はてなキーワード: 闊歩とは
一般に「リーゼント」とは、ポマードなどを使って前髪を盛り上げ、側面の髪を後ろに流して固めた髪型のことを指す。
英語圏では、前髪を盛り上げる髪型をポンパドール、側面の髪を後ろに流す髪型をダックテイルと言う。
特に近年では「3」が正当で「1」や「2」は誤用だとされることが多い。
事実は奈辺にあるのだろうか。
以下のブログで引用されている1964年の新聞記事には、理容師の増田英吉によるリーゼントの誕生秘話が書かれている。
http://mudamuda.hatenablog.com/entry/regent
むかし、リーゼント・スタイルというのがあった。戦後も一世を風びした、流線型のあれ。これを二十代で考案したのが増田さん。
(中略)
ヨーロッパ人にくらべ、日本人は髪がかたいこと。もう一つは「ひたいから頭のうしろまでの距離が短いこと。まあ顔面角のせいなんでしょうかねえ」。あとの方のハンデを克服しようと考案したのが、リーゼント・スタイル。前面をいったんふくらまして、うしろになでれば、髪が落ち着く距離が長くなる――これがそのヒントだった。
リーゼントについて詳しく調査された以下の英語記事でもほぼ同じ説が採用されている。
https://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/
1920年代後半、東京のモダンな街・銀座には、スタイリッシュな若者たちが集まっていた。モボ(モダンボーイ)はワイドパンツにかっちりとしたスーツを着こなし、モガ(モダンガール)は洋装と和装をミックスしたスタイルだった。彼らの髪型として、モボはポマードで髪を後ろに流しており、その見た目から「オールバック」と呼ばれていた。
1933年、東京のモダンな理髪店は、現代の紳士のための次のスタイルを求めていた。銀座のとある気鋭の美容師が、サイドを後頭部に流し、高島田の花嫁のように前髪を押し上げるスタイルを考案した。エキサイティングな外国語の名前を探していた理髪師は、それを「リーゼント」と名付けた。
これらの説明によれば、この時点ですでに「リーゼント」は単なる「ダックテイル」ではなく、「膨らませた前髪」と一体になった髪型を指している。
ただし、ここでの「膨らませた前髪」はポンパドールと言えるほど大きなものではなかっただろう。
ちなみに「オールバック」も和製英語で、英語ではスリックバックなどと言う。
一方、Google Booksで検索すると「ポール・グラウス」という人物が浮かび上がってくる。
1934 (昭和7 )年ごろ、日本にリーゼントが紹介された。正しくはその前年1933年6月のこと。当時発行されていた専門誌『美髪』の口絵写真に掲載された。これをもってリーゼントの流行は'33年に遡る、とするむきもあるが、それは正しくない。リーゼント型、という名前とその写真がのっただけで、はやったわけではない。いや、はやらそうにも誰もその仕上げ方を知らなかったのだ。再びリーゼントが紹介されるのは1936年3月。同じく『美髪』誌上で、イギリスの理髪師ポール・グラウスなる人物が技術解説を試みた。
グラウスは1932年ごろにイギリスの理容雑誌で「リーゼント・スタイル」を発表しているらしい。
つまり、このグラウスが「リーゼント」の生みの親であるという。
命名者がイギリス人なら「撫で付けた横髪がリーゼント・ストリートのようにカーブしているから」という日本人離れした命名センスにつじつまが合う気もする。
このグラウスのリーゼントは「前髪を横分けにして、横髪は長く伸ばして後頭部へ撫で付ける」というものだったようだ。
「ダックテイル」に近いが、やはり「前髪」の形とワンセットで説明されている。
いずれの人物が考案したにせよ、二十世紀初頭に世界的に流行したオールバックのバリエーションとして、日本では1930年代に「リーゼント」が登場したということになる。
さらに言えば「ダックテイル」が発明されたのは1940年のアメリカだというので、むしろ誕生はリーゼントのほうが先である。
まあ、元となったオールバック自体がシンプルな髪型だから、当時似たようなアレンジは多かったのだろう。
当時の日本で、リーゼントで有名だった人物としては榎本健一や灰田勝彦、岡晴夫あたりが挙げられるが、いま見れば「前髪を横分けにしたオールバック」といった感じである。
ただ、前髪をぺったりと撫で付けたオールバックと比べると、この「リーゼント」の前髪はボリュームがあると言えるのかもしれない。
https://www.amazon.co.jp/dp/B001BBXG4Y
https://www.amazon.co.jp/dp/B01M5DHEU9
さて、リーゼントはポマードを大量に使うので戦時中の日本では禁止されて退潮したが、戦後すぐにアメリカ兵のファッションを真似るかたちで復活した。
https://danshi-senka.com/archives/191
リーゼントヘアで頭を固め、サングラスにアロハシャツ姿で第2次大戦後の街中を闊歩するアンチャンたち。無軌道な行動をとるこのような若者たちを、当時のマスコミはフランス語のアプレゲール(戦後という意味)からこのように呼んだ。(中略)彼らのファッションのお手本となったのは、日本に進駐してきたアメリカの兵隊たちのカジュアルな服装で、つまりは戦後まもなくのアメリカンスタイルの真似をしたに過ぎない。
リーゼントとアロハシャツは岡晴夫の影響だともいうが、要するにアメリカかぶれの不良少年といったところである。
どちらかと言えば紳士向けの髪型だった「リーゼント」が、この時期から不良文化と結びつけられるようになったのだと思われる。
ちなみに欧米でも「戦争でポマードが統制され短髪が奨励される」→「髪を伸ばしてポマードを大量に使う俺ってワルだろ?」という流れで、ポンパドールやダックテイルが不良の象徴となったという面はあるらしい。
イギリスではテディ・ボーイ、アメリカではエルヴィス・プレスリーやジェームズ・ディーンと言ったように、欧米で流行していた「ポンパドール+ダックテイル」というスタイルが日本に輸入されてきたのである。
特にエルヴィスの影響力は凄まじく、日本でも1958年にデビューした「ロカビリー三人男」などがエルヴィスを真似たスタイルで人気を得た。
このときに「ポマードで固めた前髪と後ろに撫で付けた横髪」という共通点で括られて、エルヴィス的な「ポンパドール+ダックテイル」のことを、日本では「リーゼント」と呼ぶようになったのだろう。
まとめてみよう。
それでヒトとして生きてるのか?
高尚な議論はヨソでやってよ
そーいう考え方は古くなってるの
さっきも言ったけど
目の前に横たわる現実
それに是非を求めて
納得できるかなんて
各々の裁量なの
アンタのは自意識過剰よ
そんなに大事?
他人にどう見られるかって
それはそれで結構だけど
だったら踏ん反り返らないと
少なくとも自分のカッコは
それをどう見られるかなんて
織り込み済みの選択じゃない?
髪染めて後付けで着飾っといて
それで評価されることが不服とか
欺瞞もいいところよ
科学だけじゃないわ
マジシャンとは言っても
そんなチャチなもんじゃー
断じてないわよ
水のない所で大量の水だしたり
レールもないのに超電磁砲撃ったり
原理は全くもって謎だけど
確かに言えることは
エスパーよりも夢があるってこと
まーいずれ目にするわよ
すぐに気づくわ
如何にもな格好でホーキ乗って
よく分かんないマスコット従えて
そしてタイツ売れなくなったりタイツ履けなくなったりして困るのは普通の女性たちなわけ
狂ったフェミさんは認知歪んでるから、いい歳こいたババアがギャラクシーエンジェルのミルフィーユ桜葉みたいな生足丸出しとかいう歩くグロ画像みたいな風体で天下の往来や神聖な職場を闊歩しても檻の外から解き放たれたら笑いの対象じゃなくなる凶暴なチンパンジーみたいな扱い受けてるから誰も触ろうとしないであんま変わらないんだろうけど
これから寒くなるんだから女子高生とか女子中学生とか普通の会社に勤めてるOLとかは寒くて大変でしょうし、マナーとしてタイツ履くのが当たり前なんだから別の服を用意しないといけないし大変だよね、タイツ履くのがよくない風潮になったらさ
大変だよね、コロナで大変なのにタイツの売り上げ下がったら会社や働いている人たちの人生が大変なことになる
自分の狂った思想を他人に押し付け、多様性を否定するのは、否定した側を殺害しようとしているに等しい悪業であることに、なぜフェミさんは気が付かないのだろうか
女の敵は女だよね
まぁ一番性的搾取がひどい夜の街や風俗には一切触れないあたり、多分そういうところで働かざるを得ない無能が狂ってフェミになって日銭稼ぐためにやってるとか本当に狂って喚いているとかが主要層なんだろうけど
推しは少し前に大人気だったキャラ。人気の要因は自分自身の幸せより時に悪に身を窶してでも命をかけてこの国を守る孤独で有能な美形だった。
今の煉獄的な人気だったと思う。規模は違うけど。
出版社が推しを金のなる木と認識したのはまぁいい。実際そうなのだから。
それで主人公ではない推しスピンオフを始めたのもいい。楽しみだった。一話は素晴らしくて泣いた。雑誌は店頭から消えてニュースにもなった。
それなのに今や数年前に始まったそのスピンオフは推しのいいところを殺し続けてる。
勝手にその点を箇条書きで並べていく。
推しは忙しい。国を守る機関に属しながら目的のために悪の組織にも出入りしてる。なんなら初めは悪役だったし今でも主人公の完全な味方とは言い難い。
そんな推し、主人公を探るためにとある飲食店でバイトしてるのだがスピンオフではそのバイトで食べて行ってない?ってぐらいそこにいる。賄いで3食済ませてるレベル。犬も飼って家庭菜園してる。あつ森みたいな生活である。
原作では忙しさで遅刻早退当日欠勤上等のレア店員だったのに今や本業がフリーターである。ちなみに推しはフリーターやってていい年齢でもないし、なんならエリートである。
読者はフリーターの日常を見たいわけではない。あの原作や映画の影のある推しが見たいのである。
自分でも何を言ってるかわからないがそういうことである。推しには部下やバ先の同僚がいる(原作ではモブもいいとこ。鬼滅でいうなら魘夢に使われるモブよりも何も役割を果たしていない)あれ?私モブの日常読んでたっけ?くらいそいつらが出てくる。推しより出てくる。意味がわからない。
③恋愛しないよ!で有名になった推しをしょうもない女とばっかり絡ませる
はっきり言って推しは夢売りがひどかった。それなのになぜか前述したバ先の同僚の女とばっかりセットにしてくる。当たり前だが原作ではそう絡みはない。バ先が舞台の時に背景の椅子や机と同じようにいるだけキャラである。
しかもそのキャラ、推しに対しての言動が酷い。推しの悲しい過去(容姿のせいでいじめに合う)を知らないとはいえ踏みにじる発言をする女である。余談だが後に推しの過去編スピンオフ(これもまぁクソ中のクソ。後述する)に出てきた名前も出てこないモブが同じ発言をしていた。モブ同士は同じ発言するのだなと笑った。
④過去編がクソ
推しの友達は全員死んでる。その死んだ友達との過去を描いたのが過去編である。
死んだ友達もそこそこ人気キャラの為クローズアップされるのだが、今まで推し固有の能力だったものが実は友達の特技にされていく
例えば推しのかっこいい車は友達Aのものになってたし、推しの戦闘能力は友達B、料理上手なのは友達Cという具合に。
推しの人気は多彩な能力にもあったのにはじめから決まってたならともかく推し人気に乗っかった後付けスピンオフで全て能力を誰かのものにしていくのは臓器売買の現場を見ているようなグロさである。
⑤絵がありえない
スピンオフの作画は原作者じゃない。他の漫画家がやって一応原作者が監修はしているがなんというか正直一話の神作画はどうなったの??脳に腫瘍できてない??視神経大丈夫??あ、もしかして腕の怪我???と思うくらいの変貌である。
原作では中性的いうかジャニーズ的な美形の推しがやたらとマッチョになってるし面長の馬面、丸い頭は四角くされて目は小さくなってる。おかしくない???意外と年齢いっててエリート年上の部下を顎で使う童顔がなんでマッチョなんだよ原作読め!!と泣きたい気分である。
原作との矛盾もあり絵もクソ、内容もクソ、面白くないの三拍子揃った何もかもクソのこのスピンオフ面白くないと言った作品ファン()から総攻撃を食らう。
所詮キャラファンで作品ファンじゃないから原作者監修のスピンオフをそんなふうに言えるのだとキレられる。
馬鹿かと。100冊近い原作を読み毎週アニメを録画しファンブックだの無限に買い続けキャンペーンのたびに家にある単行本をダブらせているのに作品ファンではないと??そもそも元々はグッズの売れないジャンルと公式が言っていたものを有数のグッズジャンルに押し上げたのは推しである。作品ファンとか古参とかいう謎文化もこのジャンルの薄ら寒いところである。
余談だがこのジャンルには作者の話が聞けるイベントがある。あくまで好意のイベントは当たり前だが倍率がエグい。
でも謎の古参枠というのがあってそれに入るとなぜか倍率がエグいそのイベントに毎年いけるのである。こういうことをする公式なのだ。
ジャンプとある漫画で原作者と話す権利が当たるものがあり天文学的な確率のものを同じ人間が何度も当てている、公式の不公平な意図が見えると炎上し作者が謝罪したのが羨ましい。こちらは古参が当たり前のようにイベントを闊歩してる。
グッズを買い、映画を数十回も見、ゲーセンに通い、単行本をダブり承知でアホみたいに買い続けるファンより古参を大事にする公式だ。
推しファンはどんなに金を払おうが作品ファンではなく、人権はないらしい。
数年推しに貢ぎ続けてたがそろそろ限界である。無意味に経済力のある家に産まれたせいで推しに湯水のごとく金を使い続けた。別にイベントに当たらないのは自分の運だからいいのだが、その一方で毎年(10年単位)で絶対に当たり続ける人間がいるのは不愉快極まりない。
推しのいいところは殺され、原作は進まず、古参ファンにマウントを取られ続けるジャンルにいるのは偏に推しへの愛なのだ。
【せっかくだし追記】
→落ち着いて、恋人は国(作者談)
こういう基礎的なことも知らないで付き合うとかなんとかいうからこのアニメ出身キャラがどんどん嫌いになる
他のアニメ出身キャラは気に入られてわざわざ相手作ってもらえたのにね
ていうかバ先モブは原作では差別発言するような子じゃなかったし、部下だってキモオタじゃなかったのに推しのスピンオフでそんな設定つけられてかわいそうに思ってるよ。
→画力と推しを原作に似せて描く能力は違うし一話でできてたことが今出来てないから体調の心配しただけ。
手を抜いてると断じるほうがいいわけ?
高円寺の駅周辺と商店街を歩いていると、入れ墨をした人がとてもたくさん歩いている。
駅近くに入れ墨をする専門店があるから、それを目当てに来る人もいるのかもしれない。それにしても、本当に多い。
ちょっとしたワンポイントの入れ墨ではなく、腕いっぱい、足いっぱいに本格的な入れ墨をした人たちがそこらじゅうを闊歩している。
最近高円寺界隈に引っ越してきたばかりなので昔のことはよくわからないが、高円寺は入れ墨をして歩く人が昔からこんなに多かったのだろうか。
高円寺には古着屋さんやおしゃれなカフェ、バーがあり、物価も安めで、どことなくサブカルチャーに寛容な雰囲気がありそうだ、という感覚はわかる。
ほんとそれな~。そんな細かいこといちいち気にしてらんねえよって感じ。
どうせレジや窓口もバッチリガードしてるしゴム手袋つけっぱでレジ打ちしてるんだからマスクしてなくたって別にいいでしょという感じ。
友達ともろくに会えず楽しみにしてた映画が次々と延期になりバイトもなくなり学費払ってるのにまともに数ヶ月図書館すら使えない状態に置かれておとなしく我慢してたんだし、こないだは献血にも行ったし、もうこれで十分に利他したよ。これ以上の利他心を発揮してほしけりゃ色々なものを返してほしいわ。なんであれだけ痛めつけられたのにまだ他人の心配をしなきゃいけないの?
「潜伏期間中に他人にうつさないこと」「ウィルスを媒介してしまわないこと」が主な目的なので、症状があるかどうか関係なくマスクはしてください。/ スーパーも入店時に消毒しないとほとんど意味がない。
マスクの目的は知ってますが、見ず知らずの他人の健康よりも自分の精神衛生の方が大事だというだけの話なので。
もう十分我慢してきて色々なものを奪われてきたのに、なんでこれ以上他人を気遣って自分の不快感を押し殺さなきゃいけないのかがわからん。もううんざりなんだよ。
都内住みだけど、忘れたとかでマスクしてないときはすごく視線感じるよ。帰宅して手を洗わないとか書いてるし、この増田釣りじゃなければ相当鈍いんじゃない?
それマ? ノーマスクで新橋や池袋や渋谷を闊歩したけどちっとも視線感じんやで。どこの東京の話?
幸い陰口叩かれたことはないけど、仮に叩かれたらその場でめっちゃツバ飛ばしまくる勢いで食ってかかってやるわ。
コロナウイルスは当初 boomer remover と呼ばれていたけど、最近の状況やこの増田を読むとDQN remover と呼ぶのがふさわしい気がしてきた。
去年と同じ生活様式続けてるだけでDQN呼ばわりされるんすね。そんなクソ連中の言うことなんて誰が聞いてやるもんかって話なんだよなぁ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200720142437
スポーティーな服が好きだ、短パン、スニーカー、Tシャツ、スポーティーな上着...
大学院の23歳です。元ゆるめるモ!のあのちゃんギャルのサブカルガールです。思い返せば2020年に久々に会った友達はみ〜んな綺麗な格好をしていた、個性的でファッショナブル。髪型も綺麗。
私は院進したからまだ学生だけど、仲良しの友達たちはみんな働いててみ〜んな綺麗な格好。価値観や生きる世界がその友達たちとずれてるとも思えないし、友達のことは大好き。
私は自撮り界隈の女だし、元あのギャの女、サブカルガール年齢不詳、でもそろそろきつくない?って思い初めてきた。
いちごりなはむも最近はあのギャみたいな格好から、白基準の綺麗めな格好ガールに路線変更してるし。でもりなはむはお金あるからな、私はお金ないからな、ガンガンチェキ撮って稼ぐしかないんだけど、なんせコロナでイベントは出れないし。バイトのガールズバーもお店が休業中で収入がなさすぎてやばい。
金があったらなぁ〜〜〜私だってマメクロゴウチ着てえんだわ。せめて月に1万ぐらい服にお金かけられたらなあ。でも持ってる服とか買った服はダサくないと思ってる。あ、しまむらとかGUでもないよ。
このまま就職しなかったら私もフリーターのまま中学生みたいな格好をして東京を闊歩することになる。きつくない??
メイクするのも好きだし私は顔がかわいい、綺麗めの服じゃなくてもちゃんとメイクして、スポーティーな格好、古着mixでテクニカルスニーカーでもそれなりにかわいいサブカルガールの身なりになっていると思っていた....どうしよう。最近アラサーオタクの身なりや価値観の話が盛んに行われているけど、私は32歳腐女子サイドではない、お洒落可愛いシティガールに憧れているし実際になれていると思ってる。最近私のこのスポーティーガールは手抜きファッションなのでは?と思ってた。そんな中、話題の話を読んだら、あれ?私32歳腐女子サイドの女じゃね???って思った。だって綺麗めの格好じゃなくてサブカルミスiDスポーティーガールだし、今後就職したABCちゃんと4人出会った時に私だけダサい中学生みたいな格好で会うのか???無理すぎる.......好きに生きればいいジャーン論争には私も同意なんだけど、私は32歳腐女子サイドではない、だって学部生時代の周りにいた、オタク話ばっかりに花を咲かせてお洒落なんて皆無〜〜で、推しのイメージグッズ身につけたり推しジャージで登校してたオタクの人々を見下してた。ダセェなって、お洒落しろよ化粧しろよその方がかっこいいだろって。え???私どっちサイド???32歳腐女子サイド???違うよね???私はお洒落センスもあるし顔面も可愛いから無問題と思ってたけどもしかしたら違うのか???
いまや漫画やアニメはオタクだけじゃなく老若男女あらゆる人々が楽しむ時代だ。
古い迷信から来る歪んだ偏見のせいで漫画やアニメが不当に貶められていた時代と比べると隔世の感がある。
一流クリエイターだって、はじめから頭角を表しているわけじゃない。
そんな時に支えとなったのがオタクたちだ。
オタクの支えがなければ、未来の一流クリエイターもインディーズの段階で創作を諦めていたかもしれない。
オタクはオタク特有の未来を見通す力を総動員して将来的に伸びると思ったクリエイターを見つけ出して買い支えて応援する。
このオタクにとってはめちゃくちゃ当たり前の行動を、非オタクはとることができない。
ときには金銭だけじゃなく応援コメントや感想コメントを送って精神的にも支えたりもする。
こうしたオタクのコメントがクリエイターの支えとなっていることは数々の証言から自明である。
オタクが金銭的また精神的に支えたことで間接的に全国民がその恩恵に預かっていると言って過言でない。
世間の人々はオタクに開拓された道をそれと知らず我が物顔で闊歩しているようなものだ。
オタクヘイターには、そうした背景が見えていないとしか考えられない。
オタク叩きがオタクの支えているクリエイターにまで危害を及ぼすということが分かっていないのだ。
ちょっと叩かれたくらいでオタクをやめるやつはオタク失格ではあるが、全員が全員信念を持ったオタクというわけじゃない。
つまりオタクへの攻撃は未来へのクリエイターへの攻撃と同義なのだ。
いや、考えたくはないがそこまで分かった上であえてオタクを叩いているのかもしれない。
オタクに見初められて一流のステージにたどり着けるであろうクリエイターに嫉妬してオタク叩きをしているのかもしれない。
世間の人々はオタクほど寛容な精神は持ち合わせていないのでありえないことと断ずることはできない。
少しはオタクを見習って「良いものは良い」と素直に認めることはできないのだろうか?
オタクの中のオタクは決して自らの功績を他人にひけらかしたりしない。
現代では他人に敬意を払うことを忘れた人間があまりにも多すぎる。
だれに敬意を払うべきなのかを常識的に考えれば推しの成功を我が事のように喜ぶことのできるオタクの顔が浮かび上がってくることだろう。
ガングロギャルメイクは、主に、黒人文化へのあこがれから、少しでも彼らに近づきたくてやってる人のほうが多いんだよね。
宇宙から来たという不思議ちゃんの同級生の少女に惹かれていく小学生男子の話だった。
本来の姿はヘドロが積み上がったような姿だと工作の時間に模型みたいのを作ってみたりもしている。
(細かいツッコミを入れると、生体を惑星間移動させられるような技術を持っている生物の見た目が原始的なのは矛盾が甚だしいからもうそろそろやめてくれ。)
結局可愛いから、美人だからっていうふうにしか物事がとらえられなくなるだろっていう話。
最後は宇宙人と心が通い合いました!みたいな美談風に終わるんだけど、本当にそうなのか?
言葉もままならないままにそんなの歩いてたら速攻射殺案件だろ。
そうじゃなければ捕まって研究対象になるだけ。
そしたら地球人は野蛮だってことになって宇宙戦争。それが現実。
そういうふうにならないための擬態っていうなら、周りから注目されるような美人になっちゃダメだろうがよ。
結局この話は、地球人は見た目に騙される単純ないきものです。っていうことしか語れてないんだよな。
個人的には最後の転校生の存在がそれを裏付けるような暗喩に思えてしまって、真面目に演技している小学生をバカにしている最高に胸糞悪い映画だった。
映画の名前も覚えてないし、単独の映画を吊し上げたいわけではないので思い出すつもりもないけど。
この映画に限らず、浅いストーリーを登場人物の見た目だけでごまかすの本当にクソ。
そのくせ地球外生物と心通わせることができました!人間美しい!みたいなことを語られると本当に頭にくる。
美男美少女なら何でも許せるし許される。誰かが違うと言ったって、それを支持する圧倒的多数の前では無力同然。
努力で埋められるって言ったって、同じ努力されたら何倍差が開くと思ってるんだよ。
俺だってトムクルーズに生まれてたら同じだけ努力できるっつの。
ここだけの話、このままコロナ終わらなければみんな顔の半分をマスクで隠してる分フェアでいいよなーと真面目に思ってる。
これからの世の中、感染症も匿名性も守ってくれるマスクって割と必須アイテムになると思うんだけどどうだろう。
とりあえず町中歩いている利害のまったくない人間相手に顔を隠してられるのっていいことしかないよな。
表現を柔らかくすりゃいいわけよ。別に文字列そのまま実行されてほしいわけじゃないし気持ちの表明に過ぎないんだからよ。
「A殺す、絶対殺す」とか書くと殺人予告で逮捕コースじゃん。でもさ、殺意に共感してほしいだけで別に殺人を予告したいわけじゃないよね。
「A死ね」はもう直球で暴言なわけですよ。本人に命令してるけどそんな命令聞かないのはわかってる。これも別に命令したいわけじゃない。
「A氏ね」は言葉狩りに対抗する文化とお約束の香りがするよね。これだいぶ殺意薄い。でもお約束の文化圏の外に出ると死ねと全く同じ扱いだよね。
「Aしねばいいのに」は願望の表明。命令でなくなった。そう、だいぶいいかんじ。その調子でもう一歩いこう。
「Aが大手を振って世間を闊歩していることが許せない」いいぞ君は逮捕から遠ざかった。逆にまるで自分に逮捕権限があるかのような上から目線最高。
「もしAの命が失われたならば祝杯をあげるだろう」「Aに私たちと同じ人権、生存権があることに怒りを覚える」「Aが生きている事実をみるたびにつらい。涙が止まらない」「Aには必ずや神の鉄槌が下るであろうことが楽しみだ」完璧!喜怒哀楽出していこう!涙止まらなくなっていこう!