦ってる系が見分けやすい)。
・思い出深いヤツは宗教での禁忌を犯すために増田にきてたらしく矛盾点ついてたらだんだん神がバレて「おまえの神に告げ口すんぞ」っていったら数百件は消してた
運営に「オレの全部消して」って頼んでも普通は通らないものだ(とおもう)から自力にしてはすげーな、さすが宗教マン、でも消すくらいなら最初からやるなアホがっておもった
・自主的に消したんだとおもうけどhatenaのロボット対策の人間性クイズが気に食わないっていって解答集投稿してグーグルのサービスつかえって強要してた増田、「グーグルのサービスの年額がアクセス数に応じて~数百億円かかる」ことを指摘したら遅ればせながら消してた
※二次創作を読みすぎて映画の内容と勘違いしている箇所があったらすみません。
そもそも腐女子の口コミによって爆発的に広まった映画だと考えている。
かくいう私もTwitterとpixivに二次創作が大量に流れてくるようになり、映画が気になって見に行った。
映画はよくあるストーリーだったと思う。外部の人間が村の因習を破壊するという言ってしまえばそれだけだ。
ミッドサマーは主人公たちが普通の人間だったため村の因習に取り込まれたが、幽霊族といういわゆるチートが主人公の相棒になったことで、脱出することができた。
腐女子はあからさまなBLよりも「公式は付き合ってると明言していないが、実は付き合っている」というBLが好きな人が多いと思う。
そのためバディ物などは、必然的に男二人の接触回数が増えるため、腐女子人気が比較的出やすいコンテンツである。
また二次創作をする場合、二人で困難を乗り越えるというストーリーの過程でいくらでも好きになるタイミング、好きになるきっかけが生み出せるため人気が高い。
特に墓場で二人で天狗の酒を飲んでいるところは、仲良くなった!という描写に見えて最高だった。
戦闘力が高い描写があると、二次創作をする際に問題の解決方法に暴力を挙げることができるようになる。
軍人上がりというのを生かし背負い投げしたりゲゲ郎に頼りっぱなしでないため、対等感があってよかった。
純粋に映画が流行る前のpixivやTwitterの流行は、呪術廻戦やブルーロックなど正直長く流行っているものばかりでマンネリ化してきていた。
そこに新しいまだ誰も書いていないネタ(ゲ謎)が飛び込んできたため二次創作を行い、それを読んだファンが二次創作を理解するために映画を見に行き、刺さった人が二次創作を行いというのが続いているためな気がする。
そして二次創作をするにあたってネタを探すには、映画を見に行かざるを得ず何度も足を運ぶ人が多いのではないだろうか。
マンネリ化していた腐女子界隈の中に意図的かは別としてネタを投げ込んだ形となり、大量に更新される二次創作を読むために映画に足を運んだ腐女子が多いと考えた。
42歳会社員。10数年前に離婚したが、それからしばらくして元妻が家に帰ってきてしまい、そのまま10年以上が経過している。
対外的にはめんどくさいから「妻」ということにしており、既婚者とみなされている。
この1年くらい、週に3〜4日ほどは会社の後輩の既婚女性と二人で外食する習慣ができている。その後輩が私の10歳下。
当初は私が帰路につく準備を始めると一緒に帰ってもよいかと聞かれ、そのまま外食に行っていた。
最近はなんとなく示し合わせて同じくらいの時間に退社し、社外で落ち合って食事に行くことがほとんどである。
食事に行ったらそのまま二人が別方向になるところまで電車で一緒に帰って別れているが、最近、終電まで一緒にいることも増えてきた。
また、彼女とは共通の趣味ができ、半年前から二人でイベントに出かけるようになった。
休みの日にイベントに出かけることも増えてきて、数ヶ月先までいくつかの予定がすでに決まっている。
元妻には説明が面倒なので女性と出かけているとは言っていない。彼女のほうが旦那にどう言ってあるのかは知らない。
自分としては趣味仲間というつもりでいたのだが、だんだんそうでもない、いわば「デート」みたいなことも増えてきた。
映画に誘われたときはそのタイトルに興味があったから別にいいかと思ったが、今度、近場の温泉に会社帰りに一緒に寄りましょうと言われてしまった。
意識しているように思われるのも変に思えたので前向きな返事をしたが、彼女がどういうつもりなのかよくわからないというのが正直なところだ。
本人に聞くようなことをしたら答えがどうあれ、仕事に支障が出そうな気がする。それが気がかりで何も聞くことができない。
ダウンタウン、好きだったんですよ。
蛇足を補足しました***************************
https://anond.hatelabo.jp/20240116110533
訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24)
https://anond.hatelabo.jp/20240124115643
以下本文*************************************
中学生~就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。
東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだのビデオを送ってもらってクラスの友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回から、ごっつええ感じもパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏とデート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。
面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツに面白かったんだけどね…。
松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間のバラエティ番組で、コントと企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃんは簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。
彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利の番組(ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃんは面白かったが、同時にそこそこの打率でドン滑りもしていた。大喜利のセンスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタントに打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野。ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。
この「松本的ファイトスタイルの大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。
松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタに悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑いの世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう。
大ベストセラーのエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本は自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体の雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生で中学生相手の塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。
知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンはタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあいと出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。
松本人志と高須光聖の放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程の番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒の放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます。
高須氏に諫められた後の松ちゃんは聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題(アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須っちゃんに松ちゃんがだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…
音楽番組「HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。
そもそもあの番組は歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティストが創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんのトークのギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだしゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。
そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。
ごっつええ感じがTV局との複数のもめごとで終わり、コントのDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。
あまり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌で映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミと的外れな評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画は総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本が映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。
そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。
頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙なコメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。
それまでの芸人の世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人の第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。
でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人と対峙し自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。
発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディア、デイリーで流れていくウェブの世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。
若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑いの権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちのハラスメントでしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会面ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。
爆笑太田じゃないが「椅子からコケる王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。
松本人志がお笑いの世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助はレギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いもバラエティ番組もマストゴーオンだ。M-1の審査員も紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。
どうしたらいいんだろう。
ちなみに童貞です。
現実の人間とセックスしたことはないし、なんなら滅多に現実の人間でオナニーしません。
性欲が芽生え始めた頃に同学年ぐらいのキャラクターでオナニーをして、それが癖として残ったまま自分の年齢とは無関係にずっと小中学生ぐらいの年齢、もしくはそれぐらいの体格のキャラクターでだけオナニーしてきたせいで大人の体に興奮する回路を育てることが出来ずに40代になってしまいました。
30代ぐらいからは精神年齢まで子供のキャラクターをオカズにするのは気が引けるようになってきたので、体だけ子供っぽくて年齢だけ大人のキャラクター(フリーレンみたいな)でばかりオナニーしてきました。
そこから10年が過ぎ、最近は「体格がロリのキャラでシコること自体がなんだか気まずいな」という気持ちが現れてきました。
大人の体には興奮できず、子供の体には対しては後ろめたさがあります。
性欲だけが残っているので後ろめたさに耐えながらフリーレンみたいなキャラクターでシコシコし続けています。
歪な人生です。
そもそも皆はどうやっているんでしょうか。
老人になっても性欲はあるわけですから、老人同士でセックスしているんでしょうか。
自分のように童貞・処女のまま人生を過ごしながらも性欲が残っている人間は、どういうものでオナニーするんでしょうか。
謎めいています。
誰にも相談できません。
そもそものスタートが「小学生の頃に漫画の女の子で精通して、それからずっと漫画の女の子でオナニーしてきた。学生時代はまだ良かったけど、だんだんと自分の年齢とオカズの年齢が乖離してきた。それを埋めるために体だけが子供で心は大人のファンタジーな漫画のキャラクターでオナニーするようになってきた。俺はこのあとどうなってしまうんだろう」なわけですから、そうそうリアルで相談できる相手はいません。
そもそも精子が腐ってきて万一今から結婚して妊活とかしても障害者が生まれる確率がドンドン高まっているような状態で性欲が枯れていかないことに違和感があります。
人類の存続を考えたら別に自分のような中年の性欲なんてもうとっくになくなっててもいいはずなのに。
初老(40代)のくせに性欲があるという人間の小僧そのものが気持ち悪い。
桃太郎のジジババって、当時の感覚で考えると50歳ぐらいだと思うんですが、この夫婦も不思議な桃を食べるまでしばらくセックスしてなかったらしいんですよね。
じゃあもうとっくに枯れてていいじゃないですか。
まあこれで自分が同じぐらいの年齢のキャラクター、たとえばプリキュアのママとかでシコシコするんだったらまだ気持ちの整理はつくんでしょうかね。
分からない。
晩飯を作ってる時に、ちょっと腰が痛いかな?と思ったらだんだん呼吸しづらくなってきて、そのうち立っていられなくなってなんとか包丁を安全な場所において、這ってベッドまで行った。
その後は、背中全体の痛みと呼吸しづらさがあってのたうち回ってたが安静にしてたらそのうち収まってきて15分くらいで落ち着き、今は何の異常もなくなった。
何かの病気だろうか?呼吸器系の病院にはかかってて心電図と呼吸音には以上がなく、一ヶ月以上腰痛が続いていたけどレントゲンとって異常なし。
金はかかるが、これしかないと思う。
彼は、働きながら大学院に進学した私のことを「俺はアイツを認めるつもりはないからな」といって憚らないような方である(この話は人づてに聞き、大変気分が悪くなった)。
昨年の10月〜11月は、仕事が大詰めだった。実際には休暇はほぼなかった。仕事の成果を発表するような会があるのだけれど、当然出ると思われていた上司は来なかった。副部長的な立場の人からのコメントすらなかった。悔しく、心苦しかった。「どうして一言、皆さんに『よくやった』と言ってくれないのだろう」「私のせいなのか。そんなに嫌われてしまっているのか」と感じていた。
そうしたこともあったためか、会終了後は喪失感のような、漠然としたやるせなさに包まれているような感覚を覚えていた。
そのときには、モヤモヤとした違和感を感じる程度だったが、その後、だんだんと不安や苦しさが強くなった。
昨年12月中旬から後半になると「ずっと気が休まらない」と感じることが多くなった。休暇中でも「不安や苦悩で頭がいっぱい」だと感じる、些細なことですぐに涙が出る、睡眠が浅く夜に何度も何度も目が覚める、動悸がする、仕事に行こうとすると足が震える、些細なこと不安が高まりやすい、吐き気が出る……などの症状が出現した。
これらは、直属の上司へも相談した。その際には具体的な指示はなかったが、耳を傾けてくれたことは少しありがたく感じた。
ただ出勤前日、出勤当日の朝は「本当につらい」と感じていることがほとんどで、「どうしてよいかわからない」という気持ちになっていることも多かった。
一昨日、1月中旬には長男の共通テスト直前出会ったにも関わらず、体調を崩し、発熱した。
休暇を取った日が、もともとの休暇の合間であったこともあり、皆さんにご迷惑をかけつつ、実質1週間の休暇となった。
この休暇中、ずっと頭を抱えていた。
今日で休みは6日目なのだけど「もうこのままの働き方ではもう持たないのかもしれない」「どうにかしないといけない」「心と身体が壊れそうだ」……と考えられるようになった。
そこで「現状を文章にしよう」と考え、この文章をまとめ始めた。
もともとストレスチェックの結果も優れなかった。自身のソーシャルスキルにも偏りがあり、不安・ストレス耐性の低さを自覚している。一人の時間が好きで、人と話すのは苦手だ。自信がなく、他者の和に入っていけない。
だからこそ、スキルを学び、「自分の頑張りが足りないためだ。学ぼう」「組織に認められない中でもみんな頑張ってる。私も頑張らないと」と自分に言い聞かせて頑張ってきた。
組織に認められていない現状だからこそ、組織内外で頑張り続けないと、ますます認められなくなってしまう……と感じていた。
しかし年齢的な部分で徐々に気力や体力が減っていることや、これまでの蓄積した疲労などが噴出したことで、葛藤に耐える力や頑張る力が低下してきているのではないのかもしれない。
前までは乗り切れたことができない、疲労や不安を感じやすい、以前は我慢できたことが我慢できない、葛藤に耐えられない、思うように成長に繋がらないなどの感覚が強くあり、それが日々悪化しているということは『些細な刺激にも弱くなることでより、葛藤や課題に取り組む力が弱まり、悪循環に陥っている』と思う。
「調子が悪いのに、活動をし続ける。活動するから疲労がたまり、調子が悪くなる」という悪循環は、ある種、アルコールでのストレス対処と同じような「活動にしがみついている」状態であると考える。活動をし続けることで、短期的に不安を和らげようとしているにすぎないとも考える。つまり今の状況では、こうした「(活動や仕事への)しがみつき」を手放し、「活動と休息のバランスを整えること」が必要なのかもしれない。でも、それは甘えなのかもしれない。
自分のやっていることが組織に認められていないような感覚は、自分の気持ちや身体を徐々に蝕んでいたのかもしれない。でも、もう少し頑張れるかもしれない。
回復の時間を確保せず、このまま疲労感を積み重ねていけば、取り返しがつかない状態まで自分自身を追い込む可能性もある。無理をしたまま突っ走っていると、遅かれ早かれどこかでポキッと折れてしまうかもしれない。でも、今が踏ん張りどきなのかもしれない。あとちょっと頑張ったら、楽になるかもしれない。
頑張れなくなるのは、怖い。
この文章をまとめようとするだけでも動悸がしてしまう。仕事量や生活の見直しを行うことと並行して、専門家への相談(受診)なども行っていく必要があると感じている。
俺はもうダメかも。
みんな、どうか、ご安全に。