はてなキーワード: 闊歩とは
とても reddit 見たりしてるようには思えないな。むしろ下記増田で書いた140文字民側の増田に見える ↓
関連増田:米FOXのコメント欄ですら不正投・不正選挙がどうこうと騒いじゃいないのに日本の140文字民は (anond:20201105100706)
もっとも 「はてブよりはマシ」、「日本ほどバカに優しくない」ってだけで、 reddit は ほぼ5chですけどね
せっかくだから補足しておくと、
1. 公的書類の変更が面倒くさいので行政はしたく無い(上級国民は仕事をしたく無い)
2. 暴力団員・犯罪者が気軽に名前を変えちゃダメというお気持ちと治安維持目的
有罪判決を受け,執行猶予期間中である申立人が,逮捕時に報道された自己の氏名及び顔写真が現在もインターネット上に拡散されているため,就職に不利益であるとして名の変更の許可を求めた事案で,犯罪歴は,企業にとって重要な情報の一つであり,応募者として申告を求められた場合には,信義則上真実を告知すべき義務を負うものであるから,申立人が犯罪歴を企業に知られることで採用を拒否されるなど一定の不利益を受けることがあったとしても,それは申立人において甘受すべきであるから,戸籍法107条の2にいう「正当な事由」があるとは認められない
別に現代の技術なら名前以外でも公的書類の管理できますよね?適切なコスト(お金)を払えば
→ どこの国でも異装には厳しい。平等意識が強く原宿girlが闊歩する日本じゃその感覚は薄いけど、
ついでに宗教警察がいたりするしね(男・女の格好はこうあるべき)
→ 治安はたとえば トイレ・シャワー室・更衣室の利用どうする問題がある
米国に倣って施設運営者の許可が取れてれば特にコストを掛けなくてもOKもひとつの考え方だけど
トランスジェンダーのトイレ制限は違法、米最高裁が判断 | Reuters (JUNE 29, 2021)
https://www.reuters.com/article/idJPL3N2OB0XS?edition-redirect=ca
コスト掛けて男も女も車いすの方もオストメイト利用者の方も介護が必要な方も使える
『誰でもトイレ』を増やそうが正解だと思ってる
あのさ、
最初番組の始めに今日のピアノの人ですって登場して紹介するシーンがあってポロン~って一節弾くんだけど、
あのときに
足元映ってないけど裸足みたいな。
てーかそんなの笑うわ!
あれのEテレテレビ体操のピアノの人紹介大喜利とか考えると結構私ツボるわー
ベタだけど今人気の人だと、
ラジオ体操をしたくて見ていたら、
日替わり体操が尺が長めで、
ついにいよいよ本編のラジオ体操始まった!って思ったらラジオ体操第2から始まるんかーいって
第1は最近しない流れなのかしら?
あと公園とかでさ
年配のベテランの人が自分で開発した体操の動きをしている人ってあるじゃない、
あれはきっと彼らが長年追い求めた身体のあちこちを伸ばすための自分で開発した体操なので、
その人のオリジナル体操はその人にしか効果が無いって思うのね。
公園でそういったベテランの独自に編み出した体操をしている人を見ていると、
なかなか自己開発旺盛な人とか多くて
本当にたまに公園とかでのんびりしているとそう言った光景が目に飛び込んでくるから、
でも、でもよ
まず基本と思ってラジオ体操ちょっと見てみっかーって3日経ったんだけど
やっぱり自己開発のオリジナル体操の動きを編み出すのはなかなか難しそうよ。
あと
ピアノの話しに戻るけど、
あの一節だけをピアノで覚えたら、
とりあえずは格好がつくじゃない?
私あれやりたいわあの一節のやつ。
でもやっぱりピアノの達人から見たらおぼつかない一節を披露しても
見破られるかも知れないわね。
そう考えると
ピアノの達人はあの一節を弾いて見極めて上手いか下手かを判定するのかなーって思うのよ。
譜面を見てない人が多くって、
あの人達の頭っていったいどうなってるのかしら?って思うわ。
松下奈織さんのライブにもなぜかよく招待券が3回ぐらい当たってみたことあるんだけど、
あれはきっとお嬢様のライブに空席をあるわけにはいけない!って
残った席を何となく興味のあるひとに
分け与えてる席だと私は思ってるので
自慢出来る唯一の話でもあるわ。
私は譜面が読めないけど
でもそれだけ読めても卓越したピアノ技術が付くとは限らないし、
ああいうアーティストの人は楽譜見ないですごいなぁーって思うのよね。
私も何か自慢出来る卓越した技術とか特技とかあればなーって思うのよ。
まあ卓越してるか分からないけど、
ここでよく披露している、
飛び込み前転は得意な方かなー。
でもそれができてもねーって感じよね。
また何かテレビ体操のピアノの人を紹介する大喜利で面白いものを考えたら披露するわね!
うふふ。
昨日買ってまた食べ損なった夜を朝に持ち越した
鉄火みあふれる鉄火巻きです。
2位鉄火巻き
1位納豆巻き!
そんでさキュウリ巻きあるじゃない、
かんぴょう巻きとか食べたら本当に顎が外れるぐらい美味しいからね!
スイカの8分の1カッツのヤツを買いたいんだけど、
器のパックに入ったカッツスイカを買ってカッツスイカウォーラーにしがちなんだけど、
あれも上手い具合ラッピングしてあるのがあって、
もうすでにラッピング自体に取っ手が付いている物はそのまま持って帰りやすいから
あ!この人スイカ買ってワンハンドスタイルで持ち帰っててカッコいいなーって
片手のワンハンドスタイルでホットドッグ食べて街を闊歩してる!ってやつをスイカでやる!みたいな格好良さがあるわよね。
みんなにスイカ買ったことを見せびらかしているようでちょっと恥ずかしくもあるけど、
まあスイカに取っ手が付いてるととても便利よねって話しで、
とってもが付いてるスイカだと嬉しいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「昔、昔、浦島は〜」
浦島!浦島太郎じゃない!
そういうシステムになっているんだ。
これら「なんとか太郎」の集まりに、いけしゃあしゃあとと紛れ込んでるわけだ。
やつは、ただの太郎だ。
インターネットの自称事情通たちは、我が物顔でインターネットを闊歩している。
いや!インターネットだけじゃなくて、リアルでも間違いなくそうだろう。
「オレ様は情強大魔神だ!」くらいの勢いで街中を我が物顔で闊歩しているに違いない。
そして道行く人々を勝手に情弱と断定し、見下し、悦に入っているのだろう。
自称事情通たちは常日頃から自慢の情弱センサーで情弱度を邪推しながら道を歩いているんだ。
哀れなピエロだよ。まったく。
まぁ、それはいい。
それは本題ではない。
注目すべきは、ここだ。
「助けた亀に乗せられて〜」
乗せられて!
かといって、毅然とした態度でお礼を断るのでもなく!
ようするに「お礼をいただけるのであればやぶさかではない」みたくこの歌詞では言っているわけだ。
一見どうということない「乗せられて」だが、実は日本の縮図といって過言でない。
こうした振る舞いは日本という島国の津々浦々で見られることだ。
勝ち組はなんら要求することなく相手が察して勝手に「乗せて」くれる。
別に自発的にお礼など要求することはないし、それは恥知らずなことなんだ。
負け組はいつか「乗せられる」であろうことを夢見て頑張るが、生涯「乗せられる」ことはない。
繰り返す。負け組は、生涯「乗せられる」ことはない。
「いいことをすれば見返りがありますよ」という。
児童らは「乗せられて」「乗せられて」と数百〜数千回繰り返し聞くうちにその「仕組み」を理解するであろう。
負け組にとってそれは欺瞞である一方で、勝ち組にとっては真実なのだ。
「いいことをすれば乗せられるはずだから、乗せれられていないということはいいことをしていないのだろう」
そうした逆説的な論法を耳にした例は一度や二度ではないはずだ。
なお余談だが、亀の立場で考えてみると浦島はお礼をいただける立場にない。
そもそも、イジメて来たのは人間族の子供であって、それを別の人間族が静止したまでのこと。
亀の立場から考えてみれば、これはマッチポンプ以外の何物でもない。
どうして浦島太郎がお礼をいただけるのか?
このようにして日本人は浦島太郎を反面教師にして様々な学びを得ることができるはずなのだ。
時間の流れが違う「ネタ」を見るたびに「ウラシマ効果!ウラシマ効果!」などと叫んで喜ぶのが関の山だろう。
「○○の起源は、日本の浦島太郎」などとハナタカしてるわけだ。
作品の本質ではなくSF的な小道具・ガジェットにばかり目を向けたがる。
ここ5年くらい、欲しくて欲しくて思い詰めているようなアクセサリーがあった。ピアスとネックレスのセットで約70万円。いやいや70万てwwと自分でも無用の長物だと分かっているんだけど、それがあれば自分は自分を好きになれる、より素晴らしい自分になれる気がして、だから欲しくて仕方なかった。
店頭にも足を運び現物も見た。とても素敵だ。これをつけてシャツにタイトスカートにハイヒールを合わせてオフィスを闊歩したら、どんなにか気分がいいだろうと思った。そのアクセサリーがあれば、「おしゃれで仕事ができる美人」というセルフイメージが持てる気がした。
勤続10年目なので、会社から祝金が出る。なので、それを原資に足して買おうと決めた矢先、異動が決まった。異動先はこれまでいた経営部門と違い現場仕事が多く、タイトスカートもハイヒールも縁遠い雰囲気だった。仕事自体は面白そうなのでまあいいのだが、そう思うともはやあのアクセサリーは何の意味もなさなかった。現場で汗を流すのに、おしゃれである必要もなければ美人である必要もない。そもそも私の新しい仕事は、作業着と安全靴が支給されるような世界なのだ。
年間120日とかの休みの日(しかも全然出かけないこともある)につけるアクセサリーに70万払うのもバカバカしいので、あのピアスとネックレスは購入しないこととした。あんなに欲しくて、毎日HPやInstagramを見ていたのに、びっくりだ。つまるところ、私はあの綺麗なアクセサリーそのものが欲しかったのではなくて、「あの素敵なアクセサリーをつけてバリバリ働く私」が欲しかったんだな、と思った。
Survivalist: Invisible Strain
という720円のゾンビサバイバルゲームがめちゃくそに面白かったので
その興奮を書きなぐろうと思う。
今作はSteamで販売中のアーリーアクセス(β版みたいなやつ)のゲーム
https://store.steampowered.com/app/1054510/Survivalist_Invisible_Strain/
Steam内で日本語訳してくれた人が非常にまとまった日本語ガイドも書いてくれてる
・人間の敵も出てくる
・箱庭系
近いゾンビ物としては
ゾンボイド(サバイバル系)が一番近い。
あれも、ゾンビが強くて、水や食料の確保が大変で、四季があるゲームなので。
今作の大きな特徴は、
ソロではなくコミュニティ(以下「村」と表現する)を形成し、発展させる、という所だと思う。
ゾンビ世界を生きるサバイバーたちは、1km×1km四方のマップにおよそ80-100名ほどおり、
その全員に名前があり、能力値があり、性格があり、人間関係があるというのがすごい
例えば襲ってきた野盗を屈服させて仲間にしても、
話すとその後ずっと他の野盗仲間を殺したのは許せないとか言ってるし
△△に良いプレゼントをした、××は野盗の脅しに屈した、●●は盗みを働いていた、
等々の噂話を語るし、
何の罪もない旅の商人が拠点から出ていかないからって撃ち殺したら、
その手を下させたおじさんはPTSDみたくなって無気力になっちゃったり、
それを目撃してしまった村内で繊細と言われていた人もショックを受けたりする
そう、あの憧れのゾンビ世界での人間関係のギスギスを楽しめるのだ
ゲーム画面がちょっと特殊なので、自分の村以外の事件や小競り合いなども
たびたび「一方そのころ…」ってな感じで実況が入ったりするのだけど、
近所の友好的で平和な村内で
ゾンビの襲撃により誰かがゾンビ化してしまった事件が起こったらしく、
その後どんどんお前のせいだっ!つって粛清が起こり、
村内の人数が半分に減ってしまった
お前んとこがやったんだろ!つっていきなり友好的から敵対関係になって襲ってくる
誤解だってば!!(今後は村Bの近くに死体を置いてなすりつけることにした)
そのギスギスは冬場に勃発する事が多い
普段は村の周辺でうろうろしている人たちが食料を求めて、
プレイヤーがあらかたのゾンビを駆除して割と平和になったフィールドを
平和村Aがプレイヤー村は門を堅く閉じて落とし穴罠まで掘ってるので立ち寄れず、
食料豊かな平和村Bの周りをうろうろするも、なんか平和村Bの周りに、
想像するに、貯蔵してある作物を盗んで殺されて行ってるんじゃないかな、と
元々平和的な人達が狂うのが一番タチが悪いというのが楽しすぎるんだよな…
ゾンビ肉でシチュー作ってプレゼントし、ゾンビ感染を蔓延させるとか、
まず我が物顔で街を闊歩して喧嘩売って回る老人とガイジがいなくならない限り優生思想を絶対悪として根絶するのは不可能
貧困からの僻みが彼らを見下す優生思想になるのならば福祉や補償の範疇でどうにかなるだろうが、奴らが勝手に外に出て自分の言動を省みることすら出来ず不特定多数の他人に喧嘩を売り続ける限り、本来淘汰されて然るべき存在である以上、社会から全否定されても誰も擁護できないだろう
同じ社会に属する同種族はことごとく庇護されて当然、と言うのはあくまで性善説的な発想であって、その存在や言動が自分以外の誰かを攻撃するものと想定されていない
コロニー内において、制御が不能かつ周りを攻撃するその姿はまさしくガン細胞、存在そのものが全体に悪影響を及ぼし死に至らしめる
今すぐ切除しろとは言わない
人権派を気取って庇護したいならすれば良いが、俺にはガン細胞を庇護する余裕も趣味もない
人間としての余裕をアピールしたいなら、お前の金で、お前の座敷牢で、お前のために、飼っておけ
自分の飼い犬が道にしたクソを片付けられない飼い主のように、自己満足を根拠に他人に許容や寛容を強制するのは、老人やガイジが良くやる喧嘩叩き売りと同罪だ
だからもしかしたらダブル節分の日をやる人多発するんじゃないかしら?
気を付けた方がいいわよ。
7月8月10月はなんか場合によってはカレンダーの印刷された物によっては
児玉清さんばりに言うと
なぜ角を取らない!って
児玉清さんが出演していたラストダンスの主題歌みたいに「さよならはダンスの後に」を歌っちゃうわ!
まあそんなことより、
方角分からなかったら、
私がずっとここで欲しいと言っている、
豆まくときのやつを
そんなパーティーグッズがあったら私買うし、
豆まいてるってレヴェルじゃねーぞ!
ってもうインターネットミームになりかねないこともないかも知れないわね。
だから私はどちらかというと、
こんなのもう節分じゃない!って
お父さんの首を守らなくっちゃ!って
節分!その前に首!ってダイレクトな名前の首の防具があったら、
それは避けられないわね。
でも圧縮空気で派手に豆をまくってメカニズムはありそうなものよね。
手放しで喜べるので手掴みで食べるけどね。
ニューヨーカーがホットドッグを食べながら街を闊歩するようなそれの日本版よ。
だから恵方巻きもホットドッグに見立てて手に持って街を歩きながら食べて闊歩して欲しいのよ。
私は手を汚さずにお父さんを豆バズーカーで抹殺出来ることが出来るのよ。
そう私の手を汚さずにね。
豆だって鳩が食べるってレヴェルだし、
ごめんね気が付かなくて!
鳩さんが食べやすいように水のお皿も横に置いて上げるの。
町で見かけるハトを見ていると水たまりの水を飲んでいるハトがいたりなんかして、
切なくなるわ。
そっちの水の方が少なからずしも水綺麗なはずよ。
例え筋力が充分にあったとしても羽前で蛇口を回せるとはとても思わないわ。
ここのお水のお皿からお飲みなさい!って
釈由美子さんばりにおゆきなさい!って勢いでお飲みなさい!って言うのよ
スカイハイだけにね。
だから私は方角がどうのこうのとかっての気にしないの。
とりあえず
明日は節分じゃないんだかんね!って力一杯言いたいわけなのよ。
鳩さんが水飲むで思い出したけど
飲んでる途中の猫さんの後ろ頭を押してあげたら、
押してと言われて押さないのなんて上島さんだけしか通用しないんだからね!
うふふ。
まあパッとしないけど、
今日海苔巻きあるから恵方巻きね!ってちょっと期待しちゃうわ。
今日は朝のホッツ緑茶ティーウォーラーを水筒に仕込んできました。
朝は暖かく温活で目覚める朝にして欲しいんだな!
私とのお約束よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
自分は「一人で粛々と食べる飲食店なら緊急事態宣言中だろうがなんだろうが行っても良い」と思っている派なんだけどその考えが変わってしまった。
最近飲食店に行ってなかったんだけど、久々に外食をしようと思って今日のランチに行ったのはラーメン屋。
私語禁止、マスク着用必須、入店時にアルコール消毒必須となっている。コロナ渦だねぇ。
で、店員に口頭でオーダーを伝えるシステムなんだけど、なんと一部の客がマスクを外してオーダーしてたんだよ!
目を疑ったよ。しかも一人だけじゃないの。20人くらい観察してたら3人くらいやってたの。すごくない?人類やばくない?
マスクはなんのためにあるのか理解してない奴らが街中を闊歩してるって怖くない?
こんな民度のやつらが集まる場所ならクラスターになっても不思議ではないよ。
他の店に行くのも怖いからまたしばらく引きこもるわ。
実家の猫は15年前に当時高校生だった妹が拾ってきた捨て猫だ。
下校中に拾ってきた妹に両親が折れて、屋内のみの飼育で今に至っている。
だが、猫が来たその日から皮膚炎とアレルギーに悩まされる辛い日々が始まってしまった。
洋間、リビング、和室、全ての部屋を己の領土と捉えた猫は家中を闊歩する。
そうしてあちこちに体毛を散布するのだ。
それが僕の息を詰まらせ、肌を腫れさせ、目に異物感を与える。
衣服も靴下も寝具も毛にまみれ、見た目は奇麗でも茶色の毛が肌に痛く刺さる。
帰宅すれば猫は『外』の匂いを求めて自分の靴や鞄に纏わりつく。
特に靴下と中敷きの体毛に起因する足裏の痒みには本当に悩まされた。
真冬の暖房の風に乗って、食事にすら猫の毛が混じっていたことなど1度や2度ではない。
家の中では常に息苦しさを感じ、歩くたびに足の裏には纏わりつく茶色の毛。
遊べと纏わりつかれれば手足はチクチクと痒みが出て、目には異物感。
猫が来るまでは春先と秋口の「その時期だけ」の苦しみだった花粉症。
だが猫が来たことで家にいる限り365日苦しい時間が続いてしまうことになった。
今では家を出ているが、実家を出るまでの間は地獄とは言わずとも常にデバフ状態。
仕事で実家を出るまでの間の約7年間は本当につらい日々だった。
でも、洗濯機は使えないし脱いだ服はその場でビニールに密封しなければいけない。
猫が触るから。
でも、苦しめることもある。
飼うと決めた当事者ならば受け入れらるのかもしれないが、僕はそうではない。
捨て猫の飼育を家族が決めたことで、自分は犠牲を支払されたと思っている。
今でも実家の暴君は元気で、帰省はあまり「楽しい」ものではない。
10年とは言わないが、あと5年近くは生きているのだろう。
どうしたものやら....
無職の俺が言うのもなんだが、本当に死ぬほどやることがない時にだけ、普段使っていないFacebookを開くことがある。
開くとまず、知らない奴とか10年くらい連絡とってない奴の誕生日が3日前でした、みたいな通知が5件くらいあって、未だに何故かFacebookを使い続けてる奴のTwitterみたいな投稿が目に入る。自分の投稿を見返したところ、自分も6年前までは同じ使い方をしていたらしい。
だが俺の本当の目的は今や全く別のところにある。ここに来て急に「友達かも」のページをみたり、繋がっている友達伝いに小学校の同級生を探し出すのだ。
俺の通っていた小学校は、それこそ全校生徒がランドセルに熊よけの鈴をつけて登下校するレベルの山奥にあった。トラクターが農道を闊歩する割と本格的な田舎だ。だから小学校から中学校、下手すると高校まで同じ顔触れで、死ぬまで実家暮らしなんてのも多分珍しくない。
というのも、俺は中学から親の都合などを経て都市部に引っ越したため実情を知らない。小学校の同級生と未だに連絡を取っているようなことも全く無い。高校生の時に何度か違うクラスの奴と会ったはいいけど全然何話して良いかわからなかった。多分みんなそんなもんなんじゃ無いかなと思っている。
そんな時に見るべきなのがFacebookである。今となっては猫も杓子もTikTok、InstagramなどのイケイケSNSに夢中な中、それらの始祖にして現代ネット社会における九龍城、そしてディストピアとなったFacebookには今、俺が必要としている情報の全てがあるのだ。
まず友達伝いに名前に見覚えがある気がする奴のページに飛ぶ。どうせ足跡が付くわけでも無いし付いてたとしてもはや誰もFacebookなんか見てないから気にせず画像や誕生日の投稿へいつ頃まで反応していたかを見ていく。俺と同級生だから当然3割くらいは誰だか知らない奴と結婚してる。だがさして興味はない。なんなら病気してても、たとえ死んでたとしても、へー、で済む話である。ガンガン見ていく。
あ、こいつ養護学級スレスレだったやつだ。アニメアイコンだしヤな予感すんなあ、とか思ったら内容こそ穏やかだけど匿名掲示板で暴れ回ってるキチガイと同じ文体で、それもつい数日前まで投稿してる。匿名掲示板荒らして回ってる奴の気が知れないとは思ってたけど、本当にこういう奴らがやってんだなって確信してなんか悲しくなった。
次はこいつか、車高短なんかFacebookに載せんなよ、うわこいつも載せてんな、しかもスポーツ学科、このギャル名前見たことあるな可愛かった子か、あいつはヤンキーになってんのか、うわきったねえギャルだ、車高短だ、うわギャルだ、ヤンキー…
ガイジとヤンキーとギャルしか居ねえってなんだ。そりゃみんなFacebookやめるわ。畦道走ってイオン行けばみんな居るしな。どうせ高校まで一緒だったんだろうしどうでもいいかやっぱり。
だが何故、いわゆる陽キャになろうとした結果が画一化されたヤンキーやギャルなのか。影響されあっているとしたらこんなにダサくて生産性のない足の引っ張り合いは無いだろう。というか、それに気付かず迎合してしまうから田舎に留まろうとするのか、田舎に留まっているから感性が死ぬのか。俺にはもうよくわからない。
先日失踪した10年来の友人はいわゆるシティボーイだった。のにも関わらず、都会の隠れビッチに惑わされ、家や友達の全てを捨てて失踪し、SNSからもその存在を消そうとした。自分のプライドを糧にやってきたことを全否定して消えようとすることは、結果だけ見れば俺の居た田舎でヤンキーやギャルになるのと同じはず。全てを捨てようとした時、やはり田舎で珍走団になろうというのが真っ当な思考回路なのだろうか。