「月曜から夜更かし」と言う番組を見ていたところ、街角のインタビューで、おじいさんが稀勢の里を「ちせのさと」と発音したことをスタジオの人々が笑う、というシーンがあった。
これはおかしい。
おじいさんが「ちせのさと」と発音した理由は何点か考えられる。理由の一つに出身地域の方言がそのようなルールだから、当たり前に「ちせのさと」と発音したということが考えられる。
例えば、母国語が異なる人が、日本語のある部分を上手く発音できなかったとする。これを嘲笑したりからかったりするのは問題になることは容易に想定できる。
では、外国語を方言に置き換えたら。難しい問題を孕んでいるような気がするが、方言(からくる発音の差異)を笑うことだって同じようにいけないことなのではないか。
日本語話者がr音とl音を区別できない、「案内」と「案外」の「ん」を区別できないのを外国人に笑われたら、どう思うだろうか。
あるいは、お爺さんの口腔内の構造が、「ちせのさと」を発音するような構造になっていたのかもしれない。
例えば老化現象だったり、あるいはもともと舌が長かったりしたら、そのような発音になりうる。
これにしたって、その人の身体的特徴からなる発音の差異を笑っている訳で、今日びそんなことしたらダメなのは当然なのではないだろうか。
どういう可能性でも良いんだけれど、私は稀勢の里を「ちせのさと」と発音することに、そもそも深い違和感を感じない。
「き」と「ち」なんて、かなり調音の近い音だ。そういう訛りというか、発音のズレは日本語話者として違和感が少ない。
例えば稀勢の里を「まれのさと」とか「きのこの里」とか言っていたらそれはそれでおかしいが、「ちせのさと」は言語としておかしくない。
稀を「き」と発音する、あるいは平仮名の「き」を「き」と発音する。稀を「ち」と発音する、平仮名の「き」を「ち」と発音する。これは究極どっちでもいい。
近代国家で「臣民」を形成するんだったら「ち」じゃ失敗だけど、今の時代は近代の国民形成の時期でもないし。そもそも、その時代を乗り越えてある音の違いだし。
この辺りの、言語であれば当然想定しうる「ズレ」を笑おうとするのはとてもセンスがない。
そして、それで笑いを取れると思われている我々も、あるいはまったくセンスがない、のかもしれない。